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竹内 一夫:厚生省“脳死に関する研究班”による脳死判定基準(いわゆる竹内基準)覚書 神経所見と無呼吸テスト、日本医師会雑誌、118(6)、855−865、1997
(1)呼吸中枢の化学的調節と反応性
無呼吸テストの目的は、呼吸中枢(化学受容野)に対して最大刺激となるような脳脊髄液pHの低下を起こさせ、呼吸運動が起こるかどうかをみるにある。そのためにはPaCO2を上昇させる。炭酸ガスは血液脳関門を容易に通過するので、PaCO2の上昇によってすみやかに脳脊髄液pHの変化が起きる。
bicarbonate は脳脊髄髄液の緩衝能のほとんどを占めるので、酸塩基平衡が12時間安定していれば、急性のPaCO2の変化に対する脳脊髄液pHの変化は、少なくとも血液の2倍となる。すなわち、PaCO220mmHgの変化で脳脊髄液pHは0.2変化する。脳脊髄液pHが正常(7.32〜7.36)から7.18以下に変化すると、呼吸中枢化学受容野に対して強力な刺激となる。
PaCO2の上昇に対する換気量の変化をみると、換気量は80mmHgまでほぼ直線的に増加する。以後、次第に換気量の増加程度は少なくなり、150mmHgでピークとなり、その後は減少する。PaCO2が95mmHgを超えると炭酸ガスの中枢抑制作用が現れる。呼吸不全患者の炭酸ガス昏睡は90〜120mmHgでみられる。
無呼吸テスト時に目標とするPaCO2の値についてみると、文献によっで44mmHg、50〜55mmHg、60mmHg、80〜90mmHgとなっており、正常の上限から90mmHgにまで及んでいる。Ropper
らは、無呼吸以外の判定基準を満たす36例の患者で検討し、41〜51mmHgで換気に有効でない呼吸様運動(脊髄性)が出現し、延髄のみが残存している4例の重症脳障害患者では、自発呼吸が40mmHg以下で出現したので、機器の測定誤差を考慮して44mmHgとした。英国基準では
目標PaCO2を50mmHgとしている。カナダは、テスト前にPaCO2を40±5mmHgにしておき、50〜55mmHgを目標としている。
文献的に最も広く受け入れられている目標値が60mmHgである。PaCO2の正常値より20mmHgの上昇で、強力な呼吸中枢刺激が可能であるというのが根拠である。補遺でも触れてあるが、脳幹障害患者について、十分酸素化が行われた状態で呼吸中枢を刺激するにはどれだけのPaCO2上昇が必要かについてはなお末解決である。1つには、脳幹障害の症例で呼吸中枢のPaCO2に対する感受性をヒトで研究することが難しいからである。
無呼吸テストでPaCO2をどこまで上昇させてもよいかについては、炭酸ガスの意識、換気量に及ぼす影響、呼吸性アシドーシスの循環系に及ぼす影響を勘案し、80mmHgまでの上昇にとどめるのがよいと思われる。
現在までに蓄積された知見からは、PaCO2の目標値を60mmHgと設定するのがよい。新しいデータが加わらないかぎり、この値は広く用いられるであろう。上昇幅を重視するなら、正常範囲のPaCO2(35〜45mmHg:2×標準偏差)から20〜25mmHg上昇させるのでもよいと思われる。ちなみに、PaO2、PaCO2測定の誤差は機種にもよるが、それぞれ±4、1.5mmHgの誤差がある。
呼吸の化学的調節には、上述の中枢性機序以外に頸動脈小体化学受容器を介する末梢性機序がある。頸動脈小体はPaO2の低下、PaCO2の上昇(pHの低下)、ドキサプラムなどの化学物質で刺激され、延髄呼吸中枢のニューロン活動に影響する。高PaO2がPaCO2上昇による中枢性換気量の増加を抑制したり、低PaO2による換気応答が高PaCO2によって増強されるなど、PaO2とPaCO2との換気量に及ぼす影響の相互関係は複雑である。
無呼吸テストに、PaCO2の上昇だけでなく、ドキサプラムを投与してからパルスオキシメータによる酸素飽和度を90%以下にして、末梢性化学受容器を介して呼吸中枢に低酸素刺激を加えるべきとする提案がある。しかし、このような方法とPaCO2の上昇のみを刺激とする方法とを比較して、低酸素刺激を加えなければ、自発呼吸の不可逆的消失の診断を誤るという証拠はない。慢性閉塞性呼吸器疾患で、低酸素刺激で呼吸が維持されているような患者の無呼吸テストでは、PaO2を50mmHg以下にすべきとされているが、このような患者での脳死判定の意義は少ない。
要約:脳幹障害のある患者で、十分酸素化が行われた状態で呼吸中枢を刺激するには、どれだけのPaCO2上昇が必要かについては検討の余地がある。しかし、現在までに蓄積されている知見からは、PaCO2の目標値を60mmHgと設定するのが妥当である。新しい知見が加わらないかぎり、この値は広く用いられるであろう。(当サイト注:以上はp858−859)
無呼吸テストの手順
以下の手順は典型的方法の1つである。テスト前・中の酸素投与、人工呼吸中止の仕方にはいろいろな方法がある。各施設の診療態勢(人工呼吸器の種類、血液ガス分析の結果が出るまでの時間など)に合わせて安全、確実な方法をとればよい。しかし、基本的事項については施設で必ず統―しておく。
無呼吸テスト前の望ましい条件
中枢体温:35℃以上 収縮期血圧:90mmHg以上 PaCO2:正常範囲35〜45mmHg PaO2:200mmHg以上 必須モ二ター:血圧、心電図、パルスオキシメータによる酸素飽和度
手順
- 10分間100%酸素で人工呼吸。
テスト前の100%酸素による換気とテスト中の酸素投与は、いずれも人工呼吸中止により換気がない状態になったとき、身体の酸素需要に見合う酸素の供給を十分に保証するために行なうもので、テスト中の低酸素を防ぐために重要な操作である。
- 人工呼吸器を外す。
人工呼吸器を外して気管内チューブを介して酸素を投与するのがもっとも簡単で、間違いがない。しかし、人工呼吸器をつけたまま人工呼吸を中止できる。
- この間、6L/minの100%酸素を気管内チューブに通したカテーテル(気管分岐部の直上まで挿入)を介して流す。
流量は6〜10L/minが適切である。人工呼吸器を用い100%酸素を定常流で投与することも可能である。この場合、最近の人工呼吸器はいろいろな換気モードを装備しているので、使いこなすには専門的知識と技術が必要である。
- この間、血液ガス分析を適時に行い、PaCO2が60mmHg以上であることを確認する。(低血圧、不整脈、低酸素で人工呼吸中止に耐えられないと判断したときは、人工呼吸器をつなぐ寸前に採血して血液ガス分析を行い、Cに準じてPaCO2の値を確認する)
参考
病態、体温,テスト前のPaCO2、3mmHg/minのPaCO2の上昇を念頭に入れて、3、5、8分後など適切な時期に血液ガス分析を行う。PaCO2を60mmHgとする代わりに、テスト開始前と比較して20〜25mmHgの上昇でもよい。PaCO2の上昇は80mmHgにとどめるのがよい。
結果の判定
人工呼吸器を外している間、自発呼吸がなければテストは陽性と判定する。呼吸運動が微弱・不規則で換気に有効でなくても、「自発呼吸あり」とし結果は陰性と判定する。換気の有無については、換気量測定、capnograph
による呼気炭酸ガス分圧の連続記録を行うと参考になる。
厚生省脳死判定基準の補遺との違い
初出時と補遺には10分間人工呼吸を中止すると書いてあるが、後者ではPaCO2の値が時間よりも重要であると記載してあった。しかし、いまだに時間のみが問題にされる向きもあるので、本覚書では“10分”の記述を取り除く。
覚書に述べた理論を理解し、注意事項を守って行えば、無呼吸テストは安全、確実に行える。総合的に判断して危険と思われるときはテストをしない。(当サイト注:以上はp861)
3、無呼吸テストの循環系への影響
無呼吸テストに当たっては、循環系への影響を最小限にとどめるように配慮しながら行わなければならない。血圧、心電図、パルスオキシメータによるモニターは必須である。
テスト前の循環状態はテスト中の循環動態と関係している。竹内基準の補遺の場合、テストを行うに際しては、収縮期血圧90mmHgを維持するとした。AANのガイドラインでも収縮期血圧は90mmHgに保つとし、この値は移植臓器の灌流を維持するのに必要な値としている。
(中略)
脳死を判定するような患者では、利尿薬の使用、尿崩症、水分制限、脳幹障害による血管運動障害が重なって、血圧低下を来しやすい状態にある。この場合、循環血液量の保持に努め、適切な血管作動薬を用いるなどの工夫をしなければ、低血圧の合併が高率となるのは当然である。最も大切なのは循環血液量の維持である。血管作動薬としてはドパミノがよく用いられ
る。移植に進む場合、臓器血流を障害するような昇圧薬を使用してはならない。無呼吸テストに関しては、呼吸・循環管理に習熟した専門家、特に麻酔科医、集中治療医の関与が強く望まれる。
無呼吸テストで呼吸循環が維持できないときは、テストを止めて無呼吸と判断する者もあるが、これは基本的問題と関わることで、今後の慎重な論議を必要とする。
要約:無呼吸テストの循環系に及ぼす影響の主なものは、低血圧、不整脈である。テスト中の低血圧の主因は、呼吸性アシドーシスである。無呼吸中の血行動態、心エコー法による評価では、心機能への影響は少ないと考えられる。血圧、心電図、パルスオキシメータによる酸素飽和度とモニターし、循環血液量の維持、血管作動薬の使用など適切な処置をとる必要がある。(当サイト注:以上はp862−863)
武下 浩:移植に係わる脳死判定の問題点、日本医事新報、3939、8−15、1999
(2)無呼吸テストに低酸素・薬物刺激を加える必要性
指針の中で特に触れてはいないが同専門委員会では問題にされた。低酸素、薬物刺激を加えないと学理的に不備ではないかということである。
日本胸部疾患学会は、無呼吸テスト(次項参照)に際して、動脈血中二酸化炭素分圧(PaCO2)の上昇による刺激だけでなく、低酸素、薬物刺激(ドキサプラム)も行うべきであると指摘した。確かに、呼吸中枢の制御はPaCO2だけではないが、PaCO2以外の刺激を加えなければ呼吸中枢の不可逆的消失が確認できないという証拠が示されない限り、PaCO2のみによる方法を変える必要はないと思われる。ただし、ドキサプラムによる刺激は簡便にできるのでオプションとして加えることに問題はないであろう。
外国の判定法をみると、低酸素刺激によって呼吸が維持されているような呼吸不全の場合に低酸素刺激の必要性を示唆したものがあるが、通常では必要としない。厚生省基準では、このような刺激が必要な症例では脳死を判定しない。
(3)無呼吸テストの循環系に及ぼす影響
同専門委員会では、無呼吸テストのリスクあるいは侵襲性についても取り上げられた。
無呼吸の確認には、人工呼吸をある時間中止してPaCO2を上昇させ、それに呼吸中枢が反応して呼吸運動が起こるかどうかを肉眼的に観察する。いろいろな脳幹障害患者について、呼吸中枢化学受容器の最大刺激となるPaCO2レベルを検討する余地が残っているが、60mmHg以上とする基準が多い。現在までの臨床研究の結果とPaCO2の急性上昇が生理的に最も強い呼吸中枢刺激であることがその理由である。 無呼吸テストのリスクについては米国でも論議されたところで、日本に限ったことではなかった。筆者は、テスト前の望ましい条件をできるだけ満たし、低血圧の原因が主に呼吸性アシドーシスであること、低血圧発生に関与する諸因子を知り適切な対応(ほとんどの場合、ドパミンなどの血管作動薬が必要)をとること、低酸素と過度のPaCO2上昇を避けるように行えば、大多数の症例でテストを安全に行えると考えている。この時、血圧、心電図、パルスオキシメーターによる酸素飽和度は不可欠のモニターである。しかし、循環系への影響のためテストを中止せざるを得ない時がある。この時は人工呼吸を再開する直前に採血してPaCO2を確認する。60mmHg以上でなければ脳死を判定できない。
なお、テストでかすかな自発呼吸が出ても、有効な換気でなければ呼吸運動とみなさない考えが外国にあるが、危ない考え方であると思う。(当サイト注:以上p10) |