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遷延性意識障害からの回復例(参考)

 このページには、認知機能の回復経過や意識障害の持続期間が3ヵ月未満の回復例で有益な情報を含むもの、その他リハビリテーションに有益な情報などを掲載する。


加藤抱一

「回復は絶望的、植物人間にもなれない」とされた加藤医師が社会復帰

*加藤 抱一(日本臨床外科学会・編集委員会委員):編集後記 不人気、日本臨床外科学会雑誌、71(10)、2771、2010

 今日の医学雑誌では「症例報告」が不人気である。世界的にも症例報告を掲載する医学誌は極端に少なくなっている。そのような状況にも関わらず、,本誌の掲載論文は各号、概ね原著2、3編、症例報告40〜50編で、症例報告に偏重した構成を維持している。邦文誌に原著論文の投稿が少ないのも最近の一般的な傾向ではあるが、本誌には症例報告の投稿が多く、われわれもそれを歓迎している。今日、臨床や研究の場で活躍中のシニア外科医の多くが、学術論文執筆の手始めに症例報告を投稿した経験があり、論文を執筆すること自体が医師としての勉強の機会であったはずである。また、症例報告は貴重な経験を医学界に周知させる手段であり、後世に残る貴重なデータペースでもある。われわれはそのような症例報告の価値を十分認識している。
 不人気とは逆に、最近毎日のように紙上で目にするものに、改正臓器移植法によって脳死の判定を受けた人の臓器移植が家族の承諾だけで行われた記事がある。その記事を目にするたびに、半年前、私自身に起こった心肺停止の経験が思い起こされる。人工呼吸と数回のAEDで心拍は再開したが、当日と翌日の2回の脳波を含む諸検査結果をもとに、救急病院の担当医から家族に、回復の可能性は絶望的であり、植物人間にもなれないだろうと説明された。しかし、家族の希望で低体温下のICU管理が継続され、3、4日後には意識が回復に向かい、2週間でICUを退出。約1ヵ月で独歩退院して、6ヵ月後の今こうして編集後記を書いている。私事で恐縮だが、私の蘇生に関与してくださった皆様にこの場を借りて心からの感謝の意を表したい。
 私自身はまだ意識が朦朧としていた時のことで家族から聞いた話ではあるが、救急担当医は,私の回復を「奇跡が起こった」と表現したという。この奇跡は、私自身にとって極めて幸運な出来事であったと同時に、非常に勉強になった。私の家族や知人,蘇生に携わっていただいた救急関係者の方々にとっても貴重な経験となったに違いない。のみならず、あれが奇跡であったとすれば、当世人気の臓器移植の対象となる脳死に関連した資料として、不人気な症例報告をする意義がある出来事であったと思う。一流の救急病院で適切に対応していただいた結果であるから、症例報告に必要な医学的資料は十分に存在しているはずである。

 

*福田 龍将、岡田 一宏、望月 俊明、大谷 典生、青木 光広、石松 伸一(聖路加国際病院救急部救命救急センター)、救急医療におけるDNAR、蘇生、29(3)、168、2009 は、低体温療法後に意識障害が遷延し、脳波検査や画像検査などから総合的に判断して不可逆的な脳機能不全があると考え終末期であると判断したにも関わらず、最終的には脳機能良好に回復したケースのあったことを簡易に報告している。詳細は別ページに掲載

 


筑波大学

最後まであきらめずに努力してくれる人の存在を確認したとき、私はこの地獄から救われました

*紙屋 克子:慢性経過をたどる患者の安全・安楽とQOLにおける看護師の役割 意識障害患者の看護体験から、日本腎不全看護学会誌、11(1)、11−14、2009

 71歳男性、10年前に進行性核上性麻痺と診断、硬膜下血腫により意識障害となり、術後胃瘻造設。

 温浴刺激療法を行い、3週目に仮面様顔貌から笑顔がみられるようになった。経口摂取は禁止されていたが、食べることを目的とした口腔訓練を行なった。歯科検診をきっかけに含嗽ができるようになり、水も飲めるようになった。さらに経口摂取の訓練を行い、バナナやリンゴなどの経口摂取の確立ができた。肺活量も上がり、発声もよくなった。

 この患者に看護を学ぶ学生へのメッセージを依頼したところ、次のような言葉をいただいた。「水一滴自分の口にいれてもらえなかったとき、私は地獄の日々を送りました。私のために、最後まであきらめずに努力してくれる人の存在を確認したとき、私はこの地獄から救われました。」

 看護師は患者に変化を起こそうとして看護を行なうが、意識障害の患者にいつも期待するような変化が起こるとは限らない。しかし、患者の最も身近にいる看護師が、患者のQOLを少しでも向上させようと努力をし、それを患者が感じ取った時、看護師は、患者と同じ目標に向かってともに歩く同伴者として、患者に勇気を与えることができると考えている。

 


大脇 力

家族が患者を“起こす”、さまざまな効用を介護体験から実感

*大脇 力(東京都港区在住):“起きる”をチームで支えよう!(第13回) 家族が支える、ナーシング・トゥデイ、26(4)、12−14、2011

 彼女(妻)は現在も、いわゆる「植物状態」(気管切開、胃瘻による経管栄養、排泄はオムツ)で、要介護5。全介助が必要な遷延性植物状態です。職場で、フィッシャー分類の5という重度のくも膜下出血に倒れ、意識をとりもどすことのないまま、この春で丸11年が過ぎました。発症から7カ月で在宅へ移行、意識障害学会で大久保暢子先生の背面開放座位の存在と方法を知り、器具を購入してからの8年間は、午前と午後の1日2回(1回は30〜40分)施しています。
 背面開放座位をしますと、重力に逆らって上半身を起立させ、自らの力でバランスをとることになるわけですから、神経や血流を含めて身体全体の活動が活発になります。その効果は、具体的には大きく見開かれる瞳など、表情からも見てとれます。呼吸が大きく安定しますし、腸の運動も活発になるようです。
 在宅介護を始めて間もない、介護する側の家族の方々は、私自身がそうであったように、“被介護者は寝かせて安静にする”もので、“起きる(起こす)”などという発想まで至っていない場合が多いのではないかと思います。
 妻は、追視はなくても自発開眼はありますし、理学療法の最中や往診で血液採取のために注射針を刺されたときは、痛いという顔をしますす、音刺激にも反応しますし、まるで赤ん坊のように大きなあくびをすることもあります。
 表情と呼べるかどうかはわかりませんが、また、人間だけが可能な意識(意志)創出の現れとされる「明確な笑顔」はつくれませんが、マッサージや訪問入浴の後や、身体状態がよく、身体を含めて弛緩しているときには、表現は難しいのですが、「柔らかな、笑顔に近い表情」をしてくれます。
 家族はそういった表情をみるだけでも幸せなのです。ベッド端に器具を置き、日課である背面開放座位をし、テーブル越しに向かい合っているとき、言語によるコミュニケーションはなくても、もっと本質的なコミュニケーションをしているんだなと感じる時があります。
 彼女が大好きなロバート・デニーロ主演の映画「レナードの朝」の場面のように、淡々と日々“起こす”という日常を繰り返しているうちに、ある瞬間に、自分から“起きてくれる”場面を夢見ながら。

 


旭川荘療育センター児童院

ロッキングチェアーを使用した抱っことビニールプールでの温水浴により心身安定

*峰山 雅恵:人工呼吸器から離脱できない重症児へのスキンシップ、重症心身障害の療育、5(1)、100、2010

 無酸素性脳障害のAちゃん3歳女児疾患名:MRIで大脳、脳幹の著しい委縮がみられる。痙性四肢麻痺で自力での体動不可。下肢は開脚したまま拘縮。脳幹反射の消失(対光反射、角膜反射、咳反射など)。自発呼吸ほとんどなく24時間人工呼吸器装着。栄養は胃ろうから24時間持続注入。最重度の知的障害、話しかけに対して全く反応はない。唯一、不快なときに顔面紅潮し、流涙することがある。また、流涙はなくても、不快感の現われとして脈拍が140回/分〜160回/分と上昇する。
 流涙や、顔面紅潮、脈拍の上昇があれば、なにか不快なことがあるのだということはわかるのだが、その原因まではわからず、推測して対応していくしかない。脈拍の上昇がみられた時は、分泌物の貯留によるものと推測し、気管カニューレの交換を行っていた。それにより落ち着いてくることは多かった。しかし、状態が安定していないときには一日に3回交換するということもある状況だった。
 私たちが関わっていく中で、脈拍の下降に有効なことの一つに、スキンシップがあると感じた。そこで、看護師がベッド上に座り抱っこを始めたのだが、身体の拘縮があったり、人工呼吸器を装着したままの抱っこではどうしても介助者側への身体的負担が大きく、長時間の抱っこは困難であった。また、もう一つの関わりとして、入浴を考えた。入浴時にはとてもリラックスできるのだが、危険も伴うため、少しでも体調が悪いと入浴できないことが続いてしまう状況であった。そこで、医師、理学療法士とも相談し、改善策を考えた。
 誰でも簡単に抱っこができる方法として、ロッキングチェア一に専用のボードを置き、その上にAちゃんを乗せ抱っこするという形をとった。ロッキングチェア一で、ゆりかごのように揺れることができ、常にベッド上で動けなかったAちゃんへのよい刺激となった。
 入浴については、ベッドサイドでビニールプールを使用した温水浴を試みた。ベッドサイドなので、人工呼吸器を装着したままで入ることができ、多少呼吸状態が不安定でも人ることが可能となった。
 これらのことを行い始めた後から、安静時の脈拍は、以前は100回/分を下回ることはほぼなかったものが、80回/分〜100回/分と下降がみられ、不快で140回/分以上となり、気管カニューレの交換を行う頻度も減少した。脈拍が130回/分程度みられるときでも、ロッキングチェア一で抱っこを行うと徐々に下降し、30分もすると90回/分〜100回/分になることも多くみられた。
 健常児であれば、母親に毎日抱っこしてもらい、話しかけてもらい、笑顔を向けてもらい成長していく。それが心身の安定につながり、成長発達を促す。それは、どんなに脳の損傷が広範囲にあるような障害児にとっても同じことなのだ。

 


#kizawa

木沢記念病院
リハビリテーションセンター
中部療護センター

鍼治療で追視の明瞭化、開眼の増加、上下肢の緊張緩和、関節可動域が拡大

*松本 淳:重症頭部交通外傷後の遷延性意識障害例に対する鍼治療の試み、全日本鍼灸学会雑誌、60(3)、592、2010 http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam/60/3/461/_pdf/-char/ja/

 頭部交通外傷による遷延性植物障害および上下肢の緊張亢進の軽減目的にて、鍼治療を週2回、4ヶ月間施行した。3症例とも、鍼治療の併用開始後に追視の明瞭化や開眼の増加などの反応がみられた。鍼治療中に上下肢の緊張が緩和し、鍼治療後に関節可動域が拡大する傾向を認めた。
 受傷13ヵ月後の20歳代男性では、15%の平均脳血流の増加を認め、受傷17ヵ月後の50歳代男性は、鍼治療開始後に時折、自発的な手指の運動を認めるようになり、受傷24ヵ月後の20歳代男 性では、治療中に手関節および手指の動きの明瞭化を認めた。
 

当サイト注:2008年に自治医科大学から鍼治療例が報告されている。

 

自律神経も損傷を受けている遷延性意識障害患者あり、健常人と同様の体動変化を促すリハビリは留意

*森 直之:遷延性意識障害患者の自律神経活動:東海北陸理学療法学術大会誌、23、44、2007 
http://www.jstage.jst.go.jp/article/thpt/23/0/23_O009/_article/-char/ja/

 意識障害患者に対する理学療法では随意運動の有無や筋緊張に多くの目が向けられ、不随意である自律神経系は見過ごしがちな存在である。当センターでは意識障害患者に対して循環機能の改善目的でTilt Tableでの起立訓練を実施し、心拍変動(HRV)を指標として体位変化に伴った自律神経系応答を検討してきた。起立に伴い一過性に自律神経活動値が過敏に変化した症例と、起立しても自律神経活動値の変化が乏しい症例がみられた。
 患者群の中には過敏に反応した症例や、循環応答が乏しい症例がみられたのはその制御メカニズムが脳損傷によって変調されたのではないかと推測された。脳機能の損傷によってはTilt Tableの起立や体位変動によって循環調節ができないため、身体への負荷が非常に大きいケースが存在すると考えられた。つまり、意識障害患者の中には健常人と同様の体動変化を促すことは循環調節の観点からより留意する必要があることが示唆された。

 

音を身体に体感させるボディソニックシステムが意識改善、筋緊張低下に効果

*中村 美津:最新リハビリFボディソニック、ブレインナーシング、22(11)、1142−1144、2006

 遷延性意識障害患者にボディソニックを使用し、クラシックとしてソニーミュージックから発売されている『image(イマージュ)』を聴取したときは、シータ波を減少させる傾向にあり意識改善に影響を与える要因になりえると考えられる。音楽の種類ではimageのほうがアルファ波が増加し、好きな音楽より良い影響を与えている傾向にある。幼少時によく聞いていた童謡のほうがさらにアルファ波は増加する傾向にある。
 筋の緊張が高い患者のリハビリテーション前にボディソニックを使用すると、緊張が低下し、関節可動域訓練や嚥下訓練が導入しやすいということが実際に起こっている。ボディソニックは何より、医療のなかで容易に安全に音楽療法を導入できる良きシステムであると考えられる。

 

入院時に標準体重を大きく下回る患者が多い、褥創・合併症の予防に適正な栄養管理を

*吉村 千加子:遷延性意識障害患者の栄養管理の現状と課題、静脈経腸栄養、20(増刊)、253、2005
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspen/20/Supplement/s248/_pdf/-char/ja/

 入院時栄養評価を実施すると標準体重を大きく下回っている患者が多い。2002年9月〜2004年6月、当センター入院患者36名の入院時のBMIの平均は16.1%、最低が12%。総蛋白は6.3〜8.2g/dl。アルブミン値は3.3〜4.9g/dlで平均4.04g/dlであった。基礎代謝量の平均は1289kcal、入院時の平均栄養投与カロリーは1251kcalであった。入院後、ストレス係数、活動係数から必要カロリーを求め、栄養管理を進めたところ、現在ではBMIが平均17.9%まで改善が認められた。
 医療者は、介護する者の負担を軽減するといった観念が強く、カロリーも抑え気味に投与されていると思われる。しかし、長期臥床による褥創や、肺炎など合併症の予防には適正が栄養管理が必要であり、また、容姿も家族にとっては重要であり、BMIの評価も重要な因子のひとつである。

当サイト注:意識障害患者の低栄養状態については、筑波大学の日高氏も指摘している。

 


河北リハビリテーション病院

機能予後を考慮の上、転院先を考慮すべき

*北村 恵津子:意識障害遷延のため受傷から4ヶ月後に回復期リハビリテーション病院へ入院し、胃瘻から自力経口摂取が可能となった一例、日本摂食・嚥下リハビリテーション学会雑誌、13(3)、393、2009

 74歳男性、7月25日に転倒、X病院に搬送され外傷性クモ膜下出血・脳挫傷の診断、保存的に治療された。意識障害(JCS30)が遷延し8月20日胃瘻増設。10月14日にY病院へ転院。徐々に意識状態に改善が見られ、専門的なリハビリ治療の目的で11月15日当院入院。
 入院時JCS3、段階的な訓練を実施し、最終的には車椅子乗車90度にて全粥・常菜・ポタージュ状の水分の自力摂取が可能となった。

 重症頭部外傷後の意識回復には平均約5ヶ月を要すると報告されている(塩崎、2005)。現行制度下では発症後2ヵ月を超えると回復期リハビリ病棟への転院が困難となるが、本症例のように意識障害の遷延した患者に対しては機能予後を考慮の上、転帰先を考慮する必要があると考えられた。

 


沖縄県看護協会
訪問看護ステーションのぞみ

沖縄県うるま市

主治医が5〜6年かかると予想した自発呼吸の復活を1ヵ月で実現

*下地 節子:訪問看護師のかかわりによって人工呼吸器から離脱し,自発呼吸を取り戻した小児のケース 用手的自然呼吸法を取り入れた中枢性呼吸機能不全患児への看護、訪問看護と介護、14(2)、111−115、2009

 入院前までは正常発達の男児、1歳10ヵ月時にウイルス性脳炎に罹患(入院期間:2004年5月〜2005年2月)。脳幹部と小脳の機能障害、自発呼吸がまったくなく気管切開されて人工呼吸、寝返りは困難、座位不可、立位歩行不可、経口摂取できず鼻腔からの経管栄養。テレビをみて泣いたり、笑顔になったりの反応があり、大脳の機能障害はさほどないと思われるが、名前を呼ばれても反応がなく、話しかけにも関心を示さない。おもちゃや食べ物にも興味を示さないなど無関心状態。
 主治医による病状説明は「頭部MRIの結果、生命維持に必要な呼吸中枢である脳幹部に機能障害があるため、人工呼吸器よりの離脱は困難である。あと5〜6年くらいまでに離脱ができればよいほうである」。入院中に人工呼吸器からの離脱に挑戦したが、自発呼吸は復活せず断念した。

 2005年1〜3月、在宅以降のため試験外泊、訪問看護開始。人工呼吸器を装着した状態で呼気時に胸郭を圧迫するスクイージング法実施。口腔ケア、嚥下訓練、腹臥位訓練、座位訓練。3月、自力で寝返りができるようになる。4月5日退院、胸部の動きがかすかに見えるが呼吸音としては聴取できない。

 4月15日より呼吸リハビリを用手的自然呼吸法へと変更。胸部を両手で圧迫し、両肺から空気(CO2)を排出させ、反動で両手を離すことで胸腔内と大気圧の差で空気を肺胞に入れる用手的自然呼吸法を毎日30〜60分、1分間15回前後のペースで実施(午前2回、午後2回)。
 4月26日(11日目)、自発呼吸出現、不規則呼吸で5分間で呼吸停止するが、再び用手的自然呼吸法を実施すると自発呼吸が回復する。
 5月16日(30日目)、日中8〜10時間を人工呼吸器より離脱して過ごす。
 6月、長時間、人工呼吸器から離脱できるようになり、立位訓練も開始。夜間睡眠中の人工呼吸器装着は続行。
 2006年4月、人工呼吸器の離脱ができたので小児発達センターへ通所リハビリが可能となる。夜間睡眠中の人工呼吸器を装着する日数を徐々に減らし、11月より終始、自然自発呼吸だけで過ごしている。

 


広島大学医学部脳神経外科

脊髄電気刺激療法により人工呼吸器から離脱

*西 徹:脊髄電気刺激療法により人工呼吸器から離脱できた重症頭部外傷の1例、広島医学、47(11)、1525−1528、1994

 23歳男性は1994年6月3日、オートバイ運転中に対向車と衝突し、多発骨折による出血性ショック状態・びまん性脳挫傷による脳内出血。急性期の脳圧亢進症はかろうじて克服したが、受傷後約1ヵ月経過しても意識状態をはじめとして神経学的な改善はほとんど認められなかった。また、自発呼吸は極めて弱く失調性であり人工呼吸器から離脱できない状態であった。

 以上の状況から、遷延性意識障害の改善を目的として脊髄電気刺激療法を行った。7月11日、刺激電極を第2頚椎の高さまで挿入、手術翌日より1日8時間の電気刺激を行い、術後第8日目に人工呼吸器から離脱した。術後1ヵ月の時点では、刺激により半開眼し、痛みに対する苦悶表情などが表れるようになり、また四肢の拘縮も著明に改善している。7月21日に集中治療室より一般病棟に転棟した。

 


近畿大学

リハビリ刺激の脳活動に与える影響を非侵襲的に把握

*福田 寛二(近畿大学リハ科):遷延性意識障害患者に対するストレッチが脳活動に与える影響、The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine、45(12)、816、2008

 リハビリテーションを効果的に行うために、各種刺激が脳活動に与える影響をリアルタイムで捉えることが望ましい。光トポグラフィは、非侵襲的に大脳皮質の血液量の変化を捉える機器である。
 びまん性軸索損傷の60歳代男性に、ストレッチ刺激を負荷した。セミファーラー位とし20秒間の平穏を確認した後、上腕二頭筋に20秒間の伸張刺激と40秒間の安静を連続して計3回施行した。脳血流の変化を光トポグラフィーにより検討した。
 【結果と考察】伸張刺激開始直後より、刺激とは反対側の感覚野を中心にオキシヘモグロビンの増加がみられた。このことは、意思疎通を図れない意識障害者であっても理学療法が脳の賦活に役立っていることを示唆している。

 


柳原リハビリテーション病院

眠り続けていた患者が腹臥位療法で開眼、光を追うようになった

*黒沢 眞理子:遷延性意識障害患者に腹臥位療法を取り入れた効果、日本看護技術学会学術集会講演抄録集6回、49、2007

 意識障害の患者を受け持ち半年が経過したが、ずっと眠り続ける状態が続いていた。なんとか少しでも改善できないかと文献を探し腹臥位療法に行き着き、実践を試みた。
 患者は30歳男性、1型糖尿病、2年前に血糖コントロール不良により低酸素脳症となり、気管切開、胃瘻造設となった。意識レベルは3−200。
 2004年4月、腹臥位療法を1日1回30分開始、心拍数が130回/分を超えたら苦痛な状況と判断し、腹臥位療法注視のサインと決めた。5月からは車椅子上での昼の経管栄養を実施、座位訓練も取り入れた。訓練を続けるうちに少しずつ足底が床に着くようになり座位がとれるようになってきた。7月にはリフトを使用し、初めてポータブルトイレでの排便を試みた。その後、ポータブルトイレでの排泄が日常化し、スライディングボードを使用し移乗するようになった。12月になってから開眼し始め、2005年1月から終日開眼している日が続いている。また、開眼した眼は光に対する反応が見られはじめている(2005年4月)。

 


大泉病院

東京都

腹臥位療法により廃用性症候群を予防、改善

*小塚 真澄:遷延性意識障害に対しての新しい試み 腹臥位療法を取り入れて、日本精神科看護学会誌、46(1)、322−324、2003

 嘔吐物誤嚥による窒息で低酸素脳症により意識障害をきたした64歳女性Aさん。

 8月26日〜9月9日:腹臥位開始時、四肢の緊張が非常に硬く、また頚部から肩部にかけての緊張が強く、上肢を挙上した体勢で全身に振戦が見られた。施行中のAさんの表情は険しく、赤面し、ナースの声掛けに対し目で追う動作が見られ、5分経過し、下肢の緊張がほぐれ、振戦も徐々に軽減した。腹臥位施行後1週間が経過、ストレッチャーでの入浴介助時、両下肢、頚部の挙上困難が著しくみられ、頭部挙上の際は表情が険しく口元が震えていた。日中のギャッジアップは60度まで挙上、体位保持できなかった。腹臥位を開始してから笑顔が無くなりスタッフが訪室すると怯えるような表情を示した。

 9月10日〜10月19日:訓練継続し、笑顔が無くなったことで、カンファレンスを開き、私たちも腹臥位を体験し、どれだけの苦痛や恐怖感があるか確認した。そこから、補助具の種類や高さ、上肢をおく位置によって苦痛の度合いが違うことを判明し、都度の動作に応じた声掛けの重要さを改めて実感した。腹臥位施行時、上肢の挙上は以前と比べて容易となり、頚部が徐々に前傾になった。声掛けによる反応は追視だけでなくそれに伴って左右に動かす頚部の動きがわずかではあるがみられた。そしてギャッジアップ90度保持ができるようになった。同時に、嚥下反射訓練や蜂蜜を使っての口腔内マッサージ、顔面マッサージを行っていった。しかし、これまでみられなかった咳嗽があり、喀痰の量が多くなった。

 10月20日〜10月31日:リクライニング車椅子へ移動が可能になり、院庭への散歩やレクリエーションへ参加した。入浴介助は、頚部・上下肢の挙上が容易となり、時折笑顔がみられた。咳嗽と喀痰量は一時期よりも減少し、嚥下訓練においては、時折ゼリーなどの飲み込みが確認できるようになった。

 


神奈川リハビリテーション病院

奇声は不快の表れ、褥創の治癒・リハビリにともない家族の気持ちが前向きに変化、コメディカルスタッフとの連携で在宅復帰

*山本 純子(神奈川リハビリテーション病院看護部):重度脳損傷患者の在宅への支援 巨大褥瘡を併発した事例より、神奈川県総合リハビリテーションセンター紀要、32、11−14、2006

 20歳代男性は髄膜炎後遺症による遷延性意識障害、痙性四肢麻痺、合併症は仙骨・両坐骨にステージ4の褥瘡、神経性膀胱。リハビリと介護指導目的で当院転院。
 ADLは全介助、食事は経口摂取と経管栄養併用、排泄はバルーンカテーテル留置中、発声することで快・不快は表現できるが意思疎通は困難。
 血液検査で低栄養状態であり1日摂取量を1950kcalから2700kcalに変更、排泄管理では便失禁予防に毎日浣腸・ビニール排便を行い、尿失禁予防のためバルーンカテーテル挿入していた。昼夜を問わず奇声を発していた。
 褥瘡からの滲出液が多いため1日2回の創部処置、週2回のエレベータバスを行い創部および全身の清潔を保った。術後の経過良好、創部の状態を見ながらマットの変更(交換型圧切替マットレス→空気流動型ベッド→上敷型圧切替マットレス)をし、体位変換時間や車椅子乗車時間を延長し、バルーンカテーテルを抜去し体外カテーテルへ変更して尿路感染症なく経過。3食経口摂取開始、創部の状態が良くなると徐々に奇声が減った。
 奇声を発する患者への関わりに戸惑う家族へ、術前から食事介助や口腔ケア、清拭の指導から介護指導を行った。介護方法を習得し面会の際には積極的に介護を行うようになり、徐々に声かけが増えた。メディカル・ソーシャルワーカーが中心となり、理学療法士・作業療法士が家庭訪問して家屋調整を進め、在宅サービスについて情報提供を行った。両親が病棟内宿泊訓練を行い、初回外泊時に地域の訪問看護師、病棟受け持ち看護師が自宅訪問し情報提供を行った。その後、自宅退院となった。

 褥創の改善とADLの拡大に伴い奇声が減ったことから、奇声は不快の表れであったと考える。海原らは、意思疎通困難な長期臥床患者は、面会に訪れても何をしてよいか戸惑い、家族としての役割を見出すことが難しく、次第に疎遠になっていく傾向があると述べている。家族は介護を通してスキンシップを図ることで声かけが増え、褥創が治癒してADLが拡大していく中で、奇声が減り、家族の気持ちも前向きに変化していったと考える。病棟担当看護師が地域の訪問看護師と一緒に家庭訪問し、情報提供を行ったことが家族の在宅生活に対する不安の軽減につながり、在宅へ移行できた。

 


藤田保健衛生大学病院

認知機能の低下した患者が、他者からの支援を受けて認知機能を再建するプロセス

*三好 陽子、天野 瑞枝、福田 峰子(藤田保健衛生大学衛生学部衛生看護学科):脳血管障害患者が自覚する認知機能回復のプロセス、日本看護研究学会雑誌、30(3)、119、2007

 対象は、人院時に認知機能障害を呈していた脳血管障害患者で、現在は症状が安定し、会話が可能な患者9名(男性5名、女性4名)。平均年齢65.8歳。診断名は、脳梗塞6名、脳出血3名であった。発症時のFIM(認知)は平均11点であった。対象者にインタビューを行い、逐語録に残した。
 患者が認知機能障害のある状況からどのようにして自分自身の状況を認識できるようになったのかを分析した結果、 「生じる疑問ととぎれる意識」、「周囲に呼応された感情」、「模倣による再学習」、「行為と意味のつながり」、「目覚めの感覚」の5つのカテゴリーが明らかとなった。

 発症初期の患者には突然意識がとぎれたり、清明になったりする意識不明瞭な時期があり、「これは何だろう」という疑問を感じてはいたが、常に未解決なままであった。
 患者は「生じる疑問ととぎれる意識」を繰り返す中で、周囲の人々の感情的な対応によって左右する「周囲に呼応された感情」を表出するようになった。
 また、医療者が示す日常生活動作を手本にして「模倣による再学習」を行いながら、「何のためにこの行為を行うのか」という「行為と意味のつながり」が理解できるようになっていった。
 そして、どのような時でも他者に介助を受けて生活しなければならない状況に対して、「何故、私は人からこのようなことをされるようになったのか」という自問自答をするようになり、障害を発症したことに気づいた。
 その結果、自分自身の現状が認識できるようになり、患者は今まで頭の中に霧がかかったような状態からようやく目が覚めた「目覚めの感覚」を持つことができた。

 以上により、脳血管障害患者が自覚する認知機能の回復とは、障害初期の意識がとぎれる状態が繰り返す中で生じた疑問を、周囲の人々の刺激によって患者の潜在する知的能力が働き始めたことにより、解決できるようになっていくものであった。これは、脳の損傷により一端、認知機能が低下した患者が他者からの支援を受けて認知機能を再建するプロセスであると考える。

 


北里大学病院

意識障害者の恐怖感:自分の思考が片っ端から否定されていく恐ろしさ、孤独感

 *新井 智:魂のリハビリテーション 植物人間からの生還、筑摩書房、1984

  • 硬膜下血腫除去手術から23日目に意識を回復(はっきりとした発音で氏名と勤務先を述べた)、
    28日目
    に「いま自分は意識がある」という認識(その時に意識があったという記憶も)取り戻す時の描写:p5〜p6

     光の中で、私は意識に目覚めた。頭と身体全体がひどく重たく、どことも言えず身体じゅうに鈍痛があった。息をしようとしても、自由に呼吸ができなかった。苦しい苦しいと思いながら、それを口に出すこともできなかった。
     その光の中に、次第に物の形が浮かんできた。だが、目の前がぐるぐる回るので、なかなか形をつかめなかった。光の中に窓が見えた。
    (ああ、ここはきれいな部屋だ。ぼくは部屋で寝ていたんだな)
     ベッドの傍らにいるのは妻だった。彼女は先刻からしきりに私に話しかけていた。しかしどうしたわけか、言葉はよく聞こえるのに、まるで部屋全体が大きなビニールの袋に包まれて、その向こうから聞こえる声のように、とらえどころがなかった。いやそうではない。彼女の声は聞いた瞬間に消えてしまうのだった。その声は、部屋から外へ漏れていくようでもあった。今聞いたことが、片端からどこかに消えて、少しも自分の記憶にたまらない。この実体が失われていく空虚な恐ろしさは、一体どうしたというのだろう。
     次の瞬間、頭の奥深くから、痛みと疲れが音もなく湧き出て来て、虚脱感が黒雲のように広がっていく。上下のまぶたが自然にくっつき、無意識の世界に再び引き戻されそうになる。何くそと思い、私は意識的に目をカッと見開いた。また部屋の窓が見えた。
     
  • 30日目p38−p39

     私は自分が決定的に無力な人間になっていることに気づきはじめた。今自分で話したことを、次の瞬間には思い出せなかった、ちょうど黒板に書いた文字が、書いた端から黒板消しで消されていくようだった。自分の思考が片っ端から否定されていく恐ろしさを想像してもらえるだろうか。見舞い客が帰り、重症者用二人部屋で同室の相手のことを何も知らず、一人ぽつねんと寝ているのが、私は無性にこわかった。

 

当サイト注:上記の単行本は、硬膜下血腫除去手術の1年後、現職=玉川大学教授(宗教教育学)に復帰を果たすまでの記録。回復過程の当事者の感覚・心の有り様を、失われた諸機能が回復されていく時の脳内・身体環境との連動性、リハビリにおける困難、という観点から読むと興味深い(新井氏の生き方は、人生論としても参考になる)。

 「今聞いたことが、片端からどこかに消えて、少しも自分の記憶にたまらない。この実体が失われていく空虚な恐ろしさ・・・・・・今自分で話したことを、次の瞬間には思い出せなかった、自分の思考が片っ端から否定されていく恐ろしさ」など、閉じ込め症候群の患者が、強い恐怖感を感じているとの指摘を裏付けそうだ。

 もちろん、このような回復過程の記憶が無い体験記もある。同様のことは起こったが記憶していないだけなのか、または別の病態だから発生していないのか、個別に検討する必要がある。

 


駿河台日本大学病院

「もしかしたら?」の観察力が患者の回復へとつながった場面から、看護師の喜びが生まれる

*松永 五智子(駿河台日本大学病院看護部):看護を語ることによって実感する看護のよろこび、看護実践の科学、33(9)、52−56、2008

注:以下は「看護を語る会」で話されたことで、患者の入院施設名は不明。

渡邉:久しぶりに観察というか患者さんを見る目が必要だと思った事例がありました。手術もできず、左の視床出血で脳神経外科の医師からも「良くならないだろう」「どちらかというと植物状態」といわれていました。そのため、4人部屋のなかでもかかわりが薄かったのですが、ある日、唯一動く方の手で何か意思表示をしているようで意思の疎通性があるんじゃないかと捉えました。それから看護師たちは「させてみよう、やってみよう」と、いろんなことを進めました。すると、あれよあれよという間に車いすに乗車でき、食事を摂取できるまでになっていきました。医師の「植物状態であるかも」という情報にだけ捉われることなく、看護師の“こうやってみよう”の積み重ねが、患者さんが持っていたもの・・・・・・隠れていたものを出してきてくれたんじゃないかと思いました。その後、患者さんはリハビリ病院に転院して行かれました。こういう視点で見ていくと、「だめかもしれない」という患者さんに、家族も含めて生きがいというものがどんどん広がっていくんだと感じました。

東:「意思の疎通性があるんじゃないか」という場面で、看護師がどのように患者さんをキャッチしたかを具体的に教えてください。

渡邉:4人部屋で他の患者さんと会話したりするなかで、じっとこちらを見ているような視線を感じ、本当は意識があるんじゃないか? 10回に1回は反応がある気がしましたし、私たちの期待する反応を患者さんが示すことがあり、この“もしかしたら”の積み重ねがこの患者さんは、前からいろんなことを知っていたんじゃないかとつながりました。

佐藤:この話を聞いて、救命センターから転入してこられた「回復が見込めない」と診断された遷延性意識障害の褥婦さんのことを思い出しました。あのときも、患者さんの信号(追視など)をキャッチし好きな音楽をかけたり、子どもの写真を見せたりして次第に意識が戻り、会話ができるまで回復されました。私たちは回復の見込みがなくだめだと思うと足が遠のいてしまうけど、家族は最後まで残されたものを信じたいと思うんだろうなと今の話を聞いて思いました。

増田:救命センターの今の患者様では家族のかかわりで何かありましたか?

渡邉:家族も私たちもですが、医師の病状説明によっては患者の今後を諦めがちです。次の転院先を探したりしますが、残された家族は自分たちの生活を守っていくことにも必死です。仕方のないことですが、家族の闘病意欲もさがるというか・・・・・・。しかし、患者さんとコミュニケーションができるようになり、回復したときの患者さんの状況を伝えていくことで、その時々に必要な物を購入してきたり家族の闘病意欲も強くなっていました。
 別の30代の意識混濁があり、自分で動くことができなかった患者さんは、何がきっかけだったのか、少しずつ変化し足を組む行動が見られるようになりました。これは経験なのですが、センターではなぜか元気になる人は足を組み始める。これが元気になるサィンなのかなと。

増田:足を組むってことは、自分の意思で行なっているのだから、意識レべルが上がってきたってことなんですよね。

渡邉:だめかもしれないという患者さんが、ここまで良くなるとすごいなと思います。

佐藤:そこになるまでには、家族が受け入れてくれないと。さっきの褥婦さんのご主人も諦めモードになっていて難しいことがありました。

小菅:それは、医師がシビアに病状を説明してしまうから、そうなるんですよね。

佐藤:そういうときに、看護師が「どうやってこうなったんですよ」と具体的な状況を家族に伝えていかないと家族が受け入れられないんだなと思いました。

増田:医師は24時間、患者のそばにいるわけではないから、24時間看ている看護師は、ちょっとしたことでも家族に伝えていくことが役割なのかなと。入院前の生活は、家族に聞いたりして、「次はこうしていこう」と進めていかなければならないのかなって思います。

 

 

医学的な治療方法が少なくなった患者へ、生活援助を通し、患者の潜在的な能力を発見して伸ばしていくことは、看護独自の機能として非常に重要なこと

*中野 美穂、中尾 理絵、 熊木 春江、 佐藤 美貴子、 東 めぐみ(駿河台日本大学病院):遷延性意識障害患者の信号を敏感に感じ取る直観と直観に裏付けられた看護行為、日本看護学会論文集: 成人看護2、37、465−467、2007

 Aさんは、意識の回復は見込めないと診断され、JCS200pの状態であった。看護師がAさんの「追視」というわずかな信号に気付いたことをきっかけに、会話が可能になるまで回復した。本研究では、Aさんの信号を看護師がどのように気付き、どのように看護行為につなげていったかということを、看護独自の機能という観点から明らかにすることを目的に探求を行った。

 

 患者Aさんは30歳代の女性。分娩時の弛緩出血によるショックにより意識障害。救命センターでの治療後、40病日目に意識レベルJCS200pにて一般病棟に転室となった。

1、追視に気付いた看護師の直感(エピソード1)

<Aさんの状態>
 開眼しているが、JCS200pの状態

<看護師Bの直観>
 「開眼しているのに、反応がみられないということは、Aさんには周囲のものが何も見えていないのだろうか、見えていても何も感じないのだろうか、見えているのに何も感じないなんてことがあるのであろうか」と私は思った。Aさんの部屋を訪室する毎に、Aさんの右側から左側に移動してみたり、千羽鶴をAさんの見える場所に置いて動かしたりしてみた。転入から1週間位たったある日、「Aさん、こんにちは」と声をかけながら訪室したところ、Aさんの目が少し動いた様子があり、私のほうを向いているように感じた。「あれ、Aさん、私が入ってきたことがわかりますか?」と耳のそばで話しかけ、Aさんの顔の前で自分の顔を動かしてみると、視線が動いている様子があった。私は千羽鶴をAさんの見える場所に持っていき、これね、家族の人が持ってきてくれた千羽鶴ですよ、わかりますか?」といって、動かしてみると、Aさんの視線が今まで以上にはっきりと千羽鶴の動きを追っている様子がみられた。ナースステーションに戻り、看護師Dに「Aさん、目が動いているように感じました」と伝えた。

<看護師Dの直観>
 救命センターに勤務していた時の経験から、意識レべルの改善がみられた患者には、共通して「何かが違う」と思う、目の動きがあることを学んでおり、Aさんを初めて見た時に、「何となく見ているような目の動きがある」と感じた。いつも「見えているかもしれない。聞こえているかもしれない」という意識のもとで、体位変換毎に千羽鶴を見える位置に変えたり、「ママって呼ばれていた?」と耳元でささやいたりしていた。そして、転入数日後にAさんの部屋へ訪室した時に、目の動きがいつもよりはっきりと自分の姿を追っており、追視があることを認識した。そして、ナースステーションで「ちょっと前からこちらを見る目の動きがあるよね」と伝えた。

<解釈>
 看護師は、こちらの言っていることがわかるのではないか、何らかの反応があるのではないかとの思いで、Aさんに対して声をかけ、表情を注意深く観察した。そして、「あれっ」と思う目の動きで、追視というAさんの変化を敏感に感じ取り、それを皆で言語化し、共有していったことが意識レべル改善への第1歩となった。

 

2、頷き反応の発見(エピソード2)

<Aさんの信号>
 質問に対し、微かに頷く。

<看護師の直観>
 「追視があるということは、視覚があるということ。それであれば、聴覚や他の感覚もある可能性が高いので、返事のいらない一方的な声かけではなく、簡単に反応が出来る“イエス・ノー式の質問”をしてみようか」と考えた。

<看護行為>
 「千羽鶴見えますか?」との質問をA さんの耳元で話しかけたところ、かすかに首を上下に頷く動作がみられた。

<解釈>
 看護師が、A さんの追視を見逃さずに気付いたことにより、“イエス・ノー式の質問”という行為をAさんに投げ返すことが出来た。その結果、A さんの領きという更なる能力を引き出すことが出来た。

 

・しっかりとした頷き反応の出現(エピソード3)

 手浴中に「気持ちいいですか?」と問いかけると、大きく首を頷き、はっきり意思表示する反応が出現した。

 

3、頷きによる会話の成立(エピソード4)

<A さんの信号>質問に対して考え、頷きや首を振る反応がみられる。

<看護師の直観>
 「質問に対して頷き反応がみられているので、更なる刺激が有効であるのではないか。現在、開眼している時は看護師を感じていて、閉眼している時は、眠っているように感じる。昼夜の区別をつけて生活リズムを取り戻せるのではないか」と考えた。

<看護行為>
 聴覚の刺激で音楽を流すために、A さんに対して音楽の話をした。最近のヒット曲やクラッシク音楽の話では反応がなかったが、A さんの青春時代に流行っていた歌謡曲の話になったところ反応がみられた。演歌の話では、「違うわよ」という表情で首を横に振ったが、工藤静香という名前に首を縦に振る大きな頷きがみられた。その後、工藤静香のCDを流すようにしたところ、右手で曲の振り付けをしたり、リズムを取ったりする姿がみられた。

<解釈>
 音楽を選択するに際して、Aさんの年齢を考慮して、その時代背景を考えながら話を進めていったことによりAさんの潜在能力の中から「考える」という行為を引き出し、記憶を蘇らせる手助けが出来た。

 

4、感情の表出が出現(エピソード5)

<Aさんの信号>子供の写真を見て、笑う、泣く。

<看護師の直観>
 「質問に対しての反応もスムーズになってきたため、更なるレべルアップが必要なのではないか」と考えた。Aさんは子供が4人おり、小さな子供を持つ母親は、「お母さん」と言われるとどんなに小さな声でも目を覚ますということを、小児科での経験や甥や姪との関係で学んでいた看護師は、Aさんの関心事は子供であると判断した。

<看護行為>家族に働きかけて、子供の写真を持ってきてもらい、2時間毎の体位交換の時に写真の位置をかえたりして、Aさんの視界に入るように飾った。また、子供中心の会話をしていた。

<解釈>
 Aさんにとって、家族、特に子供の影響は大きく、“泣く”という意思の表現が初めて出現した。面会回数の少ない家族あったため、看護師から家族へ働きかけていくことによって看護師が会話のできないAさんの声となり、家族へ思いを伝えることが出来た。また、看護師が、今までの看護経験から、Aさんの関心事が、子供であると的確に判断出来たことが、Aさんの意識レベル改善へとつながった。

 

・話をしようとする姿が出現(エピソード6)

 意識レベルの改善を認識していた看護師が、Aさんの口の動きに注目すると、「おはよう」と動いていることに気付いた。

 

・発語が出現(エピソード7)

 手浴中に「めちゃくちゃ熱い」と、発語が出現した。

 

・会話がスムーズで生活リズム整う(エピソード8)

 日中は車椅子に乗り、ナースステーションで会話をして過ごし、夜はベッドで睡眠するという生活リズムが整った。

 

考察(部分)

 ヴァージニア・へンダーソンは、患者の“皮膚の内側に入り込む”看護婦は、言葉、沈黙、表情、動作、こうしたものの意味するところを絶えず分析していて、この分析を謙虚に行い、自然で建設的な看護婦=患者関係の形成を妨げないようにするのはひとつの芸術である、と述べている。今回のAさんと看護師との関わりが、自然で建設的な関係を形成できたため、Aさんが持つ、生きようとする潜在能力である、追視・頷き・発語といった反応を次々に引き出すことが出来たのではないかと考えられた。そして、医学的な治療方法が少なくなった患者へ、生活援助を通し、患者の潜在的な能力を発見して伸ばしていくことは、看護独自の機能として非常に重要なことであることが示唆された。

 

まとめ

  1. Aさんが発する言葉以外の信号を、看護師が今までの看護体験や生活体験から得た知識を用いながら、注意カや能力を最大限に使って、受け止めていたことが明らかになった。
     
  2. 看護師は、Aさんの聴覚・視覚への働きかけ、また、タッチングや手浴等の看護行為を行うことによって、Aさんの発しているものを感じ、Aさんの潜在能力を引き出したことが明らかになった。
     
  3. Aさんの思いや信号を、看護師間で言語化して共有し継続した看護を行うことにより、Aさんの意識レべル改善の手助けになったことが示唆された。

 


千葉大学

低血糖症で約2ヵ月意識障害、認知障害が徐々に改善、画像上も回復を確認

*橋本 直子(千葉大学大学院医学研究院細胞治療学):長期間におよぶ遷延性意識障害の後、意識回復した低血糖脳症の1例、糖尿病、50(7)、533、2007

 1型糖尿病を発症し強化インスリン療法中の44歳男性、2006年4月、昏睡状態で倒れているのを発見され、当院搬送までに3〜7時間の低血糖状態が推測された。ブドウ糖静注後、血糖は上昇したが意識障害の回復は認められなかった。頭部CT、MRI、髄液検査を施行したが異常を認めなかった。以上より、低血糖症による意識障害の遷延と考えられた。

 約2ヵ月間、意識障害が遷延したが7月から意識は回復し、経口摂取や歩行が可能となったが、認知障害は残存した。7月の頭部CTでは瀰漫性の大脳萎縮を認め、SPECTでは広汎な血流低下を認めた。その後、認知障害が徐々に改善し、10月のSPECTでは脳血流は改善した。

 


高知大学医学部附属病院

柚子を用いて口腔ケア、呼吸器離脱、発語開始

*西村 八栄(高知大学医学部附属病院):遷延性意識障害患者に対する嗅覚および味覚刺激の効果 柚子を用いての口腔ケア、Brain Nursing、23(3)、304―307、2007

 口腔ケアに嗅覚および味覚刺激を取り入れ、患者の意識改善に貢献できた。嗅覚および味覚刺激には、高知特産の柚子を使用。柚子は高知県民の日常生活に慣れ親しんだ香りと味なので選択した。

 症例1は入院後2ヵ月経てもJCS100で呼吸器離脱困難。刺激開始から1ヵ月後にはJCS3-IAまで回復し、そしゃく運動、あくびなどの自発活動が活発になり、呼吸器からの離脱に至った。
 症例2は入院から1ヵ月半経てもJCS3-IAで、まったく発語を認めなかった。刺激開始から1ヵ月後には、内容は一貫していないものの看護師を見てよく話してくれるようになった。

 

西村 八栄(高知大学医学部附属病院看護部):遷延性意識障害患者に対する柚子水を用いた味覚および嗅覚刺激の効果、臨床看護、33(9)、1375-1381、2007 

 10倍、20倍、30倍希釈の柚子水を用いた口腔ケアを1日2回、2週間実施し、介入前後の口臭、口腔内細菌数、カンジダ培養、唾液分泌能、舌苔の状態を比較した。10倍希釈柚子水を用いた場合、2週間後には著明な唾液分泌能の低下を認め、口腔内が乾燥した。一方、20倍希釈および30倍希釈の柚子水を使用した場合、全例で唾液分泌能が向上し、舌苔の状態をはじめ、口臭、口腔内細菌数、カンジダ培養の結果からも口腔環境の改善を認めた。
 20倍希釈の柚子水を用いた場合は香りが1〜2時間ほど残っているのに対し、30分希釈では30分ほどでほとんど臭わなくなる。この結果から、味覚刺激に加えて嗅覚への刺激も考慮し、遷延性意識障害患者への刺激には20倍希釈の柚子水を用いた。

 症例3・71歳女性は呼びかけと肩叩きにてようやく開眼する状態であった。柚子ガーゼによる口腔内清拭開始から2週間後には、はっきりとした追視を認めるようになり4週間後には顔貌がしっかりし、人の気配を察知して頭を動かし顔を見るようになった。

 

 注:症例1、2はBrain Nursing23巻2号の症例と同じ。

 


大阪大学医学部
救急医学講座

電気刺激により意識障害患者の下肢廃用性萎縮を予防できる

 塩崎 忠彦:意識障害患者での下肢廃用性萎縮は電気的筋肉刺激により予防できるか?、日本救急医学会雑誌、18(8)、360、2007

 意識回復が重症頭部外傷受傷から3年以上が経過すると、意識が回復した患者の全例が上肢を何とか使用することができるのに対して、下肢に関しては約半数が、下肢筋肉の廃用性萎縮によって下肢機能が全廃となってADLが非常に障害されている。

 高度の意識障害を伴う患者6名に対して、第7病日から第13病日までの1週間、通常の他動的関節可動域運動に加えて、下肢伸側及び下肢屈側に、市販されている装置を用いて1部位につき30分ずつ電気刺激を加えた。

 通常経過群では1週間の経過で下肢筋肉の断面積が11〜13%萎縮したが、電気刺激群では下肢総ての部位で平均1%の萎縮に留めることに成功した。また、受傷(発症)から42病日の5週間にわたって下肢筋肉に電気刺激を加えた場合の筋萎縮予防効果も絶大で、通常経過群では約35%も萎縮するのに対して、電気刺激群では下肢総ての部位で4%以内の萎縮に留めることに成功した。

 電気的筋肉刺激を用いて早期から計画的にリハビリテーションを施行すれば、意識障害患者の下肢廃用性萎縮を十分予防でき、下肢の筋力維持に関しては急性期から家庭まで一貫したリハビリテーションを行うことが可能になると考えられた。

 


大阪大学コミニュケーションデザイン・センター

「刺激を与えてそれに対応するという図式」から、はみ出してしていることのほうが多いのではないか

*西村 ユミ:"看護(みまも)る"いとなみを見つめなおす、看護、59(4)、100-107、2007

 .50名ほどの植物状態の患者さんが入院されている病院を調査したことがありました。顔面の表情筋が動かないので、最初はすべての患者さんの顔が同じに見えてしまった。にもかかわらず、その病院の看護師さんたちはその時点で15〜16年間ずっと、ほとんど患者さんが入れ替わらない状態で楽しく看護をされているのです。私もそこに1年ほど足を運んだのですが、途中から患者さん一人ひとりの個性も見えてきて、とても楽しくなってきました。もし相手に全く意識がなく、あるいは認識障害があって私たちに何の訴えかけもしていないのであれば、そんな楽しさが持続するのだろうか、とずっと考えていました。

 (中略)植物状態の患者さんに脳波計を取りつけて、ご家族が来られた場合、プライマリーナースが声をかけた場合、全く知らない第三者が声をかけた場合、リハビリをした場合、の変化などを比較しようとしたことがありました。けれども、うまく脳波を捉えることが難しく、全く差が出てこなかったのです。ある日、リハビリ中に患者さんが突然パッと目を開けたと思ったら、脳波計が勢いよく動き始めました。「何かありましたか」と声をかけに行こうとしたら、病室の向こう側から患者さんの奥様が「いつもお世話になっております」と言いながら部屋に入ってこられたのです。

 普通は、奥さんが入って来て声をかけたから患者さんが反応したと思いますよね。でも、この場合は、患者さんが目を開けて、その後に奥さんが入って来るということが起こったのです。偶然だとか第六感が働いたという話になればそれで終わりですが、その後に起こったことが大きな意味を持っていたのですね。その時、周りにいる数人の看護師さんが集まってきて「○○さん、奥さんが来ることがわかったんですね」と楽しげに声をかけたのです。一人の植物状態の患者さんの下に、たくさんの看護師や家族が集まって楽しそうに声をかけあうチャンスというのはとても少ないと思います。そして、「わかってよかったね。やっぱり奥さんと仲良しなんですね」と、みんなが集まって声をかけている間、患者さんは目をパチッと開けていて、何よりも奥様が嬉しそうでした。そのような経験が、実は私たち看護師の経験において重要な意味を持っているのではないでしょうか。

 患者さんに意識があるかないかを考えようとすると、私たちは刺激に対する反応を確認しようとします。けれども、そのこと自体が、もしかしたらこのような経験を台なしにしてしまっているかもしれないのです。刺激を与えてそれに対応するという図式からはみ出してしまっていることのほうが、現実の経験においては多いのではないでしょうか。

 (中略)いつも科学的な根拠が必要だと言われているため、「今日は患者さんの機嫌がいい」とは看護記録には書けないわけですよね。実は医師も、自分も何となくそんな気がすると思うこともあるらしいのですが、一緒に「そうだね」と言ってしまうと空回りしてしまうので、「ちょっと待ってよ、その根拠は?」とブレーキをかけているそうです。そのようなブレーキがかかりながらも、なお看護師さんたちは、「でも、患者さんに全く意識がないとは言い切れない」とおっしゃっていました。

 


中尾歯科医院

義歯の取り外しに反応あり

*中尾 友紀:義歯の必要性の可否を考えた1症例 植物人間には義歯が必要か?、老年歯科医学、21(3)、231、2006

 これまで義歯の必要性の可否は、歯科医師と患者の両者間の関係において判断されてきた。すなわち咀嚼能力、審美性の回復を願う患者と、その願いを施術する歯科医師の関係で義歯は作製、装着されてきた。
 今回我々は、在宅にて植物人間に義歯を装着する経験を持った。そこで患者自身からではなく、介護者の要望により義歯の必要性を願われた症例を報告する。また審美性の回復を主とした新しい義歯の作製方法を考案したので報告する。
 

症例および処置

 患者:78歳、男性、自宅療養中。主訴:前歯が取れた残存歯:1112 13 14 15, 21 23,37(1112 21 23においては残根)。身体機能:寝たきり。精神機能:植物状態。全身疾患:脳出血後遺症、糖尿病、C型肝炎。食事形態:経管栄養。要介護:5。主介護者:娘。IADLすべてに援助が必要である。
 問題点は、審美性問題、義歯の維持力をどのように求めるかという問題、誤嚥させないように印象採得するかという問題、義歯の取り外しの問題、前歯部補綴脱離による口腔乾燥の問題という5つの問題点があった。これらの問題点を克服するために新しい義歯の作製方法の考案が必要となった。
 (中略)印象材の流れ込みによる誤嚥を避けるためシリコーン印象材パテとレギュラータイプによる同時積層印象法にて印象採得を行い、模型を作製。(中略)義歯を作製し、内面に湿潤材を挿入させることにより、口腔乾燥を防ぐことも可能となった。

結果

 「介護者の希望である最後まで、一人の人間として、きれいに居させて上げたい、どなたにお別れを頂いても恥ずかしくない様に逝かせてあげたい」という要望に応えることが出来た。また患者は、外からの刺激に対して反応を示さないという植物状態であっても、義歯の取り外しに反応がみられた。
 義歯の必要性の可否は、患者が植物状態であっても、その介護者が望む限り、作製の必要性が高いと考えられる。また最終判断においては、歯科医師の多くの経験とともに、義歯の作製方法等工夫の必要性があった。

当サイト注:「植物人間」など不適切な表現があるが、原文のママ。

 


新神戸歯科

救命困難と判定されていた脳梗塞患者、総義歯装着で杖歩行も可能に

*藤井 佳朗:寝たきり高齢者に対する歯科治療の影響、保団連、707、57−64、2001

 無歯顎を含む多数歯欠損、かつ義歯未装着者で寝たきりの高齢者に対して行った義歯装着による日常生活動作への影響を検討した。

 対象は、老人病院入院の寝たきり患者29名および在宅介護寝たきり高齢患者3名。義歯使用を拒絶した14名を除く義歯使用群18名では、寝たきり度判定基準で3段階以上の治療効果が得られた著効7名(38.9%)、2段階の有効3名(16.7%)、無効8名(44.4%)、有効率55.6%であった。

 70歳男性は、脳梗塞後左半身麻痺が10年以上継続していたが、発作が再発、寝返りも打てない完全な寝たきり状態となり、呼びかけにもほとんど反応しなくなり、主治医は救命困難と判定していた。
 上下総義歯装着後2週間で、座位が保持できるようになり、約1ヵ月後には介助なく食事、排泄が可能となった。約1ヵ月半後には介助無く車椅子に移乗でき、自由に病院内を移動できるようになり、短距離ならば杖歩行も可能となった。なお、専門家によるリハビリテーションのみならず、看護婦や家族によるベッドサイドの日常生活活動訓練などは摂食訓練を除き実施されなかった。

 89歳女性は、約1年前までは義歯を使用し、杖をついて自力歩行していたが、検査目的のつもりで入院した病院で義歯を外すよう指導されてからは使用していない。頭部CTでは脳梗塞像が認められたが、それに関してはとくに治療行為は行われず、血液検査でも軽い貧血以外とくに異常はなかったという。入院中に生活動作能力が急激に低下し、寝たきりになった後は、静注による栄養補給以外、とくに治療は行われなかった。入院生活では回復が見込めないと家族が判断、在宅介護を希望し退院。自宅では摂食訓練により、軟性食摂取が可能となり、家族による介護と内科主治医の在宅治療を継続しながら、専門家の指導のもと、四肢関節を屈伸させるリハビリをベッドサイドで実施していたが、日常動作活動性は徐々に低下、家族の呼びかけにもほとんど反応しなくなり、開眼もできなくなってきたため、リハビリも中止にやむなきにいたっていた。
 歯科治療は在宅治療となり、外していた義歯をただちに修理し装着した結果、義歯装着2週間で開眼するようになり、家族介助のもと、食事も流動食から軟性食へ移行、食事時間も短縮するなど、嚥下状態も改善、日常生活動作能力が向上、意識レベルも向上し、義歯装着後約2ヵ月でベッド上での在宅リハビリも再開、家族の呼びかけにも反応するようになった。

 


国立病院機構長崎医療センター

車椅子移乗と音楽療法、意欲と自発性がでてきた

*円居 洋子:脳血管障害患者の意識障害改善への取り組み、日本医療マネジメント学会雑誌、8(1)、188、2007

 GCS:14点以下の脳出血、くも膜下出血、脳梗塞の患者を対象。2005年4月〜12月に入院し車椅子移乗のみを行っていた患者22名(A群)と2006年7月〜10月に入院し車椅子移乗中に音楽を聞かせた患者22名(B群)のGCS、FIMの点数を比較する。また車椅子移乗と音楽療法を行ったことで患者にどのような変化があったか看護師22名にアンケートをとった。
 GCSの点数はほとんど変化がみられなかったが、看護師のアンケートより点数では表せない変化があった。ADLの拡大についてA群とB群を比較すると、A群では11.2点から16.2点へ5点上昇し、B群では11.9点から21.7点へ9.8点上昇した。食事では23点、整容では16点の差が見られ2つの項目で有意差が認められた。音楽療法を毎日続けたことで患者の刺激となり、意欲や自発性がでてきたことで日常生活にも変化をもたらすことができた。

 


東京慈恵医科大学付属病院

自律神経活動に昼夜の明確なリズムがみられる患者、好きなラジオを聴いてリラックスしている患者

*佐竹 澄子(元東京慈恵医科大学付属病院):遷延性意識障害患者の24時間の自律神経活動、日本看護技術学会誌、5(2)、21―31、2006

 遷延性意識障害は、「快」や「不快」などの感覚がないと判断されている。しかし、研究者は実際に臨床で遷延性意識障害患者の看護ケアを行う中で、患者たちは家族や看護師の声かけや触れられるなどの外界からの刺激に対し、その体で答えているように感じていた。そこで、このような患者の体の反応を、自律神経活動を指標にして捉えることができないかと考え、遷延性意識障害患者の自律神経活動が1日の中でどのように動いているのか、看護ケアによって変化するかどうか、変化するならばどのような変化なのかという実態を明らかにすることを目的に研究を行うこととした。

 当該患者3名(58歳・男性、80歳・女性、72歳・女性)を対象に2回ずつ、24時間心拍変動とアクチグラフの測定を行った。心拍変動は、連続ウェーブレット変換により解析し、高周波成分(HF)を副交感神経の指標、低周波成分(LF)を交感神経・副交感神経両方を含む指標とした。

 自律神経活動からみた24時間の変化は、事例1に昼夜の明確なリズムがみられたものの、事例2・3は規則的なリズムはなかった。HFが上昇した場面では、事例1では傾眠状態と一致しており、事例3では本人の好きなラジオを聴いている場面と一致していた。

 アクチグラフによる計測では、休息期と判断された時間帯ではHF成分の上昇がみられたが、HF成分の上昇部分がすべて休息期ではないことが分かった。

 以上の結果から、同じ遷延性意識障害患者でも生体リズムの有無に違いがあること、HF成分が上昇する場面は副交感神経活動が活発なリラックスした状態であると示唆された。

 


松濤会安岡病院

手指のマッサージが10名中8名に効果

*宮西 和生:意識レベルの低い患者に対する意図的タッチングの効果、第4回山口県看護研究学会学術集会プログラム・集録、39−41、2005
 

 意図的タッチングが意識レベルの低い患者に与える効果を明らかにすることを目的に、3−3−9度方式が10〜30の患者30名を対象に、毎日10分間、手指のマッサージ(アロマセラピー)を実施。施行前と5ヵ月後の意識障害度を「広南病院養護センター遷延性意識障害度スコア」により比較した。その結果、遷延性意識障害度スコアの大きな変化はみられなかったものの、10名中8名の点数が上昇し、点数の下降した患者はいなかった。眼球の動きと認識度については10名中3名が上昇、発声と意味のある発語については10名中5名が上昇、簡単な従命と意思疎通は10名中3名に上昇がみられた。
 本研究を通して、意識レベルが低く反応が少ない患者でも、タッチングという関わりの中で、表情が変化したり目に輝きが出たりして、生きている存在感を実感することができた。

 


アーノルド・ミンデル

昏睡状態患者の反射・反応に援助者が情動調律、「生きていたい!」意志を確認

*藤見 幸男:植物/昏睡状態の人に働きかけるコーマワーク プロセスワークの新たな展開、臨床心理学、5(2)、228−233、2005

 ユング派のA・ミンデルによって創始されたプロセス指向心理学(プロセスワーク、POP)の発展形態の一つとして「コーマワーク(植物/昏睡状態の人への働きかけ)」が少しずつ臨床成果を積み重ねている。

 ジョンは80代の黒人男性。入院中、半年間にわたってセミ・コーマ(半昏睡状態)に陥り断続的にうめいたり叫んだりしていた。そこでミンデルはベッドサイドで汗まみれのジョンと同じような呼吸のリズムと声で「ウー、ウー、ウォー、ウォー」とうなることを試みた。黒人男性の鼓動と呼吸を注意深く調べ、意味不明な叫び声や身体のシグナルにできるだけ忠実に従っていったのである。そういったことを約20分間続けていると、半年もの間、理解可能な言葉をまったく言わなかったジョンがミンデルに促されるかのように話し始めたのであった。

ジョン :「イェー、ウー、ウー、ウォー」
ミンデル:「ウォー、イェー・・・・・・信じられない」
ジョン :「イェー・・・・・・なあ・・・・・・いいかい」
ミンデル:「ああ・・・・・・いいとも」

 ミンデルがそこで行ったことは、「呼吸やうめき、咳、身体の震え、ちょっとした表情やひきつり、顔色の変化、発汗」といった西洋医学的には(壊れた機械「身体」が発する)無意味な反射反応に愚直に従い、意味を探求することであった。プロセスワークは、上記のような物理的、具体的な身体のシグナルに「夢」あるいは「夢の身体・ドリームボディ」、または「微細身・サトルボディ」が折り重なっている、という仮説を臨床例を通じて主張し続けている。

 援助者が無意識に用いるチャンネルがコーマ状態にいる人のそれと異なる場合、植物/昏睡状態の人が援助者の働きかけに応答するのは難しい。援助者から暗黙のうちに要求されるチャンネルの変換は、コーマ状態の人には負担なのである。たとえば植物状態の人がうめいている(聴覚チャンネル)時、「今、どんな感じなの(身体感覚チャンネル)」と質問したとしよう。そこには2つの異なるチャンネル(聴覚と身体感覚)が介在している。そうではなくこうした場合には、コーマ状態の人が発する声(聴覚)のトーン、スピード、質などに「情動調律」してできるだけ同じようにうめくようにするのである。

 植物/昏睡状態から日常の意識状態に戻ってきた人や、コーマワークをロールプレイで体験した人たちの多くが、自分の無意識的プロセスが発現しているチャンネルに従って援助者に調律された場合、「自分は支えられ理解されている」、「自分は植物/昏睡状態(あるいは世界)のなかで孤独ではない」というような体験をした、ということを筆者は何度も耳にしている。基本はプロセスが発現しているチャンネルを慎重に見極め、そのチャンネルに従っていくことである。

ジョン :「ふ、ふ、ふ、ふ」
ミンデル:「ふ、ふ、ふ、ふ」
ジョン :「ふ、ふね、船・・・・・お、お、お」
ミンデル:「ふね、船・・・・・お、お、お」
ジョン :「お、おおき・・・・・・大きい・・・・・・ふ、ふ」
ミンデル:「ふ、ふ、ふ、船、イェーイイイッ。大きい船だ」
ジョン :「イエース、ア、ア、ア、大きい船が・・・・・・来る・・・・・・ジョンに向かって・・・・・・」

 ジョンのうめき声やうなり声もさることながら、ジョンの見た船のイメージなど、コーマ状態による意識障害ないしは異常な妄想と、医学的には一笑されるであろう。しかしミンデルは一つ一つのプロセスをチャンネルを見極めながら、いま・ここでの深層意識状態により添っていったのである。その結果、生涯忙しく働いたジョンは天使が操縦する船に乗り、魂のバケーションをとることをおのれに許し、バハマへと向かうところで、ミンデルとの心身的イメージの旅を終えていったということである。

 

 サムは脳幹を損傷していて、何週もの間昏睡状態のままベッドに横たわっていた。彼はひどい発作と無感覚状態にあり、何にも反応することはなかった。そうしたサムの姿に、彼の家族も苦しんでいた。サムがもし自分が、長期間昏睡状態に陥っていたならば不必要に延命することはないといっていたからである。

 ミンデル夫妻がサムに前期の方法論に基づいてコーマワークを試みることになった。すると驚いたことにサムはすぐに目を開き、二人の顔を見つめたのである。しかし彼の意識は変容した非日常的なままであった。

 次にミンデルたちは、医学的には何の意味もないと無視されるサムのほんのかすかな目の動きをみつけ、それからコミニュケーションを図ることに成功する。口の端をわずかに動かしたら「イエス」、まったく動かさなければ「ノー」という意志があることが、約4時間ほどのコーマワークで確認されていった。今、水を飲みたいかとか、暑いかなど単純な質問から始めていき、家族を悩ませていた質問をするまでにこぎつけた。「サム、君は生きていたい、それとも死を選択するかな

 すると、今まで口もとをケイレンぎみにわずかしか動かさなかったサムが突然口を「ぐわっ」と大きく開いたのである。つまり「生きていたい!」と意志表示をしたのだ。その後サムは何ヵ月もの間生きながらえた後に亡くなっていった。

 これとはまったく逆のケースもある。「覚醒」時には生きていたいと言っていた人が、はっきりと「私は生きていたくない、死にたい」と意志を表明してくる場合がある。そうした場合には、家族や医師にやりとりを確認してもらい、人工呼吸器を外すかいなかの材料としてもらっている。

 

アーノルド・ミンデル(藤見 幸男・伊藤 雄二郎訳):昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み、日本放送出版協会、2002

注:上記「臨床心理学」誌掲載のジョンおよびサムの症例は、このミンデルの単行本に多少、詳しく表現されている。
 

p113〜p114

 “目を開けたままの昏睡状態”は重度の脳の器質的障害、時には脳の発作や感染症に伴って生じる。

 ロンは泥酔状態で倒れた時に引き起こされた頭蓋出血の手術後、全身が麻痺してしまい、ベッドに寝たきりの状態になった。プロセスワークのトレーニングを受けたことのない介護者から見ると、彼は外的世界に対して何らこれといった反応を示しているようには見えなかった。目をあけたままの昏睡状態にあり、片目が開いたままだったが、この目ですら最初は正面にあるものにも反応を示さなかった。

 私たちが、彼の呼吸と胸の音を増幅しながらその流れにつきしたがっていくと、彼の目が周囲の出来事をとらえ始め、呼吸のパターンが変化していった。とりわけ、必要とあらば両目を閉じて眠るように、という私たちの勧めに対する反応として呼吸が変化した。

 


公立三次中央病院

いつも話しかけていた。ある朝、瞬きがいつもと違っていた

*川本 秀子:脳神経外科病棟に勤務する看護師のケア意欲の源泉 遷延性意識障害患者と脳卒中後遺症患者へのケア意欲の比較、日本看護学会誌、13(2)、39−48、2004

 いつかは言葉でお話し合いができたらと思って、いつも話し掛けていたんです。そしたら、今朝、瞬きがいつもと違っていたんです。わかるのかなって思って「わかったら、瞬き2回して」って言ったら2回されて、私のほうがビックリしました。受け持ちで、いつもみていたから、こんな僅かな兆しでも察知 できたんだと思って嬉しくなりました。

 


中村記念病院

札幌市

受傷88日目、母親が語りかけている時に意識回復

*加藤祥子:びまん性軸索損傷(Diffuse Axonal Injury)患者の障害受容と自立支援を試みて 青年期の事例から改めて学んだケアの本質、臨床看護、29(7)、1127−1134、2003

 2001年9月26日:26歳男性は単独交通事故により頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、血腫を認めるが、手術適応ではなく保存的加療を行った。び漫性軸索損傷(DAI)のため遷延性意識障害が認められた。ABR、VEP検査の結果、正常であるため脊髄電気刺激を検討予定となる。

 12月21夕:家族が持参した写真(雪景色の中学校の校舎、学生時代や職場の友人達と撮ったもの、職場の制服姿のものなど)を見せる。いろいろな思い出を母親が語りかけると、K氏の表情が徐々に蘇り、「母さんの顔は?」との母親の問いかけに対し、自ら右手を差し出して母親の頬を触り、父親にも同様のことをした。この母親の知らせに看護師たちが駆けつけ、反応・表出の事実を確認し、一同、感動して泣く。

 意識を取り戻した時点で、脊髄刺激は検討を取り消す。リハビリと12月25日よりメシネット(ドパミン神経伝達物質)による治療。

 12月31日:「おはよう」「もういらない」。

 1月1日:「おめでとう」の挨拶、拒否の言葉を表出する。ほとんど自力で食事可能となる。

 1月10日:失禁なくなる。

 3月27日     :廊下2往復(約200m)、パソコン入力の練習
 4月10日〜14日:廊下3往復
 4月13日     :外泊(第1回目)
 4月15日〜31日:廊下4往復
 5月 1日〜    :廊下6往復
 5月 3日     :外泊(第2回目)

 2002年9月30日:プレ職業的な高次機能訓練を求めて、H大病院のリハビリ科に転院

 


名古屋大学

味覚刺激で脳が活性化

*西川 晶子(名古屋大学 医学部 保健学科):【QOLを重視した意識障害患者へのケア エビデンス構築につなげる実践】 意識障害患者に対する味覚刺激の実験考察、EB NURSING、3(2)、137−144、2003

 7例の遷延性意識障害患者を対象に食事味の基本となる4種類の味(甘味、塩味、酸味、苦味)の液を用いて口腔内に投与して脳波の変化を観察したところ、味覚刺激による脳波の変化は前頭部に著明に(166.8μv)認められた。甘味よりも、酸味や苦味のほうが有効であると考えられる。
 より有効な意識回復を期待するためには、味覚刺激後の脳波の変化を測定し、過去の嗜好も考慮した食事内容の検討が必要になると考える。 

 


宮崎社会保険病院
脳神経外科

香りの種類により、脳血流が変化

*上田 孝:意識障害に対するアロマテラピー 香りが脳に及ぼす影響 三次元的局所脳血流の変化から、ブレインナーシング、16(12)、22−27、2000

 脳梗塞後遺症で植物状態の女性患者に、局所脳血流の測定が可能な99mTc-HMPAO(またはECD)投与10分後に2分間女性用香水(資生堂:SaSO)を、20分後に2分間男性用香水(資生堂:Tactics)をおのおの嗅がせた。

 右扁桃核において女性用、男性用香水ともに一過性の脳血流増加を示した。右大脳基底核前内側部においては、女性用香水には反応しないが、男性用香水では一過性に脳血流が増加した。

 香りの種類によっては種々の脳内変化が観察され、今後は香りを適切に応用することにより情動反応や意識状態に深くかかわりあえることを示した。

 


川崎医療福祉大学  医療福祉

家族の観察によると、約4割の患者は周囲に対する理解・認知がある

内田 富美江:岡山県下における遷延性意識障害患者の療養生活と介護者の現状、川崎医療福祉学会誌、10(2)、219−224、2000

 遷延性意識障害患者の実態と家族ケアの際の心理状態を明らかにする目的で,岡山県内において遷延性意識障害者のケアをしている家族を対象に生活実態についての調査を行った。岡山県内には少なくとも659名の意識障害患者が療養しており、平均年齢は68歳7ヵ月であり、80.2%が入院療養。意識障害の原因は脳血管障害によるものが約60%、交通事故による脳障害が約20%。

 患者の周囲に対する理解あるいは認知の状況は、「よくわかる」と感じていた家族は12.2%、「少しわかる」と感じていた家族は26.0%、「あまりわからない」と感じていた家族は12.7%、「ほとんどわからない」と感じていた家族が49.2%であった。「よくわかる」と評価した家族の方が、外出およびそれに準ずる行動をとる傾向にあった。医師によって昏睡状態であり回復の可能性が乏しいと診断された症例でも30〜40%の家族は症状の変化と回復の徴候が感じられたとしており、家族にとってわずかな症状の変化が改善への期待につながっていた。患者に対する介護を支える心理的要因では「家族としての責任」が65.9%、「患者に対する愛情」が23.7%の家族で挙げられた。

 医療従事者は、医療が見放した回復不可能な患者に対しても、家族は生きる意味、意義を見出しケアを継続している場合も多くあり、見落されがちな家族のケアを認知し、支援することが大切である。

 


国立療養所香川小児病院
重症心身障害児(者)病棟

呼名、触覚との複合刺激、生の音が反応を呼び起こすのに有効

*土本 美枝子:遷延性意識障害児の刺激に対する応答行動の分析−脳波及びバイタルサインから−、医療、52(増刊号第1分冊)、2、1998

 低酸素脳症(気管カニューレ装着)大島分類1の9歳男児に、音や皮膚刺激を与え、脳波、心拍、呼吸、SPO2をビデオ撮影、刺激前後の変化を比較した。
 脳波所見に変化が認められなくても断続的に刺激を与えることで、定位反射が現れる。呼名、触覚との複合刺激(呼びかけながら脇腹をくすぐる)は児の反応を呼び起こすのに有効である。太鼓の音に対しては、すばやく身体を動かす動作がみられ、生の音は身体に響き余韻として残り情動的にくすぐられるのではないかと考えられる。

 


旭川赤十字病院

「これ以上の回復は望めない」と言われていたが、回復意欲の向上で生活レベル改善

*菊谷 加代子:遷延性意識障害のある患者K氏に対する回復意欲向上に向けての看護 6年間エレクトーンを習っていた経験を生かして、旭川赤十字病院医学雑誌、12、60−63、1998

 1994年に脳動脈奇形の出血で発症した17歳男性は、1995年、頭蓋形成術の時点で意識レベルはJCS3、簡単な従命には応じることができ、単語をいくつか話すことができた。2年半経過した時点で遷延性の意識障害と四肢麻痺を残しており、医師からも「これ以上の回復は望めない」と言われていた。しかし残存機能の状態からみると、回復意欲が乏しいためにADLの拡大が困難になっていると考えられた。また年齢的にも若いことから、慢性期ではあるが意欲の改善を図り残存機能を引き出すことで、少しでもよい状態で生活できるようにしたいと考えた。

 母親から小学校の6年間エレクトーンを習っており、とても熱心であったことを知り、1996年5月、卓上ピアノを購入。数日間で以前、習っていた曲を弾けるようになった。院内ボランティアが通っていた教室と同じ系列のエレクトーン講師ということもあり、より以前に近い状態で練習ができ、看護婦や母親だけがついていたときよりも明らかに表情は良く、徐々に指使いもスムーズになり、弾ける曲数も増えた。また曲に合わせて音符で歌ったり、動きの鈍かった足でリズムをとるようになった。

 衣服の着脱、食事、清潔に自発性が高まり、発語の面では、ゆっくりとした口調に大きな変化はなかったが、声かけに対する反応は早くなり、意思表示もするようになった。手すりにつかまって腰を支えながらゆっくりとではあるが、60mほどの廊下往復を1〜2回ずつ歩けるまでになった。ボランティアの講師を迎えて2ヵ月経過した時点で、リハビリ専門病院に転院となった。 

 


国立療養所長良病院
小児急性期病棟

8ヵ月経過後も症状改善、覚醒時の反応良好

*野村 昌代:遷延性意識障害児の反応表出に向けてのアプローチ〜各感覚器への刺激と頸椎硬膜下電気刺激を1年間行って、医療、51(増刊号第1分冊)、301、1997

 交通事故による頭部外傷の8歳男児、頸椎硬膜下電気刺激と各感覚器への刺激を行うために受傷後8ヵ月経過後に当院転院。
 入院12ヵ月後の覚醒時脳波検査で右・中心頭部にα領域の波形を認めるようになった。掌握反射が入院4〜5ヵ月後より出現し始め、徐々に四肢の運動可動域も拡大してきた。表情は乏しく入院時と大きな変化はないが、刺激に対しての反応は、本人が覚醒している時が良好であった。

 


山梨県立中央病院

転医先病院の種類により予後が異なり、その選定に大きな影響を及ぼすのは家族の熱意である

*宮内 雅人(山梨県立中央病院):CPA蘇生後遷延性意識障害症例の長期予後、日本救急医学会関東地方会雑誌、18(2)、450−451、1997

 対象は、1992年4月から1996年12月までの間で院外心肺機能停止状態に陥り、当院救命救急センターに搬入された562例中社会復帰9例を除いた1ヵ月生存16症例(男性12例、女性4例、平均年齢68歳)。当院での死亡は4例、他12例は転医となった。転医先で半数の6例が死亡し自宅退院できたのは4例、25%。死因は死亡症例13例中、肺炎9例、呼吸不全2例と呼吸器合併症が多く、心疾患が2例。

 我々は転医先病院を、在宅看護を目標とし延命を希望する家族を持つ症例に対しては、遷延性意識障害患者に対して積極的に取り組んでいるいくつかのリハビリテーション病院を紹介しているが、それらをA群とした。一方、在宅看護は望まず積極的な延命を望まない家族を持つ症例に対しては、いわゆる老人病院を紹介しているが、これらをB群として比較検討した。平均年齢に差はない。また意識障害が改善した例はA群、B群ともに1例もないが転医先での院内死亡率はA群が7例中1例であるのに対して、B群では全症例院内で死亡していた。生存日数はA群の805日に比べ、B群は75日と有意に短かった。現在も生存している症例が3例A群に含まれているため、この差は今後さらに拡大する。

 当院よりの転医時の患者の全身状態は原則として酸素投与不要、経管栄養を実施している状態であり、個々の症例についてAB2群間に差はないのだが、生存日数では大きな差が生じてしまっている。この原因には、直接死因である呼吸器合併症をいかに予防できるかに大きく依存していると思われる。しかしその予防には、痰の吸引など多大な労力が必要となる。自宅退院例は全例A群病院からの退院である。

 患者の予後、生存日数は転医先病院によって左右され、それらの病院を選定する上で家族の熱意が大きな影響を及ぼしていると思われた。

 


香川医科大学附属病院

香川県木田郡三木町

入浴が脳を刺激

*中越 英子:遷延性意識障害患者の入浴による脳波の変化について、ブレインナーシング、12(9)、816−821、1996

 右急性硬膜下血腫術後に意識障害持続期間5ヶ月の73歳男性は、入浴前徐波が主体でα波・β波をほとんど認めなかったが、入浴中および入浴終了後に、α波・β波の増加が認められた。

 脳動脈瘤術後に意識障害持続期間9ヶ月の69歳女性は、入浴前徐波が主体でα波・β波の出現を軽度から中等度認めたが、入浴中にのみ、α波・β波の増加が認められた。

当サイト注:この論文は、「入浴により、表情や反応からみて意識障害の改善は明らかではなかったが、2例とも脳波上少なくとも、一時的ではあるが、脳への刺激作用を示唆する所見が認められた」としているが、「2例とも入浴開始後6分後頃より、気持ちよさそうな表情で閉眼しそうになるが、数回の呼びかけて開眼していた」ことも報告している。

 


福井医科大学医学部付属病院

嚥下訓練、経口訓練で、経口摂取・気管カニューレ抜去、経鼻カテーテル挿入容易に

*張籠 美佐:遷延性意識障害患者の嚥下能力の回復に向けた食事援助、ナーシング、14(9)、60−63、1994

 1993年1月に右内頚動脈破裂の45歳男性は、発症の9ヵ月後に嚥下訓練、経口訓練を開始。1ヵ月後の判定では、口唇の動きは変わらなかったが、舌を口唇まで突き出したり、右口角に付着した食物を舌でぬぐおうとしたり舌の動きがよくなった。右舌の動きがよくなることにより食物の残留が少なくなった。嚥下時の咽頭の動きがスムーズになり、嚥下後も口腔内に食物が残ることはなくなった。そのため5〜10分でゼリーやプリン1個を、むせることなく摂取できるようになった。
 飲み込む動作が多くなり、口腔内の唾液量が少なくなり、咳き込みや痰の量も少なくなり、呼吸状態も安定していたため、翌年2月、気管カニューレ抜去に至った。
 

 1992年1月に脳室内出血、左脳梗塞の72歳女性は、発症の1年9ヶ月後に嚥下訓練を開始。2ヵ月後の判定では、口角からの流涎が減少し、側臥位時に舌が下がり、口の外に出ている状態も少なくなった。咽頭の動きが不十分なため挿入困難であった経鼻カテーテルも、飲み込む動作がみられ、比較的スムーズに挿入できるようになった。 

 


日高総合病院
神経科

下肢切断術後、寡言・寡動からの回復例

*吉田 博信:左下肢切断後寡言、寡動状態を呈した1例、心身医学、33(6)、530、1993

 糖尿病の39歳男性、1991年4月10日、左下肢切断術を受ける。術後3週目より不眠、行動異常(呆然として一点を凝視する)。日常生活レベルはベッド上で開眼するも自発語なく、呆然として寝返りもせず終日臥床していた。尿意や排便の意思伝達もなく、食事も全面介助を要した。

 週1回の面接と薬物療法を開始。8月にはうなずいたり少し意思表示するようになり、9月にはベッド上にてリハビリが開始可能となった。10月には時々、便意を伝えるようになり排泄訓練を開始、また“帰りたい”と言葉を発するようになる。約2年2ヵ月後、車イスにて退院し、現在も義足使用には至っていない。

 当サイト注:吉田氏らは、心身医学的配慮を必要とする幻肢痛の1例として報告している。

 


大井病院

症状不変だが検査では変化あり、症状固定の診断には慎重を要す

*藤原 仁志:外傷性遷延性意識障害の1例 ABR、CTスキャン、NMR・CTによる評価について、兵庫県全外科医会会誌、84、69−70、1985

 76歳女性は、交通事故による意識障害と左動眼神経麻痺および左片麻痺。

  • 受傷後1ヵ月まで
     カロリックテストは左側無反応、ABRは左X波の潜時延長を認め、CTスキャンでは障害部位は明確ではなかったが、障害は主に橋上部から中脳におよぶ脳幹部にあると判断された。
     
  • 受傷後40日目
     ABRは左右ともX波の潜時5.4msecと改善を示した。
     
  • 受傷後50日目
     受傷時と逆に右X波の潜時延長が著明となっており、カロリックテストでも左側で良好、右側で減弱していた。この時点でのCTスキャン、NMR検査では脳幹部に異常所見はみられなかったが、臨床的にはやはり意識障害と左動眼神経麻痺および左片麻痺が続いていた。

 このような遷延性意識障害例の進行期や回復期に、二次的・三次的に、機能的まら形態的な変化が加わり、そのために種々の検査で異常度の出現の仕方に相違があると考えられる。このような例での経過観察には、さまざまな検査法を駆使し総合的に判断していく必要があり、症状固定の診断には慎重を要するものと考える。

 


札幌医科大学

思わぬところで意識障害患者の返事を聞いた体験

*林 裕子:意識障害看護の歴史−確かな看護の未来を目指して−、ブレインナーシング、20(夏季増刊)、44−52、2004

 1975年ごろ、日々「生存」するために必要な生体管理をする看護が展開されるなかでの唯一の楽しみは、患者に話しかけている私ひとりの会話でした。「今日は、奥様はいつ来られますか」「そうですか、お昼頃ですか」。「ちょっと、起きてみましょうか」「機能(昨日?)検査だったので、今日は起きられないのですね」などと、話しかけひとりで答えている自分に気づくことがありました。

 ある日、いつものように「○○さん、今日は良い天気ですよ。散歩に行きましょうか」と話しかけると、聞きなれない声で「はい」と返事があり、驚きました。私が話しかけた患者さんが返事をしたのです。あまりの驚きと喜びのなか、看護師長や他のスタッフを呼びにいった記憶があります。この体験は、意識障害は回復する可能性があるのだという希望を抱くきっかけとなりました。このように、思わぬところで意識障害患者の返事を聞いた体験を持つ看護者は多いと思います。

 


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