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臓器摘出時に脳死ではないことが判ったケース

A,臓器摘出術開始前・脳死否定・摘出強行例

B,臓器摘出術開始後・脳死否定・摘出完遂例

C,臓器摘出術開始後・脳死否定・摘出中止例

D,臓器提供決定後・脳死否定・提供撤回例

E,周辺事例

 このページでは、「臓器摘出の前や手術時に脳死ではないことが判明したケース」そして「臓器提供を決定した後に脳死ではないことが判明して臓器提供を取りやめたケース」を紹介する。

 事柄の重大性から脳死判定した医師は誤診の責任を問われ、脳死ではないことを知りつつ臓器摘出を敢行した医師は殺人罪に問われる。また臓器摘出を撤回しても早すぎるドナー管理の開始、あるい途中まで進められた開腹手術等のために、後遺症を残したり早期に死亡する可能性が高い。このため、これらの報告は担当医や臓器摘出施設名が明確でないことが多い。報告した医師自身が関係したケースではない場合や、書かれた事と実際に発生した事が異なる場合など情報に曖昧さが多くなる点に注意してもらいたい。

 

A,臓器摘出術開始前・脳死否定・摘出強行例

A1=Gail A Van Norman(Department of Anesthesiology, University of Washington):A matter of life and death: what every anesthesiologist should know about the medical, legal, and ethical aspects of declaring brain death、Anesthesiology、91(1)、275−287、1999(原文のPDFファイルはhttp://www.anesthesiology.org/pt/re/anes/pdfhandler.00000542-199907000-00036.pdf;jsessionid=HqnYMwFsbgh73VTGZHvVm72r4Jms1c8fP4WKvm0LZw17LGCWnpFy!923867264!181195629!8091!-1にある 。クリックしても画面が白紙の場合は、お使いのブラウザで「更新」または「再読み込み」をしてください。HTMLファイルはhttp://www.anesthesiology.org/pt/re/anes/fulltext.00000542-199907000-00036.htm;jsessionid=Hqtb5nvY8ZtMMflh3yNsTmbwNpFhBP91n31m7Z2Wh2tLp1Kwt2b2!1675702673!181195628!8091!-1?&fullimage=true。HTMLのページからも、PDFファイルがダウンロードできます)
 
要旨:30歳の重傷頭部外傷患者は脳死が宣告され、19歳の肝不全患者への肝臓移植が計画された。麻酔医は、そのドナーが自発呼吸をしていることに気づいた。麻酔医が脳死判定に疑問を呈したところ、脳死判定した医師は患者は回復しないから脳死である、そして肝臓のレシピエントは移植なしには死が差し迫っているからと述べた。麻酔医の抗議に関わらず、臓器摘出は行われた。ドナーは、皮膚切開時に体が動き高血圧になったため、チオペンタールと筋弛緩剤の投与が必要になった。肝臓のレシピエントは急性内出血のために、肝臓の採取が完了する前に別の手術室で亡くなった。肝臓は移植されなかった。
 
原文: During an educational course for anesthesiologists. a participant described a case (not independently verified by the author) in which a 30-yr-old patient was admitted to a level 1 trauma center with severe head trauma. A computed tomography scan demonstrated diffuse cerebral damage and blood in the fourth ventricle. The patient was declared brain dead by two physicians, and preparations were made to obtain vital organs for transplantation. Liver transplantation was planned for a level 1recipient: an otherwise healthy 19-yr-old with hepatic dysfunction of unknown origin.
 The on-call anesthesiologist noted that the donor was intubated but breathing spontaneously with a tidal volume of 800cm3 and a respiratory rate of 20 breaths/min. When the anesthesiologist questioned the diagnosis of brain death, one of the declared brain dead, and that in any case the liver recipient would die imminently without transplantation. Vital organ collection proceeded over the protests of the anesthesiologist, who observed donor movement and hypertension with skin incision that required treatment with thiopental and a muscle relaxant. The liver recipient died in another operating room of acute hemorrhage before liver collection was complete. The liver went untransplanted.

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A2=エクランド 源 雅子(Pediatrix Medical Groupe of Tennessee):蘇生と脳死と患者と、ICUから学ぶもの、INTENSIVIST、2(1)220−223、2010

 22歳の看護学生が交通事故後に重傷の状態で運び込まれた。当時私がICU/CCUにいたテネシー州の大学病院のERからの電話で、1100km難れたミシガン州に住む両親は急遽病院へ向かった。到着した両親を待っていたのは、悲しい姿の6人兄弟の末娘だった。彼女は、臓器移植ドナーカード保持者であるばかりではなく、彼女の車のバンパーには「ドナーとして登録しましょう」という呼びかけのステッカーが貼ってあった。
 22歳の彼女は、父親が3回も心臓バイパスのオペに耐え、4年以上心臓移植を待つという窮地にいたため、自分が看護師になって父親の世話をしたいと、看護の道を選んだ。
 父親に知らされたのは、「あなたに娘さんの心臓を移植することが可能なのです。それとも・・・」。彼は最初、そんなことはできない、死んでゆく娘の心拍を感じながら生きてはゆけない、娘の命と引き換えになど、と断った。母親も移植手術というリスクの高い手術で夫を亡くすのを恐れて、夫が断るのに賛成した。
 しかし、父親は確かに聞いたそうだ、娘さんの声の響きを。「お父さん、お願い、受け取って。たくさんの孫たちのためにも、私、お父さんと一緒にいたい・・・」。父親は急遽ミシガンに戻り手術の準備体制に入った。ミシガンからジェットで臓器を受け取りに行く寸前に父親の病室に立ち寄った心臓外科医に、父親は涙ながらに頼んだそうだ。「お願いです。娘を、やさしく扱ってやってください」。
 事故から4日目の朝4時、私の夜勤中だった。無事にミシガンの外科医は父親への愛にあふれた娘の心臓を彼女の心と一緒に無事に丁寧に取り出し、テネシーを飛び立つと朝6時にはミシガンの病院へ到着していた。あの朝の数時間の病院全体が祈った気持ちは今でもよく覚えている。午前9時47分に父親の胸で、娘の鼓動は何事もなかったのように元気なリズムを打ち始めた。
 2人の患者の目が見えるようになり、また2人の患者が腎臓移植を受け、もう1人は肝臓移植を受けた。幸い事故から10年後の2005年には皆さん健在である、という報告が全国放送で取り上げられた。親としての苦悩と悲しみの重なり合うなか、娘の最後の贈り物のもたらしたクオリティーオブライフは貴重だ。父親の移植が成功した数日後、娘は埋葬された。生きた証を確かに残して。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 上記は、娘Patricia Szuberをドナーとして、父親Chester Szuberに行なわれた「脳死」心臓移植と見込まれる。2004年8月20日に放送されたCBSニュースSaved By His Daughter's Heart. Man Dying From Heart Disease Gets Gift From Late
http://election.cbsnews.com/stories/2004/08/19/earlyshow/living/main637069.shtml
ビデオhttp://www.cbsnews.com/video/watch/?id=637191nによると、娘の心臓移植が可能と告げられてから、娘の意思を感じるまでの会話、父親の心の動きは以下。

“‘You can have Patti's heart,’” Chet Szuber recalls. “Well, I was flabbergasted. I had never considered it; never thought about it. And I couldn't say, ‘No’ fast enough. A million things went through my mind: Is this right, is this ethical? Is this a selfish move? Can I stand the thought of every heartbeat reminding me of Patti? And I turned it down.”

Chet Szuber refused the offer, but minutes later felt something.

He says, “I don't want to sound corny at this point, but as I was waiting for the elevator, I swear Patti was pleading with me to accept her gift. And I thought, ‘My God, you know, How am I going to explain this to the family?’”


 1996年8月25日のSunday MirrorのI heard my dead girl's voice saying ' Go on, dad ... take my heartによる
http://findarticles.com/p/articles/mi_qn4161/is_19960825/ai_n14455278/は、若干異なるが以下を記載している。

The doctor's next words hung like fire in the air. "You have first pick of her heart," he said.

Chester then remembered the day three years earlier when Patti told him she had signed a donor card permitting the use of her organs if she died. Even so, the thought appalled him.

"I just couldn't say no fast enough when they offered me her heart," Chester remembers now. "It was unthinkable.

Parents aren't supposed to bury their kids, let alone take their damn organs."

But as he walked weakly to his hospital room he could hear Patti's voice in his mind, saying: "Go on, Dad, take it - take my heart. Take the chance to live again."

But still Chester couldn't bring himself to say yes, until a family summit changed his mind.

当サイト注

  1. 「脳死」患者と近親者との精神的交流は、柳田邦男氏も自身の経験を著書に書いているが、科学的に存在が証明されていることではない。自身 が臓器提供候補者とされている状況を認識し、さらに近親者の意思が揺れていることも知覚し、そのことについて自ら思考して意思を形成し、そしてSzuberケースでは視界外にいる父親に意思を伝達できるのならば、脳が 超能力を発揮していることを示す。
  2. 近親者の幻聴、合理化、捏造も含まれうる。しかし、「父親は確かに聞いたそうだ、娘さんの声の響きを」とは娘に意識があること=脳死ではない事を前提とする。

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B,臓器摘出術開始後・脳死否定・摘出完遂例

B1=Gail A Van Norman(Department of Anesthesiology, University of Washington):A matter of life and death: what every anesthesiologist should know about the medical, legal, and ethical aspects of declaring brain death、Anesthesiology、91(1)、275−287、1999(上記A1と同じ文献)
 
要旨:頭蓋内出血後に脳死が宣告された多臓器ドナー=頻脈があったためネオスチグミン(抗コリンエステラーゼ)が投与されていたドナーは、「大静脈が結紮され、肝臓が取り出された」と外科医が知らせた瞬間に自発呼吸を始めた。そのドナーは無呼吸テストの終わりに(gasped)あえいでいたのだけれども、脳外科医は脳死判定基準を満たしていると判定していた。

原文:Anesthesiologist questioned his colleagues on the Internet about whether strict brain death criteria are relevant when the organ donor is not expected to survive his or her injuries. He reported a case in which, while caring for a multiple organ donor who had been declared brain dead after an intracranial hemorrhage, he administered a dose of neostigmine to treat an episode of tachycardia. The donor began to breathe spontaneously just as the surgeon announced that the vena cavae were ligated and the liver had been removed. Upon subsequent review of the patient's chart, the anesthesiologist learned that the donor had gasped at the end of an apnea test, but a neurosurgeon had certified that brain death criteria had been met.

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B20040520(法的脳死判定30例目)

 大島 正行、佐藤 花代子、村瀬 熱紀、稲木 敏一郎、横山 健至、島田 洋一、小川 龍(日本医科大学医学部麻酔科学教室):脳死ドナーの麻酔管理経験、日本臨床麻酔学会誌(日本臨床麻酔学会第24回大会抄録号)、付属CD\endai\1-023.html、2004
 フェンタニル0.1mg、ベクロニウム20mgで麻酔導入し、酸素-イソフルランで維持した。各摘出予定臓器周囲の剥離と臓器の視診、触診後、ヘパリン20,000uを静注し、灌流用カテーテルを挿入した。その際徐脈を来したためアトロピン0.5mgを静注した。脳死後も脊髄反射が残存するため、筋弛緩薬は必須である。胸骨縦切開時の血圧上昇時にフェンタニル、イソフルランを使用した。徐脈時にはアトロピンは無効とされるが、我々の症例では有効であった。

 大島 正行(日本医科大学付属第二病院麻酔科):脳死ドナー臓器摘出の麻酔 あらためて感じたコミュニケーションの重要性〜「命のリレー」に携わって、LiSA、11(9)、960−962、2004
 p960(法的脳死判定を行なう予定の連絡を受けた後)=以前、神奈川の研究会で川崎市立川崎病院の先生が、脳死ドナーからの臓器摘出術の麻酔管理はいろいろ大変だったと話されていたのを思い出した。医学中央雑誌で“脳死ドナーの麻酔管理”を検索したが、4件しかヒットせず、慌てて雑誌の特集を入手した。それは大阪大学の林助教授が書かれていた。早速、大阪大学の友人にも脳死ドナーの麻酔について教えてもらおうとメールをした。(中略)川崎市立川崎病院麻酔科の藍公明先生に電話して、2001年の脳死ドナー臓器摘出の麻酔の実際について教えていただいた。教科書や論文には書かれていない重要な点がいくつかあった。(中略)麻酔については、コーディネーターおよび術者から教えていただけるとのことで、少しばかりほっとした。
 P961=ヘパリン2万単位を中心静脈より静注して全身ヘパリン化ののちに、プレジア用のカニュレーションを行った際、心拍数40bpmという徐脈となった。アトロピン0.5mgを投与したところ、心拍数は回復した。

当サイト注

  1. アトロピンは副交感神経遮断剤で迷走神経性徐脈に効果があるが、心臓迷走神経の中枢は延髄にある。
  2. アトロピンは副交感神経系の働きを弱めて交感神経系を優勢とする作用があるため、脳死判定の補助検査としてアトロピンテストを行なう施設もある。患者の副交感神経系が正常=脳死ではないならば、1.0〜2.0mg靜注すると頻脈(毎分35〜40拍の増加)が起こる。脈拍数が増加しなければテスト陽性で、その患者の副交感神経系は弱まっている=脳死の可能性があると判断される。
  3. 大島氏らが参照したと見込まれる、林 行雄(大阪大学大学院医学系研究科生体機能調節医学(麻酔科学)講座):脳死ドナーの麻酔管理、臨床麻酔、24(3)、513−518、2000は、脳死ドナーの徐脈について「とくに徐脈はアトロピンには反応しないので、直接心臓に対して作用するドパミンやイソプロテレノールを用いる」と、アトロピンの無効なことを書いている。法的脳死30例目・臓器摘出29例目ドナーへのアトロピン投与は、臓器摘出を行なう移植医、または移植コーディネーターの指示 によると見込まれる。
  4. この症例の報告者自身は、ドナーが脳死ではなかったとの認識は記載していない。脳死ドナーの徐脈に「脳死ならば効かないから投与しない」とされている薬剤のアトロピンを、あえて選択して投与し、有効だった事実のみ 記載した

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C,臓器摘出術開始後・脳死否定・摘出中止例

C1=マーガレット・ロック著「脳死と臓器移植の医療人類学」(みすず書房・2004年)p196〜p197
 
 マーガレット・ロックが面接した医師5名のうち1名が、研修医時代の経験として以下のように語った。「私たちには、移植用の臓器を確保しなければならないというプレッシャーがあったと思います。私たちは無呼吸テストを30秒間行いましたが、自発呼吸はみられませんでした。それで、私たちはその患者をドナーとして手術室に送りました。ところが、手術室で人工呼吸器が外されたとき、彼は呼吸しはじめたのです。私たちは、ICUに戻されてきた彼のケアに努めました。結局彼は、 2ヵ月後に死亡したのですが、私たちは悪夢を見ているような気がしました。弁解の余地のないこの事件が起きたのは、脳死に関するはっきりしたガイドラインのなかった70年代初めのことです。私はいつも研修医たちにこの話をし、けっして性急に判定を下してはならないと注意しています。」  

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C2=Adam C. Webb, MD; Owen B. Samuels,MD(Departments of Neurology and Neurosurgery,Neuroscience Critical Care,Emory University School of Medicine,Atlanta GA):Reversible brain death after cardiopulmonary arrest and induced hypothermia(心肺停止と低体温治療後の可逆的脳死),Critical Care Medicine,39(6),1538-1542,2011 抄録はhttp://journals.lww.com/ccmjournal/Abstract/2011/06000/Reversible_brain_death_after_cardiopulmonary.44.aspx
 心肺停止と低体温治療を試みた後、脳死所見が一過性に消失した症例を報告する。55歳男性は、呼吸停止の後に心停止、心肺蘇生により自己心拍が再開した。
0時間 : 自己心拍再開
14時間後: 震えを防止するため、プロポフォールとフェンタニルを持続投与開始
16時間後: 脳保護の目的で低体温治療を開始
48時間後: 体温33度
50時間後: 復温開始、プロポフォールとフェンタニルの投与停止
56時間後: 体温36.5度、開眼は見られず、疼痛刺激に反応せず、自発的ミオクローヌス、瞳孔反応は緩慢、角膜反射なし、咽頭反射は正常で、自発呼吸が認められた。
72時間後: 1回目、神経学的検査で脳死に矛盾せず
78時間後: 2回目、神経学的検査で脳死に矛盾せず、10分間無呼吸テスト(動脈血酸素分圧41mmHg→108mmHg)で自発呼吸なし。脳死が確認され死亡宣告、家族は臓器提供に同意した。
84〜93時間後: 臓器摘出チームがドナー管理で1gのメチルプレドニゾロン投与
98時間後: 患者は臓器摘出のため手術室に搬送され、手術台に移す時、患者が咳をしたのに麻酔科医が気づいた。検査の結果、咳反射だけでなく左右の角膜反射、自発呼吸が回復していると分かった。患者はただちに集中治療室に戻された。診療チームは、患者家族と他の医療従事者に十分な説明を提供しなくてはならない難題に直面した。
120時間後: 咳反射、角膜反射、自発呼吸あり
145時間後: 脳幹機能が消失、神経学的検査で脳死に矛盾せず
200時間後: 脳血流検査で血流なし。患者家族と人工呼吸器停止の結論、臓器摘出チームとは家族に再び臓器提供でアプローチしないことを決定
202時間後: 人工呼吸器を停止、心肺基準で死亡宣告

 本症例は、米国神経学会ガイドラインを遵守して行われた脳死診断が覆った初めての成人患者の報告である。脳死の撤回は一過性で、患者の予後には影響を与えなかったが、それは臓器提供の適格性に衝撃を与え、心停止後に低体温治療を受けた患者の脳死所見の不可逆性を決定する能力に疑問を投げかける。心停止患者への低体温治療は、より一般的に行なわれるようになってきている。米国の脳死ドナーのほぼ25%は低酸素症である。
 結論:心停止後に低体温治療を行なった際には、脳死の決定には注意することを強く勧める。確定するための検査が考慮されるべきで、復温後に脳死判定を行うまでの最低観察時間を規定されるべきである。

当サイト注:無呼吸テストの実施は、自己心拍再開から78時間後の検査時の1回のみ記載されている。脳波測定は2回の検査時とも 行なわなかった模様で、自己心拍再開から106時間後=脳死ではないことが判った後に測定し、脳波は認めなかったことが記載されている(Webb氏らは、脳波は大脳皮質の機能を測定するだけで、脳幹の機能は測定しないことに注意を喚起し た)。

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C3息をした米の脳死患者 臓器摘出直前 体が動いた!!:朝日新聞1990年10月26日付朝刊3面
 
 1990年9月25日夜、ノースカロライナ州のカート・コールマン・クラークさん(22歳)は自動車事故で頭部を強打、同州ヒッコリーのフライ地域医療センターに運び込まれた。意識はなく、脳内出血がひどかった。二人の放射線医が、血管に放射性物質を注射して頭部の血管を調べた。脳内出血で脳がはれ、心臓が送られてくる新鮮な血が脳内に流れていなかった。
 26日午前10時21分、脳外科医のウィリアム・シムズ医師が脳死による死亡宣告をした。交通事故が原因だったため、監察医も到着、同10時55分、死亡を確認した。同センターは、クラークさんの家族の意向を確認し、「遺体」をハイウェーで1時間余りのバブティスト病院に運んだ。
 「おや。でも、まさか」クラークさんが搬送されてきたウィンストンサーレムにあるバブティスト病院の移植チームの女性スタッフは、気のせいだと思った。9月26日午後3時15分、病院の緊急患者入り口で、搬送者から降ろされたクラークさんのまぶたが少し動いたようにみえたのだ。
 エレベーターで、臓器摘出準備のため5階へ向かった。クラークさんには、臓器の状態を保つため、人工呼吸器がとりつけられていた。女性スタッフはまた、まぶたを見詰めた。
 動いた。今度は、もっとはっきりとわかった。体をつねってみた。クラークさんは痛みを避けるような動作をした。人工呼吸器を外してみた。かすかながら自発呼吸をしていた。
 女性スタッフはすぐ移植チームのリーダー、ジェシー・メレディス博士に電話連絡した。臓器摘出手術は中止された。クラークさんは手術室に運ばれ、脳内の出血を取り除く緊急措置がとられた。「最初の病院で死者となった人が、うちにきて患者に戻ってしまった」(バブティスト病院広報担当、ロジャー・ロールマン氏)」
 最初に死亡宣告した同センターのシムズ医師は、「脳血流はなかった」と断言する。クラークさんとともに送られてきた医療記録のコピーを点検したメレディス博士も「(最初の脳死判定で)医師が診断ミスをしたとは思わない」とみる。
 6日後、この患者は改めて死亡宣告を受けた。その間、意識を回復することはなかった。クラークさんの家族は、病院関係者に一切苦言を残さなかったという。しかし、二度目の死亡宣告を受けた時、臓器提供に首をたてに振らなかった。

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C4=李 茂生(国立台湾大学法律学院教授):台湾における臓器移植の光と陰、2009(http://lms.posterous.com/1896139でPDFファイルが公開されている。2011年7月25日、信山社発行の「移植医療のこれから」p319〜p333にもほぼ同文が掲載されている)

 当時台湾大学医学部の教授で台湾の心臓移植権威でもある朱樹勲氏(当時,移植医学会の理事長。現在亞東病院の院長)が動き始まった。氏は当時の大統領でありもと台湾大学農学部教授である李登輝氏に献言し,法務部にも積極的に働きかけた結果,法務部が1990年に「執行死刑規則」を改訂し,臓器寄贈を同意する受刑者に対して,心臓でなく,そのかわりに頭部(耳の下の窪の部分,脳幹辺り)を撃つことができるようになった。
 この「執行死刑規則」によれば,臓器寄贈を同意する死刑囚に対しては,まず銃殺して,執行場で最初の脳死判定を行い,そして臓器を移植する病院で二回目の脳死判定をしてから,始めて臓器を摘出することができる。ところが,移植の現場の声では,これは遅すぎると判明された。従って,法務部は現場の要請を聞き入れ,1991年に「執行死刑規則」をさらに改訂し,病院での二回目の脳死判定を省略し,執行場での一回目の判定でよいと規則を変えた。
 だが,問題となるのは,脳死判定が一回か二回を行うことではなく,むしろ銃殺する前に死刑囚に麻酔薬を打つのが普通であり,この麻酔薬の薬効が下がる前(24時間が必要),一切の判定は不確実となるとのことである。もっと問題となるのは,麻酔薬を打たなくても,銃撃で受刑者の頭が変形し,よって脳幹テスト(特に前庭反応テスト)を行うことがほとんど不可能であるため,脳死判定は実際上表面的な行事になっていることである。実際上1991年年末に,ある脳死に判定された死刑囚は栄民総医院の手術室で息が戻り,病院側が余儀なく当該「脳死死体」を刑務所に送り返すという不祥事が発生した。栄民総医院は今後死刑囚による臓器寄贈を拒否するとの声明を発表したが,朱樹勲氏は中国時報に投稿し,栄民総医院の声明を偽善として猛烈に批判している。氏は曰く「法的に死んでいるものは死体であり,苦しんで生きている臓器移植を待つ人々のために,医者は道徳心を発揮し,その場で臓器を摘出すべきである」と。
 (中略)1991年に59名の被処刑者の中で28名が臓器寄贈を同意し,全国の寄贈数の24.78%をも占めている。

当サイト注:上記に「死刑囚に麻酔薬を打つのが普通であり,この麻酔薬の薬効が下がる前(24時間が必要),一切の判定は不確実となる」と書かれているが、薬物投与から72時間後に高濃度の薬物が脳組織から検出されたケースも報告されており、24時間経過後に脳死判定が確実になるとの認識は間違い。

 

前田 雅英(東京都立大学教授)、呉 昌齢(東京都立大学法学修士):台湾における移植の現況と脳死状態からの臓器移植の立法的課題、ジュリスト、995、87−97、1992

 1991年の4月15日、臓器提供に同意した死刑囚黄嘉慶は、刑場で銃殺刑を執行された。そして、20分後検察官と医師龍籍泉が脳死判定に基づいて死を確認し、死亡証明書が発行された後、臓器摘出のため病院に運んだところ、自発呼吸等の生命現象が現れ、さらに痛感テストに反応し脈拍も次第に正常なものに近づいていった。そこで、臓器移植を中断し、36時間後「二次死刑執行」という異例の措置を行なったが、臓器を移植することはできなかったのである(聯合報1991年4月15日)。

 (中略)このような、死刑囚からの杜撰な臓器摘出の問題が同じ様な形で日本で発生するとは考えられないが、この事件を惹き起こした「脳死者の臓器の強い需要」は、日本で脳死者からの移植を正面から解禁した場合には、やはり必ず生じるはずである。

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C5=U.S. Centers for Medicare and Medicaid Services report on St. Joseph's Hospital Health Center http://ja.scribd.com/doc/148583905/U-S-Centers-for-Medicare-and-Medicaid-Services-report-on-St-Joe-s
*The Post-Standard, July 7, 2013  
 St. Joe’s “dead” patient awoke as docs prepared to remove organs
 http://www.syracuse.com/news/index.ssf/2013/07/st_joes_fined_over_dead_patien.html

 2009年10月16日、Colleen S. Burnsさん(41歳)は、薬物の過剰摂取で米国ニューヨーク州シラキュースのSt. Joseph's Hospital Health Centerに搬送された。病院は、Burnsさんが摂取した複数の薬物が胃や腸に吸収されるのを防ぐための適切な処置を施していなかった。Burnsさんを脳死と判定するにあたっても、薬物が脳に影響を与えていないか等、脳内スキャンを撮って十分に確認していなかった。10月18日と19日、不完全な神経学的見積もりと不正確な低酸素脳症との診断で、脳死判定基準の無呼吸に該当していなかったが、医療記録は脳死と見積もった。家族は、生命維持を停止して心臓死後の臓器提供に同意した。
 医療記録によると、10月19日午後6時、看護師がBurnsさんの足を指でなぞったところ足指を曲げた、人工呼吸中だが鼻孔が膨らんで自発呼吸の兆候が見られ唇や舌も動いていた。午後6時21分、その看護師はBurnsさんに鎮静剤のアチバンを投与した。医師の記録には鎮静剤も症状の改善もない。
 10月20日午前12時、心停止後の臓器提供のため手術室内の準備室に運び込まれたBurnsさんが目を開けたので、心停止および臓器摘出処置は中止された。

 Burnsさんさんは重度のうつ病のため家族も病院を訴えることはせず、それから16ヵ月後にBurnsさんは自殺した。何が起こったのか、本人にも家族にも説明はなかった。これほどの事態が起こっていながら病院側は検証も原因究明も行わなかった。
 州保健局はPost-Standard紙の質問を受けて2010年3月に調査開始、州保健局の抜き打ち監査を受けて、病院はようやく調査に着手したが、それでも、その調査はおざなりのものでしかなかった。
 病院は、ケアの不適切に対して罰金6千ドル、まともに調査しなかったことに対して罰金1万6千ドル、合計2万2千ドルが課せられ、スタッフに脳死の正しい診断方法を指導する神経科医を雇うことが命じられた。

 

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D,臓器提供決定後・脳死否定・提供撤回例

D1=2008年3月23日放送のNBC News 'Dead' man recovering after ATV accident(四輪バイクの事故で“死んだ”若者が生還!)http://www.msnbc.msn.com/id/23768436/http://www.msnbc.msn.com/id/23768436/page/2/
 
 2007年11月、脳死判定と脳血流検査も行われて死亡宣告されたザック・ダンラップ氏(21歳)は、従兄妹の看護師によって脳死判定に疑問を持たれ、足裏をポケットナイフで引っ掻くなどの強烈な疼痛刺激により脳死ではないことが発覚。臓器摘出チームが到着していたが、生体解剖は直前に阻止された。ダンラップ氏は、自分に対する死亡宣告が聞こえていたという。
 2011年2月1 0日フジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー 僕はまだ生きている!」で、ザック・ダンラップ氏は死亡宣告の時刻を覚えていたこと(意識が戻っていた証拠)、そして2009年12月に結婚、2010年10月に1児の父親になり健在なことが放送された。

 以下の枠内は、2008年3月23日のNBC放送から、英語シナリオと日本語訳。和訳は医療を考える会作成の資料をベースにさせていただきました。お礼を申し上げます 。

http://www.msnbc.msn.com/id/23768436/

 2007年11月、オクラホマ州フレデリック在住のザック・ダンラップ氏は4輪バイク乗車中に転倒事故を起こし、ヘリコプターで50マイル離れたテキサス州のWhichita Falls にある脳損傷治療設備の整ったUnited Regional病院に搬送された。

(前略)

 ナタリー・モラルズ(インタビューア):その時点で医者はどう言ったのですか。   
 Natalie Morales: What did the doctors tell you at that point?

 パム・ダンラップ(母):ただ、息子が良くない状態にある、ということだけを言ってくれました。  
 Pam Dunlap: She just said it wasn't good.

 ダグ・ダンラップ(父):医者は、脳の中身が耳から出てきていると言っていました。
 Doug Dunlap: She said brain matter was coming from Zack’s ear.

(中略)

 ザックは人工呼吸装置を着けたので、医師は比較的楽に砕けた鎖骨、複雑骨折した頭蓋骨の状態を調べることができた。なんといっても面倒だったのは出血しているザックの脳内の血圧を安定させるのが難しいということであった。
 With Zack on a ventilator to support his breathing, it was relatively easy for doctors to address his broken collarbone and multiple skull fractures. Far more confounding was stabilizing the pressure building in Zack’s bleeding brain.

 医師レオ・メルサー:脳の損傷はもうめちゃめちゃでしたよ。
 Dr. Mercer: His brain injuries were absolutely catastrophic.

 ナレーション:United Regional 病院の外傷科の科長である医師レオ・メルサーによれば、ザックの容態は時間を追って悪くなる一方だったという。オクラホマのこの若者ザックが、いかなる刺激に対しても反応しないので医師メルサーは彼がもう亡くなってしまったのかと思わざるを得なかった。そこで両親に彼の診断結果を説明した。
 Dr. Leo Mercer, Director of Trauma Services at United Regional, said Zack’s condition deteriorated as the hours wore on. With the young Oklahoman unresponsive to any sensory stimulation, the doctor wondered if they'd already lost him. He apprised Pam and Doug of his findings.

 医師メルサー:ご両親には確認テストをやろうとしていると説明させてもらいました。脳血流検査です。
 Dr. Mercer: I told them that I was going to order a confirmatory test, a brain flow study.

 (スキャナーを前にして)
 (At the scanner)
  通常は二回スキャンします。
 We actually scan it twice...
  血流のスキャンを行うとザックの脳内に血が少しでも流れているかどうかがわかることになる。結果は最悪だった。
 A blood flow scan would determine if there was any blood still coursing through Zack’s brain. The results couldn't have been worse.

 パム・ダンラップ(母親):医師は中に呼んでくれて、コンピュータで血流の画像を見せてくれました。医師の話では黒い部分が血流が全くないことを示しているということでした。
 Pam Dunlap: The doctor took us in and showed us the image on the computer. And he told us the dark areas will be the areas where there's no blood flow to the brain.

 ダグ・ダンラップ(父親):脳全体だったのです。全部でした。全部が真っ黒だったのです。
 Doug Dunlap: And that was the whole brain. That was the whole thing. It was just black.

 ナタリー・モラルズ(インタビュアー):医師は少しでも希望が持てると話してくれましたか?
 Natalie Morales: Were the doctors giving you any sense of hope?

 ダグ・ダンラップ(父親):ザックは脳死状態にある、ということでしたよ。
 Doug Dunlap: They were already saying he was brain-dead.

 (脳内のスキャン画像を見ながら)、
 (Looking at brain scan)
 ナタリー・モラルズ(インタビュアー):この画像を見ると、彼(ザック)は恒久的的な植物人間状態にあったということになりますか?
 Natalie Morales: So, when you see this, I mean, he was in a permanent vegetative state?

 メルサー医師:いえ、彼は死んでいたのです。法医学的に見て、脳死を宣告するという状態にあったのです。
 Dr. Mercer: No, he was dead. He meets the legal, medical requirements for declaring a patient brain dead.

 ナレーション:厳しい選択だったが、ダグラップ夫妻はザックを長期にわたって人工生命維持装置につないでおくことを拒否したのだった。
 Tough as it was, the Dunlaps decided against keeping Zack on long-term artificial life support.

 ダグ・ダンラップ(父親):ザックは精一杯生きたのです。残りの人生をベッドに横たわって過ごすのですか?そんなことがあってはならないでしょう。 
 Doug Dunlap: He lived life to the fullest. And laying in bed the rest of his life? That wasn't an option.

  ナレーション:ダンラップ夫妻は彼を別のやり方で生かしておこうと思っていたのだ。と、いうのはザック自身が夫妻に答えを出していてくれていたのだ。  
 But Pam and Doug were prepared to keep him alive in another way. Zack himself gave them the answer.

 パム・ダンラップ(母):ザックの運転免許証を見たことがあったのですが、彼は臓器提供者(ドナー)だったのです。
Pam Dunlap: I had seen his driver's license. And I knew that he was an organ donor.

(中略)

  ナレーション:ダンラップ夫妻はザックの臓器が12から24時間以内に摘出されるとの通告を受ける。秒読みが始まり、病院は関係者に対しザックは当日の朝11時10分、事故から36時間後に死亡したと通知した。
 Pam and Doug were told they could expect the harvesting of Zack’s organs to get underway within the next 12 to 24 hours. With the clock winding down, the hospital notified authorities that Zack had died at 11:10 that morning -- 36 hours after the accident.
 臓器摘出チームが手配したヘリコプターが着陸しようとしている時、ザックの友人、親戚が集まってお別れをしようとしていた。
 As a helicopter sent by the organ donation team was scheduled to land, friends and relatives gathered to say their goodbyes.
 彼らは、奇跡を目の当たりにすることがあるなどとは思いもよらなかった。
 They had no idea of the miracle they were about to witness.

以下はhttp://www.msnbc.msn.com/id/23768436/page/2/

  ナレーション:ザック・ダンラップは四輪バイクで転倒し、36時間後には死亡との判定を受けた。彼の死はオクラホマ州当局に正式に通知された。ザックの臓器は摘出されようとしていて、両親は葬儀の手配を考え始めていた。家族、友人は病院に集まり、最後のお別れをするようにと言われたのであった。
 Zack Dunlap was declared dead 36 hours after flipping over on his 4-wheeler. Official word of his death was reported to Oklahoma authorities. Zack's organs were expected to soon be harvested and his parents would start to consider funeral arrangements. Family and friends were told to gather at the hospital to say their goodbyes.

(中略)

  ナレーション:その時である、すべてが変ったのが。家族に言わせると、“神の福音”がもたらされたのだ、ダン・コフィン、クリスティ・コフィンという二人の従兄妹によって。二人とも看護師である。
 That's when everything changed. Divine intervention, said his family, that would be set in motion by Dan and Christy Coffin -- Zack’s cousins who were also both nurses.

 クリスティー・コフィン(従妹で看護師):私はザックに呼びかけました。「ザック、そこにいるんだったら、私の言うことが聞こえているのだったら、神様にお願いして、助けてくれと」。10分も経っていなかったと思いますが、私は、これは違うぞ!と思い始めたのです。ザックは死にかけてはいないんだ、と思い始めたのです。
 Christie Coffin: I sat there and I just said to him, "Zack, if you're in there, if you can hear me, ask God to help you.” And I mean it probably wasn't 10 minutes later, I started getting this different feeling in my gut. And I thought, “he's not ready.”

 ナレーション:ダンもザックのバイタルサイン(訳注:体温・脈拍・血圧・呼吸などの生体情報)をモニターで見ているうちに、クリスティーと同じ気持ちを持った。
 Dan wondered the same thing as he looked at the monitor to study Zack’s vital signs.

 ダン・コフィン(従兄で看護師):事態は良くなっているように私には思えたのですよ。  
 Dan Coffin: Things were just looking better to me.

 ナタリー・モラルズ(インタビュアー):そこで、どうなさいましたか?    
 Natalie Morales: What did you do?

 ダン・コフィン(従兄で看護師):ザックの足をつかんで、自分のポケット・ナイフを取り出し、かかとから足先までをナイフで引っ掻いたのです。
 Dan Coffin: I grabbed his foot. I pulled my pocket knife out. And I just scraped from his heel up to his toes.

 ナレーション:ダンとクリスティはとてつもなく驚いた、と言う。  
 Dan and Christy said they got the shock of their lives.

 ダン・コフィン(従兄で看護師):ザックは足を私の手から上へぐいと持ち上げたのです。 
 Dan Coffin: He jerked his foot plumb out of my hand.

 ナレーション:そんなことがあるのだろうか?ザックは生きているのか?  
 Was it possible? Was Zack still alive?

 ブレンダ・ササガ(病室にいた看護師):まずは信じられない、というのが私の感想でした。  
 Brenda Ysasaga: My first emotion was disbelief, of course.

 ナレーション:ブレンダ・ササガは病室にいた看護師の一人だったが、脳死状態にある患者でも珍しくない一種の反射神経反応で、生きていることを示すものではない、といって取り合わなかった。
 Brenda Ysasaga, one of the nurses in the room at the time, wasn't buying it, saying it was a reflex not uncommon even from those who are brain dead -- and certainly not indicative of life.

 ナタリー・モラルズ(インタビュアー):ザックが生きているんだという可能性があるとは思えなかったのですか?
 Natalie Morales: There was no way for you to think that there was going to be a possibility that he could still be alive?

ブレンダ・ササガ(病室にいた看護師):思えませんでしたね。    
 Brenda Ysasaga: No.

 ナレーション:自分でも信じられない気持ちを振り払って、ダンは言ったのだった..   
 Needing to challenge even his own skepticism, Dan said...

 ダン・コフィン(従兄で看護師):「さあ、こうしてみよう!」私はザックの腕をつかんで自分の爪を彼の爪の下に入れてみたのです。爪の下は柔らかいですよね。ザックは手を投げ出してきたんですよ。こんな具合にして…
 Dan Coffin: "Let's try this." So I grabbed Zack’s arm and I stuck my fingernail underneath his fingernail. You know that's a tender area. And Zack just threw his hand over here. And by now this kind of --

 ナタリー・モラルズ(インタビュアー):ザックは腕を動かしたということですね。   
 Natalie Morales: So he physically moved his arm--

 ダン・コフィン(従兄で看護師):そう、ザックは手を私から引っ込めて、自分の体を横切らせたのです。
 Dan Coffin: He physically moved his hand away from me, across his body.

 クリスティー・コフィン(看護師):身が引き締まる思いがしました。そう「おお、なんということが!」という気持ちだったのです。
 Christie Coffin: And I kind of drew up inside myself, you know, and I’m like, “oh my God.”

 ブレンダ・ササガ(病室にいた看護師):私は、まずは「メルサー先生を呼ばなければ」と思いました。  
 Brenda Ysasaga: My first reaction was, "I need Dr. Mercer."

 医師メルサー:いや、実際に私はザック君の体の動きが意図を伴った動きであることを確かめたのです。
 Dr. Mercer: I, indeed, verified that these were purposeful movements.

 ナレーション:意図的動作−−反射的な痙攣ではなく、脳が活動していることを示すものである。ザックが脳死と判定されてから4時間後、病室は突如として興奮の喧騒に包まれることになった。
 Purposeful movement -- rather than a reflex twitch is a telltale sign of brain activity. Suddenly, four hours after Zack was declared brain dead, his room was bustling.
 ダンラップ夫妻はロビーにいて、病室に戻り最後の時を息子と過ごそうかと思っているところだったが、その時、夫妻は引き止められた。
 Pam and Doug were out in the hall, getting ready to head back in to spend their final hours with their son, when they were stopped.  

 パム・ダンラップ(母):臓器移植の機関から来ていた女性がやってきて、こう言ったのです。「すべては中止です」       
 Pam Dunlap: And the lady that we'd been talking to from the organ liaison came in and sat down with us. And she said, "everything has stopped."

 ナタリー・モラルズ(インタビュアー):「すべてが中止」ということは?   
 Natalie Morales: "Everything has stopped," meaning…?

 ダグ・ダンラップ(父):臓器の提供が中止になったということだったのですよ。  
 Doug Dunlap: Towards the organ donation.

 パム・ダンラップ(母):すべてが保留状態になったのです。「一体、どうなっているの?」という気持ちでした。
 Pam Dunlap: Everything is on hold. And I’m just like, "What is going on?"

 ナレーション:ケーシーは兄の病室から騒ぎが聞こえてきたので、病室を覗いてみたのだった。
 Meanwhile, Kacy, who had heard the commotion coming from her brother's room, peeked in.

 ケーシー・ダンラップ(妹):信じられませんでした。「ああ!神様」という気持ちでした。だって、兄が、兄が動いていたんですよ。
 Kacy Dunlap: I couldn't believe it. I was like, “Oh, my goodness.” Because, I mean, he moved.


(中略)

 ナレーション:ザック担当の医師はなおのこと慎重であった。    
 Zack's doctor was even more measured.

 医師メルサー:ザック君が良い状態になるとはまだ思えなかったですね。よし!彼の脳は死んでいないな。でも脳死に極めて近い状態にある、と思ったのです。       
 Dr. Mercer: I still didn't think that Zack was going to have a good outcome. I thought, well, OK, well, he's not brain dead, but he's pretty close to it.  

 ナレーション:しかし、勇敢にも読み書きを学ぼうと努力したことのあるザックが今また頑張って闘っていた。いや、彼は頑張ったなどというものではなかったのだ。生き返ってから5日後に、ザックは目を開けたのだ。
 But the boy who had struggled valiantly to learn to read and write was now fighting hard to hang in. In fact, he did better than that. Five days after Zack "returned to life," he opened his eyes.

 パム・ダンラップ(母):うれしくて、涙が出ました。     
 Pam Dunlap: It was tears of joy.

 ナレーション:2日後、人工呼吸器が外れ、自分で呼吸をするようになると、ザックの回復はめざましかった。まさにその日のこと、ザックは両親の手をぎゅっと握りしめるようになった。
 Two days later, Zack showed more progress when he was taken off a ventilator and began to breathe on his own. That's the same day, the Dunlaps said, he started to squeeze their hands.

 パム・ダンラップ(母):ザックが意識してそうしたかどうかはわかりません。でも、きっとそうだったのだろうと思いたいのです。
 Pam Dunlap: We don't know if he was doing that really on purpose yet. But we like to think he was.

 ナレーション:しかし、ザックは脳を損傷した重症患者ではなくなっていると言える時が来るのだろうか?その答えは翌週、ザックの脳外科医がザックに指2本を持ち上げてみるように言った時に出た。
 But when could anyone be sure Zack could ever be more than a profoundly brain-damaged patient? That answer came the following week, when Zack’s neurosurgeon asked him to hold up two fingers.

 医師ランガム・グリーソン:ザックは指を持ち上げたのです。その時初めて私は彼は意識があるんだなと思ったのです。そう、彼は意識がありました。彼は精一杯がんばっていたのですよ。
 Dr. Langham Gleason: And he did that. And that was the first time I realized that he was aware. He was awake. He was "in there," as they say.

 ナレーション:意識を取り戻した日から12日後の12月2日、ザックは初めて両親に話しかけたのだった。
 On Dec. 2, 12 days after his startling reawakening, Zack spoke his first words to his parents.

 パム・ダンラップ(母):ザックはあたりを見回して、そして言ったのです「愛してるよ」
 Pam Dunlap: He looked around, and he said, "I love you."

(中略)

 ナタリー・モラルズ(インタビュアー):脳損傷外科医として21歳の若者が生き返ったのを見て、医学的に何か説明ができますか?
 Natalie Morales: As a trauma surgeon and seeing this 21-year-old coming back to life, do you have any sort of medical explanation that you know of? 

 医師メルサー:いや、説明できないですね。  
 Dr. Mercer: I don't.

 ナタリー・モラルズ(インタビュアー):何か治療に間違いがあったとか、家族からザックがドナーだということを聞かされていたので、脳死判定を急いだ、というようなことはありませんか?
 Natalie Morales: Were any mistakes made, or was the process rushed along in any way to declare him brain dead because the family made you aware that he was an organ donor? 
 
 医師メルサー:いや、我々は急ぐということはしませんでしたよ。絶対にそんなことはしないですよ。
 Dr. Mercer: No. We didn't rush anything along. We certainly don't do that.

 パム・ダンラップ(母):ザックの検査を見ていました。しっかりと見ていました。すべて手順どおりに行われていたと思います。ザックは“死んだ”のです。   
 Pam Dunlap: We saw the test. We saw it. They followed every procedure. He was gone.

 ナタリー・モラルズ(インタビュアー):そうすると、誰にも責任はないということになりますか?    
 Natalie Morales: So there is no blame?

 パム・ダンラップ(母):ええ、奇跡が起きたのです、誰にも責任はないですよ。これからも誰にも責任が問われることはないでしょう。
 Pam Dunlap: There's no blame in a miracle. And there never will be for us. 

 ナレーション:検査が誤る可能性もないわけではないが、ザックの担当医師は彼の検査結果は正確なものであったと主張し、さらには臓器摘出の前に何らかの生命の徴候があればそれを見逃すはずはなかったと言っている。医師達はザックの生還を医学的見地から説明できないでいるが、ただ21歳の若さと健康が有利に作用したのだろうと言っている。
 While tests can be fallible, Zack’s doctors insist the results of his were accurate, and that the hospital would have detected Zack’s renewed vital signs before any organ harvesting. While doctors here haven't been able to explain Zack’s return from a scientific standpoint, they said the 21-year-old's youth and good health prior to the accident worked in his favor.

 ナレーション:奇跡は続いた。悲惨な事故からちょうど5週間後のこと、ザックはオクラホマのJim Thorpe リハビリテーション病院に転院して、そこで更に驚くべき回復を見せた。
 And the miracle continued. Just five weeks after Zack’s catastrophic accident, he graduated to the Jim Thorpe Rehabilitation Hospital in Oklahoma City for the second phase of his astounding recovery.

 医長アマル・ムーラッド:脳に損傷を受けたら、医学的にもまた感情面からいっても元と同じ状態には決して戻れないものです。ザックの場合はほぼ正常といえますが、100%というわけではない。今後、時の経過とともにわかってくると思います。
 Medical Director Amal Moorad: Anytime you have severe brain injury, you'll never be the same again from a mental, emotional standpoint. Zack will be very close to normal, but not 100 percent, and only time will tell us.

(中略)

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):舗装道路に激突したのを覚えています?   
 Natalie Morales: Do you remember hitting the asphalt?

 ザック・ダンラップ(本人):ちょっと前までのことは覚えているのです。でも事故のことは覚えていないのです。
 Zack Dunlap: I remember a little bit before it. But I don't remember the accident.

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):これまでのことで何を覚えていますか? 何をしていました?
 Natalie Morales: What do you remember of the moments leading up to it? What were you doing?

 ザック・ダンラップ(本人):病院をさっさと出なきゃと思ってましたよ。  
 Zack Dunlap: I was just hauling tail.

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):病院を出るですって?    
 Natalie Morales: Hauling tail?

 ナレーション:ザックが入院初日のことから覚えているというのは驚くべきことだった。皆が既にザックは死んだと思っていた時に、彼は医師が彼のことについて話しているのを聞いたと言っているのだ。
 Something Zack claimed to remember from his first days in the hospital was startling: that when people thought he was already gone, he overheard a doctor talking about him.

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):医師が何を言っていたかを覚えていますか?
 Natalie Morales: What do you remember the doctor saying?

 ザック・ダンラップ(本人):彼は死んだ、と
 Zack Dunlap: That he was dead.

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):聞こえたのですか?
 Natalie Morales: You heard that?

 ザック・ダンラップ(本人):聞こえました、それで心の中は狂わんばかりになりました
 Zack Dunlap: I heard it and it just made me mad inside.

(中略)

 ナレーション:ザックは脳死を宣告されてから48日後にリハビリ病院を退院し、家に帰り、ヒーローとして迎えられた。
 Zack left the rehabilitation hospital 48 days after he was declared dead and came home to a hero's welcome.
 

 

フジテレビ 奇跡体験!アンビリバボー 2011年2月10日放送「僕はまだ生きている!」

(下記はhttp://www.fujitv.co.jp/unb/contents/505/p505_1.htmlの部分、現在は公開期間終了で削除されている)

 (前略)

 ザック・ダンラップさん1986年10月1日生まれ。ザックは生後15日で、消防士のダッグ・ダンラップと教師をしている妻、パムのもとへ養子として迎えられた。ザックは綺麗な青い瞳がとても印象的な子供だった。
 しかし、成長するにつれて、思いがけない試練が訪れる。重度の難読症でがあることが判明したのだ。それでも、母・パムが毎日文字を教え、ザック本人が必死に努力した結果、無事に高校を卒業することができた。
 そして、念願だった運転免許を取った時に、ザックはあることを心に誓っていた。それから休日は4輪バイクに夢中になった。

 そんなある日のこと、運転操作を誤ったザックは、身体を投げ出され、硬いアスファルトの上に頭から激突し、大量の血が流れ出していた!!連絡を受けたパム達ははすぐに病院に駆けつけたが、状況は最悪だった。ザックは、脳の一部が耳から出て来ている状態だったのだ!!
 この病院では、充分な対応が出来ないため、ザックは50キロ離れた大病院へ、ヘリで緊急搬送された。しかし、その病院に運ばれたところで、助かる見込みはほとんどなかった。脈拍は40を切り、痛みへの刺激に対しても反応はない。自立呼吸も出来ず、瞳孔の反応も失われていた。
 だが、絶望感が漂っていた集中治療室で信じられないことが起こっていた。なんと・・・脳に深刻なダメージを負い、生体反応も失われていたのにも関わらず、ザックには意識があったのだ!!
 やがてザックも自分の置かれている状況を理解し始めた。だが、意思表示をしようとしても、全く体の自由がきかなかった。両親や医師の会話は聞こえるのだが、それに応えることができない。そう、覚醒しているのは意識だけ。

 そして、さらなる衝撃の事実が発覚する!!ザックの脳を写した画像は深刻な状況を表していた。血流や代謝を測定するPET検査で脳の部分が真っ黒になっていた。
 脳内に全く血液が流れておらず、自発呼吸はなく、刺激に対する反応もない・・・全ての結果が脳の基準に達していたのだ。脳死とは、心肺機能に致命的な損傷はないが、脳の活動が回復不可能な段階までに低下してしまった状態のことである。その判定基準は国や地域により異なるが、この病院では昏睡状態であることを前提に、自発呼吸の消失、心拍数の低下、痛みへの無反応、対光反射や角膜反射などの脳幹反射の消失、さらに脳のPET画像で脳内の血流が完全に停止していることを確認。これら全ての結果を総合し、脳死状態であると判定されたのだ。
 ちなみに、判定基準の厳しい日本では、判定の経験がある2名以上の医師で行うことが義務付けられており、昏睡状態、瞳孔固定(両側直径4mm以上)、脳幹反射の消失(刺激などの反応)、平坦脳波(刺激を与えても30分以上平坦)の、4つの条件を満たしたあと、自発呼吸の消失を確認、さらに6時間後にもう一度同じ確認を行ない、同じ所見であると認められた場合のみ、脳死と判定される。
 意識があるにも関わらず、脳死と判定されてしまったザック、そこに問題はなかったのだろうか?日本の脳神経外科に状態を確認してもらった。工藤千秋医師「やはりアメリカの脳死の判定基準をしっかり満たしていらしゃった症例、つまり残念ですけれども脳死の状態にいた方ではないかと想像致します」

 脳死状態にありながら、意識を回復したザック。皮肉なことに彼の善意がとんでもない事態を招いてしまう。実はザックは、運転免許を取ったときにドナー登録をしていた。ザックは、脳死状態に陥ったときに臓器を提供すると意思表示していたのだ!!
ザック「俺はまだ生きてる!!死んでない!!」
 だが、その声は届くことはなく、臓器提供の準備が着々と進められていった・・。
 移植ついて説明する医師にパムは一つだけ条件をつけた。パム「ザックの美しい目だけは、どうしても決心がつきませんでした」そして、瞳は移植リストからはずされた。
 ほどなく、2度目の脳死判定が行なわれた。 PET検査や各種の反応にも、なぜか変化は見られなかった。そして、11月19日、11時10分。事故から40時間後、ザックの死亡が告げられた。
 今後12時間以内に、ザック君の臓器摘出手術が行なわれることになった。新たに刻まれ始めた、本当の死へのカウントダウン。果して声にならないザックの叫びは、家族に届くのか?臓器摘出まであと12時間!!

 両親の呼びかけに、まず最初に到着したのは・・・親友のコルトンだった。さらに、ザックの妹キャシーや祖母のナオミも最後の別れを告げに、病院にやってきた・・・。そしてついに両親にも別れの時が訪れる・・・。声にならない叫びでザックが命の危機を訴えているころ・・・臓器移植のコーディネーターが病院へと到着。
 一方その頃、従兄弟夫婦のダンとクリスティもザックのともとへやって来た。看護士である二人は、職業経験から、各種の検査結果が脳死状態を裏付けていることを確認した。だが、二人はザックは生きているという奇妙な感覚に捕われていた。
 ダンは確かめずにはいられなかった。ダンはナイフを手に持ち、ザックの足の裏に振り下ろした。
 ダン「医療の神経の反応を見るために足の裏を刺激する検査が行なわれます。通常はペンを使いますが、ポケットナイフで代用したのです。」
 その時、何とザックは刺激に反応したのだ!!
 看護士「心臓が完全に止まってしまった遺体でも萎縮していた筋肉が伸び稀にそういう反射を起こすケースもあります」
 ダン「確かにも脳死した患者でも条件反射を示すことがあります。そこで私はもう一度、違う箇所に刺激を与えることにしたんです」
 ダンはザックの手を取ると・・自分の爪を、ザックの爪の間に思いっきりねじ込んだ!!すると!!痛みに反応したザックは腕を引っ込めたのだ!!

 その頃パム達は、移植コーディネータから今後の流れについて、説明を受けていた。そこへ看護士から報告が医師に入り、移植は急遽中止された!!それは、移植チームが到着するわずか前の出来事だった・・・。
 すぐさま主治医は、ザックの身体を再検査した。彼の反応が、本当に意図的な運動であるのかどうか・・・。そして、ザックの反応が決して反射的な痙攣などではないことを確認したのだ!!つまり・・・ザックの脳は死んでいない、彼はまだ生きている!!
 それは、移植チームが到着寸前、まさに間一髪だった!!だが一旦、脳死状態になったザックが、目を覚ますかどうかは、彼の生命力にかかっていた。

 そして、生体反応から5日後、奇跡が起こった!!なんとザックが目を覚ましたのである!!確かに彼は、生き返ったのだ!!さらにその驚異的な回復ぶりは、病院の医師全員を驚かせた。まさに死の淵から奇跡の生還を果たしたザック。
 しかし、一度脳死と判定された患者が、本当に生き返ることがあるのだろうか?医師・レオ「脳死と判定する確認も正確に行ない、ミスなどあり得ませんでした。なぜこうなったのか、わかりません。」
 パム「医師たちは慎重に正規の手順を踏んでいました。診断は正しく、ミスもなかったと思います。ですからこれは、奇跡なんです!」
 一方、脳の血流停止を疑問視する医師もいる。神経内科医・米山公啓医師によると、血流が完全に停止していて、数十時間後に復活するというのはあり得ないという。故に米山医師は、微量の血流があった可能性を指摘し、大胆な仮説を提示する。米山医師「ある程度流れた状態で、回復してきたということは、私達が思っている以上に脳は回復力があるんだと。神経学では分からない未知の脳の再生力があるような気がします」

 医学の常識では説明がつかないザックの生還。しかし、奇跡はそれだけではなかった。
 ザック「記憶障害があるのでもう忘れてしまった事も多いですが皆がすでに僕がこの世を去っている最後の別れを告げるのを耳にしました。そして医者が、僕の死亡宣告をしたのも覚えています。今覚えているのはそこまでです。」
そして、なんと!ザックは死亡宣告された時間を知っていたのだ。
 死亡宣告の時刻を覚えていたことは、ザックの意識が戻っていた証拠と成り得る。かくして、病院に運ばれてからの出来事を覚えていたザックの証言は、関係者に大きな衝撃を与えた。
 果たして、脳死の状態でそんな事はあり得るのか?この疑問に対し、一人の医師が興味深い説を提案する。脳神経内科医・古川哲雄氏「脳幹の中に上行性脳幹網様体というのがありますけども、その部分が残っているとやはり意識は残っていると思いますね。脳死の患者さんでも家族が面会に来ると、特にお母さんがくると涙を流すという例があるんですよね。表情が違うと言う。これ実際に患者さんを見ている人はよく言われます。しかしこういった変化はつかむ事はできないわけですよね。脳幹の下の電気活動これはひろう事はできないわけですよ。だけど脳幹の一部は残っている、意識は残っていますからね」

 ザックの生還を説明する答えは今も見つかっていない。それでもこの事件は、アメリカの医学界にも大きな変化をもたらした。州ごとにばらつきがあった脳死判定基準を統一し、さらに精度を高めるための改定が行なわれたのだ。
 一方、事故の後遺症が心配されたザックだが、事故前後の記憶障害と、わずかな運動障害が残っただけで、5週間後に転院。懸命なリハビリのおかげで、日常生活にはほぼ支障がないまでに回復していった。そして、リハビリから48日後、ザックは地元の人々の熱狂的な歓迎を受け、自宅に戻った。

 死亡宣告から3年。現在、ザックはどうしているのだろうか?自宅を訪ねてみると・・・なんと彼は一児のパパになっていた!!
 事故からおよそ2年後の2009年12月に結婚をし、昨年10月には愛娘のハーレーちゃんが誕生した。肩の痛みや聴力など、僅かな障害が残っているが、普段の生活に支障がないところまで回復した。
 そんな彼には今でも大切しているお守りがある。それは、ダンが自分の反応を確かめるために使ったナイフ。ザック「苦しくても、諦めない気持ちを忘れないよう、このナイフを持っています」

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D201010=2010年12月22日付ニューヨークタイムズ記事「Hit by a Truck and Given Up for Dead, a Woman Fights Back」http://www.nytimes.com/2010/12/22/nyregion/22about.html、そして2011年1月25日付RADIOLAB音声「Finding Emilie」 http://www.radiolab.org/2011/jan/25/finding-emilie/

 2010年10月8日、ブルックリンでEmilie Gossiauxさん(21歳女性)はトラックにはねられ、Bellevue Hospital Centerに搬送された。第2病日、母親のスーザンさんはナースから「娘さんは亡くなられた」と聞かされ、臓器提供を打診された。臓器提供に同意後、母親スーザンがエミリーに話しかけている時に、エミリーは左手を上げた。

*2010年12月22日付ニューヨークタイムズ記事http://www.nytimes.com/2010/12/22/nyregion/22about.html=Ms. Gossiaux was riding her bicycle in Brooklyn on the morning of Oct. 8 when an 18-wheel truck making a right turn struck her. Once she arrived at Bellevue, her heart stopped for about one minute after she went into cardiac arrest. She had suffered a traumatic brain injury, a stroke and multiple fractures in her head, pelvis and leg.
 Ms. Gossiaux’s mother said that on the second day a nurse told her that her daughter was gone, and asked about organ donations.
(中略)
 After the nurse told her that her daughter was gone, Susan Gossiaux was whispering in her ear when Ms. Gossiaux suddenly raised her arm.
“I had the head doctor of surgical I.C.U. say, ‘Miracles happen,’ ” Susan Gossiaux, 59, said.

*2011年1月25日付RADIOLAB音声=エミリーさんと母親のスーザンさん、ボーイフレンドへのインタビュー音声をhttp://www.radiolab.org/2011/jan/25/finding-emilie/で聞けます。ダウンロードも可能(19.7メガバイト)。再生時間の7分40秒〜9分14秒までが、臓器提供決定後・脳死否定の部分です。
 臓器提供に同意後、母親スーザンがエミリーの耳元で、「愛してるからね、一生愛し続けるから。それはずっと変わらないから」と言うと、エミリーが左手を上げたこと。皆がパニックになって、ナースを呼び、医師を呼んだこと。インタビュアーも驚いて息を飲んだ雰囲気が、インタビュー音声からわかります。エミリーさんは18分頃から登場します。夢のような状態だったこと、アウトプットができない状態だったことも語っています。

 エミリーさんは2011年1月に退院、その後もリハビリを続けていることが報道されました。http://edition.cnn.com/2011/HEALTH/01/21/brain.injury.recovery.giffords/index.html

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D2=Gail A Van Norman(Department of Anesthesiology, University of Washington):A matter of life and death: what every anesthesiologist should know about the medical, legal, and ethical aspects of declaring brain death、Anesthesiology、91(1)、275−287、1999(上記A1と同じ文献)
 
要旨:麻酔科医は臓器摘出予定日に、挿管された若い女性に対光反射、角膜反射、催吐反射のあることを発見した。それまでの管理が見直されエドロホニウム10mgを投与したところ、患者は咳き込み、しかめつらをし、すべての手足を動かした。臓器提供はキャンセルされた。頭蓋内圧が治療により徐々に下がり、患者は意識を最終的に取り戻し帰宅したが、神経学的欠損に苦しんだ。
原文:An anesthesiologist requests that his/her department review the events surrounding a potential organ collection. A young woman receiving intravenous magnesium sulfate for pregnancy-induced hypertension suffered seizures several hours after vaginal delivery. After the seizures, she was unarousable and posturing. She was intubated after intravenous administration of 4 mg pancuronium, and a computed tomography scan showed coning , diffuse edema, and occipital lobe infarcts. A neurologist determined that the patient had suffered a ''catastrophic neurologic event '', Intravenous esmolol that was being infused to control blood pressure and heart rate was discontinued, and permission was obtained from the patient' family for the patient to become a vital organ donor.
 On the day of anticipated organ collection , the anesthesiologist found that the donor had small, reactive pupils, weak corneal reflexes, and a weak gag reflex. The esmolol infusion was reinstituted Further review of the patient's chart showed the previous administration of pancuronium, and a serum magnesium level of 5.1mEq/l, more than 2.5 times normal several hours after the magnesium infusion had been discontinued. After the anesthesiologist administered edrophonium 10 mg intravenously, the patient coughed, grimaced, and moved all extremities.
 Vital organ collection was canceled, and after consultation with a neurosurgeon, the patient underwent placement of all intracranial pressure monitor. Intracranial pressure was initially 18 cm H2O and gradually decreased with therapy to 10 cm H2O. The patient ultimately regained consciousness and was discharged home. She was alert and oriented but suffered from significant neurologic deficits.

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D3神戸生命倫理研究会:脳死と臓器移植を考える 新たな生と死の考察(単行本)、メディカ出版、1989
 
 米国心臓移植実態調査報告 (p195)特筆すべき個別的な事柄として、スタンフォード大学のドナー・コーディネーターであるM・ブラウン(Registered Nurse)は、過去5年間の経験のなかで、3例の「早すぎた脳死判定」が存在したという。この事実は、現在の米国での脳死判定が100%確実なものとはいえないことを示している。(p219〜p220)外科医(レジデント)・手術場ナース・ドナーコーディネーター等5人1チームで臓器を取りに行くが、約300の臓器調達経験の中で3例の「早すぎた脳死判定」があり、いったん行ったが、引き返したこともある。

 

D4=Simon D.Levin(McMaster University Medical Center):Brain death sans frontiers、The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE、318(13)、852−853、1988
 
 37週で出生した2530グラムの女児が、生後41時間後にカナダの脳死判定基準を満たした。動脈血二酸化炭素分圧を54mmHgまで上昇させて、自発呼吸がなかった。米国の移植組織により 心臓の利用が検討され、60時間後に米国の脳死判定基準(無呼吸テスト時に動脈血二酸化炭素分圧を60mmHgまで上昇させる)にもとづいてテストされた。この女児は動脈血二酸化炭素分圧が59mmHgまでは無呼吸だったが、その後64mmHgに上昇するまでsteadilyな(しっかりとした)呼吸をした。臓器提供の同意は、両親により撤回された。 米国、カナダ、英国の脳死判定基準は、無呼吸テストで自発呼吸がないことを確認する動脈血二酸化炭素分圧レベルが異なる(英国は50mmHg、カナダは50mmHgから55mmHg、米国は60mmHg)。

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#1969

D5=ハロルド・クローアンズ(ラシュ 長老派 聖ルター・メディカルセンター 神経内科学教授)、加賀 牧子監訳、生と死の間(白揚社)、1995

 ドナー候補者が、頸髄損傷で自発呼吸が消失していること、意識のあることが判り、臓器提供は中止されたが・・・・・・。以下はp326〜p338掲載の「22章 一番になること」から部分

一番になるということ

 それは一九六〇年代の終わりのころで、戦いの最中であった。戦争ではなく、月に最初の人間を送る競争でもなかった。月への第一歩はもうすでに勝利を手にしてしまっていた。そんなことよりもっと大事なことだった。つまり、私たちの病院の経営についてだったのである。それは名声や、地位、評判などについての競争であり、それによって新しい患者さんが得られるかどうかということなのだった。なぜなら、私たちの病院は患者さんからの評判は上々で、ベッドは満床なのに、経営状態は最悪だったのである。そこで、心臓移植を行うシカゴで初めての医療センターになるために、競争しなければならないというわけだった。
 その一番になると、ありとあらゆるおまけがついてくる。テレビニュースやら、新聞記事、人の噂などがそれである。つまり、心臓手術のために、どこかに紹介しなければいけない患者さんを抱えている中西部じゅうの医師に対して、心臓移植といったらこの病院、と思わせることになるのである。

(中略)

 あと足りないのはドナー〔臓器提供者〕だけだった。
 ほかのだれかが手に入れてしまう前に。
 次のような記事が合衆国じゅうに公開された。
 「求む。心臓提供者一名。何らかの事故により突然亡くなった方で、直前まで健康だった方」
 そんな事故は毎日起こっている。
 しかし、その提供者はある特別な状態で死んでいる必要があった。つまり、脳は死んでいて心臓は動いているという状態だった。
 私たちはついにドナーをひとり得ることができた。
 そこで、私が巻き込まれることになった。ドナーが確かに死亡しているということや、少なくとも脳死の状態であるということを確認するのは、神経内科医である私の仕事だった。というのも、死というものが突如として単純な問題でなくなるからである。私は主任教授から、ドナーの脳死を確認するために、昼も夜もいつでも呼び出しに応じられるように、と言われていた。
 「誰の決定ということになるんだろう?」私は、心配そうな外科医チームといっしよに彼らの吐く息を首のあたりに感じながら患者/ドナーを診察するのはどうも、と思いつつたずねた。
 「先生だよ」
 「私ひとりの?」私はそうたずねた。
 「そう」
 まあ、それが正しい方向へのワン・ステップであろう。つまり心臓血管外科医は口を出さないということだ。また、彼らは口を出すべきではない。全く公平な立場というわけにはいかないからだ。
 「どんな診断基準を使おうか?」
 「先生のでいいよ。いつものでさ。どれでも適当と思うもので」
 「もしみんないっしよにこの仕事から手を引ければ、それがいちばん適当だと思うけれどね」
 「そうはいかない」と言われてしまった。
 私は頷いた。何が求められているのかはよくわかっていた。
 脳死の診断基準は複雑なものではなかった。脳機能が衰えて、ある一定の時間、脳の活動が完全になくなった状態を脳死という。しかしそこには三つ、落とし穴がある。どうやって脳が働いていないと証明するのか?働いていない脳がもとに戻らないと確かにいえるのか?そして、それはどのくらいの時間続いているのか?
 神経内科医なら誰でも、脳幹に仕組まれたあの基本的な、本質的な機能の何をテストするか知っている。調べなければならないことはごく僅かしかない。それには五分とかからない。
 動きはあるだろうか? 自発的な動きにせよ痛み刺激に対する反応にせよ。
 呼吸はしているだろうか? これこそ脳の働きにほかならないのだから。
 瞳孔の対光反射はあるか?
 眼球は動くか?自然にか?強い刺激に対して反応するか?いちばん強い刺激にはどうか?
これは冷水を耳に入れてテストする。冷たい水が内耳を刺激して目を動かすものである。これが脳幹に刺激を与えるいちばん強い刺激である。
 それと脳波検査。つまりEEG。脳死では脳の活動を示す波は、どこまでも平らでなければならない。
 私は準備OKだと思っていた。なんて楽天的なのだろう。

 最初の電話は木曜の夜、十一時半にかかってきた。ペオリアというところでドナーが見つかったということだった。彼は二十五歳で、車を運転していて自分で本に突っ込んだという。事故現場では明らかに死んでいたというのだ。
 「彼は酒を飲んでたか?」私はたずねた。
 「それが何か関係あるのかい?」心臓外科医は答えた。
 「もし血液中のアルコール濃度がひじょうに高ければ、脳死と断定することができないんだ。脳機能が活動していないのは、アルコールのせいかもしれないからね」
 そして私は、木に突っ込むような若い運転手のほとんどは、酒を飲んでいるものだと自分に向けて言い添えた。
 「そんな邪魔をしないで」彼は状況を明らかにしようと、一言付け加えた。「彼を、飛行機でシカゴに運ぼうと算段しているところなんだ」
 「医療用緊急輸送機で?」
 「いや、個人の飛行機で。セスナ機だ。彼はあまりケアを必要としないんで、誰かがアンビューで呼吸を補助してくれるんだろう」
 アンビューは手で操作する呼吸器のことだ。フットボールの内側の空気袋のようになっていて、これに患者の気管の中に入れた管を接続する。操作をする人は、空気の充満した大きなゴムの袋を圧縮することにより空気や酸素を患者の肺に送り込んで呼吸をさせるのである。
 四人しか乗れないセスナ機に患者をのせ、ずっとアンビューで呼吸の補助をしながら、急いでシカゴに運ぼうとしていた。彼らはドナーが二時ごろには到着できるだろうと考えていた。それから受供者を呼び寄せ、四時ごろまでには開胸手術を始められるだろうと期待していた。私か必要になったところで、また電話がくる。二時間くらいだろうか。
 明け方の二時を少し回ったころ、私は病院へ到着した。トム・ペントンは外科の集中治療室にいた。彼はアイオワ州から来た農場主の息子だった。受供者のマーチン・ルイスもやはり同じ集中治療室の別の部屋にいて、手術を待っていた。
 心臓外科医は私に挨拶をした。「アルコールは入ってないよ。一滴も飲まないそうだ。宗教上の理由か、何か理由があって。薬もやらない。フィアンセに確かめてみるといい。ベッドサイドにいるから」
 二人の患者は、どっちがどっちかたずねるまでもなかった。集中治療室の一方では、ざわざわと活気にあふれていた。心臓外科医が四人、つまり全員勢揃いだ。そして心臓外科のフェローが三人とレジデントたち。看護婦、検査技師、それに病院当局の人々も待機していた。そのうえ広報からも誰か来ていたし、慈善団体の副会長まで揃っていた。
 そしてICUのもう一方の隅では、すべてがずっと静かだった。
 患者がひとりだけいた。
 人工呼吸器が一つ、シューッ、シューッと音を立てていた。アンビューバッグでなく完全な人工呼吸器に取り換えられていた。
 技師がひとりだけ、トム・ペントンの頭に電極をつけていた。
 そして、すっかりうろたえてしまった若い女性がひとり。

(中略)

 私は彼女のほうに足を運び自己紹介した。私の役割については話さなかった。彼女の悲しみや当惑をさらに増加させる理由もなかった。彼女のトムはもう死んでしまったのだ。土地の医者が死んだトムの体に空気を押し込んでいるとき、彼女は同じ飛行機に乗っていたのだった。
 「私は神経内科医なんです」私は切り出した。彼女に告げなければならないことがあった。
 彼女は黙っていた。私たちは人工呼吸器と脳波検査技師を眺めながら並んで立っていた。
 私は彼女に脳波検査技師が今、何をしているのかを話した。
 相変わらず彼女は黙っていた。
 返事をしてくれるのは人工呼吸器が休みなく出す音だけであった。シューッ、シューッ。
 私は彼女に、自分がしなければならないことを話した。
 彼女は何も言わない。
 シューッ、シューッ。
 自分がこれからどんなテストをするのか話した。痛覚反応。対光反射。耳の中に冷たい水を入れるテスト。
 彼女は黙ったままだった。そして、私のほうはけっして彼女を見ようとしなかった。彼女の目はトムに釘づけにされていたのだった。
 シューッ、シューッ。
 私はさらにさらに話しつづけた。
 彼女はまるで私の言うことを聞いていないかのようだったし、私など存在しないかのようだった。
 彼女の世界は、彼女とトムと人工呼吸器だけになっていた。じきに呼吸器のスイッチは消され、彼女はほんとうにひとりになってしまうだろう。
 私かベッドの頭のほうにまわっていったとき、脳波検査技師が私に微笑んだ。私はペンライトを取り出し、トム・ベントンの目を開こうとした。
 「耳が聞こえないんですよ」
 私は手を止めた。
 「聞こえないって、誰が?」何を聞かされるのか怖かったが、私は静かにたずねた。
 「婚約者ですよ」
 それはまるで、ウディーアレンの映画の一場面に入り込んでしまったような感じだった。
 「それじゃ、患者さんのほうは?」私はたずねた。
 技師は肩をすくめて見せた。
 私は婚約者のほうに向き直り、「私は医師のクローアンズです」と話しはじめた。
 彼女はわずかに頷いた。
 「私は神経内科医です」
 彼女はかすかに微笑んだ。
 「私がトムを診察します」
 「はい」彼女は、奇妙な音調のほとんど抑揚のない声でそう言った。
 「あなたは読話ができるんですか?」
 彼女は頷いた。
 遠回しの言い方はもはや必要なかった。
 「トムは耳が聞こえませんでした?」
 「はい」
 これこそ私が恐れていたことだった。
 私は彼の右目にライトを当てた。
 右目には反応が見られた。瞳は素早く収縮した。
 正常だ。
 ライトを今度は左目に当てた。
 やはり正常に反応した。
 彼の脳幹部は働いている。
 トムは脳死なんかではない。
 それどころか彼の脳幹部は機能していたのである。正常に。
 私は婚約者のほうに向き直り、彼女の名前をたずねた。
 「エヴァー、グッド」各音節がまるでそれぞれ別の言葉のように答えた。「フラン、セス・エヴァー、グッド」
 「フランセス、トムは読話ができますか?」私はたずねた。現在形に変えたことに彼女が気がつかないよう願いながら。
 「はい」と彼女は言った。声の調子と全体の様子で、彼女が気がついたのは私でもわかった。
 トムの目は相変わらず開いたままだった。まぶたは閉じた位置にはなかった。トム自らの努力で開いたままになっているのだった。
 私は、自分の顔が彼の目の上にくるように移動した。
 「トム」私は話しはしめた。
 彼の目は大きく開いた。
 彼は起きていて意識もはっきりしていた。
 脳死だって、まったく!
 「トム」私は繰り返した。「目を上下に動かしてごらんなさい」
 彼はそのとおりに行った。
 「私の言うことがわかるんなら、今度は目を上下に二度動かしてください」
 彼はそうした。
 一度。
 二度。
 「左右に動かして」
 彼は従った。
 「今度は、目を上下に動かすのは<はい>ということで、左右に動かすのは<いいえ>ということにします、わかりましたか?」
 上下に動いた。
 彼は理解したのだ。
 フランセスも理解した。彼女は明るく微笑んでいた。

(中略)

 この事態を再構成してみるのに、さほど時間はかからなかった。トムは事故のときに猛烈な打撃を受け、警察官が来たときには意識を失っていたのだった。彼の心臓は動いていた。
 救急車が来たとき、彼は呼吸をしていなかった。そこで挿管チューブがのどに入れられた。
 今、彼は意識を取り戻した。しかし、なぜ彼は呼吸をしていなかったのだろう?
 答えは私をぞっとさせるものだった。
 「右手を上げてください」私はそう言った。
 彼にはできなかった。
 左腕もだめだった。
 脚も動かなかった。
 トム・ベントンは首の骨を折っていたのだった。そのために呼吸ができなかったのだ。首から下のどの筋肉も動かせなかった。
 おまけに、のどに押し込まれた挿管チューブのために話すことができなかった。
 急性の頸部外傷の治療は直ちに固定することである。コメディカルのスタッフだったら、どの職種の人だってそのことを知っている。救急医療介護の講習を受けた人だって。ボーイースカウトの団員も。しかし、トムの頚部は固定されていなかった。
 まるでその逆だった。
 彼が、アンビューで体の中に空気を入れられ頭を前後にバタバタさせながらセスナ機の中で縛られている姿を私は頭に浮かべていた。頸髄損傷から回復できる可能性が何かしらあったとしても、今はもうすっかりなくなってしまっているのは疑いなかった。
 彼はいつ意識を取り戻したのだろう?
 飛行機の中で意識はありましたか?
 目は上下に動いた。
 救急車の中でも?
 やはり上下に。
 チューブを入れたときは?
 目は左右に動いた。
 そのときはまだだった。とすると、挿管した直後というわけだ。
 「君を救急車で運ぶちょっと前ですか?」
 上下に。
 「医療スタッフが話していたことがわかりましたか?」
 上下に。
 そして彼は泣きはじめた。
 「誰も君の心臓を取ったりはしませんよ」彼は泣きつづけた。
 脳波検査技師は電極をはずしにかかっていた。
 心臓外科の主任医師が私たちのところへ歩み寄ってきた。「いつ渡してもらえるのかい?」
 「永久にだめ」私は言った。「クローアンズ先生、邪魔をしないでくれよ。その心臓さえもらえればいいんだ」と彼は言った。
 「ちくしょう」。私は説明してやった。
 私の頭の中には、セスナ機の中で前後に弾んでいるトム・ペントンの頭のイメージがまだあった。彼を迎えに行ったセスナ機の。
 トム・ペントンは脳神経外科に入院した。そして頸部を固定するための手術を受けた。しかしトムはそれ以上よくはならなかった。回復は不可能だった。彼の脊髄は、回復どころかめちゃめちゃになってしまっていた。彼は、集中治療室で人工呼吸器につながれたまま だった。
 私はけっして彼を忘れなかったが、回診で彼を診るのはやめてしまった。私か彼にしてあげられることは何もなかった。そしてある日、外科の集中治療室で他の患者を回診しているときに、彼がいないことに気がついた。私は婦長にどうしたのかたずねた。
 「彼は亡くなりました」婦長は答えた。
 「どんな経過で?」
 彼女は肩をすくめてみせた。それはある夜遅くのことだったので、彼女は本当のところを知らなかった。

(中略)

 それでも私は脳外科医に電話してたずねた。
 「彼は亡くなったんだ」
 「原因は?」
 彼は何も言わなかった。
 「肺炎か?」
 「いや」
 「敗血症?」
 「いや」
 「肺塞栓?」
 「いや」
 私たちはクイズをやって遊んでいるのか? そうだったとしても、私の手は尽きてしまったろう。
 私は質問するのをやめた。
 少し間をおいてから、彼は話を続けた。
 「人工呼吸器が止まってしまったんだ」
 「止まってしまうなんてありえないじゃないか!」
 「どういうわけだか電源がはずれてしまっていたんだ」
 彼はそこで話すのをやめた。
 私たちは、トム・ベントンのことはもうけっして口にしようとしなかった。

(後略)

 

 

E,周辺事例

 上記の周辺事例として、「脳死判定の有無は明確ではないが、臓器提供要請を拒否した結果、生存しているケース(ハワイ・マウイ記念病院例)」 「心臓が停止した死後の臓器提供=心停止後提供と称する三徴候死した死体であるはずなのに、麻酔投与が必要であったケース(千葉大学病院例)」「心停止後に臓器摘出を計画したが、ドナー候補者が死亡せず生存しているケース(チャールストン地域医療センター愛媛県立中央病院例)」「心停止後に臓器摘出を計画し実際に人工呼吸器を取り外したが、1時間以内に死亡しないなど臓器が移植不適な状態になったと判断され臓器摘出は取りやめたケース (欧米の心停止臓器摘出例)」がある。これらの事例は、それぞれのリンク先を参照してください。

 


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