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意識不明とされていた時期に意識があったケース

心肺蘇生術中意識レべル3桁のICU期死亡宣告の前後〜臓器摘出直前遷延性意識障害者の事例および関連情報


「これはもう駄目だな」という溜息まじりの声も聞いた!

*豊倉 康夫(東京都老人医療センター名誉院長):臨死体験の記録 死の直前のEuphoria『物質』によるものか?、精神医学、33(6)、572−573、1991

 豊倉氏は1956年、33歳の夏、扁桃炎の高熱の中で実験を終えた後、治療室で立ったままペニシリンの注射をしてもらった。注射が済んで間もなく気分が悪くなり、突然激しいめまいに続いて、視界が一面に黒灰を撒いたように黒くなり、みるみるうちに視界が狭くなった。

 (中略)突然息ができなくなった。そのまま転倒したが、その時見た自分の指のチアノーゼをはっきり覚えている。(中略)まだその時ははっきり意識があった。(中略)そして地面に吸い込まれるように意識がなくなったのだが、問題はその短い間に味わった何ともいえない恍惚感(ユーフォリア)のことだ。先ず頭に浮かんだのは御茶ノ水の聖橋のあたりの光景、結婚後間もなかった河田町の狭い借家の様子、あとはただ極楽の花園をさまよい、・・・・

 (中略)かすかに意識が戻りかけたとき、おぼろげながら分かったのは、ベッドに寝かされた私の上に馬乗りになって人工呼吸をしてくれている医師であった。(中略)ただ人工呼吸をやってもらうのがこの上なく楽だ。無性に有難かった。少しでも手を休まれると途端に息が苦しくなるので、<どうかそのまま続けて>といいたいのだが声が出ない。まわりの人々の声は聞こえる。「これはもう駄目だな」という溜息まじりの声も聞いた。<いや、もう意識が戻ったのだ>と医師や看護婦さんに伝えたいのだが、声はおろか指1本、体の一部さえ動かすことができない。(中略)そして突然、<助かったのだ!>という喜びと実感が現身の中にこみあげてきたのである。私は渾身の力をふりしぼって眼を開いた。

 (中略)このことは、その後の私の医者修行にとって大きな啓示となった。昏睡状態の患者に対しても、大きな声で励ましの言葉をかけ、手を握りしめ、安心感を与えることがいかに大切かの確信がもてたからである。私の体験からも、聴覚、触覚、圧覚の刺激は、昏睡の脳にもそのインパルスは到達するであろう。また、それを知覚できる可能性もまったく絶たれてはいないであろう、ただ外から認知できるような反応を患者が表出できないだけの「意識障害」かもしれないということである。

 

豊倉 康夫(東京都老人医療センター名誉院長):セミナー記録 脳蘇生と脳死(日本大学総合科学研究所)、p88、1998

 私自身33歳の時にペニシリンショックのために臨死体験を経験しました。(中略)私が外から見た判断では深昏睡に陥って、その治療をしています医者が、私にはもう意識がないと判断しているときに、私はすべての医者や看護婦の言うことが全部聞こえていました。つまり聴覚が完全に残っていたわけです。
 次に残っていた知覚は圧覚です。両手で人工呼吸をやってもらうのに胸郭を圧迫されるのがよくわかりました。その次に触覚は多少分かりましたが、ちょっと危ういです。それから位置感覚はまったく駄目です。非常に不思議なことは痛覚がなくなっていました。おそらく何十本の注射を受けても痛みを感じなかった。それで私は対光反射を何回か調べられています。そのときに私の対光反射があったかどうかは医者に聞いていませんのでわかりません。おそらくあったのではないかと思いますが、要するに対光反射といえども中脳のニューロンからのアウトプットで瞳孔括約筋が収縮して成立するわけです。光を受容するインプットの方は容易でも、対光反射のアウトプットとなると難しいのです。
 何でもよいからアウトプットを私は何とかして出して、周りの医者に自分が意識があることを知らせたいと思うんですが、アウトプットを出すのは至難の技でした。目を開けることも、手を動かすことも全然できないです。もっと正確に言いますと非常に面倒臭くて、そんなことをするくらいなら、そのまま死んだほうがいいと思いました。しかし聞こえているんです。これはもちろん脳死とは違いますが、たとえば脳死の場合に聴性脳幹反射がなくなっても、電気活動はなくなっているかもしれませんが、傷ついた脳がそれを聞こえているかもしれ
ないということを何人も否定できないです。というのは聴覚が最後まで残りましたので強調したいのです。
 したがって脳死の判定基準はすべて客観的に把握できる脳の、とくに脳幹からのアウトプットです。その中で非常に簡単なやつは対光反射です。これはだれでも見ます。もっと容易なアウトプットはないだろうかということを間題にするべきではないかということが一つの提言です。それは、脳死の患者さんに大きな声で呼び掛けまして、何らかの反応をディテクトできないだろうか。その場合随意筋の自発的な収縮はまったく駄目です。その場合に期待でぎるのは自律神経のアウトプットです。それを何とか開発したいというのが私の願いです。

 


心原性ショックと鎮静の狭間にいた患者が、医師の声を覚えていた!

*齋藤 中哉(The Honolulu Academy of Medicine):ICUにおける音と聴覚の不思議、ハートナーシング、24(1)、1、2011

 音、ハートナースが立ち働くICUは機械音に溢れている。最も静かな深夜でさえ、ピッコピッコ、ピピピピ ピピピピ、ポーンポーン、シューッ シューッ、カッコンカッコン、バタン バタン。(中略)

 ICUに専属医として勤務していたときのこと、恵子さん (仮名、26歳・女性、航空会社勤務)が、劇症型心筋炎のため他院から転院してきた。治療開始後1週間、フラットかと思うほど低電位な心電図と、心臓超音波で観察される駆出率が限りなくゼロに近い心室壁であった。陽圧換気とPCPS と透析の期間が長びくにつれ、誰もが救命できないと感じたが、「苦しくないですか」、「頑張ってください」、「きっとよくなります」と語りかけながら集中治療を続けた。血圧維持に必要な大量の補液のため、眼瞼は開眼できないほど腫れた。入室期間の大部分、苦痛緩和のため鎮静を行った。2週間後、心機能のかすかな、本当にかすかな回復の兆しが見えると、その後はみるみる回復し、一般病棟に転床した。
 3週間後、病院の売店に、研修医に車いすを押してもらっている恵子さんの姿があった。「お元気になられましたねえ」と話しかけて、後悔した。心原性ショックと鎮静の狭間にいた彼女が、ICUで帽子とマスクを着用して仕事をしている医師を覚えているはずがない。しかし、彼女の反応は思いがけないものだった。
 「ICUでは本当にお世話になりました」「なぜ分かりましたか?」彼女は一言、「声で分かります」と笑顔で答えた。

 教訓、ICUでは、昏睡または鎮静下の患者への話しかけは省かれがちである。しかし、重症のふちにあっても、作業音や機械音に惑わされることなく、患者はハートナースの言葉を「聴いて」いる。だから、いつも、語りかけよう。「大丈夫ですか」、「痛くないですか」、「安心してください」。聴覚とは不思議な感覚だ。返事ができなくても、あなたの温かい言葉は確かに患者に届いており、患者はその言葉を魂に刻んでいるのである。

 

「今日の夕食は何にしよう」と考えていたら声が聞こえた!

*甲斐 雅子(中国労災病院):意識に対する勘違い!?、作業療法ジャーナル、42(13)、1377、2008

 「今日の夕食は何にしよう」と考えていたら声が聞こえた。
 若い女性:「奥様は非常に厳しい状態です。もし命が助かったとしても以前のように生活することは無理と思われます・・・・・・子どもさんのこと、今後のことも考えていきましょう」
 中年女性:「県内の病院や施設の状況、子どもさんの生活環境等・・・・・・相談にのリます」
 男性:「わかりました」
 その男性は泣いていた。その声は主人のものだった。私は「嘘だ」と叫んだが、誰も答えてくれなかった。

 これは脳幹出血で倒れた30歳台の主婦が、在宅へ戻る直前に語った内容を要約したものである。われわれの予後予測を見事に裏切って驚異的な回復をした彼女を、それまで若さのなせる業かと単純に喜んでいた関係者を最も驚かせた言葉であった。いったい彼女は何を言っているのか。そんな会話を彼女の前でした医療者はいたのか。担当スタッフで集まり情報交換をした結果、一度だけ酷似した場面があることがわかった。それは彼女の意識レべルは3桁と判定されていたICUの時期に、主治医がMSWを夫に紹介したときに交された会話そのものであった。
 長年身障系の病院に勤務していると、意識レべル3桁イコール「意識がない」、「わかっていない」と思いがちであるが、文献をあさるとこのような体験をした当事者や医療関係者は結構多いようである。硬くなった頭を金槌で叩かれたような気分であったが、私は彼女から大事なことを気づかされた。意識はあるのにそれを表出できない患者は案外多いのではないだろうか。表出できない声なき声にわれわれはしっかり耳を傾けているのだろうか。意識の表出能力を探るためにはどうすればよいのか。これらの自問に対してヒントを与えてくれたのも彼女であった。
 刺激が入力しやすい優位側からアプローチをしていたとき、彼女は私の問いかけに最初に優位側の下肢で反応してくれたのである。これは私にとってうれしい発見であると同時に、意識の表出能力を探る手段を、示唆してくれた出来事でもあった。また意識しべルを観察する際に、開眼の有無だけにとらわれていると「まぶたは重<て開けられなかった」と後日述べる患者もおられるので、貴重なサィンを見落とす危険性は高いと思い知った。
 幸いわれわれは救急の現場で、蘇生術やMEI機器の操作に熟練する必要はなく、明らかに医師や看護師とは違う立場で患者と接することができる。救命に直接関わらないOTは、余裕をもって「意識の表出能力を探る」ことができると思う。意識を表出できるか否かは本人や家族そして医療者にとっても重要な情報であり、その後の治療にも多大な影響を与える。われわれの声が患者に届いているとわかれば、家族や医療者の声かけは飛躍的に増え、多くの刺激がより一層の効果をもたらすようである。

注:甲斐氏はICUからの作業療法を実践している。

 

いい気持ちで眠っているのに、なぜ起きなければならないのか?

*林 成之:Brain hypothermia treatment(Springer-Verlag)、2004

p235「Clinical Issues in the Management of Unconsciousness and Vegetative State Patients」の要旨
 脳低体温治療により、以前は生き残るチャンスが少なかった多くの脳ヘルニア患者が生きるようになった。このグループにおいて、私達は、グラスゴー昏睡スケール(GCS)によっては、回復が説明し、理解しづらい多くの患者を観察した。
 患者は、昏睡状態で外部からの刺激に反応しないようだけれども、何人かの患者は、ベッドサイドで起こる刺激とイベントに気づいている。その患者たちは、回復した後にこう語った。「私はいい気持ちで眠っていました、ところが多くの人が、目を開けて、そして何か話すように言いました。しかし、私は目を開くことができず、返答をするのが難しかった。しかし、なぜ私は目を開けなければならないんでしょうか?私は非常に快適に眠っていました。数日後、私は、ここにいる訳を理解しました。私は、脳に傷害を負った患者か、または心停止を起こした患者で、今は医学的治療を受けているのです。しかし、それでも、私は目を開くことができません、言葉や痛い刺激に応えることが難しいのです」

 

脳死様状態を呈した5日間、患者は全ての事柄を記憶していた

*吉田 典史(埼玉医科大学総合医療センター神経内科):脳死様状態を呈した後,順調に回復したGuillain-Barre症候群の1例、末梢神経、 16(2)、102ー105、2005

 35歳男性は、2004年10月14日より両下肢のしびれが出現し、徐々に両側手指にもしびれが出現する様になった。
 16日、起床時より後頸部痛・腰背部痛を自覚し,両上肢の脱力が出現した。昼頃より構音障害・嚥下障害が出現し、夜間には唾液が飲み込めない程症状が増悪したため救急外来を受診、
 17日、神経内科に入院した。
 18日、主に脱髄を示唆する所見を認め、脱髄型Guillain-Barre症候群(GBS)と確診した。神経症候がさらに進行性のため、第4病日より免疫グロブリン静注療法(IVIg)を施行した。
 第7病日、両側の瞳孔散大、対光反射の消失、両上肢の完全麻痺。第10病日では、毛様体脊髄反射も消失、四肢完全麻痺を認め脳死様状態を呈した。同時期に施行した脳波では、びまん性に8〜9Hzのslow α waveを認め、光刺激による反応は良好であった。また聴性脳幹反応では第1〜5波に異常所見はなかった。
 第11病日から第2クール目のIVIgを施行した。
 第14病日をピークに神経症候はすこしずつ改善した。
 第56病日には人工呼吸器から離脱し、経口摂取や自力での車イス移動まで可能となった。
 第90病日にはリハビリ専門病院へ転院した。
 第150病日には歩行可能となり、第180病日には完全社会復帰した。

 脳死様状態を呈した5日間に関して後に患者に確認したところ、全ての事柄を記憶しており、意識障害ではなかったことを確認した。

 

看護師がベンチレーターのアラームを止める時、後でスイッチを入れ忘れはしないかとどんなに恐れたか!

*A.グレンヴィック(ピッツバーグ大学救急医学):セミナー記録 脳蘇生と脳死(日本大学総合科学研究所)、p89、1998

 豊倉先生のコメントから、極めて想いギラン・バレ症候群の状態、完全麻痺で、集中治療室のベンチレーターにかかり、まぶたさえも動かせずに完全になされるままになっていた私の患者を思い出しました。彼は回復し、ベンチレーターから離れることができました。骨格筋の通常の機能をどれほど回復したかは知りませんが、我々は数ヵ月後彼をインタビューしました。彼は歩くことができて外来に来て、我々は彼のインタビューをテープにとりましたが、その中で彼は集中治療室で看護婦が吸引のためベンチレーターのアラームを止める時、後でスイッチを入れるのを忘れはしないかとどんなに恐れたかを語りました。彼にはこれらのことがわかっていたわけで、豊倉先生が話されたペニシリン昏睡の体験と非常によく似ています、臨床的に脳死の基準を通過していたと思われる状態です。しかし、彼はもちろんEECがあったと思われます。彼は明らかに何が起こっているか、完全にわかっていたが、動けないし、まわりに知らせることもできなかったのです。

 

先生に毎日つねられているのがわかっていて痛くてしようなかったけれど、声をだすこともできないし、反応できなかった

*植村 研一(浜松医科大学):セミナー記録 脳蘇生と脳死(日本大学総合科学研究所)、p90、1998

 脳室拡大による脳機能障害で何の反応もないときに、毎日毎日つねって、反応がまったくないということを確認していました。ところがある時点から快方に向かいまして、やがて意識を回復した人が、私に毎日つねられているのがわかっていて痛くてしようなかったけれど、声をだすこともできないし、反応できなかった。要するに臨床的に安易に考えると、まだ心がある人を駄目だと判定することが一つあります。

 


自分への死亡宣告が聞こえた!

*2008年3月23日放送のNBC News 'Dead' man recovering after ATV accident(四輪バイクの事故で“死んだ”若者が生還!)http://www.msnbc.msn.com/id/23768436/http://www.msnbc.msn.com/id/23768436/page/2/(2007年11月、脳死判定 により行われて死亡宣告されたザック・ダンラップ氏(21歳)は、従兄妹の看護師によって脳死判定に疑問を持たれ、足裏をポケットナイフで引っ掻くなどの強烈な疼痛刺激により脳死ではないことが発覚 した。臓器摘出チームが到着していたが、生体解剖は直前に阻止された)

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):舗装道路に激突したのを覚えています?   
 Natalie Morales: Do you remember hitting the asphalt?

 ザック・ダンラップ(本人):ちょっと前までのことは覚えているのです。でも事故のことは覚えていないのです。
 Zack Dunlap: I remember a little bit before it. But I don't remember the accident.

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):これまでのことで何を覚えていますか? 何をしていました?
 Natalie Morales: What do you remember of the moments leading up to it? What were you doing?

 ザック・ダンラップ(本人):病院をさっさと出なきゃと思ってましたよ。  
 Zack Dunlap: I was just hauling tail.

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):病院を出るですって?    
 Natalie Morales: Hauling tail?

 ナレーション:ザックが入院初日のことから覚えているというのは驚くべきことだった。皆が既にザックは死んだと思っていた時に、彼は医師が彼のことについて話しているのを聞いたと言っているのだ。
 Something Zack claimed to remember from his first days in the hospital was startling: that when people thought he was already gone, he overheard a doctor talking about him.

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):医師が何を言っていたかを覚えていますか?
 Natalie Morales: What do you remember the doctor saying?

 ザック・ダンラップ(本人):彼は死んだ、と
 Zack Dunlap: That he was dead.

 ナタリー・モラルズ(インタービュアー):聞こえたのですか?
 Natalie Morales: You heard that?

 ザック・ダンラップ(本人):聞こえました、それで心の中は狂わんばかりになりました
 Zack Dunlap: I heard it and it just made me mad inside.
 

注:英語シナリオの上記より長い日本語訳は臓器摘出時に脳死ではないことが判ったケース#D,臓器提供決定後・脳死否定・提供撤回例に掲載

 


遷延性意識障害者の事例

遷延性意識障害者における意識回復経過についての事例は、以下をリンク先を参照

内藤 寛(東京都立養育院病院 ):臨床神経学、26(8)、817−820、1986は、無言無動状態の58歳男性が、発症後のある期間の記憶はまったく失われていたが、途中から感覚がはっきりしてきて周囲の状況も理解できたが、自分の意思を言語や手足の動きで表出できなかったことを報告している。

紙屋 克子(北海道大学):ブレインナーシング、20(夏季増刊)、17−43、2004は、脳下垂体腫瘍摘出の18歳女性が、看護者が意識回復の兆しを確認できた4ヵ月も前から鮮明な意識があったこと。この患者を“植物人間”であると医学生に説明していた医師の名を覚えていたことを報告している。

紙屋 克子(筑波大学名誉教授):意識障害の患者さん、そして家族の皆さんと歩んできた道、8−18、2012(単行本:山元 加津子編著:僕のうしろに道はできる 植物状態からの回復方法(発行所:三五館)掲載)は、脳血管障害で入院してほどなく意識のあった男性患者が、植物状態として扱われていることに気づいた恐怖、回復を諦めたこと、その後の意思疎通できるまでの述懐を報告している。

 

関連情報

代々城 千代子(東京歯科大学市川総合病院集中治療室):急性多発性硬化症(マールブルク型)により昏睡状態となった患者に対し聴覚刺激を試みて、日本集中治療医学会学術集会プログラム・抄録集、409、2010

 急性多発性硬化症(マールブルク型)により、昏睡状態に陥った患者に対して聴覚刺激を試みた。約2週間の昏睡状態であったが、回復後、患者は聴覚刺激の内容を記憶していた。
 42歳女性、左上肢の脱力感と流涎を主訴に入院、翌日に突然の意識レベル低下をきたし、急性脳腫脹に対して緊急外減圧術施行後ICU入室となる。昏睡状態で脳圧は高値を維持し、痙攣の発症があった。聴覚刺激は術後5日目に開始し、家族からのメッセージを用いた。ステロイド療法に加え、術後7病日より免疫吸着療法が施行された。全身状態の回復とともに意識レベルも回復し、術後29病日に人工呼吸器離脱、術後34病日にICU退室となった。その後、頭蓋形成術施行、気管切開孔閉鎖となり経口摂取可能となる。左半身不全麻痺の状態で認知機能に問題なくリハビリ病院へ転院となった。
 退院後に患者本人から聴覚刺激の内容を「聞いた記憶がないのに全て覚えていた」という発言があった。

 

三好 陽子(藤田保健衛生大学衛生学部衛生看護学科):日本看護研究学会雑誌、30(3)、119、2007は、「脳血管障害患者が自覚する認知機能の回復とは、障害初期の意識がとぎれる状態が繰り返す中で生じた疑問を、周囲の人々の刺激によって患者の潜在する知的能力が働き始めたことにより、解決できるようになっていくものであった。これは、脳の損傷により一端、認知機能が低下した患者が他者からの支援を受けて認知機能を再建するプロセスであると考える」と報告している。
 

板倉 徹(和歌山県立医科大学脳神経外科):ドラマ・映画にみる脳の疾患 シネマホスピタル コーマ、Brain Nursing、23(2)、176−179、2007

 私が駆け出しの脳神経外科医であったころの話です。大学病院で当直をしていた時、交通事故で5歳男児が搬送。急性硬膜下血腫の血腫除去術後に意識は少し良くなりましたが2〜3日して再び悪化、1週目ついに意識は昏睡になり、呼吸は 弱々しく途切れがちで、もうこの子は助からないと覚悟しました。いよいよ呼吸が止まりそうになった時、ベッドの横で祈るようにわが子を見ていた母親が、突然「純也、息をしなさい、お願い、純也、息してちょうだい」と子どもにすがりついて必死に何度も叫びます。
 子どもの患者さんの最後を看取る時、私はいつも、母親の悲痛な叫び声のなかで「ご臨終です」と死を宣告してきました。表面上は無表情で冷ややかですが、内心、意思として最もつらい瞬間です。
 ところがこのとき、止まりかけていたこの子の呼吸がすこしずつ出てきて、力強くなっていきました。5分もたったでしょうか。ついに正常の呼吸を取り戻しました。この子の呼吸が戻ったのです。命は助かるかもしれない。この時母親と私の目が合い、言葉は交わさないものの、お互いに喜びを分かち合っていました。
 何とか窮地を乗り越えたものの、まだまだ意識が戻らず危険な状態が続きました。私は毎日この子の病室に詰め、必死で治療に当たりました。2週間もたったでしょうか。ある日、病室に行ってみると、この子が「およげ!たいやきくん」を歌っているではありませんか。2週間ただひたすら眠り込んでしまった子どもの意識が戻ったのです。
 私はこの瞬間、母親の顔を眺めました。その両目からは大粒の涙があふれでていました。美しい涙です。わがこの呼吸がまさに止まるという時、必死でわが子に呼吸を促し、その生を取り戻した喜びの涙でした。
 

当サイト注:大学病院であり、血腫除去術を行なった施設だから人工呼吸器はあったのに、この5歳男児の終末期には人工呼吸器を装着せずに自然経過に任せる判断をしていたと推測される。美談の背景には、早過ぎる治療放棄の可能性がある。


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