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脳死判定廃止論

はじめに

 いかなる検査基準・診断基準も、最初の採用時には正しく、あるいは許容可能であっても、後に正確に検査・診断ができなくなったら見直さなければならない。見直して目的に適う検査・診断の精度が維持できるならば、改訂した検査・診断は有効であり続ける。改訂しても不正確なままならば、その検査・診断の運用は中止する。将来にわたって改善の見込みもない検査・診断であると判明した場合は廃止する。これが検査・診断に対する一般的な態度だろう。

 脳死判定においては精度低下がみられ、低感度・低刺激検査の限界から原理的に改善の見込みがない。過去の脳不全患者のデータを見直そうにも、脳死判定対象外の患者が区別不可能な状態で多数混入しているため、見直すことも困難である(脳死研究の崩壊)。脳死判定基準を満たしたことをもって、生命維持の終了や死亡宣告、臓器摘出など重大な行為を行うにもかかわらず、脳死判定の歴史的不安定性 ・変遷は社会の安定性を損なうほどに大きい。このような事情から脳死判定は廃止すべきとの結論に至る。

 

A,脳死判定の精度低下・・・心停止(心臓死、全細胞死)を予告できない、脳機能が復活する患者も脳死と判定している

 脳死判定基準を満たした全ての患者に対して、いかなる医療を行っても1〜2日間のうちに心臓の拍動が停止するならば、その判定基準は、脳不全が原因で全細胞死に至る状態を診断できていると認められるため有用だ(死亡宣告基準への採用は別問題)。脳死概念が生じた数十年前は、脳死判定基準を満たすこと=全細胞死の予告が成立していたのかもしれない。 しかし、その精度は下記にみられるように低下し続けている。

心停止予告精度の歴史的低下

  • 1902年、脳死の用語出現以前の脳死症例の報告として、クッシングはThe American Journal of the Medical Sciencesに脳膿瘍の症例で頭蓋内圧が著しく亢進して自発呼吸が停止し、人工呼吸で23時間にわたり心臓の拍動を維持した症例を報告した。

  • 1975年、武下 浩は麻酔24巻4号p317〜p322掲載の「再び脳死の問題点について」において、“脳死は慢性状態としてはありえないので、脳死と判定された後、現在の方法では一般に5日以内に心拍停止になるであろう。”

  • 1984年、杉本 侃は外科治療50巻1号p1〜p7掲載の「脳死 生体か、レスピレーターつきの屍体か」において“最近、1ヵ月以上にわたる生存例が報告されるようになったが、脳死と診断された症例で心臓死をまぬがれた症例は世界中で1例も報告されていない。この事実は、心臓死をもって死と考えてきた多くの人達に、脳死が死であるという新しい考え方を受け入れ易くしている。”

  • 2002年、竹内 一夫は脳と神経54巻7号p557〜p563掲載の「脳死の判定」において“脳死状態でも積極的に呼吸・循環機能を管理し、栄養管理と感染予防に努力すれば、全身状態が維持される限り心拍動を維持することは可能である。したがって、脳死判定から心停止までの期間は、脳損傷よりも全身状態の維持如何に最も関係が深いと言えよう。”

  • 2003年、武下 浩は、日本臨床麻酔学会誌23巻8号S105〜S106掲載の「脳死再論 医学と哲学のインターフェイス」において“脳死論議の初期、なぜ脳死状態になると、短期間のうちに心停止にいたることが重視されたのか。当時としては事実であり、脳死を人の死とする説明に使いやすかったからである。”

  • 2006年、竹内 一夫は、周産期医学36巻7号p837〜p841掲載の「脳死妊産婦管理の問題点」において“最近の高度集中治療の進歩によって、以前より長く脳死状態を維持することも時には可能になった。もともと種々の合併症に悩まされる脳死判定から心停止までの期間の長短は、すでに廃絶した脳の機能の問題ではなく、全身的要因に左右されることになる。したがって成人に比べて基礎疾患の少ない小児では、脳死の期間が有意に長いことが知られている。・・・・・・脳死状態でも循環、呼吸、内分泌機能が良好な状態に保たれていれば、心停止は何とか避けることができる。そして多くの臓器はそれぞれ独自のペースメーカーを持っているので、栄養と酸素が補給されている限り機能し続けることができる。”

 以上のように脳死発生と見込まれる時点から心停止までの時間は、当初の23時間から延長し続けている。1980年代後半からの延長が顕著と見込まれる。武下が2003年に「脳死論議の初期、なぜ脳死状態になると、短期間のうちに心停止にいたることが重視されたのか。当時としては事実であり、脳死を人の死とする説明に使いやすかったからである」と認めたとおり、現代では、脳死判定基準を満た すことと、心停止(心臓死、全細胞死)の関係は断絶した。

 

脳機能が復活した脳死?症例

 厚生省“小児における脳死判定基準に関する研究班”平成11年報告書(日本医師会雑誌124巻11号p1623〜p1657、2000年)によると、無呼吸テストと神経学的検査を2回以上行った20名のうち、脳死判定時より心停止までの期間が6日間以内だったのは6名と3割、7日間以上生存が7割、30日以上生存が7人(35%)である。脳死判定基準を満たした状態が、全細胞死を予告できていないだけでなく、脳機能の復活例も小児から出現している (下記、日本国内症例のみ調査)。脳死判定で人の死を決めることにするのならば、死者が蘇る重大な事態が頻発していることになる。

    無呼吸テスト2回実施の脳死判定例で、脳機能の復活は2例報告されている。

  1. 広島大学:脳死と判定した後に脳血流、聴性脳幹反応が再開、脳死後22日間生存(脳死判定例 ・日本救急医学会雑誌8巻6号p231−p236、1997年)http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jjaam1990&cdvol=8&noissue=6&startpage=231&lang=ja&from=jnltoc
     3ヵ月男児は、
    第5、6病日に広島大学医学部における医学的脳死判定基準にもとづき脳死と診断。第9病日SPECTにて若干の脳血流の存在を、経頭蓋骨的ドプラー法でほぼ正常な波形を認め、さらに第12病日には潜時の延長を認めるものの、第X波まで確認できる聴性脳幹反応が得られた
     
  2. 大阪大学:40日後に自発呼吸出現、脳死後69日間生存(日本救急医学会雑誌2巻4号p744〜p745、1991年・Pediatrics96巻3号p518〜p520、1995年)
     3ヵ月女児は、
    第3病日 に脳死徴候をすべて見たし脳死状態。第3病日と第5病日に無呼吸テスト実施して無呼吸。第19〜22病日の頭部CT、脳血管造影では、脳の自己融解がみられず、脳循環はほぼ正常第27〜33病日には、視床下部、下垂体機能の残存が確認。第43病日、自発呼吸が発現した。

     
     
    無呼吸テスト2回実施の脳死判定例で、312日間生存し成長した1例が報告されている。
     
  3. 兵庫医科大学:抗利尿ホルモンを中止したが心停止せず、身長が伸びる、脳の一部融解あり、脳死後312日間生存(日本救急医学会雑誌11巻7号p338−p344、2000年)http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jjaam1990&cdvol=11&noissue=7&startpage=338&lang=ja&from=jnltoc
     生後11ヵ月の男児は、
    身長74cm、体重8.7s。第15病日に成人用脳死判定で無呼吸テストも行い脳死状態。第219病日に「小児における脳死判定基準に関する研究班」の基準案を満たした。第245病日に抗利尿ホルモンは中止したが心停止せず第253病日に身長82pまで増加。(第326病日死亡)、経過中に脳の一部融解漏出あり
     
     
     無呼吸テスト1回実施の脳死判定例で、脳機能の復活は1例が報告されている。

     
  4. 公立高畠病院:脳死判定基準を満たした後に、自発呼吸、脳波、聴性脳幹反応あり、生存中(日本小児科学会雑誌99巻9号p1672−p1680、1995年)
     11歳男児は、 1993年10月20日 発症、テンカン発作で心停止の11歳男児は、11月4日平坦脳波、ABR無反応、11月5日平坦脳波、10分間無呼吸テストで自発呼吸認められず厚生省脳死判定基準(1985年)により脳死状態と考えられた後に、1994年3月10日、発症4ヵ月後に脳波検査にて極めて低電位ではあるが波形が認められ5月19日聴性脳幹反応で頭蓋内血流があることを示すT波の再出現をみた。8月22日 失調性呼吸が認められ数日持続。30分間無呼吸テストで規則的な自発呼吸が出現、9月22日 再び失調性呼吸となり消失。現在 血圧150〜180/90〜110mmHgと高く、呼吸管理を必要とするが、循環状態は比較的安定し、経管栄養も順調に行なわれている。
     

     無呼吸テストは実施したが回数不明で、脳機能の復活は1例が報告されている。
     
  5. 大阪府立病院:竹内基準満たしても視床下部ホルモン分泌、脳血流17日後も確認(日本救急医学会雑誌4巻p655、1993年)
     5歳11ヵ月男児は、第8病日に アトロピンテストと無呼吸テストにも無反応で竹内基準を満たした。
    抗利尿ホルモンは第13病日まで分泌。第14病日に経頭蓋骨的ドプラー法で脳血流停止が観察されたが第25病日に造影CT脳血流が確認された 
     
     
     無呼吸テストの実施は不明だが、脳死判定基準を満たした後に脳機能の復活は5例が報告されている。
     
  6. 大阪労災病院:脳死判定から18日目の脳波・聴性脳幹誘発電位で反応、治療中止、30日間生存(大阪小児科学会誌25巻2号p8、2008年)
     3歳女児は頭部打撲で救急搬送。入院2日目、3日目24時間間隔で行った脳死判定では小児脳死判定基準をみたした。18日目の脳波ではわずかながら活動を認め、ABRでは左第1波・第2波の反応が認められた。
     
  7. 岐阜県総合医療センター:大脳の不可逆的変性の一方で内分泌は正常、体重・身長が増加(日本周産期・新生児医学会雑誌43巻2号p463、2007年)
     1歳2ヵ月女児は心肺停止状態にて出生、30分後に心拍再開し以後、自発呼吸なく人工呼吸管理を継続、自発運動・反射はみられず痛覚刺激にも反応せず小児の脳死判定基準を満たしたが、完全経管栄養にて体重増加、身長増大。生後200日の頭部CTおよびMRIでは大脳の融解を認め、大脳の不可逆的変性が示唆された。生後1年での内分泌学的検査では下垂体系および副腎系ホルモンは正常であった。
     
  8. 奈良県立奈良病院:脳死判定後13日後に脳波と痛み刺激に反応、17日後に脳幹部血流再開、脳死後43日間生存(日本新生児学会雑誌35巻2号p290、1999年)
     重症新生児仮死の女児は、小児脳死判定基準(暫定基準案)に基づき脳死判定を施行(24時間毎に計3回)。日齢7に患児は脳死と判定されたが、脳死判定 の13日後に脳波と痛み刺激に反応17日後に脳幹部血流再開した。
     
  9. 杏林大学医学部:10例のうち2例で聴性脳幹反応あり(脳と神経41巻1号p73−p83、1989年)
     厚生省判定基準を満たした10歳〜19歳10例の患者のうち、BAEPのT波またはT波とU波が2例から測定された。
     
     注:上記以外に詳細不明だが脳死からの復活と見込まれる報告は脳死判定の詳細不明・復活例を参照

 
 重度の慢性腎不全は1960年代に、エイズは1980年代には、それぞれ「死の病」だったが、腎不全は透析療法により、エイズは薬物療法によりコントロール可能な病気に変わった。なんらかの診断がなされても、その意味することは時代により変わり得る。 これと同様に、脳死判定基準を満たした状態は、脳死概念の発生当時と現代では変わった。全細胞死を確実に予期できなくなり、最重症ではない患者も混入する、何を判定しているのか不明な基準にまで精度が低下したことが明らかだ。見直せば改善できるのか、改善できないのかを判断する必要がある。

 

B,低感度検査、低刺激検査の限界・・・脳死判定は、原理的に脳の機能廃絶は示さない

 頭皮上に電極をおいて脳波が測定されなくとも、頭蓋内鼻腔に電極をおくと電極近傍の脳波が測定されることがある(低感度検査)。他の必須検査(深昏睡、瞳孔散大固定、脳幹反射消失、自発呼吸消失)は、反応するに十分な刺激を加えているのか否か判らない(低刺激検査)。現状以上の刺激を与えて、脳死ではないことが証明された症例が報告されているが、傷害を与える検査は許容されない。無呼吸テストは内的な傷害のため、気づかれにくく強行されている。

対光反射
 国立台湾大学の洪 祖培氏は「瞳孔径が4mm以上で、一見反射がないような場合でも、部屋を暗くし、強光を当てれば、縮瞳が見られることがあります」と指摘している(セミナー記録 脳蘇生と脳死、日本大学総合科学研究所、p97、1998年)。しかし、強すぎる光を長時間当てると失明させる危険がある。2回目以降の対光反射検査に反応しなくなる。

深昏睡
 米国のザック・ダンラップ事件では、従兄(看護師)がダンラップ氏の足の裏をナイフで切り、痛み刺激に反応することを発覚させて、臓器摘出チームが到着していたにもかかわらず危うく生体解剖を回避した。深昏睡の状態であるのか否か、確認するために行う現状の疼痛刺激が、弱い刺激にとどまっている患者の存在が示された。しかし、「脳死ではないことを証明するために、生体解剖 から逃れさせるために患者を傷害する必要がある」とは異常である。また、誰にでも見える検査中に、患者を傷害する医師もいない。

無呼吸テスト  #apnea
 自発呼吸能力の有無は、低酸素刺激・化学刺激・高炭酸ガス刺激のいずれでも刺激される。日本胸部疾患学会肺生理専門委員会は、これらの刺激を併用した改良無呼吸テスト(日本胸部疾患学会雑誌32巻5号、巻末、1994年)を提案したが、現在の無呼吸テストは高炭酸ガス刺激のみ行っている。唯一採用している高炭酸ガス刺激も低刺激検査である。

 (無呼吸テストは脳死判定の骨格、最重要テストとされるため、詳しく記述する)人工呼吸を停止して、動脈の血液中に二酸化炭素ガスのたまることは高炭酸ガス刺激になるが、各国の脳死判定基準は、無呼吸テストで自発呼吸がないことを確認する動脈血二酸化炭素分圧レベルが異なる。英国は50mmHg、カナダは50mmHgから55mmHg、米国や日本は60mmHgである。

 カナダのMcMaster University Medical Centerで生後41時間後にカナダの脳死判定基準を満たした女児は、動脈血二酸化炭素分圧を54mmHgまで上昇させて、自発呼吸がなかった。米国の移植組織により 心臓の利用が検討され、60時間後に米国の脳死判定基準にもとづいて無呼吸テストを行った。女児は動脈血二酸化炭素分圧が59mmHgまでは無呼吸だったが、その後64mmHgに上昇するまでsteadilyな(しっかりとした)呼吸をした。臓器提供の同意は、両親により撤回された(The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE318巻13号p852〜p853、1988年)

 厚労省基準は、動脈血二酸化炭素分圧が60mmHg以上になっても自発呼吸をしなければ、自発呼吸なしとして無呼吸テストを終了してよいとしているが、この閾値の60mmHgを超えてから自発呼吸をした患者が報告されている。

  1. 〜2.日本大学付属病院では2例、64.7mmHgと72.2mmHgで自発呼吸(脳蘇生治療と脳死判定の再検討、p9 4、2001年)
     

  2. 帝京大学医学部附属市原病院では、59歳女性が66.4mmHgで自発呼吸をした(日本救急医学会関東地方会雑誌8巻2号p524〜525、1987年)
     

  3. 京都大学付属病院では、86mmHgで自発呼吸をした(麻酔37巻10号臨増S66、1988年)
     

  4. 米国ワシントンDCのChildren's National Medical Centerでは、3歳男児が91mmHgで自発呼吸をした。同日2回目の無呼吸テストでは71mmHgで呼吸をし、その後数日間は人工呼吸の設定を超えて規則的な自発呼吸を始めた。現在、患児は気管切開と胃ろう造設がなされ慢性病棟で介護されている(Critical care medicine26巻11号p1917−p1919、1998年)
     

  5. 日本医科大学付属病院では、肺胞内二酸化炭素分圧が100mmHgを超えてから自発呼吸をした(肺胞内二酸化炭素分圧は、動脈血二酸化炭素分圧よりも1〜5mmHg低いとされる。救急医学12巻9号S484、1988年)
     

  6. 米国ニュージャージー州のCooper Hospitalでは、3歳女児が1回吸った。その時の動脈血二酸化炭素分圧は112mmHgだった(Journal of child neurology10巻3号p245−p246、1995年)
     

  7. 公立昭和病院では、小児期より気管支喘息の36歳男性患者に、呼吸刺激薬ドキサプラムを併用した無呼吸テストで動脈血二酸化炭素分圧119.6mmHgで呼吸をした(脳死・脳蘇生研究会誌10巻p64−p66、1997年) 

 (上記8例のより詳しい情報は別ページの炭酸ガス刺激の適正強度が設定できないを参照)

 長時間の無呼吸テストで動脈血二酸化炭素分圧が80mmHg前後まで上がると、血液が酸性に傾き過ぎる。pH7.2くらいになりヘモグロビンから酸素が切り離されにくくなる。二酸化炭素が多くなり意識が消失し、対光反射も消失する。大阪大学特殊救急部の杉本教授は「炭酸ガスが上がれば脳にいい影響があるわけでは決してないわけですね。だから、これは本当は、セレモニーに過ぎないわけです。もしも脳が少しでも生きていたら、そのテストによって脳は完全に死んでしまう、とどめを刺すことになると思います」と語っている(大阪府医師会報234号p14〜p27、1988年)。無呼吸テストは、外見上は患者が出血する様子をみることはないが、生理的には二酸化炭素分圧や血液pHから傷害レベルとみられるケースがある。無呼吸テスト終了時の動脈血二酸化炭素分圧を、現状以上にあげることも許されない。

 

C,脳死研究の崩壊・・・脳死判定対象外の患者を脳死と判定してきた、過半数は中枢神経抑制剤影響下の疑いあり

 脳死判定基準を満たしたにもかかわらず、長期間心停止に至らない、さらには自発呼吸や脳波など脳死判定を覆す症例が、上記のとおり小児を先頭に出現している。既存の脳死判定が何を判定しているのか、低感度・低刺激検査で判らなくなった。今後、医学的に脳死判定の見直す動きが出てくるかもしれないが、過去の症例データを検討しようにも、そのデータが使い物にならなくなっている。それは、本来、脳死判定対象外とすべき急性薬物中毒、中枢神経抑制剤影響下の患者まで、脳死症例としてきたことが、1990年代後半になってから判明したためだ。

 熊本大学の木下 順弘教授は、2007年11月2日、日本脳死・脳蘇生学会が開催した「脳死の診断などに関する研究を進めるためのワークショップでこう語っ た。
 「急性薬物中毒は,判定の対象から除外すると,ごく簡単に竹内基準はなっていますが,日常臨床では,鎮静剤や抗痙攣薬,時には筋弛緩薬のような薬物を脳死判定以前に使っていることは多々あると思います。そして,それらの薬物に影響が一切ないのかと問われた時に,私は自信を失いました。特に守屋らの報告ですが,血液中の濃度と,薬物の脳内濃度は一緒なのかという問題を突きつけられた時,非常に頭を悩ませました。つまり,脳血流がそもそも非常に少ない段階では,薬物は血中から脳のほうへ移行していかないかもしれませんが,脳循環がいい時に,高濃度の薬物が脳の中にたくさん溜まって,その後脳循環が停止したら,その薬物はずっと脳の中に残存し続けているのではないかと言われた時に,そうでないと自信をもって誰が言えるでしょうか。ましてその活性代謝産物まで調べないといけないと言われた時に,この問題は頭を悩まし,できれば避けてとおりたいというぐらいの気持ちです」(脳死・脳蘇生20巻2号p74〜p84、2008年)。

 守屋らの報告とは、高知医科大学法医学の守屋 文夫氏らが、臨床的脳死状態で塩酸エフェドリンを投与された患者が約72時間後に心停止した。解剖して各組織における薬物濃度を測定したところ、心臓血における濃度よりも53倍 (3.35μg)の塩酸エフェドリンが大脳(後頭葉)に検出されたことを報告したことを示す(日本医事新報4042号p37〜p42、2001年)。守屋氏以前にも、他の法医学者から、血中薬物濃度と脳組織内薬物濃度の乖離は報告されている。

 人工呼吸器を装着した重症脳不全患者のうち、脳死判定に影響する薬物を投与された患者は、過半数と見込まれる。

 

D,脳死判定の歴史的不安定性・ 変遷・・・死亡宣告の不安定性にまで波及させると、社会も不安定になる

 大阪大学特殊救急部時代に脳死前提の人体実験を行ってきた木下が、中枢神経抑制剤影響下の患者も脳死判定してしまったのか?と後悔しているように、検査の科学的正確さは、後年の研究により 重大な疑義を生じることがありうる。

 脳死判定の骨格である無呼吸テストは、Harvard判定基準や日本脳波学会基準は3分間無呼吸テストを規定していた 。しかし、3分間無呼吸テストでは、現行基準が呼吸中枢を刺激する閾値と設定した60mmHgまで血中に二酸化炭素がたまる患者は1割程度(ICUとCCU、12巻2号p127〜p134)、1985年厚生省基準の10分間無呼吸テストでは、60mmHg以上になる人も60mmHgにならない人も混在すると見込まれる(Neurology28巻7号p661〜p666)。 既述のように60mmHgは低刺激検査であり、過去の脳死判定は形式的な無呼吸テストを無自覚に実行していたことになる。血液ガス分析器が普及していない時代のため、3分間や10分間テストなど形式的検査にならざるをえない事情もあった。
 無呼吸テストは高炭酸ガス刺激のみ行っているが、既述のように日本胸部疾患学会肺生理専門委員会は化学刺激と低酸素刺激も行うことを提案した(日本胸部疾患学会雑誌32巻5号、巻末1994年)。

 検査で人の死を決める事は、さまざまな要因で、死亡宣告に疑義を生じ易い。

 

F,結論

 脳死判定は、全細胞死を予告できない、蘇生可能性のある症例の混入を排除できない、改良の可能性がない、過去の症例の再検討が困難になった。歴史的にも不安定な脳死判定基準を採用していることは、医学的にも社会的にも有害である。脳死判定は、もはや科学的に検討が可能な検査ではなくなっている。恣意的な弱者切捨てのレッテルでしかないため廃止すべきである。

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非科学的な脳死判定基準

  判定基準に
規定なし
必要な検査を行っていない 判定基準が甘い 科学的基準を決定不可能
死の定義  ヒトの死の定義にもとづく判定基準としては作成されていない。  ヒトの死の定義にもとづく検査項目を設定していない。  実質的には意識回復の不可能性を推定する判定基準である。このため、治療打ち切り時や救命治療に逆行するドナー管理の開始時、そして臓器摘出時に、患者に激痛、苦悶、恐怖、絶望を感じさせている可能性がある。  臨床的脳死とさえもいえない状態でありながら、救命治療に逆行する=確実な脳死に至らしめる臓器 獲得目的のドナー管理が開始され、脳死判定が形骸化している。

 法的脳死判定を行なわずに、臓器摘出目的でヘパリン等の薬剤投与、灌流目的のカテーテル挿入などが行なわれ、運用主体の信頼性が低い。

間脳

視床下部

 意識の発生機構に関わる間脳を検査していない。

 体内環境を維持する視床下部の機能停止を、判定要件としていない。

 間脳を検査しない脳死判定、ヒトの死は理論的に誤り

     
判定開始のタイミング  受傷後6日後、臨床的脳死診断の8時間後に、「脳死」を否定する咳反射が出た症例がある。

 心肺蘇生の6時間後に脳波無しでも、48時間後に脳波が出現し退院した症例もある。

 患者が回復する前に、「脳死」判定を開始し、危険な無呼吸テストを行う恐れがある。

     「脳死」状態とされた患者のうち10数%は、1週間以上〜10数年生きている。脳死 判定基準を満たした身体を、死体と見なすことは不可能である。
中枢神経抑制薬の脳内濃度  脳組織内薬物濃度の測定を義務付けていない。  一部の施設は採血して「末梢血中の薬物濃度」を測定しているが、脳 組織内薬物濃度が血中の数十倍も高濃度な「脳死」患者がいる    有効濃度域の不明な薬物が、脳死判定に影響する治療薬(約30種類)の60%近くある。薬物濃度を測定しても、その意味することを判断できない。脳組織を採取して薬物濃度を測定する検査は、脳不全患者に致命傷となりうるので行えない。
法的脳死判定の間隔      受傷後6日後、臨床的脳死診断の8時間後に、「脳死」を否定する咳反射が出た症例がある。

 頭皮上脳波が消失から復活まで38時間、頭皮上脳波が再び平坦化して深部脳波が消滅するまで22時間経過した症例がある。心肺蘇生の6時間後に脳波無しでも、48時間後に脳波が出現し退院した症例もある。

 脳死と判定された5日後に鼻腔脳波の測定例がある。

 第1回と第2回法的脳死判定の間隔を、6時間としているが短すぎる。

 
対光反射      室内の通常の明るさで光刺激を瞳孔に与えているが、部屋を暗くしてから強光を当てると、反射が存在していることもある。

 数秒間の照射をしているだけだが、30〜45秒間の長時間照射に反応する症例がある。

 筋弛緩剤の長期大量投与で、対光反射が消失する。 

 
深昏睡

脊髄反射

脊髄自動反射

   ラザロ徴候のあった患者から、脊髄反射よりも反射に要した時間の長い=約70msec、持続300msecの誘発筋電図波型が測定された症例がある。

 疼痛刺激を顔面だけに加えている。他の部位に加えていない。

 

 現行の深昏睡の検査、疼痛刺激は「刺激に対する反応が表れたら、再度同じ刺激を与えて同じ反応が誘発されたら脊髄反射、脊髄自動反射と判定する」。つまり単に、反応の再現性を見ているだけである。意識がある患者でも、容態によっては、疼痛刺激に定型的・単純な反応しかできない。

  臓器を切り取るメスの激烈な痛みで、深昏睡から回復する可能性がある。しかし、そのような疼痛刺激を瀕死の患者に加えることは許されない。疼痛刺激の強度を決定できない

 脊髄固有の反応は、脊髄が生きていることを証明する。脊髄で痛み、意識を感ずる可能性が指摘されている。脊髄反射でも問題は解決しない

脳波測定

脳血流途絶

   頭皮上脳波(大脳皮質の深さ5ミリまで)しか測定していない。頭蓋内で深部脳波を測定しないと、脳の活動状態は正確に測定できない。

脳死と判定された5日後に鼻腔脳波の測定例がある。

 脳血流途絶・停止と判定されても、脳波、自発呼吸が出現した例がある。  血流が脳100gに対して毎分15ml〜10mlの間に低下すると、神経細胞が機能低下・機能停止をきたし、後で回復する状態であっても、電気的に脳細胞の活動は捉えられなくなる。 脳血流途絶を必要な精度、かつ低侵襲で行う方法が無く、測定できても閾値不明のため判断できない。
無呼吸テスト    炭酸ガス刺激のみで、低酸素刺激や薬物刺激を行なっていない。    動脈血二酸化炭素分圧(PaCO2)が、無呼吸テスト終了時の 目標数値60mmHg以上を超え64mmHg〜119mmHgで自発呼吸が出現している。

 無呼吸テスト終了時の二酸化炭素分圧目標値を高く設定すると、瀕死患者の生体に酸素が供給されず危険な状態をもたらすため、無呼吸テスト終了時の適正な目標値を設定できない。

 無呼吸テストを開始する前の酸素投与は、自発呼吸を抑制する作用がある。

 低酸素刺激は、炭酸ガス刺激よりも一層の危険性がある。

 

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