臓器提供にかかわった看護師、36%が家族の精神的負担を聞いた
達成感は60%が「よくわからない」 杏林大学医学部の渡邊氏調査
第12回日本救急看護学会学術集会が2010年10月29日と30日、京王プラザホテル(東京都新宿区)で開催され、渡邊 淑子氏(杏林大学医学部付属病院)は会長講演「救急看護における私の課題 私がやらなければならないこと」のなかで、臓器提供経験のある8施設の看護師25名に
臓器提供時の実態調査結果も報告した。
実態調査結果に協力した対象者の背景は、救命救急センター、集中治療室が主。経験年数は10〜35年が64%。看護師の臓器提供に関する意識調査では64%が臓器提供意思表示カードによる意思表示はしていなかったが、76%は家族と臓器提供について話したことがあると答えた。
臓器提供に関しての学習は、72%が院内研修や病棟の学習会および院外研修などで1時間から最長6時間の学習をしていた。まったく臓器提供に関しての学習をしていない者は16%いた。
臓器提供にかかわった時の看護体制では、56%が看護業務への支障はなかったと認識していた。しかし、看護業務への支障があったと回答した20%の者は、脳死判定時のベッド調節、慣れない看護師ばかりで次に行なわれることへの予測ができず戸惑った、特定の人の退勤時間が延長したなどの理由で、看護業務に支障があったと認識していた。また、臓器提供時の看護業務の配慮に関しては、56%が臓器提供時の業務への配慮はなされていなかったと認識していた。
臓器提供時のストレスについては、臓器提供時の説明では、臓器提供に関する知識不足による不安や家族へのかかわりへの不安、あるいは家族への言葉かけなどの要因で32%がストレスを認識していた。また説明後の家族対応時のストレスには、40%の者が@臓器摘出が円滑に行われるための緊張感、A家族の思いやニーズへの対応、Bドナー管理による不十分な家族対応、C制約が多い状況下での面会時間の確保、D患者受け持ち配置の変更により一貫した対応ができない家族援助等を要因としてあげていた。また、脳死下での臓器提供にかかわった看護師は、ドナー管理、家族援助などの緊張で52%の者が肉体的・精神的な負担を感じていた。
臓器提供を決断した家族から相談を受けていた看護師は、@家族間の意見の相違や幼少の子どもへの説明の仕方、Aさらに目の前にいるドナーの心臓が動いているのに死とは思えない等の現状を受け止め切れていない気持ちなど、36%の者が家族の精神的負担
などを聞いていた。
またコーディネーターから説明を受けた後の家族は、@臓器摘出の時間やその間の待機場所の確認、A臓器摘出後のドナーの状態等の再確認、B臓器提供の一連の流れなどを再度聞かれていた。
日常的な医療ではない脳死下における臓器提供を経験した看護師の中には、臓器提供を経験して、@家族への対応に時間がとられた、A他の患者の対応に追われ十分に患者ケアができなかった等の想いから、ケアの充実を感じていない者もいた。さらに臓器提供にかかわった達成感に関しては、個人としての宗教観や人生観が違うので充実感は感じなかった、自分の気持ちや家族の気持ちを考えると本当にこれでよかったのかという思いがあった、助けられない命に対して無力感を感じた等の思いから、60%の者がよくわからないと答えていた。
看護上の問題を自由記載の内容をKJ法で分類したところ、40%の者が【看護業務の煩雑化】【臓器提供にかかわる看護師の知識不足】【チーム内での情報交換不足】など、臓器提供時に看護上の問題があると認識していた。
出典=渡邊 淑子(杏林大学医学部付属病院):救急看護における私の課題 私がやらなければならないこと、日本救急看護学会雑誌、13(1)、12−15、2011
「回復は絶望的、植物人間にもなれない」とされた加藤医師
家族の希望で低体温治療し社会復帰 症例報告遅れを指摘
2010年10月25日付で発行された日本臨床外科学会雑誌、第71巻10号の編集後記を、加藤 抱一氏が「不人気」のタイトルで書き、加藤氏自身が半年前に心肺停止し、家族は救急医から「回復の可能性は絶望的であり、植物人間にもなれないだろうと説明された」ものの、家族の希望で低体温下のICU管理を継続したところ1ヵ月後に歩いて退院できたこと。家族承諾の脳死臓器摘出が「人気」となるなか、この不人気な症例報告がなされていないことを指摘した。
日本臨床外科学会雑誌の編集委員を務める加藤抱一氏は、12月26日に環境省の公害健康被害補償不服審査会会長に選任された、食道がんの外科手術では名医とされる医師と見込まれる。会長選任時の履歴http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=16578&hou_id=13221 によると1944年生まれだ。前期高齢者の低酸素脳症患者にも、低体温が奇跡的効果を発揮したことになる。以下枠内は、加藤氏の編集後記の部分。
編 集 後 記
不 人 気
加 藤 抱 一
(前略)今日の医学雑誌では「症例報告」が不人気である。世界的にも症例報告を掲載する医学誌は極端に少なくなっている。そのような状況にも関わらず、,本誌の掲載論文は各号、概ね原著2、3編、症例報告40〜50編で、症例報告に偏重した構成を維持している。邦文誌に原著論文の投稿が少ないのも最近の一般的な傾向ではあるが、本誌には症例報告の投稿が多く、われわれもそれを歓迎している。今日、臨床や研究の場で活躍中のシニア外科医の多くが、学術論文執筆の手始めに症例報告を投稿した経験があり、論文を執筆すること自体が医師としての勉強の機会であったはずである。また、症例報告は貴重な経験を医学界に周知させる手段であり、後世に残る貴重なデータペースでもある。われわれはそのような症例報告の価値を十分認識している。
不人気とは逆に、最近毎日のように紙上で目にするものに、改正臓器移植法によって脳死の判定を受けた人の臓器移植が家族の承諾だけで行われた記事がある。その記事を目にするたびに、半年前、私自身に起こった心肺停止の経験が思い起こされる。人工呼吸と数回のAEDで心拍は再開したが、当日と翌日の2回の脳波を含む諸検査結果をもとに、救急病院の担当医から家族に、回復の可能性は絶望的であり、植物人間にもなれないだろうと説明された。しかし、家族の希望で低体温下のICU管理が継続され、3、4日後には意識が回復に向かい、2週間でICUを退出。約1ヵ月で独歩退院して、6ヵ月後の今こうして編集後記を書いている。私事で恐縮だが、私の蘇生に関与してくださった皆様にこの場を借りて心からの感謝の意を表したい。
私自身はまだ意識が朦朧としていた時のことで家族から聞いた話ではあるが、救急担当医は,私の回復を「奇跡が起こった」と表現したという。この奇跡は、私自身にとって極めて幸運な出来事であったと同時に、非常に勉強になった。私の家族や知人,蘇生に携わっていただいた救急関係者の方々にとっても貴重な経験となったに違いない。のみならず、あれが奇跡であったとすれば、当世人気の臓器移植の対象となる脳死に関連した資料として、不人気な症例報告をする意義がある出来事であったと思う。一流の救急病院で適切に対応していただいた結果であるから、症例報告に必要な医学的資料は十分に存在しているはずである。 |
当Web注:脳死判定医が誤診経験を隠蔽した実例は、藤田保健衛生大の神野医師が、1988年にはGeriatric Medicine26巻4号で脳死判定した4歳男児が1ヵ月後に自発呼吸したことを、(症例報告といえるほどの内容がなく)簡易に記載した。ところが2010年に開催された日本生命倫理学会・第22回年次大会で、神野医師は「私は一度も脳死からの回復は経験していない」と完全に虚偽の講演をした。
このほかに日本語文献に報告がないと見込まれるケースは、シンシナティ小児病院の植田氏(現在、静岡県立こども病院)は、Critical Care
Network Mailing List(CCN-ML)の「話題0010 脳死判定について」 http://www.kpu-m.ac.jp/k/ccn/topics/topics/w0010.html(1998年2月4日)がある。この話題0010において、阪大麻酔科・谷上氏の問い「脳死判定の対象患者の多くはイソゾールや筋弛緩薬他の呼吸抑制(イソゾールはもちろん脳波・意識も抑制)を伴う薬剤を投与されていることが少なくありません。小生はこういった薬剤の投与を受けた患者の脳死を判定することは、不可能だと思うのですがいかがでしょうか?」に対して「この場合も、先に述べましたテクネシウムの脳血流スキャンが代替のテストとして使われています。しかし、サイオペンタール投与後、自発呼吸なし、脳血流スキャンで血流途絶、脳死と家族に話した患者が24時間後自発呼吸を回復したというケースがあり、それ以来このテストは代用にならないなと個人的には感じています」と応えている。
2010年9月に開催された日本蘇生学会第29回大会において、聖路加国際病院救急部救命救急センターの福田 龍将氏らは、院外心肺停止患者で蘇生後・低体温療法を行い、終末期と判断したにもかかわらず脳機能良好で生存退院したケースを短文でポスター発表し
、2012年3月発行の日本救急医学会雑誌23巻3号で論文https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjaam/23/3/23_101/_pdfとして発表した。
法的脳死判定55例目では、脳低温療法後+中枢神経抑制剤の影響下に脳死判定が強行された。
透析療法で12年生存、脳死膵腎移植後34日で多臓器不全死
藤田保健衛生大 法的「脳死」臓器移植患者の死亡累計52名
報道によると、9月13日に法的「脳死」判定93例目のドナーから提供された、膵臓と腎臓の同時移植を藤田保健衛生大学病院で受けた50代女性が、10月17日に死亡した。
女性は糖尿病で12年間、透析療法を受けていた。移植手術後、臓器は正常に機能したが、1週間後に発熱し容体が悪化した。重症感染症から多臓器不全を併発したという。法的「脳死」判定・臓器移植でレシピエントの死亡が発覚したのは累計52人目。
*原 嘉孝(藤田保健衛生大学麻酔・侵襲制御医学講座):脳死膵腎同時移植の術後管理における高効率血液浄化療法の有用性、第44回日本臨床腎移植学会記録集・腎移植症例集2011(日本医学館)、115−118、2011によると、このレシピエントは14歳で1型糖尿病を発症、43歳で透析導入。既往歴は脳梗塞、右被殻出血、閉塞性動脈硬化症、冠動脈狭窄症。膵腎同時移植の術中から大量カテコラミン、大量輸液、輸血が必要だった。移植腎生検からcandida
albicansが検出され、術後35日目にseptic shockによる多臓器不全のため永眠した。
臓器別の法的「脳死」移植レシピエントの死亡年月日、レシピエントの年齢(主に移植時)←提供者(年月)、臓器(移植施設名)は以下のとおり。
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2005年 3月 7日 50代男性←bP2ドナー(20010121) 心臓(国立循環器病センター)
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2005年 3月21日 40代男性←bR2ドナー(20041120) 心臓(大阪大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明
心臓(施設名不明)
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2002年 2月 3日 43歳男性←bP1ドナー(20010108) 右肺(東北大)
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2002年 3月20日 46歳女性←bP6ドナー(20010726) 右肺(大阪大)
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2002年 6月10日 38歳女性←a@5ドナー(20000329) 右肺(東北大)
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2002年12月 5日 20代女性←bQ2ドナー(20021110) 両肺(岡山大)
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2004年 6月 7日 50代男性←bR0ドナー(20040520) 両肺(東北大)
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2005年 3月10日 50代男性←bR6ドナー(20050310) 両肺(京都大)
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2006年 5月初旬 40代男性←bP9ドナー(20040102) 右肺(岡山大)
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2006年 5月27日 40代女性←bS6ドナー(20060526) 両肺(岡山大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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2006年10月24日 30代女性←bS3ドナー(20060321) 両肺(京都大)
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2007年 7月? 32歳男性←bS9ドナー(20061027) 左肺(福岡大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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2010年10月 8日 10代女性←No.93(ドナー20100902) 肺(東北大)
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2000年11月20日 47歳女性←bP0ドナー(20001105) 肝臓(京都大)
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2001年 5月25日 10代女性←bP4ドナー(20010319) 肝臓(京都大)
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2001年12月11日 20代女性←bP8ドナー(20011103) 肝臓(北大)
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2002年 9月10日 20代男性←bQ1ドナー(20020830) 肝臓(京都大)
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2005年12月26日 50代女性←bS1ドナー(20051126) 肝臓(北海道大)
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死亡年月日不明 20代男性←bQ9ドナー(20040205) 肝臓(大阪大)
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死亡年月日不明 60代男性←bR6ドナー(20050310) 肝臓(京都大)
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死亡年月日不明 40代男性←bQ2ドナー(20021111) 肝臓(北大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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2010年10月12日 40代男性←101ドナー(20101003) 肝臓(岡山大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 膵臓・腎臓(施設名不明)
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2010年10月17日 40代女性←No.95ドナー(20100913)
膵臓・腎臓(藤田保健衛生大)
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2004年 6月頃 50代女性←bP5ドナー(20010701) 腎臓(東京女子医科大学腎臓総合医療センター)
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死亡年月日不明 50代男性←a@5ドナー(20000329) 腎臓(千葉大)
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死亡年月日不明 30代男性←bP4ドナー(20010319) 腎臓(大阪医科大)
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死亡年月日不明 50代男性←bP6ドナー(20010726) 腎臓(奈良県立医科大)
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死亡年月日不明 50代男性←a@2ドナー(19990512) 腎臓(東京大学医科学研究所附属病院)
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死亡年月日不明 女性←bQ6ドナー(20031007) 腎臓(名古屋市立大)
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死亡年月日不明 50代男性←bR6ドナー(20050310) 腎臓(国立病院機構千葉東病院)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 腎臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 腎臓(施設名不明)
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2001年9月11日 7歳女児←bP2ドナー(20010121) 小腸(京都大)
法的「脳死」臓器移植レシピエントの死亡は累計51名
日本臓器移植ネットワークは、10月15日更新の移植に関するデータhttp://www.jotnw.or.jp/datafile/offer_brain.htmlで、法的脳死判定手続で臓器移植を受けた後に死亡した患者数は累計
51名に達したことを表示した。
これまでの当Webのチェックでは、7月20日に死亡患者数は累計で48名、10月12日に肝臓移植患者の死亡1名を追加して累計49名となっていた。累計41名の時点と比べると、肺移植患者1名と肝臓移植患者1名の死亡が追加された。各マスメディアによると、肺移植患者が10月8日に死亡していたことが10月18日になってから報道された。
臓器別の法的「脳死」移植レシピエントの死亡年月日、レシピエントの年齢(主に移植時)←提供者(年月)、臓器(移植施設名)は以下のとおり。
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2005年 3月 7日 50代男性←bP2ドナー(20010121) 心臓(国立循環器病センター)
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2005年 3月21日 40代男性←bR2ドナー(20041120) 心臓(大阪大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明
心臓(施設名不明)
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2002年 2月 3日 43歳男性←bP1ドナー(20010108) 右肺(東北大)
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2002年 3月20日 46歳女性←bP6ドナー(20010726) 右肺(大阪大)
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2002年 6月10日 38歳女性←a@5ドナー(20000329) 右肺(東北大)
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2002年12月 5日 20代女性←bQ2ドナー(20021110) 両肺(岡山大)
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2004年 6月 7日 50代男性←bR0ドナー(20040520) 両肺(東北大)
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2005年 3月10日 50代男性←bR6ドナー(20050310) 両肺(京都大)
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2006年 5月初旬 40代男性←bP9ドナー(20040102) 右肺(岡山大)
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2006年 5月27日 40代女性←bS6ドナー(20060526) 両肺(岡山大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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2006年10月24日 30代女性←bS3ドナー(20060321) 両肺(京都大)
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2007年 7月? 32歳男性←bS9ドナー(20061027) 左肺(福岡大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肺(施設名不明)
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2010年10月 8日 10代女性←No.93(ドナー20100902) 肺(東北大)
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2000年11月20日 47歳女性←bP0ドナー(20001105) 肝臓(京都大)
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2001年 5月25日 10代女性←bP4ドナー(20010319) 肝臓(京都大)
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2001年12月11日 20代女性←bP8ドナー(20011103) 肝臓(北大)
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2002年 9月10日 20代男性←bQ1ドナー(20020830) 肝臓(京都大)
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2005年12月26日 50代女性←bS1ドナー(20051126) 肝臓(北海道大)
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死亡年月日不明 20代男性←bQ9ドナー(20040205) 肝臓(大阪大)
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死亡年月日不明 60代男性←bR6ドナー(20050310) 肝臓(京都大)
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死亡年月日不明 40代男性←bQ2ドナー(20021111) 肝臓(北大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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2010年10月12日 40代男性←101ドナー(20101003) 肝臓(岡山大)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 肝臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 膵臓・腎臓(施設名不明)
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2004年 6月頃 50代女性←bP5ドナー(20010701) 腎臓(東京女子医科大学腎臓総合医療センター)
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死亡年月日不明 50代男性←a@5ドナー(20000329) 腎臓(千葉大)
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死亡年月日不明 30代男性←bP4ドナー(20010319) 腎臓(大阪医科大)
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死亡年月日不明 50代男性←bP6ドナー(20010726) 腎臓(奈良県立医科大)
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死亡年月日不明 50代男性←a@2ドナー(19990512) 腎臓(東京大学医科学研究所附属病院)
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死亡年月日不明 女性←bQ6ドナー(20031007) 腎臓(名古屋市立大)
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死亡年月日不明 50代男性←bR6ドナー(20050310) 腎臓(国立病院機構千葉東病院)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 腎臓(施設名不明)
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死亡年月日不明 レシピエント不明←ドナー不明 腎臓(施設名不明)
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2001年9月11日 7歳女児←bP2ドナー(20010121) 小腸(京都大)
肝臓移植を受けた40代男性患者、移植後9日目に死亡
報道によると、10月3日に法的脳死判定101例目・臓器提供100例目の70歳代女性から提供された肝臓の移植手術を、岡山大学病院で受けた鳥取県の40代男性患者が、12日夜に不整脈で死亡した。同病院で病理解剖して死因を調査中だが、移植された肝臓は直前まで正常に機能していたといい、「手術との因果関係はない」としている。同病院によると、男性はB型肝炎などで肝硬変を患い、3日夜から4日朝にかけて手術を受けた。集中治療室から一般病棟に移った12日午後、容体が急変し、午後7時過ぎに死亡した。
第38回日本救急医学会総会・学術集会が2010年10月9日から11日まで、東京ビッグサイト会議棟とホテル日航東京を会場に開催される。以下は、日本救急医学会雑誌21巻8号より注目される発表の要旨(タイトルに続くp・・・は掲載ページ)。
*問田 千晶(国立成育医療研究センター):小児における脳死判定の現状、p399
2002年から2009年の8年間に、当センターICUで死亡した15歳未満の患児140例は、心臓死98例、心臓死以外42例。心臓死以外の症例のうち、脳死判定が行なわれたのは31例であった。その脳死判定の内容は、脳幹反射消失のみの診断2例、脳幹反射全消失と平坦脳波による診断15例、無呼吸テストを含んだ診断14例であった。そのうち除外項目に当てはまる症例が、知的障害者4例、被虐待症例(疑い例を含む)2例の6例含まれており、脳死下臓器提供の適応となりうる症例は8例のみであった。
今回の検討からは、脳死判定にて脳死と診断され脳死下臓器提供の適応となりうる15歳未満の小児脳死症例は、ごく少数であった。
当Web注:国立成育医療研究センター脳神経外科の荒木 尚氏らは、日本臨床救急医学会雑誌13巻2号p154(2010年)で「8歳女児、無呼吸テストを除いた脳死判定を1回施行、深昏睡、全脳幹反射消失、平坦脳波、ABR消失の所見を得た。時期を異にして脳血流3D-CTAおよび脳血流シンチを施行、脳血流停止所見を認めた。事後無呼吸テストを2回行った結果2回とも自発呼吸を認め脳死は否定された」と報告している。
*植田 育也(静岡県立こども病院小児集中治療センター):PICUにおける小児脳死患者、p399
2007年6月〜2010年5月の3年間に、PICUに入室し、臨床的に脳死と診断され、その後24時間以上生存した、生後3ヶ月以上の症例は計12名(男児7名・女児5名)、年齢の中央値は2歳1ヵ月。脳死と判断した後には、家族にその旨を伝え、その後の治療方針について協議した。人工心肺装置の停止を行なった1例を除いては、全例人工呼吸管理を継続し、心停止まで看取りの医療を行った。脳死の判断より心停止までの日数の中央値は32日(1〜63)であったが、年齢が小さいほど長い傾向は見られなかった。4例については虐待が疑われ院内委員会に通知した。
稀と考えられがちな小児の脳死患者であるが、海外のPICUでは1〜2%の頻度で発生するといわれ、当センターにおいてもほぼ同様の頻度であった。
*鈴木 孝典(船橋市立医療センター脳神経外科):脳神経外科入院患者における15歳未満の死亡患者25症例の検討、p593
当院は救急医療を主体に急性期医療および高度医療を提供する千葉県東急南部地域の中核病院で、病床数446床を有する。当院脳神経外科で死亡した15歳未満の患者について検討し、脳死判定・臓器提供の可能性について考察した。
対象は過去25年間に当科で死亡された15歳未満の患者25症例。平均年齢は6.7歳で男性11例・女性14例。平均入院期間20.6日。内訳は外傷14例(すべて1次性脳損傷)、脳腫瘍6例、脳血管障害3例、溺水1例、先天性水頭症1例。平均入院期間は外傷4.4日、脳腫瘍91.1日、脳血管障害6.3日。溺水と先天性水頭症は1例ずつで2日と1日であった。人工呼吸器の使用は16例あり、無呼吸性昏睡(=脳死状態だった可能性有り)の期間が24時間以上だった症例は9例。48時間以上だった症例は5例であった。
外傷・弱水は症例数は多いが外因死の場合、検死や警察の介入が必要な事が多く、臓器移植への移行が困難である。脳腫瘍は入院期間が長く、家族との信頼関係が築きやすいが終末期に人工呼吸器が使用されない傾向にある。脳死判定・臓器提供の可能性が高いのは脳血管障害であるが、最善の治療を行っている中で脳死について家族とむきあう必要があり、限られた時間の中では大変困難である。現状では15歳未満の脳死判定・臓器提供の症例が今後劇的に増加する可能性は低いと考えられる。
*鈴木 孝典(船橋市立医療センター):当院全診療科における15歳未満の死亡患者 脳死状態の有無について、p594
対象は2003年から2007年に当院で死亡した15歳未満の患者21症例。男性11例、女性10例。平均年齢は2.9歳。診療科の内訳は小児科14例、麻酔科5例、脳神経外科2例。
診断の内訳は先天性心疾患8例、外傷4例、感染症3例、溺水2例、窒息1例、脳腫瘍1例、新生児仮死1例、不詳1例であった。これらは1次性脳損傷4例、2次性脳損傷16例、不詳1例である。児童虐待の可能性が高かったのは1例。人工呼吸器が使用されたのは16例。無呼吸性昏睡の期間が48時間以上(脳死状態だった可能性有り)だった例は3例で、長期脳死状態の可能性があったのは2例(12ヶ月、21ヶ月)であった。
無呼吸性昏睡が48時間以上だった例は3例存在したが、全身におよぶ感染症の存在、家族の心情、交通事故、社会的背景などを考慮すると脳死判定・臓器提供の可能性はほとんどなかったと考えられる。現状では改正臓器移技法が施行され年齢制限が撤廃されても、提供事例が劇的に増加するとは考えにくい。
*鴨志田 久子(北海道大学病院先進急性期医療センター):臨床的脳死と診断された18歳以下の小児11例の検討、p593
対象は、2001年4月から2010年3月までの10年間に当院ICUに入室した18歳以下の児で臨床的脳死と判断された11例。男児5人、女児6人、年齢は生後5ヶ月から18歳(平均年齢10.1歳、中央値10歳)。原疾患は急性脳症、小脳出血、特発性肺高血圧症、先天性心疾患術後、交通事故による頭部外傷(2人)、外傷性窒息、溺水、白血病、糖尿病性ケトアシドーシス、気道狭窄。
11人のうちICU入室前にCPAに至ったのは8人。全例頭部CTを撮影していたが、脳波施行に関しては9人、未施行が2人だった。深昏睡、瞳孔所見、脳幹反射の消失は全例確認しており、自発呼吸の消失を確認した症例はなかった。発症から脳死判定までは1日〜11日(平均5日)、脳死判定から死亡確認までは4日〜3年0ケ月であり、7日以内が4人、30日以内が2人。30日以上生存例は5例だった。3年生存している症例は現在在宅管理をおこなっている。
一般的に脳死判定後から死亡確認までの期間は短いと考えられているが、小児の場合は1ヶ月以上生存することも十分考えられるという結果となった。原疾患にかかわらず適切な治療を継続すれば長期生存する可能性があると考えられた。
*紙谷 孝則(福岡大学病院救命救急センター):脳死患者の延命治療に対する医療者側のジレンマ、p538
患者は頭部外傷によりびまん性脳腫脹を来たし、入院後の脳波検査および聴性脳幹反応検査等から臨床的脳死と診断された。家族との協議により、入院時からの人工呼吸器管理、ショック状態に対するカテコラミン投与は継続するものの、以後、感染予防のための抗生剤投与を含め新たな治療は行わない方針とした。
しかし経過中、尿崩症による高度の電解質異常に対しバゾプレッシン投与と電解質補正を行い、喀痰による気道閉塞に対しては気管切開を実施した。心停止時には家族の求めによりCPRも行った。上記のごとく、積極的治療は行わない方針にもかかわらず見過ごすことが出来ない病態、また家族全員が納得していない状況では治療方針の統―性に欠け現場は疲弊した。今後は、この終末期医療の概念について一般社会への更なる啓蒙を実施し、早期に法制度化してゆく必要があると考える。
注:当Webでは、記録のために、原文の表現をそのまま載せている箇所もあります。これは発表者を支持することは意味しません。上記の法制度化
に関する言及、そして下記の会田報告における“脳死患者は死亡したというよりも、「完全脳不全」なので看取りに入ることが適切”も同様です。“改正臓器移植法によって「脳死は一律に人の死」が前提とされることとなった”は、会田氏の誤認です。
*会田 薫子(東京大学大学院人文社会系研究科G-COE死生学の展開と組織化):脳死患者の看取りと救急医療:脳死概念の変遷のなかで 救急医を対象とする2段階の実証研究に基づいて、p536
【背景・目的】2010年施行の改正臓器移植法によって「脳死は一律に人の死」が前提とされることとなった。数十年遅れで世界に追いついたと考える医療者は少なくないが、実は、時代の変化に伴う最新知識には沿っていない。現在では、脳死患者は死亡したというよりも、「完全脳不全」なので看取りに入ることが適切であると考える方が科学的に妥当といえる。本報告では、我が国の救急医療現場における脳死患者の看取り医療と従来の脳死の二重基準(脳死臓器ドナーにおいてのみ脳死は死)との関係について、実証データを基に考える。
【対象と方法】2006〜2007年に、第一段階として、国内の救急医療施設の勤務医35名を対象に探索的なインタビュー調査を実施。その知見に基づき、第二段階として2008〜2009年に、日本救急医学会会員で脳外科あるいは救急科に所属する勤務医2、802名に対し無記名自記式質問紙調査を実施し、928名から有効回答を得た(有効回収率33.1%)。
【結果】第一段階調査の結果、人工呼吸器の使用を終了して看取りに入ることを通常の臨床上の選択肢としていた医師は非常に少なかったが、彼らは共通して、脳死の理解が一様でない我が国において、脳死の二重基準は家族の受容を援助するために有用であると、自らの実践を通して認識していた。
第二段階調査の結果、「脳死を一律に法的な死とすることには問題がある」とした回答者は27%、「脳死の二重基準は有用かつ必要」とした回答者は17%であった。一方、「脳死の二重基準は混乱の原因となっており、脳死は一律に法的な死とすべき」とした回答者は17%であった。
【考察・結語】脳死の二重基準は、一見、非論理的だが、臨床上の有用性を有するといえる。従って改正法下においても、我が国の現状に照らした患者家族への対応のため、その性質が生かされることが望ましい。
*土谷 飛鳥(国病機構水戸医療センター救急救命センター):終末期医療ガイドラインとチーム医療カンファレンスの有用性 導入の経験、p537
30歳男性、失職し離婚調停中の妻が子供2人を引き取る予定であった。硫化水素自殺を図り、3日目の脳波・ABR・脳幹反射から全脳死と判断されると、家族は延命治療の即時中止を希望した。昇圧剤を中止しても循環動態は維持され、人工呼吸器管理を中止するか否かの選択に迫られた。主治医らだけでは判断困難のため、院内で初めて「救急医療における終末期医療に関する提言」に基づき医師・看護師・MSW・生理検査技師(脳波で関与)の14名でカンファランスを行なった。ひとつの結論に達したが、家族全員から同意を得る前日に心停止により永眠された。
*池内 尚司(防衛医科大学校救命救急センター):終末期医療ガイドラインを用いて勝訴することが、普及促進の原動力である、p537
親族不明の脳幹梗塞による脳死状態の患者に対して、「救急医療における終末期医療に関する提言(以下ガイドライン)」に基づいた延命医療中止の是非について議論することにより、施設としての基本姿勢を確立したいと考え、倫理委員会に諮問した。
1人暮らしで通院歴のない患者のため、リビングウィルを確認する物的証拠は無く、生活歴や血縁関係を詳細に知る第三者も存在しなかった。我々の危惧は、後日、親族が出現し、延命治療をしなかったことを問題視されることであったので、倫理委員会にガイドラインを示し、これに基づいた治療方針を決定していただくことを目的とした。
数名の倫理委員はガイドラインの存在と利用している施設は知っていたが、ガイドライン適応自体が時期尚早として議論されず、主治医の判断に委ねるとの結論であった。国家公務員が任意団体により作成された指針に基づいて行動するには、免責されることが保証されている必要性を痛感した。延命について係争中の事案がガイドラインに基づいて医師側が勝訴することにより、国家公務員のみならず民間医療機関においてもガイドラインの利用が進むと考える。
*木田 真紀(和歌山県立医科大学救急集中治療部):心停止後の提供腎の生着に対する胸骨圧迫の効果の検討、p592
和歌山県の臓器提供を行った医療施設は6施設中5施設では心停止後の臓器提供患者に対し、家族から同意を得たのちに人工呼吸を取り外すことが倫理委員会で承認されているが、われわれ施設では未だ承認されていない。しかし人工呼吸を取り外し、温阻血時間(WIT)が短期間であったにも関わらず両腎ともに生着に至らなかった症例を経験して以降、和歌山県では2003年より人工呼吸取り外しの有無に関わらず心停止直後から胸骨圧迫を行っている。
心停止後の提供腎の生着における胸骨圧迫の効果を検討した。対象は和歌山県下の心停止後に腎臓を提供した26症例(1995〜2009年)。胸骨圧迫施行例と非施行例の2群について人工呼吸の取り外しの有無と提供腎の生着を調査した。
胸骨圧迫施行は7症例でそのうち3症例(59.1%)は人工呼吸器を取り外した。両腎6症例(85.7%)、片腎1症例(14.3%)が生着に成功した。
胸骨圧迫非施行例は19症例で、人工呼吸器下を取り外したのは14症例(73.7%)であり、両腎14症例(73.7%)、片腎3症例(15.8%)、両腎廃絶2症例(10.5%)であった。
提供腎の生着について両群に有意差はなかったが、両腎廃絶2症例は人工呼吸器を取り外していた。
【結論】胸骨圧迫施行例と非施行例では提供腎の生着に有意差がなかった。しかし胸骨圧迫の症例が少なく、胸骨圧迫施行例は1症例を除いて両腎ともに生着していたことから、移植腎生着の鍵は人工呼吸の取り外しの有無ではなく、心停止直後の胸骨圧迫心臓マッサージによる阻血の補助である可能性が示唆された。
当Web:呼吸と血液循環が長時間停止すると、全細胞死のプロセスが開始されるため、三徴候死による死亡宣告が許容されてきた。しかし、自然蘇生の可能性
があり、死亡宣告直後は神経細胞が部分的に機能しているため、火葬などの処置は24時間以上経過しないと許容されない。
心停止直後から胸骨圧迫(心臓マッサージ)=血液循環の維持を行なうと、
全細胞死のプロセスは中断され、心臓死による死亡宣告の生理学的根拠が喪失する。心臓は拍動を再開する可能性があり、意識が保たれたり、痛みや恐怖を感じる可能性もある。このため心停止直後から胸骨圧迫を継続し、その後
に臓器を摘出する行為は、三徴候死による死亡宣告の実体がないヤミ「脳死」臓器摘出である。ドナーに断末魔の恐怖や激痛を与える、凄惨な生体解剖となる危険性
がある。
胸骨圧迫開始前には、抗血液凝固剤ヘパリンも投与されていると見込まれる。近年、日本臓器移植ネットワークがドナー候補者家族に交付した説明文書では、ヘパリン投与のメリット(
移植患者にとっての必須条件として、移植用臓器内で血液が凝固していない)のみを説明し、その一方で外傷や内出血
のドナー候補患者にヘパリンを投与すると出血傾向を助長すること、このような患者へのヘパリン投与は原則禁忌であるデメリットの説明は行なわれていな
い。ドナー候補者家族の承諾も、適正に得られていない。
群馬大学医学部付属病院の脳外科医9名は、「コーディネーターのコーディネートが不完全で安心して任せられない、死体腎移植では法律の規定がなく主治医の判断が非難にさらされる可能性がある、その判断の中で特に腎臓保護の目的で出血性疾患にヘパリンを使用する事、・・・脳外科医としてはリスクばかりが増えてしまうので出来れば関わりたくない」と第28回群馬移植研究会学術講演会で発表した。
*三木 靖雄(愛知医科大学病院高度救命救急センター):心停止下臓器提供による腎移植の経験、p592
当院では2009年に初めて心停止下腎移植1症例が行われた。提供者はドナーカードを所持していたが、記載の条件を満たしておらず脳死下での臓器提供は施行できず、心停止下での家族の意思表示により行われた。
今回は心停止下での臓器摘出であったため、本来の救命のための医療から臓器保護を目的とした治療となり、本来必要ではない処置を行わなければならないために家族の理解を得ることが問題となった。また、心停止に至るまでの患者の看取り方も十分では無かった。
当Web:「本来の救命のための医療から臓器保護を目的とした治療となり、本来必要ではない処置を行わなければならない」とは、ドナー候補者に血液循環がある時点で、臓器摘出目的のドナー管理を行なったものと推測される。ドナー管理は、第三者(移植待機患者)目的の傷害行為であるため、ドナー候補者には脳死による死亡宣告がなされている必要がある。今回は心停止下腎臓摘出である。愛知医科大学病院高度救命救急センターは、法的脳死判定手続下でのみ合法性を装える行為を、心停止下の臓器提供で敢行した可能性が高い。
9月2日に東北大で肺移植の10代女性
肺が機能しないまま10月8日に死亡
9月2日に、法的脳死判定93例目・臓器提供92例目の40歳代女性から提供された肺の移植手術を、東北大学病院で受けた10代女性患者が、
移植直後から肺が機能しないまま10月8日に死亡した。10月18日になってから各メディアが報道した。
読売新聞の報道によると“東北大病院は死亡を公表していなかったが、「移植後の死亡はこれまでもあったが、医療事故ではない場合、その都度公表していない。今回も手術自体は成功したが、容体悪化で亡くなった」と説明している。”
鹿野:心臓死概念は崩壊している 脳死患者を「死んでいる」と感じる者もいない
佐藤:移植を受け普通に生活したいと思った時、その生活はないことに気づいた
永田:生体移植ドナーに社会的心理的負担 “よいドナー”となるため口を閉ざす
第6回日本移植再生医療看護学会学術集会
2010年10月2日、東北大学医学部で第6回日本移植再生医療看護学会学術集会が開催された。以下は日本移植再生医療看護学会誌6巻1号より注目される発表の要旨(タイトルに続くp・・・は掲載ページ)。
*鹿野 恒(市立札幌病院救命救急センター 副医長):教育講演 徹底した救命救急医療、その先に見えてきたもの 患者を救えないとき、医療者に何ができるのか、p16〜p17
(前略)
「脳死は人の死なのか?」
「やはり心臓死が人の死なのか? 」
この問いに明確な結論は出されていない。というより、私は今後も出ないと思っている。
以前より、私たちの施設には心停止となった患者が多く搬送されている。救急外来でも心拍が再開しない場合、その患者は亡くなるのであろうか?答えは「否」である。私たちは迅速に人工心肺補助(PCPS)を装着し、脳蘇生を先行させた上で、数日してから心臓が拍動し始めることをよく経験している。「その場で心臓が動き出さなければ、人は亡くなる」という絶対的な「心臓死」の概念は、私たちの施設ではすでに崩壊している。
では、「脳死は人の死」なのか?
医学の世界標準として「脳死は人の死」と言われても、臨床の現場では、脳死となった患者に触れながら「脳死は人の死」と理解する家族はほとんどいない。また、当施設を訪れる学生、研修医、救急救命士、メディア関係等の方々も、誰一人として脳死の患者を「死んでいる」と感じる者はいない。それは皆が「脳死の人」と感じ、「脳死である死体」とは感じていないからである。
では、「脳死」とは何か?
私たちは医療者である。瀕死の患者がいれば、自分たちの知力、技術を持ち寄って、なんとか患者を助けようと最大限努力する。しかし、そこにも自ずと限界があり、全ての患者を助けられるわけではない。現代医学において、その助けられない病態に一つが「脳死」である。患者が
「脳死」となったとき、患者を回復に向かわせるための術はもうない。「脳死」は医学の限界点であり、多くの患者はおおよそ1〜2週間程度で亡くなられる。
では、患者が 「脳死」となったら、医療者は何ができるのか?
「もう残された時間は限られています・・・
今のこの時間を大切に過ごしていきましょう」
面会時間の制限を無くし、ベッドサイドには“大好きだったおもちゃ”や“大事なスノーボード”が並べられる。美容師の友人が髪を切ったり、お母さんにネイルアートをした優しい娘さんもいた。
「今のこの時を記録しておきませんか?」
ICUの中で瀕死の患者を囲んで写真を撮るなんて考えたこともない家族は、一瞬だけ驚きを示すが、必ずと言っていいほど写真を撮ったりビデオを回す。
そんな看取りの時間を過ごしながら、
「ご本人は臓器提供の意思表示カードをお持ちではありませんでしたか?」
「ご家族の皆さんのお気持ちで、臓器提供することも可能です」
このとき少し驚く家族もいるが、その後、家族は「臓器提供」のことを真剣に考えはじめる。
(中略)私たちの施設では、医療者から「臓器提供の意思確認」をしているが、今までに1例のトラブルもなく、家族の約3分の2が「臓器提供」に承諾している。決して日本人は「臓器提供」に後ろ向きではない。(中略)提供後にご家族を訪れると、みなさんが本当に力強くいきているのが、とても印象的である。
目の前の患者を救えなかった時、まだ「医療」にできることが残されている事を知って欲しいと願っている。
*鹿野 恒(市立札幌病院救命救急センター 副医長):人が亡くなるという視点を改めて考える、p21
この1年、「臓器提供」されたご家族が、あとから後悔されているという報道や文章をよく目にした。そこには「臓器提供」という善意の行いに対する、社会の雰囲気や支援体制が不十分であることが一因していると思われるが、私はそれだけではないと考えている。愛する家族、特に子供の死を目の前に、「臓器提供」を決断することは容易なことではない。その現場にいる医療スタッフが「人が亡くなる」という視点をもう一度見つめなおし、「臓器提供」に取り組んでいかなければ、健全な移植医療がこの日本に定着していくとは思えない。
当Web注
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市立札幌病院の佐藤院内移植コーディネーターは、心停止後腎臓提供において、脳死は人の死であることが前提の移植医療であり、移植のため
に違法な臓器管理が行なわれ、戸惑いやジレンマを感じている看護師がいたことを報告している(第7回日本救急看護学会学術集会)
。「今までに1例のトラブルもなく、家族の約3分の2が臓器提供承諾」とは虚偽の宣伝であり、ドナー候補者家族の無知によるものと見込まれる。
このほかに同病院は、法的脳死74例目で脳死判定対象外の患者を、法的脳死と判定した可能性が指摘されている。鼓膜損傷で法的脳死判定ができない患者も、臨床的脳死として臓器提供に至った(第33回日本救急医学会総会・学術集会)。同病院の脳波測定は、5倍感度測定
の時間が短く、電極間距離も微弱な脳波は描出しにくい設定となっている(第57回日本医学検査学会)。
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医療関係者であってもなくても、目前の人を救えない時に、さらなる害をなすことは許されないし、患者家族にウソをつくことも許されない。臓器ドナーがドナー管理されて臓器摘出にいたる過程で、激痛・恐怖・絶望を感じていないか。すべての臓器提供施設で、群馬大学病院の脳外科医が移植には関わりたくないと発表(第28回群馬移植研究会学術講演会)した時と同じ、ドナー候補者家族
に抗血液凝固剤ヘパリンの副作用を知らせない説明文書を使用しているではないか。
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鹿野氏は、上記文中(p16)で“「その場で心臓が動き出さなければ、人は亡くなる」という絶対的な「心臓死」の概念は、私たちの施設ではすでに崩壊している”と書いている。そして日本蘇生学会第24回大会では“心蘇生しなくとも脳は生きている”と発表した。ともに心臓死概念は崩壊しているとの立場だ。
しかし、“誰一人として脳死の患者を「死んでいる」と感じる者はいない。それは皆が「脳死の人」と感じ、「脳死である死体」とは感じていない”とは、「脳死概念も
受容できない」との心情だろう。
近年、全国でもっとも多数の「脳死前提の、心臓が停止した死後の臓器提供」を行なっているのが市立札幌病院で、鹿野氏はその中心人物だ。人の死の概念について定見のないまま、「人が亡くなる」ことを最も操作している医師が、“人が亡くなるという視点を改めて考えること”“健全な移植医療の定着”を提起した。
「治せない・救えない患者がいる」という状態から、 「何かをしなければならない」と思う切迫した心理が生じ、「生命維持を打ち切り臓器提供」という
選択に至る傾向は、米国で臓器提供を選択した患者家族の心理でも指摘されていた。「脳死判定基準を満たしたら必ず心停止に至る」という崩壊した脳死概念を鹿野氏自身が宣伝することで、その心理に切迫感を持たせ、自ら生命維持の打ち切りと臓器提供を促進する役回りを果たしている。
*佐藤 智子(長男への生体肝移植ドナー):生体肝移植のドナーの立場から、p23
(中略)長男の翔太は、新生児黄疸が強く光線療法を1週間受けました。お腹が張っていましたが、ミルクの飲みもよく元気に泣いていました。私は初めての育児だったこともあり、何も疑問に感じていませんでした。それから1か月検診時、黄疸が引けていないことから採血があり胆道閉鎖症であることがわかりました。根治術を受けましたが、その後も肝機能は徐々に悪化し肝移植適応となりました。
移植を受けるまでの息子は、黄疸も腹水も強くあり涙も薄い黄色でとても悲しい思いをしました。常に機嫌が悪く泣いてばかりいましたが、腹水のためおんぶはできず両手でいつも拘っこをしていました。私は出産直後より慣れない育児とともに病児の母となり、将来のことや健康に産んであげることができなかった自責の念というような解決しないことばかりを考え、もう一緒に死ぬしかないのかと思い詰める日もありました。泣かない日はなかったと思います。そのため私の肝臓を翔大に移植することが決定して初めて息子が助かるという希望を持てました。手術の日、私は麻酔が効いてくるのを感じながら息子が助かってほしいという気持ちと、これからどうなってしまうんだろうという不安が交差し泣いてしまいました。
移植後も感染に注意しなくてはいけないため、他人からみたら異常に思うくらい手を頻回に洗ったり、子供が多く遊ぶところには行けませんでした。感染するのが怖く息子を連れての外出はほとんどできませんでした。
私が職場復帰する際、保育園、幼稚園を見学したところ受け入れてもらえませんでした。
術前は息子が生きてほしいと必死になっていました。しかし移植を受け普通の生活を送りたいと思ったとき、その生活は送れないことに気づきました。健康という一般の概念からはずれたとき、社会は受け人れてくれないと感じました。そして健康で普通の生活を送るということが当たり前ではないということに気づきました。(中略)
私が望むことは保育園、幼稚園、学校、会社などの社会の受け入れ体制などの社会的支援、環境つくりがこれからますます必要だと思います。それから家庭や社会の中で移植でしか生きられない命があることを考えてほしいと思います。
*永田 明 (愛媛大学大学院医学系研究科看護学専攻):生体肝移植ドナーが「口を閉ざす」行動のエスノグラフィー、p34
本研究の目的は、日本の生体肝移植医療の中で、生体肝移植ドナーという集団がみせる「口を閉ざす」という行動様式を記述し、その背景の文化を明らかにすることである。
研究期間:2007年12月〜2009年12月
場所:国内の移植実施施設の肝移植患者会
研究参加者:国内のドナー経験者10名、レシピエント4名、家族3名を含めた17名。ドナー経験者は、男性3名、女性7名。年齢は、20代1名、30代3名、40代3名、50代3名。提供したのは夫3名、父3名、母3名、子1名。提供からの年月は2年半から8年半、6名が5年以上経過してレた。生体肝移植ドナー経験者には1〜3回程度、レシピエントや家族には1〜2程度のインタビューを行った。
インタビュー・データの分析の結果、生体肝移植ドナーは、「周囲だけではなく、自らが望む“よいドナー”となるため」に口を閉ざす行動を取っていることが明らかになった。
口を閉ざす行動には、自らがドナーになることに対する不安などを「言ってはいけない」と表現し、レシピエントや家族や親族に心配をかけたくない。また移植の段取りが進む中で自分の発言で迷惑をかけたくないという思いがあった。不安にならないために、情報に対して耳をふさぐという行動も見られた。更に、ドナーになる悩みを周囲の人に話しても理解してもらえないという思いや、医師に術前の不安を訴えても軽くあしらわれたり、術後の身体症状を訴えても不定愁訴のように扱われたりした経験から「言ってもしかたがない」と言う体験をしていた。
退院後、社会復帰したさいに身体症状を拘えていても、ドナーになったことで負い目を感じさせたくない。周りからの同情を受けたくないという思いから「言いたくない」というテーマが明らかになった。
さらに、募金などによって移植の資金の援助を受けたものは自らの不安や身体的不調を「言う必要がない」と述べて誰にも打ち明けることをしていなかった。また、周囲から家族を助けたという美談として扱われることで、自らの苦悩を「言いたくても言えない」状況に置かれてていた。
これらの事からドナーになった時から、術後、数年が過ぎた現在までドナー経験者は自らの心理社会的負担について
「口を閉ざす」行動をしており、ドナーへのサポートの必要性が示唆された。
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