子供の肝細胞が材料 実験動物生産の効率化に
ヒト肝細胞持つキメラマウス フェニックスバイオ
潟tェニックスバイオ(蔵本 健二社長・広島県東広島市)は2004年からヒトの肝細胞を持つマウスを生産し、医薬品開発試験の受託試験に利用している。同社の森川 良雄氏らは、大人よりも子供の肝臓細胞を用いたほうがキメラマウスの生産効率が高いことを、メディカル・サイエンス・ダイジェスト1月号p650〜p651の「ヒト肝細胞キメラマウス」で明らかにした。
uPA/SCIDマウスは重度免疫不全の性質を持つため、異種であるヒト肝細胞を生着させることができる。通常、移植には米国から輸入した子供の凍結肝細胞を融解して、100万個を用いている。注射針で移植すると、60日頃にはマウス血中のヒトアルブミン濃度は最高に達する。大人より子供の肝細胞のほうが高置換率のキメラマウスを高頻度に得ることができ、子供の肝細胞を移植した場合、移植したマウスのうち約半分のマウスが置換率70%以上となる。
ヒト肝細胞の凍結保存チューブ1本から約1000万個の生存肝細胞が得ることができるため、凍結チューブ1本から約10匹のキメラマウスを作製可能。同社では現在、置換率70%のマウスを年間1000匹以上生産することができる。
図に掲載されている肝細胞ドナーの年齢、性別は、9ヵ月男児、1歳男児、4歳女児、5歳男児、6歳女児、6歳男児、10歳女児、13歳男児、14歳男児。ドナーにより、置換率は70%程度(6歳女児)から30%程度(13歳男児)まで差が生じている。
ヒトB型、C型肝炎ウィルスは、ヒトやチンパンジーにしか感染しないため、これまでウィルスの感染メカニズムや抗ウィルス剤を開発するための実験系が存在しなかった。キメラマウスは、ヒトB型、C型肝炎ウィルスを感染させることが可能であることも示されているという。同社は2007年6月18日、ヒト肝細胞キメラマウスによる抗C型肝炎ウイルス薬試験の受託開始を発表した。ニュースリリースはhttp://www.phoenixbio.co.jp/press/20070618.html。
武下 浩著「小児脳死の課題」 臨床麻酔1月号
「脳死」の医学現実は無視、治療打ち切りを促進
臨床麻酔1月号はp49〜p57に武下 浩氏(宇部フロンティア大学理事長)による「小児脳死の課題」を掲載した。武下氏は、厚生省脳死判定基準の作成を中心的に担った人物。日本小児科学会の脳死臓器移植検討委員会の初期の議論にも参画した。
武下氏は「(p51)小児の脳死判定は体が小さいので、成人と比較すればすべての検査が難しい。無呼吸テストで、動脈血中の二酸化炭素分圧を60mmHgでは十分でないとする報告もあるが、成人以上のレベルを必要としている外国の基準はない」と書き、外国の基準にないことを持って現行の無呼吸テストが正当化されるかのように表現した。
当Web注:実際には、動脈血二酸化炭素分圧が60mmHg以上になってから自発呼吸が出現した報告が複数あり、現行基準の約2倍近い112mmHgで自発呼吸をした小児もいる。
また武下氏は「(p51)小児科学会は学会として、症例を集めて検討するようであるが、是非とも厚生省基準に従って追加して欲しいと思っている。1つの脳死判定基準が絶対間違いがどうか
(原文のママ)を証明するには、現在のところ経験の蓄積をもってする以外にないが、統計学的見地から不可逆性を指標として検討した論文では、臨床的にはおよそ不可能な多数例を集めなくてはならない」。「(p54)長期にわたった症例の中には、300日に及ぶ症例も報告されているが、経過中脳死と矛盾する徴候を示すことはなく、画像診断、剖検所見で脳組織の広範な融解・壊死が証明され、脳死診断が確認されている」「(p56)このような症例が存在するからといって、脳死の概念や定義を変える必要はない」と書いた。
当Web注:実際には、脳死判定後に長期生存している患者だけではなく、自発呼吸・脳波・痛み刺激への反応など明白に脳死を否定する小児が日本国内だけでも16例報告されている。「およそ不可能な多数例」を集めるまでもなく、
日本国内だけで過去19年間に重大な脳死判定の否定症例が16例あり、過去20数年間に7日以上の長期生存者が220例ある事実だけで脳死判定基準の否定には十分であろう。
このほか、シューモンのchronic brain
deathが掲載された雑誌の「(Ronald Cranfordが執筆した)エディトリアルでは(中略)B脳死は医学的症候および法律の現実の両面で、十分に受け入れられており妥当なものである」を引用して「
(p53)この中に法律の現実という表現があるが、本邦の法律の現実も基本的には米国と同じである」と、現実面から「脳死判定基準を満たしたら人の死とする」立場を擁護。また脳による有機的統合説が崩れていることに関係してか「(p54)脳が機能を失っても脊髄の統合機能が発現するという考え方がある」とした。
このほか「(p52)現在、本邦で法的脳死判定が行われるときは臓器提供を前提としているが、脳死状態の患者につけている生命維持装置を外すときの拠りどころとして判定が行われる可能性はある」「(p54)もし、脳死が人の死とされ、たとえ家族が治療の継続を希望しても、医療保険の対象にならなければ、長期脳死症例の数は大幅に減少すると思われる」「(p56)点滴や穿刺の説明とは違って、今、健康な小・中学生に脳死になった場合にドナーとなるかどうかを移植のことまで説明して同意を得ることは不可能である。しかし、悪性腫瘍などで入院加廃(原文のママ、加療?)を余儀なくされているような学童では死を十分に理解している可能性がある」などを書き、最後は「(p56)小児の脳死心臓移植について、最も必要とするレシピエントの年齢層は、今までの資料を見る限りでは乳幼児であり、ドナーはレシピエントに近い年齢、体格であることが望ましい。しかし、この年齢層で本人の意思を確認する方法はない」と結んだ。
当Web注:大阪大学の白倉氏は「法改訂案が通過しても小児心肺移植は6年に1例」と見積もっている。小児の脳死判定が大々的に行われるようになる場合、臓器提供ではなく治療打ち切りを患者家族に迫る効果が大きい。また、千葉大学で最初に腎臓が摘出された8歳男児は脳腫瘍だった。武下氏の言及は、このような現実を踏まえたものとみられる。
文句を言えない死に逝く患者が、研修医の練習台にされている
“安価で安易な死へのベルトコンベア”に乗せる臨死ルールに反対
ポーラのクリニック 山中院長
メディカル朝日2007年1月号はp88〜p89の“本音に迫る 医見異見”に、山中 修氏(ポーラのクリニック)の「延命治療 最後の選択」を掲載した。
山中氏は「本当に国のルールや倫理委員会で人間の“最後の選択”を決めてしまってよいものなのだろうか。四半世紀以上にわたる内科医としての経験から、“臨死ルール”完成の前に提言をしておきたい」として以下を書いている(要旨)。
言うまでもなく、人間の死亡率は100%であり、来るべき死の主役を中心に考えるのがルールの王道である。ここで最も大切なのは、人間の死とは、患者、家族、友人と数多くの人間が織りなす精神的ストーリーであり、個体としての細胞死にはとどまらずに、思い出は死を超えてもなお生き続けることである。脳死問題と同根になるが、一人の人間が社会とかかわって歩んできたプロセスの最終ステージを、主役がどう演じたいのか、が尊重されなければ欠陥ルールとなり、“満足な死”にはつながらない。
(中略)では、医師側から見た“満足な死”とはどういうものであろうか。行うべき検査法と治療法の説明を、患者と家族が十分に理解して納得し、診療過程に医療側の落ち度のない、いわゆる“不可避的病死”であれば、医師として安堵する。医療者は“ルーチン化”された“他者の死”に対して、特別な気持ちを抱くことはない。
一方、家族側から見ればどうだろう。臨死に一同が集まり、逝く者の名を呼び、泣き、頭、体、手足をさすり、感謝の言葉で別れを惜しむ。死につつも生きている“もの言わぬ肉親”との空想的、幻聴的な会話の時間がある。このかけがえのない時間が精神的ストーリーを生み、穏やかな死へとつながっていく。「皆さん、いろいろありがとうございました」という医療者への謝念は、この人間ストーリーの完結編の時間を共有した結果としてにじみ出る気持ちである。この時に本人も家族も「生まれてきて良かった」と思えるのだろう。
(中略)“敗北の死”と言えば、何も知らない研修医の頃、先輩の指示とはいえ患者の最後の段階におぞましい行為を繰り返したものである。
癌終末期のやせ細った老人の臨終に、「できるだけのことをやってみますので、ご家族は部屋の外でお待ちください」とうそをつき、家族を病室から追い払い、本来、患者と家族が究極の別れの時間を共有すべきであった部屋の中では「医師研修」という名目で、患者にとって全く不必要な蘇生行為が繰り返された。気管内挿管、中心静脈確保、心腔内注射、馬乗りになって肋骨を折ってまでの心臓マッサージなど、失敗しても文句を言わない死に逝く患者は研修医の格好の練習台であった。射水市民病院問題よりもはるかにレベルの低い、医師の傲慢さが招いた恥ずべき行為であったとひたすら反省しているが、驚くなかれ、今でも現場では同様の行為が続けられている。
(中略)「最後の選択のルールづくり」に際して、まず、医療として絶対にやってはならないことを冒頭に明確に禁じるべきである。研修的、実験的、コンセンサスのない延命的な気管内挿管は不要であるのみか、出来高払いの医療費を高騰させるのみであり、即刻廃止すべきである。医療者としての傲慢さを捨て去って、生の完結である死に対して畏敬の念を持てるルールが必要である。
次に妥当な医療行為として救命的挿管を行ったにもかかわらず、その後で、救命できなかったと判明した場合でも、主治医や病院や家族にとって都合の良い価値観で最終決定すべきではない。ここから、ひたすら家族への説明が始まるべきである。“理想の死”を迎えるには、家族の納得が、納得のためには理解が、理解のためには医師による十分な説明が前提となる。
(中略)終末期医療にも包括化が導入されようとしている。医療難民の高齢化や弱者が“安価で安易な死へのベルトコンベア”に乗せられるためのルールなら、危険な施策である。 |
山中 修氏は順天堂大学医学部卒業、順天堂大学医学部病院、国際親善病院を経てポーラのクリニック。路上生活者の支援活動も行っている。横浜中法人会によるインタビュー記事はhttp://www.hohjinkai.or.jp/news/5448/interview/interview.html
臨床的脳死の14時間後、延髄の機能していることが判明
中枢神経抑制剤投与下、必須の3検査を省略し脳死判定
1歳2ヵ月の女児に 三菱水島病院小児神経科
脳と発達39巻1号はp27〜p31に榎 日出夫氏(三菱水島病院小児神経科、現在は聖隷浜松病院小児神経科)による「臨床的脳死判定後にCushing現象を認めた幼児例」を掲載した。
それによるとサルモネラ脳症の1歳2ヵ月の女児が、発熱に伴いけいれん重積症をきたし、ジアゼパムの静注でけいれん重積症は収まった。治療にフェノバルビタール(5.1mg/kg/day)ほかを投与。深昏睡が持続し、第 5病日13時20分に自発呼吸が停止し、呼吸管理を行った。脳幹反射は消失、脳波は平坦で、ABRはI波のみ誘発された。この時点で臨床的脳死と診断した。父母へは「脳死の可能性が高い」と説明した。
第6病日4時から7時頃にかけて(呼吸停止後14時間から18時間の間に)血圧と脈拍数が同時に上昇した(延髄が機能していることを示すCushing現象)。第6病日の脳波も平坦で、ABRは無反応。無呼吸テストは実施していない。この時点で父母へ「脳死であり、不可逆性の脳機能喪失をきたしている」と説明した。その後、第32病日に死亡した。
榎氏は「脳幹反射が消失、脳波が平坦,ABRの中枢成分が消失し、呼吸停止後14時間を過ぎた時点において、脳幹の一部が活動していた可能性が示された。判定間隔は脳死診断を確実とする目的で設けられたものであるから、『12時間』は不十分であり、『24時間以上』へ延長した2000年(小児脳死判定)基準)は妥当と考える」と結論している。
脳波記録の感度を2倍にしか上げなかったが、榎氏は「この記録は臨床検査の一環であり、脳死判定を目的としたものではなく」としている。
必須検査項目とされている7つの脳幹反射検査のうち、前庭反射と咽頭反射は確認していない。榎氏は「耳鼻科医不在で鼓膜の確認ができず、経口気管内チューブ使用により咽頭の確認が困難であったため」「眼球頭反射と咳反射を実施しており、補完法により代替が可能とみなされる」としている。
無呼吸テストも行わなかったが、榎氏は「小児の臨床的脳死判定は昏睡状態に対する病態診断の目的で行われるのであるから、無呼吸テストは不要と考える」としている。
中枢神経抑制剤のジアゼパム、フェノバルビタールを投与しているため、そのそも脳死判定対象とはしてはならない(除外例)と考えられるが、榎氏は中枢神経抑制剤の脳死判定への影響については一切記述していない。
「本論分の一部は第9回小児誘発脳波談話会(1998年)、第103回日本小児科学会学術集会(2000年)で発表した」と注記してあるが、脳死・脳蘇生研究会誌12巻(1999年)に掲載されていることは書いていない。
当Web注:脳死判定をしてはならない症例で、低感度の脳波測定、無呼吸テストを行わず、さらに一部の脳幹反射検査も省略した臨床的脳死判定によっても、脳死判定基準の妥当性を検討できるのであれば、以下の情報を考慮すれば脳死判定間隔は最大2年間としても判定できないことになる。
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3ヵ月男児は7日後に聴性脳幹反応(日本救急医学会雑誌8巻6号p231〜p236)
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5ヵ月男児は10日後から自発呼吸(脳死・脳蘇生19巻1号p55)
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新生児は13日後に脳波と痛み刺激に反応(日本新生児学会雑誌35巻2号p290)
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4歳男児は1ヵ月後に自発呼吸(救急医学12巻9号S477〜S478)
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3ヵ月女児は40日後に自発呼吸(日本救急医学会雑誌2巻4号p744〜p745)
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11歳男児は発症4ヵ月後に脳波、10ヵ月後に自発呼吸(日本小児科学会雑誌99巻9号p1672〜p1680)
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生後4日目男児は2ヵ月半後のSPECT検査で大脳血流なく、3ヵ月後も同様の所見。発症後1.5ヵ月、2ヵ月後、1歳8ヵ月時に脳波(小児の脳神経26巻4号p303、臨床脳波44巻5号p295〜302)
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