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症例数(通し番号として)
施設名
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出典および概要
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305
甲州リハビリテーション病院
山梨県
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シャント圧を下げヒルトニン療法で自力経口摂取、痛みを自ら訴える
*古屋 昌美:遷延性意識障害を伴った患者の褥創ケア、ブレインナーシング、15(7)、736−742、1999
クモ膜下出血、脳血管れん縮による脳梗塞、正常圧水頭症の59歳女性。1997年5月26日、意識障害が遷延し、正常圧水頭症にてVPシャント施行。7月30日、リハビリテーション目的で当院入院。
8月19日、シャント圧高値による意識障害との認識のもとシャント圧を下げ、9月3日〜13日、ヒルトニン療法を対症療法として施行後、徐々に発語が聞かれ笑顔も見られるようになり、ごく簡単な口頭指示も入るようになった。
1998年4月4日現在、セッティングにて自力経口摂取(約1時間)。立位介助量軽減し、車椅子を5mほど駆動する。リハビリ室の平行棒内において、担当者が付き添い、歩行が時々可能となった。発語(単語〜短文)で反応することが多くなった。表情として、笑顔やしかめ面がでるようになった。痛みのみ自ら訴えることができる。
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306
弘前大学
脳神経外科
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脊髄後索電気刺激療法で、睡眠・覚醒の反応が明瞭、開口や指の屈曲などの指示動作が明らかに
*高橋 敏夫:頭部外傷後の遷延性意識障害に対する脊髄後索電気刺激療法の1例、弘前医学、50(4)、242、1999
びまん性軸索損傷の47歳女性、受傷4ヵ月後に頚髄後索刺激療法を開始したところ、睡眠・覚醒の反応が明瞭となり、開口や指の屈曲などの指示動作が明らかとなった。
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307
小林記念病院
リハビリテーション科
愛知県碧南市
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*渡辺 佳弘:前頭葉性無動性無言を呈した1例に対する言語療法の試み、総合リハビリテーション、27(2)、165−168、1999
*渡辺 佳弘:無動性無言から超皮質性失語に移行した1例の経過による発話開始機構についての検討、失語症研究、18(1)、17、1998
クモ膜下出血、clipping術後、全くの無動無言状態を呈していた56歳女性。1996年7月30日、発症後6.5ヵ月時点から当院転院、初期には開口のみが介助により可能であったことからこれを導入部として利用、理学療法と言語療法を開始した。
開始1ヵ月後より徐々に自発運動が出現しはじめ、開始2ヵ月後にはアイウエオの口型模倣が可能となり、開始2〜3ヵ月後には自動言語の表出が一部可能となり、開始7ヵ月後には訓練者との同時発声が可能となった。開始8ヵ月後には3〜4文節文レベルの音読・復唱が可能となった。
呼称訓練は5ヵ月後頃より開始し、最終的には語頭音ヒントにより5割程度の成績を示すようになったが、自発語が認められるには至らなかった。
最終的な理解能力は、表情等から単語程度の理解能力はあるものと推察されたが、依然自発動作が困難であり、それ以上の精査は困難であった。
書字は訓練開始6ヵ月頃より丸や四角などの図形のなぞり書き、次いで模写が可能となり、殴り書きは消失した。
発症後12ヵ月頃から食物をスプーン上にセットすることにより自力摂取が可能となった。発症14ヵ月ではかなり豊かな表情を示すようになった。
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308
高岡市民病院
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無動無言状態で4年を経過した78歳男性が、意識を回復
*五百崎 佳津子:遷延性意識障害患者の感覚刺激による意識回復の援助 日課表に基づいてアプローチを試みた事例、日本看護学会論文集29回老人看護、131−133、1998
結核菌検出のため老人保健施設から転院してきた右脳梗塞の後遺症による遷延性意識障害で、無動無言状態で4年を経過した78歳男性。
視覚刺激により30日後には、視線が動き注視があり人の動きに追視した。触覚刺激にはアイスマッサージの時は最初から首をすくめる動作があった。運動覚刺激では、座位保持練習により血圧は10〜20mmHgの低下があり苦痛表情が見られたが、14日後には血圧が安定し、苦痛表情は見られなくなった。揺さぶり運動を開始し、22日後にはバランスを保とうとする動作が見られた。腹臥位実施により、28日後には頸部の後屈が緩和し、腰背筋、四肢の筋力増強と関節拘縮の介助につながり支持安定し、車椅子移動は一人の全面介助で可能となった。
援助を始めてから2ヵ月後には@自力座位10分間可能となったA日中傾眠傾向だったが、睡眠サイクルが確立したB言葉がけに笑顔が見られるようになったC問いかけに「ハイ」「オウ」と返事し、「オハヨ」「イタイ」と発語するようになった。他に意味不明の言葉あり良くしゃべるD経口摂取までには至らなかった。
座位姿勢を獲得できたことで血液循環が良くなったり、呼吸状態を変えたりという身体面、視野が三次元空間に広がることで開放的な気分になれるなどの精神的によい影響をもたらす因子であり、意識障害の回復につながった。
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309-312
公立角館総合病院
脳神経外科
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L-DOPSによる改善効果
*西野 克寛:脳卒中例における遷延性意識障害及び運動性失語症に対するL-DOPSの改善効果、Progress in Medicine、18(6)、1513−1518、1998
- 脳卒中の発症4ヵ月後にL-DOPSを投与した遷延性意識障害の66歳女性は、投与前JCS100から投与後はJCS10に改善された。
- 脳卒中の発症4ヵ月後にL-DOPSを投与した遷延性意識障害の57歳男性は、投与前JCS20から投与後はJCS3に改善された。
- 脳卒中の発症5ヵ月後にL-DOPSを投与した遷延性意識障害の74歳男性は、14日間・1日100mg投与前では無効だったが、家族の希望によりさらに2週間投与を延長した。約5週間後には開眼時間が延長し、口頭の命令に応じて下を出したり手を動かすようになった。
- 脳卒中の発症7ヵ月後にL-DOPSを投与した遷延性意識障害の71歳女性は、投与前JCS20から投与後はJCS3に改善された。
当サイト注:この論文は脳卒中発症後9ヵ月の77歳女性、同11ヵ月後の83歳女性には、効果が認められなかったことも報告している。
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313
埼玉県教育委員会
(施設名記載なし)
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*中嶋 弘子:音楽療法-言葉を越えたコミュニケーション apallial
syndrome(失外套症候群)患者への音楽療法的働きかけ、日本バイオミュージック学会誌、16(1)、60、1998
5年前に交通事故により失外套症候群と診断されている22歳男性患者。通常は家庭看護されているが、定期リハビリテーションで音楽療法をも受けることになった。
音楽療法士はまず、その患者とコンタクトを図るため、患者の呼吸の速度、リズム、緊張度、質などを読み取り、それにあわせ自らの声による即興的歌唱により患者に語りかけた。音楽療法のなかで患者は顕著な反応を現わしていく。患者と音楽療法士との間にコンタクト成立し、その患者のグラスゴー コーマスケール評価法に従うと、音楽療法時には通常の6点から8点への向上が確認された。
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314
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*渡辺 徹也:脳梗塞後の遷延性意識障害にドーパミン作動系薬剤が著効した1例、神経治療学15(1)、67-72、1998
69歳女性は脳梗塞発症後1年を経過しても、傾眠、食欲不振、無言、意欲低下を呈していた。眼輪筋反射(blink
reflex:BR)の回復検査では、興奮性の亢進を認めていた。
発症1年5ヵ月後より、lisuride
maleate,droxidopa,amantadine hydrochloride
の併用投与を行ったところ、投与後1週目ごろより昼間に開眼することが多くなり、食欲も出現し出した。
投与後4週目ごろには昼間には、ほぼ覚醒するようになり、簡単な問いかけに対して頷きをみせ、食事摂取もほぼ全量摂取可能となった。BRの回復検査でも興奮性の改善がみられた。
投与8週目ごろには簡単な挨拶をするなどの発語がみられ、リハビリ療法でも座位や遊戯やキャッチボールをするなど能動的な動きが目だってきた。BRの回復検査でも、さらに過興奮性の抑制が認めらた。
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315
公立昭和病院
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*古荘 純一:脳底動脈の解離性動脈瘤によりLocked-in syndromeを呈した7歳男児例 MRI検査の有用性について、
日本小児科学会雑誌、101(11)、1608−1611、1997
突然発症した頭痛、意識混濁、四肢麻痺の7歳男児。第4病日のMRIでは橋、小脳の広範囲に梗塞像を認め、脳血管造影では脳底動脈が起始部から造影されなかった。集中治療およびペントバルビタールの持続点滴静注を中止した6病日に意識レベルは回復したが、眼球運動はあるものの無言無動状態。脳底動脈の閉塞によるlocked-in
syndromeと考えられた。
発症4週後よりリハビリ開始し、徐々に開口、嚥下、顔面筋の運動が可能となり、発症10ヵ月経過後、介助により経口摂取、座位の保持が可能となり、発語はないが、頸の前後屈や手指を用いて意志表示が可能となった。発症10ヵ月後の血管造影にて血流の再開通が確認された。
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316
雄勝中央病院
脳神経外科
秋田県
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DCSにより植物状態を脱却
*柳田 範隆:Dorsal column stimulation(DCS) 重傷頭部外傷後の遷延性意識障害患者への試み、秋田県医師会雑誌、49(1)、72、1997
*柳田 範隆:Dorsal column stimulation(DCS) 重症頭部外傷後の遷延性意識障害患者に対する試み、秋田県農村医学会雑誌、43(1〜2)、70−71、1997
1994年10月25日、交通事故による頭部外傷の17歳男性は、2週間後のCTでは大脳深部白質を中心にびまん性軸索損傷の所見がみられ、約1ヶ月後に著しい脳萎縮を示した。受傷約1ヶ月後に不穏状態が持続し、その後は植物状態に移行した。
1995年6月5日からDCSを開始。約2ヶ月には簡単な命令に従うようになり、約5ヶ月後には電動車椅子の操作が可能となった。また刺激約10ヶ月後には自力で食物摂取が可能となり、便尿失禁も消退し植物状態を脱却した。
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317
小倉記念病院
脳神経外科
福岡県北九州市
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高齢、脳幹梗塞でも電気刺激療法により、痛み逃避反応、自然開閉眼、感情描出反応が改善
*米田 浩:遷延性意識障害に対する脊髄硬膜外電気刺激療法、小倉記念病院紀要、29(1)、51−53、1996
69歳男性は、1993年6月に左椎骨動脈閉塞による脳幹梗塞に起因した遷延性意識障害。約1年後の1994年5月の時点で意識は傾眠、呼びかけ刺激で開眼する程度であり眼球運動は認められず、その他四肢麻痺が存在し自発的な運動は認められなかった。
1994年6月から約1年間、脊髄硬膜外電気刺激療法を1日8時間施行し、痛み逃避反応、自然開閉眼、感情描出反応が改善している。
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318
山口労災病院
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手を握るとかすかな反応があり五感への複合刺激を開始、花見を楽しむまでに回復
*内山 啓子:意識障害者の生活行動獲得への援助 五感への複合刺激を試みて、日本看護学会27回集録老人看護、194−196、1996
1994年9月5日、小脳出血の84歳女性は、ただちに人工呼吸器装着。9月7日、後頭下開頭血除去術施行、意識レベルはJCSU200。10月5日、VPシャント施行、医師より「病状回復は見込まれない」と診断されたが、11月2日頃より自発呼吸出現。12月2日、人工呼吸器より離脱した。意識レベルはJCSU200で経過。
発症後3ヵ月を経過した意識障害患者に、手を握るとかすかな反応があることに気づいた。このことに着目し、生活行動を獲得させる方法として、継続した五感への複合刺激の援助が睡眠と覚醒リズムを促し,生活行動獲得に効果があると考えた。
.刺激は、@統一した五感への刺激・記録ができるA睡眠・覚醒を促す為に1日の生活行動表を用い、看護婦間の意識を図るB家族からの情報を重視し、生活歴を考慮した刺激の工夫を図る、として取り組んだ。
翌春、花好きであった情報をもとに花見を勧めると、目を細め、口元を緩め、うれしそうな表情が見られた。花を近づけると、しっかりと眼を開き穏やかな表情でしばらく見つめた。そばに居た子供にも興味を持ち、動きを追うなどの関心を示した。
外来棟での散歩では、待合室にいた人々の声、動きに対してキョロキョロして驚いた表情をするなど、周囲への関心を示した。約1時間程度の車椅子の散歩が可能となったが、疲労表情は見られなかった。
孫の面会があると目尻を下げ喜ぶ表情が見られ、散歩ができない時など、それを告げると顔をしかめるなどの表情が見られた。口腔ケア時、口唇に力をいれ口を閉ざし、氷片による嚥下訓練時、払い除けようとする手の動きがあるなど、意思表示が見られるようになった。
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319-320
大阪医科大学附属病院
脳神経外科
大阪府高槻市
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脊髄電気刺激療法で、うなずき等の疎通性が出現、1年後に氏名・生年月日を答える
*國本 佳美:脊髄電気刺激療法を施行した患者の看護、ブレインナーシング、1995夏季増刊、170−183、1995
脳膿瘍発症時17歳の女性は、脳膿瘍ドレナージ術、外減圧術、呼吸器離脱後リハビリを開始したが、JCS3より意識の改善がみられず脊髄電気刺激療法を開始。これまでにみられなかった追視、声かけに対する反応、うなずき等の疎通性が出現しはじめた。睡眠・覚醒サイクルが徐々に4相性から1相性への改善した。治療開始後1年を経て、氏名・生年月日について答えられるようになった。
2年間の不完全植物状態から、会話ができるまで回復
*藤原 末起子:遷延性意識障害患者の看護 2年の経過で植物症期を脱却した症例、ブレインナーシング、10(3)、221−225、1994
*藤原 末起子:遷延性意識障害患者の看護 2年の経過で植物症期を脱却した症例、エマージェンシーナーシング、7(4)、326−327、1994
1990年9月、クモ膜下出血後の水頭症で、V−Pシャント施行後も意識レベルはJCS3Aと変化なく、不完全植物状態が続いた58歳男性。1992年2月、シャントバルブ接続部損傷による炎症をきたし、シャント入れ替え術が行われた。
新しい期待と観察眼を持って接し、声かけ、叩打、スキンシップなどの外的刺激を与えた。約3ヵ月を経過した頃より、追視やうなずく動作、開閉眼に応ずるなどの反応がみられるようになり、(移行型植物症期)意識レベル上昇の兆しがみえてきた。
訪床時や処置時は、必ず声かけをすると共に発声を促し、うなずきやまばたきによる返答に合わせて確認し、復唱するなど関わりを続けるなかで、徐々に声となり、発語になった。
半固形物の嚥下は比較的スムーズであったため、5分粥軟菜食へ食事を変更したが、この頃より本人の訴えが明確となり、「なにが食べたいですか」の問いに「おかき」「ビール」などの発語がみられた。
胃チューブや金属カニューレを自己抜去する行動がみられ、物を握ることが可能と考え筆談を試みた。だんだんと指示どおりに自分の名前や年齢などをかけるようになった。
喀痰が減少し、肺炎併発の可能性も少なくなったためカニューレを抜去した。そのことにより言葉も明瞭となり、会話によるコミュニケーションが図れるまでになった。
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321
高木病院
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無動無反応状態で1年を経過した患者が回復
*包行 志保:意識障害患者の看護 看護の視点 遷延性意識障害患者の看護 五感刺激による意識障害の改善と昼夜リズムの獲得を試みて、看護技術、41(1)、45−50、1995
クモ膜下出血で脳動脈クリッピング術後に脳血管れん縮による右片麻痺、意識障害を生じ、これが遷延した59歳女性(高校教師)。その後、水頭症に対してV−Pシャント術を受けたが、症状は改善せず1年を経過して当院に転院した。
入院時は、長期臥床のために四肢屈曲位で関節拘縮、多数の褥瘡があり、運動訓練や坐位保持もできない。時に開眼するが無動無反応状態で意思の疎通が得られない。
意識改善の目的で関節拘縮解除、積極的な各種感覚刺激のプログラムを作成・実施した。
入院3ヵ月後に、教え子であった看護婦が「T先生」と呼ぶと、初めてうなずきと表情の変化がみられた。入院6ヵ月後から手紙、雑誌を見せると明らかに視線が動き、内容をある程度理解した反応や感情の変化もみられるようになった。
左手で自分の名前を書く、ボールペンを投げる(怒りの表現)、野球や自分のビデオを見て号泣する、冗談に対し「ふふ」と笑う、全粥を摂取し不足分を経管食、「リハビリが嫌なら明日は休みましょうか」と尋ねると「行く」と答えるなど意欲もみられる。
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322-348
広南病院
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睡眠サイクルは全患者27名が確立、呼名反応は22名、従命動作は8名が可能になった
*井沢 紀子、意識障害患者の看護 看護の視点 遷延性意識障害患者の意識回復へのアプローチ、看護技術、41(1)、51−54、1995
当病棟は、重症頭部外傷により遷延性意識障害となった患者を対象に、1989年、全国で2番目に開設された。
- 第1段階(睡眠サイクルの確立)、第2段階(呼名反応)、第3段階(従命動作=患者が示す動作)以上の段階別看護を、当病棟に入院中の患者27名に実施した結果、睡眠サイクルについては全患者が入院後最短3ヵ月から最長3年で確立できた。呼名反応については22名が最短1年から最長3年で話しかけや呼名時に反応がみられた。従命動作については、8名が最短1年から最長2年で可能となった。
- (上記の段階別看護で特に変化のあった1例)
重症頭部外傷後後遺症の44歳男性、意識の改善がなく経過し受傷の約1年6ヵ月後に入院。入院後2年で睡眠・覚醒のリズムが確立できた。呼名時正中視または凝視を示し、妻の拡大写真を見せると追視するようになった。妻の名前を入れた話題やエッチな話で、顔をくしゃくしゃにして両口角を上げる笑いのような表情がある。約1年後には、嫌なことをするとにらむような怒りを示す表情もでてきた。これらのことから、視覚・聴覚と、ある程度の言語理解能力があるのではないかと判断した。
クリスマス会でプレゼントを渡す時、手を持ち上げるような動きがあるのに気づいた。指の動きがあるため指数従命を促してみたところ、1本・2本まで可能となった。
このほかの同施設の論文
*菅野 祐子:外傷性遷延性意識障害患者の看護 27例を通して意識改善へ向けての積極的なアプローチを試みて、ブレインナーシング、1995夏季増刊、113−126、1995
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349
国立名古屋病院
救命救急センター
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*山内 理香:遷延性意識障害患者の看護−頸椎硬膜外刺激電極挿入後、意識改善をめざし、リハビリテーションを行って、医療、48(増刊号第3分冊)、625、1994
交通事故による脳挫傷、脳幹損傷の20歳男性は、発症から5ヵ月後、当センターで初の頸椎硬膜外刺激電極挿入術を施行。意識レベルは術前と変わらず、GradeU−30、四肢麻痺は刺激で筋収縮はあるが、拘縮があった。
座位訓練、車椅子乗車、足関節運動、シャワー浴を中心に援助を行った。結果、数分間しかできなかった端座位保持が折りたたみ椅子に座ることで30分、自力座位を保持できるようになった。尖足気味だった下肢は、床に足底をつけ座位がとれるようになった。また、車椅子での散歩や、音楽を聞かせたり、家族の協力も得られ表情変化が増えてきた。
注:この論文は、「意識改善が・・・自然経過によるものかはっきり評価することはできない」ことも記述している。
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350
富士脳障害研究所附属病院
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5ヵ月経過した頃より、声かけに反応し追合視
*山田 有香:退院に向けての看護 遷延性意識障害患者の退院に向けての関わり、ブレインナーシング、1994春季増刊、213−219、1994
クモ膜下出血の41歳男性は、開頭クリッピング術を施行したが脳血管れん縮による脳梗塞、水頭症合併によりL−Pシャント術施行後、遷延性意識障害四肢麻痺となる。
5ヵ月経過した頃より、声かけに反応し、追合視がみられるようになった。入院1年6ヵ月後に全面介助ではあるが自宅退院、訪問看護となった。
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351-352
山形県立中央病院
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遷延性意識障害に陥ってから18ヵ月後でも、頸髄硬膜下電気刺激療法が効果
*福多 真史:遷延性意識障害患者に対する頸髄硬膜下電気刺激療法(DCS)の経験、山形県立病院医学雑誌、28(1)、35−40、1994
脳脊髄膜炎の24歳男性は、遷延性意識障害に陥ってから18ヵ月後に、頸髄硬膜下電気刺激療法(DCS)を施行。1年後の時点で注視することが時にある、笑顔がみられることがある、四肢の拘縮がやや軽快した。
当サイト注:この論文は、低酸素脳症で6ヵ月後にDCSを施行した26歳男性には、ほとんど改善を認めなかったことも報告している。
遷延性意識障害に陥ってから18ヵ月後でも、刺激付けが効果
*梅津 徳子:意識レベルアップをはかる刺激づけの効果、山形県立病院医学雑誌、28(1)、96−99、1994
化膿性髄膜炎にVーPシャント術施行後、意識障害を1年半経過した24歳男性。日常生活リズムを取り戻させるためにプログラムを作成し、看護婦と家族が一貫して刺激付けを行った。
1ヵ月後、半固形物(プリン1個程度)経口摂取可能となる。
2ヵ月後、声かけにキョロキョロし、注視、追視する。
3ヵ月後、側にいる母親に歯ぎしりし、「うーうーう」とうなり声を上げ排尿を教える。左関節可動域が広がる。
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353-356
鳥取県立皆生小児療育センター
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受傷時、「将来にわたり植物状態が持続する」と説明された5例のうち、失外套状態は1例のみ
*江原寛昭:遷延性意識障害を合併する小児の頭部外傷5例の予後検討、リハビリテーション医学、30(11)、843、1993
遷延性意識障害が6ヵ月以上続いた受傷後5年以上経過観察中の頭部外傷5例(受傷時平均年齢9歳)。受傷時の意識レベルはJCSですべて3桁。受傷時、主治医から「将来にわたり植物状態が持続する」と説明されていた。
現在、臨床的に失調をともなった麻痺(片麻痺・両麻痺)・知能障害を全例に認め、ADL面では歩行可能(杖歩行を含む)3例、食事の自力摂取4例とかなりの回復がみられ、失外套状態は1例のみであった。小児の頭部外傷の予後判定は慎重に行う必要があると考えられた。
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357-358
広島大学
脳神経外科
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植物症の持続期間15ヵ月、39ヵ月の患者に、脊髄電気刺激療法が効果
*門田 秀二:脊髄電気刺激療法による遷延性意識障害7例の治療経験、広島医学、46(10)、1411−1417、1993
- 植物症の持続期間15ヵ月の42歳男性(クモ膜下出血後)は、SCSを施行し観察期間14ヵ月、完全植物症から移行型植物症に意識レベルが改善した。
- 植物症の持続期間39ヵ月の36歳男性(蘇生後脳症)は意識レベル3−A。SCSを施行し観察期間13ヵ月、感情表現・追視は可能で四肢拘縮は中等度改善し、完全植物症から移行型植物症に意識レベルが改善した。
当サイト注:この論文は、植物症の持続期間6.5ヵ月の22歳男性(中脳挫傷)、同11ヵ月の15歳女性(前頭葉広範挫傷)は意識状態の変化がなかったことも報告している。拘縮の改善は、SCSを施行した全例に認められた。
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359-363
和歌山県立医科大学
脳神経外科
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*桑田 俊和:遷延性意識障害患者に対する頸髄硬膜外電気刺激療法の基礎的、臨床的研究、脳神経外科、21(4)、325−331、1993
- 完全植物症の61歳女性、遷延性意識障害に陥ってから7ヵ月後に頸髄硬膜外刺激を開始し、植物症を脱却した。
この女性とみられる報告が、駒井 則彦:頸髄硬膜外刺激が著効を奏した遷延性意識障害の1例、和歌山医学、37(3)、297−300、1986 に掲載されている。
髄膜腫の剔出後、7ヵ月間、四肢麻痺と意識障害が持続した無動無言ないしは
hemiplegic mutism の61歳女性。
1982年6月1日、頚髄硬膜外電気刺激を施行したところ、刺激後14日頃より呼名により開眼するようになり、16日頃には命令により右手で握手するしぐさがみられるようになった。24日頃には目の追跡運動が認められ、右手ではっきり離握手するようになった。26日頃には命令により開口、提舌、離握手などが可能となり、30日頃には右下肢の膝立て、気管切開のため発語はできないが、明らかに言葉を喋るがごとき口唇の動きが見られた。7月15日には一桁の加減算を右手指で正しく答えるようになった。
時間がかかるが経口的に食事が可能となったため1983年5月26日、転院した。
- 完全植物症の50歳男性、遷延性意識障害に陥ってから3.5ヵ月後に頸髄硬膜外刺激を開始し、植物症を脱却した。
- 不完全植物症の46歳女性、遷延性意識障害に陥ってから3ヵ月後に頸髄硬膜外刺激を開始し、植物症を脱却した。
- 移行型植物症(TVS−2)の60歳男性、遷延性意識障害に陥ってから4.5ヵ月後に頸髄硬膜外刺激を開始し、植物症を脱却するにはいたらなかったが、感情表現、追視などが出現した。
- 不完全植物症の14歳女性、遷延性意識障害に陥ってから2年3ヵ月後に頸髄硬膜外刺激を開始し、植物症を脱却するにはいたらなかったが、感情表現、追視などが出現した。
当サイト注:この論文は、上記5例以外の6例には意識状態の変化がなかったことも報告している(観察期間は3ヵ月間〜11年間)
このほかの同施設の論文
船橋 利理:遷延性意識障害に対する頸髄硬膜外刺激の効果と適応について、脳神経外科、17(10)、917−923、1989
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364
神奈川県立足柄上病院
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過去の生き甲斐の記憶を継続的に刺激することで、遷延性意識障害から脱却
*吉岡 幸:遷延性意識障害をもつ患者に対する意識回復への援助 意識的な条件づけによる行動受容、日本看護研究学会雑誌、15(4)、44、1992
[仮説]対象の生活習慣の情報より、過去の生き甲斐の記憶に値する快的刺激因子を見出す。そして、その刺激を意図的に継続的な刺激として働きかけることにより、意識障害の程度が回復する。
ヒルトニンの投与はすでに行われていたが効果的な変化はみられず、医師からは「すでに積極的な治療法はない」との情報を得た。
入院前の状況に近づけたいと考えて関わっていった、なかでも市場の競りの状況をカセットテープにとり刺激としていったことは、生き甲斐に値するものであったと考えられるところから効果的であった。その結果、遷延性意識障害の状態から脱却し、自発的な発語が増え意志表現もはっきりし、食事摂取量の増加、時には尿意を訴えてくるといった変化がみられて行動変容を認めることができた。
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365-371
奈良県立医科大学
脳神経外科
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*都築 俊英:クモ膜下出血による遷延性意識障害に対するTRH・ACTH療法、日本脳神経外科学会51回総会抄録集1号、182、1992
脳動脈瘤に対する急性期手術を受け、その後3ヵ月以上にわたり意識障害が持続した7例に、TRH(ヒルトニン)、ACTH(コートロシンZ)を投与したところ、全例に発語がみられるようになった。
このなかで、簡単な会話可能な状態まで回復したのは、クモ膜下出血が重症であった5例中3例、治療に抵抗する脳血管れん縮が起こった2例中2例であった。
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372-373
鶴巻温泉病院
神経内科
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*斎藤 斉:Thyrotropin-releasing hormone(TRH)の静脈内投与が有効であったくも膜下出血(SAH)後遺症によるakinetic
mutism (AM)の2症例、神経治療学、9(2)、191-196、1992
*斎藤 斉:Akinetic mutismに対するthyrotropin-releasing hormone tartrateの長期静脈内投与の有用性について、脳卒中、13(6)、611、1991
くも膜下出血(SAH)後遺症としてAMを呈した2症例にThyrotropin-releasing hormone tartrate
(TRH-T)2mg/day静脈内連日投与を10日間(1クール)、毎月1クール繰り返し、その臨床効果を評価した。
- 64歳男性には発症後7ヵ月、症状固定後6ヵ月目よりTRH-Tによる治療を試みた。2クール目より感情表現が認められ、3クール目より簡単な質問に頷いて答えられるようになった。4クール目にはテレビを見ていて感情表現が明らかとなり、手を上げるなどの簡単な従名が可能になった。開始1年後には経口摂取が可能となった。開始6ヵ月後から約1年まで、簡単な会話が可能となったが、その後会話は再び不能となっている。
- 77歳男には発症5ヵ月、症状固定後4ヵ月目よりTRH-Tによる治療を試みた。2クール目に生年月日をいえるようになった。3クール目には日中ほとんど目を閉じなくなり、簡単な会話が可能となった。また従命により手足を動かし経口摂取も可能になった。
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374
岡山労災病院
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意識レベルが10以上なくても、嚥下訓練により経口摂取が可能、意識レベル向上
*志渡沢 加代子:ルード法を用いた遷延性意識障害患者の経口摂取援助 レスピレーター装着患者の事例を通して、日本看護学会22回集録成人看護U、202−204、1991
脳梗塞、パーキンソン氏病の69歳男性、レスピレーター装着、意識レベル200。意思の伝達はまったくできず、左上下肢の痛み刺激に対してわずかに反応する程度であった。
吸引時にはチューブを噛む反射があることや、妻の「少しでも美味しいものを食べさせてあげたい」という気持ちが強いことより、経口摂取がなんとかできないものかと考えた。脳神経外科において、3−3−9度法の意識レベルが10以上なくても、嚥下訓練を行うことにより、経口摂取が可能となることを明らかにする。
顔面マッサージ、顎の運動、アイスマッサージ、歯肉マッサージ、手術(詳細の記載なし)の効果もあいまって、徐々に左上肢の動きが出だし、1ヵ月半で意識レベル20までに向上した。マッサージ等に妻の積極的参加があり、予想以上に効果があった。
アイスクリーム、ゼリー、プリンの摂取は嚥下が速やか、ヨーグルトは眉間にしわを寄せ、すっぱそうな表情をしながらもスムーズに嚥下できた。おじや、ポタージュなどは左手ではねのけ、あまり食べなかった。味覚による表情の変化や本人の意思と思われる行動がみられた。
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375-380
杏林大学
脳神経外科
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*木村 俊靖:脳幹誘発電位モニタリングからみた重症頭部外傷生存例の長期予後、神経外傷、14、159−164、1991
重症頭部外傷で受傷3ヵ月後、植物状態であった19例は、全例が経過中に高圧酸素療法を受けている。
- 急性期の聴性脳幹誘発電位モニタリングが正常であった10例では、6ヵ月後に2例が
severe disability へ改善、1例が moderate disability
へと改善し、12ヵ月後には2例が good recovery
へと改善を示した。死亡は2例。
- 急性期の聴性脳幹誘発電位モニタリングが異常を示した9例では、6ヵ月後に
severe disability がわずか1例、12ヵ月後に moderate
disability が3例となったが、 good recovery
まで改善した例はなかった。死亡は4例。
当サイト注:最終的な改善症例数が不明
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381
JR東京総合病院
神経内科
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*鴨下 博:実例リハビリテーション処方のポイント Locked-in症候群患者のリハビリテーション、Journal of
Clinical Rehabilitation、11(9)、826−829、2002
1986年8月25日、意識不明で大学病院救急部受診の46歳男性は意識レベルは回復したが、29日深夜、突然除脳硬直肢位をとり発語不能となった。Locked-in症候群と診断、その後のCT検査により橋梗塞が確認された。
発症2ヵ月後、11月に全身状態が安定したが、四肢・体幹の痙性が強く、不快な刺激により除脳硬直肢位をとり車イス座位が不可能、1年間は発熱を繰り返し、全身管理に追われた。痙性の治療としてフェノールブロックを1986年12月8日〜1987年11月19日に計4回実施。
1988年9月には車イスで院内の散歩が可能になるほどに座位が可能になった。
1989年1月、頸部のわずかな伸展・屈曲が認められ、これを力源にしてコミュニケーションエイドの訓練を開始。
1989年6月には、手指、左上肢のわずかな屈曲・伸展が認められ、これを力源にして電動車イスの操作が可能か検討した。車イス座位中に生じる起立性低血圧に対し傾斜台を用いた訓練をした。
1990年5月、車イスの自走訓練を開始。
1990年12月、起立性低血圧はコントロールされ、電動車イスによる病院内の移動が自立し、コミュニケーションエイドを用いてコミュニケーションが可能となった。
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382
健康保険鳴門病院
脳神経外科
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脊髄硬膜電気刺激療法により7例のうち、著明な改善1例、自発運動増加3例
*大畠 義憲:重症頭部外傷後の遷延性意識障害に対する脊髄硬膜外電気刺激治療(PISCES)の検討、神経外傷、13、220、1990
4例の重症頭部外傷患者(平均年齢32.8歳)、男性3例、女性1例に脊髄硬膜外電気刺激を行い、4例中1例において刺激後、著明な症状の改善を認めたが、3例においては不十分なものであった。
*津田 敏雄:植物状態患者に対する脊髄硬膜電気刺激療法(PISCES)、日本脳神経外科学会48回総会抄録集、476、1989
植物症状態となり3ヶ月以上経過した7例、男性5例、女性2例、年齢は3歳〜68歳(平均36.5歳)。原因疾患は頭部外傷4例、脳血管障害1例、脳腫瘍1例、溺水1例。脊髄硬膜電気刺激療法により著明な改善1例、3例においては十分な意思疎通は不能であるも、自発運動が多くなった。まったく変化のみられなかったものが3例であった。臨床効果のみられた例において脳血流改善が著しい傾向がみられた。
注:津田 敏雄:遷延性意識障害患者に対する脊髄硬膜外電気刺激治療(PISCES)の試み、四国医学雑誌、44(2)、104、1988も4例中2例の覚醒効果を報告している。神経外傷(1990)の論文とは電圧が3ボルト高く、日本脳神経外科学会48回総会抄録集(1989年)の論文とは覚醒・改善効果の症例数が1例多いが、発表時期が近接しており詳細不明のため回復例としてのカウントは見送った。
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