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小児脳死判定後の脳死否定例(8歳児)

脳死否定例の定義は小児脳死判定後の脳死否定例(概要および自然治癒例)を参照


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脳死判定例

淀川キリスト病院:第2回判定より8日間生存

島田 誠一:小児の脳死判定の試みと児への対応、日本小児科学会雑誌、96(6)、1432−1440、1992

 マイコプラズマ肺炎およびマイコプラズマ脳炎の8歳男児は、入院2日目に呼吸状態が悪化し、人工呼吸器を装着するも脳浮腫が進行、嵌頓となり昏睡状態になった。米国のTask Force による小児脳死判定ガイドラインに従い、第1回判定は入院5日目、第2回判定は入院8日目、第3回判定は入院13日目であった。すべての判定は回復不可能な脳死状態にあることを示していた。患児は入院後15日目に自然経過で死亡した。

 

 

 

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臨床的脳死例

奈良県救命救急センター:脳底部に血流あり

今西 正巳:脳死に至った小児例、日本救急医学会雑誌、2(4)、743−744、1991

 咽頭炎によって脳死状態となった8歳女児は、造影CTではウイリス動脈輪が造影されて、その造影剤の長時間残存が認められた。これは脳血流の停止状態とは考えにくく、血流遅延、血管外漏出などが考えられた。瞳孔散大、対光反射消失時には体温の低下が認められた。

 

 

 

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脳死判定例

信州大学:約40日間生存

田中 秀司:脳死と考えられながら長期生存した溺水症例、ICUとCCU、7(5)、513−517、1983

 溺水の8歳男児は心停止約20分間。ICU収容時は深昏睡・自発呼吸停止、対光反射消失・瞳孔散大・平坦脳波を認めた。これらの所見は改善することなく経過し、第13病日以降は、昇圧剤なしでは血圧が極度に低下した。したがって日本脳波学会の基準により脳死と判定した。

 しかし一般的な管理@人工呼吸A昇圧剤B利尿C輸液D合併症の治療で、第51病日まで心臓死に到らなかった(脳死以降後およそ40日間)。昇圧剤の点滴静注に血圧が反応したことは長期管理のポイントとなった。本症が長期化した背景に、患者の両親が脳死を死とは認めなかったことがある。またCTスキャンのすぐれた画像は、近親者への脳死の説得に有用である(当サイト注:「CTスキャンのすぐれた画像」は抄録の表現のままであり、田中氏らの見解。田中 秀司:CTを参考にして脳死と判定した2例、日本臨床麻酔学会誌、1(1)、235、1981も同症例かと思われる)。

 


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