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閉じ込め症候群・無動無言からの回復例(参考)

 このページには、閉じ込め症候群や無動無言の持続期間が3ヵ月未満の回復例で有益な情報を含むもの、その他リハビリテーションに有益な情報などを掲載する。


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ひねのクリニック

人形のように扱われる自分が嫌だった。家族の声が聞こえてきて励まされ、うれしかった

*日根野 尚(ひねのクリニック):悪性症候群の経過中に閉じ込め症候群を呈した統合失調症の一例、愛媛労災病院医学雑誌、10(1)、4−8、2013

 20歳男性の統合失調症患者が悪性症候群を呈した。その経過中に一過性に閉じ込め症候群を認めた。
 入院時、症例は開眼しているが、呼名、痛み刺激にも全く反応なし、全身の筋強剛は著しく、特に下顎と下肢は他動的に屈曲困難なほどであった。上肢は歯車様運動を示した。また、上肢はカタレプシー様に一定の姿勢をとった。対光反射、瞬目反射、睫毛反射は認められたが、瞬きはせず、眼球運動も全く認められず追視ができない状態が続いた。脳波上意識障害は存在しなかった。
 入院第6日目に、主治医の顔が見えるなら閉眼するよう指示すると閉眼し、眼球運動は、指示に対して上下方向のみ可能で、左右方向には不可能であった。しかし、他の随意筋の運動はなく、発語や四肢の運動による意志表示は全くできなかった。これは、閉じ込め症候群の状態であると判断した。
 その後、次第に発語、握手などの随意運動をするようになり、悪性症候群も改善した。精神症状も特に認められず、歩行も自由になったので約2ヵ月後に退院した。
 患者は入院時の記憶ははっきりしないが、徐々に周囲の状況が分かるようになったと、症状が改善した後で述べていることから、入院初期は意識障害が存在したが、徐々に意識レベルが改善する途中で、閉じ込め症候群を一過性に呈したと考えられた。患者は、この頃のことを「人形のように扱われる自分が嫌だった」と言った。
 患者は回復後、家族や医療スタッフからの激励の声や握手に勇気づけられたと述べた。与える刺激は、医療スタッフからだけでなく、本人がよく知っている人、つまり家族や友人の声で話しかけたり、手を握ったりすることが本人を勇気づけ、病状の回復に治療的であると思われた。本症例でも患者は「あの時は死ぬんじゃないかと思ったが、家族の声が聞こえてきて随分励まされ、うれしかった」と述べている。その後の患者と家族との人間関係に良い影響を与え、その後も順調な経過が続いた大きな要因になっていると思われる。

 悪性症候群の際には、意識障害がある場合とない場合があり、脳波上も徐波化が見られる場合は約半数と言われている。そして不穏興奮、亜昏迷〜昏迷、無動性無言、昏睡などさまざまな病態が知られており、中枢神経機能の障害が関与していることが考えられているが、その病態は未だ十分に解明されていないのが実情である。しかし、本症例で閉じ込め症候群が認められたことから、悪性症候群では脳幹腹側部にも障害が及ぶことが示唆された。

 


吉備高原医療リハビリテーションセンター

離床に動機づけ、多段階アプローチ、家族との情報共有が有効。「眼や表情の観察」と「見逃してしまいそうなわずかな反応でもわかろうとする姿勢」が重要

*山本 実起子:引きこもり生活から脱却した閉じ込め症候群患者への援助過程、日本看護学会論文集:成人看護II、43、143−146、2013

 A氏は成人期男性、2009年に脳幹梗塞を発症、両片麻痺で弛緩性麻痺が残存。50音表と訴え予測表を用い、眼球挙上でYES・NOを表現する代償コミュニケーションを獲得した。1年間リハビリを行ったが、顕著な回復や発語の改善はみられず、わずかに動く左拇指でのパソコン操作や、極少量のアイスクリームの嚥下、尿器への排泄も訓練中であった。家族には病状を告知していたが回復への期待は大きく、家族の希望でA氏へは告知を行っていなかった。A氏は良くならないことに不安を感じつつ、車椅子で過ごすことやハンドナースコールを使用することも拒否していた。カーテンを閉め切った引きこもり状態で、将来を悲観している状況であった。退院後の施設では車椅子での生活が予測され、入院中に車椅子での活動ができることが必要であった。
 担当看護師は、A氏の身体的な状況から、車椅子での生活が可能であると判断し、ベッドから離れられないことに疑問を感じた。現状から脱却して欲しいという強い願いもあり、A氏に率直に問いかけてみた。「このまま車椅子で過ごさずベッドでの生活なら寝たきりになっ てしまうかもしれないよ」と尋ねてみると、A氏は「NO」と目を伏せ、「それならば残された機能を最大限に活用して、できるだけのチャレンジをしてみませんか」と尋ねると、「YES」と眼球挙上し答えた。
 後でA氏に確認したところ、「寝たきりになってもいい?」という質問に「すごく腹が立った」と回答した。看護師が発した「寝たきり」ということばにA氏は発奮し、「残存機能を活用してチャレンジ」という前向きな言葉により、A氏のやる気をかきたてる効果をもたらした。また、離床には、車椅子座位時間の延長、車椅子上での排尿方法の取得、他患者とのコミュニケーション、伝達手段の検討という、段階的アプローチが有効であった。家族と情報を共有して、家族とともにアプローチを続けたことは、患者に勇気を与えた。53日後、A氏の方から「病棟フロアへ行く」と眼で訴えがあり、それ以降、16時まで病棟フロアで過ごすことが可能となった。
 非言語的コミュニケーションの行動には、対人距離、凝視、身体接触、体の向き・傾き、姿勢の解放性、顔の表出性、話の連続時間・中断、ジェスチャー、頭によるうなずき、声の抑揚、話す割合、声量がある。A氏はこの中の「眼球挙上」「眼、顔の表情」のみ可能だったが、深く関わっていくと「YES」の眼球挙上にも微妙な違いがあり、速い、困った、いやいやした、嬉しいなど様々な「YES」があり、「眼で語る」という感覚が得られた。A氏をとおし閉じ込め症候群患者の看護には、眼や表情の観察と、見逃してしまいそうなわずかな反応でもわかろうとする姿勢の2つが重要と考える。

 


至誠堂総合病院・脳神経内科

発症後3週で眼球の水平運動が確認、四肢の運動は4ヵ月後に確認

*谷口 昌光:顕著な回復が得られたlocked-in症候群の一例、Journal of Clinical Rehabilitation、22(2)、214−218、2013

 78歳女性、よびかけに反応なく倒れているところを発見、救急搬送された。心電図は心房細動、頭部MRI(拡散強調画像)で左下前頭回、両側後頭葉、橋、右小脳に高信号が認められた。頭部MRAで脳底動脈から両側の後大脳動脈はほとんど描出されなかった。心原性脳塞栓症によるtop of basilar syndromeと診断し、ヘパリン急速静注に引き続き、持続静注とエダラボンの投与を開始した。
 第3病日、呼名に開眼するようになったが閉眼の指示には従わず、注視は不能であった。廃用症候群の予防を目的にベッドサイドで理学療法および作業療法による他動的ROM訓練を開始した。
 第7病日、経鼻経菅栄養とリクライニングシートでの離床を開始し、また出血性梗塞がないことを確認しワーファリン内服を開始した。以前として呼名に開眼するが閉眼の指示は入らず、眼球は正中固定であった。
 第9病日、開閉眼の指示にきちんと応答できるようになったが注視は困難で、口部の麻痺と構音不能、四肢・体幹が完全麻痺にあることからocked-in症候群と判断した。
 第11病日、不完全ながら追視が認められるようになった。その後、両手指と両足趾にわずかな随意筋収縮が確認されるようになり、第16病日には発声を伴わない口唇の動きがみられるようになった。
 第22病日、「あー」の発声が可能となった。この頃、左右への注視が制限なく可能となり、自動介助運動での筋力強化、寝返りや座位の訓練を行った。
 発症から1ヵ月、会話明瞭度は全く了解不能な状態にあったが発語が可能となり、会話と経口摂取を目標に言語療法を開始した。
 全身状態が安定したため、第42病日、回復期リハ病棟へ転棟した。第50病日より昼食のみ軟菜食を経口で全介助でとらせ、朝・夕は間歇的経菅栄養とした。経口からの摂取量が十分量に達したため、第62病日より、経菅栄養を中止し、経口摂取のみとした。この頃には、会話明瞭度はときどきわかる語があるという程度へと改善した。
 発症から3ヵ月後、つかまり立ちが可能となり、4ヵ月後にスプーンでの食事が自立し、5ヵ月後に手放しでの端座位が可能となった。7.5ヵ月後、回復期リハ病棟から当院療養病棟に転棟した。
 発症から10ヵ月、在宅療養困難のため自宅から近い療養型病院へ転院した。認知機能はmini mental state examination(無回答多数)10であった。会話明瞭度はときどきわからない語がある程度であった。ADLは食事と整容が自立し、車椅子への移乗は軽介助で可能、ほかは全介助の状態にありBarthel index 20であった。柵を用いての寝返りは自立したが、起居には軽介助を要した。車椅子駆動が可能であったが左側へ曲がる傾向が強かった。退院前の頭部MRIでは橋は萎縮し、左橋底部から被蓋にかけての病変は空洞化していた。

 


神奈川リハビリテーション病院

脳波正常、開閉眼によるアルファ波変化あり、文字盤に指で「な、お、し、て」

*山内 裕子、栗原 まな(神奈川リハビリテーション病院小児科)ほか:閉じこめ症候群の12歳女児例 小児の後天性脳損傷に対するリハビリテーションの現状と課題、小児内科、44(8)、1397‐1402、2012

 12歳7ヵ月女児は、自宅で突然倒れ救急搬送された。画像所見から脳幹部の脳動静脈奇形(AVM)からの出血、AVMは直径6mm以上あり摘出手術の適応はないと診断され、保存的治療が行われた。意識障害が続いたため発症後2週間で気管切開、全身状態が落ち着いたため、回復期リハビリテーション(以下リハ)目的に発症後80日で神奈川リハビリテーション病院に転院した。
 転院時検査で脳波は正常で、開閉眼によるアルファ波の変化が見られた。心理検査の部分実施では、理解力は11歳6カ月〜12歳9カ月相当と確認された。

 転院後1週間を過ぎてから、診察や検査、リハの際に患児は何かを訴えるような視線を出していることに気づいた。1日の予定どおりにリハを促すと、こちらをじっと見て、頸部を横に動かし、拒否を示しているようにみえることもあった。患児は発症後からこれまでの経過について、前医より直接の説明は受けておらず、なぜリハをしなければならないのかということについて十分には理解をしていないようであった。家族も同様、理解は十分ではなく、不安が大きい状態にあると判断した。患児の出血部位は大脳皮質に及んでおらず、心理検査の結果からも認知機能には影響は少ないと考えた。文字盤を使用し、患児の考えを確認すると「な、お、し、て」と指は動き、眼で強く訴えた。
 定期的な病状説明と、治療の動機づけの確認、リラクゼーションを中心とした心理療法で、精神的な支援を行いながら在宅へむけてプログラムを進めた。日常生活は全介助であったが、左上下肢の随意性の改善と、介助量の軽減は可能と判断し、在宅生活・復学への支援を目標とした。四肢の機能回復とともに、発症後約8カ月で在宅生活に戻ることができた。発症後約1年半の時点で、軽介助で電動車椅子の導入ができるまでに運動機能が改善した(患児は2009年、脳出血により永眠された)。

 


長町病院
リハビリテーション科

慢性期の嚥下リハビリテーション、少量の嚥下が可能となった

*金成 建太郎:Classical locked-in症候群に対する嚥下リハビリテーション,日本摂食・嚥下リハビリテーション学会雑誌、13(3)、295、2009

 58歳男性は2005年4月に脳幹梗塞、閉じ込め症候群の状態になった。S病院にて保存的治療を受け、気管切開、胃瘻造設。リハビリ目的にM病院に転院となったが、肺炎を繰り返しリハビリ治療は困難であった。その後、全身状態安定し、2008年3月T病院(療養型病棟)に転院。文字盤を利用した意思疎通が可能となり、御本人から嚥下リハの希望があって、当院に転院として嚥下リハを実施した。
 初期評価では経口摂取不能と思われたが、介入により少量のとろみを嚥下可能となった。間接訓練(咽頭および唾液腺のアイスマッサージ等)が嚥下反射の誘発や唾液量の減少に貢献したと思われるが、とにかく介入したことに意義があったと思われる。御本人・ご家族の喜びは大きく、嚥下がQOLに与える影響を再認識した。
 御本人からいただいた俳句を紹介する。「やっと飲めたジュースの味を忘れない」
 

 


滋賀県立成人病センター
脳神経外科

経皮的電気神経刺激と理学療法の併用、四肢運動機能回復を促進する可能性

*佐藤 岳史:経皮的電気神経刺激は閉じ込め症候群における四肢運動機能回復を促進する、脳卒中、31(4)、211−216、2009

 脳底動脈閉塞症による閉じ込め症候群3例に経皮的電気神経刺激(TENS)を施行し、通常の理学療法と併用することで早期に四肢の運動機能回復が認められた。

 症例1、64歳男性、理学療法開始後1週間でも四肢運動機能の改善なく、TENS開始日に四肢の自発運動が出現し、両上肢を肩のあたりまで挙上できるようになった。発症後4ヵ月の時点で左上下肢はMMT4/5、右上下肢はMMT3/5までに麻痺の改善を認めた。

 症例2、65歳男性、TENS開始3日後に右上肢以外の自発運動が出現し、左手での離握手も可能となった。発症後2ヵ月の時点で右上肢はMMT2/5、それ以外はMMT4/5にまで改善した。

 症例3、77歳男性、理学療法開始3日でも四肢麻痺の改善を認めず、TENSを併用したところ、その日に左上肢が胸部まで挙上できるまでに改善した。発症後2ヵ月の時点で左上肢はMMT4/5、左下肢はMMT3/5、右上下肢はMMT2/5に麻痺の改善を認めた。

 3症例の転帰に関しては、全例で全介助の状態でADLの改善までには至らなかった。今後も長期の理学療法継続による経過観察が必要であると考えられる。

 


総合病院国保旭中央病院

千葉県旭市

早期からの継続的リハビリで、介助すれば筆記、俳句を読むまで回復

*高木 松乃:閉じ込め症候群例の臨床徴候と経時的変化、旭中央病院医報、30、35−38、2008

 73歳女性、外出先でめまい、気分不快で発症し、脳梗塞(心原性脳底動脈塞栓症)で、翌日、意志疎通は瞬目レベルまで低下、完全四肢麻痺となった。医学的全身管理と並行して早期離床を考慮し、発症6日後よりベッドサイドにて抗重力肢位を取り入れた積極的かつ継続的なリハビリテーションを行った。

 1週目   :首振り・頷きによる意思表示の明確化。音声が出現
 1週半程度:セッティングにて右膝立て保持軽度可能
 2週以降  :口頭指示にて右手指でグー、チョキ、パーなどの模倣が可能
 4週以降  :右上肢にて抗重力運動、頭部伸展保持がわずかに可能
 6週目ごろ :あいさつなどを中心として聴き手が予想すれば聴取可能な発話が可能
 8週頃    :座位の安定性を確保した状態で右手にペンを固定すれば筆記でも一部伝達可能
         両下肢は支持性なく起立は重介助のままであった。
12週頃から:右手にてナースコールを押し、聴き手側の予測が必要だが言語にて体交、吸引などの意思伝達が可能
        聴き手が介助すれば、発話にて本人の趣味であった俳句を読むことも可能となりQOLの向上が得られた。
 4ヵ月   :経口摂取が可能となる可能性が示唆された。

 

 


清仁会シミズ病院

京都府

言葉カード → 文字ボード → 綿棒くわえ →手で文字ボード使用、とコミュニケーション拡大

*尾谷 綾:閉じ込め症候群患者の看護について コミュニケーションの工夫、第43回京都病院学会集録、142、2008

 60代男性は2007年12月11日入院、12月25日頃に「うなづき・首振り」ができるようになってきたので、《言葉カード》と《50音文字ボード》を作成した。

 《言葉カード》は5cm×25cmの型紙に入院生活に必要な最低限の簡単な単語や文章をカードに書き、1枚1枚めくり伝えたい言葉があると「うなづき・首振り・まばたき」といった仕草で表現してもらうようにした。例えば「痛い」「かゆい」「ベッドを下げる」などである。これは看護者に早く伝えたい時効果があった。また、カードの内容は身体面のことからだんだん「車イスに乗る」「テレビをつける」「電気を消す」などの環境に関したものに広がっていった。

 次に《50音文字ボード》を使い、「うなづき・首振り」などで伝えてもらい、その一文字一文字をホワイトボードに書いていき、言いたいことを文章にしていった。この方法では時間がかかるため自分で文字を示すことができないか考え、口に消毒用綿棒をくわえてボードの文字を示す方法を試みた。しばらくは綿棒をくわえることが難しく、指す文字にばらつきがみられた。上手く伝えられない事や理解してもらえない事などから、怒りや苛立ちを顔に出すようになった。このような状態がしばらく続いたが、リハビリを続けていくうちに綿棒もしっかりくわえられるようになり、少しずつだが四肢も動くようになってきた。リハビリで使用しているアーム・スリングをベッドの横に設置し、右手を吊り上げ固定することでオーバーテーブルに置いた《50音文字ボード》を上手く右手で指すことができ、自分の思いを伝えることができた。

 その結果、言葉を発する事はできないが会話ができるようになった事で患者様だけではなく、家族も同様に喜ぶ事ができた。また、右上肢がやや上がり、示指がかすかに動くようになってきていたのでパジャマにナースコールを貼り付けると、かろうじて押すことができたが、貼り付けただけなので簡単に外れたり、位置がずれたりしていた。そこで右手にコールを握ってもらい、包帯で固定した。固定したことで安定し押すことが可能となり、昼も夜も問わず患者様自身でスタッフを呼ぶ事ができるようになった。

 

 


西宮協立リハビリテーション病院
リハビリテーション科

Locked-in syndromeの運動麻痺も、早期から長期間集中リハビリテーションで改善

*寺山 修史:長期にわたり回復を示したLocked-in syndrome(LIS)の1例、リハビリテーション医学、43(12)、843、2006

 22歳女性は2004年4月意識消失、頭部CTにて中脳〜橋にかけて出血、中脳水道穿波。2週間後、意識は清明、四肢の弛緩性麻痺、左瞬目だけで意思疎通が可能なLocked-in syndromeの状態を呈していた。

 集中的なリハビリテーションを2005年12月まで行い自宅退院。外来リハ継続中。四肢の弛緩性麻痺は改善、ベッドから車椅子への移乗、車椅子駆動は自立。嚥下機能も改善し3食経口摂取可能となった。

 Locked-in syndromeでは一般的に運動麻痺の回復は困難といわれるが、本症例のように早期から長期間にわたり集中的なリハを行うことにより改善を示す例もある。

 

 


神鋼病院

Locked-in症候群患者は不快な感覚異常に苦しみつつ、誰にもそのことを理解してもらえない
 

*小林 修一:Locked-in患者支援システム ワードプロセッサー試作による感覚異常へのアプローチ、日本外科宝函、60(3)、212、1991
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 脳動脈起始部の閉塞によりLocked-in状態になった49歳男性。発症から11ヵ月経過した頃より右手第1指で何とかナースコールを押せるようになったため、ナースコールからの信号により作動する特殊なワードプロセッシングシステムを試作して使用した。

 その結果、通常の眼球運動による意思表示や文字盤の使用では知ることのできない、不快な感覚異常(知覚異常、悪心)などがあり、およそ1年間、誰にもそのことを理解して貰えないままに経過してきたことが判明した。

 Locked-in症候群の患者の場合、内側毛帯がspareされるため、一般的には知覚は正常と言われており、単に金縛りにあったような状態と考えがちである。しかし実際には種々の不快な感覚異常に苦しみつつ、誰にもそのことを理解してもらえないという状況に置かれている可能性もあるのではないかと思われた。

 

 


鳥取大学
脳神経内科

意思疎通不可能なlocked-in症候群患者が、音を数える課題を遂行

*日笠 親績:閉じ込め状態における知的活動と事象関連電位(P3)、臨床神経学、28巻7号 Page742-745 、1988

 閉じ込め状態にある重度運動機能障害患者の知的活動、精神心理活動を検討する目的で重症期ALS 2例、locked-in症候群1例に事象関連電位(P3)を施行した。

 事象関連電位(P3)のoddball課題は、出現頻度の異なる2種類の音をランダムに提示し、そのうちの低頻度出現の音を数えさせることよって初めて出現し、さらに目標となる低頻度の音に対して明瞭に出現することが知られている。

 対面文字盤などにより文章作成が可能なALS 1例(経過9年)と、意思疎通が不可能なlocked-in症候群の1例(経過4ヵ月)においては明瞭なP3成分を認めた。CT scan、脳波の所見より痴呆の存在が疑われたALSの1例(経過4年)ではP3の出現をみなかった。

 

 


東京大学
物理療法内科

全身性エリテマトーデスで無動無言状態、ステロイド大量長期投与により後遺症なく回復

*広畑 俊成:無動無言を主徴とした重篤な中枢神経障害より完全に回復した全身性エリテマトーデスの1例、日本内科学会雑誌、76(11)、1710-1713、1987

 入院時18歳の男子高校生、1982年11月全身性エリテマトーデス(SLE)と診断されステロイド薬が投与されたが、徐々に言語・動作の自発性が低下し1983年1月10日頃より発語が少なくなり、無動無言の状態となった。

 1983年2月1日、当科入院当初、ステロイドを減量したが、中枢神経症状は改善せず、髄液蛋白が上昇したので、3月ステロイドを増量・パルス療法を重ねて施行した。患者は徐々に言語・動作の自発性を取り戻し、1984年3月21日に退院。1986年4月東京大学理科1類に入学するに至った。

 SLEにおいては、重篤な中枢神経障害を呈していても、ステロイドの大量、長期投与により後遺症を残さない回復が期待できることを示した。

 

 


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