[ 0歳児 ] 1歳児 ] 2歳児 ] 3歳児 ] 4歳児 ] 5歳児 ] 6歳児 ] 7歳児 ] 8歳児 ] 9歳児 ] 10歳児−15歳児 ]

小児脳死判定後の脳死否定例(0歳児)

脳死否定例の定義は小児脳死判定後の脳死否定例(概要および自然治癒例)を参照


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臨床的脳死例

広島市立広島市民病院:2年10ヵ月生存
 

 中川 直美:浴槽用浮き輪による乳児溺水事故の3例、日本小児科学会雑誌、113(7)、1137−1140、2009

 10ヵ月男児は浴槽で溺水、受傷5日目の聴性能間反応で全く反応なく、脳波検査でも電気的活動は消失していた。循環動態は安定したが脳波所見は回復せず、自発呼吸も全く見られなかった。神経学的回復もなく受傷から2年10ヵ月後、肺炎を契機に死亡した。

 

 

 

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臨床的脳死例

鹿児島生協病院:症状安定後に在宅人工呼吸療法、1年3ヵ月以上生存

 樋之口 洋一:最重症在宅人工呼吸療法患児の看取りを考える、日本小児呼吸器疾患学会、19(supplement)、116、2008

 家に帰りたいという家族の思いを実現し、限られた小児病床の有効利用という観点から最重症例でも在宅人工呼吸療法(HMV)を追求すべきであると考えるが、「HMVの看取り」については未だ論議が少ないと思われるので報告する。
 症例は男児。生後7か月時に急性壊死性脳症に罹患し救命されたが深昏睡状態となった。瞳孔散大固定、脳幹反射なし。平坦脳波。自発呼吸・咳漱反射なし。頭部CTで正常脳構造を認めず。気管切開、胃瘻造設。脳下垂体機能不全のためホルモン補充療法を行っていた。症状安定期に入り家族が在宅医療を希望した。上記の状態から当初HMVの適応はないと判断したが家族の希望は強く、急変時の対応について(どこまで治療するか)話し合いを重ねHMVへ移行した。
 1年3か月後に気道感染症に罹患し入院、抗菌薬投与を開始したが急速に呼吸不全が進行した。退院時の確認に従いそれ以上の治療は行わず、入院翌日に家族(父母、4人の兄姉妹)の見守るなか永眠した。

 

 

 

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臨床的脳死例

北里大学病院:21日間生存、臓器提供承諾後昇圧剤中止、心停止後に心臓マッサージ・臓器摘出

 林 初香: 腎・心臓弁のドナーとなった9ヶ月男児例、日本小児救急医学会雑誌、7(2)、339−342、2008

 頭部外傷の9ヶ月男児は、PICU入室時より瞳孔散大固定、脳幹反射や自発呼吸は認めなかった。さらに頭部CT上、脳浮腫が増悪しmid line shiftも進行したため、今後、脳機能の改善が見込めないことを受傷6日目に両親と両祖父母に伝えた。個室に移動し緩和ケアへ移行。受傷12日目に母親より臓器提供の申し出。受傷16日目に臓器提供の承諾書を作成し、提供臓器の状態を維持するために昇圧剤と輸液を投与し、血液検査と超音波検査による腎機能の評価を繰り返し行った。
 レシピエントが決定した後、昇圧剤を中止し血圧は徐々に低下し受傷26日目に心停止となった。心停止を確認すると同時にヘパリンの全身投与と胸骨圧迫を行いながら手術室に移動し、腎臓と心臓弁が摘出された。

 

 

 

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脳死判定例

近畿大学:脳死判定の10日後から自発呼吸、4年3ヵ月生存

 植嶋 利文(近畿大学医学部附属病院救命救急センター)、田中 大吉(暁美会田中病院):乳児期に脳死診断後、4年間生存しえた1例、脳死・脳蘇生、19(1)、55、2006

 5ヵ月男児は睡眠中に呼吸停止となっているところを母親に発見され、蘇生処置を実施されながら搬送。来院後、心拍は再開したが心停止時間は約40分間。小児脳死判定基準研究班の基準に、無呼吸テストを除き、ほぼ準拠して第20病日と第24病日に脳死診断を行った。無呼吸テストの代用として、呼吸器設定の操作により、動脈血中の二酸化炭素を貯留させた状態で自発呼吸出現の有無をチェックした。その結果、すべての反応は認めず聴性脳幹反応も認めなかった。
 しかし尿崩症は出現せず、下垂体ホルモンの基礎値も維持されていた。第30病日頃から微弱な自発呼吸の出現を認めたが、呼吸器からの離脱には至らなかった。頭部CTでの経過観察では、びまん性の脳萎縮が急速に進行した。その後、当院および他院で長期入院を継続し、発症4年3ヵ月後(1539日後)に肺炎などの合併で死亡した。

 考察:乳児に対する脳死判定は厚生労働省の研究班が示している48時間という規定だけでは脳死と判定されても、今回のように自発呼吸の出現や長期生存できる可能性があり、ホルモンの基礎値の検討や、脳血流、脳死判定間隔の延長等の検討も必要かもしれない。

 

 

 

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脳死判定例

横須賀市立市民病院:101日間生存

手塚 里奈:重篤な障害が予測される児への対応について、日本小児科学会雑誌、109(2)、128、2005

 15歳の母親が自宅分娩し、1時間以上の心肺停止状態後に蘇生した新生児。心拍は再開したが、その後も自発呼吸・自発運動を認めることはなかった。今後の治療方針を考える上で中枢神経系の障害の程度を評価する指標として脳死判定を行い脳死状態と判定したが、治療方針について明確な結論は得られず、日齢101に肺炎で死亡した。
 

 

 

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臨床的脳死例

 

枚方市立枚方市民病院:体動が頻繁、積極的治療、239日間生存

 

 田辺 卓也:小児の長期脳死自験例5例とわが国における小児脳死判定の問題点、日本小児科学会雑誌、113(3)、508−514、2009
 原 啓太:小児脳死判定基準に合致した5症例の臨床経過、脳と発達、36(Suppl)、S193、2004

 6ヵ月男児、急性脳炎。2病日に脳浮腫進行し呼吸停止、深昏睡。6病日に尿崩症、散瞳固定。14病日に脳幹反射、脳波活動の消失を確認。180病日現在で積極的治療中。体動を頻繁に確認。 腎不全にて252病日心停止。

 保護者の気持ちの変化は、積極的な治療を希望→気管切開の受け入れ(179病日)→最後まで在宅医療の可能性を希望された。

 他の症例は6歳7ヵ月男児4歳11ヶ月男児1歳11ヵ月女児1歳2ヵ月男児

 


 

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臨床的脳死例

高知市民病院:脳血流あり、植物状態で生存中

熊田 恵介:脳死状態の画像所見 SPECT像を中心に、脳死・脳蘇生、16、50−56、2004

 窒息による心肺停止で、心肺停止蘇生後(推定心停止時間30分)の4ヵ月男児は、蘇生6日後の時点で、脳幹反射消失、脳波ECS、ABR波形認めず、脳死状態と診断した(無呼吸テスト施行せず)。蘇生6日後に施行したSPECT像では、大脳皮質の一部、基底核部、PCA(posterior cerebral artery)領域に脳血流を認めた。蘇生90日後、植物状態で生存している。

 

 

 

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臨床的脳死例

高知市民病院:脳死診断の翌日に脳血流あり、82日間 生存

熊田 恵介:脳死状態の画像所見 SPECT像を中心に、脳死・脳蘇生、16、50−56、2004

 乳幼児突然死症候群による心肺停止で、心肺停止蘇生後(推定心停止時間45分)の2ヵ月男児は、蘇生7日後の時点で、脳幹反射消失、脳波ECS、ABR波形認めず、脳死状態と診断した(無呼吸テスト施行せず)。蘇生8日後に施行したSPECT像にて、大脳皮質およびPCA(posterior cerebral artery)領域に脳血流を認めた。蘇生88日後に心停止となった。

 

 

 

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臨床的脳死例

 

奈良県立奈良病院:臨床的脳死の当日に脳波、脳血流も確認、101日間生存

星田 徹:小児頭部外傷後の脳死脳波の判定、神経外傷、26(2)、103−108、2003

 6ヵ月の女児。父親が布団の上に投げると泣かなくなって小児科を受診、けいれん発作が出現、頭部CT検査で 右硬膜下血腫。緊急手術にて血腫を除去したが、著明な脳浮腫をきたしたため外減圧術を行った。術後深昏睡と無呼吸状態が続き、臨床的脳死が疑われた受傷後17日目の MRI検査で、正常な脳構造は存在せず、皮髄境界も認められなくなっていた。同日の脳波検査では、10μV/mmの標準感度記録で30μVの明らかな脳活動 が残存。翌日の受傷18日目の脳血流SPECT検査で脳内に血流が残存、20日目の頭蓋内ドップラー検査にて、中大脳動脈と後大脳動脈に順流の血流を確認し、少なくとも脳内に血流の残存がうかがわれた。患児は人工呼吸下に管理され、受傷 後117日目に死亡した。

注:星田氏は論文のなかでp106では「臨床的脳死状態であっても・・・」、p103・p105・p107では「臨床的脳死疑診状態」「小児の脳死疑診例は・・・」など、臨床的脳死例としつつも脳死疑診例とも 表現している。

 

 

 

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脳死判定例

新潟市民病院:自動運動、脊髄反射あり家族は心停止後の心肺蘇生術を希望、54日間 生存

吉川 秀人:小児長期脳死症例における体動について、新潟市民病院医誌、24(1)、25−28、2003

 急性脳炎・脳症の10ヶ月女児は、脳死に至るまで7日間。小児脳死判定暫定基準案(1999年)により脳死判定してから、自動運動、脊髄反射が認められ、家族は心停止後の心肺蘇生術を希望した。心停止に至るまで54日間。

 

 

 

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脳死判定例

新潟市民病院:脊髄反射、三重屈曲反射あり、32日間生存

吉川 秀人:小児長期脳死症例における体動について、新潟市民病院医誌、24(1)、25−28、2003

 急性脳炎・脳症の10ヶ月女児は、脳死に至るまで1日間。小児脳死判定暫定基準案(1999年)により脳死判定してから、脊髄反射、三重屈曲反射が認められた。心停止に至るまで32日間。

 

 

 

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脳死判定例

新潟市民病院:脊髄反射、三重屈曲反射あり、41日間生存

吉川 秀人:小児長期脳死症例における体動について、新潟市民病院医誌、24(1)、25−28、2003

 急性脳炎・脳症の9ヶ月女児は、脳死に至るまで2日間。小児脳死判定暫定基準案(1999年)により脳死判定してから、脊髄反射、三重屈曲反射が認められた。心停止に至るまで41日間。

 

 

 

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脳死判定例

新潟市民病院:12日間生存

吉川 秀人:小児長期脳死症例における体動について、新潟市民病院医誌、24(1)、25−28、2003

 化膿性髄膜炎の8ヶ月女児は、脳死に至るまで1日間。小児脳死判定暫定基準案(1999年)により脳死判定してから、心停止に至るまで12日間。

 

 

 

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脳死判定例

聖マリア病院:47日間生存

松石 豊次郎:小児の脳死、小児科、42(5)、880−887,2001

 聖マリア病院において乳幼児突然死症候群で脳死判定された0.5歳児は死亡まで47日。

 

 

 

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臨床的脳死例

北九州市立八幡病院:虐待した?両親が治療切り下げを意思表示、死亡まで7日間

松石 豊次郎:小児の脳死、小児科、42(5)、880−887,2001

 北九州市立八幡病院で乳幼児突然死症候群で脳死判定された0.8歳児は死亡まで7日。

 

 上記と同症例とみられる、市川 光太郎:脳死と思われた小児10例の検討、小児科診療、62(3)、428−432、1999によると虐待された可能性のある女児で、自発呼吸・対光反射・角膜反射・人形の眼現象がなく、脳波測定・聴性脳幹反応は施行が拒否された。

 家族の現状に対する受容態度は「不審」。両親揃って医療拒否的な態度が強く「こどもの自然に任せてください」と呼吸器条件と強心剤の据え置きを意思表示した。

 当サイト注:「据え置き」とは、「治療水準切り下げ」の意味で使用していると見込まれる。家族側が自発的に「据え置き」を申し出たのか、それとも医師の提案後に同意したのかは不明。

 

 

 

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臨床的脳死例

北九州市立八幡病院:44日間生存

松石 豊次郎:小児の脳死、小児科、42(5)、880−887,2001

 北九州市立八幡病院で乳幼児突然死症候群で脳死判定された0.6歳児は死亡まで44日。

 

 上記と同症例とみられる、市川 光太郎:脳死と思われた小児10例の検討、小児科診療、62(3)、428−432、1999によると窒息と疑われる女児。自発呼吸・対光反射・角膜反射・人形の眼現象がなく、脳波測定・聴性脳幹反応での無反応所見(48時間以上の間隔で2度施行)による脳死症例。脊髄反射と思われる体動が周期的にみられた。

 家族の現状に対する受容態度は「普通」。「可能性を求めて積極的に加療してほしい」との意志表示がみられた。(当サイト注:家族に病状を説明すると?)「よろしくお願いします」だけ、真の心情つかめないまま。

 

 

 

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臨床的脳死例

北九州市立八幡病院:143日間生存

松石 豊次郎:小児の脳死、小児科、42(5)、880−887,2001

 北九州市立八幡病院で乳幼児突然死症候群で脳死判定された乳幼児突然死症候群の0.4歳児は死亡まで143日。

 上記と同症例とみられる、市川 光太郎:脳死と思われた小児10例の検討、小児科診療、62(3)、428−432、1999によると、保育園で発症し検死行政解剖が行なわれた男児。自発呼吸・対光反射・角膜反射・人形の眼現象がなく、脳波測定・聴性脳幹反応での無反応所見(48時間以上の間隔で2度施行)による脳死症例。脊髄反射と思われる体動が周期的にみられた。

 家族の現状に対する受容態度は「良好」。家族からは「可能性を求めて積極的に加療してほしい」との意志表示がみられた。(当サイト注:最終的には?)「一分の可能性がある限り頑張って、よくしていただき。この子も幸せと思う」。

 

 

 

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脳死判定例

福岡大学医学部:脳血流(聴覚脳幹誘発電位)あっても米国STF基準で「脳死」、15日間生存

大府 正治:小児の脳死における電気生理、臨床脳波、42(8)、487−492、2000

 母親が家事をしている間に寝返りをし、うつ伏せで呼吸停止していた5ヶ月男児(乳児突然死症候群)。脳死状態は血圧・体液補正によっても不変であり、翌日も平坦脳波でさらに24時間後第3病日に脳死と判定した(米国STF基準)。しかしBAEPはT〜U波が残存し第10病日も同じ所見であった。第17病日に心停止し死亡した。平坦脳波になってもなおBAEPが残存することは全脳髄の機能喪失とはいえず、脳死と判定する際に注意が必要と考えられる。

当サイト注:
 聴性脳幹反応ABR=脳幹聴覚誘発電位(聴性脳幹誘発反応、聴性脳幹誘発電位 brainstem auditory evoked potential :BAEP)は、音圧レベルが100デシベル前後で持続時間0.1〜0.2msec程度のクリック音で刺激する検査。U〜X波が記録されると脳幹部が機能している。T波も脳血流の残存を示すが、厚生労働省は「聴性脳幹誘発反応の消失の確認は努力義務であり必須検査項目ではない。T波の残存の解釈は脳死判定医の裁量の範囲内」という趣旨の見解を示している(唐澤 秀冶:脳死判定における聴性脳幹誘発反応検査、脳死判定ハンドブック、羊土社、210−212、2001)。

 

 

 

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脳死判定例

兵庫医科大学:脳死判定後死亡まで312日間、身長が74cmから82cmに成長

 久保山 一敏:300日以上脳死状態が持続した幼児の1例、日本救急医学会雑誌、11(7)、338−344、2000
http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jjaam1990&cdvol=11&noissue=7&startpage=338&lang=ja&from=jnltoc

患児    :生後11ヶ月の男児、身長74cm、体重8.7s

主訴    :頭部外傷後の意識障害

生活歴   :36週正常産、生下時体重3,212g、発育は正常

既往歴   :5日前から感冒様症状

現病歴

 自宅で絨毯を敷いた板張りの床で後頭部を打撲し、すぐに激しく啼泣した後、上肢を屈曲硬直させる全汎性強直性痙攣が約10分間持続した。直ちに近医を受診したが、意識障害が遷延し、呼吸抑制が持続するため、転倒1時間後に当部に転送された。

来院時現症

 意識レベルは、JCS200、GCSE1V1M2で除脳硬直肢位を呈していた。両眼球は上転位で瞳孔径は両側とも2.5o、対光反射は両側とも迅速であった。血圧65/45oHg、心拍126/min。腋窩温35.5℃、呼吸様式は陥没・努力様で、呼吸数は27/min。顔面は蒼白で全身の皮膚に冷感を認めた。体表に外傷はなかった。直ちに気管挿管、静脈ルートの確保、動脈ラインの確保を行った。頭部CT scanでは、大脳半球間裂の急性硬膜下血腫とびまん性脳浮腫を認めた。

臨床経過

第  1病日:調節人工呼吸下に浸透圧利尿薬投与、軽度低体温療法(34℃)を施行した。

第  2病日:

 両側の瞳孔散大、対光反射消失、急激な血圧低下を来した。血圧はドパミン8μg/kg/minで昇圧できた。頭部CT scanで脳浮腫の増悪を確認。アトロピンテスト(0.25mg iv)では反応は見られなかった。

第  3病日:尿崩症の合併を認めたためデスモプレッシンの点鼻投与を開始。頭部CT scanで脳タンポナーデを確認。

第  5病日:平坦脳波を確認。

第  6病日:聴性脳幹反応(ABR)検査で全波消失を確認。患児はすでに脳死状態にあると推測した。

第  8病日:

 成人の脳死判定基準に即した神経学的評価を無呼吸テストを除いて行い、全項目の満足を確認し、併せて平坦脳波を再度確認した。両親はこれを論理的には理解しても感情的には受容しなかった。

第 14病日:

 無呼吸テストを含めた脳死診断を行うため、直腸温を34℃から35℃まで復温し、深昏睡、両側瞳孔散大固定、全脳幹反射消失、平坦脳波を確認した。

第 15病日:

 無呼吸テストで自発呼吸消失を確認、聴性脳幹反応(ABR)検査での全波消失と、アトロピンテストでの無反応を再確認した。患児の神経学的所見は不可逆的であり、脳死状態にあると結論した。以上の結果を両親に示して、患児がもはや脳蘇生の対象ではないことを説明した。両親の同意を得たため、循環・呼吸など全身状態に対する維持療法は継続したが、第17病日以降は浸透圧利尿薬投与と過換気療法を中止した。

第 26病日:

 播種性血管内凝固症候群が、第51病日には深在性真菌症の合併が顕在化し、これらにより死の転帰をとるものと予想された。しかし患児は一般治療に対して良好な反応を示し、これらの合併症は沈静化した。

第 29病日:Doppler法により頭蓋内に血流が感知されないことを確認。

第 30病日:脳波は平坦、聴性脳幹反応(ABR)検査で全波消失を確認。

第 44病日:脳波は平坦、聴性脳幹反応(ABR)検査で全波消失を確認。

第 55病日:Doppler法により頭蓋内に血流が感知されないことを確認。

第 58病日:Dynamic CTで頭蓋内血流途絶を確認。

第 65病日頃:

 大泉門直上の頭皮が膨隆し、以後徐々に増強した。脳血流停止に伴う脳実質の自己融解が、これ以前に始まっていたと推測した。

第 90病日:

 比較的緩慢な四肢の伸展・回内運動と、腹壁の不規則な収縮運動がみられるようになった(当初は体位変換などの刺激で誘発されていたが、徐々に自発的に出現するようになり、全期間を通じて持続した。著しい時にはあたかも踊るようにみえる体動であり、両親に心理的動揺を与えた。この運動様式は合目的的ではなく一定の様式を呈しており、意志による自発運動とは明らかに異質であった)。

第120病日:

 不安定だった循環動態が、以後徐々に安定化していき、当初から併用していたドパミン、デスモプレッシンは漸減することが可能になった。

第123病日:水分や栄養の補給は、当初からの持続点滴に経管栄養を併用。

第133病日:脳波は平坦、聴性脳幹反応(ABR)検査で全波消失を確認。

第134病日:頭部CT scanで脳実質の液状化に伴うと思われるniveau形成を認めた。

第139病日:

 大泉門直上の頭皮が自潰し、灰白色膿汁様流出物を認め、以後全経過を通じて持続した。この流出物の病理学的診断は融解壊死脳組織であった。

第149病日:ドパミンは中止できた。

第204病日:

 頭部CT scanで融解した壊死脳組織が流出したことによる脳実質の減少を認めた。Doppler法により頭蓋内に血流が感知されないことを確認。

第217病日:

 脳波は平坦、聴性脳幹反応(ABR)検査で全波消失を確認した。患児の運動が脳由来か脊髄由来かを鑑別するため、短潜時感覚誘発電位検査(SSEP)を施行したところ、電気的反応は頚髄レベルでみられるのみで、大脳皮質では認められなかった(ついで第218、219病日に行った脳死判定で、患児の脳死状態は再度確認され、患児の自発運動は脳由来ではないと確信した)。

第218病日:

 「小児における脳死判定基準に関する研究班」の基準案に則って第1回、第219病日に第2回の無呼吸テストを含む神経学的評価を行い、基準案を満たしていることを確認。

第229病日:Dynamic CTで頭蓋内血流途絶を確認。

第245病日:デスモプレッシンは中止できた。

第253病日:身長82pまで増加。

第299病日:頭部CT scanにより顕著な気脳症を認めた。

第325病日:敗血症性と思われる腎不全が顕在化し、急速に悪化。

第326病日:死亡。

考察

  1. 本症例の脳死診断

 本邦では現在、小児の脳死判定基準は確定していないため、本例を法的、社会的に脳死と呼ぶことは適当ではない。しかし、以上の検査所見と臨床経過より、医学的には本例は早期から脳死状態にあったことは間違いない。

  1. 脊髄自動運動(spinal automatism)

 患児の脊髄自動運動の出現時期が、第90病日と成人脳死例と比べて遅く、以後も心停止まで長期継続している点が、異なっている。幼児の脊髄が成人に比して脳死後も融解壊死に陥りにくいことを示しているのかも知れない。ただし本例の脊髄の状態は、病理解剖が両親の同意が得られず行えなかった。

  1. 脳死状態における長期全身管理

 近年、脳死状態と診断された小児例のなかに、成人例に比べて著しい長期間心拍が持続する例が、学術報告に散見される。これらの報告から、小児脳死例はすべて長期にわたって心拍が持続すると結論づけるのは適当ではない。しかし、成人例からは類推できないほどの長期間、心拍が持続する例が脳死小児にあることは事実と思われる。なぜ、小児でこのような脳死下長期安定例が生じるのかは明らかにされていない。

 小児と成人の最大の生理的差異は成長である。本例では成長ホルモンと甲状腺ホルモンが、T4が基準域内であったことを除くと基準域以下ながらすべてが測定された。また、身長は一貫して増加傾向を示していた。この成長のメカニズムのなかに、全身状態の長期安定化に寄与する因子がひそんでいるのかもしれない。

 本例では、病初期に必要であった抗利尿ホルモンから慢性期には離脱し得た。このことは、慢性期に抗利尿ホルモンが自己補充されたか、腎が抗利尿ホルモンへの依存から脱却した可能性を示唆する(当サイト注:p341に各ホルモンの濃度推移を掲載)。

 また、循環系のドパミンへの依存度は慢性期に漸次低下し、ドカルパミンの投与を要するだけになった。体内のカテコラミン環境が脳死下で変化していったことが推測される。これらの事実は、脳死に対して小児にはある程度、適応能力があるのではないかという想像をもたらす。

 本例では、下垂体前葉機能の一部が長期間維持されていた。脳死下での下垂体機能の一部が残存しうることは諸家の報告にあるが、それらは成人例でのものであり観察期間は本例ほど長期ではない。この内分泌機能の長期維持と、spinal automatism(脊髄自動運動)が示唆した脊髄の長期保全は、脳死下の小児の特殊な現象かもしれない。脳死下小児における成長や内分泌メカニズムの解析は、小児の脳死下病態の特殊性を解明する手がかりになりうると思われる。さらなる知見の蓄積が待たれる。

 

 

 

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脳死判定例

北海道立小児総合保健センター:心臓死まで平均17日間、最長118日間。5割は心臓死時期まで体動

 高橋 義男:日本における小児の脳死状態とは−小児の脳死と重症心身障害児との連続性、小児の脳神経、25(4)、375、2000

 脳死になりうる現病歴をもち、脳幹障害を推測させる神経症状を認め、CTで脳死といえる所見を認め、EEG、ABRが平坦で、CO2および薬剤による呼吸賦活で反応を認めないなどを脳死状態とした。

 その結果、対象患児は18例あり、年齢は0日から5歳6ヶ月(平均8.3ヶ月)。脳死状態から心臓死までの期間は、2日から最長118日、平均17.3±28.6日で、9例(50%)は心臓死時期近くまで四肢の動きを認めた。重症心身障害児6例が広範な脳損傷を認め、ほぼ同様の急性期状態であったが脳死ではなかった。

 患者が自己決定できないため、その方針は医療スタッフ、家族で決定された。18例中8例は発症後2日以内に現病歴、CT所見、症状などから患児がもし生存したとしても極めて重度の障害を残すとして積極的な治療はされず、経過とともに脳死状態となった。現在私達は、急性期に脳死類似状態でも広範な脳損傷を認めながら長期生存しているなどがあり、脳死状態の判断はしていない。

 小児では自己決定ができないため重症例では治療方針が医療スタッフにより決まる。積極的治療継続の判断要因は生存しても重度のハンディキャップをもつか否かということである。小児の脳死と重症心身障害児は、時に経過の連続線上にあり、本邦でどこまでを生存とするか整理する必要がある。誤差が生じないように発症後2週以内は脳死評価せずに積極的に治療すべきである。

 

 

 

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臨床的脳死例

日立総合病院:約170日間生存、わずかな血流を認めた?

菊地 正広:Human herpesvirus 6による急性壊死性脳症の1例、小児科臨床、53(2)、248−252、2000

 9ヵ月女児はHuman herpesvirus 6(HHV-6)の初感染、発症から数時間の経過で急激に症状が進行し脳死の状態に至った。人工換気療法開始時、頭部CTでは両側視床、脳幹背側の腫大、低吸収域を認めた。全身の筋緊張は低下し、咽頭、咳嗽反射は消失、瞳孔は散大、対光反射も消失していた。翌日、意識状態はJCS300で自発呼吸なく、人形の眼反射ほかの脳幹反射も全く消失していた。頭部MRIで急性壊死性脳症と診断した。

 その後、尿崩症の状態となり血圧の低下がみられたが、dopamine , DDAVP を使用し循環状態は安定した。10日、14日に行なった脳波は平坦、聴性脳幹反応も無反応であった。SPECTでも脳内の血流はほとんど認められなかった(当サイト注:わずかな血流を認めたという意味か?)。その後も人工呼吸器管理が続けられていたが、第170病日、心不全で死亡した。

 

 

 

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臨床的脳死例

聖マリアンナ医科大学小児科: 3ヶ月以上生存が4例、最長8ヶ月間生存

村野 浩太郎:小児救急外来におけるDOAの実態、小児科、40(11)、1477-1483、1999


 過去10年間の小児DOA症例77例のうち心拍再開例は23例。心拍再開後の経過は、全例いわゆる脳死状態に陥り、4時間から最長8ヵ月で死亡していた。19例(82.6%)は3ヶ月以内に死亡、3ヶ月以上の生存は4例。
 DOA症例の年齢別では0歳児が38例と最も多く、全体の約50%を占めていた。DOAに至った原因別ではSIDSが38例(50%)、基礎疾患群17例(22%)、不慮の事故14例(18%)、原因不明8例(10%)。基礎疾患を有していた症例は26例で全体の約34%を占めていた。
 

 

 

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245

臨床的脳死例

福岡大学病院救命救急センター:臨床的脳死例に聴性脳幹反応あり、簡易無呼吸テストで自発呼吸出現

 平田 雅昭:聴性脳幹反応(ABR)および簡易の無呼吸試験によって臨床的脳死の診断から除外された乳児昏睡例、脳死・脳蘇生研究会誌、12、48、1999

 4ヵ月の乳児は心肺停止状態で発見され、心肺蘇生によって自己心拍のみ再開したが、自発呼吸は消失、瞳孔散大・対光反射消失、脳幹反射消失、脳波も無反応であり、臨床的に脳死と診断した。しかし同日に施行したABRは4波まで認められ脳幹機能は残存していた。このため、呼気終末CO(etCO2)のモニタリング下に人工呼吸器の設定をIMVモードからCPAPモードにして観察を行ったところ、約5分後にetCO2が31mmHg(PaCO2は34.8mmHg)から46mmHg(PaCO2は48.0mmHg)に上昇したところで自発呼吸が出現し始めた。

 小児の脳死の基礎疾患は、窒息や突然死を原因とする無酸素脳症が多く、大脳死の状態でも脳幹の機能は保持されていることがあり得る。今回のABRや比較的侵襲の少ない簡易の無呼吸試験は、小児の脳死判定に有力な情報をもたらすと思われた。

 

 

246

臨床的脳死例

旭川医科大学:11日間生存 

 清水 恵子:偶発性低体温症併発の蘇生後脳症における脳低温療法の検討、臨床体温、17(1)、63−70、1999

 浴槽内(冷水)で溺水の1ヵ月男児は、搬入時鼓膜温20.3℃、心停止から心拍再開まで60分。32℃の中等度脳低温療法の施行となったが、CT上第6病日には脳浮腫が増大し、大脳皮質全体にわたる梗塞所見が認められたため、復温に移行した。脳波所見も第2、第8病日とも平坦であり、脳死状態であった。第18病日に永眠された。

当サイト注:1ヵ月男児が浴槽内(冷水)で溺水した経過については、記載がない。

 

 

 

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脳死判定例

広島大学医学部:脳死と判定した後に脳血流、聴性脳幹反応が再開、死亡まで22日間

黒木 一彦:6歳未満の小児11例に対する脳死判定の試み、日本救急医学会雑誌、8(6)、231−236、1997
http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jjaam1990&cdvol=8&noissue=6&startpage=231&lang=ja&from=jnltoc 

 われわれは、脳死の本質を外界に表出される意識のみならず、内的意識を含めた意識の不可逆的な消失とそれを保証する不可逆的な全脳循環停止と考えている。1991年以降、厚生省判定基準に聴性脳幹反応(ABR)を必須とし、脳血管造影検査、SPECT、もしくは transcranial Doppler (TCD)を用いて脳血流検査を加え、観察期間を24時間(2ヵ月未満の乳児では観察期間を48時間)とする厳密な“広島大学医学部における医学的脳死判定基準 (無呼吸テストに反応なしを含む)”を用いて、乳幼児も判定対象として脳死判定を行なっている。

 この脳死判定基準を用いて、脳死を判定した後に一過性に脳血流、聴性脳幹反応の再開が認められた3ヵ月幼児例を経験した。これは一過性の脳機能の回復と考えられ、真の意味での全脳死の状態とは言い難い。われわれは自験例の蓄積から、1歳以上の症例は広島大学医学部における医学的脳死判定基準を満たした場合には全脳死と判定してよいと考えた。しかし1歳未満の乳児では最適な観察期間、最良な脳血流検査を検討されるべきである。いずれにしても6歳未満の小児の脳死判定については世界的にみても症例に蓄積が乏しく、少なくとも本邦では全国的レベルの共同研究が行なわれるべきだと考える。

 3ヶ月男児、出生、出産に異常なく、代謝異常などの基礎疾患や明らかな外傷は認めなかった。痙攣を頻回に起こし、乗用車で来院途中、呼吸停止となる、来院時、心肺停止状態であった。直ちに心肺蘇生を行なったにもかかわらず意識の回復なく、第5、6病日に“広島大学医学部における医学的脳死判定基準”に基づき脳死判定を行なった。脳血流検査はTCDを用い、systolic spike を認め、すべての基準を満たしたため脳死と診断した。しかし第9病日にはSPECTにて若干の脳血流の存在を、TCDでほぼ正常な波形を認め、さらに第12病日には潜時の延長を認めるものの、第X波まで確認できる聴性脳幹反応(ABR)が得られた。しかし、患児はその後、意識の回復、自発呼吸をみることなく第27病日に心停止に至った。

 バルビツレートなどの投与歴はなく、内分泌代謝障害、低体温のないことを判定時に確認している。このように脳死判定数日後に脳機能の一過性の回復が認められた要因は、大泉門の開存による圧緩衝作用が極限的な頭蓋内圧の上昇を抑制し、その結果、脳血流の再開をもたらしたものと推察される。この症例から大泉門が開存している乳児に対して脳死判定を行なう際には、脳死判定の観察期間、脳血流検査の方法と時期を検討する必要が示された。

当サイト注:この論文には、脳死判定時期の記載はないが表1に、心停止まで116日間の2ヵ月児、13日間の3ヶ月児、12日間の5ヵ月児、11日間の2ヵ月児も掲載されている。他の6例の心停止までの期間は、1〜3日間。

 

 

 

248

臨床的脳死例

北里大学病院医学部附属病院:18日間生存

 出沢 愛美:溺水により児が脳死状態と宣告された両親への援助−早期に意思表示されたケースから−、第27回日本看護学会集録−小児看護−、188−190、1996

 自宅の浴槽で溺水の11ヵ月男児は、入院8日目の脳波平坦、聴性脳幹誘発反応は無反応の結果、今後、呼吸器管理を除く延命処置は行なわない方針が両親へ説明された。対症療法により経過観察していたが徐々に悪化し、入院25日目永眠する。

 

 

 

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脳死判定例

福岡大学筑紫病院:脳血流(聴覚脳幹誘発電位)あっても厚生省基準・STF基準で「脳死」、
16日間生存、厚生省基準と米STF基準で1日差

 大府 正治:小児の脳死における電気生理学的検討 脳波および聴覚誘発電位の経時的変化、日本小児科学会雑誌、98(1)、39−45、1994

 厚生省研究班(1985年)およびSTF基準(米国小児脳死判定特別専門委員会1987年)の脳死判定基準を用い脳死と判定した4ヵ月男児(乳児突然死症候群)。第2病日に厚生省基準を満たしたがBAEPはT−V波残存。第3病日にSTF基準を満たしたがBAEPはT−U波残存。第11病日にBAEPは平坦化し、第17病日に心停止した(厚生省基準で脳死判定後16日)。

 

 

 

250

臨床的脳死例

和歌山県立医大高度集中治療センター:3回とも頭蓋内の血流を認め、生存している

中 敏夫:小児の脳死判定と補助診断としての99mTc-HM-PAO-SPECTの有用性、蘇生、11、97−98、1993

 5ヶ月男児は自宅にて無呼吸状態のところ発見され、臨床的に脳死状態に陥ったため4日目、12日目、19日目と計3回SPECTを施行、3回とも頭蓋内に血流を認め、特に3回目は2回目に比べて明らかに血流の増加を認めた。これにより脳死とは判定できず治療を継続した。

 以後、臨床的改善は認められず26日目他院へ転院となるも現在まで変化なく、心停止には至っていない。

 

 

 

251

脳死判定例

淀川キリスト教病院:第1回判定より5ヵ月間生存

島田 誠一:小児の脳死判定の試みと児への対応、日本小児科学会雑誌、96(6)、1432−1440、1992

 他院で出生、蘇生後、当院に転送入院となった6ヶ月男児は、入院時、頭部CTにて頭蓋内出血および脳浮腫を認め、その後、低酸素虚血性脳症となった。米国のTask Force による小児脳死判定ガイドラインに従い、第1回判定は生後25日目、第2回判定は入院89日目で、脳死と判定された。患児は第1回の判定から5ヵ月後に自然経過で死亡した。

 

 

 

252

脳死判定例

淀川キリスト教病院:第1回判定より4ヵ月間生存

島田 誠一:小児の脳死判定の試みと児への対応、日本小児科学会雑誌、96(6)、1432−1440、1992

 生後12時間、原因不明の呼吸停止をおこし、蘇生後、当院に転送入院となった5ヶ月女児。自発呼吸は回復せず、CTにて重度脳浮腫を認め、低酸素虚血性脳症となった。米国のTask Force による小児脳死判定ガイドラインに従い、第1回判定は生後7日目、第2回判定は入院10日目、第3回判定は生後102日目。すべて脳死を示していた。第1回脳死判定の4ヵ月後に人工呼吸器を止めて死亡となった。

 

 

 

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脳死判例例

大阪大学:40日後に自発呼吸出現、死亡まで70日間

 岡本 健:視床下部−下垂体系機能の残存を認めた脳死状態の1乳児例、日本救急医学会雑誌、2(4)、744−745、1991
 Ken Okamoto:Return of spontaneous respiration in an infant who fulfilled current criteria to determine brain death、Pediatrics、96(3)、518−520、1995

 3ヵ月の女児、乳幼児突然死症候群により、第3病日以降、脳死3徴候、平坦脳波の脳死徴候をすべて満たし、脳死状態となった。 自発呼吸の消失は、無呼吸テスト(肺胞内二酸化炭素分圧:PCO2が69.3mmHg)で判定された。48時間後、第5病日の再検査時も変化なく、自発呼吸の消失は、無呼吸テスト:PCO2が62.1mmHgで判定された。

 ところが、第19〜22病日の頭部CT、脳血管造影では、脳の自己融解がみられず、脳循環はほぼ正常であった。また第27〜33病日には、視床下部、下垂体機能の残存が確認された。すなわち、分泌刺激によるTSHACTHの有意な反応、水分制限による尿の濃縮、血中ADHの増加が確認された。

 第43病日、自発呼吸が発現した。自発呼吸は、毎分2、3回不規則、1回換気量約50mlで、呼吸刺激に反応しなかった。第71病日、他の神経所見の回復をみないまま、肺炎で死亡した。病理解剖では、脳の全体構造は保たれ、光顕像では、脳灰白質は壊死したものの、白質の変化は比較的軽度であった。

 

 

 

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臨床的脳死例

徳島大学・国立療養所香川小児病院:頭部皮膚温低下より8日間 生存、
前額部と前胸部の体温差が変動(ABRは無反応だが脳血流は復活した?)

 橋本 俊顕:発育期脳障害による人工呼吸管理を要する児の中枢神経機能及び発生要因  脳死状態における皮膚温のモニタリングについて、 厚生省精神・神経疾患研究平成元年度研究報告書  発育期脳障害の発生予防と成因に関する研究、141−145、1990

 劇症肝炎の11ヶ月女児は、脳死状態に至り前額部と前胸部皮膚温を同時測定を開始。2日後に最大温度差6.4℃となった。ABRは無反応、温度差に変動を認めた。頭部皮膚温低下より心臓死に至る期間は8日間。

 

 

 

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臨床的脳死例

施設名記載なし:虐待により死亡まで17日間

日本法医学会課題調査委員会:脳死を経過した剖検例調査、日本法医学雑誌、40(2)、165−183、1986

 4ヵ月男児、1982年11月、余り泣くので父親が抱いたまま右手で頸を叩いたところぐったりし、そのまま入院。脳死判定から心停止まで17日。死因は頸椎脱臼による脳無酸素症。

 

 

 


新生児

 

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脳死判定例

岐阜県総合医療センター新生児科:大脳の不可逆的変性の一方で内分泌は正常、体重・身長が増加

 折居 恒治:小児における脳死判定基準を満たしながらも長期生存する1症例の臨床的検討、日本周産期・新生児医学会雑誌、43(2)、463、2007
 

 1歳2ヵ月女児は他院にて40週0日出生、心肺停止状態にて出生、蘇生を行い30分後に心拍再開し当院NICU入院。以後、自発呼吸なく人工呼吸管理を継続、自発運動・反射はみられず痛覚刺激にも反応せず小児の脳死判定基準を満たしたが、完全経管栄養にて体重増加、身長増大は見られていた。肺炎や尿路感染症をたびたび繰り返し、生後200日の頭部CTおよびMRIでは大脳の融解を認め、大脳の不可逆的変性が示唆された。生後1年での内分泌学的検査では下垂体系および副腎系ホルモンは正常であった。

 

 

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脳死判定例

神奈川県立こども医療センター:脳波がありながら脳死判定、その後も脳波あり、死亡まで1 4日間

 柴崎 淳、松井 潔、安達 昌功、相田 典子、猪谷 泰史:脳死と考えられた新生児例、こども医療センター医学誌、33(2)、101−105、2004
 森田 澄子:新生児死を経験した母親のケア 新生児病棟でのかかわり、ペリネイタルケア、23(11)、944−947、2004

 在胎41週の男児は、新生児仮死により生後2時間でNICUに入院、新生児遷延性肺高血圧と判断。日齢5、7に脳死に準じた診察を行った。10回の脳波測定のうち日齢5、7、11、16に散発的だが低電位のデルタ律動(発作時脳波)を認めた。日齢15に両親より「挿管チューブを抜去してほしい」との希望があり、日齢18親戚一同に見守られて永眠。

 

 当サイト注:問題点

  1. 小児脳死判定基準は、修正齢12週未満児の脳死判定は行ってはいけないことを規定している。
     
  2. 入院時より morphine hydrochloride による鎮静、筋緊張亢進と痙攣に phenobarbital 160mg筋注を行い、これらの鎮静・筋弛緩剤の中止は日齢4である。1回目脳死判定時のフェノバルビタールの血中濃度は血液1ミリリットル当たり13.7マイクログラム、2回目脳死判定時は同6.2マイクログラムだった。脳死判定ハンドブック(唐澤秀治著)によると、フェノバルビタールの有効濃度域は血液1ミリリットル当たり10〜25マイクログラム。1回目脳死判定時には、明らかに脳死判定に影響する濃度だ。脳血流ドプラで血流の低下を認めており、高知医科大学の守屋氏ほかの法医学者が指摘したように高濃度に脳内に薬物が蓄積して、血中薬物濃度と脳組織内薬物濃度が乖離している状態を予想すべきため、2回目の脳死判定時においても、中枢神経抑制剤に影響され得る状態として脳死判定の対象外とすべきにもかかわらず脳死判定を強行した。
     
  3. 無呼吸テストは日齢12に1回のみ実施。
     
  4. 脳波計感度は、標準の50μV/5mmで実施しており50μV/20mm以上に上げていない。この点は柴崎氏も認識しており、平坦脳波と診断することはできず「ほぼ平坦な低電位」と表現している。低電位のデルタ律動(発作時脳波)について、柴崎氏は「その扱いに関し、診断基準に記載がない。・・・脳波所見の扱いが課題として残った」ことも認識している。しかし、こども医療センター医学誌p104では、重症度を評価するための脳死診断だったことを述べ「この点から考えると、両親への説明の場で、脳死診断基準は有用であった」としている。

 

 

 

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臨床的脳死例

奈良県立医科大学:発症後1.5か月、2か月後、1歳8ヶ月時にも脳波活動。死亡まで2年3ヶ月間

星田 徹:小児頭部外傷後の脳死脳波の判定、神経外傷、26(2)、103−108、2003
星田 徹:重傷脳損傷と脳死脳波、小児の脳神経、26(4)、303、2001

 32週に1,576gで出生した男児。4日目に脳室内出血をきたし、以後、人工呼吸管理、運動反応なし、深昏睡状態となる。2ヵ月半後のSPECT(single photon emission CT=医療用アイソトープを血液中に入れ。体内から発する放射線を捉えてコンピュータ画像化する装置)検査で大脳血流なく、さらに3ヵ月後のSPECT検査でも同様の所見であった。臨床的に脳死と判定したが、脳波検査では発症後1.5か月、2か月後にも10μV前後の脳波活動を認めた。CT検査で、頭蓋内は髄腋で満たされていたにもかかわらず、頭位は拡大し、1歳8か月時の脳波検査でも同様に脳活動を捉えることができた。患児は2歳3か月時に敗血症にて死亡した。

 星田 徹:脳死判定時における平坦脳波の判定について、臨床脳波、44(5)、295−302、2002では、1歳8ヶ月時の脳波検査で8〜12Hz、10〜15μVの脳活動残存。明らかなα波、β波とθ波を伴う低振幅脳活動を報告している。

 

 

 

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259

脳死判定例

奈良県立奈良病院:脳死判定後13日後に脳波と痛み刺激に反応、
17日後に脳幹部血流再開、死亡まで43日間

 坂上 哲也:「6歳未満の脳死判定基準案」により脳死と判定された1新生児例、日本新生児学会雑誌、35(2)、290、1999
 西久保 敏也:「6歳未満の脳死判定基準案」により脳死と判定された1新生児例、脳死・脳蘇生研究会誌、12、49−50、1999

日齢 0:この女児は在胎33週3日で切迫早産および胎盤早期剥離の疑いのもと、緊急帝王切開にて出生(体重2,296g)。重症新生児仮死の診断で直ちにNICUに入院。入院時に、重度の混合性アシドーシスと低血圧を認めた。そのため人工肺サーファクタントの投与に加えて、カテコラミン、メイロン、アルブミン製剤、抗痙攣剤等の治療を開始。入院時の頭部超音波検査では脳室内出血(IVH)は認めなかったが、生後8時間、脳室内出血が出現した。

日齢 1:難治性の痙攣発作が出現するとともに、次第に大泉門の腫脹が増強。

日齢 2:papile分類W度の脳室内出血と診断。痙攣発作に対して筋弛緩剤の投与を開始(日齢4に中止)。

日齢 3:トランサミナ−ゼの上昇を伴う凝血学的DICを認めたため、FOY、ATV、およびFFPの投与を開始するとともに、ウィルス感染症を意識し、アシクロビルの投与を開始。

日齢 4:瞳孔は散大、頭部超音波ドプラー検査にて、脳血流の著明な減少を認めた。

日齢 5:頭部CT検査にて重度の脳室内出血を確認。両親にインフォームドコンセントを行った後、小児脳死判定基準(暫定基準案)に基づき脳死判定を施行(24時間毎に計3回)。

日齢 7:患児は脳死と判定された。両親と相談の上、治療は現状を継続することとなり経過観察した。

日齢 9:少量の母乳の注入を開始。

日齢20頃:下肢にミオクローヌス様の動きが出現、聴性脳幹反応(ABR)は平坦波だったが脳波(50o/50μV)にて、わずかに基線の変動を認めた。その後、下肢を中心とした自動運動が出現、また痛み刺激に対する反応を認めた。

日齢24:SPECT施行し、脳幹部の血流を確認した。

日齢34:脳波(50o/50μV)にて、活動性所見を認めた。しかし、経腸管的栄養摂取は困難で、患児の全身状態は次第に悪化した。

日齢49:死亡。病理解剖は行えなかった。

 

 

 


260

脳死判定例

淀川キリスト教病院:米国基準満たすも脳血流あり

島田 誠一:小児の脳死判定の試みと児への対応、日本小児科学会雑誌、96(6)、1432−1440、1992

 生後17日、蘇生後、当院に転送入院となった女児。CTにて重度脳浮腫を認め、米国のTask Force による小児脳死判定ガイドラインに従い、第1回判定は生後14日目に行なった。理学的診察ではすべてに反応がみられず、CTは広範な脳壊死像を示した。脳波は平坦波を示し、ABRは無反応であった。

 脳シンチグラフとSPECTでは基底核の一部がほんのわずかに描出されたが、全体から見た有効な脳循環はほとんど無いと考えられた。生後17日目、第2回判定を行い、理学的診察では同様に反応がみられず、脳波は平坦波で、これらの所見より脳死状態にあると診断した。第2回の判定当日、人工呼吸器を止めて死亡となった。

 

 

 

261

脳死判定例

佐賀医科大学:4カ月後に人工呼吸器オフ

 小早川 晶:第一生日に心肺停止をきたした児の脳死判定をめぐる諸問題について、日本救急医学会雑誌、1(2)、128、1990

 在胎36週で出生した男児が第一生日に心肺停止となり、、第12生日brain CT にて大脳の広範な出血を確認。第13生日約1時間にわたるEEGにてまったく大脳の生理学的な活動を示さなかった。その後、再三にわたり各種の脳死判定基準を検討したが、どれも合致していた。

 脳死と判定した後は保存的治療を遂行した。各種の薬剤も順次offにしていった。両親の希望は、最初2ヵ月間は心臓死までrespirator をはずさないでほしいとのことであったが、次第に気持ちが変化していった。約4ヵ月後に祈りのうちにrespirator を外し永眠した。

 

 

 

262

臨床的脳死例

徳島大学・国立療養所香川小児病院:頭部皮膚温低下より30日間生存

橋本 俊顕:発育期脳障害による人工呼吸管理を要する児の中枢神経機能及び発生要因 脳死状態における皮膚温のモニタリングについて、厚生省精神・神経疾患研究平成元年度研究報告書 発育期脳障害の発生予防と成因に関する研究、141−145、1990

 頭蓋内出血の生後13日男児は、脳死状態に至り前額部と前胸部皮膚温を同時測定を開始。12時間後に最大温度差6.5℃となった。頭部皮膚温低下より心臓死に至る期間は30日間。

 

 

 

263

臨床的脳死例

群馬大学:4ヵ月間生存

石田 陽一:病理学よりみた脳死、治療学、14(4)、483−486、1985

 生後4ヵ月女児、自発呼吸が停止し、4ヵ月間人工呼吸を行った。剖検所見は「脳死」例の剖検所見を参照。

 

 

 

 

胎児

 

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脳死判定例

国立循環器病センター:先天的欠陥・心不全なく、精神面は正常に発育

 Ueda Keiko(国立循環器病センター研究所周産期婦人科部):Spontaneous in utero recovery of a fetus in a brain death-like state(脳死様状態を示した胎児の自然子宮内回復)、The Journal of Obstetrics and Gynaecology Research、36(2)、393−396、2010年

 妊娠28週の32歳健常妊婦。胎動の完全喪失を主訴として入院した。胎児心拍数は固定した変動のない平坦な心拍数パターンを示した。超音波検査では胎児の呼吸運動は認められず胎児左心臓収縮の著明な減弱を伴なう心不全状態が示された。奇形の存在は認められず、胎児が脳死状態にあると推察された。議論の後、分娩誘発は決定されず、注意深い経過観察とされた。超音波検査は引き続き実施したが胎児は瀕死の状態で、あるいは生存の可能性は極めて少ないと考えられた。

 しかし入院8時間後、胎児心拍数モニタリングは若干の変動性を示し、さらに12時後には胎児は完全に回復した。
 妊娠35週、帝王切開により娩出した。児は2256gの女児。先天的な欠陥または心不全はなかった。MRIにて、児は若干の白質脳障害を受けていたが、しかし運動発育の臨床的遅延は有意ではなかった。14カ月時、正常な精神的な発育をした。下肢の低血圧はあるが、彼女は支えられて歩き、短時間ならば一人で立つことができる。これは胎児の脳死様状態から回復した稀な症例である。

 この報告(受理2009年4月24日)は、Once a fetus shows a fetal brain death pattern, it is generally considered irreversible because all of the previously reported cases of fetal brain death on death-like state have ended in demise during the neonatal period or in sequential cerebral palsy.と書いた。しかし、北里大学の胎児脳死の完全誤診例は、2004年7月3日の第368回日本産科婦人科学会神奈川地方部会で報告されている。

 

 

 

265

脳死判定例

聖隷浜松病院総合周産期母子医療センター:9日間生存

 Shiojima Satoshi:胎児脳死の新たな超音波所見としての巨大膀胱(Megalocystis can be a novel ultrasonographic finding of fetal brain death):日本産科婦人科学会雑誌、60(2)、892、2008

 母親は28歳経産婦、34週の胎児は心拍のFixed patternと超音波診断による巨大膀胱により胎児脳死と診断され緊急帝王切開、2000gの女児の脳波は極めて弱く、生後9日目に人工呼吸下に心停止し死亡した。

 

 

 

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脳死判定例

北里大学:4例目の胎児脳死診断は 完全な誤診、異常なく9日後に退院

 今村 庸子:Fetal brain deathが疑われた症例、日本産科婦人科学会神奈川地方部会会誌、41(2)、167、2005年
 今村 庸子:Fetal brain deathが疑われた症例、神奈川医学会雑誌、33(1)、34、2006年

 母親は29歳で0経妊0経産、36週5日より胎動感消失を認め、翌日に前医を受診。胎児心拍数陣痛図で基線細変動消失を認め母体搬送となった。入院時に超音波上胎動や眼球運動、呼吸様運動などをまったく認めず、バイオフィジカルプロフィールスコアは2点、胎児心拍数陣痛図では確診がつかない状態で緊急帝王切開を行った。胎児脳死と強く疑った。

 児は2068gの女児で、アプガースコアは2分値2点、5分値5点。臍帯動脈血ガスはpH7.24で低酸素血症は認めなかった。頭部CTや脳波検査をしたが、神経学的異常所見は認めず、経過良好で日齢9に退院した。

 これまでに経験した胎児脳死の3例は、いずれも出生後脳死と診断された。

 

 

 

267

脳死判定例

富士市立富士中央病院:10日間生存

 江崎 敬:胎児異常の告知とケアー 出生前診断された胎児中枢神経異常の1例を通じて、母性衛生、40(1)、113−119、1999

 30歳初妊婦、妊娠26週に胎動消失。NST基線細変動の消失は、胎児の自律神経活動の低下ないしは欠如の可能性を反映した。急速遂娩は行わず体外生活に有利な時期まで妊娠を継続することとした。

 妊娠28週3日で経膣分娩。新生児の脳波は平坦化し活動波認められず、瞳孔は散大、対光反射も消失、ABRでも反応なく、成人でいういわゆる脳死状態に相当すると診断され、生後10日に死亡した。
 

 

 


海外例

 

 

海外脳死判定例

ドナーとして手術室に送られた子供が、自発呼吸をはじめた!2ヵ月生存

マーガレット・ロック著「脳死と臓器移植の医療人類学」(みすず書房・2004年)p196〜p197

 マーガレット・ロックが面接した医師5名のうち1名が、研修医時代の経験として以下のように語った。

 「私たちには、移植用の臓器を確保しなければならないというプレッシャーがあったと思います。私たちは無呼吸テストを30秒間行いましたが、自発呼吸はみられませんでした。それで、私たちはその患者をドナーとして手術室に送りました。ところが、手術室で人工呼吸器が外されたとき、彼は呼吸しはじめたのです。私たちは、ICUに戻されてきた彼のケアに努めました。結局彼は、 2ヵ月後に死亡したのですが、私たちは悪夢を見ているような気がしました。弁解の余地のないこの事件が起きたのは、脳死に関するはっきりしたガイドラインのなかった70年代初めのことです。私はいつも研修医たちにこの話をし、けっして性急に判定を下してはならないと注意しています。」

 

当サイト注:脳死ドナーからの臓器摘出において、人工呼吸器が外されるタイミングは開腹後が多いとみられるが、マーガレット・ロックは人工呼吸器が外されたタイミングその他の臓器摘出目的で既になされた処置が、小児ドナーの2ヵ月後死亡に影響したのか否かについては記載していない。

 


 

海外脳死判定例

McMaster University Medical Center:カナダ基準で脳死、米国基準で自発呼吸、臓器提供同意を撤回

 Simon D.Levin:Brain death sans frontiers、The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE 318(13)、852−853、1988

 37週で出生した2530グラムの女児が、生後41時間後にカナダの脳死判定基準を満たした。動脈血二酸化炭素分圧を54mmHgまで上昇させて、自発呼吸がなかった。米国の移植組織により 心臓の利用が検討され、60時間後に米国の脳死判定基準(無呼吸テスト時に動脈血二酸化炭素分圧を60mmHgまで上昇させる)にもとづいてテストされた。

 この女児は動脈血二酸化炭素分圧が59mmHgまでは無呼吸だったが、その後64mmHgに上昇するまでsteadilyな(しっかりとした)呼吸をした。臓器提供の同意は、両親により撤回された。

 米国、カナダ、英国の脳死判定基準は、無呼吸テストで自発呼吸がないことを確認する動脈血二酸化炭素分圧レベルが異なる(英国は50mmHg、カナダは50mmHgから55mmHg、米国は60mmHg)。
 

 

 


以下は非脳死参考例

 

参考1

脳死に近い状態

 

沖縄県立八重山病院:脳死後も成長、死亡まで約3年4ヶ月間

 前川 和代:エンシュアリキッドによるアナフィラキシーショックの1例、西日本皮膚科、62(5)、644−647、2000

 37週正常分娩、出生時体重2,422gの女児は、生後36時間でB群連鎖球菌による髄膜炎と診断され、頭部CT上脳実質はほとんどなく、自発呼吸も無く脳死に近い状態となり、その後、人工呼吸器の管理下にあった。時折、肺炎を併発し抗生物質の投与を受けるも特に大きな変化は無く、長期間経過していた。

 1997年3月18日、2歳3ヶ月、患児の成長に伴ない、カロリーアップの目的で用いていた経口栄養剤エレンタールPからエンシュアリキッドに変更した。初回投与数分後より血圧低下、気管支攣縮を起こしショック状態に陥った。エンシュアリキッドに含まれる牛乳成分カゼインによるアナフィラキシーショックと診断した。アナフィラキシーショック発現の原因として、長期間・頻回にわたる細菌感染、抗生物質の使用が疑われた。本症例は肺炎により1998年4月4日永眠された。

 

 

参考2

死産の誤判定例

米国の病院:死産とされ紙に包まれていた新生児が動き出し蘇生、生存し退院

 仁志田 博司:新生児の脳死判定及び臓器移植の可能性について、Neonatal Care、12(5)、620−621、1999

 私は、アメリカでのレジデント時代、夜間当直の際に緊急コールで呼ばれ駆けつけた分娩室の片隅で、死産として生まれ紙に包まれていた新生児が、その数時間後に動き出し、私がその紙包みから児を取り出して蘇生し、なんとその児は生存し退院したことを経験している。

 それほどに新生児および乳幼児は成人とは異なった生体反応を示すところから、これまでの脳死判定においては、新生児および乳児は含まれていなかったのである。

 当サイト注:仁志田氏は東京女子医科大学附属母子総合医療センター教授

 

 

参考3

 

小児脳死判定の困難さ

新潟県立新発田病院:初期は平坦脳波、ABR無反応、反射消失で脳死を疑うも脳死否定、2年間生存

熊谷 雄一:小児脳死が疑われた1症例、蘇生、17(3)、210、1998

 1994年7月20日、溺水の1歳4ヵ月男児は人工呼吸管理、対光反射消失で新潟大学集中治療部へ搬送した。発症後7日目と8日目に、脳波はほぼ平坦、聴性脳幹反応は両側T波も測定できず、対光反射・脳幹反射も無かった。発症後14日目に自発呼吸なく、人工呼吸のまま本院に戻った。

 帰院直後より尿崩症出現、DDAVPで対応した。その後、95年10月家族との話し合いで、積極的な治療は中止された。95年10月3日に脳波、4日に聴性脳幹反応、19日にMRIとCT、22日にSPECTを施行した。脳波は平坦、ABRは無反応であったが、脳外科医のコメントは画像上から側頭葉、後頭葉に解剖学的構造が認められ脳死では無いと診断した。1996年8月2日、急性腎不全で永眠された。

 

 

参考4

回復の可能性

大阪府立病院:聴性脳幹反応T波のみになっても、2週間後に自発呼吸、続いて脳幹反射が回復

東孝次:心停止蘇生後に長期間平坦脳波を呈した1小児例、日本救急医学会雑誌、1(2)、125、1990

 1歳3ヶ月男児は、顔面・前胸部の熱症受傷の後心停止となり蘇生された。第3病日に脳腫脹のため、意識レベル低下、瞳孔散大、対光反射消失、脳幹反射消失、ABRU波以降の消失、脳波平坦化が出現したが、CAGでは脳血流が存在した。

 第17病日に自発呼吸が出現し、その後一部の脳幹反射が出現し、瞳孔径は縮小したままで、第125病日の時点では、平坦脳波のままである。X線CT、MRIの所見では脳萎縮が著明に進行し、脳脊髄液の貯留が認められ、平坦脳波に関与していると考えられた。

 

 

参考5

回復の可能性

群馬大学医学部集中治療室、群馬県立小児医療センター:聴性脳幹反応T波のみになっても回復可能

木谷 泰治:重症患者における脳機能モニターの検討、救急医学、7(臨増)、S148−S149、1983

 Starrらの脳死判定への応用基準に反して、聴性脳幹反応(ABR)T波が消失しても、ドーパミン持続点滴などの全身管理下では数日の延命が可能であり、またT波のみになっても潜時が2msee(当サイト注:msecの誤植か?)以内で振幅が正常値に近ければ回復が可能の症例があったが、いずれも幼児であった。

当サイト注:
 聴性脳幹反応ABR=脳幹聴覚誘発電位(聴性脳幹誘発反応、聴性脳幹誘発電位 brainstem auditory evoked potential :BAEP)は、音圧レベルが100デシベル前後で持続時間0.1〜0.2msec程度のクリック音で刺激する検査。U〜X波が記録されると脳幹部が機能している。T波も脳血流の残存を示すが、厚生労働省は「聴性脳幹誘発反応の消失の確認は努力義務であり必須検査項目ではない。T波の残存の解釈は脳死判定医の裁量の範囲内」という趣旨の見解を示している(唐澤 秀冶:脳死判定における聴性脳幹誘発反応検査、脳死判定ハンドブック、羊土社、210−212、2001)。

 

 

参考6

回復の可能性

大阪大:血流あっても平坦脳波、後で復活。脳細胞の死滅か、休んでいるだけか、知る検査法がない

桂田 菊嗣:症候性脳死について、日本臨床、30(7)、1600−1608、1972

 外傷性腹腔内出血(肝、脾、腹腔動脈破裂)の4歳女児に対して開腹手術中、高度の出血性ショックのため心停止を来たした。約10分以上の心マッサージにより心拍は再開した。蘇生後3時間現在(1971年4月10日19時0分)の所見は、深昏睡状態で疼痛反応無く、瞳孔散大固定す、自発呼吸なく、レスピレーターで調節呼吸中である。四肢弛緩し、腱反射などは認めない。平坦脳波とみなされた。血圧106〜58、脈拍120/分、体温35.0℃。

 このような状態で脳血管撮影(右総頚動脈穿刺)を行なったところ、きわめて良好な造影が得られた。脳内血管は末梢までよく造影され、むしろ正常の場合より血管陰影に富んでいる印象を受ける。また、早期に静脈相が造影され、あるいは postanoxic hyperemia(低酸素症後の部分的血液過剰)の状態を示唆するのかもしれない。

 その3時間後から不規則な脳波活動が出現しはじめ、昏睡状態は継続したが、活発な自発呼吸や嚥下運動、あるいは迅速な瞳孔反応が出現した。5日目にも、やはり良好な脳血管の造影が得られている。しかしながら6日目頃から心循環機能の障害が進行するとともに脳波はふたたび平坦化し、重篤な肺合併症とあいまって7日目に死亡の転帰をとった。

 


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