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レシピエント指定移植

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 厚生労働省疾病対策部会臓器移植委員会は2002年7月11日、「脳死・心臓死の区別や臓器の別にかかわらず、親族に限定する場合も含めて、臓器提供先を指定する本人の生前意思にもとづく臓器提供先を、現時点においては認めない」とする意見書をまとめた。当面は厚生労働省が「臓器の移植に関する法律の運用に関する指針」を改正して臓器提供先の指定は禁止する。国会で臓器提供先の指定について是非を審議し、臓器移植法に明文化されるように求めた。

 この論議は、2001年7月1日の第15例目脳死判定(第14例目臓器移植)が、親族と称する2名に腎臓移植した事件に関連して、厚生労働省の対応に批判があり、厚労省が「ルール化が必要」として始まった。

 しかし、このドナーは臓器提供意思が親族の証言だけという不明確さで、しかもレシピエントは2名とも移植待機患者に登録していなかった。これだけでも、常識で臓器摘出さえできないことは、日本臓器移植ネットワーク・厚生労働省ともに判断できた。加えて当初、右腎臓の移植手術は、東大医科学研究所付属病院が実施を受諾しながら「ドナーの医学的理由」で移植を辞退し、東邦大学で移植手術を行なった。親族関係が無いなどの倫理的理由で、手術を東大側に拒否された可能性も払拭されていない。

 臓器提供先の指定について、日本臓器移植ネットワークは、腎移植ネットワーク時代から献腎の取り決めにより、レシピエントが移植希望登録を行っていることを前提として、1腎は家族に、1腎はネットワークへ提供するコーディネーションを行ってきた。

 第15例目脳死判定(第14例目臓器移植)において臓器移植対策室が、間違った判断を糊塗するために、臓器摘出不可・移植不可事例を「ドナーが生前意思で親族を指定した」ことに焦点をずらして、長期間をかけて論議させ、さらに国会審議までさせることは「役害」に他ならない。厚労省は「親族を指定した」といいながら、ドナーとレシピエントが親族関係にあったことを証明する証拠さえも、関係委員会に提供せずに論議を行っている。薬害・医療被害を無くすための厚生省交渉団との第51回交渉(2001年9月21日)において、厚生労働省・臓器移植対策室は「レシピエント側の承諾書は検証されない」と述べた。

 「臓器提供意表示が近親者の証言だけで良い。移植待機患者としての登録は不要。提供先を指定しても、確かに指定された人物か検証しない」ならば、臓器売買・臓器狩り殺人に道を開いたに等しい。以下では、レシピエントを指定した「死体」腎移植に関する文献や資料を紹介する。


  1. 北川 龍一(東京大学医学部泌尿器科学教室):本邦における腎移植の成績 特に泌尿器科領域における臨床例の検討、臨床泌尿器科、23(13)、223−231、1969

     全国の大学および過去に1例でも腎移植の臨床を発表したことのある泌尿器系施設に対して、アンケート用紙を送付し、3箇所を除いては返事をいただいた。1965年以後1969年7月1日までに19施設において72例に対し73回の腎移植が行なわれた。
     ドナーの種類と例数は第5表、血縁者29例、無血縁生体腎34(健腎2)、屍体腎9。屍体腎の内訳は脳腫瘍4、頭部外傷5(うち兄の屍体腎1例を含む)、ブタ腎1。
     

     
  2. 高木 弘、安江 満悟、森本 剛史、打田 和治、今永 一(愛知県がんセンター病院・外科)、川原 弘久、山崎 親雄、増子 和郎(衆済会増子病院・腎臓科)、鳥居 肇、文 正夫、伊藤 博治(中部労災病院・泌尿器科、脳神経外科):The Nail-Patella Syndromeに対する緊急腎臓移植、第17回日本腎臓学会総会予稿集、113、1974

     われわれはThe Nail-Patella Syndromeの患者に交通事故で脳死の状態になった母親を提供者とする緊急腎臓移植を実施したので報告する。
     患者は24歳男子の高校教師、1972年3月採用身体検査にて蛋白尿を指摘され、本年2月頃より時々頭痛あり、4月高血圧に気づき4月26日中部労災病院を受診し、5月8日入院した。急激な体重増加と呼吸困難を伴う肺うっ血のため、5月11日腹膜灌流を開始した。
     5月31日8:00頃、患者を見舞いに来た両親が病院の前で交通事故に遇い、父親は即死した。母親は意識不明のまま病院に担ぎ込まれた。脳血管撮影にて左硬膜下血腫、脳挫傷の診断のもとに直ちに開頭術を行い、硬膜下血腫を除去し、脳腫脹強度なため骨を除去したまま閉鎖した。しかし術後も神経症状は改善せず、6月2日1:00呼吸停止し、血圧測定不能となる。以後は呼吸器に連結されて、血圧は昇圧剤の持続点滴にて維持されていた。
     近親者からの脳死状態の母親を提供者とする腎臓移植の申し出があり、移植グループが最初の連絡を受けたのは、6月4日17:00であった。3時間後、レシピエントを増子病院に移し、中部労災病院でドナーの手術を21:34開始した。左腎摘を開始したが、腎動脈が2本であることがわかり、右腎摘に変更した。摘出腎はModified Collin C3液で灌流冷却して氷箱に入れて運ばれ、レシピエントに移植された。総阻血時間は2時間50分で、血流再開後尿流出までの時間は2分であった。
     ドナーは6月5日4:31に死亡した。
     

     
  3. 山根 修治(北九州湯川総合病院外科)、土肥 雪彦(広島大学第2外科)ほか:腎移植後Renal Tubular Acidosisをきたした症例について、移植、18(2)、96−103、1983
     
     慢性腎炎の51歳男性は1978年12月2日、実妹を腎提供者として広島大学第2外科にて屍体腎移植術を受けた。実妹は39歳時、心臓弁膜症にて二弁置換術を受けるも、その後は普通に家事を行っていた。1978年11月25日、脳血栓症にて入院、11月27日には脳死状態となり12月2日
    16時55分:心停止、人工呼吸、心マッサージ
    17時12分:死亡宣告
    17時30分:家族の承諾あり心マッサージ再開、レジチン50mg、ヘパリンmg
    17時40分:手術場出し
    17時50分:POB100mg
    17時55分:腎摘開始
    18時05分:大腿動脈カニュレーション、腎冷却開始。
    18時45分:両側腎摘出終わる。摘出腎に硬化性変化がみられ、さらに温阻血時間が比較的長い(57分)ことなどのため移植すべきかどうか苦慮したが、屍体腎ではあってもHLA identical siblingであるため移植術を施行した。
    21時55分:Recipient手術開始
    23時20分:移植腎血流再開
    12月3日
     1時15分:手術終了
     

     
  4. 小林 克寿(岐阜大):腎移植後に経験したantibiotics induced feverと思われる1例、日本泌尿器科学会雑誌、74(7)、1271、1983

     症例は33歳、男性で姉の死後、死体腎移植を受ける。 
     

     
  5. 高橋 公太、淵之上 昌平、寺岡 慧、八木沢 隆、山下 賀正、本田 宏、山形 桂仁、大池 健次、萩原 裕房、江良 和雄、東間 紘、阿岸 鉄三、太田 和夫(東京女子医科大学附属腎臓病総合医療センター):死体腎移殖におけるOxypherol(R)灌流保存の経験、人工臓器、13(2)、811−814、1984

     死体腎移植の19例にフルオロカーボンを含んだOxypherol(R)を灌流液として用い、移植後の腎機能の発現という面からは満足すべき成績をえた。23歳女性レシピエントは、母親がドナーで温阻血時間70分(この資料は他に温阻血時間が0分のドナーが2名など、17移植例の温阻血時間が平均18分だったことも記載している)。
     
     
       
  6. 金田 芳孝(山口大泌尿器科)ほか:死体腎移植術後肺結核を合併した1例、移植、19(5)、384−385、1984
     
     49歳男性はOne haplotype identicalの弟より1982年11月、死体腎移植術を受けた。
     
     
     
  7. 橋本 保男、高原 史郎、加藤 良成、小田 剛士、永野 俊介、福西 孝信(兵庫県西宮病院泌尿器科):腎移植100例の経験、日本泌尿器科学会雑誌、75(5)、766−771、1984
     
     対象は1973年2月より1982年12月までに腎移植を行った104例(106回)で、生体腎移植97例(99回)、死体腎移植7例(うち米国死体腎2例、血縁提供者1例)である。 
     
     
       
  8. 朴 勺、國保 昌紀、尾松 操、金 哲將、若林 賢彦、林田 英資、小西 平、友吉 唯夫、迫 裕孝、沖野 功次、中根 佳宏、小玉 正智(滋賀医科大学泌尿器科)、阿部 元(滋賀医科大学第一外科):滋賀医科大学における腎移植51例の検討、泌尿器外科、5(4)、307−312、1992

     1983年6月25日、滋賀医科大学における「死体」腎移植2例目は、透析歴7年5か月、慢性糸球体腎炎の49歳男性に、自殺(窒息)した兄52歳男性から摘出した腎臓を移植した。温阻血時間42分、冷阻血時間16時間42分。
     腎臓移植を受けた弟の49歳男性患者は、透析を離脱できなかった(同大学における「死体」腎移植1例目のドナーは「脳死」小児)。
     
     
       
  9. 中井 一郎ほか(京都府立医大 第2外科)・渡辺 仁ほか(滋賀医大 腎移植班):脳死状態で摘出した腎移植4症例の検討、移植、20(4)、377−378、1985
      
     最近われわれは2名の提供者から脳死状態で腎を摘出し4名の患者に移植した。donor は23歳と38歳の男性で、それぞれ脳挫傷とくも膜下出血により脳死状態に至った。脳死は日本脳波学会の基準により脳神経外科医により判定され、判定後各々48時間・11時間を経て腎摘出術が開始された。
     recipient は35〜41歳の男性で温阻血時間はいずれも0分であり、4例中1例は手術当日より十分な利尿があり術後透析は不要であった。他の3例は透析を要したが全例腎機能の発現をみた。・・・・・・脳死状態からの腎を移植する際の利点は、まず温阻血時間が0分であるため良好な移植腎機能が望めることである。また、心停止にいたるまでの臓器障害や感染が少なく viability のより高い腎をより安全に移植できるという利点もある。更に腎の阻血性変化が少ないため、移植後 Cs が使いやすいこと、予定手術に準じて移植手術を行なえることなどもあげられる。
     死体腎移植成績向上のためには、より viability の高い腎の利用と、donor の合併症が進行していない段階での腎の摘出が大きな要因だと考えられるが、脳死状態での臓器摘出が一挙に普遍化するはずはなく、本例も1例は医学生、他は移植患者の知人という特別な背景があったことを付記したい。 
     
     
     
  10. 山崎 義久、栃木 宏水、千種 一郎、田島 和洋、西井 正治、加藤 雅史、柳川 真、保科 彰、木下 修隆、多田 茂(三重大学医学部泌尿器科教室)、堀 夏樹(国立津病院泌尿器科)、小川 兵衛(山田赤十字病院泌尿器科)、有馬 公伸(桑名市民病院泌尿器科):腎移植(第二報) 死亡例の検討、三重医学、29(1)、47−56、1985
     
     事故死の母親をドナーとして死体腎移植をした。
     
     
     
  11. 植村 匡志(近畿大学):死体腎移植 特に同胞間死体腎移植症例について、日本泌尿器科学会雑誌、75(9)、1498、1984
     
     36歳男性は、35歳から慢性腎不全で血液透析を受けていた。1983年5月7日に当院に実弟が頻脈で入院し、まもなく脳死状態になったため、兄への腎移植の申し出が家族よりあり、1983年5月10日入院となる。5月20日、心停止後移植。

      
     
  12. 堀見 忠司(高知医療センター名誉院長、高知県腎バンク協会理事長):高知県の臓器移植医療における心停止ドナー・脳死ドナー、移植、47(4−5)、300、2012
     
     高知県ではこれまで(2012年4月現在)、10例の亡くなられた方からの臓器提供があり、6例が心停止ドナーで4例が脳死ドナーであった。1例目の献腎移植は1988年10月4日に、孫に対して家族から献腎提供の申し出があり、心停止後献腎移植が行なわれたが、移植腎機能の発現はみられず、術後2週間で移植腎は摘出された。2例目は心停止ドナーの献腎提供が、1994年10月に行なわれた。生体腎移植(父親をドナー)を受けていた子供が慢性拒絶反応の状態で陥っていたのに対して、中村市民病院(今の四万十市民病院)において脳内出血で亡くなった母親をドナーとする二次移植を家族が強く希望して、高知県立中央病院で献腎移植が行なわれた。もう1片の腎臓は第三者に献腎移植が行なわれ、両者ともに軽快な経過をたどった。
     (1994年のレシピエント指定移植とみられる報告が、堀見 忠司(高知市病院組合立高知中央病院外科):高知県立中央病院および高知県・高知市病院組合立高知中央病院における特殊な腎移植と術後の出来事(後編)、高知県医師会医学雑誌、10(1)、230−235、2005にも掲載されている。父をドナーとした生体腎移植から1年2ヶ月後に、母がクモ膜下出血となった。レシピエントは対側に腎移植を行い、固有腎2個と移植腎2個の4個をもって10年2ヶ月の経過良好で生着中との内容)
 
  1. 玉置 勲他施設よりドナーを移送した死体腎2症例について、移植、25(6)、672−673、1990
     
     症例2は東京近郊の病院で脳出血となったドナーの家族より、多摩地区で透析を受けているドナーの兄に移植してほしいと透析施設の主治医より移植施設に連絡が入った。しかし、ドナー病院の主治医は多忙と設備不備のためドナー病院での腎摘手術に難色を示した。そして主治医と家族が話し合った結果、ドナーを移植施設に移送したいとの連絡が入り、救急車に当センターの医師2名が同乗し、当センター(東京医大八王子医療センター)に収容し腎提供を受けた。 
     ドナー病院の主治医が多忙であるため移植施設にドナー本人を移送して欲しいとの要請で、ドナーを移送しなくてはならない場合がある。今後、地域的な面も考慮した場合、各移植施設が協力し合い、ドナー病院でのドナー管理から移送、移植を行なうまでのネットワークの体制を作ることが急務であると考える。 
     
    *玉置 勲:他施設よりドナーを移送した死体腎移植の2症例について、第23回腎移植臨床検討会、22、1990
     1985年5月、B県下の脳神経外科病院で脳動脈瘤破裂のため脳死となった38歳女性の腎を、兄に移植してほしいと家族より申し出があった。しかし、その病院では管理が困難なことから主治医の希望で当センターに移植し、腎提供を受けた。
     
     
  2. 秋丸 琥甫(日本医科大学第1病院第2外科):当院における腎移植症例の検討、日本医科大学雑誌、61(2)、154−83、1994
     
     症例15は、1992年8月15日、脳出血の実弟(54歳)から心停止後摘出した右腎を、実兄(56歳)の左腸骨窩へ移植した症例で、超急性拒絶反応で不幸な転帰をとった。ABO不適合移植、血流再開直後に初尿をみたが、その後グラフトに斑状の血流障害を認め軟化した。腎機能のないまま、術後3日目に腎不全で失った。剖検にて腎動脈と門脈の血栓形成、腎、肝さらに消化管の壊死が認められた。・・・・・・本例でも早期診断の下にグラフト摘出すべきであった。

    当サイト注:移植術の年月日、ドナー・レシピエントの年齢などは掲載されている表1から補った。
     
     
     
  3. 渡辺 俊之(東海大学医学部精神科):Psycho-Social Study/叔父からの死体腎移植を受けた患者、臨床透析、 10(7)、945−949、1994
     
     患者は41歳男性、高校卒業後、地元農協に就職、地縁血縁関係が強い居住地。妻と1男1女の4人家族。慢性糸球体腎炎で腎不全となり、翌年1986年から維持透析。透析導入時、患者は心理的ショックは受けたというが、うつ状態や不安などの精神症状は認めていない。
     1991年7月、父方の叔父が脳血管障害で急死、家族の願いもあって臓器提供されることになった。患者もrecipientの候補者として呼ばれた。
     病院に呼ばれたときに患者は、移植へ期待を抱く一方で、休職することで周囲に迷惑がかかることが気になっていた。突然の移植の話に戸惑いや不安もあったという。20日に右腸骨窩死体腎移植術が施行された。・・・・・術後に不穏行動、精神科併診、自宅療養、職場復帰は半年後。
     移植腎の管理を考慮した上司のはからいで、外勤から内勤に配置転換。環境の変化が原因の抑うつ状態。腎機能が悪化、1992年7月10日に再入院。不穏行動がエスカレート。9月下旬、透析再導入。透析を導入してからは次第に精神状態は改善し、1993年2月に退院した。
     
     ・・・・・・移植直前まで患者は、維持透析を受けながらも職場にうまく適応し、透析と仕事のサイクルのなかで秩序だった生活を送っていた。・・・・・・患者は死体腎と一緒に、叔父家族が抱いた再生への願いも一緒に受け入れることになったのである。患者はその後も、自分だけでなく叔父やその家族のためにも移植を成功させようと頑張った。しかしそうした努力にも反し、腎機能は低下し再導入の兆しが見え始めると患者の精神状態は不安定になった。患者は抑うつ状態から一時的な精神病様状態(幻覚や被害関係念慮)にまで自我の退行を引き起こしたのである。精神症状には、腎機能の低下による身体的環境の変化に加え、叔父やその家族へ抱いた強い「罪悪感」が関係していたと理解できる。
     
     ・・・・・・移植の施行にあたっては、組織適合性や身体的な状態だけを考えればよいというものではない。われわれは、移植が与える社会的側面についてのリスクや、移植腎が抱えることで生じる患者の心理的葛藤にも配慮していく必要があろう。 
      
     
     
  4. 土橋 靖志(虎ノ門病院腎センター外科):二次移植4例の検討、移植、31(総会臨時増刊号)、296、1997
     
     51歳女性、32歳時に他院で父をドナーに腎移植施行。長期生着例だが腎機能は低下していた。95年10月1日、生前より右腎も娘に提供したいと希望していた父が心筋梗塞にて死亡、同一ドナーからの腎移植を施行。 

     
     
  5. 井上 純雄:血縁ドナーからの死体腎移植、移植、32(総会臨時増刊号)、267、1997
     
     当センター(虎の門病院 腎センター)では、腎移植ネットワークを介して心停止後の血縁ドナーからの腎移植を4症例に施行する機会を得た。
     
    <対象症例>1988〜1996年の間に、当施設で施行された血縁ドナーで死体腎移植を受けた4例(A群)を中心に、非血縁死体腎移植の36例(B群)と65歳才以上の高齢者からの血緑生体腎移植の10症例(C群)を比較した。
     
    <結果>血縁死体腎移植A群の3例は初回移植、1例は初回の生体腎と同じドナーの父から2度目の移植であった。ドナーは4例とも62−81歳の父親で死因は脳血管障害2例、頭部外傷1例、心不全1例であった。A、B、Cの各群とも免疫抑制はCsAをべースとする4剤で導入され、3群間でレシピエントの移植時年齢、HLAミスマッチ数などに差はなかったが、血縁死体腎移植A群のドナー年齢は非血縁死体腎移植B群より高く(平均67.7歳対40.7歳)、3ヵ月、1年目のS-Cr値もそれぞれ平均2.80、2.35mg/dlとB群(1.67、1.72mg/dl)、C群(1.50、1.57mg/dl)より有意に高値であった。血縁死体腎移植A群の3年生着率は75%と、B群91%、C群100%より低かった。なお対側腎3個のうち1腎は廃棄され、他施設に送られた2腎も腎機能は不良でうち1腎は早期に廃絶している 。
     
    <考察>ドナー腎に高齢と心停止による阻血という二つのリスクが加わる、血縁死体腎移植の成績が悪いのは当然であろう。しかし、透析患者数の増大に伴う潜在的な血縁ドナーの増加を背景に、高齢の血縁ドナーからの死体腎移植という究極の選択肢は、今後も現実性を帯びるであろう。死体腎分配の原則の問題もあるが、せめて脳死状態での摘出が望まれる。
     
    <結語>血縁ドナーからの死体腎移植、特に高齢心停止後ドナーからの移植はできれば避けたい。
 
  1. 本間 栄:Autologous GVHDの関与が疑われた腎移植に伴う閉塞性気管支炎の1例、Therapeutic Research 、20(5)、28−32、1999(本間 栄:臓器移植と呼吸器病変、Molecular Medicine 、39(12)、1414−1420、2002にも経過は簡略化して掲載あり)。
      
     1996年10月27日、クモ膜下出血の父親から死体腎臓移植の目的で、虎ノ門病院腎センターに36歳男性が入院した。翌28日に腎移植を施行。しかし急性拒絶反応のため1996年12月26日(移植後61日目)に移植腎を摘出した。
       

     
  2. 芥川 晃:実子(娘)への献腎移植を行った症例、今日の移植、14(2)、221、2001
     
     提供者は67歳男性、仕事中の転落事故にて当院(藤枝市立総合病院)救急外来に搬送された。両側脳挫傷にて緊急手術を行うも回復の兆しがみられず、臨床的脳死と診断される。家族へ状況を説明したところ、実子(娘)が腎不全で現在透析を行っており、腎移植を希望しているため、父親の死後、実子への献腎移植が可能かどうかの相談があった。
     
     調査の結果、日本臓器移植ネットワークの献腎の取り決めにより、一腎をネットワークへ提供することで実子への献腎が可能であるとの報告であった。カニュレーション後、レスピレーターを止め心停止後に腎摘出術を施行し、当施設では一腎は実子に移植され、もう一腎は他施設で移植された。
     
     献腎が患者の家族に提供される場合、一腎は可能であるが、ネットワークへの移植希望登録を行っていることが前提となる。本症例ではその条件は満たされ、移植可能となったが、家族への献腎についてはシッピングなどの問題がなおあるように思われる。
      
       
      
  3. 薬害・医療被害を無くすための厚生省交渉団 第51回交渉(2001年9月21日)
     
     2001年7月1日に「脳死」ドナーの親族2人を指定して腎臓移植がおこなわれた事件(法的脳死判定15例目・臓器移植14例目)に関連して、厚生労働省・臓器移植対策室は「レシピエント側の承諾書は検証されない」と述べた。
     
     
     
  4. 太田 和夫:臓器法施行5年を迎えて、今日の移植、16(3)、215−234、2003

    (p232)高橋 公太:
     親族から献腎が出た場合、関東甲信越のブロックでは、1腎を親族に移植しもう1腎を選択基準に則って選ぶことにここ10年行ってきました。これはある面では日本の献腎移植を推進するための処置としてやむをえないと実務者委員会では考えておりました。ところがある症例が出たところ、ネットワークのコーディネーターが実務者委員会のコンサルタント医師に相談すればよいのに、それを越えて厚労省に電話したのです。そうなれば、このような結果(肉親に献腎を提供して移植することができなくなる)になるのは当り前です。
     
    (p232)北村 惣一郎:
     脳死からでも特定の人への提供の道は、今の日本の法律からは出来ると思うのです。・・・・・・まず、手紙(遺言)を書いてもらうのです。『私は臨床的脳死になった場合には、法的脳死判定を受けませんと。私は生存している形で生体移植提供をしたいと思います』という手紙文書(遺言)を書いてもらう。そうして生体臓器提供以前に臨床的脳死になってしまった場合、日本の法律では生きているわけです。実は脳死でも生存していて、生体臓器提供をしてもらうのです。信頼できる医師が、間違いなく法的にやれば脳死ですということでも、法的脳死判定を拒否しながら、生存者として、生体として肝臓の一部を提供する。そして手術後も生存者として脳死の濃厚治療を継続してもらうということが可能でしょう。・・・・・・ですから、いまの法律というのは、ドナーカードの有無で死亡者(法的脳死)と生存者(臨床的脳死)になる。まるでミステリーとなるわけです。そういうのもおかしいし、意思表示がなく臨床的脳死になってしまっている患者では、その後の1、2カ月をみんな保険医療でみて、何百億使っているわけです。そこを見直して脳死を"死" と位置づけてほしいといっているのですが、これは難しい問題なのですかね。
     
    (p232)太田 和夫:
     臨床的脳死と診断された状態でまだ死んでいない、生体としてやればよい。ただし(腎臓は)1側のみです。肝なら部分切除までです。
       

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