第38回日本臨床腎移植学会
人工心肺灌流下に「心停止後」腎摘出:岡崎市民病院
角膜提供を話しかけ腎臓を獲得:福井県済生会総合病院
脳不全患者の登録状況をインターネット検索:福岡県
透析で15年1ヵ月生存、移植翌日に死亡:山梨大学
移植後、透析完全離脱まで5年間:北里大学
父、母、姉から3回生体腎移植:戸田中央総合病院
脳障害児ドナーのレシピエントが15年後死亡:近畿大
1月26日〜28日の3日間、琵琶湖グランドホテルを会場に第38回日本臨床腎移植学会が開催された。以下は移植40巻2号より(各タイトル末尾のp・・
・は掲載ページ数)。
・西分 和也(岡崎市民病院医療技術局臨床工学室院内移植コーディネーター):PCPS装着例における心停止後腎提供の経験、p167
PCPS装着例における心停止後腎提供3例を経験した。
- 急性心筋梗塞の67歳男性にPCPS(経皮的心肺補助循環)とIABP(大動脈内バルーンパンピング)装着、家族よりPCPS停止の希望あり、臓器提供オプション提示、腎提供。
- 急性心筋梗塞の67歳男性にPCPSとIABP装着、ICU帰室後心破裂をきたしPCPS装着下においても血行動態保てず家族に臓器提供オプション提示、腎提供
。
- 20歳女性、心肺停止蘇生後にPCPSとIABP装着、家族から提供の申し出があり腎提供
3例とも院内移植コーディネーターとして主治医にオプション提示を依頼し、また臨床工学士としてのPCPS装着・管理から心停止後にPCPS回路を利用した腎灌流までを一貫して行った。経験をもとに新たな腎灌流回路を考案した。
当Web注:PCPS、IABP装着下の腎臓摘出は、昨年の第37回日本臨床腎移植学会でも報告されている。
・米満 ゆみ子(福井県済生会総合病院院内コーディネーター):院内におけるオプション提示定着の背景についての考察、p168〜p167
オプション提示数が年々増加し、臓器提供数の増加につながった。その誘引は院内で角膜提供オプションを推進し、献腎オプションの成果につながった
他。
・杉谷 篤(九州大学大学院臨床腫瘍外科腎疾患治療部):臓器提供発生の「システム化」を目指して、p169〜p170
今年度より提供意思の発掘をシステマチックに行えるよう県とともに新規事業の計画を進めている。インターネット等を活用した提供希望者の新登録制度の開始と、各病院にその登録状況を照会する担当者を県事業として設置する。脳死等の患者が発生した場合、登録状況の確認を行うための連絡をその都度受信することとなり、提供者数の拡大に大きく寄与するものと思われる。
・座光寺 秀典(山梨大学大学院医学工学研究部泌尿器科学):ネットワーク発足後の当院における献腎移植症例の検討、p179
透析歴15年1ヵ月の43歳女性、手術翌日、移植後初回透析のためベッド移行直後に呼吸不全、心不全出現し、心肺蘇生できず死亡。事後検討で肺梗塞と判断した。
・田岡 佳憲(北里大学医学部泌尿器科):献腎移植後5年を経てようやく血液透析を完全離脱した1例、p181
移植時41歳男性は1999年7月26日、クモ膜下出血の69歳男性ドナーから献腎移植、温阻血時間2分。術後1病日に初尿確認、14病日に1500ml/日以上を保つようになるも、週2〜3回の透析を必要とした。8病日パニック症状の発生により移植腎生検施行が困難となり、長期遷延する腎機能障害の原因究明をできなかった。56病日、透析を週1回とした。その後、血液透析離脱まで約5年を要した。
・金光 泉(戸田中央総合病院泌尿器科):3次生体腎移植の1例、p183
38歳男性は1991年4月、慢性糸球体腎炎にて血液透析導入となった。1992年1月14日を父ドナーとする生体腎移植術を施行したが、慢性拒絶反応にて1994年10月2日、血液透析再導入。同年11月22日を母をドナーとする生体腎移植術を施行したが、慢性拒絶反応にて2003年6月15日、血液透析再導入。2004年7月2日、姉をドナーとする3次生体腎移植術を施行した。
・林 泰司(近畿大学医学部泌尿器科):心停止無脳児ドナーから成人への死体腎移植、p184
50歳女性、1989年1月、1歳6ヵ月の前全脳胞症(広義の無脳児)をドナーとして、心臓死の状態で献腎移植を施行。その後、血清Creは0.8〜1.0mg/dlと安定していた。移植後15年目となる2004年3月に肝障害悪化し多臓器不全で死亡した。死亡直前には肝腎症候群にて血清Creの上昇を認めたものの、それまでは腎機能は安定し良好であった。
脳死概念は、やがて消える アメリカの実情 会田レポート
臓器移植は受け入れ可能な医療だが、推進すべきではない
看護教育46巻1号はp23〜p30に、会田 薫子氏(あいた かおるこ:東京大学大学院医学系研究科 健康科学専攻修士課程)による「『臓器移植大国』アメリカの実情 生死の境界線を危うくする過渡期の医療」を掲載した。
書き出しは「人は生きているか死んでいるかのどちらかである。しかし、臓器移植という医療は、「死んだ」とされる人からの「生きている」臓器を必要とする。この医療を推進するとどういうことが起こるか。世界でもっとも臓器移植が盛んなアメリカの実情から考えてみたい」。
この後、臓器移植「医療はその発展とともに問題を増幅するという性質をもつ。なぜなら、「死んだ」とされる人の「生きている」臓器を必要とするため、生死の境界線が危うくなるからである」と指摘する。
(以下、太文字は見出し)持続的植物状態からの臓器提供を望む家族では、臓器獲得機構の幹部であるトレイシー・シュミット氏の論考から「脳死と回復不可能な脳損傷の違いは患者家族には理解しにくい。臓器提供を決断する際に家族にとって重要なのは脳死の定義ではなく、患者はもうどのような治療をしても助からないということが確実になったかどうかである」という実情を紹介。
Dead Donor Rule の行方ではケースウェスタンリザーブ大学のローラ・シミノフ氏らの、一般市民を対象とした死と臓器獲得に関する意識調査で、オハイオ州の一般市民1,351人のうち、重大な脳損傷を負い回復可能性はないがまだ生きている患者から臓器摘出してもよいと思うと回答したのは33.5%にのぼったことから「将来、dead
donor
ruleが反故にされる可能性、あるいは、脳死ではないがそれに近い重度の脳損傷を負った患者が死者に含められる可能性が示された」という報告を紹介している。
生死の境界線変更のための脳死の導入では、dead donor
ruleを遵守しながら臓器摘出できることにする、臓器移植のための恣意的な生死の境界線の変更は,以前にも脳死の導入でなされたことを指摘。
脳死の定義と判定基準の矛盾では「体温が調節されて体が温かければそれは脳が機能している証拠の1つなのに脳死判定され、体が冷たければそれは脳機能が失われている証拠の1つなのに、その場合は脳死判定できない」矛盾を突いたハーバード大学のロバート・トルーグ氏(「脳死を捨て去るときか?」の著者)へのインタビューを紹介している。
会田氏が「どうして他の医師たちはこの割と単純に思える脳死のウソに気がつかないのか」と聞いたところ、「たぶん、たくさん覚えなければならない方程式の1つとして若いときに記憶してしまうからだろう。医学生は、これこれの症状があって検査結果がこうならこの病気という方程式をとてもたくさん覚えなければならない。脳死の判定基準もそういうものの1つとして覚えれば、後で疑うことはしないということじゃないだろうか」と答えた。
脳死は社会的構成概念のバーナットの反論では「高度な生命維持治療が一般化した現代社会で、どこかの時点で『死』を宣告し、かつ、移植用臓器の摘出を可能にするためには、脳死判定基準は必要である」という主旨の現実を述べたダートマス・ヒッチコック医療センター神経内科教授ジェームス・バーナット氏へのインタビューを紹介。バーナット氏は「脳死は現実に即した実用的な概念で、一種の社会的構成概念(social
construct)といえる。脳死の論理的整合性について異論はあるが、アメリカでは、脳死に関わる公共政策と法は一貫しており、社会に受容されている。公共政策の観点からみれば、この国では脳死問題はすっかり解決しているといえる。アメリカでは臓器移植は医療として一般に広く認められ、推進されており、国民の医療への信頼も厚い。だから、脳死の概念が完全なものでないとしても、運営可能な公共政策を設計する上では,十分に一貫しているといえる」と述べた。
その他の臨床医たちが考える「脳死」では
- ピッツバーグ大学医療センター・プレスビテリアン病院麻酔科助教授 マイケル・デヴィータ:「脳死の人は死んでいるというよりも、臓器摘出可能な状態にいるという方が、道理にかなっているかもしれない。まだ死んでいない人から臓器を摘出するのは、今の社会ではできないことなので、脳死の人は『死んでいる』ことにしよう、ということではないか。政治的、社会政策的にみれば、脳死の人は『死んでいる』ということである。トルーグの指摘はもっともだが、それでは、政策的には機能しない」
- 神経内科医 コリン・マクドナルド:「脳死は生と死の境に引かれた恣意的な線といえるかもしれないが、実際的で有用な線だ。患者の家族に『もうこの患者さんには回復の見込みはありません』と話すときに、家族にとって科学以外に必要なものもある。家族が『この患者さんは脳死です』、と医師から聞かされれば、『死』という単語から、家族は望みがないことを理解し、患者のためにより良い決定をする。患者にとって何が無駄な治療なのか、何がなされるべきなのかを家族に理解させるのも、我々の責任である。今のところ、脳死という言葉は我々がもつベストなものである」
- ニューイングランド医療センター移植外科準教授 リチャード・フリーマン:「脳死の概念は、解剖学的、生理学的にいえばフィクションである。この問題を考えたり議論したりするのは、知的な体操としては興味深い。しかし、人は生きているか死んでいるかのどちらかであり、今の社会には、そのどちらかを分ける線を捨てる用意はない。臓器摘出のためには、その線を捨てられない」
生命倫理学者たちの考え方では
- ペンシルバニア大学教授 アーサー・カプラン:「脳死の人の脳の一部がまだ何かしているとしても、その働きは魚やヘビの脳のそれに近いと思う。プラグマティックに考えよう。頭部に銃撃を受けて脳が破壊されたとき、脳の一部がまだ活動しているとしても、それは思考したり、意識を持ったり、何らかの精神活動を行うためには不十分である。そして、それほどの脳損傷を受ければ生還できない。そういう状態の人を、『死んでいる』あるいは『死んだも同然(as
good as dead)』、『十分死んでいる(dead
enough)』として構わないと思う。これはフィクションかもしれないが、有用なフィクションだ」
- ケースウェスタンリザーブ大学教授 スチュアート・ヤングナー:「専門の学者の間では今後,この議論がより高まることを予想するが、これが一般社会に影響を与えるとは思わない。素人には理解できない話だから。私は長い間、脳死の概念の非論理性を指摘してきたが、『脳死を捨てよう』と主張しているのではない。公共政策の転換も求めていない。今、死の定義が心臓死だけになったら、非常に大きな混乱が起こるだろう。それなのに、脳死の非論理性を指摘する私は、困った学者かもしれない」
- ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所教授 ロバート・ヴィーチ:「脳死は科学では証明できないが、政策としてそれを選択することは賢明だと思った」
脳死の概念はやがて消える?では、トルーグの「今から20年、30年後にも脳死の議論が行われていたら、私はとても驚くだろう。そのころの医学の教科書には『脳死』の項目はないと予想する。もう医師は脳死の判定などしていないだろう。なぜなら、その必要がなくなるから。すでにアメリカでは、回復の見込みがないと診断された患者では、脳死でなくとも、生命維持治療を打ち切るのが一般化している。今やICUで亡くなる患者の三分の二は、生命維持治療が打ち切られた後に亡くなる患者である」。
将来、人工臓器や再生医療技術がドナーからの臓器に取って代わることが予想されていることからUCLAのシューモンは、「『脳死は人の死』としている現代の医師は、将来世代から笑われることになるだろう」と、話していた。
一般市民は知らないでは、「脳死の概念がフィクションであることが明白になっても脳死をやめない。さらに、瀕死だがまだ死んでいない人からは臓器摘出できないので、そういう人も死んでいることにしようとする流れが現実のものとなっても、移植推進の専門家の責任だけにはできない。その背後には、『無駄に死にたくない、誰かのためになりたい』という‘善意’の一般市民がいる。しかし、彼らの善意が無知に基づいているとしたら、どうなのだろうか・・・・・・一般市民が脳死について本当のことを知れば、ドナーが減りすっかり定着した臓器移植システムが揺らぐ、と心配する医療関係者がいるという。しかし,こうした懸念は本末転倒であるといわなければならない」と指摘する。
医療社会学から臓器移植問題にアプローチしたペンシルバニア大学名誉教授のレネイ・フォックス氏はインタビューで、「臓器移植は受け入れ可能な医療だが、推進するべきではない」と話していたという。会田氏は「善意のドナーの臓器を粛々と移植し、足りない分は無理に集めるべきでないということだ。彼女のこれまでの研究は、臓器移植を推進しようという善意の運動がもたらす悪影響と、目の前の患者のために必死にがんばる医師の熱意がもたらす意図せざる結末を明らかにしている」と結んだ。
全国でわずか97床 小児集中治療室のベッド数
重症児を安全効率的に治療する受け皿の確保困難
日本集中治療医学会 第3回全国アンケート調査
埼玉医科大学総合医療センター小児科の桜井 淑男氏と日本集中治療医学会新生児・小児集中治療委員会の田村 正徳氏は、日本小児科学会雑誌109巻1号p10〜15に「全国アンケートからみた主要な小児医療機関の集中治療の現状」を発表した。
新生児・小児集中治療委員会は1993年、1997年の2回、同様のアンケートを行い、小児集中治療はほとんど日本で普及していないことを明らかにしてきた。今回のアンケートはその後の普及度を調査するためのもの。
- 対象:103の全国大学病院小児科および小児病院の麻酔科または集中治療の責任者
- 回収率:97%(100/103)、
結果
1997年調査(回収率72%)との比較で、新生児集中治療室を有する施設数は58施設(56%)から82施設(80%)と急増していたのに対して、小児集中治療室は13施設(12%)から16施設(16%)と微増に留まっていた。また、独立の小児集中治療室のベッド数は97床で回答施設の小児関連総ベッド数の1.2%に過ぎず、欧米の10%前後に比較して明らかに少ないことが判明した。小児集中治療室の入室対象者も、大学病院の44%は“院内患者のみ”または“ほとんどが院内患者”、小児病院でも55%が“院内患者のみ”または“ほとんどが院内患者”だった。
今回の調査結果から、現在整備が進められている小児救急医療体制で収容される重症児を安全かつ効率的に治療する受け皿の確保が困難であることが明らかとなった。それはとりも直さず重症児の治療経験を蓄積していく施設や重症児の治療・管理の教育・研修場所が十分にないことも意味している。今後、小児救急医療体制整備の議論のなかで、小児集中治療体制の整備も含めた包括的な小児救急医療体制の整備計画を立案することが急務であると考えられた。
小児で救急病院において3次救急が必要であった年間患者数は5000人前後、これに全国の術後呼吸管理の必要な定時手術患者数が加わるので小児集中治療の対象となる患者数はかなりの数に上ると推測される。アメリカ、オーストラリアの試算では15歳以下の小児人口2〜6万人に1床の小児集中治療ベッド数が必要とされており、これをわが国に当てはめると全国で500〜700床のベッドが必要と試算される。
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