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「脳死」小児からの臓器摘出例

成人については「心停止後」と偽った「脳死」臓器摘出(成人例)をご覧下さい。

見出し

 

日本移植学会も認める、80年代前半で3割は脳死下臓器摘出

小児ドナーからの死体腎移植統計

温阻血時間からみると80年代前半で8割強が、
現在はほとんどが「脳死」下臓器摘出

死体腎移植の温阻血時間

日本臓器移植ネットワーク発足後の
「脳死」小児からの臓器摘出概要

以下は症例

このページの概要

 小児からの臓器摘出にあたり
@心臓が拍動している時に臓器を摘出した
A3徴候死の不可逆性確認に充分な時間間隔をとらなかった
B3徴候死以前から、臓器摘出目的で投薬・カテーテル挿入など、臓器提供者の救命に反する、または治療に関係のない処置をした
C一過性の心停止あるいは3徴候死後に、心臓マッサージ・人工呼吸・人工心肺などを行なって人工的に血液循環状態を維持しているため、死体であるとの物質的基盤がない
以上のいずれかに該当する症例や資料を、「脳死」小児からの臓器摘出例として以下にまとめた。

 日本移植学会・太田氏らによる臓器摘出時の移植医の行為を正当化するためという事後的みなし脳死(後述)、医師らが3徴候死を尊重しなかった理由は「脳死 診断または救命不可能の認識による」との推測、そして現行法規が3徴候死体または脳死体からの臓器摘出のみを認めていることから、ここでは広義の「脳死」としている。 ドナーの脳不全の重症度は問わない。

日本移植学会も認める、80年代前半で3割は脳死下臓器摘出

 太田 和夫:わが国における死体腎提供の現況と問題点、移植、21(2)、152−158、1986は、「ベンチレータをつけたまま摘出した例と、ベンチレータを外して呼吸が無いのを確かめたが心拍動がなお完全に停止しないうちに手術をはじめたとするもの、この両者がいわゆる脳死状態における摘出に該当する」と定義している。それによると、1980年1月から1985年3月の間の腎摘出総数314例のうち、96例(30.6%)は、脳死状態における摘出に該当していた。

 太田 和夫:わが国における死体腎提供の現況と問題点(1984年〜1988年)、移植、25(4)、457−461、1990では、1984年1月から1988年末まで5年間429例の死体腎摘出のうち、152例(35.4%)が脳死腎臓摘出だったとし、これに加えて脳死状態でカテーテルをドナーの大動・静脈に挿入し心停止後に急速冷却する症例も、脳死群として検討している。

注:太田氏らが、臓器摘出を目的とした一連の行為として、人工呼吸器の停止やカテーテル挿入等について、脳死と診断されていなければ許されない行為と認識している点は正しい(抗凝固剤ヘパリンなど臓器摘出目的の投薬、そして抗利尿ホルモン・過剰な輸液などによるドナー管理についても、同様に認識すべきだ)。しかし、過去の臓器摘出例を正当化するために、事後的に、すべて脳死摘出例とみなすことは便宜的である。1993年の関西医大事件では、ドナーにカテーテルが挿入されたが、脳死ではなかったことについて原告、被告間に争いはなかったように。

 日本移植学会:腎移植臨床登録集計報告(2001)−T 2000年実施症例の集計報告(2)、移植、37(1)、1−11、2002には、人工呼吸器の取り外しやカテーテルを挿入したタイミングに関する記載はないが、2000年に死体内灌流を行なわなかったのは11例7.5%のみ、記載なし32例(21.9%)となった。検視を必要とされるケースではカテーテル挿入が行われないため、太田 和夫氏の「脳死状態でカテーテルをドナーにする症例も脳死群」との定義に従えば、死体内灌流(「死体内」とは統計上の表現)を行なった比率だけからみても、現在はほとんどが「脳死」体から腎臓を摘出していることになる。

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小児ドナーからの死体腎移植統計

集計期間

小児ドナーからの死体腎移植数

0〜4歳 5〜9歳 10〜19歳
1981〜1987年 15 16 132

 

 

0〜19歳

1983〜1997年

294

  以下はドナー数
  0〜5歳 6〜10歳 11〜15歳 16〜20歳

1995年4月1日〜
1996年3月31日
ドナー数

15
 

1995年4月1日〜
2005年12月ドナー数

10 10 13

 左記の小児ドナーからの死体腎移植数は、日本移植学会:腎移植臨床登録集計報告(1987年)、移植、23(3)、315−333、1988、
日本移植学会:腎移植臨床登録集計報告(2000)−U 1999年追跡調査報告、移植、36(2)、91−105、2001、
日本移植学会:腎移植臨床登録集計報告(2001)−T 2000年実施症例の集計報告(2)、移植、37(1)、1−11、2002、そして日本腎臓移植ネットワーク News Letter No.2 1997年5月号 血液型・年齢別ドナー件数日本臓器移植ネットワーク 小児の腎臓移植に関する詳細データ(平成17年12月末)より作成した。

 ほとんどの1ドナーから2腎が得られるが、1ドナーから1腎のみ採取したり、1ドナーから採取した2腎とも1レシピエントに移植した事例もあるため、死体腎移植数を単純に2で割ってドナー数とすることはできない。しかし、1960年代後半以降の今日までは百数十人の小児ドナーがあったとの推定は可能だろう。

 このうち何割が合法的な臓器摘出であったかを検討するには、個別には生前からの投薬・輸液内容やカテーテル挿入、人工呼吸器の使用状況、血流遮断のタイミングを調べる必要があり、これは後記の症例で提示する。人工呼吸器の使用状況や血流遮断のタイミング(温阻血時間)については下記の統計がある。

 

温阻血時間からみると80年代前半で8割強が、現在はほとんどが「脳死」下臓器摘出

 温阻血時間(おんそけつじかん)は、心臓の拍動停止または臓器への血流遮断に始まり、その臓器の冷却灌流開始までの時間を示すため、3徴候死の不可逆性をどれだけ観察したかも示す情報だ。

用語解説

  • 3徴候死(さんちょうこうし)は、心臓停止、瞳孔散大、自発呼吸停止の3つの徴候が揃い、不可逆的な時。法医学ではこの3徴候が「1時間以上継続することを観察して、不可逆的と推定する」と書いた文献が多く、短くとも「5分間以上継続」しないと"不可逆的"と判断せず、死亡宣告はしない。現実には、死亡するまでの経過がわからない場合は1時間以上待ってから死亡宣告する、入院していたり医師・家族に見守られて亡くなる場合には5分間待ってから死亡宣告する、という運用であろう。ただし、3徴候死の数分間の継続では意識のある可能性が 残る

  • 温阻血時間(おんそけつじかん) Warm ischemic Time : WIT=体温に近い温度で、血液による栄養や酸素などの補給がない時間。
  • 冷阻血時間(れいそけつじかん) Cold ischemic Time : CIT=冷却灌流されるか冷たい保存液に浸され、栄養などの補給がない時間。
  • 全阻血時間(ぜんそけつじかん) Total ischemic Time : TIT=温阻血時間と冷阻血時間を合計した時間。

 各臓器への、血流が停止してから「温阻血時間」が始まり、その後、冷却灌流されるか体外に摘出され保存液に浸されると「冷阻血時間」になる。心臓の拍動停止または臓器への血流遮断に始まり、その臓器の冷却灌流開始までが温阻血時間(日本臓器移植ネットワーク他の論文のなかには、心拍動停止から、腎臓を摘出し冷却液に入れるまでの時間を温阻血時間として発表しており、より長時間に見えるので注意。心停止後の心臓マッサージ時間も、温阻血時間から除外した論文もあるが除外しない論文もあると見込まれる)。

  日本移植学会登録委員会内の膵移植専門委員会は1998年、国際登録を視野に入れた登録用紙で下記枠内の用語定義を示しており、臓器摘出現場における近年の用語定義も下記にもとづくとみられる。

膵移植専門委員会:膵移植臨床登録集計事業について、移植、33(3)、124−144、1998

 登録委員会では国際登録を視野に入れた登録用紙にすることとしたが、膵移植はI.P.T.R(International Pancreas Transplant Resistry)を参考にして作成した。

 膵臓移植初回登録用紙

 膵温阻血時間:ドナーにおいて膵臓の血流を遮断してから、膵グラフトとして冷保存されるまでの時間を記入してください。
 膵冷阻血時間:膵グラフトが冷保存され、レシピエントにおいて血流が再開されるまでの時間を記入してください。
 腎温阻血時間:上記と同様に記入してください。
 腎冷阻血時間:上記と同様に記入してください。

 

 太田 和夫:臓器移植の立場から、蘇生、2、58−60、1984は、「腎は心臓死で摘出しても移植に使用できるとされているが、循環停止後、冷却灌流するまでに許容される時間は約30分と限られているため、死後に臓器提供をお願いし、了承がえられたにしてもそれから移植チームに連絡をとり、手術場を用意し、摘出にかかるとなれば30分ではほとんど不可能ということになろう。そのため、脳死で死を宣告し、家族に十分相談する時間をとって腎移植をお願いし、臓器の摘出、移植を行うことにすれば、家族や主治医の感情を害することなく、機能する可能性の高い腎を移植することができる。現在は臓器提供の可能性があるとの連絡でわれわれが出向き、心臓死する瞬間を待って、心停止後なるべく早期に話をし、断られる場合が多いのであるが、了解を得られた場合は阿修羅のような勢いで腎を摘出、これを移植することになる」という(注:太田らは1984年以前から「脳死」摘出を行っている)。

 太田氏らのように、脳死宣告後の心臓死の瞬間を待って臓器を摘出しようとしても、人工呼吸器を止めてから心臓停止までに、8分間〜50分間かかる。この間の低血圧、低血流状態により 摘出予定の腎臓が障害される。

人工呼吸器を止めてから心停止までに要する時間は、以下の論文に記載がある。

  1. 末永 和之:脳血管障害と脳死、日本法医学雑誌、40(5)、619、1986(心停止まで10分間〜49分間)

  2. 野口 照義:単独独立型救命救急センター10年間の実績とその検討、救急医学、18、217−225、1994(血圧14.0±4.2mmHgで心停止まで8.0分±1.4分間。血圧153.3±23.1mmHgで心停止まで35.7±6.0分間など、人工呼吸器離脱時の血圧が高いほど、心停止まで長時間であることを示している)

 その後の3徴候死の形式的(非倫理的)確認でも5分間、病室から手術室までの搬送にさらに数分間、そして冷却灌流用のカテーテル挿入・灌流開始までさらに10〜20分間を要することから、角腎法が容認した3徴候死後の臓器提供ならば、温阻血時間が30分以下になることはありえない(手術室における死亡宣告、その後のカテーテル挿入を家族が容認するケースでは、3徴候死の形式的確認に5分間プラス冷却灌流用のカテーテル挿入・灌流開始に10分間の、合計で最短15分程度の温阻血時間も予想されるが)。

 藤田 民夫:死体内灌流を用いた献腎手術と腎保存、泌尿器外科、7(2)、111−115、1994は、「腎提供者において、腎が血流を絶たれた後、摘出されるまでの時間を温虚血時間という」と、腎臓が冷却されるまでの時間よりも摘出所要時間の分だけ長くなる「温虚血時間」で説明。「脳死提供者の温虚血時間は5分以内と短いが、心臓死提供者の温虚血時間は、遺体の手術室への搬入、消毒、腎臓の摘出手術などに必要な時間が加わり、これらの操作には最低でも60分は掛かることから、60分以上と長くなることが多い。この長い温虚血時間が心臓死提供者が脳死提供者と異なる点である」としている。

集計期間

死体腎移植の温阻血時間

0〜10分
(比率)
11〜20分 21〜30分 31〜40分 41〜50分 51〜60分 60分以上 合計

1981〜1987年

383
(56.3%)
124 42 29 14 21 67 680
(100%)
       

31分以上
131
(19.3%)

 
 
  0〜4分
(比率)
5〜29分
(比率)
30分以上
(比率)
合計
1983〜1997年 825
(41.7%)
771
(39.0%)
381
(19.3%)
1977
(100%)
 
  〜5分
(比率)
6〜15分 16〜30分 30分〜 合計
1995年4月1日〜
1996年3月31日
107
(68.6%)
26 15
(5.1%)
156
(100%)
 
  0〜4分
(比率)
5〜29分
(比率)
30分以上
(比率)
合計
2000年のみ 83
(56.8%)
45
(30.8%)

(1.4%)
146
(100%)

 太田、藤田両氏の論文は、心停止までは何らの人為的操作を行わないで緊急手術として腎臓摘出術を行った場合には、温阻血時間は30分以上60分程度になるということを示している 。

 ところが、すでに1981〜1987年の段階で、温阻血時間0〜10分が56.3%と多数派で、31分以上はわずか19.3%。2000年の平均温阻血時間は5.4分、30分以上はわずか1.4%となった( 左記の表は前出の腎移植臨床登録集計報告と日本腎臓移植ネットワーク News Letter No.2 1997年5月号より、温阻血時間の記入なしは省略)。

 温阻血時間の統計からは、「心臓が停止した死後の臓器提供」と称するものは1980年代にすでに8割強、現在はほとんどすべてが「脳死」下摘出と指摘しなければならない。5分間程度の形式的な3徴候死の確認が、完全な死亡 (蘇生可能性の消滅・臓器摘出時に感覚や意識のないこと)を保証するとはいない。また臓器摘出目的でヘパリンなどを投与し、全身に行きわたらせるために心臓マッサージなどを行う手技からすると、心停止ドナーのすべてが「脳死」臓器摘出とみなすべきと考えられる。

注:温阻血時間は、臓器移植法の施行以後、地域毎の報告例をみると、これまでの傾向とは異なり10分台など延長している。全国的な統計でも2001年以降は延長している。これは、@あまりにも短い温阻血時間に反映される臓器摘出が、臓器移植法に抵触することについて各施設が認識していることAそれでも「心停止後」と称する臓器摘出の働きかけが進展していること、を示す。

 国民に対して「心停止後の臓器提供は3徴候死後の臓器提供と同じです」、と誤認を与えて角腎法を立法。その次には、成人・小児からの「脳死」臓器摘出を多数行なっていながら、「脳死者からの臓器摘出を実現したい」と臓器移植法を立法し、臓器提供意思表示カードの携帯を推奨し続ける移植医療関係者の非倫理性、責任は問われなければならない。

 3徴候死の形式的確認さえしていないにもかかわらず、「心停止後の臓器提供は法的脳死判定は不要、家族の同意だけでできる」と非合法行為を推奨し、「これから、小児から脳死臓器摘出を実現できるように提案したい」と言うのは、国民を愚弄し続けていると断ずるほかない。

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#JOT 日本臓器移植ネットワーク発足後の「脳死」小児からの臓器摘出概要(1997年1月〜2001年8月までの16例)

 若林 恵(国立成育医療センター研究所移植外科研究部):小児腎の生理学的特徴と移植医療におけるドナーソースとしての可能性、Organ Biology、10(3)、189―198、2003は、日本臓器ネットワークから情報提供を受け、1997年1月から2001年8月までの15歳以下ドナー (16例)からの献腎移植例について下記の表を掲載している。(注:No.がドナー発生順と想像されるが、温阻血時間の短い順番に入れ替えた。保存液、冷阻血時間、全阻血時間は省略した。右端の「関連文献、施設名、ドナーの追加情報(推定)」欄は、 当Webが追加した。このページに掲載している症例へのリンクを表示している)。

 各ドナーからの臓器摘出時の情報と温阻血時間を重ね合わせて見ると、温阻血時間が0分のケースでは、心停止前に臓器摘出前にカテーテルを挿入し人工呼吸を止めたり、人工呼吸を停止せずに臓器摘出術を開始したと推定される。温阻血時間が長いドナーにおいても 、名古屋地域の臓器摘出例のように「腎臓を洗う」と騙されて 死亡させられたケースがあると見込まれる。

ドナー情報 レシピエント情報
No. 性別 年齢 体重 死因

温阻血
時間

性別

年齢 体重 術後透析期間 転帰

関連文献、施設名、ドナーの追加情報(推定) 

10 34 頭部外傷

11


生着
廃絶

今日の移植11巻6号、東京女子医科大、
心停止前のカニュレーションあり、レスピレーターoffあり

15

頭部外傷
15
12
24
30

18
生着
生着

今日の移植11巻6号、15歳女児レシピエントは東京女子医科大、
心停止前のカニュレーションあり、レスピレーターoffなし

12歳男児レシピエントは静岡県立総合病院?(ドナー年齢が異なる)

30 呼吸器疾患
14
13


22
生着
生着
 
15 25 脳血管障害

10

生着
生着
 
16 13 45 脳血管障害
10
11
23
33
離脱不能
12
廃絶
生着
 

頭部外傷
24
40


廃絶
生着
 
30 頭部外傷
10
15

37
20
生着
生着

ドナーの年齢、レシピエント情報より、10歳女児レシピエントは
今日の移植11巻6号、福井医科大とみられる(温阻血時間が異なる)

12 14 50 窒息

45
21
47
10
生着
生着
 
14

脳血管障害
59
60
54
57

生着
生着
 
11 20 呼吸器疾患
13
13
21
17
15
生着
生着

年齢、性別、死因、レシピエント情報より、移植34巻5号、
13歳男児レシピエントは鷹揚郷腎研究所弘前病院

溺水 21
10
11
18

16
生着
死亡

移植34巻5号、今日の移植11巻6号、10歳女児レシピエントは東京女子医科大、
心停止前のカニュレーションなし、レスピレーターoffなし

11歳女児レシピエントは新潟大学または新潟市民病院 、今日の移植11巻6号

14 11 脳腫瘍 26
11
15

22
15
13
生着
生着

年齢、死因、レシピエント情報より日本小児腎不全学会雑誌27巻、
藤田保健衛生大とみられる(温阻血時間が異なる)

10 25 脳腫瘍 38
 
13 離脱不能 廃絶

年齢、死因、温阻血時間、レシピエント情報より、移植34巻5号、
レシピエントは愛媛大学

右腎は尿管血管損傷のためドナーとせず
12 頭部外傷 40
48
46
65
60
16
28
生着
生着

死因、温阻血時間、レシピエント情報等から、移植33巻3号、
名古屋第二赤十字病院の2歳女児ドナーが該当する(性別他異なる)。

13 10 30 脳血管障害 55
12

17
11
生着
生着
 
13

頭部外傷 59
49
41

離脱不能
離脱不能
廃絶
廃絶
 

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以下は症例(人工呼吸、ヘパリン投与、カニュレーション、温阻血時間などのデータが分かる症例 。施設名はドナー側か、しピエント側か不明例もあることに注意)

千葉大学 弘前大学 福島医科大学・原町市立病院 藤田保健衛生大学 東京都下某市立病院 愛知県がんセンター・名古屋第二赤十字病院 滋賀医科大学 社会保険中京病院 兵庫医科大学病院 北里大学 関西医科大学 静岡済生会総合病院 北九州市立八幡病院 埼玉医科大学 近畿大学 東京女子医科大学 新潟市民病院・新潟大学 名古屋第二赤十字病院・名古屋市立大学・名古屋大学 京都府立医科大学 福井医科大学 愛媛大学 鷹揚郷腎研究所弘前病院 静岡県立総合病院 大阪市立大 学・大阪市立総合医療センター 大阪府立急性期・総合医療センター 自治医科大学 神戸大学 聖マリアンナ医科大学


千葉大学8歳児に心停止後2時間の心臓マッサージ、人工呼吸を続けながら、下静脈を切断(出血多量死臓器摘出法

*岩崎 洋治、小高 通夫、雨宮 浩、横山 建郎、植松 貞夫、島田 俊勝、小越 章平、斎藤 全彦、沼野 健、三井 静、宮島 哲也、平沢 博之、関 幸雄、真家 雅彦、高橋 英世、佐藤 博(千葉大学第2外科):死体腎移植術(1)−症例選択、麻酔ならびに移植手技について−、移植、4(1)、72−78、1968 *岩崎 洋治(千葉大学第2外科):死体腎移植の問題点、日本移植学会雑誌、4(1)、16−17、1968

 1967年10月5日、8歳ドナーの偏腎を16歳に移植した。温阻血時間は30分。心停止後2時間にわたり心マッサージを施行した。この時間は温阻血時間に加算せず。家族から腎提供の承諾を得てただちに股動脈からカテーテルを挿入し、ヘパリンを心内注入、人工呼吸を続けながら摘出を開始した。開腹後、下大静脈を切断し腎臓の灌流冷却を行った後に腎臓を摘出した。レシピエントは67日目に感染症を併発して死亡。

 同外科では、この移植例よりも前の1967年6月14日、脳挫傷の19歳男性から腎臓を摘出して25歳男性に移植したが、レシピエントは2日目に心不全で死亡した。また大阪大は1966年10月10日、脳腫瘍の32歳男性ーから左腎を摘出し、26歳男性に移植したが、このレシピエントも5日目に脳出血のため死亡している。

 今回の移植例は、レシピエントの生存期間が長く、また剖検により移植した腎臓の異常が軽度だったことから、日本の死体腎移植医療は、この「脳死」小児ドナー・小児レシピエント例から実質的にスタートしたといえる。

 

岩崎 洋治:死体腎移植術 V.同一死体より2症例への腎移植、移植、5(4)、342−349、1969
*木内 雅寛:腎移植患者に発症した腹膜炎:臨床外科、26(11)、1811−1817、1971
*柏原 英彦:同時2症例死体腎移植、移植、11(2)、60−65、1976

 1969年8月11日、脳腫瘍(glioma)の再発で死亡した15歳男児、死亡より股動脈より挿入したカテーテルを通して灌流を開始するまでの時間は18分。レシピエントの35男性は移植後69日で死亡。

 岩崎氏らは危篤状態になってからtissue typingを行いドナー条件に合っていたので両親に腎臓提供を申し出、死亡1日前に承諾を得た。このため心停止が近いと思われた8月11日には手術場近くに患者を運び、状態を観察したことを第3回腎移植臨床検討会において報告している(移植、5(2)、169−170、1969)

 

千葉大学、生後23日女児を心停止から24分後に開腹、肝臓を摘出

*岩崎 洋治、高橋 英世、小高 通夫、植松 貞夫、大川 治夫、雨宮 浩、横山 建郎、沼野 健、斎藤 全彦、小越 章平、三井 静、宮島 哲也、深尾 立、木内  政寛、平沢 博之、大沼 直躬、星野 豊、本多 陸人、野村 庸一、佐藤 博、数馬 欣一(千葉大学第2外科)、阿部 一憲(千葉大学小児科):同所性同種肝移植の臨床への応用 先天性胆道閉鎖症の治療として、外科、31(12)、1383−1389、1969

 1968年11月19日出生の女児、11月23日に小児科に入院、Hirschsprung病と診断。12月11日チアノーゼが増強し気管内挿管、補助呼吸を開始。12月12日午前2時55分、心、呼吸とも停止す(死亡)。心マッサージを開始し、心細動が出現したが、午後3時4分再び心停止となる(生後23日)。

 この時点で両親の承諾をえて、3時20分手術場に入室し、3時28分開腹、3時55分門脈内にカテーテルを挿入し肝を灌流、4時43分に肝を摘出。

 レシピエントは1968年9月1日出生の先天性胆道閉鎖症の女児(生後103日)。肝提供者の両親の承諾がえられると同時に麻酔を開始し12月12日午前3時33分に手術を開始、全手術時間4時間15分、午後10時0分心室細動、11時45分心マッサージをはじめる。12月13日午前0時15分、心電気的活動がなくなり、移植後16時間で死亡した。死因として、ドナーからの肝臓摘出前の血栓形成が推測されている。

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弘前大学、14歳男児を移植用臓器保護目的で全身冷却、31℃で心停止後臓器摘出(凍死臓器摘出法) #19680723

 第2回腎移植臨床検討会:移植、4(3)、193−252掲載のp218〜p219によると、弘前大学第1外科の山本 実氏は1968年7月23日の腎臓移植について下記の報告をしている。

 ドナーは14歳の男子で、第3脳室底部から Pons(橋)にかけて血管腫を有し、昏睡状態をきたしていました。昏睡に入り5日後に自発呼吸が停止し、3日間レスピレーターにて呼吸が管理されましたが、一般状態は次第に悪化の一途をたどり、4日めにいたり血圧は昇圧剤にも反応せず、まったく救命不能と考えられました。

 そこで家族に話したところ、家族は死後腎臓を提供することを快諾しましたので、補助循環を目的とし、股動静脈より脱血、送血カニューレを挿入し、1%プロカイン100ml、ヘパリン3mg/kg、マニトール200ml、10%低分子デキストラン溶液の灌流液で充填した人工心肺装置を用いて、流量30ml/kg/minで補助循環を行ないましたが、循環を中止すると、血圧が30mmHgと低下するため、graft の保護を目的に体外循環による全身冷却を40分間行いました。

 体温31℃で心停止をきたしたので、以後急速に冷却を続け、直腸温25℃、食道温25.6℃で両側腎摘出を行いました。

 

弘前市内の脳外科医より、弘前大第1外科に提供

*山本 実、丸山 章、高谷 俊一、佐藤 浩一、斉藤 昭夫、石川 義信(弘前大第1外科):死体腎移植症例、移植、13(3)、158、1978

 15歳学生が交通事故にて脳死の状態となり、市内の脳外科医により腎提供があった。受傷6日目に入院した。脳死と診断され、腎提供の申し出があってからドナーのsurface cooling を開始した。術前措置として乳酸リンゲル液を体重1kg当たり100ml、ヘパリン1万単位 、アルファーブロッカーとしてフェントラミンまたはフェノキシベンザミンを体重1kg当たり1mg、利尿剤としてラシックスを体重1kg当たり4mg、マニトールを20gを投与した。腎摘出直前の直腸温は26度。レシピエントの42歳主婦は術後19日目に敗血症のため死亡。

当サイト注:乳酸リンゲル液は1リットルに0.3グラムの塩化カリウムを含み、体重1kg当たり100mlの投与は致死量になった可能性がある。数リットルとなった輸液だけでも、脳不全を悪化させて、心臓の負担ともなる可能性がある。ヘパリンは外傷患者に再出血を起こす可能性がある。アルファーブロッカーは腎血管収縮を防ぐ作用があるが、投与された患者が十分な循環血液量を保っていない場合は、心停止を起こす可能性がある。腎摘出時の直腸温が26度とは、体表冷却によって凍死させられた可能性を示す。
 脳不全患者の蘇生・救命・生命維持には一切考慮なく、移植用の腎臓を良好な状態で獲得するために投薬を行い、その結果として生じうる心停止に対しては、凍死に至る全身冷却によって腎臓の冷却保全で対応したと考えられる。
 腎臓摘出目的で、受傷6日目の瀕死患者を転院させたことも問題である。

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原町市立病院が14歳児のベッド下に装置を隠し、心臓拍動中に灌流開始 #1978

 薄場 彰、井上 仁、本多 憲児、元木 良一、星野 俊一、千葉 淳、坪井 正碩、庄司 光男、浜田 修三、川西 正幸、八子 亮、高平 浩、板橋 邦宏、大滝 忠、岡野 誠、阿久沢 和夫、安藤 正樹、阿部 俊文、鈴木 謙、三瓶 光夫、中山 和久、菅野 恵、鈴木 貫之、加藤 功基、伊藤 俊一郎、生天目 安晴、畑 穆、鈴木 重栄、松井 隆夫:屍体内臓器灌流による腎の変化、移植、13(5)、235−239、1978。
 この論文と、本多 憲児、薄場 彰、井上 仁、元木 良一、星野 俊一、千葉 淳、坪井 正碩、庄司 光男、浜田 修三、芳賀 甚市、北村 正敏、森藤 通隆、猪狩 次雄、鈴木 湧T、猪狩 徳一、高野 光太郎、大井川 健、小関 雅之、永峯 尭、本宮 憲治、羽田 一博、原田 実、奥山 孝、本多 徳児、志賀 龍馬:屍体内灌流腎(福島医大方式)移植6症例について、日本外科学会雑誌、79(11)、1417−1425、1978によると、福島県立医科大学第1外科の屍体内灌流腎移植方式は、下記1〜4と理解される。

  1. ドナーの血圧が、腎臓への血流が低下しはじめる最高60mmHg、最低40mmHg程度まで低下したら、血流低下の影響を防ぐためにダブルバルーンカテーテル2個を股動靜脈より、それぞれ大動脈、下大静脈に挿入する。
  2. さらに血圧が下降して昇圧剤にも反応しなくなると、ダブルバルーンを膨張させないまま、補助循環を開始する。
  3. 内科医師による死亡宣告後、直ちに2つのバルーンを膨張させて動脈・靜脈の血流を遮断。
  4. 静脈側のダブルバルーンカテーテルから血液を吸引して、人工心肺装置で酸素化とともに乳酸加リンゲル液で希釈し4℃に冷却。
  5. 動脈側から、前記の酸素加冷却希釈液(抗凝固剤ヘパリンほか含む)を送入する。
  6. ドナーと家族の死後?の別れ。
  7. 屍体内灌流のまま手術室へ搬入、腎摘出開始。

 

臓器摘出経過に疑問

 薄場氏らは日本外科学会雑誌論文の冒頭p1417で「著者らは本邦人に特有な民族的情感を尊重し、また死の尊厳を侵すことなく『死』の宣言後数時間経過後に腎摘出を行なう事が必要と考え、屍体内臓器灌流法を考案、本法を応用、死後1時間12分から3時間38分経過後に摘出せる腎の移植に成功したので報告する」と書いた。

 ところが日本外科学会雑誌p1421には「灌流装置は小型でベッドにかくれており遺族の方々には見えないようにし、灌流を施行した」と書いている。臓器摘出目的でカテーテルを挿入し、ヘパリンを投与するに際して、ドナー本人の生前意思確認や家族に承諾を得るどころか、すべてを隠して行なったとみられる(灌流装置は小型でベッドにかくれて・・・の記述は直接的には46歳男性ドナーに行ったことだが、本多氏らは「民族感情を尊重し・・・死の尊厳を犯すことなく・・・腎摘出」する方法として福島医大方式をアピールしているため、14歳小児に対しても同様に「ベッドにかくれて」実施したと推定される)。

 「内科医師の死亡宣告後に灌流を開始した」というが、「移植」p238によると温阻血時間はすべて0分だ。これは心臓が拍動中に灌流開始したか、あるいは心停止後1分未満の灌流開始を示し、3徴候死後の灌流開始とはいえない(下表)。

 6例の移植例すべてで、屍体内灌流時間は、「死亡より摘出迄」の時間と「摘出所要時間」を合計した時間だ。本来は3徴候の不可逆性確認に時間を要するのが当然で、死亡宣告後に灌流を開始するならば灌流時間は前記の合計時間よりも短くなるのが当然だ。これも屍体内灌流とは名ばかりで、本当は生体内灌流であることを示している。

 

ドナーの救命治療経過に疑問

 ドナーの死因は、すべて交通外傷による脳挫傷。薄場氏らは46歳男性について「頭部外傷後、完全に脳機能停止、脳波も平定」と脳波記録も掲載しており、これは 当時の脳死との判断を示すだろう。20歳男性ドナーと14歳ドナー(原町市立病院にて摘出)の場合、受傷後死亡まで1日だが、このような短期間で救命治療を尽くして脳死判定ができる状態になるのか。しかも20歳男性の腎臓は、全阻血時間が左腎は2時間、右腎は2時間30分で移植された。組織適合性の検査に数時間、さらにレシピエントへの連絡、来院・検査、移植を受ける意思確認に 20〜30時間は要するはずであり、来院から間もない時点から臓器摘出に動いたとみられる。

ドナー

受傷後
死亡までの
日数

死亡より
摘出まで

温阻血
時間
摘出
所要時間
屍体内
灌流時間
摘出腎
潅流時間
洗流および
移植所要
時間
全阻血
時間
レシピエント
46歳男性 22日 1時間30分 0分 2時間 8分 3時間38分

1時間 2分 4時間40分 左腎28歳女性
0分

1時間30分

52分 6時間 右腎34歳男性
20歳男性 1日 45分 0分 47分 1時間32分 28分 2時間 左腎20歳女性
0分 1時間23分 2時間 8分 22分 2時間30分 右腎35歳男性
14歳男児 1日 28分 0分 44分 1時間12分 4時間13分 35分 6時間5分 左腎22歳女性
0分 1時間10分 1時間38分 4時間47分 1時間    7時間25分 右腎12歳男性

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 福島医大方式の死体内腎灌流は、ダブルバルーンカテーテルを腎動脈、静脈に挿入し、ポンプで圧力をかけながら灌流液を動脈側から送り込み、静脈側から吸引し腹部を冷却する方式だった。このほか、腎動脈側だけに多孔カテーテルまたはダブルバルーンカテーテルを挿入し、潅流液は1.5m程度の高さから落下またはポンプで送入、 ダブルバルーンを拡張して動脈を遮断、静脈は開放=脱血させる方式も実用されている(下記)。

藤田保健衛生大学附属病院は10歳女児から #fhuh

*藤田 民夫、神野 哲夫、大島 伸一ほか:死体腎摘出6例の経験、移植、16(1)、60−66、1981

 髄膜炎の10歳女児が死亡する前にステロイド剤、ドーパミン、マンニトールなどを腎虚血性障害防止目的で投与、心停止直前に多孔カテーテルを大動脈に挿入留置した(当サイト注:表2で Donor pretreatment は premortem とあることから、ヘパリンの大量静注はカテーテル挿入前とみられる)。心停止後、ただちに潅流液を1〜1.5mの高さから点滴潅流。潅流液の排液の目的で、開胸を行い下大静脈を切開し、胸腔内で灌流液を吸引し腹腔内の手術操作を助けた。

当サイト注:名古屋保健衛生大学は、1984年4月より藤田学園保健衛生大に改称、1991年4月より藤田保健衛生大学へ改称した。

 

1992年3月21日には6歳男児から

石川 清仁:小児をドナーとして成人死体腎移植の1例、小児腎不全研究会誌、13、91―94、1993

 6歳男児(身長111cm、体重21kg)は1992年3月19日、頭痛、嘔吐を主訴に来院。CT-Hの結果、クモ膜下出血と診断される。2日後、脳死状態となり、死体腎提供の了解が得られた。3月21日ダブルバルンカテーテルを用いた死体内腎灌流法で心停止後、両腎を摘出した。温阻血時間は1分。

 

1983年以降に7ヵ月児からも摘出

*白木 良一、星長 清隆:心停止ドナーを用いた献腎移植におけるドナー側危険因子、泌尿器外科、12(7)、749−753、1999は、ダブルバルンカテーテルの留置や心停止後も心臓マッサージを行う腎臓摘出が、1983年1月〜1997年12月にドナー数156名あり、年齢が7ヵ月〜70歳(平均45.5歳)であったことを記載している。 温阻血時間は1〜75分(平均13.6分)。

 

藤田民夫(名古屋記念病院)ほか:7ヵ月乳児よりの死体腎摘出の経験、 移植、27(1)、106、1992

 7ヵ月女児、交通事故で負傷し昏睡状態で名古屋保健衛生大救命救急センター(現在の藤田保健衛生大学救命救急センター)に入院。頭部CTで頭部骨折と外傷性蜘蛛膜下出血と硬膜下出血と診断された。入院後にとった3回の脳波はいずれも平坦で、入院後12日目に、消化管の出血もあって死亡した。遺族より死後の腎提供の同意を得て、心停止後体内からの灌流液(乳酸加リンゲル液)による冷却と乳児の体表からの冷却を併用しながら、従来のevisceration法で両側腎を一塊にして摘出した。

 evisceration法とは腎臓摘出時の手技。藤田氏らは移植、16(1)、60−66、1981において「ヘパリン投与、カテーテル挿入・・・」などを解説している。

 

佐々木 ひと美(藤田保健衛生大学腎泌尿器外科):小児ドナーからの献腎移植の検討、日本小児腎不全学会雑誌、27、142−143、2007

 1979年4月から2006年5月までに発生した心停止ドナー240人(475腎摘出)のうち、小児心停止ドナーは9例、小児ドナーの頻度は0.04%。年齢が3歳以下の3例では、心停止後に手術室にて開腹後に腹部大動脈へ直接カニュレーションを施行され平均温阻血時間は18.3分。その他6症例では心停止前にカニュレーションし平均温阻血時間は7.6分。ドナーの年齢、性別、死因、入院期間、ダブルバルーンカテーテルのカニュレーション時期(心停止の前/後)、温阻血時間、レシピエントの年齢は下記。

症例 年齢 死因 入院
期間
カニュレーション
心停止前/後
温阻血
時間
レシピエント年齢(腎機能)
1、女児 11歳 脳挫傷 8日 心停止前 10分 32歳
32歳
2.女児 6歳 脳挫傷 5日 心停止前 5分 40歳
 8歳(腎機能は発現せず)
3、男児 14歳 脳挫傷 17日 心停止前 5分 44歳
35歳
4、女児 7ヵ月 脳挫傷 12日 心停止後 11分  9歳
 7歳
5、男児 3歳 脳血管障害 23日 心停止後 26分 39歳
10歳
6、女児 10歳 脳腫瘍 7ヵ月 心停止前 15分 37歳
25歳
7、男児 7歳 脳挫傷 12日 心停止前 7分 10歳
15歳
8、男児 1歳8ヵ月 脳腫瘍 7日 心停止後 19分 11歳
15歳
9、男児 14歳 窒息 7日 心停止前 4分 71歳
14歳
  平均7.5歳   平均12日
症例5を除く
     

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東京都下某市立病院 4歳10ヵ月男児ドナー

*長谷川 昭、小川 修、星長 清隆、川村 猛、伊藤 拓(東京都立清瀬小児病院):移植腎動脈瘤破裂をきたした小児死体ドナー移植例、治療学、13(3)、408−412、1984

 腎提供者は、都下某市立病院小児科にて小脳腫瘍のため死亡した4歳10ヵ月男子。腎提供者の祖父母がドナーカードの保持者であり、祖父母の勧めによって提供者の父親から主治医を通じて腎提供の申し出がなされた。両腎は温阻血時間40分で摘出され、左腎は9時間18分の冷阻血時間で1980年3月8日に東京都立清瀬小児病院の15歳9ヵ月女子に移植された。

 


愛知県がんセンター・名古屋第二赤十字病院 11歳男児から心臓拍動中に臓器摘出

*高木 弘:COMPARISON OF EARLY FATES OF CADAVER RENAL ALLOGRAFTS FROM DIFFERENT METHODS OF HARVEST(採取方法別にみた同種移植屍体腎の早期運命の比較検討)、Nagoya Journal of Medical Science、46(1〜4)、143−153、1984

 10歳男児から冷却灌流時間を含み温阻血時間は99分で腎臓を摘出、1982年8月9日に23歳女性に移植した。脳死の11歳男児からは心臓拍動中に温阻血時間1分で腎臓を摘出、1983年7月1日に34歳男性に移植した。

注:臓器摘出施設として藤田学園保健衛生大病院泌尿器科そして中京病院への謝辞が掲載されている。

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滋賀医科大学 「脳死」小児からの腎臓摘出で死体腎移植を開始

*朴 勺、國保 昌紀、尾松 操、金 哲將、若林 賢彦、林田 英資、小西 平、友吉 唯夫、迫 裕孝、沖野 功次、中根 佳宏、小玉 正智(滋賀医科大学泌尿器科)、阿部 元(滋賀医科大学第一外科):滋賀医科大学における腎移植51例の検討、泌尿器外科、5(4)、307−312、1992

 滋賀医科大学における死体腎移植第一例目は1983年1月12日、脳挫傷の12歳女児から腎臓を摘出(温阻血時間23分、冷阻血時間5時間46分)、慢性糸球体腎炎・透析歴2年5ヵ月の35歳男性に移植した(同大学における「死体」腎移植2例目は親族を指定した移植)。

 

*阿部 元:サイトメガロウィルス肺炎、出血性胃潰瘍、大腿骨骨折を合併した死体腎移植の1例、移植、29(4)、429−434、1994

 1992年6月11日、10歳女児をdonorとする死体腎移植を施行した。温阻血時間は8分。

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社会保険中京病院 温阻血時間8分で4歳児から臓器摘出

 長谷川 総一朗:小児腎を使用した死体腎移植の2例 移植腎の肥大と機能、移植、22(2)、143−149、1987

  1. 1984年12月6日、慢性糸球体腎炎の35歳男性は、3歳男児の死体腎移植を受けた。ドナーの死因は転倒による頭部外傷。温阻血時間は25分。
     
  2. 1985年9月24日、腎機能障害の43歳男性は、4歳男児の死体腎移植を受けた。ドナーの死因は交通事故による頭部外傷。温阻血時間は8分。

 

 大島 伸一:死体腎移植におけるdonor腎摘出術の検討、日本泌尿器科学会雑誌、83(2)、225−229、1992

  頭部外傷の15歳女児からの腎摘出術の温阻血時間は0分。

当サイト注:温阻血時間が0分であることから、心臓拍動中あるいは心停止を1分未満の観察後に、臓器の冷却を開始したとみられる。 この論文は社会保険中京病院を含む東海地方5施設からの共同発表であるため、臓器摘出施設が同病院であるとは断言できない。1981年に大島伸一らが行った無頭蓋症児からの臓器摘出は、脳波がある無脳児ドナーに掲載。

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兵庫医科大学病院

*有馬 正明(兵庫医科大学泌尿器科学教室):シクロスポリン使用死体腎移植の成績、日本泌尿器科学会雑誌、79巻7号 Page1187―1192、1988

 1983年11月から1987年10月までに30例の死体腎移植を施行した。14歳児ドナーの温阻血時間は16分、13歳児ドナーの温阻血時間は1分。

当サイト注:14歳児ドナーのRemarksにDeliveryとあり、臓器摘出は他施設の可能性がある。

 

野島 道生(兵庫医科大学泌尿器科)ほか:1歳9ヵ月のドナーから提供を受けた献腎移植の長期経過、日本小児腎不全学会雑誌、32、5−8、2012

 ドナーは1歳9ヵ月の男児、身長82.5cm、体重10.8kg、脳腫瘍の術後5日目に心停止、蘇生するも6時間後に死亡となる。心臓マッサージを施しながら腎摘出手術を開始し死体内ダブルバルーンカテーテルを挿入し死体内灌流を実施。温阻血時間26分。

提供経過
19:00 心停止
19:07 死亡宣告
全身ヘパリン化
心臓マッサージ開始
19:22 摘出手術開始
19:26 死体内灌流開始
19:51 腎摘出

 左腎は低体重児に移植、右腎は14歳11ヵ月男児に移植した。

当サイト注:臓器摘出は1998年11月または12月と見込まれる。

 


北里大学病院 9歳児にダブルバルーンカテーテル挿入、臓器摘出

 横田 和彦:死体腎移植成績からみたmultiple organ procurementの可能性についての検討、移植、24(2)、1989

 1975年11月より1988年4月までに59例の死体腎移植が行われた。現在、死体腎摘出手技として、脳死判定されたドナーを手術室においてDoble Balloon Catheterを用い、腎の灌流冷却を開始し、心停止後開腹し腎の摘出を行っている。初期の25例と後期の34例を比較すると温阻血は28分から0分に短縮している。

 17例のドナーを各種臓器移植の対象として検討を加えると、男性9、女性8例、年齢は9〜67歳(平均44歳)。

 

受傷16日目からドナー管理、頭部外傷の9ヶ月児にへパリン投与、心臓マッサージ

*林 初香、上田 康久、福島 崇義、守屋 俊介、石井 正浩(北里大学医学部小児科)、河島 雅到、相馬 一亥(北里大学医学部救急医学)、星 ゆかり(北里大学病院神奈川県臓器移植コーディネーター)、高橋 恵(北里大学病院PICU病棟看護師): 腎・心臓弁のドナーとなった9ヶ月男児例、日本小児救急医学会雑誌、7(2)、339−342、2008

 頭部外傷の9ヶ月男児は、PICU入室時より瞳孔散大固定、脳幹反射や自発呼吸は認めなかった。さらに頭部CT上、脳浮腫が増悪しmid line shiftも進行したため、今後、脳機能の改善が見込めないことを受傷6日目に両親と両祖父母に伝えた。個室に移動し緩和ケアへ移行。受傷12日目に母親より臓器提供の申し出。受傷16日目に臓器提供の承諾書を作成し、提供臓器の状態を維持するために昇圧剤と輸液を投与し、血液検査と超音波検査による腎機能の評価を繰り返し行った。
 レシピエントが決定した後、昇圧剤を中止し血圧は徐々に低下し受傷26日目に心停止となった。心停止を確認すると同時にヘパリンの全身投与と胸骨圧迫を行いながら手術室に移動し、腎臓と心臓弁が摘出された。
 腎臓は両腎とも55歳男性に移植され、移植1週間目に透析から離脱、移植3ヶ月半後に退院して職場復帰。心臓弁のうち肺動脈弁は7ヶ月女児に移植されたが、移植後9ヶ月で弁狭窄が進行したため摘出。大動脈弁は組織バンクに保存されている。

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関西医科大学 12、14、15歳児から3〜4分で摘出

 千代 孝夫:救急施設からみた移植臓器提供と移植コーディネーターの問題点と将来像、今日の移植、5(5)、493−497、1992

  1. 1988年、交通外傷・脳挫傷の14歳女児の腎臓は、摘出から血流開始までの時間は3分45秒。
     
  2. 1989年、交通外傷・脳挫傷の15歳男児の腎臓は、摘出から血流開始までの時間は4分20秒(父親が医師の3回目の要請で提供を承諾、備考に「母親には内密に」とある)。

  この資料は摘出から血流開始までの時間は不明だが1986年、麻痺、ショック、心停止の12歳男児から摘出された腎臓が29歳と19歳のレシピエントに移植されたことも報告している。

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静岡済生会総合病院 15歳児にダブルバルーンカテーテル挿入、臓器摘出

 加藤 範夫:死体腎摘出法について、移植(総会臨時号)、402、1991

 1987年より1991年3月までに死体腎ドナーとなった16例、年齢は15から66歳。心停止直前または心停止後体内灌流用バルーンカテーテルを留置し、心停止確認後、体内灌流を施行した後摘出した。WITは0から105分。

 

当サイト注:温阻血時間が0分であることから、心臓拍動中あるいは心停止を1分未満の観察後に、臓器の冷却を開始したとみられる。

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北九州市立八幡病院 4歳児脳死患者の人工呼吸器を外し腎臓摘出

 錦戸 雅春:死体腎摘出11例の検討、移植、30(1)、63、1995

 1990年11月より93年2月まで11例の腎ドナーが発生。年齢は4〜64歳。摘出は脳死患者より人工呼吸器を外し、心停止後開腹、死体内灌流の後腎摘、WITは18〜37分。病室より手術場への搬送の関係でややWITが長かったが、移植後全例が機能発現し透析は0〜72日、平均17.45日であり、現在まで19腎が生着している。

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埼玉医科大学 5歳児を人工心肺で冷却、臓器摘出

 小山 勇:小児小腎臓を移植しえた成人死体腎移植の1症例、移植、30(1)、64、1995

 交通事故による脳挫傷にて死亡した5歳女児より、コアクーリング法にて両側の腎を摘出、温阻血時間は22分。

 

当サイト注:コアクーリング法とは、人工心肺を用いて大腿動静脈より体外循環を開始し、同時に冷却を始め血液温15度まで全身を冷却したのちに臓器を摘出する手技。弘前大(1968年7月23日)のように心臓拍動中に冷却を開始したとは認められないが、3徴候死の死亡宣告も早すぎれば心臓拍動の再開例があることから、体温を30度に以下に下げることは蘇生を予定しない処置である。また血液循環を行なっていることから、脳死を前提とした臓器摘出とみられる。

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近畿大学 脳死判定された15歳女性より温阻血時間3分で腎臓摘出

 原 靖:受傷直後より29時間無尿であったドナーからの死体腎移植の1例、移植、31(2)、108−112、1996

 ドナーは15歳女性、1995年2月15日6時、交通事故にて受傷、2月16日1時脳死判定にて脳死と診断され、同日10時40分心停止した。家族の死体腎提供の承諾のもと、死亡確認後ただちにダブルバルンカテーテルより冷却したユーロ・コリンズ液にて体内灌流を施行した。WITは3分であった。

当サイト注:1989年に近畿大学の池上らが行った全前脳胞症児からの臓器摘出は、脳波がある無脳児ドナーに掲載。

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東京女子医科大学 1歳児、5歳児、10歳児、12歳児、15歳児、13歳児からは膵臓も摘出、温阻血時間0〜 23分 #twmuh

服部 元史:小児より腎提供を受け良好な腎機能の獲得が得られた小児死体腎移植患者の1例、小児腎不全研究会誌、11、200―202、1991

 腎提供は落下による頭部外傷のため死亡した12歳、男児より受けた。両腎は温阻血時間0分で摘出。

 

*寺岡 慧:糖尿病腎不全に対する膵腎複合移植、移植、31(総会臨時号)、149、1996

 1990年末以来、膵腎複合移植を開始、ドナーは13〜59歳、温阻血時間は0〜14分。 

 

*石川 暢夫:低年齢ドナーからの献腎移植 成績、適応、限界、移植、33(3)、201、1998
*石川 暢夫:小児ドナーからの献腎移植についての検討 成績、適応、限界、移植、33(5)、358−366、1998

 東京女子医科大学において1997年10月までに低年齢ドナー(15歳以下)からの献腎移植14例を行った。ドナー年齢は平均10.1歳(満年齢1〜14歳)。

 

*大田 敏之:献腎移植後に著明な心機能の改善を認めた尿毒症性心の一女児例、移植、34(5)、260−267、1999

 ドナーは1歳4ヵ月の男児、1997年7月27日に自宅の浴槽にて溺れ、8月1日に亡くなった。温阻血時間は21分。

 ドナーの年齢、性別、死因、死亡日などから、このドナーからの献腎移植を受けた他方のレシピエントは新潟大学医学部の11歳9ヵ月女児とみられる。中山 渓ちゃんの腎移植を考える 小児献腎移植の1例、腎と透析、45(5)、657−679、1998によるとレシピエントは神経芽腫、生後2ヵ月で左副腎および左腎摘出術を施行、血液透析療法施行。発育生涯、聴力障害、言語障害を合併。移植後3ヵ月目に肺梗塞にて死亡した。

 

*石川 暢夫:臓器移植ネットワーク開設後の小児献腎移植症例の検討、今日の移植、11(6)、807−809、1998

  1. 5歳男児ドナーの死因は外傷性ICH(頭部外傷)、心停止前のカニュレーションなし、レスピレーターoffなし、温阻血時間23分
  2. 10歳男児ドナーの死因は外傷性ICH(頭部外傷)、心停止前のカニュレーションあり、レスピレーターoffあり、温阻血時間0分
  3. 1歳男児ドナーの死因は溺水、心停止前のカニュレーションなし、レスピレーターoffなし、温阻血時間21分
  4. 15歳男児ドナーの死因は急性硬膜下血腫(外傷)、心停止前のカニュレーションあり、レスピレーターoffなし、温阻血時間0分

 

当サイト注:温阻血時間が0分であることから、心臓拍動中あるいは心停止を1分未満の観察後に、臓器の冷却を開始したとみられる。

 

中島 一郎、淵野上 昌平(東京女子医科大学腎臓外科):膵臓移植・保存の現況と将来展望、Organ Biology、18(1)、141−144、2011

 心停止下膵臓移植の手術年月日1992年6月10日のドナーは13歳女性、死因は喘息重責発作、温阻血時間3分(表2では3分だが、その直下の表3では5分になっている)。

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新潟市民病院・新潟大学 6歳児、2歳10ヶ月児、1歳4ヵ月児からも

 若月 俊二、吉田 和清、斎藤 和英、今井 智之、高橋 公太:2歳ドナーからの小児死体腎移植の1例、移植、32(4)、303−307、1997

 ドナーは2歳10ヶ月の男児。1996年11月1日、保育園でウズラの卵を喉に詰まらせ、市内の総合病院(当サイト注:新潟市民病院と見られる)に搬入された。11月5日、瞳孔散大・自発呼吸消失を認めた。6歳以下の場合、本来、脳死判定を行なわないが、臨床的に脳死と矛盾しない状況であった。同日早朝より血圧低下がみられ、カテコラミンを使用し、収縮期血圧50mmHg台を保った。家族が死体腎提供を申し出たので、心停止後、死体内腎灌流し、両腎を摘出した。温阻血時間は10分、総阻血時間は10時間16分であった。

 レシピエントの男児は5歳(1993年)で低形成腎と診断、腹膜透析開始。その1年後の6歳(1994年)から、肝腫大・心膜炎など溢水のため新潟県立吉田病院小児科に入院、以降は同院併設の養護学校に通っていた。父親は巣状分節状糸球体硬化症、弟が低形成腎でCAPDを受けており、母親と弟の血液型が一致し将来、生体腎移植予定があるため、患児は献腎移植希望の登録をした。1996年10月30日、8歳男児が腎移植ネットワークに献腎移植を希望して登録。7日後の11月6日、2歳児からの移植を受けるために新潟県立吉田病院泌尿器科に入院した。前記ドナーから右腎の移植を受け、左腎は61歳女性に移植された。

当サイト注:今日の移植、11(6)、798−799、1998によると総阻血時間は11時間16分、レシピエントは第9番目の候補で8人の辞退があった。

 

 西 愼一(新潟大学医学部附属病院血液浄化療法部):長期カテーテル留置による肺動脈血栓症で死亡した小児献腎移植の1例、今日の移植、11(6)、798−799、1998

 1997年7月27日、1歳4ヵ月の男児が風呂で溺水、意識回復せず脳死に近い状態と判断された。7月29日、両親より腎臓提供の申し出があり、症例の家族は死体腎移植を受けることを決断した。8月1日心停止後、当院へ左腎(50g)が搬送された。・・・・・・レシピエントの11歳女児は、移植そのものは成功したが、透析用長期カテーテル留置に伴う肺血栓症により、移植後83日目に死亡した。

 

 齋藤 和英、若月 俊二、谷川 俊貴、中川 由紀、西 慎一、今井 智之、柳原 俊雄、高橋 公太:心停止後小児ドナーから小児への献腎移植の3例、移植、36(総会臨時号)、187、2001

 ドナーは1歳4ヵ月、2歳10ヶ月、6歳。心停止直前に全身ヘパリン化、心停止直後からダブル・バルーン・カテーテルによる体内灌流。レシピエントに8〜14歳の3例 があることを記載している。

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名古屋第二赤十字病院ほか(名古屋市立大、名古屋大)は2歳10ヵ月児より #1998

 幅 俊人:2歳10ヵ月女児から成人への腎移植の経験、移植、33(3)、204−205、1998
 幅 俊人:小児腎提供の適応−2歳10ヵ月女児から成人への腎移植の経験、移植、33(3)、249−250、1998
 内藤 毅朗ほか:2歳10ヵ月の女児をドナーとした成人献腎移植症例の臨床経過について、移植、33(3)、250
 杉山 貴之ほか:2歳10ヵ月の女児をドナーとした献腎移植の1例、移植、33(3)、250

 ドナーは2歳10ヶ月の女児、交通外傷による脳挫傷で脳死状態となり、右大腿動脈よりフィーディングチューブを挿入留置し、全身のヘパリン化を行なった。心停止後、40分を経過した時点で、体内灌流が開始された。

 読売新聞府中支局の山田博文著「黄色い羽根」ひろがれ―移植希望者たちの挑戦(健友館・2003年)には、上記のドナー家族に取材したとみられる文章が載っている。愛知県のK.Kさん(42歳)の次女・実加ちゃん(当時2歳)から、1997年5月に行われた「心停止後」と称する腎臓摘出の概略は以下のとおり。

 実加ちゃんは交通事故によるクモ膜下出血、父親のKさんは脳外科医師から「脳死に近い状態」という説明を受けた時、この時点では当然、助かるものと信じていた。
 病院に妻の親戚が勤務していて、心停止後の腎臓提供を打診される。心停止前のカテーテル挿入、心停止と同時に生理食塩液を体内にめぐらせ、臓器の腐敗を抑える方法を依頼され同意した。

 Kさんはカテーテル挿入後、「実加はまだ生きている。まだ助かるかもしれない。そんな実加にこんな管を入れていいんだろうか。ちゃんと治療をしてもらわなければ」と思った。そして治療が継続されていると信じ、一方では覚悟を決め、時を待った。「実加、実加」 手をさすり、声をかけると、不思議なことに、ベッド脇の計器の数値が反応した。別室で控えるコーディネーターや臓器摘出チームの存在が気にかかった。実加ちゃんの心停止をいまか、いまかと待っているかのように映った。
 看病をしている間、体の洗浄をするためと言われ、数回、退室を促された。明け方の洗浄後に容体が急変した。安定していた数値はみな悪化。不信感を強く抱いた。実加ちゃんの心臓は、病院に運び込まれて4日目の午前7時38分、静かに鼓動を停止した。
 容体の急変から、コーディネーターへの不信感を抱いた。「退室するまでの数値と部屋に戻ってからの数値の差を見れば、だれでもそう思う。おかしいじゃないか、と」。しかし、コーディネーターは言った。「実加ちゃんの容体の変化と退室いただいた時間がたまたま重なっただけです」。ドナーより、臓器摘出が優先されているように感じた。

 1年ほどたったある日、コーディネーターを通じて受け取った移植者(レシピエントは40歳代の男性2人)からの手紙に、移植者に実加ちゃんと同じくらいの年の子どもがいて幸せであることが書いてあり、自分は子どもをなくしていることから手紙を読んでショックがより大きくなった。

 Kさんの問題提起は2つ。
 臓器提供に同意した時点を境に、治療法に変化がないか、移植コーディネーターはドナーをサポートしているか、である。「臓器提供が決定された後の治療方法は、その前と同じであるべきだが、どこか釈然としない。治療から現状維持に変更されているのではないか。それと、カテーテルの挿入などの臓器保存作業がドナーの体に悪影響を及ぼしているようで、そのこともコーディネーターに詳しく説明してほしかった。移植コーディネーターは、臓器移植の仲介および、臓器摘出までの一連の作業の説明だけでなくドナー家族の精神ケアを大切に、臓器を摘出する側から提供する家族を助ける側に、ドナー家族を支える活動をしてほしい。親の勝手な判断で、我が子をドナーにしてしまい、悩む毎日です。やってよかったのか、やっぱり許してくれないかな、そんな毎日の繰り返しです」 

  移植33巻3号p249−p250には「ドナーは2歳10ヶ月の女児、交通外傷による脳挫傷で脳死状態となり、右大腿動脈よりフィーディングチューブを挿入留置し、全身のヘパリン化を行なった」とある。

 抗血栓剤・抗血液凝固剤ヘパリンが使用されている。しかし、父親Kさんの文章にはない。血液の凝固を防止するヘパリンは、外傷や脳内出血患者には致命的な状態に陥らせる可能性があるため原則的に投与しない。このヘパリンが脳挫傷の実加ちゃんに投与されたから、容態が急変したのではないか。あるいは、すでに血管内に挿入済みのチューブ類が、体内で血液凝固による目詰まりをおこさないように、少量の灌流液の注入と脱血を行ったのかもしれない。 その際に、動脈内にあるダブルバルーンを拡張させて一時的に急性動脈閉塞症を引き起こした可能性も考えられる。ヘパリンを投与する場合は、血を固まらせずに死なせる危険性を覚悟しないとできない。外傷や脳内出血患者には原則禁忌の薬品であることを説明したら、父親は提供に同意したのか。上記の父親の文章を読むと、同意しなかったと考えられる。

 現代の日本臓器移植ネットワークの、ドナー候補者家族への説明文書も、ヘパリンが血液を凝固させないための薬品であることは説明しているが、外傷や脳内出血患者を致死的な状態に至らせる可能性があるため原則的に投与しない薬であることは説明していない。ドナー 候補者家族への説明が正直になされていない、説明をしたら臓器提供を承諾する家族が激減して、移植は崩壊するからしないのであろう。

 過去約40年間にわたる「死体」腎摘出のなかで得られてきた「家族の承諾」も、同様にドナー家族の錯誤を利用した、公序良俗に反し法的にも無効な承諾ばかりではないかとの疑念を持つ。

 カテーテル挿入も第3者のレシピエントのための処置であり、違法性は阻却されない。合法化するためには、ドナー候補者が死体でなければならないが、それは1997年7月制定の臓器移植法で定められた法的「脳死」判定手続きでのみ可能なことだ。しかし小児脳死判定基準は2000年に示されるまでは、6歳未満は判定対象外とされていた。

 実加ちゃんの、容態の急変と午前7時38分に心停止していることも注目される。深夜や明け方に自然に心停止された場合、臓器摘出施設の要員は深夜勤務を余儀なくされ、また移植施設への高速遠距離搬送手段も少ないため、総阻血時間が長くなるからだ。レシピエントは48歳男性が富山県立中央病院、46歳男性が浜松医大とみられるが、富山県立中央病院の移植では総阻血時間が6時間48分、浜松医大の移植は同12時間9分であり、通常の勤務時間帯に大部分の処置が終えている。人為的に心停止させて臓器を獲得したのではないか、という疑惑も生じる。

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京都府立医科大学

四方 統男(京都府立医大第2外科講師):腎移植、外科、30(12)、1481、1968

 donorは13才女子で、V.S.D+pH の診断のもとに、24度C全身低体温下に開心術を施行し、心停止時間32分で根治手術を終了し、心拍を再開せしめ復温に入ったが満足すべき心拍動をえられず、1時間に及ぶ心補助マッサージの後、死と断定したものである。その後、遺族に腎の提供を申し込み承諾を受け、再び心マッサージ、さらに部分体外循環を開始し、この間にrecipientを手術場へ搬入し、移植態勢を整え、心停止後4時間で移植腎の血流を再開した症例である。

 

*岡本 雅彦:当施設における献腎移植成績と免疫抑制剤の使用法、今日の移植、11(6)、785−786、1998

 ドナーの平均年齢は38.4±16.4(6〜75歳)、平均温阻血時間は12.9±26.2分(0〜180分)、平均全阻血時間は8時間21分±6時間6分(1時間50分〜25時間49分)。

当サイト注:温阻血時間が0分である臓器摘出例は、心臓拍動中あるいは心停止を1分未満の観察後に、臓器の冷却を開始したとみられる。 全阻血時間1時間50分の腎臓摘出例は、レシピエントが決定して来院・移植術の準備が完了してからの摘出とみられる。

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福井医科大学

 秋野 裕信:小児献腎移植の一例、今日の移植、11(6)、796−797、1998

 1997年9月6日に献腎移植を施行した。ドナーは7歳、男児で温阻血時間9分。グラフトは左腎。

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愛媛大学

 岡 昭博:尿細管石灰沈着が著明であったprimary non function kidneyの小児死体腎移植の1例、移植、34(5)、286、1999

 ドナーは4歳、死因は脳腫瘍で温阻血時間38分。

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鷹揚郷腎研究所弘前病院

 呉 聖哲:巣状糸球体硬化症(FGS)症例に対する献腎移植の1例、移植、34(5)、287、1999

 ドナーは喘息発作のため死亡した6歳男児、温阻血時間7分。

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静岡県立総合病院(レシピエント側病院) ドナーは沖縄県の14歳児

 伊藤 将彰:全国移植ネットワークを使った小児腎移植の経験、移植、34(5)、293-294、1999

 急性硬膜下出血で1998年2月1日18時58分に心停止となった沖縄県に住む14歳男児をドナーとした。2月2日18時30分東京虎ノ門病院にてリンパ球ダイレクトクロスマッチ陰性と診断されたとの報告を受けて手術を開始した。WIT=0分、TIT=31時間39分。

 当サイト注:温阻血時間が0分であることから、心臓拍動中あるいは心停止を1分未満の観察後に、臓器の冷却を開始したとみられる。

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大阪市立大学、大阪市立総合医療センター、8歳児から温阻血時間3分で臓器摘出

 山崎 健史:小児ドナーから成人への献腎移植の1例、大阪透析研究会会誌、21(1)、102、2003

 ドナーは8歳女児、死因は脳腫瘍の自然破裂による脳内出血、温阻血時間は3分、総阻血時間は6時間34分。レシピエントは47歳女性(1987年より血液透析導入)、2001年3月19日に献腎移植目的で入院となった。

 

 長沼 俊秀:小児ドナーから成人への献腎移植の1例、大阪透析研究会会誌、21(1)、102、2003

 ドナーは8歳、レシピエントは51歳男性(34歳から血液透析導入)。2002年3月20日に腎移植を施行、総阻血時間は4時間と短時間。

 

注:移植、39(3)、312によると同一ドナー(身長130cm、体重26kg)。 移植施行日は2002年3月20日。

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大阪府立急性期・総合医療センター、12歳ドナー

 奥見 雅由:献腎移植長期生着に影響を及ぼす因子の検討、移植、39(2)、191−196、2004

 1985年12月より2002年12月までに実施された心停止後腎臓移植58例は、温阻血時間(おんそけつじかん) が平均3.4分(標準偏差:±6.5分)。ドナーの年齢は12歳〜64歳(平均39.9歳)、男性42名、女性16名。

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自治医科大学、4歳5ヵ月男児の心停止後、直ちに心臓マッサージを行い手術室に搬入、カテーテル挿入

 八木 澤隆(自治医科大学一般外科学):小児献腎ドナーからのen-bloc両腎移植の1例、腎移植・血管外科、16(1)、72−77、2004
 藤原 岳人(消化器・一般外科)、両腎を en-block として用いた献腎移植の1例:移植(第39巻総会臨時号)、268、2004

 ドナーは4歳5ヵ月男児(体重17kg)、交通事故による頭部外傷(外傷性クモ膜下出血)に対し、当救命救急センターで治療を受けたものの、最高血圧20〜50mmHgが24時間続いたのちに心停止に至った。直ちにICUから心臓マッサージを行い手術室に搬入した。開腹後、大動脈分岐部よりカテーテルを挿入し、両腎の灌流を開始した(WIT14分)。

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神戸大学 15歳児から膵臓を摘出

 谷岡 康喜:二層法によるmarginal donor膵からの膵島移植の可能性、低温医学、31(第32回日本低温医学会総会プログラム・抄録集)、58、2005

 ドナーは脳出血の15歳男性で心停止後に膵の提供を受けた。温阻血時間は3分で冷阻血時間は300分。 291084IEQの膵島収量を得、移植に使用した。レシピエント(35歳女性)は、インスリン離脱は得られなかったが、インスリン必要量は著明に減少し、血糖の不安定性は改善した。

 

 酒井 哲也:当院で経験した若年者ドナー(15歳)からの膵島分離2例、移植、41(2)、154、2006

 症例1は15歳男性で死因は頸部外傷。温阻血時間は1分、冷阻血時間は315分。 症例2は15歳の男性で死因は脳出血。温阻血時間は3分、冷阻血時間は300分。レシピエントは35歳女性。

 

 後藤 直大:不安定1型糖尿病に対し膵島移植を施行した1例、移植、41(2)、154−155、2006

 ドナーは15歳男性で、膵の温阻血時間は3分、冷阻血時間は300分。純化後膵島収量は291084IEQ。レシピエントは1型糖尿病の35歳女性。インスリン離脱までに追加移植が必要と思われるが、患者本人の満足度も高かった。

 

当サイト注: 「低温医学」に掲載の脳出血の15歳男性、「移植」で酒井報告の症例2、そして後藤報告のドナーは同一と見込まれる。

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聖マリアンナ医科大学 #200902

*小野 元(聖マリアンナ医科大学脳神経外科、移植医療支援室):誤嚥・窒息による心停止後の蘇生後脳症から臨床的脳死状態に陥った11歳男児からの献腎・献眼提供症例、今日の移植、22(5)、571−574、2009
*力石 辰也(聖マリアンナ医科大学腎泌尿器科):脳性小児まひ・胃瘻造設下の小児における心停止後の腎臓摘出と成人レシピエントへの献腎移植、今日の移植、22(5)、583−586、2009

 脳性小児マヒ、出生後胃ろう造設、その後に気管切開していた男児は、低酸素脳症で寝たきりの状態が10年間が経過していた。気管切開でチューブ先端の肉芽が生じ、たびたび呼吸困難を起こしていた。11歳時の2009年2月、自宅で呼吸困難を起こし、心拍再開まで30分以上を要した蘇生後脳症。無呼吸テストを除く2回の臨床的脳死判定を行った。

 生前に右の大腿静脈からカテーテル挿入を試みたが、大腿静脈閉塞によりカテーテルが入らず、血圧が不安定となってきたため、カテーテル挿入を断念。心肺停止状態での入院から23日後に心停止。心停止ののち、ドナーを手術室に運んで腎臓の摘出手術を行った。麻酔科医による酸素化や、人工呼吸、心臓マッサージを行った。温阻血時間は16分。

 レシピエントは聖マリアンナ医科大学の35歳男性と新潟大学の11歳女児。

 (ドナー管理の詳細は、「心停止下」臓器摘出であるのにドナー管理をした医師、施設・聖マリアンナ医科大学を参照)

 


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