0歳児 ] 1歳児 ] 2歳児 ] 3歳児 ] 4歳児 ] 5歳児 ] 6歳児 ] 7歳児 ] 8歳児 ] 9歳児 ] [ 10歳児−15歳児 ]

小児脳死判定後の脳死否定例(15歳児−10歳児)

脳死否定例の定義は小児脳死判定後の脳死否定例(概要および自然治癒例)を参照


15歳児(注:一般的な小児は15歳未満)

 

脳死判定例

福岡大学筑紫病院:脳血流(聴覚脳幹誘発電位)あっても厚生省基準で「脳死」、19日間生存、
厚生省基準と米STF基準で1日差

 大府 正治:小児の脳死における電気生理学的検討 脳波および聴覚誘発電位の経時的変化、日本小児科学会雑誌、98(1)、39−45、1994

 厚生省研究班(1985年)およびSTF基準(米国小児脳死判定特別専門委員会1987年)の脳死判定基準を用い脳死と判定した15歳男児(呼吸不全、進行性筋ジストロフィー)。第26病日に厚生省基準を満たしたがBAEPはT波残存。第27病日にSTF基準を満たした。第28病日にBAEPは平坦化し、第44病日に心停止した(厚生省基準で脳死判定後19日)。

当サイト注
 聴性脳幹反応ABR=脳幹聴覚誘発電位(聴性脳幹誘発反応、聴性脳幹誘発電位 brainstem auditory evoked potential :BAEP)は、音圧レベルが100デシベル前後で持続時間0.1〜0.2msec程度のクリック音で刺激する検査。U〜X波が記録されると脳幹部が機能している。T波も脳血流の残存を示すが、厚生労働省は「聴性脳幹誘発反応の消失の確認は努力義務であり必須検査項目ではない。T波の残存の解釈は脳死判定医の裁量の範囲内」という趣旨の見解を示している(唐澤 秀冶:脳死判定における聴性脳幹誘発反応検査、脳死判定ハンドブック、羊土社、210−212、2001)。

 

 

 

脳死判定例

関西医科大学病院・救命救急センター:死亡まで16日間?11日間、母親に内緒で腎臓提供

 千代 孝夫:移植腎提供の実態と問題点 経験した7症例の検討による提供現場よりの報告、今日の移植、2(6)、445−450、1989

 1989年に基礎疾患が交通外傷、脳挫傷の15歳男児は、脳死まで2日間。その後心停止までの期間は16日間。両腎を提供した。

 

 千代 孝夫:救急施設からみた移植臓器提供と移植コーディネーターの問題点と将来像、今日の移植、5(5)、493−497、1992

 1989年に基礎疾患が交通外傷、脳挫傷の15歳男児は、脳死まで5日間。その後心停止までの期間は11日間。両腎を提供した。

 当サイト注

  1. 今日の移植、2巻6号、5巻5号ともに、このケースの年齢・性別・臓器提供年・基礎疾患・臓器提供の経緯・レシピエント情報は同じであるため同一患者とみられるが、脳死までの期間と心停止までの期間は異なっている。
     
  2. 腎臓提供の最初の説明時には父親が賛成したのみで、母親および3人の男性兄弟は反対した。3回目の説明で父親が「役に立つなら」と提供を承諾した。この論文は備考欄に「母親には内密に」と書いてあり、母親には腎臓提供の事実は隠したとみられる。

 

 

 

臨床的脳死例

福井医科大学救急部:第1例目のCAVHで脳圧亢進、医療過誤の認識あり、11日間生存

 中川 隆雄:ウィルス脳炎にDIC、MOFを併発し脳死に至った1例、バイオメディカル、2、73−79、1992

 15歳男児は、ウィルス性脳炎発症12日目の1991年4月19日に他院より当院に転送された。DIC(播種性血管内血液凝固)や腎不全の併発を予想して予防的治療をもあわせて施行したにもかかわらず、DICから呼吸不全、腎不全を次々に併発して、MOF(多臓器不全)への移行を阻止できなかった。

 BUNおよびクレアチニンの上昇を認めたため、4月28日よりCAVHを施行したが、4月30日には全身ケイレンとその後のショックを境に脳死に移行し、5月10日に死亡した。MOFの治療として施行したCAVHが、不均衡症候群から脳圧亢進、脳死に移行する誘引になった可能性があり、脳病変に伴なうMOFに対する血液浄化法は、充分な注意を要する。

 質疑応答において、中川氏は「必ずしもCAVHだけが(脳圧亢進の)原因とは考えていませんが、大量の水を引いて補充液を入れるという操作が、必ずしもバランスをうまく保てる場合ばかりではないと考えています。・・・・・・当施設での第1例目のCAVHでしたので、多少技術的な問題もあったかと考えています」と自ら説明している。

 

 

 

臨床的脳死例

施設名記載なし:父親の折檻?約10日間生存

 日本法医学会課題調査委員会:脳死を経過した剖検例調査、日本法医学雑誌、40(2)、165−183、1986

 15歳女児、1985年1月、朝からシンナー吸入を吸引していた。父親の大声で兄が気付き部屋に行くと、腹臥位で倒れて口から出血し両上肢をバタバタさせていた。入院2日目に1日尿量が25,530mlの尿崩症、26,180mlの大量輸液。入院10日間の総輸液量が49,300ml。脳死判定から心停止まで約10日。死因はくも膜下出血。

 

 




14歳児

 

5

臨床的脳死例

 

帝京大学医学部附属病院:約3週間生存

 荒巻 芸:急性小脳脳幹炎の治療中にステロイド起因性と考えられる急性膵炎によりDICを併発し死の転帰をとったSLEの一例、関東リウマチ、39、24−30、2006

 14歳女性、SLEを疑い2004年2月5日入院、プレドニゾロンの開始後発熱は治まり紅斑も薄くなったが再度発熱。クラリスロマイシンの内服にて解熱傾向になったが、2月21日再び発熱・頭痛・嘔吐を呈し意識を消失した。CNSループスを疑いステロイドパルス療法を開始し抗生物質、低分子ヘパリンの投与も開始したが反応せず2月22日未明に心肺停止、蘇生するもその後数日で脳死状態に陥った。3月17日よりDICによる鼻咽腔から胃にかけ粘膜出血が出現、3月18日死亡した。MRI所見と臨床経過よりSLEに起因する急性小脳炎および脳幹脳炎を発症したと考え、ステロイド大量療法、リツキシマブ療法を施行するも効果が見られず、ステロイドに起因する急性膵炎を発症しDICを併発したと考えられた。

 

 

 

臨床的脳死例

国立名古屋病院:8日間?生存

 伊藤浩明:二人の主治医を重複受診して重症度を過小評価されていた喘息死の一例、日本小児アレルギー学会誌、15(3)、311−316、2001

 14歳男児は気管支喘息の軽症持続型と思われていたが、心肺停止で入院し心停止を3回繰り返した。入院直後から対光反射消失、睫毛反射消失、3日目に除脳硬直と思われるミオクローヌスを認めたが、その後は深部腱反射も全く消失、入院2日目の脳波、7日目の聴性脳幹反応では脳死判定の基準に準じて施行したがまったく波形を検出せず、脳死と思われる状態が続いた。腎不全が急激に進行したが、人工透析の適応はないと判断して保存療法に努め、11日目に腎不全で死亡した。

 病理所見では、慢性気道炎症の存在が示唆された。この患者は、二人の主治医に重複受診しており、両主治医とも自分の処方のみで発作がコントロールされていると判断していた。実際には、定量噴霧式β2刺激薬(MDI)を1ヵ月に2本以上使用し、運動誘発発作のためにマラソンなどは自粛していた。MDIの過量使用によって重症度がマスクされている場合でも、運動誘発発作の存在は重症度を見直し、十分な抗炎症療法を開始するポイントとなるべきである。

当サイト注:ミオクローヌスを認めなくなった4日目?以後が「脳死と思われる状態」と推定されるが、原文に詳細は記載されていない。

 

 

 

脳死判定例

 

大阪大学医学部救急部:12日間17時間生存

 増井 美保:脳死における下垂体および視床下部の組織学的・免疫組織化学的研究、病理と臨床、8(7)、953−960、1990

 脳挫傷、硬膜下血腫、頭蓋骨骨折の14歳男児は、発症1時間で脳死、心停止まで12日17時間、経過中に尿崩症あり。

 心停止より21時間で解剖、脳は軟化著明、摘出後形態を保てず、小脳は融解。下垂体前葉および中間部のヘマトキシリン・エオジン重染色(H.E.染色)では、被膜下に『正常様細胞』少数残存、高度好中球浸潤、その他は壊死状なるも細胞の痕跡あり、うっ血。向副腎皮質ホルモン(ACTH)染色では『正常様細胞』の一部で陽性、核の消失した細胞の一部で弱陽性。甲状腺刺激ホルモン(TSH)染色では、主に核の消失した細胞で中等数陽性もしくは弱陽性。

 下垂体後葉のHE染色では形態明瞭(正常例と同様の所見)、バゾプレシン染色では全体にびまん性に陽性(脳の融解が高度で組織学的検索が不可能)。

 

 

 

臨床的脳死例

施設名記載なし:7日間生存

日本法医学会課題調査委員会:脳死を経過した剖検例調査、日本法医学雑誌、40(2)、165−183、1986

 14歳男児、1979年8月、柔道の練習中に意識消失。脳死判定から心停止まで7日。死因は硬膜下出血、くも膜下出血。

 

 

 

脳死判定例

大阪府立病院:深部反射が認められ自発的で緩徐な下肢の屈曲運動、58日間生存

山本 正之:長期生存した脳死の二症例、ICUとCCU、9(7)、795−801、1985

 14歳男児は喘息重積発作による心停止蘇生後症例。第2病日に四肢は弛緩し、瞳孔散大、対光反射の消失、また角膜反射、眼球頭反射、毛様体脊髄反射、咳反射等の脳幹反射も消失した。頚動脈撮影は non-filling angiogram を示し、また脳波も平坦であり、脳死の判定を下した。これより以後は家族の希望もあり、医療の積極的中止をせず、レスピレーター装着下に維持輸液を継続した。

 脳死後も頻回に諸検査を行なったが、いずれも脳死の徴候、検査所見を呈し、また頭部CT(第49病日)では、びまん性脳腫脹と脳室の消失を認めた。聴性脳幹反応(第42日目)も有意な波形を認めなかった。脳死後、瞳孔は3〜7mmの間を変動したが、対光反射、角膜反射等の脳幹反射は出現しなかった。しかし、深部反射のみは両下肢、右上肢に認められ、時に自発的で緩徐な下肢の屈曲運動さえ観察された。

 この他、全経過中に、肺炎、無気肺をくり返し、また喘息発作も起こしたが、血圧は長期にわたり100〜150mgで安定しており、ほとんど昇圧剤を必要としなかった。脳死後の腎機能についてみると、一過性に尿崩症の状態になったが、ADH製剤の使用により、尿量は1日2L程度に維持され、著明な電解質異常も末期まで生じず、長期にわたって腎機能の悪化はみられなかった。肝機能も異常を認めなかった。体温は本例でも典型的な低体温状態にはならなかった。しかし、脳死後50病日頃より、肺炎が悪化して、敗血症の状態になり、第57病日には血圧が低下、翌第58病日に死亡した。解剖は施行されなかった。

当サイト注:この論文は脳梗塞の54女性が脳死後26日目に死亡したことも報告している。

 

 

 

10

脳死判定例

久留米大学救急センター:死亡まで100日間

大沢 資樹:脳死状態で100日を経過した症例の各臓器所見、日本法医学雑誌、42(補冊)、247、1983

 14歳男児、1987年6月、休み時間に級友と金銭貸借をめぐって口論。手拳、足蹴りによって廊下に転倒。「頭部打撲によるクモ膜下出血及び脳浮腫による脳死(深昏睡、瞳孔固定、各反射の消失、自発呼吸の消失、平坦脳波)」と判定された。以後、全身浮腫著明となり100日目に心停止が確認された。

 心停止後約5時間の剖検所見は、脳実質は完全に融解し、原型を保ち得ない。心、肝、腎、副腎、膵等の諸臓器については、うっ血、浮腫は著明であったが、染色性は良好であった。

 松雪 祥子:脳死状態の患者および家族への看護、救急医学、13(9)、S597、1989、そして加来 信雄:101日間心拍動を維持した脳死の1症例、救急医学、12(9)、S484、1988も同症例とみられる。救急医学、12(9)、S484によると、ドーパミン1日900〜1800mg、デスモプレッシン0.05〜0.15ml/day が投与されている。

 

 

 


13歳児

 

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臨床的脳死例

仙台往診クリニック:「毎日添い寝をしてあげたい」の願いに応え、2ヶ月間の在宅生活を実現

 川島 孝一郎:実例に沿った在宅医療と展開のための基礎知識、難病と在宅ケア、15(3)、16−20、2009

 男児は5歳でミトコンドリア脳筋症、12歳で臥床・在宅療養、13歳時の5月18日、肺炎を合併し集中治療室に入院したが5月21日、CT:脳浮腫、脳波:平坦、聴性 脳幹反応なしで臨床的脳死状態となった。

 お母さんが「生きられないのはよくわかっています。だからせめて、この世に存在している今、毎日添い寝をしてあげたい」という。彼は脳死という特殊な状態なのではない。(1)単に重度の障害を持った男の子なのだ。であるなら、(2)障害をありのまま受け入れ認めてあげればよい。そして、(3)障害がありながら生活できる方法を考えるのである。

 利用したのは障害者自立支援法。身体障害者手帳(1級)、養育手帳、小児慢性特定疾患(神経・筋疾患)、在宅療養支援診療所(呼吸器対応)。月曜日から金曜日まではヘルパーさんと訪問看護で合計7.5時間、土曜日は9.5時間が確保された。

 生活に帰るのであれば、たとえ一時期であったとしても、生き方を支えるのだから気管切開し、胃瘻を造設して栄養を入れてゆく。ただし処理能力の衰えに従って注入量は減量する。ケア会議を開催し、吸引指導を行い、入浴サービスを利用し同級生も訪問してくれた。臨床的脳死状態判定後、2ヵ月の在宅生活の後に息を引き取ったのである。


 

 

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臨床的脳死例

川崎医科大学付属病院:脳死状態の後に逃避反応、大脳皮質も機能

 赤池 洋人:特異な画像所見を呈した交通外傷による蘇生後脳症の1例、脳と発達、41(1)、71、2009

 13歳女児は交通事故で救急搬送中に心肺停止、広範囲脳腫脹あり、頭蓋内圧コントロールを行ったが改善せず脳死の状態であった。経過で逃避反応がみられ、右上肢刺激の短潜時体 性感覚誘発電位で(大脳皮質の電位である)N20の波形を認めた。

 

 

 

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臨床的脳死例

長野赤十字病院:418日間生存、6歳未満となっている除外年齢の引き上げが必要

斎藤 隆史:脳死期間418日を記録した13歳小児例、脳死・脳蘇生、18(1)、73、2006
斉藤 隆史:臨床的脳死判定後418日間生存した13才小児例、新潟医学会雑誌、119(2)、133−134、2005

 13歳女児は浴槽内で溺水、来院後に心拍再開。神経学的には深昏睡、両側瞳孔散大、対光反射、睫毛反射、OCR消失、四肢は逃避反応なし、背部に2度の熱傷。CTにて両側基底核部、後頭部に低酸素脳症による低吸収域を認め、胸部レントゲンにて急性呼吸促(窮) 迫症候群(ARDS) 所見を認めた。

 低体温療法を開始し、第3病日よりバルビタール療法も併用。第8病日で平坦脳波となり、バルビタール療法中止、復温を開始。第10と第11病日に臨床的脳死判定を行い、深昏睡、瞳孔固定、対光反射、毛様脊髄反射、睫毛反射、前庭反射、眼球頭反射、咽頭反射、咳反射はいずれも認めず、脳波は平坦であった。ARDSのため無呼吸テストは行なわなかった。以上より臨床的脳死と診断した。

【脳死後経過】高カロリー輸液を145日間、通常の輸液を284日間行なった。血圧低下に対しカテコラミンの持続投与を173日間、尿崩症に対しピトレシンの持続投与を370日間行なった。ARDSとDIC(播種性血管内凝固症候群)に対する治療を行い、全経過429日にて腎機能障害で死亡された。

【結論】1984年、竹内基準が作成された当時とは異なり、近年小児では脳死期間の延長が期待される。6歳未満となっている除外年齢の引き上げが必要と思われる。

当サイト注:バルビタールは中枢神経抑制剤

 

 

 

 14

脳死判定例

新潟市民病院:22日間 生存

吉川 秀人:小児長期脳死症例における体動について、新潟市民病院医誌、24(1)、25−28、2003

 低酸素性脳症の13歳女児は、脳死に至るまで1日間。小児脳死判定暫定基準案(1999年)により脳死判定してから、心停止に至るまで22日間。

 

 

 

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脳死判定例

群馬大学医学部集中治療部:18日間生存

藤田 達士:脳死患者管理の医療費、蘇生、8、19−23、1990

 痙攣性てんかん状態でICU入室の13歳女児は、脳死判定後死亡まで18日間。

 脳死判定はPittsburg Codeに加えて、聴性脳幹反応のV、X波の消去、CT像で脳室や大脳皺壁の消失、123I-N-isopropyl-iodo-amphetamine による放射性アイソトープ脳シンチグラムを行なっている。中枢神経抑制剤の影響を排除する目的で、ICU入室後5日間のWashing Out 期間をおいた(判定前のWashing Out 期間を6日間)。第1回の脳死判定後、24時間後に第2回の脳死判定を行なったが、第2回終了までは脳死でない患者と同様の治療を行なった。

 この論文は「健康保険による医療費は全症例で3024万円余である。脳死判定前期が平均255±55万円、後期が187±12万円であったが両期の医療費に統計上有意差はなかった。なお、脳死判定費用は7万円弱であった」としている。脳死判定前期、後期の定義は記載が無いが、3024万円を9症例で割ると平均336万円になる。

 APPCHE-Uスコアによる重症度と予測死亡率は、ICU入室時、28.4±1.4点、60%の死亡率を示したが、第1回脳死判定時では23.2±1.9点、45%と最も低い値を示した(P<0.005)。「9症例中1症例のみが、脳死判定日に12点、予測死亡率13%を示し臓器移植の良い提供者になり得たと考えられる」としている。

 

 

 

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臨床的脳死例

大阪大学:12日間以上生存、心臓から細胞を採取

河口 直正:脳死状態における心筋の形態学的変化、心筋の構造と代謝、10、553−568、1987

 13歳男児は脳死後、抗利尿ホルモンを静脈内持続投与し、エピネフリンを3日間投与後、ドーパミンを9日間投与した。脳死後3、7日後に心生検を行なった。

当サイト注:この論文は、脳死患者9例に対する心生検(延べ21回)から、脳死直後の乏血・低酸素による心筋傷害の発生、エピネフリンの長期投与による心筋傷害の増加を報告している。

 p555の表と、p564の写真説明・本文の説明が異なるため、23日後も心生検をされたようにも読めるが、p555でcase4(44歳男性)に対するドーパミン投与14日間、エピネフリン投与11日間としているため、「死亡まで12日間以上」と表現した。

 

 

 

17

脳死判定例

広島大学:19日間生存

大谷 美奈子:脳死状態患者の実態、広島医学、39(6)、934−938、1986

 頭部外傷、脳挫傷により脳死状態と判定した13歳男児は、尿崩症に抗利尿ホルモンを投与、死亡まで19日間。

 

 

 


12歳児

 

 18

脳死判定例

関西医科大学病院・救命救急センター:死亡まで7日間

 千代 孝夫:救急施設からみた移植臓器提供と移植コーディネーターの問題点と将来像、今日の移植、5(5)、493−497、1992

 基礎疾患が麻痺、ショック、心停止の12歳男児は、脳死まで6日間。その後心停止までの期間は7日間。両腎を提供した。

 

 

 

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脳死判定例

群馬大学医学部集中治療部:19日間生存

藤田 達士:脳死患者管理の医療費、蘇生、8、19−23、1990

 空気塞栓症でICU入室の12歳男児は、脳死判定後死亡まで19日間。

 脳死判定はPittsburg Codeに加えて、聴性脳幹反応のV、X波の消去、CT像で脳室や大脳皺壁の消失、123I-N-isopropyl-iodo-amphetamine による放射性アイソトープ脳シンチグラムを行なっている。中枢神経抑制剤の影響を排除する目的で、ICU入室後5日間のWashing Out 期間をおいた(判定前のWashing Out 期間を6日間)。第1回の脳死判定後、24時間後に第2回の脳死判定を行なったが、第2回終了までは脳死でない患者と同様の治療を行なった。

 この論文は「健康保険による医療費は全症例で3024万円余である。脳死判定前期が平均255±55万円、後期が187±12万円であったが両期の医療費に統計上有意差はなかった。なお、脳死判定費用は7万円弱であった」としている。脳死判定前期、後期の定義は記載が無いが、3024万円を9症例で割ると平均336万円になる。

 APPCHE-Uスコアによる重症度と予測死亡率は、ICU入室時、28.4±1.4点、60%の死亡率を示したが、第1回脳死判定時では23.2±1.9点、45%と最も低い値を示した(P<0.005)。「9症例中1症例のみが、脳死判定日に12点、予測死亡率13%を示し臓器移植の良い提供者になり得たと考えられる」としている。

 

 

 

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臨床的脳死例

施設名記載なし:約20日生存

日本法医学会課題調査委員会:脳死を経過した剖検例調査、日本法医学雑誌、40(2)、165−183、1986

 12歳男児、1983年5月、家人が外出中に縊頸。外科診療所に到着時、心・呼吸停止、挿管により10分後自発呼吸発現、2日後より自発呼吸なくレスピレーター使用、対光反射も消失。脳死判定から心停止まで約20日。死因は縊頸による窒息。

 

 

 

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脳死判定例

広島大学:12日間生存

大谷 美奈子:脳死状態患者の実態、広島医学、39(6)、934−938、1986

 喘息、心肺蘇生後に脳死状態となった12歳女児は死亡まで12日間。

 

 

 


11歳児

 

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臨床的脳死例

聖マリアンナ医科大学病院:ドナー管理下で約3週間生存、心停止後も心臓マッサージ、臓器摘出

 小野 元:誤嚥・窒息による心停止後の蘇生後脳症から臨床的脳死状態に陥った11歳男児からの献腎・献眼提供症例、今日の移植、22(5)、571−574、2009
 力石 辰也:脳性小児まひ・胃瘻造設下の小児における心停止後の腎臓摘出と成人レシピエントへの献腎移植、今日の移植、22(5)、583−586、2009

 脳性小児マヒ、出生後胃ろう造設、その後に気管切開していた男児は、低酸素脳症で寝たきりの状態が10年間が経過していた。気管切開でチューブ先端の肉芽が生じ、たびたび呼吸困難を起こしていた。11歳時の2009年2月、自宅で呼吸困難を起こし、心拍再開まで30分以上を要した蘇生後脳症。無呼吸テストを除く2回の臨床的脳死判定を行った。
 臓器摘出目的でドナー管理、生前に右の大腿静脈からカテーテル挿入を試みたが、大腿静脈閉塞によりカテーテルが入らず、血圧が不安定となってきたため、カテーテル挿入を断念。心肺停止状態での入院から23日後に心停止。心停止ののち、ドナーを手術室に運んで腎臓の摘出手術を行った。麻酔科医による酸素化や、人工呼吸、心臓マッサージを行った。温阻血時間は16分。

 

 

 

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脳死判定例

公立高畠病院:脳死判定基準を満たした後に、自発呼吸、脳波、聴性脳幹反応あり、生存中

 磯目 正人:テレビゲーム中にてんかん発作を起こし、心拍呼吸停止を来たした1例、日本小児科学会雑誌、99(9)、1672−1680、1995

 11歳男児はテレビゲーム中にテンカン発作を起こし、心停止に至り、厚生省脳死研究班の脳死判定基準(1985年)により脳死状態と考えられた後に、数回のケイレンや一時的であるが自発呼吸も認められた。発症4ヵ月後に脳波検査にて極めて低電位ではあるが波形が認められ、聴性脳幹反応(ABR)でも無反応の状態から(後頭蓋窩の血流が保たれている可能性を示す)T波の再出現をみた。

1993年10月20日 発症。15時31分、公立高畠病院に到着時、全身チアノーゼ、心拍呼吸停止、瞳孔散大  →心拍動、自発呼吸出現し福島県立医科大学附属病院に転院。深昏睡、血圧54/35mmHg、人工呼吸管理、脳幹反射消失、瞳孔径6.5×6.5mm
29日 頭部CTでは、高度の浮腫を認め、灰白質と白質はほぼ同じ density であった。
30日 軽度低体温療法やミゾダラムなどの持続点滴を5日間実施
11月 4日 平坦脳波、ABR無反応
5日 平坦脳波、10分間無呼吸テストで自発呼吸認められず
24日 平坦脳波
25日 公立高畠病院に転院、人工呼吸管理、強心剤投与による循環管理を継続、意識無く対光反射認められず。輸液量を調節し電解質管理を続け、尿崩症に対しデスモプレシン投与
徐々に血圧が上昇し、循環状態が安定
12月16日 強心剤中止
25日頃 全身状態が悪化し敗血症、DICも併発、治療より徐々に改善傾向
29日 頭部を左右に振るなどの自発運動、全身の強直性ケイレン。この頃から右手に痛み刺激を与えると体をのけぞらせる誘発運動や脊髄性と思われるミオクローヌスがみられるようになった。
1994年 1月 4日 経管栄養開始
12日 平坦脳波だが、拍手による音刺激で右前頭領域に反応性の徐波
26日 呼吸賦活を目的にドキサプラム投与を試みたが、自発呼吸は認められずケイレンが頻発したため投与中止
2月9日 頭部CTで高度の脳浮腫を認め、脳室は圧迫され縮小していたが、灰白質と白質の区別は可能
3月6日 ABRで右側にT波のみ反応波形を確認
10日 右前頭領域に極めて低電位ではあるが脳波と思われる波形、音刺激でも右半球に波形
16日 頭部CTで高度の脳浮腫を認め、脳室は圧迫され縮小していたが、灰白質と白質の区別は可能
4月15日 頭部CTで灰白質に造影効果を認めた
5月以降 平坦脳波
5月17日 頭部CTで白質に低吸収域が見られるようになり、灰白質と白質の区別が明瞭になってきた
19日 ABRで左側にT波のみ反応波形を確認
6月以降 拍手による反応も消失、頭部CTは大きな変化は認められていない。
8月22日 失調性呼吸が認められ数日持続。30分間無呼吸テストで規則的な自発呼吸
9月22日 再び失調性呼吸となり9月22日に消失。以後も一時的に自発呼吸がみられることはあったが不規則で長期間続くものではなかった。
現在 血圧150〜180/90〜110mmHgと高く、呼吸管理を必要とするが、循環状態は比較的安定し、経管栄養も順調に行なわれている

 

 

 


10歳児

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臨床的脳死例

札幌医科大学医学部付属病院:56日間生存

 高山 留美子:長期臨床的脳死の4小児例、日本小児科学会雑誌、113(9)、1418−1421、2009

  10歳男児は蘇生後脳症(溺水)、第3病日に小児脳死判定基準にもとづき脳死判定(無呼吸テストは実施せず、前庭反射は数週間後に施行)。両親は、両親、兄弟が自由に面会できることを希望された。生命予後が不良であることを理解したうえで、両親、兄弟が一緒に過ごせる時間と全身状態を安定させる治療を希望した。脳機能の回復を見込めないことを理解しつつも、延命治療を希望された。昇圧剤を使用、経口挿管による人工呼吸器管理を継続。第15病日、地元の病院に転院し治療を継続した。第58病日、突然の心停止により死亡した。

 2003年〜2005年札幌医科大学医学部付属病院小児科において4例(1歳6ヵ月男児、本例、9歳2ヵ月男児9歳女児)の長期脳死症例を経験した。全症例の両親は臨床的脳死を死とは考えておらず、臨床的脳死診断後も延命治療の継続を希望し、わが子の存在をできるだけこの世で感じていたいと考えていた。

 

 

 

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脳死判定例

 

杏林大学医学部:10例のうち2例で聴性脳幹反応あり

塩貝 敏之:脳死判定における各種電気生理学的検査法の検討、脳と神経、41(1)、73−83、1989

 厚生省判定基準を満たした10歳〜19歳10例の患者のうち、BAEPのT波またはT波とU波が2例から測定された (無呼吸テストは109例の全例には行われていない)。

当サイト注
 聴性脳幹反応ABR=脳幹聴覚誘発電位(聴性脳幹誘発反応、聴性脳幹誘発電位 brainstem auditory evoked potential :BAEP)は、音圧レベルが100デシベル前後で持続時間0.1〜0.2msec程度のクリック音で刺激する検査。U〜X波が記録されると脳幹部が機能している。T波も脳血流の残存を示すが、厚生労働省は「聴性脳幹誘発反応の消失の確認は努力義務であり必須検査項目ではない。T波の残存の解釈は脳死判定医の裁量の範囲内」という趣旨の見解を示している(唐澤 秀冶:脳死判定における聴性脳幹誘発反応検査、脳死判定ハンドブック、羊土社、210−212、2001)。

 

 

 

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臨床的脳死例

岡山労災病院:脳死と家族に説明するも、後日内部で他の医師が脳死否定。104日間生存

坂本 雅美:脳死に近い状態で長期生存した一症例、第15回日本看護学会集録−小児看護−、257−259、1984

 交通事故による脳挫傷、頭蓋骨折の10歳男児は、24時間後より呼吸消失。瞳孔散大、対光反射消失、意識レベル300。医師により脳死と父親に説明があった。2日後ICUより個室に転室する。医師の転勤により、主治医交代する。12日目より、1日尿量4000ml以上、尿比重低下し、尿崩症と診断され、デスモプレッシンの点鼻を開始する。

 医師は、瞳孔の大きさの変動があり、また昇圧剤を使用せず血圧が保たれたことより脳死を否定し、脳死に近い深昏睡と看護婦には説明した。急性期を脱し、長期生存の可能性があると思われ、経管栄養、理学療法士による四肢の他動運動が開始された。

 90日目頃より、無気肺のため、気管内洗浄。定期的アンビューが施行されたが、換気不全は改善されず、医師より家族に、あと数日だと説明された。104日目、血圧低下し、四肢冷感、チアノーゼが増強し、心停止した。

 


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