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遷延性意識障害からの回復例(2000年代)

「遷延性意識障害」の定義は、遷延性意識障害からの回復例(2010年代)を参照

症例数
(通し番号として)

施設名

出典および概要


84

神戸市立医療センター中央市民病院

非ヘルペス性脳炎、2年半の昏睡後に意識改善、リハビリは発症から7年以上経過する現在も改善

 *永谷 智里:2年半の昏睡状態を経て意識が改善した若年女性に好発する非ヘルペス性脳炎例の紹介、理学療法学、36巻(Suppl.2)、1487、2009 https://www.jstage.jst.go.jp/article/cjpt/2008/0/2008_0_B3P3321/_pdf

 33歳女性、主婦。2001年幻覚、妄想、精神運動興奮が認められ、抗精神病薬を投与されたが症状悪化、昏睡状態となり全身性痙攣を併発したため当院救急入院。急性脳炎と診断、抗ウイルス剤やステロイド、抗痙攣薬を投与するが反応せず、昏睡状態が続き人工呼吸器管理となる。
 入院時のMRIでは明らかな異常所見を認めなかった。発症3年後のMRIでは両側頭頂葉や海馬など大脳皮質に軽度の萎縮を認めた。
 2001年理学療法開始時は全身性の硬直間代性痙攣が頻発し、oral dyskinesiaや四肢の舞踏様不随意運動が見られ、40度位の発熱や頻脈・発汗障害などの自律神経障害が見られた。関節可動域運動・体位ドレナージ等を開始したが、痙攣重積が頻発しICU入退室を繰り返した。
 発症から2年6ヵ月後、急速に意識レベルが回復。上肢は舞踏様であるが合目的的動作が見られたが、下肢は痙性対麻痺で随意的な運動は見られず、筋固縮による著しい内反尖足・槌趾を認めた。座位や臥位姿勢等、体位の認知も出来ない状態であった。精神運動興奮状態におちいることが多く、皮質盲・言語障害を認めた。理学療法としては、座位バランスの獲得を目指すと共に補高付きSHBを作成し膝固定位で早期から下肢への加重を試みた。
 発症から3年4ヵ月後には下肢に痙性対麻痺・内反尖足・槌趾が残存しているが、座位バランス自立の状態にてリハビリ病院に転院となった。
 発症から3年10ヵ月後より当院外来理学療法を開始。下肢の伸筋痙性抑制を目的に補高付きSHB ・膝固定装具装着下での平行棒内全介助歩行を行った。両下肢に支持性が出てき、足底接地下での動作の獲得を目的に発症から4年5ヵ月後に右、10ヵ月後に左アキレス腱延長術が施行された。
 発症より7年後現在、両下肢に軽度の痙性麻痺は残存するが、自宅四点歩行器歩行自立・手すり利用にて階段見守りレベルとなった。

 


85-86

郡上市民病院

身体刺激、五感刺激を続けた結果、呼びかけに開眼し追視、ロのもぐつき、好き・嫌いの反応もみられるようになった

*志津野 佐栄子:遷延性意識障害患者への身体刺激と五感刺激の効果、郡上市民病院年報、6(1)、21−24、2009

 研究期間は2007年7月〜2007年12月。対象は、医師が誤嚥の可能性が少ないと判断した遷延性意識障害患者で長期臥床により両上下肢の拘縮が強く自動運動がまったくない状態の患者2名。通常の看護介入(入浴介助、おむつ交換、倹温など)と同時に身体刺激と五感刺激を加えて行った。

 患者A氏、80代男性、心原性脳梗塞。2007年2月自宅にて意識喪失、当院に搬送。急性期病棟にて治療を経て、胃瘻造設され6月療養病棟に転棟。転棟時には左頚部に強い硬直がみられ右上下肢に麻痺があり拘縮が認められた。呼びかけに対して発語はまったくなく、注視・追視もなく指示動作に対しても反応は無かった。開眼されていても目に力がない状態で、表情の変化もなくほとんどべッド上での生活であった。1日1回の理学療法士によるリハビリも満期後中止となっていた。妻は朝からタ方まで来院しているがほとんど話しかけることは無くただ患者の側で座っているだけだった。

 A氏への介入開始時の状態は、拘縮が強く自分で動くことは全くなかった。身体刺激として車椅子乗車を毎日行い、午後からの病棟レクリエ一ションに参加する。入浴時やおむつ交換時に、上下肢のマッサージも行う。五感刺激としてレクリ エ一ションの参加に加えて、音楽鑑賞や麻痺側の運動、頸部マッサージを1日3回行う。味覚刺激として、酸味刺激のレモン水を1日1回舌縁に注入を行い、他に患者の好きだった焼酎を、1日1回舌の中央部に注入を行う。その他、訪室時の声かけやタッチングなどを行った。
 意識障害スコアシート(入院時点と11月19日時点)では、眼球の動きは1点から3点、ロの動きは1点から3点、四肢の動きは0点から2点、首の動き、角度は0点から3点、四肢の拘縮は0点から2点と反応が良くなった。
 五感刺激ではレモン水・焼酎の刺激を続けた結果、呼びかけに対して開眼し追視もできるようになった。ロのもぐつきもみられ、表情の変化では好き・嫌いの反応もみられるようになった。
 家族は反応が良くなる事をあまり期待していなかったが、変化していくA氏を見て来院時には声かけしたり、レクリェ一ションにも一緒に参加されるようになった。さらにもっと良くならないか 話すことができるようにならないかなど期待を持たれる様になった。また表情の変化では見舞いに訪れた人からも驚きの声があった。すべての項目で改善がみられた。

 

「無反応、注視もできない状態」から、「腰が痛いと発語、名前を呼ぶと返事をする状態」に改善

 患者B氏、80代女性、S字状結腸癌、腸閉塞、アルツハイマー型認知症。2003年7月から認知症にて他病院に入院。腹部症状があらわれ腸閉塞と診断され、2006年8月急性期病棟に入院。当初は会話もでき受け答えも少しはできていた。また自己にて少しの動きもあった。認知症もあり必要量の経口摂取が出来ないため胃瘻造設。その後10月3日療養病棟に転棟となる。
 転棟時会話に対する受け答え、表情の変化もまったく無かった。両上下肢の拘縮が強く自動運動はまったく無く、呼びかけに対しても追視・注視もできなかった。一日中ベッド上の生活だった。夫は2週間に1度来院していたが、短時間で会話することも無く帰ることが多かった。

 B氏への介入開始時は、呼びかけに対してもケア時にもなにも反応が無かった。一日中閉眼している事が多かった。 身体刺激としては拘縮が強いため車椅子への移乗が困難であったため、ベッド上での本の読み聞かせ、訪室時の声かけ、タッチング、人浴時の上下肢のマッサージを行う。味覚刺激は、酸味はレモン水を使用し、嗜好品は家族から情報を得てハチミツを使う事とした。
 9月初めはほとんど無表情だったが、自宅近くの話をすると少し表情に変化がみられた。拘縮が強く車椅子への乗車が困難であったため、ベッド70度挙上し、味覚刺激を行った。酸味刺激では開眼をするようになり、ロの動きは少なかったが眉間にしわがみられるようになった。ハチミツを使っての刺激では口にもぐつきがみられ、徐々にハチミツを唇に近づけると開口をするようになり表情も穏やかになった。
 9月末にはケア時、話しかけ歌を唄って聞かせると笑顔みられるようになった。時おり意味不明だが言葉も発するようになった。発声は 「アー」「ウー」などが聞かれ、時には「腰が痛い」と言葉も発する時があった。
 10月始めにはケア時、B氏の名前を呼ぶと「ハーイ」「オーイ」と返事をするようになった。しかし味覚刺激ではあまり大きな変化はみられなかった。
 10月末には病状が悪化し味覚刺激は中止した。胃瘻より胆汁が流出し発熱も出現したが、毎日の声かけ、タッチングは続けていった。元気もなく開眼だけする様子は伺われた。しかし病状は改善することなく亡くなられたため中止とした。
 変化があったときは、家人来院時も呼びかけに対し声がでることをとても喜び、少しづつ話しかける様子が伺われた。

 


87

琵琶湖養育院病院

受傷後8年、生活再構築の看護で「簡単な従命と意思疎通」、「表情変化」、「自力摂取」、「自力移動」が改善

*才野 智恵(琵琶湖養育院病院):交通事故後の遷延性意識障害患者に対する生活の再構築に向けた看護実践、日本脳神経看護研究学会会誌、32(1)、62、2009

 20歳代女性、交通事故による脳挫傷、2000年に受傷し、脳低体温療法、脊髄後索電気刺激療法を受けた。その後、リハビリテーション病院に転院したが意識レベル等の改善はみられず、約4年間の在宅療養後に生活の再構築を目的に入院した。
 受傷後8年経過しており、入院時、呼名による反応や表情の変化はみられなかった。両上下肢に弛緩性麻痺があり、頚部の保持はできなかった。経管栄養を行っており、在宅では経口摂取は行っていなかった。排泄は、自然排便はなく3日に1度浣腸を行っていた。

 看護プログラムの実践期間は2009年3月〜5月に、1クールが4週間のプログラムを2回実施した。看護プログラムの内容は、主に背面開放座位、半腹臥位と腰背部微振動、ムーブメント(バランスボール・セラバンド)、口腔内・表情筋群へのマッサージを実施した。
 看護プログラムの1クール目に、頚部の安定が認められ、座位時の保持が可能になった。口腔機能は、常時、舌が口唇の先に出ている状態であったが、口唇閉鎖が可能になり流涎もほとんどなくなった。
 2クール目に入ると、舌の上下運動がみられるようになり、口唇閉鎖も容易になった。その時期から、棒つき飴を用いた口腔内のストレッチを始めたところ、次第に声かけにより自分で開口できるようになり、プログラム終了時にはアイスクームの摂取が可能になった。
 排泄は、経管栄養に食物繊維を加え、排便が3日なかった場合のみ坐薬を使用していたが、プログラム終了時には自然排便がみられるようになった。声かけで腹圧をかけることできるようになり、オムツから便器を使用しての排便が可能になった。

 看護プログラムの介入前後の変化を広南スコアでみると、「簡単な従命と意思疎通」、「表情変化」、「自力摂取」、「自力移動」の項目に変化が認めれ、総合点として66点から61点に改善した。
 リハビリテーションの対象外とされる遷延性意識障害者に対しでも、生活の再構築という視点を持ち、機能回復に向けて目的をもった看護を行なえば変化が生じるということが本事例から明らかにできた。

 


88-102

自動車事故対策機構
千葉療護センター

明らかな改善6例中5例はシャント圧調整、抗痙攣剤減量。1例は認知機能の見落とし

*岡 信男:自動車事故による慢性期重症後遺症患者の改善例の検討 抗痙攣剤とシャント圧に注目して、日本交通科学協議会誌、9(1)、44−50、2009

 千葉療護センターは現在までに190例以上の慢性期重症脳損傷患者の治療を行なってきたが、その中で、健常者には覚醒レベルの低下を起こさないような量の抗痙攣剤でも、時として、このような重症の脳損傷を受けた患者の覚醒レベルに影響する場合があることを経験した。また、シャント圧を正常の頭蓋内圧より下げると症状が改善する場合があることに注目した。
 1997年10月以降、千葉療護センターに入院した慢性期の重症脳損傷患者のうち、2009年1月の時点で入院治療期間が1年以上の患者は101例。このうち同センターの重症頭部外傷後遺症患者レベル判定表で、入院時のスコアが20点以下の最重症患者48例を対象として、その中で最終判定の時点で入院時と比較してスコアが25点以上改善した6例の治療内容を検討した。
 6例中5例に水頭症に対して行われたシャント圧の調整、抗痙攣剤の減量のいずれか、または両方が行われていた。このような方法は全症例に改善をもたらすものではないが、一部の症例では慢性期においても、このような方法により有意な改善がみられた。よって、慢性期における本法は検討する価値があると思われる。多くの脳損傷慢性期の患者が神経系の専門医の手を離れてしまい、このような治療法が検討される機会を失っている現実がある。

 症例6は受傷後数時間は会話や歩行が可能であったが、その後、昏睡となった症例である。慢性期になっても開眼をしないため、昏睡であるとされていた。受傷後4年でセンターに入院した。入院後のCTで中脳と橋の境界部に限局した低吸収域がみられ、急性期のCTではこの部分に血腫が見られ、遅発性の脳幹部出血と考えられ、開眼しない理由は両側の動眼 神経麻痺であることが判明した。四肢麻痺が強く、不随意運動のため随意運動の判別が困難であったが、クロナゼパムで不随意運動を抑制してスイムゴーグルで眼瞼を挙上した結果、うなずき、あるいは指の動きでイエス/ノーの返事が可能となり、過去の記憶と現状の認識がかなり保たれていることが判明した。
 この症例は前医からの抗痙攣薬の服用はなく、また、シャント手術も行なわれていなかった。入院前から認知機能はあったが、開眼不能なことと、強い四肢麻痺と不随意運動があり、うなずきや、手指によるサインの確認が困難であったため、認知機能があることが検知できなかった症例と考えられた。

症例 性別 受傷時
年齢
入院時
スコア
スコア
改善数
シャント圧調整
(単位:cmH2O)

抗痙攣剤
VPA=valproate
DPH=diphenyl hydantoin
PB=phenobarbital
ZNM=zonisamide

その他

14 14 78 11→4 VPA 800mg →入院10日目にオフ 抗痙攣剤の中止では不変、
シャント圧の低下で改善。
自力で車椅子操作、
スプーンで自力で食事、
オセロゲーム可能に。
35 19 50 4→3 VPA 1200mg → 800mg スプーンで自力で食事、
冗談で笑い、ゲーム可能。
40 48 固定圧バルブ

DPH 300mg, PB 100mg
ZHM 300mg, VPA 1200mg → PB 120mg

手でコミュニケーション、
記憶、現状認識は正確
キーボードで演奏
21 13 39 術後13→5 VPA 800mg → 1000mg カップを積み上げる動作、
話しかけると
内容に一致した表情変化。
33 12 25 シャント閉塞→再開通 DPH 200mg → 変更なし シャント再開通後、数ヶ月で
笑顔が増え、経口摂取。
28 52 シャント手術なし 投与なし、不随意運動はクロナゼムで抑制 開眼せず昏睡とされていた。
動眼神経麻痺と判明。

原文の表3と表4を合成、簡易化し、その他を付記した。 症例2、5、6は、過去の報告に含まれる見込み

 

昏睡と告げられていた患者が知的レベル維持、事故後4年経過後もコミュニケーション可能に

*岡 信男:慢性期重症脳外傷患者の機能改善は期待できるか? 新しい評価スケールによる治療結果の検討 、日本交通科学協議会誌、5(2)、11−18、2005

 1999年10月から2004年9月までに千葉療護センターに入院した51例(事故から平均3年経過)の慢性期の重症脳外傷患者の機能改善を、新たに考案した「慢性期重症脳外傷後後遺症患者レベル判定表」により評価した。最重症が0点で満点は100点、100点は自分で車椅子を操作して室内を安全に移動でき、配膳されれば自分で食事が可能で、失禁がなく、言語で自分の意思が伝えられる状態。
 入院時のスコアが21点以上の症例の大部分は、治療開始後2年まではスコアの改善を見た。しかし、治療開始後3年以降になると、スコアの改善が持続する症例は少数であった。治療開始後3.5年以降でスコアの改善を見た症例はなかった。

 入院時のスコアが20点以下の19例のみに注目すると、治療の結果、最終判定時点で20点以下であったのは13例であり、このうち10例は治療期間を通じ、まったくスコアの変化がみられなかった。3例は最終判定時点でスコアが21点以上50点以下であった。他方、最終判定時点でスコアが51点以上に達した3症例は、いずれも医療的介入が可能であった症例である。その内容は、シャント圧調節および抗痙攣剤の減量が1例、抗痙攣剤の減量が1例、服薬による不随意運動の抑制が1例であった。

 事故時年齢28歳の女性は、家族は主治医から昏睡であると告げられていた。事故後4年でセンターに入院した。入院時スコアは7点。
 詳細な神経学的評価と画像診断の結果、脳幹部が主たる病巣であり、四肢麻痺と眼瞼下垂があることが判った。薬剤で不随意運動を抑制して、眼瞼を挙上して、声かけを中心とした刺激を繰り返した結果、コミュニケーションが可能となり、かなりの知的レベルが保たれていることが判明した。訓練の結果、質問に対するうなづきで会話が可能となり、水泳用のゴーグルを使用して眼球の乾燥を防ぎ、眼瞼を開眼位で固定することにより、見ることが可能となった。5年の治療期間終了後、自宅へ退院した。退院時のスコアは59点。

 事故時年齢35歳の男性は、事故後2.7年で入院。入院時、上肢屈曲、下肢伸展の除皮質硬直姿勢で、開眼追視は見られるものの、命令に応じず、全くコミュニケーションのとれない状態であった。入院時のスコアは19点 。
 栄養状態の改善、抗痙攣剤の減量、薬剤による覚醒レベルの改善、シャント圧の調整などを行った結果、4ヵ月後に命令に対する反応が確認された。12ヵ月後の現在、発語はみられないが、話しかけると笑顔が見られ、冗談で笑い、簡単なゲームができるようになった。経口摂取が可能となり、自分で寝返りがうてるようになった。入院1年後のスコアは68点。

 当サイト注:この報告の表1には、最終のスコアが50点以上になった症例が20数例掲載されているが、治療開始時点で遷延性意識障害ではな い症例が一部含まれる。また最終判定時点で遷延性意識障害の状態を脱却した症例数が明記されていないため、同論文については医療的介入が行われた3例のみ回復例にカウントした。

 

食物を認知し自発的に開口、10年かけて経口摂取可能、「食べたいですか」の問いに指で反応

*黒須 洋子:【ナースが行う摂食・嚥下リハビリテーション】 事例別摂食・嚥下リハビリテーションの実際 植物状態患者に対する摂食・嚥下リハビリテーション、看護技術、47(2)、178−184、2001

  1. 1997年7月受傷、植物状態になり1999年6月入院した頭部外傷後遺症、外傷性てんかんの36歳男性は、2年間、経管栄養で経口摂取は行っていない。入院時からジョークにタイミングよく吹き出し笑いをする様子が見られたが、瞬目、開口、掌握などの指示などには応答がなく、眼振が多く、追視もはっきりしなかった。
     7月27日、VPシャントの開通により、眼振が減少し、注視、追視がはっきりした。8月18日より筋緊張に対し筋弛緩剤が処方され、頸部および四肢のリラックス、8月23日、10分ほどかけてオレンジゼリー1個(50cc)を摂取できた。9月5日、スプーンを近づけると食物を認知して自発的に開口した。2000年1月14日には3食とも経口摂取、3月には飲水必要量のすべてが経口で取れるようになった。
     
  2. 1986年3月受傷、植物状態になり1990年3月に入院した頭部外傷後遺症、高血圧の40歳男性は、入院時3食経管栄養、自発的意思表示はない。1990年9月より、プリン、ヨーグルト、ジュースなどの経口摂取を少し試みる。1999年からは昼食を全粥つぶし食で摂取している。父親の介助には緊張も見せず、看護者の介助の時とははっきり違う食べ方をすることから、介護者の違いをはっきり区別している。「食べたいですか」という問いに、左拇指と第2指を動かして反応を返す。

 

排尿前に首ふりと表情変化、呼吸悪化時のマッサージで表情が穏やかに

*鈴木 美恵子:【気管内吸引の技術】 遷延性植物状態患者の看護における吸引、看護技術、45(1)、55−61、1999

 1982年11月受傷、事故当初から意識消失の頭部外傷後遺症、水頭症、外傷性てんかん、気管支喘息の33歳男性。声をかけると、そちらを見る。排尿前に首ふりと表情変化がある。
 呼吸は生命維持の最も基本的なものであるだけに、その悪化は強い不安をもたらす。努力呼吸が強く苦痛が増強しているときなど、肩から背部のマッサージや温罨法を実施すると、全身の筋緊張が和らぎ苦痛様顔貌が消失して表情が穏やかになる状況がしばしばみられた。筋緊張の緩和への直接的な効果だけでなく、身体に触れていることで、そばに誰かがいて1人ではないという安心感が得られたのではないかと考える。

 

3年間で45名のうち7名が植物状態を脱却

*篠原 義賢:外傷後植物症患者の病態−CTスキャン、脳血流、ABRによる分析−日本脳神経外科学会46回総会抄録集、140、1987

 開設以来3年間に入院した45名中、2名が死亡、7名が植物状態を脱却した。

 


103

千葉大学医学部附属病院

おむつ交換時に足あげ、訪問授業を神妙な表情で聞く

*葛田 衣重:遷延性意識障害者を地域で支える支援体制づくり 事例を通して考える、Nurse eye、22(1)、31−38、2009

 15歳男性は、柔道部のクラブ活動中の事故で外傷性急性硬膜下血腫、遷延性意識障害。事故後4ヶ月で退院、在宅療養開始、退院後2年10ヵ月経過。おむつ交換時に足をあげるような動作がみられるようになった。高校担任の古文の訪問授業が始まり、神妙な表情で聞いていた。

 


104-144

自動車事故対策機構
岡山療護センター

岡山市

14年間に35名(15%)が経口摂取に移行

*梶谷 伸顕:実践的な外傷性遷延性意識障害患者の栄養アセスメントを目指して、静脈経腸栄養、24(1)、342、2009 http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspen/24/1/312/_pdf/-char/ja/ 

  1994年2月より2008年7月まで、男性156人、女性74人、平均年齢は35.4歳と41.8歳。入院時栄養管理は経口摂取のみは77名、経鼻経管栄養は107名、胃瘻栄養は79名。摂食・嚥下訓練をし、35名(15%)が経口摂取に移行可能となった。

 

完全植物状態の患者が従命動作、髄腔内バクロフェン療法で痙縮改善

*本田 千穂:遷延性意識障害患者の痙縮に対する髄腔内バクロフェン療法の経験、リハビリテーション医学、45(supple)、S418、2008

 24歳男性はバイク事故による脳挫傷、完全植物状態となり受傷6ヵ月後に当院入院。入院時Modified Ashworth Scale平均2.7の重度痙縮を呈しており、内服療法や理学療法を開始した。受傷後9ヵ月後には不完全ながら左手の従命動作が可能となったが、関節可動域の拡大が乏しくなったため、受傷14ヵ月目に髄腔内バクロフェン療法を開始。痙縮は著明に改善したが、左手の従命動作が消失し、咳嗽力の低下や体重増加がみられた。痙縮改善と関節可動域改善を維持しつつ従命動作出現を目標にバクロフェン投与量を調整し、良好な結果が得られた。

 

化粧療法で6人中5人が改善、口紅を選択するようになった意識障害者も

*大田 真由美:最新リハビリケアC化粧療法、ブレインナーシング、22(11)、1134−1135、2006

 15〜63歳の外傷性遷延性意識障害6人(不完全植物症3人、移行型植物症A1人、移行型植物症@2人)に8週間、本人の好む化粧を行った。6人はいずれも表情が乏しく、意欲低下のある患者。受傷前から化粧が好きであった患者を対象にした。6人中5人に、看護師の観察のなかで「はにかんでいる顔が見られるようになった」「うっすら開眼することができるようになった」など、何らかの改善があった。

 症例1(移行型植物症A)は、東北療護センター遷延性意識障害度スコア表にて大きな改善が見られた。4週目には“眼球の動きと認識度”が5点から0点へ、6週目には“表情変化”が5点から0点へと改善した。

 症例2(移行型植物症@)は、化粧を始めてどんどん表情が明るくなり、パフをもちみずから化粧しようとしたり、口紅を選択するようになった。

 


145

みさと健和病院

東京都

他院で「回復は望めない」と言われた気管切開患者、10ヵ月で歩行退院

*川上 貴子:遷延性意識障害から歩行可能になるまでの支援、民医連医療、437、24−25、2009

 交通事故で脳挫傷、外傷性クモ膜下出血、気管切開、胃瘻造設、高熱も続いていたの33歳男性は、A病院では回復は望めないと言われ7月に転院。私たちの働く仲間、レントゲン技師でもあったので、全職員で取り組んだ。

 3日目で熱が下がり腹臥位療法を開始、以後は一度も熱を出すことはなかった。8月に車イスの訓練を始め、嚥下反射が出るようになった。日中はできるだけ座位で過ごし、声かけを積極的に行い、8月下旬には指でオーケーサインを出すようになった。8月末には初めてジャンケンをした。ペンを持たせると、何かを書こうとしていた。9月に入ると寝返りができるようになり、四肢の動きも目的を持つようになり、とうとう気管チューブを抜くというアクシデントも起こった。座位バランスがよくなるにつれ、腹臥位でもヨダレが出なくなり、嚥下訓練も進み、普通の食事ができるようになった。

 10月初め、スピーチカニューレに交換し、そのときの言葉が「しゃべりたい」というひと言、その後、「早く家に帰りたい」と意思表示。自分の名前は言えたが、ほかの記憶がなかなか戻らず、毎日毎日、「あなた誰ですか」と同じようなことを聞く状態、好きだった女性のことだけは覚えていた。

 歯磨き、洗面、ズボンの上げ下げ、日常生活のその他の行動もきちんとできるように繰り返しケアした。ハラハラするバランスボールの時間は、明るい表情をみせるが、それ以外はほとんど表情はなく、悲しみにくれるような表情が多かった。トランポリンやバランスボールのあとは、支えられながらも10歩程度歩くことができるようになった。失禁もなくなり、歩行も安定してきた。高次脳機能障害は残った。5月に笑顔で歩行退院した。

 


146-147

利定会
大久野病院
内科

温浴とアロマセラピーで拘縮軽減、追視の持続性出現

*瀧宮 顕彦:遷延性意識障害患者に対する温浴とアロマセラピーを用いた短期集中リハビリテーションの取り組み、日本温泉気候物理医学会雑誌、72(1)、69、2008

 脳出血により遷延性意識障害を呈した2例に、4週間の短期集中リハビリテーションプログラムを実施。内容は@週4回39度C微温浴15分間とその後の関節可動域訓練A週3〜4回リモネン含有量の多い精油またはラベンダーを用いたアロマセラピー30〜45分間B腹臥位療法Cウォーターベッド型マッサージ器やバイブレーターを用いた拘縮部位への微振動刺激Dボールを用いた縦揺れムーブメント5〜10分間、の5項目を組み合わせて実施。

 症例1、64歳男性は2003年9月クモ膜下出血発症。プログラム実施後、@両手指拘縮軽減による手掌への爪の食い込みの改善A右股、左肩、左肘関節拘縮の軽減と可動域の拡大によるウエルニッケマン肢位の軽減および移乗時の体重支持による介助量の軽減B排便困難の改善、を認めた。

 症例2、62歳男性は1996年右視床および被殻、2005年左視床出血発症。プログラム施行後、@頚部回旋可動域の拡大と筋緊張の軽減によりリクライニング式からヘッドレスト付き普通型車椅子乗車可能A呼気性呻吟の軽減B追視の持続性の出現、を認めた

 


148

奈良県立三室病院

温浴刺激で表情を表出、覚醒・入眠動作が明確化

*羽馬 由恵:遷延性意識障害患者への温浴刺激の効果、奈良県立三室病院看護学雑誌、24、95−97、2008(注:書誌データは2008年の発行だが、24巻の表紙には「2007」と印字されている)

 70歳代女性は2006年10月に大動脈瘤破裂、意識障害となり気管切開と胃瘻造設。患者は顔の近くでクシャミをすると驚いた表情や、遠方からの面会に涙を流すことがあった。また不快な表情はあるが快の表情はなかった。

 2007年10月13日から週1回、脳への感覚刺激と関節可動域拡大を目的とした温浴刺激(全身入浴)を行い、患者の反応を広南スケールを用いて評価した。1回目の入浴直後に患者は驚いた表情をし、顔を歪め、嫌そうな表情をした。しかし、徐々に表情は緩み、リラックスした表情となった。また、目は大きく開眼し、視線が合っているような雰囲気だったが追視はなかった。
 計6回行った結果、広南スケールでの点数変化はみられなかったが、入浴中の他動運動は筋緊張の緩和が得られ、右上肢と両下肢の屈曲位には多少の伸展がみられた。覚醒と入眠がはっきりわかり、耳元で呼びかけると容易に開眼するようになった。表情の乏しい患者だが、温浴刺激において苦痛や穏やかな表情、入眠時に起こされたときの怒った表情など患者の感情が以前よりも表出するようになった。

 遷延性意識障害患者の反応は非常にわかりにくく、変化を求めるには根気強い働きかけが必要であり、多忙を極める現状の中での積極的な看護を行なうには困難であると考えていた。しかし、温浴刺激は多くの目的を持ち、全身の効果が期待できる。従って、ただ漠然と患者を見ているだけでは患者の変化やサインを見逃してしまう可能性があり、普段から意識のある患者としてではなく、患者をひとりの人格者として認識し、変化を見逃さないように関わる必要があると考える。

 


149-234

藤田保健衛生大学病院

愛知県豊明市

局所的障害・脳血流量50%以上保持例に、脊髄後索電気刺激が有効

*森田 功:SCS(spinal cord stimulation)、Clinical Neuroscience、26(6)、665−667、2008

 脊髄後索電気刺激(DCS)の効果は、患者の臨床症状の改善によって判定する。有効例の基準として改善の程度によってExcellentとPositiveに分けた。Excellentとは、従命反応出現(意思疎通が可能)、発語、経口摂取の可能である。Positiveは、さまざまな刺激に対する表情や感情の変化(喜怒哀楽)、覚醒と睡眠のリズムの出現である。
 これらの基準をもとに、電気刺激開始1〜2年後に効果を判定している。

 2001年〜2005年に、意識障害の発症後6ヵ月以上経過した77例に脊髄後索電気刺激を導入。原因疾患内訳は頭部外傷36例、脳血管障害20例、低酸素脳症21例。
 77例のうちExcellentと評価できたのは17例(22%)、Positiveは36例(47%)であった。Negativeは頭部外傷の11例、脳血管障害の5例、低酸素脳症の7例。
 有効例の共通点は、画像上局所的な障害であったこと、正常値に比して50%以上の脳血流量を保っていたことなど。
 

 

障害領域が広範囲でない70例中31例に脊髄後索電気刺激療法が有効

*神野 哲夫(藤田保健衛生大学脳神経外科):【神経電気刺激療法】 遷延性意識障害(植物症)に対する脊髄電気刺激療法、脳21、2(4)、335−342、1999

 過去10年間に130例に脊髄後索電気刺激療法を行ってきた。3年の追跡期間を終了した70例中31例(44.3%)に臨床症状の改善を認めた。そのうち著効例16例、中等度有効例10例、軽度有効例5例、無効39例。有効例と無効例の比較検討を行った結果、判明したことは

  • 若年者に有効例が多い。
  • 有効例は圧倒的に頭部外傷が多い。脳卒中後症例に有効例は極めて少ない。
  • 植物症になって丸々3ヵ月は保存的治療を行い、それでも変化のない症例に本療法を行うのであるが、3ヵ月を過ぎた後はできるだけ早く行った症例に有効例が多い。ただし30ヵ月以上植物症であった症例にも有効例はみられ一概には言えない。
  • 有効例のCT所見の特徴は、脳全体の萎縮が著明でないこと、障害領域が広範囲でないことが挙げられる。
  • 有効例の本療法前の局所脳血流量は20ml/min/100g/以上であることが多い。

 

末梢血管拡張薬により意識レベル改善

*丹治 英明:遷延性意識障害患者に対する末梢血管拡張薬(ECV 300)の大量療法、救急医学、7(8)、989−992、1983

  1. 動静脈奇形の67歳男性は、水頭症併発。植物状態にて約7ヵ月経過後に、ECVを投与開始。2週目頃より追視出現、右上肢自動運動の出現を認め、3週目には「おはよう」との言葉が聞かれるようになった。約4週経過後、再度21日間ECV投与開始後、再度、意識レベルに改善を認め、第2回開始前2〜3であった意識レベルは、終了時ほとんど0まで改善し、現在、車椅子より手を振って挨拶するまでに至った。また、会話も日常においてほとんど可能なまでに至った。
     
  2. モヤモヤ病の38歳女性は、植物状態にて約18週経過後に、ECVを投与開始。投与前100であった意識レベルは、投与終了時10に改善された。 

 

このほかの同施設の論文

*飯泉 智子(藤田保健衛生大学病院リハビリテーション部):遷延性意識障害患者における摂食・嚥下機能の検討、日本摂食・嚥下リハビリテーション学会雑誌、8(2)、253、2004 (脊髄後索電気刺激療法+摂食・嚥下リハビリテーション、12例のうち5例が意識程度変化
*亀井 義文:外科的治療―脊髄刺激療法、ブレインナーシング、1995夏季増刊、101−110、1995
*楠戸 正子:DCSを施行した遷延性意識障害のリハビリテーション、リハビリテーション医学、30(12)、976、1993
*楠戸 正子:遷延性意識障害に対するリハビリテーション、総合リハビリテーション、21(4)、343、1993
*横山 哲也:遷延性意識障害例に対するDCS (Dorsum Column Stimulation)療法 その適応に関する検討、脳神経外科、18(1)、39−45、1990
*神野 哲夫:脳神経機能回復におけるNeurostimulationの影響 遷延性意識障害の治療を通じて、脳神経外科、16(2)、157−163、1988
*石山 憲雄:遷延性植物状態患者の可逆性、非可逆性についての検討(第1報) CT像における検討、 Neurologia Medico-Chirurgica、22(8)、654−660、1982

 


235-246

石切生喜病院

大阪府東大阪市

 

受傷6ヵ月以降の音楽運動療法開始で 2割が植物状態から脱却、頭部外傷後とクモ膜下出血後に効果

*野田 燎:音楽運動療法、Clinical Neuroscience、26(6)、673−675、2008

 音楽運動療法の治療効果は、米国の多領域共同検討委員会の植物症の定義を満たしている1997年10月〜2005年12月までの患者68例について、受傷6ヵ月以内に開始された29例中18例(62.0%)、受傷6ヵ月以降に開始された39例中8例(20.5%)、受傷12ヵ月以降に開始された23例中4例(17.4%)が植物状態から脱却した。
 頭部外傷後およびクモ膜下出血後の植物状態において、開始時期が受傷6ヵ月以内を境にして、効果に最も差が認められた。

 

 このほかの同施設の論文

*野田 燎:最新リハビリA音楽運動療法、ブレインナーシング、22(11)、1130−1131、2006

注:野田氏と後藤氏による遷延性意識障害からの回復例は愛知医科大学に記載。

 


247

東京慈恵医科大学付属病院

遷延性意識障害患者の治療効果判定に、話し言葉における理解評価尺度が有効

*難渋した遷延性意識障害患者の治療効果判定にWAB評価尺度が有効であった一例、リハビリテーション医学、45(supple)、S251、2008

 36歳女性は脳梗塞、リハを1年2ヵ月継続後、身体精神機能評価およびリハ目的に当院を紹介受診した。JCS20、GCSE3V1M4、覚醒時、簡単な指示への手指把握による応答可能、発語は認めない。ADL全介助。
 行動療法、薬物療法(酒石酸プロチレリン、塩酸メチルフェニルデート)を試みた。治療効果の判定において、WAB失語症検査下位項目(話し言葉における理解)を参考に、同一事項について2通りの質問を行い、イエス/ノー式の手指での応答から、回答数と回答一致による正答率を評価した。結果、塩酸メチルフェニルデート投与時の回答数・正答率が高く、覚醒時間延長、ADL介助量軽減も認められた。
 遷延性意識障害の評価時、JCSやGCSでは開眼の有無の評価にとどまるが、上記方法では、覚醒度の比較がより明確で認知面評価の参考にもなり、有効であると考えられた。

 


248-250

愛媛大学

八幡浜市医師会立双岩病院

人工呼吸器離脱に204日、意識レベル改善に1年

*永井 勅久:長期の人工呼吸管理後軽快した重症辺縁系脳炎の1例、神経内科、282−286、2008

 26歳女性は2005年9月20日頃から発熱、頭痛。全身の強直性痙攣をきたし9月28日、近医に入院。意識レベル低下し精査加療目的で10月5日に当科転入院、10月6日から人工呼吸管理。12月1日両側卵巣腫瘍を摘出後も脳炎症状は軽快しなかった。ステロイドパルス療法は効果なく、大量ガンマグロブリン療法は気管支喘息症状が出現し中止。抗痙攣薬の効果により入院後204病日となる2006年4月26日、人工呼吸器より離脱したが、意識レベルの改善を認めなかった。手指の不随意運動は残存していたが、痙攣発作の出現頻度は徐々に減少傾向となった。
 2006年7月11日、他医に転院し加療を継続、9月頃から不随意運動および痙攣発作は消失し、自発開眼がみられるようになった。10月初旬には追視、単語の発声も可能となり、簡単な意思疎通も行なえるようになった。2007年1月には明確な意思伝達ができるようになり、本を読んだりして日中を過ごすようになった。明らかな麻痺の残存もなく、車イスへの移乗には介助を要するが、車イス操作は問題なく行なえるようになった。短期記憶障害が残存し、2007年1月9日にリハビリ病院に転院、現在リハビリ加療を継続している。非ヘルペス性辺縁系脳炎の場合、長期の呼吸管理を要する症例であっても症状の改善が期待できることを示唆する症例である。

 

アマンタジン投与中、指示に応答

*堀口 淳:失外套症候群に対するアマンタジンの臨床効果と脳波学的研究、精神医学、28(8)、907-915、1986

  1. オリーブ核橋小脳萎縮症の70歳女性は、約3年間、失外套症候群の状態が継続した。
     1984年4月2日からアマンタジン投与。投与開始2週間目の300mg/日処方中、看護婦が血圧測定時に右手を伸展させるように指示したところ、わずかに反応したことを認めた。5月1日アマンタジン処方中、主治医と視線が合い、開閉眼指示に反応し、発声指示にも「アー」「イー」「ウー」と声を出し、頭部をうなづくように前後に僅かながら屈曲し、眼球追跡運動も可能であった。5月3日には主治医の顔をみて笑みを浮かべ、両肘関節や足関節の屈曲指示にも指示に従って反応するようになった。5月25日アマンタジンの漸減中止後2日目まで、同様に言語刺激に従った筋運動が可能な状態が続いた。その後、投薬再開・中止で徐々に薬物の効果は消失しつつある。
     
  2. 脳梗塞の70歳男は、約4年間、失外套症候群の状態が継続した。
     1984年5月17日からアマンタジン投与開始。5月30日に顔面を紅潮させて涙を流しているのを看護者が観察した。その後も時々急に涙を流して泣くことが続いた。食物を拒否する態度が認められるようになり、さらに呼名すれば時々無声音で「ウー」と呼応するようになった。拒食で栄養状態の悪化を認めるようになったため、6月17日にアマンタジンを中止した。中止後2日目頃から失外套症候群の状態に戻った。

このほかの同施設の論文
*堀口 淳:脳梗塞による失外套症状群に対する塩酸アマンタジンの劇的効果、臨床脳波、28(1)、35-38、1986
*堀口 淳:アマンタジンで言語理解が可能となった失外套症状群の1例、精神神経学雑誌、87(7)、502、1985

 


251

帝京平成大学
健康メディカル学部

施設名記載無し

夫の働きかけが増えて、笑い、表情が穏やかになり、職員と交流

*藤本 幹:遷延性意識障害患者とその家族のための援助の一経験、作業療法ジャーナル、42(2)、178−182、2008

 70歳代女性は、作業療法開始12ヵ月前に多発性脳梗塞を発症、作業療法開始時の意識レベルはJCS200。胃瘻造設術が実施され、日常生活は全介助、易感染的で熱発を繰り返した。介入は週3回、約30分実施した。目標を、胸郭部の運動性の改善および、日常生活内での座位姿勢の時間の確保また、できれば車いす乗車に慣れることも設定した。
 介入時には、夫に患者さんにまつわる思い出の品物や写真を持参してもらい、その品物を話題に会話することにした。これは、夫との会話の話題づくりの他に、患者さんに何らかに反応を引き出せる可能性を期待したことも理由の一つであった。

 作業療法終了後の夫への聴取:介入8週〜24週

  • わかっているような気がする=声をかけると顔を向けることもあった。テレビの漫才をイヤホンで聴かせると「くっくっ」と笑ったことがあった。昔の友達の話をすると「にやっ」と笑ったことがあった。
  • 表情がよくなった=目が生き生きしてきたようだ。顔が穏やかになってきた。
  • 職員との交流がうれしい=朝方、目が覚めたときに看護師さんと目がよくあうらしい。介護士さんからも、最近表情がいいねと言われた。

 26週に入ってからも発熱が継続し、内科病棟に転棟し治療することになり、担当医から介入の中止が決定された。藤本氏らは、その後も毎日、夫との会話を続けた。面接終了の数週間後永眠。「介入では、患者自身は大きな変化はみられなかったが、夫は死を積極的に受け入れることのできる精神的、時間的余裕をつくることができた」としている。

 


252-253

自治医科大学附属病院

意識障害と筋の痙直に対して、鍼治療が有効な可能性がある

*玉井 秀明:びまん性軸索損傷による四肢の痙直に対し中枢性筋弛緩薬と鍼療法の併用が有効であった1症例、麻酔、57(1)、114、2008

 6歳男児は交通事故で受傷。高度意識障害とともに四肢の不全麻痺と除脳硬直姿勢を認め、びまん性軸索損傷と診断された。受傷3ヵ月半より、中枢性筋弛緩薬の投与に加え、中医学にもとづく鍼治療を開始、頭顔面部、頸部、上肢、腹部、背部、下肢などおよそ50の経穴に、1回の治療に約50分間、週に2回から3回治療した。
 鍼治療開始より4ヵ月間で、筋の痙直の緩和とともに、追視、明らかな表情の出現、指をなめる、呼びかけに対して時折り顔を向けたり物を目で追いかけるなどの著明な反応の改善と喘息症状の改善が認められた。

 

*玉井 秀明:鍼治療が有効と考えられた脳腫瘍術後遷延性意識障害の1症例、麻酔、58(3)、349−353、2009

 13歳男児、開頭腫瘍摘出術を施行、腫瘍の約70%を摘出し、胚細胞腫瘍のうち胚腫の診断であった。尿崩症に対し酢酸デスモプレシン療法を開始し、水頭症も生じたためVPシャント術を行った。入院2ヵ月後から1ヵ月間放射線療法を、入院3ヵ月半後に化学療法を行った。尿崩症コントロールが困難になり意識障害、脳梗塞を生じ、水頭症も増悪した。西洋医学的治療に限界があると考え、鍼治療を開始することとした。
 鍼治療開始前の意識レベルはJCS1−2、治療2回(治療開始4日後)から反応の改善がみられた。治療3回(治療開始7日後)からは、発語が流暢になった。治療12回(治療開始51日後)にはJCS1−1に改善、治療26回(治療107日後)には、リハビリテーション中、つかまり歩きがゆっくりできるようになった。入院より約1年4ヶ月後、全身状態が安定したので退院、退院後1ヵ月で学校に通学するまで改善が進んでいる。

当サイト注:2010年には木沢記念病院リハビリテーションセンターから鍼治療例が報告された。

 

レスピレーター装着中でも経口摂取を繰り返すと、意識が改善される

*小島 晴美:レスピレーター装着中の遷延性意識障害児に経口摂取を試みて、日本看護学会22回集録小児看護、111−114、1991

 1歳3ヵ月で無酸素脳症により意識障害をきたし、気管切開を行いレスピレーターを装着している5歳児。時々、口をパクパクさせる患児に「なにか食べさせたい」という母親の思いをきっかけに、経口摂取を試みることにした。
 患児の嚥下機能を評価し、摂食介助や誤嚥防止の援助を計画し実践した結果、患児はペースト状食物を摂取できるまでになった。レスピレーターを除去できるのは、最長30分が限度の状態である。
 離乳食を食べ始めた当初は、いつもいやな顔をしていたが、5ヵ月を過ぎた頃、食事の内容によっては、表情や嚥下のスピードに変化がみられた。これは嗜好の表れと考えた。経口摂取を繰り返すことは、意識の改善ができる。

 


254

柳川療育センター

母親からの手紙で感情変化、成人式を機に障害の適応・再起へ、スタッフが継続的関わりADL向上

*大津 友里江:落雷後遺症による植物状態からの回復を目指して 人間らしさを取り戻すための9年間の療育、重症心身障害の療育、2(1)、76、2007

 N氏、20歳男性。1997年に14歳で落雷受傷、1998年・当センター入所、意識レベルは1998年時JCS−300、経管栄養。蘇生後脳症後遺症、重症痙性四肢麻痺、皮質盲、尿管結石、気管切開施行。身体・言語面は、寝たきり・無表情。家族は、障害の受容ができず、ショック・否認・悲しみと怒りの時期が約5年間続いた。

 精神面は1997年・無表情、1998年・泣く、1999年・哀の減退?、2002年・笑う・怒り、2003年・高校担任(男性)の先生との出会い、本音で語れる機会を得る、2004年・母親からの手紙を聞き感情に変化、成人式を機に障害の適応・再起へと気持ちが変化した。哀の獲得、口から食べたいニーズ。
2004年12月、リハ評価・担当スタッフ間の話し合い。口唇閉鎖(−)、舌左右運動(−)、味覚(−)、取り込み(−)
2005年1月、経口摂食開始(ヨーグルト)、12月食事開始(ソフト食)
2006年4月、昼食開始(ソフト食)
 精神面では感情のコントロールができるようになった。生きる意欲の向上、新しい趣味の発見、計画性のある一日のスケジュール管理、目標をみつけられるようになった。
 食事面で口腔機能の向上は、口唇閉鎖(+)、舌左右運動(±)。食事動作の向上は、取り込もうと頸部を前屈してきた。食事認知の向上は、味覚の芽生え。食事量の増加は、1割摂取から全量摂取へ。
 身体面は、股関節の屈曲可動域を得、30度の角度の座位姿勢を獲得。
 言語面は、Yes−No反応獲得→50音表でのコミュニケーション獲得。単調だった会話が、やりとり可能になった。要求も伝えられるようになった。
 家族は、障害受容により、N氏や周囲の人への感謝の気持ちが生まれた。N氏との目標を明確に分かち合った。

 


255

岐阜県総合医療センター

入院中に表情変化、在宅移行後に「ダジャレ」を言うと笑顔、体を左右にゆすって笑いを表現

*石原 いすず:小児在宅ケアへの移行期を支える退院調整におけるチームアプローチ、小児看護、30(5)、655−663、2007

 15歳児は小学生から不整脈で外来通院、突然意識消失し救急搬送、脳低体温療法、22日目に気管切開、53日目に胃瘻造設。入院118日目に在宅療育準備とリハビリテーション目的で転院。6ヵ月後、肢体不自由の認定がおりたため在宅移行期に再度当院へ入院。 
 6〜7週目、全身に筋緊張が強く苦痛表情があるが、入眠時はない。 
 8週目、全身の筋緊張は内服薬で改善傾向。声かけで開眼し、笑顔のような表情がみられる。 
 入院中は、開眼はするが、いやな表情をしたり、涙を流したり、それ以外は一点をみつめているだけで、笑うということはなかった。しかし、在宅へ帰った後、「ダジャレ」を言うと笑顔がみられ、体を左右にゆすって笑いを表現するなど大きな変化がみられた。
 
 児の成長・発達を促すものとしては、退院後に養護学校高等部へ進学し、現在は週3回訪問授業を受けている。パソコンや音楽を使用したリズム運動的な授業も行っている。

 


#hara

256

恵光会原病院

無動性無言患者が、嚥下機能の改善にともない随意運動や囁き声で応答をはじめた

*古江 里香:無動性無言を前景とした一嚥下障害例の経過、日本摂食嚥下リハビリテーション学会雑誌、10(3)、156、2006

 44歳女性は2005年7月上海にてクモ膜下出血、11月当院に転院。意識障害JCS2桁、無動・無言、BRS上肢1下肢1、嚥下障害。開口の指示には従えないが、スプーンを口に近づけると開口が促されることから、間接訓練として冷やしたスプーンを使用し、アイシング、舌運動に対する機能訓練を行った。その後スピーチカニューレ、NGチューブ留置の状態で、1cc氷片嚥下訓練を経て開始食より段階的に直接的嚥下訓練を進めた。
 嚥下食2が開始される頃より、氏名などの単純な質問に対する口型での応答や他者の会話を聞いた際に音響音での泣く・笑うといった感情表出が頻繁になった。発症161日後、気管カニューレ抜去、発症208日後、必要摂取量の全量を普通食にて介助下で摂取可能となった。この時点で摂食動作訓練にOTが介入し、自助具を提案して自力摂取をめざす訓練を進めたところ、頸部、上肢の自発的動作が出現し、一食すべてを自力摂取可能となった。その経過に伴い、問いかけに対する反応が囁き声での応答に変化した。

 


257

富山県厚生連高岡病院
脳神経外科・神経内科混合病棟

口腔ケアの手技統一、継続で発語も聞かれるようになった

*山本亜希子:遷延性意識障害患者に対する口腔ケアの改善への取り組み、日本看護学会論文集:看護総合、37回 Page164−166、2006

 遷延性意識障害患者に対する口腔ケアの改善の取り組みとして、病棟看護師21名を対象に学習会を実施するとともに、手技の統一のため口腔ケアマニュアルおよびビデオを作成し、その効果を取り組み前後のアンケート調査の比較から検討した。
 開口しなかった患者が僅かに開口するようになり、発語も聞かれるようになったことから、統一した手技で継続することは少なからず意識レベルの回復に影響を与えているのではないかと考える。

当サイト注:改善した症例数が不明

 


258-261

東海大学
神経内科

神奈川県

18ヶ月以上、意識障害が続いても意識清明に回復、治療可能な患者が存在する

秋山 克徳:脳炎の経過中にMRIにて脳萎縮を呈しその後MRI所見の改善を認めた27歳女性例:臨床神経学、46(5)、360、2006
*秋山 克徳:脳炎の経過中にMRIにて脳萎縮を呈しその後MRI所見の改善を認めた成人例:脳と神経、58(11)、1015−1016、2006

 27歳女性、脳炎、てんかん重積状態とその後に遷延性意識障害を認めた。発症から約1年後のMRIでは側頭葉および前頭葉の萎縮を呈したが、発症から約2年後に独歩退院となり、2年9ヶ月後のMRIで大脳皮質の萎縮と脳室の拡大は改善した。本症例では急性期、慢性期を含めて低栄養状態、バルプロ酸やステロイドホルモンの過剰投与はなく、脳萎縮が改善した理由は不明であったが、脳炎は基本的に良性疾患であり、臨床症候のみならず画像所見も長期に観察し、慢性期の病態も明らかにしていくことが重要であると考えた。

 

*永山 正雄:救急神経症候の鑑別とマネジメント 遷延性意識障害のneuro-critical care、Medicina、40(5)、908−912、2003

  1. 16歳女性、骨髄移植後重症ウィルス性脳炎患者の意識障害は1年半に及んだが、抗てんかん薬や遅発性のステロイド薬の効果により意識清明に回復した。

  2. 脳炎発症後1年半以上意識障害の患者は、最終的に意識清明で書字可能に至った。

  3. 原因不明の遷延性意識障害例で、サイトメガロウィルス脳炎を疑いガンシクロビルを投与した結果、投与開始後2週間頃より意識レベルが改善し会話可能に至った。

 

参考*永山 正雄:可逆性遷延性意識障害"の臨床 Prolonged but treatable coma"、臨床神経学、41(11)、976、2001

 1990年以降の“意識レベル3桁(JCS)”が4週間以上持続“且つ”その後1桁以上に改善した自験例(脳外科手術例・sedation例を除く)7例の発症年齢は16〜75歳。意識障害の原因は脳炎・脳幹脳炎計4例、非痙攣性てんかん重積2例、薬剤性2例、脳出血1例。昏睡期間は1〜18ヵ月。
 有効治療はganciclovir+高力価免疫グロブリン2例、抗てんかん薬2例、vidarabine2例、薬剤中止・減量2例ほか。3例で転医あるいは診療チーム変更が治療契機。
【結論】意識障害遷延例であっても、綿密な検索と新しい治療法の適用により潜在的に治療可能な例が存在する。その適切かつ早期の発見・治療は極めて重要である。

 


262-263

岐阜県立下呂温泉病院

腹臥位療法がADL・精神面に効果、家族との愛情を持った関わりも影響

*今井 美香子:遷延性意識障害患者に行なった腹臥位療法によるADL、精神面への効果:岐阜県立下呂温泉病院・健康医療フロンティアセンター年報、33、75−78、2006

 症状が固定し機能回復の期待できなかった遷延性意識障害患者2名に対して腹臥位療法(有働式)を行った。

 症例1は57歳女性で右脳梗塞、発症から3ヵ月で当院に転院。腹臥位療法施行前はFIMスコアが23点、腹臥位療法を48日間施行後30点に改善した。

腹臥位療法前 腹臥位療法後(48日後)
嚥下機能:経管栄養、顎関節拘縮で開口できない 全介助で1日1回食事摂取、数口は自力で摂取可能、2cm開口できる
排泄:オムツ内失禁 尿意は訴えられないがトイレに連れて行くと排泄できる
移動:全介助、左下肢で支えられない 全介助であるが以前より立位が安定してくる、トイレの手すりにつかまれる
リハビリテーション:集中力がなく指示が入らない 自発的行動が増え、立ち上がり時に左手で柵をもち、左下肢の振出が指示なしで可能
精神面:「あ〜」の小さい発声、表情が乏しい。イエス・ノー程度の首振りジェスチャーで意思表示する 大きい発語がある。言葉で挨拶や返事ができる、左手を使ったジェスチャーで意思表示ができる。笑顔が多くなり、涙を流すなど表情が豊かになった
家族:患者へのケアに一切関わろうとしていない。在宅介護など不可能と思っている 来院時患者のケアに参加する機会が増える。患者の好みの食事を作って持ってくる。転院後4日間外泊、「家で過ごすと表情が良く、家で生活することは大切」と家族の言葉あり。

 

 症例2は21歳男で外傷性急性硬膜下出血・脳挫傷、受傷より8ヵ月で当院に転院。腹臥位療法施行前はFIMスコアが17点、腹臥位療法を99日間施行後24点に改善した。

腹臥位療法前 腹臥位療法後(99日後)
嚥下機能:経鼻経管栄養、顎関節拘縮で開口できない、欠伸時1cm程度の開口。唾液・流涎が多かった 全介助で1日1回食事摂取、欠伸時大きく開口できる。唾液を飲み込むようになり、流涎は見られなくなる
排泄:ほとんどオムツ内失禁、まれに用手排尿。尿混濁あり。 尿意を訴えられないが、用手排尿の回数が増える。尿混濁がなくなる。
移動:看護師2人で全介助 車椅子への移動介助は家族が1人でもできるようになる
リハビリテーション:外部の刺激に対して反応を示さない、指示に関係なく離握手する 電動車椅子の操作盤を動かし、ほぼ直線なら移動ができるようになる。指相撲・ジャンケン・指きりができる
精神面:発声なし、瞬きでイエス・ノーがたまに示せる。表情はないが、テレビを見ている時だけ、ニヤッと笑うことがある。常に流涎あり。笑うなどの反応は全く無い。 小さい「う〜」「あ〜」という発声がある。「痛タタ」と発語あり。瞬きでのイエス・ノーをはっきり示す。たまにうなづいて返事ができる。流涎をタオルで拭ける。テレビを見ている時、声を出して笑う。「バイバイ」と左手を振る。好きな音楽、友人との面会、スタッフの話によく笑う。
家族:患者へのケアに関わろうとしていない。不安が大きい。在宅介護など不可能と思っている。現状が受け入れられない。どうしたらいいのかわからない。 母親がオムツ交換、食事介助をする。よく話しかけている。両親とも車椅子への乗車介助をする。今後に希望が持て、病院に来て患者に関わることを楽しみにしている。いずれは在宅介護をしたいと思うようになる。

 


264-265

原土井病院

嚥下訓練の開始で意識レベルが改善、歩行も介助レベル、3食自立にて経口摂取が可能となった

*梶谷 祐子:嚥下訓練開始がADL向上に寄与したと考えられる症例、日本摂食・嚥下リハビリテーション学会雑誌、9(3)、333、2005

 77歳女性、2002年1月クモ膜下出血、脳梗塞を発症。V−Pシャント術、気管切開術を施行。同年5月胃瘻造設目的で当院へ転院。この間、嚥下訓練は未施行であった。ST初診時、追視や左上下肢の自動運動はみられたが、遷延性意識障害により意思疎通は不良、簡単な従命も困難であった。口腔器官の動きは全く認められず、重度の嚥下障害と判断した。
 家族の希望で口腔ケアと間接訓練を行ったところ、嚥下反射が頻回に認められるようになり、ゼリー1日1食から経口摂取を開始した。その後、精神機能が改善し、重度失語症は残存していたが状況理解力が向上、ADLも歩行が介助レベルとなる等の向上がみられ、それとともに嚥下機能も改善、最終的には3食自立にて経口摂取が可能となった。

 

閉じ込め症候群患者の精神面の看護を重視し、コミュニケーション拡大

*西島 年江:閉じ込め症候群患者のコミュニケーションの援助 透明50音表、湯浅式口対面コミュニケーション法等を利用して、看護技術、36(3)、335−339、1990
*手島 展子:閉じ込め症候群患者のコミュニケーションの手段について、日本看護学会20回集録 老人看護、97−100、1989

 58歳男性は、1987年6月16日に意識不明となり国立病院に緊急入院、脳幹部梗塞による閉じ込め症候群と診断される。約6ヵ月間のリハビリテーションを行った結果、首の動きや目の動きなどは出てきた。しかし、それ以上の回復は望めず、自宅での介護も困難なため当院へ転院となった。
 
 透明プラスチック板に50音表を記入し、50音表の正面を患者に向け、看護婦は患者の向かい側で裏面より患者の凝視した文字を一つ一つ読み取り文章にしていく。思ったより患者は上手に使用できた。
 一般患者用のナースコールを、軽い接触で反応する脊椎損傷者用の接触型ナースコールに変更し、訴えを知らせることができるようになった。
 よく訴える言葉をカードにしたり、目の動きで“イエス”“ノー”が簡単にわかる合図を決めたり、リハビリテーションを兼ねた開口による合図なども決めることができた。
 患者と看護師間のコミュニケーションは拡大した。しかし、身体上の訴えだけでなく、「妻とこうして何でも話せたら」、患者にとって心の支えである妻との語り合いをもっと深めたい、という気持ちがあることを知った。
 妻は、会話することよりリハビリテーションのみを重視しており、患者と妻の間に気持ちのずれがあることがわかった。これからの人生を大きな障害をもった夫を支えながら過ごさなければならない・・・・・・そう思うと不眠が続き、キッチンドリンカー的な生活にまで陥ったという妻の思い、その立場を十分理解できずに看護が成り立つことはない。50音表を活用し、患者と妻のコミュニケーションの拡大ができることを目標とした。
 自由な形式で、患者に関する情報を記録する情報交換ノートから得た情報をもとに、妻と多くの会話を持った。妻の知らない患者の情報を伝えることで、現状を知ってもらった。患者と妻の会話の橋渡しをした。50音表のデモンストレーションを行った。50音表を使用し、妻が患者と会話する機会が多くなるような場面作りをすることを心がけた。
 
 透明50音表は言葉の代わりとしての機能を果たし、今では家族の中の出来事、地域のこと、友人の話題など多くの会話が交わされるようになった。発病した時は障害者になった夫を、また父(製鉄会社役員で町会議員)をあまり人前に出したくないと思っていた家族が、今、喜んで息子の結婚式でビデオを流すことを楽しみにしている。
 この心の変化は、まさに患者自身の生きる姿勢がそうさせたのである。今、患者は入院当初とは比較できないほど表情が豊かになり、病室からは妻の明るい笑い声が聞こえる。

 


266

香川大学
脳神経外科

非侵襲的な経頭蓋磁気刺激法刺激療法により、発症後180日の患者意識が改善

*河井 信行:【ニューロモデュレーション 疼痛の治療とその周辺】 意識障害 磁気刺激 遷延性意識障害患者に対する経頭蓋磁気刺激法、ペインクリニック、26(別冊秋号)、S425−S431、2005

 非侵襲的に脳を直接刺激することのできる反復的経頭蓋磁気刺激法刺激療法により、クモ膜下出血の64歳女性を発症後180日目から刺激したところ、意識障害スケールが刺激前の7点が9点に改善した。 
 
  同論文は、発症後45〜60日から刺激した5名の患者も意識障害スケールで2ポイント以上改善した。一方で、発症後45〜130日から刺激した7例の意識障害は変わらなかったことも報告している。

 


267

昭和大学藤が丘病院
神経内科

抗痙攣薬の減量で数分間覚醒、痙攣発作と薬物投与で6ヵ月後介助歩行可能に

*今川 篤子:痙攣発作後に一過性の意識状態の改善を繰り返した頭部外傷後意識障害の1例、臨床神経学、45(7)、535、2005

 58歳女性、経過6年のパーキンソン病。57歳時、頭部外傷により脳挫傷と外傷性くも膜下出血および水頭症をきたし、無動無言状態となった。VPシャント術や1-dopa大量投与にも反応せず、事故後6ヵ月で当院に転院。
 抗痙攣薬を減量したところ、全身強直性痙攣を機に数分の覚醒が得られた。TRH、pramipexpleの投与後、さらに4回の痙攣発作があり、そのたびに覚醒と自発運動の発現を繰り返した。1ヵ月後には恒常的にレベル良好となり、6ヵ月後に介助歩行可能となった。
 本症例の無動無言症は前頭葉障害が主体と考えられ、痙攣発作と薬物投与がドーパミン・セロトニン系を賦活化して発動性の改善をもたらしたものと考えられた。

 


268

釧路市立釧路総合病院

在宅人工呼吸療法に向けて日常生活活動を拡大、3食経口摂取可能、歯を鳴らして母を呼ぶ

*鈴木 直美:在宅人工呼吸療法を目的とした家族への技術指導 自発呼吸がなく,遷延性意識障害のある患児の1例を通して、市立釧路総合病院医学雑誌、17(1)、11−15、2005

 9歳男児は1999年8月交通事故にて頸髄損傷、脳挫傷、当院ICU収容。自発呼吸がなく呼吸器装着する。徐々に状態安定するが呼吸中枢の障害により呼吸器離脱は不可能である。2002年9月在宅療養目的にて小児科病棟転入。「泣く」「笑う」の表情があるが、意思疎通は図れない。 
 2002年10月21日〜2002年11月3日:2回食(主食・7分、副食・ペースト)→主食を全粥へ→経管栄養中止 
 2002年11月4日〜2003年1月3日:3食経口摂取、シャワー浴月1回、車椅子初乗車、尿道留置カテーテル抜去、声をかけた方を向く、車椅子2週に1度に変更 。 
 2003年1月4日〜2003年6月30日:シャワー浴毎週1回に変更、車椅子に呼吸器のせて散歩、水分中止・経口水分摂取、胃チューブ抜去、歯を鳴らして母を呼ぶ、車椅子1日2回乗車・屋外散歩

 


269

土浦協同病院
神経内科病棟

早期から家族の熱心な参画、多くの外的刺激により、医師が難しいと言った経口摂取を確立

*箕輪 香織:看護における家族介入の効果〜遷延性意識障害患者の意識回復、経口摂取確立までの看護〜日本農村医学会雑誌、53(3)、415、2004

 交通事故で頭部外傷、横隔膜破裂の29歳男性は、入院当初、医師からは経口摂取までの回復は難しいと言われていた。第20病日、ベッドサイドでのリハビリ開始。第60病日、気管切開、左胸腔開窓の状態でICUから当病棟に転棟。JCS−V−200。
 転棟時から「家族の声、好きだった音楽を聞かせる、清潔援助を通してスキンシップを図る、口腔への刺激を与える」などの援助を日課表にして家族と共に継続して行った。第129病日、左胸腔閉窓術、胃瘻造設。第180病日頃より何度も繰り返し指示を出すことで、指示を行うような変化がみられた始めた。
 今までの援助に加えて、入浴による温感、触感刺激を与える、日中は車椅子乗車を積極的に行うことにより視覚を刺激する、二者択一で返答できる問いかけを多くするなどの援助を追加した。その結果、第195病日頃から、手振りや首振りではあるが自分の意思を示すようになった。また、それに伴い口唇、舌の動きもみられてきた。
 患者の嗜好に合わせた味付けで口腔のアイスマッサージを行った結果、味覚の出現、唾液の嚥下、食べたいという意欲がみられ始めた。そこで次の段階として、家族とともに軟食訓練を開始した。
 第450病日頃より経管栄養と併用して昼食のみを開始、第450病日頃より飲水も誤嚥することなく摂取でき毎食全量摂取できるまで確立することができた。

 


270

国立病院機構久里浜アルコール症センター
内科

発症2年4ヵ月後に補中益気湯を投与。意識、脳波、ABRを改善、感染防御

*水上 健:私の一処方 補中益気湯が意識改善と脳波、ABRの著しい改善をもたらした脳出血後遺症による長期意識障害患者の1例、WE、8、7−8、2004

 55歳女性、2001年6月16日脳出血(左被殻)。手術適応なく保存的治療で救命されるも遷延性意識障害を認め、以後意識の改善なく誤嚥性肺炎を繰り返し、気管切開を施行された。2003年10月10日当院に転院。頭部CTでは第3脳室、側脳室拡大を認めた。出血の後遺症と思われる左側脳室の前方に不整形の低吸収域を認めた。脳波、ABRを検査後、11月4日に補中益気湯の経管投与を開始、2週間後には吸引される痰は著しく減少し、ネブライザーが不要となり、CRP値も低下した。12月には周囲の物音への反応ととれる体動や胃管交換時のいやがるような体動、声かけに対する注視がみられた。ABRでは波形全域にわたり分離が良好となり、橋〜中脳の障害が改善していることが示唆された。入院中にMRSA感染を起こすことなく、翌年2月に再度転院した。

 


271-273

自衛隊中央病院

(東京都世田谷区)

理学療法、作業療法によって手指による意思疎通実現

*光田 美智:遷延性意識障害を伴う重度四肢麻痺患者の意思疎通拡大への試み、作業療法、23(特別)、231、2004

 41歳男性、2001年12月25日小脳出血を発症。脳ヘルニア、意識障害、四肢麻痺を合併。2002年1月29日より理学療法が開始。再現性のある反応はほとんど認められず、血圧は不安定で意識レベルは二桁。2002年12月頃から意識状態のよい時に右手での反応が見られ、2003年2月からは口頭指示でのグー・チョキ・パーなどの動作がみられるようになった。
 2003年3月3日作業療法開始。全般的に閉眼状態が多く、声かけに対して右手を握るか母指を立てて反応するが、再現性乏しい状態が続く。2003年7月〜8月、コミュニケーションとしては「YES」は母指を立てる、「NO」には母指を握り込む表現が定着し、YES、NOの区別が明瞭となった。この方法は病棟生活でも日常的に使われるようになった。療法士が口頭で50音を読み上げ、本人が表現したい文字に右手指で反応し、単語や文をつくる練習を試みた。趣味や家族構成などの質問のやりとりが可能であり、家族からの情報と一致していた。2003年9月〜、コミニュケーション面では、50音の反応速度が速くなり、依然として声かけを要するが、体調不良を訴えたり、指差しがみられるようになる。リハビリでの希望を表現するようになる。

 

脊髄電気刺激療法により植物症分類1〜2段階改善、拘縮も改善

*城谷 寿樹:植物症に対する脊髄電気刺激療法、防衛衛生、48(6)、153−158、2001

  1. 橋出血の56歳男性は、太田の植物症分類にて完全植物症。発症から3ヵ月後に脊髄刺激療法を施行。刺激を開始すると2日後に開閉眼にて命令に応じるようになり、さらに眼球の上下運動や四肢末梢部位のわずかな動きにて簡単な意志疎通が可能となり、意識状態は太田の植物症分類にて移行型植物症(TVS−2)へと2段階改善された。
     
  2. 頭部外傷の49歳男性は、不完全植物症。発症から4ヵ月後に脊髄刺激療法を施行。意識状態は移行型植物症(TVS−2)へと、症状は1段階改善された。

当サイト注:この論文は、発症から2ヵ月後に脊髄刺激療法を施行した頭部外傷の30歳男性(不完全植物症)が、植物症を脱却したことも報告している。
 また、頭部外傷の51歳男性(不完全植物症)には発症から6ヵ月後に施行。拘縮は改善したが、意識の改善はほとんど認められなかった。蘇生後脳症の21歳女性(不完全植物症)には発症から7ヵ月後に施行、意識の改善はほとんど認められなかったことも報告している。この患者の拘縮の改善の有無については、記載が無い。

 


274-283

静岡リハビリテーション病院

脳出血患者と脳挫傷患者の5割が意識回復、脳梗塞患者の1割社会復帰。安易に転院させず、中枢神経抑制剤を中止して積極的にリハビリテーションを

*白坂 有利:脳梗塞遷延性意識障害患者の転帰、脳卒中、26(1)、303、2004

 1990年〜2003年の間に当院に入院した脳梗塞遷延性意識障害患者100例は年齢が65.5±13.5歳。当院観察期間は、発症から4.5±6.5ヵ月。全例ともに当院入院時は経鼻あるいは経胃ろう経管栄養にて管理されていた。また、予防投与されていた抗てんかん剤および向精神薬を入院早期から可能なかぎり中止し、リハビリテーションとして理学、作業、言語療法を全例に施行した。転帰は、居宅15例、老人病院55例、老人保健施設18例、特別養護老人ホーム2例、死亡10例。居宅患者のうち10例が社会復帰した。

 

その他の同施設からの報告

*白坂 有利:脳出血遷延性意識障害患者の転帰、脳卒中、25(1)、172、2003
 医療保険制度の改変および介護保険の導入によって、脳出血遷延性意識障害患者は発症早期から施設あるいは老人病院へ移管される傾向にある。
 1990年〜2002年の間に当院に入院した脳出血遷延性意識障害患者100例は年齢が72.5±12.5歳、当院観察期間は 、発症より3.5±1.0ヵ月〜6.0±3.5ヵ月の間であった。全例ともに当院入院時は経鼻あるいは経胃ろう経管栄養にて管理されていた。また、予防投与されていた抗てんかん剤および向精神薬を入院早期から可能なかぎり中止し、理学、作業、言語療法を全例に施行した。
 意識が回復した症例は50例(回復率50%)であり、回復までに発症から5.5±1.8ヵ月を要した。転帰は、居宅15例、老人病院69例、老人保健施設10例、特別養護老人ホーム6例。居宅患者のうち10例が社会復帰した。
 脳出血遷延性意識障害患者においては、発症早期から安易に後方病院あるいは施設に移管することなく、中枢神経抑制剤を中止し、積極的にリハビリテーションを試みる必要があることが示唆された。

*白坂 有利:遷延性意識障害患者におけるリハビリテーション、脳卒中、24(1)、122、2002
 1995年〜2000年の間に当院に入院した遷延性意識障害患者20例のうち、 脳血管障害群は14例中11例(78.6%)が意識改善し、改善まで発症から7.0±2.5ヵ月を要した。脳挫傷群は6例中3例(50%)が意識改善し、改善までの期間は9.3±3.2ヵ月であった。

当サイト注:脳卒中25巻1号と24巻1号は、意識回復率を50%あるいは78.6%としており、遷延性意識障害以外の患者も対象にしている可能性があるため、脳卒中26巻1号の社会復帰例のみカウントした。

 


284

倉敷リハビリテーション病院

17ヵ月経過後にリハビリ開始し在宅介護可能に。怒り・笑いの感情出現、意識集中時間延長

*石井 雅之:遷延性意識障害、ねたきり状態で経過した外傷性脳損傷患者に対し,リハビリテーション治療が有効であった症例、リハビリテーション医学、40(Suppl)、S350、2003

 交通事故による外傷性脳損傷が原因で発症から遷延性意識障害が継続し、ねたきり状態の24歳女性患者。発症から約1年5ヵ月経過した1999年8月、在宅での介護を家族が希望し、リハビリテーション開始時、意識状態は日中覚醒し開眼するものの、指示に従うことや意志を持った運動は認めなかった。
 2ヵ月訓練後、聴覚的理解の改善がみられ、簡単な命令であれば意志疎通が得られ、訓練時に輪を棒に送り込む動作や靴の中に足を入れる動作などが企図的にみられた。座位耐久性と同時に全身耐久性も向上し、食事が介助にて可能な状況となり退院。
 外来にて継続的に訓練を行い、2000年春に怒りの感情出現、2000年夏に笑いの感情出現し意識の集中時間の延長が見られた。1999年12月ではデルタ波中心であったものが、2000年12月では右後頭葉にアルファ波の出現が見られた。P300検査で認知面の改善と継続的な維持ができていることが示唆された。

 


285

聖マリア病院

生後7年来の意識障害児が、養護教諭の訪問教育ではっきりした笑顔を見せた

*田中 敏子:訪問教育が意識障害児に与えた効果、聖マリア医学、28(1)、45、2003

 7歳男児、生後より水頭症による遷延性植物状態があり、人工呼吸器を装着中。半年間、週3回各2時間の養護教諭による訪問教育を行った。訪問教育前には、患児の自発的な体動や表情はなかったが、実施後、上肢。頭部の自発運動やはっきりした笑顔を認めた。
 訪問教育前後の患児を取り巻く状況は、【視覚】ベッド周囲の単調な光景のみであったのが、起座位で授業を受け、絵本・花・果物・ビデオなどが視覚に入るようになった。【聴覚】医療機器やスタッフの声が、歌や音楽に変化した。【触覚刺激】看護・介護で触れるスタッフの手が主であったが、他動的に教材や道具に触れることができるようになった。
 本例は訪問教育であったが、遷延性意識障害患者に対しては意識障害の改善の糸口である刺激の重要性を認識し、看護に組み入れることが重要である。

 

参考:救命後の意識障害患者に積極的リハビリ刺激療法

*田中 準一(雪ノ聖母会聖マリア病院救命救急センターICU):遷延性意識障害患者への積極的リハビリ刺激の試み、日本集中治療医学会雑誌、15(Suppl)、272、2008

 救命後、意識回復が十分でない2名の患者に、朝夕2回の理学療法士によるリハビリと家族による声掛けと皮膚マッサージの他に、ベッドサイド型下肢運動療法装置(TEM LX2)、空圧式手指関節可動域改善治療器(Romover)等を用いて、長時間の積極的リハビリ刺激を行った。積極的リハビリ刺激後に急速な意識レベル回復がみられる。

注:この報告は短文のため詳細不明だが、図によると受傷9日目から理学療法士によるリハビリと家族による声掛けと皮膚マッサージ、50数日後から装置・治療器を用いた模様。

 


286-291

愛知医科大学
麻酔科ほか

新たな認知応答モニタリングが重要、トランポリン運動と生音楽演奏が効果

後藤 幸生:音楽運動療法による不全型植物状態患者の脳神経機能賦活 特に情緒・バイタル面での検討、脳卒中、24(3)、371−378、2002

 75歳女性、左視床出血7ヵ月目で音楽運動療法を約50分にわたって実施。数日後、病室で話しかけると、病後初めて僅かな笑顔を見せ周囲を驚かせた。

 

 以下は、単行本の野田 燎、後藤 幸生:脳は甦る 音楽運動療法による甦生リハビリ、大修館書店、2000より

  1. 右内頚動脈破裂による右前頭葉脳内出血の43歳男性、発症3ヵ月経過してから音楽運動療法を開始。この時点では、自発開眼はあるものの、指示にはまったく応じず、四肢硬直および拘縮をきたし、自発言語もなく、食事は経管栄養。
     1回30分の療法でトランポリンでの運動、歩行運動により6ヵ月後、自力歩行が可能になり、言葉も話せて、字が書けるようにもなった。26回の音楽運動療法の末、1年後に独歩退院。
     
  2. 交通事故による右急性硬膜下血腫、脳挫傷の22歳男性は緊急開頭手術を受けたが遷延性意識障害になり約1年3ヵ月後には両側視神経萎縮があり全盲。上肢が少し動かせたものの四肢の拘縮が強く、指示に応じず、食事は経管栄養。頭蓋形成術と脳内腹腔シャントを施行、発症16ヵ月後から音楽運動療法を開始。
     父親の叩く岸和田のだんじり太鼓に関心を示したため、音楽運動療法の開始3ヵ月後、友人でつくる青年団に集まってもらい、トランポリンの上下運動にあわせて祭りの太鼓や笛を吹いてもらうと、「うーん、うーん」と喜ぶような声を発した。その2ヵ月後、入浴の際、看護婦に「さむい」という言葉を発した。
     
  3. 高所より転落の47歳男性、左急性硬膜下血腫、脳挫傷により緊急開頭術。頭蓋形成術、脳室腹腔シャント術を受けたものの意識障害がつづき、自発開眼があっても呼びかけには反応を示さず四肢拘縮。
     発症から7ヵ月目に音楽運動療法を開始、第4回目に右上肢が上手に動かせるようになり、第5回目に右手で持った食べ物を口に運び食べられるようになる。第7回目には右手で眉毛を掻いたり、パジャマのボタンをはずしたりするようになる。第9回目にはトランポリン上でうつぶせに寝かせ、音楽を聞かせると両下肢を伸展するようになる。療法中は筋緊張がとれるが、終了後は効果が持続しない。顔の表情が豊かになったが命令動作には応じない。
     
  4. 大動脈置換術施行の直後、心腔内血栓が生じ脳梗塞を発症、強い意識障害が持続し、10ヵ月後には自発開眼があるものの指示には従えず、強い拘縮により四肢は屈曲、自発的な動きは見られず気管切開のため経管栄養。
     発症から10ヵ月後、第1回目の音楽運動療法を実施、第3回目に左上肢に自発運動が少しだけ見られ、座位姿勢では首の安定性がよくなった。寝ている時に呼びかけると、目を開き声のする方向をみるなどのわずかな改善がみられた。第6回目に座位姿勢の時、唾液がこぼれるよそれを右手で拭き取るような仕草をする。右上肢の自発運動の改善も認められたものの、嗅覚刺激や食べ物にまったく反応しない。合計14回の療法を実施したが、これ以上の改善はみられず、音楽運動療法は中止した。
     
    以上の4例はp115−p121に掲載
     
  5. 1988年にクモ膜下出血、脳動脈クリッピング術に仕事に復帰、1995年9月に意識障害で倒れた男性は、硬膜外電気刺激で首の座りがいくぶんよくなったが、明らかな意識レベルの改善はなかった。名前を呼ばれると開眼するが、自発言語なし。感情失禁状態で指示に応じない。
     1997年10月より音楽運動療法を実施、半年後には声かけに対しても反応するようになり、1999年秋頃からは顔つきもしっかりしてきて、奥さんが帰ってきて「ただいま」というと「ううう」と返答するかのように発声する。訪問介護者の「風呂に入るよ」という声かけに一瞬、表情がゆるむことがある(p227−p228)。

 

 以下は参考

後藤幸生:1/fゆらぎ応用心拍リズム解析法で意識障害・情動回復レベルを評価する、日本集中治療医学会雑誌、15(Supple)、246、2008

 【目的】意識消失無反応でも、もしかして認知しているのでは?これを検出するため心拍リズムが情動に影響を受けることに基き自律神経反応の一つとして、これら成分の検出が不可能だった周波数解析法に代わり1/fゆらぎ応用心拍リズム解析法を用い交通外傷意識障害回復過程約70日間を追跡し検出可能かどうかを検討した。
 【方法】約1週毎に音楽聴覚刺激など五感刺激チャレンジテストに対するHRVを1/1000秒単位でメモリー心拍計にて計測記録、これを30秒間隔1時間連続解析した。
 【結果】予期せぬ事故でICU入室した患者は急速にそのバイタリティが低下したが10日目を最低に次第に回復に向う。半月目頃の過剰興奮期を過ぎ1カ月臨床的には意識が出たかにみえるが、データ上は無意識反射に近く、1.5カ月日頃に初めてデータ上の情動反応が検出できた。

 

*後藤 幸生:植物状態患者における各種刺激の認知応答信号モニタリングの重要性、日本集中治療医学会雑誌、10(Suppl)、180、2003

 いわゆる不全型植物状態で通常の中枢神経モニタリングで認知反応がなくても、正常な高次の調節なしに大脳皮質下部からの反射で遠心性になんらかの生体信号を発信しているのを、見逃してはならない。この中には、情動的な動き、そして生命維持活動に直結する自律神経系のバイタル信号が含まれる。・・・・・・これら遷延性意識障害の病状の新しい負荷試験判定法を通じ、脳波などで得られない認知応答モニタリングの重要性について述べる。

このほかの後藤氏らの論文
*後藤 幸生:ICU末期無意識状態での情動バイタルを心拍動リズム解析法で読む、日本集中治療医学会第14巻(Supple)、242、2007
*後藤 幸生:意識障害患者の心拍変動リズムと情動変動 心拍変動時系列解析による情緒バイタル指数を用いて、麻酔と蘇生、38(1)、32、2002
*後藤 幸生:情緒バイタル指数 意識障害患者の'こころ'を数値で示す試み、日本集中治療医学会雑誌、9(Suppl)、153、2002
*後藤 幸生:遷延性意識障害患者に優しい脳リハビリテーション 音楽運動療法 心地よさ指数"を指標に"、総合リハビリテーション、29(3)、269−273、2001

 


292-294

倉敷中央病院
リハビリテーション科

音楽刺激とトランポリン運動が1回目から効果

*中崎 喜英:脳損傷後,遷延性意識障害に対するリハビリテーション 音楽運動療法を施行した3例の紹介、倉敷中央病院年報、65、143−145、2002

  1. 79歳女性は、左慢性硬膜下血腫、術後高血圧性脳内出血。音楽による刺激とトランポリンによる上下運動の組み合わせによる音楽運動療法を週1回施行したところ、1回目施行翌日、家族は「今日は全然表情が違う、目が合うし、私を追っている、良いほうの手を動かして私の手をにぎる」。
     
  2. 交通事故による頭部外傷の28歳男性は、音楽による刺激とトランポリンによる上下運動の組み合わせによる音楽運動療法を週1回施行したところ、第1回目より家族は「見たことのない表情だった」。以後、施行に伴ない、表情の変化、周囲への関心や意志の表出もみられるようになった。
     
  3. 交通事故による頭部外傷の36歳女性は、音楽による刺激とトランポリンによる上下運動の組み合わせによる音楽運動療法を週1回施行したところ、,第1回目より家族は「見たことのない表情だった」。以後、施行に伴ない、表情の変化、合目的な運動が出現、周囲への関心や意志も表出するようになった。

 


295-299

高山赤十字病院

トラボール音楽・運動療法により最重症のクモ膜下出血患者が、経口摂取可能となり自宅退院

*竹中勝信:脳血管障害後の遷延性意識障害患者に対するトラボールを用いた音楽・運動療法の検討、リハビリテーション医学、39(Suppl)、S203、2002
*都竹 智子:遷延性意識障害患者に音楽運動療法を試みて、高山赤十字病院紀要、25、68−72、2001

 脳血管障害患者のうち、発症より3ヵ月以上を経過した遷延性意識障害患者6名。ひょうたん型の大きなボール(トラボール)に患者を座らせ、介助者が背後から支え、音楽を流し患者を上下に揺らしてリズムをとる。このトラボール音楽・運動療法を5〜10分間、ほぼ毎日1〜3ヶ月間行った。

  1. 右被殻出血で発症し血腫除去術後1年5ヵ月経過の57歳女性は、音楽運動療法施行1ヵ月後にはスプーンを持たせると口に運ぶ動作が見られ、2ヵ月後は「おは(よう)」「こんばんは」などの発語を認めた。遷延性意識障害度スコアー59点(完全植物状態)から48点(不完全植物状態)に改善。
     
  2. 左被殻出血で発症し保存的治療にて3ヵ月経過の63歳女性は、音楽運動療法施行1ヵ月後には体動を激しくする事で失禁を知らせるようになり、2ヵ月後には自力で体位変換や立ち上がりもできるようになった。遷延性意識障害度スコアー56点(完全植物状態)から21点(脱却)に移行した改善。
     
  3. 最重症であったクモ膜下出血後の患者は、3ヵ月後に自力にて経口摂取可能となり、自宅退院した。
     
  4. 他の3例のうち2例は、ほぼ不変(笑いが出現)、1例は嘔吐のため今治療を中断せざるをえなかった。

 


300-301

国立療養所西鳥取病院

鳥取市

発症8ヶ月後に治療変更、運動機能の軽度低下以外はほぼ回復

*下田 光太郎:脳炎後の遷延性意識障害、四肢麻痺が約1年後に全快した1例、神経治療学、18(5/6)、496、2001

 48歳女性は軽い感冒症状に続き意識障害が進行、脳炎と診断されアシクロビル3週間使用した。入院後痙攣発作が頻発し重積状態となり一時、人工呼吸管理を要した。その後、高度の意識障害、四肢麻痺、球麻痺状態が持続した。ステロイドパルス療法が施行されたが状態は不変であった。
 発症8ヶ月後に当院に転院し、抗痙攣剤の減量、TRH、シチコリン、アマンタジン、アニラセタム等を使用したところ、徐々に意識状態の改善が認められた。嚥下反射の出現や意思の表出が可能となったので、気管切開孔の閉鎖を行った。その後、約2月の経過で高次脳機能と運動能の改善が徐々に認められた。その後は順調に回復し、3月後には一部手指関節の拘縮と下肢の筋力低下、さらに発症1月前より発症後1年2月の間の健忘を残して独歩退院した。現在、運動機能の軽度低下以外に症状はほぼ認めない。

 

droxydopa により意識状態が改善

*下田 光太郎:脳血管障害後遺症に対するdroxydopaの効果 ノルアドレナリンの中枢作用についての考察、神経内科、42(5)、425−430、1995

 両側の再発性脳内出血後の四肢麻痺、植物状態で発症経過年数4.5年の46歳女性に droxydopa と carbidopa を使用したところ、意識状態の改善、左手足の随意運動、命令に対する反応を認めた。薬物を一時的に中止したところ、改善した症状は元に戻った。再投与により症状はさらに改善し持続、左手でペンが持て命令に対してそれを動かせ、さらにさまざまな神経症状の改善を認めた。自発言語はないが了解が明らかになった。約1年後に薬物を中止したが、この時には症状の悪化は認められなかった。

*下田 光太郎:L-threo-DOPSが著効した遷延性意識障害患者、神経内科、39(4)、411−415、1993も同症例とみられる。

2度目の脳内出血後に脳ヘルニアを起こし約4年間にわたり遷延性の意識障害を呈していた46歳女性は、除脳硬直、問いかけに対する反応はなく、痛み刺激にもほとんど反応しなかった。
 この状態でL-threo-3,4-dihydroxyphenylserine(L-DOPS)を600mg/日を投与、1週間後より表情の明らかな変化を認めだし、呼びかけに対してその方向を向き、左上肢を握り返すなどの反応を認めた。900mg/日まで増量し、レボドーパとカルビドーパの合剤を加えたところ、その症状の改善はさらに明らかなものとなった。
 これら薬剤をすべて中断すると7日目頃より明らかな症状の後退を認め、反応性が乏しくなり元の植物状態へ返っていった。再びこれらの薬剤を使用したところ、症状の改善はさらに続き、気管カニューレを自ら取り除いたり、左下肢の随意的な運動も徐々に認められてきた。
 現在はベッド上坐位で音楽などを聞いたり、娘が面会に来たのを喜び、孫の呼びかけに涙を流す状態にまでなった。

  1. 両側の再発性脳内出血後の四肢麻痺、植物状態の68歳女性に droxydopa と carbidopa を使用したところ、約2〜3週間後より意識状態の改善と反応性の改善を認めた。明らかな表情の変化と意志の表示を、首の運動で伝えられるようになった。
     
  2. くも膜下出血後の四肢麻痺、高度痴呆状態の61歳男性に droxydopa と carbidopa を使用したところ、著明な症状の改善を認めた。痴呆状態から反応性の増加や意識全般の改善を認めた。容量依存的に多弁多動状態になった。半年後の薬物中止、再投与によっても急激な症状の変化はなかったが、長期的にみると症状の改善は明らかで、とくに意欲、表情、発語量、さらに運動機能に著明は改善を認めた。

当サイト注:この論文は、脳底動脈血栓症後の四肢麻痺、植物状態の73歳女性には、薬物投与の効果がまったく認められなかったことも報告している。

 


302

大分市医師会立アルメイダ病院

半強制的な視覚刺激によって、植物状態後期から植物状態脱却期に改善

*佐藤 智彦:【心とからだに効く最新リハ】 遷延性意識障害に対する視覚刺激療法 アイトレックを用いた視覚刺激の検討、ブレインナーシング、16(12)、1404−1410、2000

 ヘルペス脳炎の49歳男性は、発症から約1ヵ月半後には逃避反応、眼球の追視運動や若干の発語、簡単な命令反応などがみられる遷延性意識障害患者のグレードV(植物状態後期)の状態となり、ここから意識はレベルアップしなかった。
 入院5ヵ月目より、眼鏡型映像テレビ(アイトレック)にて映像を見せると、今までうつろだった目が輝きだし、食い入るように凝視しはじめた。急速に意欲・発動性・理解力が得られグレードW(植物状態脱却期)となり、発症8ヵ月後にリハビリ病院に退院となった。
 アイトレック視覚刺激療法によって一次視覚野である後頭葉に加え前頭、頭頂、側頭葉に血流の上昇がみられ、脳波上からもθ、α帯域からβ帯域へと速波化が得られたことで、明らかに脳血流、電気生理学的観点から有効と思われる。本法はグレードV以上の、開眼追視できる症例に最も効果がある。

 


303

横浜市立大学
神経内科

無動無言患者がチトクロン、ニコリン、ATPで発語

*西山 毅彦:間歇型一酸化炭素中毒の治療、神経治療学、17(5)、462、2000

 62歳女性は急性一酸化炭素中毒の1ヵ月後から無動無言状態となり、高圧酸素療法を受けたが症状は改善しなかった。
無言無動状態になってから8ヵ月後にチトクロンS30mg/日、ニコリン500mg/日、ATP40mg/日を処方したところ、極軽度の発語が見られるようになった。

 


304

津山市医師会立津山看護専門学校

人はどのような状態になっても意思や感情をもつ、かけがいのない存在であることを知った

*伊藤 志津子:その人らしく生きることを考える 遷延性意識障害患者を受け持って、看護学生、48(4)、58−61、2000

 66歳で脳梗塞を発症し、以後、遷延性意識障害の77歳女性。1999年7月5日の看護実習開始時には、実習生(伊藤氏)の声かけに対し眼球の動き、瞬きで反応した。
 
 実習2週間目:了解の時は1回瞬き、拒否の時は開眼したまま、あるいは閉眼のどちらかで反応する。
 
 実習3週間目:クラシック音楽をかけ、実習生の問いかけと瞬きによる反応で音量調整ができた。脈拍が、軽快なリズムの時は増加し、ゆったりしたリズムの時は平常に戻る。レモン水による口腔ケア中の反応に対して、実習生が了解していることを言葉で返すと、必ず表情が穏やかになった。
 
 実習4週間目:病室に入る気配を、わずかながらでにも感じるようになってきた。実習生が声をかける前に気配を感じ取って視線を移し、実習生の動きに合わせて追視した。声かけへの反応も早くなった。雨ふりのニュースに合わせて声かけを加えると、首を動かし、外を見た。七夕飾りを持参すると、驚いた表情で目と口を大きく開いていた。寄り添って飾りを見ていると、目元が優しくなり穏やかな表情になる。

 


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