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脳波がある無脳児ドナー
「無脳症」や「無脳児」と言われると、脳がまったく無い先天異常であるかのように受け取られるが、後述するように部分的に大脳皮質まで形成され機能し脳波が測定され、1週間〜2週間程度生存する患児もあれば、出生日に分単位の短命を終える患児や、脳幹部も欠損し死産する患児まで、多様だ。
妊娠4週間程度までの神経管閉鎖不全が病因であり、一旦は形成された大脳が退化する模様が観察されていることを併せて考えれば、無頭蓋症(むとうがいしょう)の用語が最も正しく、誤解を生じさせない。「脳死」の用語は数々の誤解を生んできたが、「無脳症」「無脳児」の用語も同様の歴史を背負っている。無頭蓋症(むとうがいしょう)の用語・定義の普及が必要ではないだろうか。
無脳症 anencephaly:アネンスファリの定義例
- 第28版 ドーランド 図説 医学大辞典、157、廣川書店、1998年第1刷
無脳症(むのうしょう)=医学用語辞典:日本医学会医学用語委員会編・国際病理学用語コード、無頭蓋症(むとうがいしょう)=国際病理学用語コード
頭蓋の先天的欠如症で、大脳の両半球が全くないか、または小塊に縮小し、頭蓋底に付着している。
- 小児科学・新生児学テキスト 全面改訂第4版第1刷、858、診断と治療社、2003
- 定義:全大脳または少なくとも両側大脳半球を欠く致死的奇形
- 疫学:頻度は国によって異なるが、米国では出産1,000人当たり1人である。
- 病因:妊娠26日以前の神経管前部の閉塞による。
- 症状:顔貌は特徴的で、前から見るとカエル状である。延髄の下半分が存在すれば嚥下、啼泣がみられる。
音刺激、痛覚に反応する。原始反射は存在し、腱反射は亢進している。
- 診断:超音波検査で出生前診断が可能である。母体の血清または羊水でα−フェトプロテインが検出される。
- 治療:なし。
- 予後:約75%は死産で、生産でも1週間以内に死亡する
(当サイト注:死産率は報告により異なり、長期例も報告されている)。
出生前診断による中絶の増加
住吉 好雄:わが国における無脳症とダウン症候群の疫学的研究、日本産科婦人科学会雑誌、45(supple)、S245、1993は、全国約270病院の外表奇形等調査から下記を報告している。
- 1979年〜1990年12年間の分娩総数1,627,954、無脳症1,328例、ダウン症候群864例。
- 妊娠24週以降の報告例の分析では、1万出生対の無脳症例は1979年10、1990年5.4。妊娠24週以前の胎児診断は1985年25.2%、1990年47.1%。
- 妊娠24週以前に診断した無脳症例数を24週以降の報告数と加えると、1万出生対の無脳症例は1990年10.3となり1979年の10とほぼ同数である。
- ダウン症候群の1万出生対値は1979年3.9、1990年5.9、胎児診断は1985年8.8%、1990年18.1%。
- 結論:無脳症は発生数においては減少は見られていないが、超音波診断の発達により報告数は半減している。ダウン症候群は胎児診断は増加しつつあるが、その発生数もやや増加傾向がみられる。
出生前診断により中絶される比率は、その後も増加していると見込まれる。このページで引用した論文に1980年代、1970年代のものが多いことは、中絶の増加を反映していると思われる。しかし、双子を妊娠し1子が無頭蓋症である場合、出生前診断を拒否する場合、出生前診断が行なわれない場合、そして無頭蓋症と診断されても中絶を拒否する場合、などから無頭蓋症児の出生は減少しつつも継続的に発生すると見込まれる。
双胎妊娠で経膣分娩、角膜提供した家族例
八幡 健児(鳥取大学医学部眼科教室):新生児角膜を用いた全層角膜移植の2例、臨床眼科、
53(3)、316−320、1999
5ヵ月検診で双胎のうちの第2子が無脳児であることが判明し、
出生後の成長は不可能であると診断されていた。1997年6月3日午前11時30分、
在胎期間36週6日にて出生し、体重1,640g、身長40cmであったが、同日午後11時20分死亡が確認された。・・・・・・
一人の人間として両親にて命名を受けている。(出生前から)分娩に先立ち、両親から同児の角膜を提供する意思が伝えられ、
分娩後も同意志に変更がないことが確認されたため、翌6月4日午前1時30分、角膜移植目的として両眼を摘出。79歳女性と64歳男性に移植した。
この論文は、海外を含め新生児期以下の角膜提供とみなしうる(文献)報告例が
海外を含め103例あること。
小児角膜移植の特性として@組織の成熟度が低いため、軟らかく手術操作が困難
A成人角膜に比べ内皮細胞数が多く、術後の角膜透明性は良好
B術後の極端な近視化、などを指摘。八幡氏は、新生児角膜の評価として
「火急の治療を要する治療的角膜移植や、
予後不良とされる症例に対して有効なドナー角膜の1つになりうる」としている。
坂田 一美(川口市民病院病理):胎生中期の無脳児の神経病理学的検討、日本病理学会会誌、82(1)、263、1993は人工妊娠中絶となった無脳児4症例(14週、18週、20週、24週)の脳の組織学的構築に関して観察結果を報告している。
14、18週では頭蓋底部より上方に突出する形で中枢神経組織が存在していた。しかし20週をすぎると突出物は無く、頭蓋底に付着するようにわずかな組織が存在し表面は薄い皮膜で覆われていた。
組織学的にはいずれの時期でも脊髄〜橋までは形成されており、小脳の存在部位と考えられる部位に未分化細胞塊も存在した。また中脳水道の形成と第4脳室は確認された。中脳より上部は神経管が開いているが、14週では神経細胞が存在し、fibrovascular
tissue(線維血管性組織)の形成はない。
しかし18週以後になると fibrovascular tissue
に置きかわり、神経細胞の確認は困難である。全体像からその
fibrovascular tissue
は本来、硬膜やくも膜となる組織と考えられた。
まとめ:無脳児でも胎齢4ヵ月までは大脳のある程度の発育が見られることが判った。5ヵ月ころから大脳、小脳部分が退化していくようである。 |
当サイト注:fibrovascular
tissue(線維血管性組織)は、後記の論文に登場する血管腫様異常組織
area cerebrovasculosa(脳血管叢)と同じであるのかは確認していないが、後述の花房(脳と発達)論文は
area cerebrovasculosa
の血管増殖が生後もさらに進み、神経細胞を次第に障害していくことを指摘している。花房(小児科臨床)論文は、中枢神経の残存状態・除脳状態が似ていても臨床像がそれぞれ違う理由を、異常血管による“脳の虫喰い現象”で説明する。
無頭蓋症(むとうがいしょう)児が死亡する原因には「母体外に出てからの脳血管収縮→脳血流障害→脳低素症」や「生来の内臓奇形」も加わるとみられるが、病因および予後には
area cerebrovasculosa(脳血管叢)が大きく関与している印象を受ける。
大脳が機能している無脳児
無頭蓋症(むとうがいしょう)は、「染色体異常、先天奇形が他の臓器にも多いこと」「出生直後では臓器の発達が遅れていること」など医学的理由からも、ドナー候補者とは考慮しない移植医も増えてきたと見込まれるが、欧米では無脳児からの臓器摘出を推進している団体もある。
この場合、ドナーにされやすいのは、「他の臓器に奇形が無く、出生後も臓器の発達を促しやすく生存能力の高い、より『正常な』無脳児」になる。必然的に脳の欠損が少ない患児が潜在的臓器提供候補者(ポテンシャルドナー)とされ、脳活動が活発な患児が高率に含まれると推定される。
無頭蓋症(むとうがいしょう)児の脳波も測定されている。
- 関 亨(東京女子医大小児科):無脳児の脳波、脳と発達、2(4)、457−458、1970は、1970年1月17日、満期自然分娩、体重2,860gの男児から、Hockaday
らの分類によるVbに相当する脳波を測定した。この男児は脳幹の橋より上はまったく無かった。出生直後より痙攣頻発、呼吸困難、全身チアノーゼ著明であり、生後4日目に死亡した。
- 井上 英男(岡山済生会総合病院):無脳症の脳波−特殊な律動波を認めた1例−、岡山済生会総合病院雑誌、18、75−87、1986は、無脳症の診断で1984年6月25日、在胎30週0日、体重1,050gの胎児(男児)を娩出した。大脳、小脳ともにみられず、橋に相当する部では腹側の数本の神経束、背側に第W脳室と脈絡叢が認められた。児は初期には比較的力強く啼泣したが、四肢の動きは不活発で、ほとんど脳波活動を認めず、おおむね平坦脳波を示した。その後、啼泣が弱くなり呼吸状態が悪くなり、やがて
gasping が始まり low voltage irregular waves
がわずかに認められた。特に注目すべき事実として10〜20c/s、40μV程度の
rhythmical activity
が発作性、反復性に出現した。呼吸とともに惹起される傾向が認められた。一見
recruiting rhythm
に類似した波形が、橋部以下の残存脳からも発生しうる事実は興味深い。終には
gasping も消失し1時間54分後に死亡した。
- 花房 理貞(加古川市民病院小児科・神戸大学医学部小児科学教室):脳波様所見をえた無脳症の脳構造、脳と発達、7(2)、108−113、1975は、1969年8月より1972年11月までに加古川市民病院に入院した無脳症6例のうち3例(症例1、4、6)から、主に全誘導で持続性、低振幅の15c/sec〜25c/secの速波を記録した。以下要旨。
- 剖検できた症例1、6の脳は橋の中央部の高さより尾側しか遺残していなかった。それより吻側は血管腫様
area cerebrovasculosa(脳血管叢)におきかえられていた。
- 延髄では(248時間生存の)症例6の神経核が、(128時間生存の)症例1よりはるかに顕著であった。
- 橋にみられた神経細胞の残存は両者の間に差が少なく、ことに橋の網様体を構成する神経細胞の残存度は両者の間に差がほとんどみられなかった。
- 症例6は生後1時間30分で脳波様活動を記録できているにもかかわらず、生後3日目では脳波様活動は頭頂部ではほとんど認められず、前頭部でも非常に低電位になっており、その後7日間生存した事実を考えてみると、無脳症では
area cerebrovasculosa
の血管増殖が吻側より尾側に向かって生後もさらに進み、神経細胞は上部脳幹より尾側方へ次第に障害されていくのではないかと想像てきる。
- (12時間生存の)症例5は、延髄における脳構造はかなり判別しうるにもかかわらず橋は遺残せず、かつ脳波様活動をまったく記録しえなかった事実を考えると、記録された脳波様活動は橋における神経細胞の電位活動を誘導したのではないか、特にこの時主役を演じたのは形態学的に2症例ともに比較的正常なネウロン像を示した橋の網様体ではないかと考えている。
以下の表は、同症例について報告している花房 理貞(加古川市民病院小児科・神戸大学医学部小児科学教室):無脳症についての臨床神経学的考察、小児科臨床、28(11)、1437−1442、1975からも補っている。生下時体重が最も大なる群3例に脳波が測定され、なかでも最も長期間生存した症例6の脳波活動の活発だったことも注目される。
花房氏らは「まことに特異なことは症例1で自動歩行がみられたことと、脳のかなり高い部位の支配を受けた運動ではないかといわれている交叉伸展反射が明瞭に認められたことであった」としてp1439に症例1の自動歩行と交叉伸展反射の写真を掲載している。
症例 |
性別 |
在胎
週齢 |
体重
(g) |
生存時間
(h) |
筋緊張状態 |
脳波 |
神経学的に
特異な所見 |
その他所見 |
1 |
女 |
41 |
2,900 |
128 |
亢進 |
左前頭部、両頭部で
持続性、低電位速波 |
自動歩行(亢進)
Moro反射
腕の開排(減弱)
腕の伸展(普通)
交叉伸展反射(普通) |
area cerebrovasculosa
に触れると強直性痙攣
|
2 |
女 |
36 |
1,300 |
0.4 |
― |
出産間もなく死亡し、
脳波記録不可能 |
|
|
3 |
女 |
37 |
2,750 |
1.5 |
減弱 |
出産間もなく死亡し、
脳波記録不可能 |
|
|
4 |
男 |
41 |
2,435 |
60 |
亢進 |
両前頭部、両側頭部に
相当する部分で
持続性、低電位速波 |
|
両手掌に猿線
area cerebrovasculosa
に触れると強直性痙攣 |
5 |
男 |
40 |
2,200 |
12 |
減弱 |
脳波様活動がみられなかった |
|
|
6 |
男 |
43 |
3,200 |
248 |
亢進 |
全誘導で持続性の
15c/sec〜25c/secの速波に、
10μV〜15μVの10c/sec波が
不規則に混じて認められた |
Moro反射
腕の開排(普通)
腕の伸展(普通) |
area cerebrovasculosa
に触れると強直性痙攣
黄疸(普通)
|
健康な胎児と同様に心拍数が sleep-awake
の二相性パターンで変動
症例 |
体重
(g) |
性別 |
生存時間
(h) |
アプガースコア
(1分&5分) |
中枢神経組織 |
大脳皮質 |
間脳 |
中脳 |
延髄 |
頚髄 |
1 |
1,760 |
女 |
37 |
4−5 |
痕跡 |
正常 |
正常 |
正常 |
正常 |
2 |
1,210 |
男 |
0 |
0−0 |
痕跡 |
低形成 |
低形成 |
正常 |
正常 |
3 |
1,960 |
男 |
28 |
6−6 |
全く欠如 |
痕跡 |
痕跡 |
低形成 |
正常 |
4 |
1,150 |
女 |
1 |
3−3 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
低形成 |
正常 |
5 |
1,500 |
男 |
12 |
2−10 |
全く欠如 |
全く欠如 |
痕跡 |
低形成 |
正常 |
6 |
890 |
女 |
0.2 |
3−1 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
痕跡 |
7 |
715 |
女 |
0.3 |
1−1 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
低形成 |
8 |
660 |
男 |
1 |
1−1 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
低形成 |
9 |
1,260 |
男 |
0.3 |
1−1 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
10 |
900 |
女 |
1.5 |
1−1 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
全く欠如 |
寺尾 俊彦:胎児心拍数の神経制御機構−無脳児10例の解剖と心拍図との関係について、周産期医学、12(3)、371−385、1982は、浜松医科大学および関連病院にて出産した無脳児10症例のプロフィールと解剖所見として左表を示している(血液pHと先天異常の項目は省略)。
寺尾氏らは、出生前後の心拍数を測定したところ、Non-stress
test(NST)において、症例1、2では正常児にみられるほど顕著ではないが、心拍数変化の
variability が sleep-awake
の二相性パターンを示した。症例3〜10では、全くみられなかった。症例1、2は大脳皮質が痕跡ながら存在したので、この二相パターンは大脳皮質が制御しているものと推察した。
また心拍数変化の acceleration
が症例1〜3で明らかに認められ、症例4、5では2〜4時間に1回の
acceleration が認められ、 acceleration
の発生頻度が明らかに異なった。また症例6〜10では
acceleration がまったく認められなかった。また症例3ではNSTでは
acceleration
がまったく認められなかったが、陣痛発来後に初めて
acceleration が発生し、陣痛に同期した periodic acceleration
が発生した。症例1〜3は間脳(視床下部)が存在する例であり、また延髄も存在した。このことから
acceleration の発生には間脳が最も関与すると推察した(寺尾氏らは「stress(陣痛)が加わった時にのみ出現したことは、間脳の予備能を知るうえで興味深い」と書いている)。
long term variability(LTV) は症例1〜3は比較的高く3bpm台であり、症例4,5ではやや低く2bpm台であり、症例6〜10ではさらに低く1bpm台であったことから、LTVの成因には大脳−延髄系が関与しているものと推察した。
寺尾氏らは、この無脳児の解剖と心拍数変化の観察を、脳神経系の支配領域の解明に貢献する天与の実験(
experiment of nature
)としている。正常児の生理を解明するために無頭蓋症児を観察した実験であり、この論文だけから無頭蓋症児の大脳皮質や間脳の機能状態を説明するのは、不適切な逆用であるかもしれない。関連資料の検討が必要だ。
しかし。p382で妊娠中毒症妊婦にみられる胎児胎盤機能不全で観察される胎児心拍数の変化パターンを、「今回得られたわれわれの成績から推察」して、大脳皮質の機能不全→間脳の障害→延髄の障害、と解釈できることも紹介しており、脳神経系の理解の一助となると思われる。
痛みを感じ、意識のある可能性もある無頭蓋症胎児
- 上記の花房 理貞(加古川市民病院小児科・神戸大学医学部小児科学教室):無脳症についての臨床神経学的考察、小児科臨床、28(11)、1437−1442、1975は、6例中3例で頭頂部の血管腫様
area
cerebrovasculosa(脳血管叢)を触れると上半身を起こすような強直性痙攣がみられることを報告している。この3例は、60〜248時間と長時間生存し、脳波も測定された患児だ。
- 石田 道雄(新潟大学医学部産科婦人科学教室):無脳児妊娠−その診断時期と分娩経過を中心に、産科と婦人科、51(5)、65−70、1984は、p69に「Viana
氏徴候(腹壁より外診指で頭部、とくに頭頂部圧迫時痙攣発作性体動をみる)、Negri
氏徴候(内診指で先進部圧迫時、露出した脳質の一部を刺激することにより強い痙攣発作性胎動をみるが、圧迫除去で停止する)、勝氏徴候(Negri
氏徴候の際、FHB減少)なども参考になる。われわれも(無脳児分娩13例中)、Negri−Viana
徴候を3例に認め、その他内診時に児脳底動脈拍動を2例に触知した」という。脳の形成状態については記載が無い。
痙攣発作性胎動は、電撃的激痛を感じて起こるのではないのかと想像される。脳波が測定された患児において橋の網様体が脳波発生の主役を演じていると推測されていることは、意識の発生も考慮せねばならない。
クラウス&ファナロフ:ハイリスク新生児の臨床 第4版(監訳者・竹内 徹、HBJ出版局、1995年)は「無脳児は、いつまでたっても無意識の状態にあるので、生存している間は苦悩、疼痛あるいは他の感覚も経験することが無い(p503)」としている。筑波大学で生老病死を考察させる(と称する)臨床人間学も、神経内科学専攻の庄治 進一氏が、「無脳児には、いずれにしても意識があるとか、感情を持つとか、そういった状態が一生訪れないわけです」と学生のディスカッションを前にレクチャーした(庄治 進一編:生老病死を考える15章 実践・臨床人間学入門、p153、朝日新聞社、2003)。
これはNegri氏徴候、Viana 氏徴候の診断方法を実践しながら、自らの手が患者に何をもたらしているかを想像できない病的状態、患者を物体視した、医師自身が無意識・無脳・ロボット状態とみなされる。「無頭蓋症(むとうがいしょう)児の一部は、意識があり、医療者および周囲の取り扱いにより、苦悩、疼痛、他の感覚も経験する可能性がある」と書き直される必要がある。
出生後間もなく死亡するか、長期生存するか、ともに人間の選択
The Medical Task Force on Anencephaly :The Infant with Anencephaly、The
New England Journal of Medicine
、322(10)、669−674、1990は、最長2ヵ月の生存例を
we could confirm している(文献:Peabody JL,Emery JR,Ashwal S :Experience
with Anencephalic infants as prospective organ donors 、The New England
Journal of Medicine
、321、344−350、1989。14ヶ月の報告(文献:Gianelli
DM :Anencephaic heart donor creates new ethics debate 、American
Medical News 、November 6、1987:3.47-49)もあるが、( anencephalyとの?)診断の正確性に疑問を呈した。
筆者はベビーK事件(米国で生命維持装置をつけた無脳症児が1歳11ヶ月まで生存した)は、詳細を調べていないので、言及を控える。
クラウス&ファナロフ:ハイリスク新生児の臨床 第4版(監訳者・竹内 徹、HBJ出版局、1995年)はp503において「多くの無脳児は、何ら治療を受けることが無いので、間違いなくすぐ死亡するが、それは自然の姿というよりも人間の選択である。事実、何人かの無脳児は生後6ヶ月まで生存している。したがって、もしわれわれが選択すれば、これら障害を持つ新生児の少なくとも数人をかなり長期間生存させることが可能であろう」と長期生存可能性に言及した。
さほどの人為的処置を加えない自然な経過での長期生存例としては、上記の花房 理貞(加古川市民病院小児科・神戸大学医学部小児科学教室):脳波様所見をえた無脳症の脳構造、脳と発達、7(2)、108−113、1975の248時間生存が参考になろう。
都築 一夫、美濃和 茂、伊東 重光、小野 佳成、絹川 常郎、松浦 治、大島 伸一(社会保険中京病院):無脳児をドナーとした小児腎移植の1例、小児科臨床、37(6)、1233−1236、1984によると、1981年12月11日、名古屋大学医学部附属病院で在胎36週、生下時体重2,000gの無脳児(性別は記載無し)が出生、家族から腎提供の承諾を得て、同夜、温阻血時間0分で腎臓が摘出され、冷阻血時間309分で左右2腎とも8歳女児に移植された。
ここでの「温阻血時間0分」は心臓拍動時の摘出を示す。
立花 隆、NHK取材班:NHKスペシャル 脳死、日本放送出版協会、1991のp163−167によると、この「無脳児」ドナーから臓器を摘出したのは、社会保険中京病院泌尿器科の大島 伸一医師(当時)。手動の人工呼吸により、かろうじて呼吸し心臓も脈打っていたが、腎臓を取り出した時、赤ちゃんの心臓はすでに停止していた。大島氏はNHKの取材に「無脳児を正常な子供と同じように扱うのはどうしても私にはできない。脳の無い状態を『生きている』と本当にいえるのでしょうか。臓器移植の慎重論者の意見は聞いた感じは良いが、一つの欠落した部分がある。それは移植によって助かる人のいることを忘れているということです。・・・」など答えている。
2006年12月13日付の読売新聞によると、大島は「学会や論文で公表したが、人道的、倫理的に問題だとする批判の矢面に立たされた。心に突き刺さった質問があった。『無脳児を人間と思っていないのか』それまで『大脳を欠いた無脳児は必ず死ぬ。出生届も出されず、極論すればこの世に存在したかもわからない。両親の承諾も得ており、問題はない』と考えていたが、自信が揺らいだ。『考えると、それは医師が決めてよいことではない。自分たちだけの価値観で物事を決めるのは非常に危ない、と思い知らされた』当時は倫理委員会もなかった。『今なら間違いなく諮る』」と語っている。
この時のレシピエントは拒絶反応で61病日に再透析となり、77病日に移植した腎臓を摘出した。腎臓が生着しなかった主因を「組織適合性が不良だったためと思われ」と大島氏ら自らが書いている。無脳児ドナーの臓器は発育が悪く手術手技も難しいために、困難が多いことは事前に認識していたであろう。また、組織適合性の不良は事前に検討しなければならない事項だ。「慎重論者は移植によって助かる人のいることを忘れている」と言うものの、本当は大島氏らはレシピエントの健康、手術による侵襲、負担を考慮していなかったのではないか、人体実験に終始したのではないか
。
無頭蓋症ではない赤ちゃんも「無脳だ」
NHKスペシャル 脳死は、p165で大島氏が医学生の頃、無脳児の標本を見たことを紹介している。「はずされた頭蓋骨の中には、大脳のほとんどがなく、脳のあるべきところはぽっかりと空洞になっていた」という。外すことができた頭蓋骨があったのであれば、無頭蓋症(むとうがいしょう)児、無脳児ではない。頭蓋が形成されているが、内部に脳脊髄液が過剰に貯留し脳が低形成の水頭無脳症
hydranencephalic または前脳と顔面正中部の発育が障害された全前脳胞症
holoprosencephaly と混同しているというほかない。
しかし、このような無知か優生思想にもとづく混同は大島氏だけに限らない。現代の大学授業でも同様の間違った知識注入が行なわれている。
ピーター・シンガーも著書「生と死の倫理」(発行:昭和堂)のなかでp58では無脳症 anencephalyを「この症状の赤ん坊の場合、眉より上の頭蓋上部が欠けていることがある。欠けた部分には層をなした皮膚があるだけである。頭蓋が形成不全で、内部が体液で満たされていることもある。その場合、頭蓋の一方に明かりを近づければ、反対側から光が透けて見える」と書いた。無脳症 anencephaly
の専門用語を使いながら、次行では体液で満たされる頭蓋が形成されている水頭無脳症や全前脳胞症も同じであるかに受け取られる表現をしているのは不適切だ。
「頭蓋の一方に明かりを近づければ、反対側から光が透けて見える」患児は長期生存能力があり、なかには意識的行動をする児もある(後述、小暮およびシューモン)。
無頭蓋症(むとうがいしょう)児とはまったく別の先天異常であり、脳がより形成されている小児も「無脳児」として臓器が摘出された。
池上 雅久(近畿大):心停止無脳児ドナーから成人への死体腎移植の1例、移植、26(6)、646−653、1991でドナーとされた女児は、生後に脳幹部、視床下部、小脳などは認められるが
大脳半球はすべて髄液に置換されており「全前脳胞症」と診断され、
「広義の無脳児と判断された」という。筆者は全前脳胞症を広義の無脳児としている解説書を見たことが無い。
口唇口蓋裂の手術および発育異常精査のため入院中の1989年1月、
1歳6ヶ月時に呼吸器感染症が原因で急変し、徐脈、無呼吸となったため、蘇生を試みるも45分後に心臓死と確認された。以前より家族から腎提供の意向があり、
心停止後も心マッサージにより血圧が100/50mmHg程度に維持され、心停止後115分より腎摘出術を開始。左右2個の腎臓とも、体重45kgの35歳女性レシピエントに移植された。
「以前より家族から腎提供の意向」があったから、心停止後も心マッサージにより血圧が、約2時間にわたり維持されたのであろう(血圧を正常値なみに維持するには、骨折や内臓破裂の危険を考慮せずに体外から強力に心マッサージを行なうか、開胸心マッサージを行なったのではないか)。障害のあることが、両親が救命治療を早期にあきらめ臓器提供を考慮する一因になった可能性がある。
池上氏らはp651で「ドナーは脳幹部、特に腎の成長に必要な視床下部及び脳下垂体が存在したことから臨床的には広義の無脳児と言えても病理学的には完全な無脳児とは言えず、1歳6ヶ月までレスピレーターを用いずに生存し不十分ながら成長していたこと、・・・・・・が、腎を生着可能になるまで成長さ(以下p652)せていたという
幸運な状況を生み出したにすぎず、従来より報告されている狭義の無脳児のケースとは同一視できない。無脳児ドナーでの死体腎移植は困難であることに変わりはないであろうが、われわれの症例における移植後のさまざまな工夫(当サイト注:補助的透析、シクロスポリンの使用制限、小柄なレシピエント選択など)は無脳児腎移植の際に何らかの示唆を提供するものと考え、本症例報告を行なった」と書いた。
林 泰司(近畿大):10年を経過した無脳児ドナー献腎移植症例、移植、34(5)、285、1999で、「前全脳胞症(広義の無脳児)をドナーとして」という表現をくり返し、このレシピエントが「移植から10年を経過し現在血清Cr値は0.9r/dlと移植腎機能は良好であり骨盤部CT上、移植腎は術後1年目の大きさを維持している」と報告した。無脳児の対象を勝手に拡大したから移植腎には奇形や染色体異常が無く、正常児に近いから発育し、その臓器を移植したから良好に生着している、という要素が考慮される。
都築 一夫:無脳児をドナーとした小児腎移植、日本小児科学会雑誌、87(1)、105、1983は、たった6行の抄録だが、わざわざ「小児腎移植のdonor
sourde 拡大を意図して、無脳児の腎を移植した」と書き出した。池上 雅久:無脳児ドナーから成人への死体腎移植の1例、近畿大学医学雑誌、14(4)、149A〜150A、1989は、最終行を「当症例が、ドナー概念の拡大につながることを含め、
今後とも、経過観察を続けていきたい」と結んだ。ともに臓器ドナー対象者の拡大が念頭にあったことは明らかだ。
上記の林 泰司論文にもみられるとおり、移植後の成績を考えるならば、最初から無頭蓋症(むとうがいしょう)をドナーとせずに、無脳児や無脳症の用語を乱用して「異常」を持って生まれてきた小児や重度心身「障害」者をドナーとする方向に進む。
東間 紘・高橋 公太・太田 和夫(東京女子医科大学腎臓病総合医療センター外科)・伊東 央・伊藤 克巳(同小児科):全身灌流による死産児腎保存の試み、移植、14(6)、325、1979によると、34週で死産した先天性水頭症児に、死後およそ1時間後に静脈からカニュレーションを行い、4℃に冷却したラクテック液を注入し全身灌流冷却、その後アイスボックス内で全身を約3時間冷却した後、両腎を摘出した。腎表面は
foetal lobulation
が強く、全身灌流による腎の灌流状態は悪かったため、臨床的に使用することは断念した。
東間氏らは「今後、kidney source
の1つとして、十分検討する価値があると考えられる」と結んでいる。アイスボックス内で約3時間冷却したことは、その間にレシピエントの選択・手術手配を進めたということだろう。
- 小暮 久也、伊藤 久雄(東北大学医学部脳研神経内科):脳を授からずに生まれてきた子のこと−Hydranencephalic
の一例-、日本医師会雑誌、96(6)、1986は、1973年生まれの水頭症様脳形成不全の女児が12年間生存していることを報告している。
双胎出生で他児は正常、生下時体重2,000g、報告時で身長140cm、体重21kg。暗所にて頭の対側に灯をともすと、アンドンに灯がともったように頭部が透けて見える。頭部X線CTで両側大脳半球はみられず、脳幹、小脳は存在するが発育不良。起立歩行は不能、視力なし。鳴り物の玩具を揺するとベッドの枠を揺すって音を楽しんでいる様子をすることから、聴覚はあるようにみえる。この児が快く過ごしているかそうでないかは、この児を育てた看護婦さんたちには“そぶり”でわかります。身体だけでも、快・不快の表現はできます。
小暮氏らは「この児は、いまだかつて恥ずかしい存在だったことはなく、忌まわしい存在だったこともなく、人間としての尊厳を失ったことはないと私達は信じています。・・・・・・医療担当者は、患者さんに代わって患者さんの尊厳を保ち続けるように社会から委託されている・・・・・・“尊厳死”・・・の主張が認知され、新しい世論を形成していくようになれば、やがてはこの方たちが予想もしておられなかった患者さんたちの命運まで変えてしまうようになるでしょう。“尊厳死”は殺人です。そういった点も含めて、もう一度重度の障害を負った人とその周辺を見直してほしいと私は願っております」と書いている。
- シューモンは2001年3月の来日記念講演において、「大脳皮質がほとんどないにもかかわらず,意識のある
hydranencephalic children(水頭無脳児),Andrew君(6歳)が音楽にも嬉しそうに反応し,鏡に映る自分の顔をみて嬉しそうに笑う。さらには,背臥位の状態で足をぴょこぴょこさせながら,家具にぶつかることもなくべランダに出ることができた。植物人間はいくら努力しても改善は望めない、という教義を見直さなければいけなくなった」と話した(田中 英高:子どもの脳死と死:脳死概念や定義の不整合性について、小児科臨床、54(10)、1935−1938、2001)。
- 仁志田 博司(東京女子医科大学附属母子総合医療センター教授):
新生児の脳死判定及び臓器移植の可能性について、Neonatal
Care、12(5)、620−621、1999
仁志田氏は死産児の蘇生、米国の無脳児ドナーの話に続けて「妊娠中に無脳児と診断され、妊娠を中断する事の是非の問いかけを受けた両親が、せっかく授かった子どもであるからと満期まで妊娠を継続し、出生後間もなく死亡した無脳児に名前をつけ、戸籍に登録し、小さく縫い縮めた赤ちゃんの帽子をかぶせ、医師、看護婦にありがとうと挨拶して退院していったという、ある日本の病院のエピソードと臓器提供の目的で生かしておくという風土との違いを考えておく必要がある。それが倫理というものである」と書いている。
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