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遷延性意識障害からの回復例(2010年代) 

  1. 以下の4ページ(2010年代=このページ、2000年代1990年代1980年代1970年代)では、遷延性意識障害と診断された後に、回復 した症例、意思疎通の方法が発見された症例、症状が改善した症例を、2014年1月4日現在で439例掲載している(文献発表された症例のうち、資料を収集・検討できた範囲に限定される。記載が不明瞭な文献や重複した報告もあり、累計症例数は若干の間違いがあり得る)。
      「笑いが出現」「表情が穏やかになる」 「発語」など、他者との活発な意志疎通に至らない状態も含めた。医師の診断だけでなく、看護師や看護実習生の観察による症例も含む。「拘縮の改善」は含めていない。 従って、「遷延性意識障害の状態を完全に脱却した」とは診断されない改善例も含む。
     家族の観察では、日高 紀久江氏は呼名に反応ある人は7割、何らかのサイン表出可能な人は5割、内田 富美江氏は約4割の患者は周囲に対する理解・認知があることを報告している。このような家族の観察も尊重されるべきと考える。
     
  2. 「遷延性意識障害」の定義は、永山正雄(東海大学 医学部 神経内科): 救急神経症候の鑑別とマネジメント 遷延性意識障害のneuro-critical careにもとづき、@遷延性植物状態A昏睡B脳死C閉じ込め症候群D無動無言(失外套症候群)E痴呆F精神的無反応状態、以上の病態が3ヵ月以上持続した状態をいう。
     上記の病態に紛れて鑑別診断されなかったG薬剤性H代謝/内分泌性脳症I水頭症J非痙攣性てんかん重積状態K中枢神経系感染症(脳炎)L慢性硬膜下血腫M脳静脈(洞)閉塞症N肥厚性脳硬膜炎、などの症例も含まれる。
     
  3.  「遷延」とは、ここでは3ヵ月以上を示す。「病状の継続期間についての記述がある」または「遷延性植物状態の定義を採用している」または「病状の経過からみて3ヵ月以上、意識障害が継続していると判断される」論文を対象とした。
     
  4. 施設名は、原則として各論文の筆頭執筆者が所属する施設とした。年代は最新文献が発表された年代であり、各施設の欄には過去の実績もともに掲載した。
    2010年代=日本大学、國學院大学・柴田保之研究室、石川県特別支援学校、岩国市医療センター、木沢記念病院リハビリテーションセンター・中部療護センター、熊本託麻台病院、人間総合科学大学・湘南病院、十善会病院、大阪大学医学部付属病院、長野県厚生農業協同組合連合会 佐久総合病院・鹿教湯三才山リハビリテーションセンター三才山病院、東京女子医科大学 病院、大垣市民病院、北海道立子ども総合医療・療育センター、名古屋掖済会病院、重症心身障害児施設  子鹿学園、筑波大学・筑波記念病院、静岡県立大学
     
    2000年代=神戸市立医療センター中央市民病院、琵琶湖養育院病院、自動車事故対策機構千葉療護センター、千葉大学医学部附属病院、自動車事故対策機構岡山療護センター、みさと健和病院、利定会大久野病院、奈良県立三室病院、藤田保健衛生大学病院、石切生喜病院、東京慈恵医科大学付属病院、愛媛大学・八幡浜市医師会立双岩病院、帝京平成大学健康メディカル学部、自治医科大学付属病院、 柳川療育センター、岐阜県総合医療センター、恵光会原病院、富山県厚生連高岡病院、東海大学、岐阜県立下呂温泉病院、原土井病院、香川大学、昭和大学藤が丘病院、釧路市立釧路総合病院、土浦協同病院、国立病院機構久里浜アルコール症センター、自衛隊中央病院、静岡リハビリテーション病院、倉敷リハビリテーション病院、聖マリア病院、愛知医科大学、倉敷中央病院、高山赤十字病院、国立療養所西鳥取病院、大分市医師会立アルメイダ病院、横浜市立大学、津山市医師会立津山看護専門学校
     
    1990年代=甲州リハビリテーション病院、弘前大学、小林記念病院、高岡市民病院、公立角館総合病院、埼玉県教育委員会、大阪府済生会中津病院、公立昭和病院、雄勝中央病院、小倉記念病院、山口労災病院、大阪医科大学 付属病院、高木病院、広南病院、国立名古屋病院、富士脳障害研究所附属病院、山形県立中央病院、鳥取県立皆生小児療育センター、広島大学、和歌山県立医科大学、神奈川県立足柄上病院、奈良県立医科大学、鶴巻温泉病院、岡山労災病院、杏林大学、JR東京総合病院、健康保険鳴門病院
     
    1980年代=兵庫県立姫路循環器病センター、恵み野病院、国保水原郷病院、新潟市民病院、榊原温泉病院、埼玉医科大学総合医療センター、柏葉脳神経外科病院、静岡県立総合病院、大阪警察病院、日本医科大学附属病院、富山市立富山市民病院、神戸大学、香川労災病院、伊豆逓信病院、国立循環器病センター、東京都立養育院病院、国立療養所明星病院、新潟大学脳研究所ほか計10施設 、滋賀医科大学
     
    1970年代=札幌麻生脳神経外科病院、広島大学、山口大学、岩手医科大学・盛岡赤十字病院
     
  5. 参考には、意識障害の持続期間が3ヵ月未満の回復例や、脳波の変化例 、リハビリテーションに有益な情報などを掲載した。
    =三重県立総合医療センター、市立豊中病院、東大阪病院、米沢市立病院、北海道大学、筑波大学、自動車事故対策機構岡山療護センター、大脇 力、加藤 抱一、那覇市立病院、旭川荘療育センター児童院、 木沢記念病院リハビリテーションセンター・中部療護センター、富士見高原病院、河北リハビリテーション病院、訪問看護ステーションのぞみ、利定会大久野病院、北九州総合病院、 近畿大学、駿河台日本大学病院、柳原リハビリテーション病院、藤田保健衛生大学病院、千葉大学、高知大学医学部附属病院、大阪大学医学部救急医学講座、 大阪大学コミニュケーションデザイン・センター、神奈川リハビリテーション病院、中尾歯科医院、新神戸歯科、国立病院機構長崎医療センター、東京慈恵医科大学付属病院、松濤会安岡病院、アーノルド・ミンデル、公立三次中央病院、中村記念病院、大泉病院、名古屋大学、宮崎社会保険病院、川崎医療福祉大学、国立療養所香川小児病院、旭川赤十字病院、国立療養所長良病院、山梨県立中央病院、香川医科大学付属病院、福井医科大学医学部付属病院、広島大学脳神経外科、日高総合病院、 東京医科大学病院、大井病院、北里大学病院、札幌医科大学
     
  6. 閉じ込め症候群(参考)には、閉じ込め症候群と無動無言症の持続期間が3ヵ月未満の回復例や、脳波の変化例 、リハビリテーションに有益な情報などを掲載した。
    =ひねのクリニック、吉備高原医療リハビリテーションセンター、至誠堂総合病院、神奈川リハビリテーション病院、長町病院、滋賀県立成人病センター、総合病院国保旭中央病院、清仁会シミズ病院、西宮協立リハビリテーション病院、神鋼病院、鳥取大学、東京大学
     
  7. 認知症には、症状の持続期間にはかかわりなく、認知症の誤診例や回復・改善例を掲載した。
    施設名=都志見病院、聖マリア病院、札樽病院、聖マリアンナ医科大学、国立病院機構宮崎東病院、福岡市民病院、滝澤病院、相模台病院、群馬大学医学部付属病院

 


症例数
(通し番号として)

施設名

出典および概要


#nihon

1-17

日本大学

正中神経刺激は意識回復のための能力を早期に引き出す可能性がある

*守谷 俊(日本大学医学部救急医学系救急集中治療医学分野):重症頭部外傷による遷延性意識障害に対する正中神経刺激療法の影響、日本救急医学会雑誌、24(8)、537、2013

 重症頭部外傷に対じて頭蓋内庄管理などの急性期治療後に意識障害が継続している受傷後180日以内の51例(平均年齢53歳、男性35例、女性15例)を対象とした。入院診療録から、正中神経刺激療法を行った群(n=28)と行わなかった自然経過群(n=23)において、正中神経刺激施行群は刺激終了時の8週間後、6ヵ月後、1年後。自然経過群は、意識障害の診察を行ってから8週間後、6ヵ月後、1年後において、意識改善の有無を確認した。正中神経刺激(刺激強度20mA前後、頻度30−40H)は、1日8時間、8週間継続して施行した。2群間の検定はchi-square testを用いた。

【結果】

  1. 8週問の時点で正中神経刺激療法群は28例中15例(53%)の意識障害の改善を認め、自然経過群では23例中6例(26%)であった。

  2. 6ヵ月後(正中神経刺激療法群では意識改善例なし。自然経過群では意識改善が新たに4例)、1年後(正中神経刺激療法群では意識改善が新たに1例。自然経過群では意識改善が新たに2例) とも有意差はは認められなかった。

【結話】意識障害患者に対する正中神経刺激では意識回復のための能力を早期に引き出す可能性がある。


 

39例中10例がPVSから脱却、運動機能回復を意図した治療法の開発が必要

*山本 隆充:遷延性意識障害の電気生理学的評価方法と脳脊髄刺激療法、臨床神経生理学、35(5)、273、2007

 PVS症例はThe Multi-Society Task Force on PVS(1994)の定義に一致 し、脳脊髄刺激療法(DBS)後10年以上経過した症例を対象として、長期効果について検討した。脳損傷後3ヵ月の時点で神経学的評価と電気生理学的評価を行い、脳深部刺激21例 と脊髄刺激18例を行った。さらにminimally conscious state(MCS)の10例(脳深部刺激、脊髄刺激各5例)に対する長期経過 ならびに運動機能回復について比較した。
 PVS症例では、DBS群で8例、脊髄刺激群で2例が何らかの意思の疎通性を認めるまでに回復し、PVSから脱却した。PVS脱却例と非脱却例の比較では、電気生理学的評価法が有用で、ABRの5波とSEPのN20を認め、脳波連続周波数分析で明らかな周波数変動を認め、pain-related P250が7μV以上の振幅で記録される症例が脳脊髄刺激療法の適応と考えられる。PVS症例では、PVSから脱却するまでに3〜12ヵ月を要した。また、 長期経過ではPVSから脱却してもbed riddenの状態が9例で、車椅子生活まで回復したものが1例であった。 一方、MCS症例では9例が自宅での生活が可能なまでに回復した。
 PVS例に対しては、脳脊髄刺激療法の開始時点から、運動機能回復を意図した治療法の開発が必要と考える。

 

山本 隆充:遷延性意識障害に対する脳深部刺激療法、臨床神経生理学、36(5)、475、2008
 この報告は、上記(臨床神経生理学35巻5号)と類似内容だが、「電気生理学的評価法によって脳脊髄刺激療法の適応と考えられた症例は、PVS症例107例中、16例(15%)であった」としている。

山本 隆充:遷延性意識障害例に対する電気生理学的評価の応用性、臨床脳波、52(11)、637−642、2010
 この論文は、最小意識状態(Minimally Conscious State)と神経学的に評価された患者では、電気生理学的評価で21症例中15例(71.4%)が該当し、植物状態と比較して残存脳機能が保たれている症例が高率に存在すること、脳脊髄刺激療法の良い適応と考えられると指摘した。

 

聴性脳幹反応はまったく記録されなかったが、自発呼吸を回復、聴力あり、遷延性意識障害から脱却

*山本 隆充(日本大学脳神経外科):ABRに非定型的変化を呈した重症脳損傷例、臨床脳波、36(4)、264−268、1994

 一般に、ABR(聴性脳幹反応)が1波からまったく記録されない場合には、聴力障害例を除いて脳幹の非可逆的損傷を意味するものと考えられ、脳死の判定にも利用されている。
 52歳男性、高血圧を認める以外にはまったく健康で、聴力障害を指標されたことはなかった。夕食後、突然に頭痛と嘔気を訴え意識障害が出現。救急車にて来院、CTスキャンにて左小脳半球から虫部にかけて巨大な血腫を認め、第4脳室は消失し、脳幹も圧迫されていた。救急手術の準備中に深昏睡となり、除脳硬直の姿勢を呈した。その後、瞳孔は両側散大となり、手術室への搬送途中で自発呼吸が停止した。
 人工呼吸下に緊急で後頭下開頭と第一頸椎の椎弓切除後、血腫の除去ならびに右側側脳室から髄液ドレナージを行なった。
 手術後のMRIでは明らかな脳幹損傷を認めないが、自発呼吸は出現せず、瞳孔も両側散大、対光反射も認められず、ABRも1波からまったく記録されなかったので、非可逆的な脳幹損傷が疑われた。しかし、翌日になって自発呼吸が弱いながら認められるようになり、徐々に呼吸状態が改善した。術後3日目に瞳孔の大きさも正常範囲となり、術後14日後にはレスピレーターから脱却し、自発呼吸にて生存可能となったが、やはりABRは1波から記録されなかったため、なんらかの原因で発生した高度の聴力障害がABRの消失の原因と考えた。遷延性意識障害の状態が3ヶ月間持続したが、その後に開閉眼や上肢の挙上などの反応が、言葉での命令に対応して明らかに認められるようになった。
 この時点で、クリック音の周波数の問題を考えて、lowfrequency toneburst刺激(200,500,1000Hz)によるABRの記録を行なったが、ABRは第1波からまったく記録されなかった。一方、インピーダンスオージオメトリーでは、アブミ骨反射が認められ、短潜時感覚誘発電位も認められた。6ヵ月後には、嚥下障害のため経管栄養を必要としたが、完全に遷延性意識障害の状態から脱却し、リハビリ病院に転医した。
 今回の症例では、血腫による脳幹ならびに小脳の急激な偏位によって、前下小脳動脈を介する蝸牛の血流障害が、聴覚伝導路のニューロンの同期化障害を発現したものと考えた。したがって、ABRの消失は、必ずしも脳幹の非可逆的損傷を意味するものではなく、蝸牛への血流障害を惹起しやすい後頭蓋病変においては、特に注意が必要である。

 

参考:自然回復が30例中3例、長期予後判定にCTスキャンや神経学的評価のみでは不十分

*山本 隆充:遷延性意識障害例における長期予後を知るための重要因子、日本脳神経外科学会48回総会抄録集、372、1989

 Japan Coma Scale にて100点以上の意識障害、または、いわゆる植物状態が2ヶ月以上持続している30例のうち、自然に意識回復を認めた3例では、脳波連続周波数分析にて desynchronization pattern が認められ、SEP・SSEPにてN20が正常に記録された。
 遷延性意識障害例における長期予後の重要因子としては、脳波連続周波数分析の desynchronization pattern の有無、SEP・SSEPにおけるN20の有無が重要で、CTスキャンなどの放射線学的評価や神経学的評価のみでは不十分であると結論された。

 

このほかの同施設の論文

*山本 隆充:遷延性意識障害に対する脳深部刺激療法、臨床脳波、52(4)、200−206、2010
*山本 隆充:脳幹網様体の関連する病態 意識障害、Clinical Neuroscience、25(4)、418−420、2007
*山本 隆充:遷延性意識障害に対する脳脊髄刺激療法、日大医学雑誌、66(1)、124−127、2007
山本 隆充:【ニューロモデュレーション 疼痛の治療とその周辺】 意識障害 脳深部刺激 視床CM-pf complex刺激、ペインクリニック、26(別冊秋号)、S401−S407、2005
*山本 隆充:Vegetative stateの電気生理学的評価 長期経過との比較、臨床脳波、41(5)、292−297、1999
*山本 隆充:遷延性意識障害の治療、救急医学、21(13)、1737−1742、1997
*山本 隆充:遷延性意識障害に対する脳および脊髄刺激療法、ブレインナーシング、12(6)、505−509、1996
*深谷 親:意識障害患者における開眼反応と痛み関連電位(pain-related P250)の関係について 意識障害急性期と遷延性意識障害を比較して、臨床脳波、36(10)、663−666、1994
*深谷  親:遷延性意識障害者に対するdeep-brain stimulation therapyの適応と治療効果 Pain-related P250を用いた評価、脳神経外科ジャーナル、3(5)、398−403、1994
*守谷 俊:遷延性意識障害患者におけるpain-related P 250記録の意義 特に他の電気生理学的検査との関連について、日大医学雑誌、52(7)、397−402、1993
*片山 容一:遷延性昏睡の機能的診断における事象関連電位の臨床応用、臨床脳波、33(8)、521−525、1991
*山本 隆充:遷延性意識障害例の脳波連続周波数分析による分類とmultimodality evoked potentialにみられる特徴、日本災害医学会会誌、37(3)、216−222、1989

 


18

國學院大学・柴田保之研究室

 

低酸素脳症でリハビリ不十分、11年目に自らの手で「意識はずっとあった。でも、体が動かなかった」とつづった

*浜田 泰輔(北日本新聞社会部):ぼくの言葉、届いた 高岡・重度意識障害の中島さん 11年ぶりノートに記す 「ゆめのようです」、北日本新聞、2013年3月17日付
*浜田 泰輔(北日本新聞社会部):ずっと伝えたかった1.発症、絆、北日本新聞、2013年3月18日付

 2002年1月17日、北海道大学の2年生だった中島基樹さん(31歳)は、サッカーをしている時に心臓発作で倒れ心肺停止状態になった。心臓が再び動き始めたのは、倒れてから11分後。搬送された北海道大病院の医師は、両親に頭部のCT画像を見せながら「このまま、意識は戻らないかもしれません」と説明した。
 低酸素脳症などによって引き起こされる遷延性意識障害は、回復しないという見方が医療関係者の間で根強く、北海道から富山県内の病院に移った中島さんは、十分なリハビリを受けることができなかった。倒れてから4カ月後、両親は重度意識障害者の積極的なリハビリに取り組み始めていた高志リハビリテーション病院(富山市下飯野)に受け入れを依頼。自分たちも理学療法士らからリハビリ技術を学んだ。03年春に在宅介護に移ってからも、全国の病院を巡ってリハビリのノウハウを教わり、中島さんの回復を信じて実践し続けた。
 言葉を取り戻したのは、国学院大の柴田保之教授(障害児教育学)との出会いがきっかけだった。さまざまな手法を使って重度障害児の言葉を引き出してきた教授を知った依子さんが、自宅に招いた。
 2013年1月、中島さんの元を訪れた柴田教授は、筋肉のわずかな動きを拾う特殊な器具を取り出した。50音を読み上げる音声を聞かせ、思い描いた文字のところで反応する中島さんの力を感じ取る。パソコンの画面には、中島さんが選んだ文字が次々と表示されていった。
 「どうしてわかるのですか ゆめのようです なつかしいです はなせたころのことが」
 両親や友人の介助があれば、ペンで文字を書くことができることも分かった。11年もの間、閉ざされていた中島さんの言葉が、一気にあふれ出した。
 「かあさん こばなれさせずに ごめんなさい」
 「これまで何を考えてきたの」と両親が耳元で話し掛けると、
 「つらかった でも、ぜつぼうではなかった いつかだれかがきづいてくれるとしんじていた」
 中島さんは今、手を添えられなくても文字が書けるように練習を続けている。本当に意識があることを、多くの人に信じてもらいたいからだ。
 「ぼくのようなじょうたいでも いきるいみがある いのちのたいせつさをうったえることが ぼくのしめいです」
 今年に入り、自らの手で「意識はずっとあった。でも、体が動かなかった」とつづった。

 

國學院大学・柴田保之研究室のウェブサイトはhttp://www2.kokugakuin.ac.jp/~yshibata/

 


19

石川県特別支援学校

「生きられても一生、植物状態だ、体のどこも動きません」と宣告された男性、7カ月後に自力で文章を入力

*浜田 泰輔(北日本新聞社会部):ずっと伝えたかった(6)、絆、北日本新聞、2013年3月23日付
*おはなしだいすき あなたの想いが知りたいのです http://ohanashi-daisuki.com/ohanashi/story/index.html
*「気持ちを伝えたい」宮ぷードキュメンタリー映画予告編(第2弾)ver1.3 http://www.youtube.com/watch?v=h1DBEPuzWPs&feature=player_embedded
*山元 加津子(石川県特別支援学校)【道具でひろがる世界】 あなたの想いが知りたいです:Rehabilitation Engineering、27(2)、72‐74、2012

 特別支援学校教員の宮田俊也さんは2009年2月、脳幹出血で倒れた。瞳孔は開きっぱなしで、自発呼吸もなし。集中治療室で医師は、宮田さんの妹と職場の同僚の山元加津子さんに「今夜が山です。もし、山を越すことができたとしても、一生植物状態だし、一生体のどこも動きません」と言った。
 山元さんは、仕事が終わると毎日病院に足を運び、午後8時までの面会時間内にさまざまなリハビリを実践した。
 数か月後、「外の天気は何ですか?」って聞いても、ずっと目を開けてるの。「雨ですか?曇りですか?と言っても目を開けてるのに、晴れですか?と言った時にまぶたがパチンてなったの。うわぁーわかってると思って、わーっと泣いた」。山元さんは、意識が戻っていると確信した。
 宮田さんに変化が現れたのは4カ月後のこと。声に反応するように、眼球を上下に動かした。山元さんは、ひらがなを書いた紙を代わる代わる見せて「言いたいのは上? 下?」と問い掛けた。〈か こ〉 数分かけて宮田さんが選んだのは山元さんの愛称だった。「そうだよ、かっこだよ」。宮田さんに寄り添い、声を上げて泣いた。
 宮田さんは、倒れてから半年後には、首と右手が動くようになった。特別支援学校に勤める山元さんの妹が、フロッピーディスクのケースを使ってスイッチを作り、宮田さんが頭を横にすることで、スイッチを入れるられるようにした。宮田さんは頭のスイッチと50音表から文字を選ぶ「レッツ・チャット」をつなぐことで、7カ月ぶりに誰の力も借りずに文章を書けるようになった。

 


20

岩国市医療センター

歯肉マッサージにより簡単な会話が可能になった

*石井 涼子(岩国市医療センター):歯肉マッサージによる慢性期意識障害患者の意識活性化効果 意識活性化の特徴的な変化を起こした2事例の検討、中国四国地区国立病院機構・国立療養所看護研究学会誌、8、56‐59、2013

 脳疾患患者N氏は意識障害のある経口摂取できない慢性期患者、発症から202日までは口腔ケア(1日3回)のみの期間で、ケア時以外の反応は声かけに開眼し、意味のない音声あり、痛みに対して四肢自動運動あり。
 203日目から、“口腔ケア(1日3回)のみ”と“口腔ケア(1日2回 朝・夕)+口腔ケアシステムを取り入れた歯肉マッサージ(1日1回5分 昼のみ)”を1週間間隔で交互に行なった。

 1週目、口腔ケア時に嫌がり指示で開口不可。ケア時以外の反応は、声かけに対し、追視・頷きあり。時折、「はい」と返事できる。
 2週目、歯肉マッサージ時、嫌がり口を閉じようとする。ケア時以外の反応は変化なし。
 4週目、ケア時以外の反応は、声かけに「こんばんは」、「おはよう」の発語が可能となる。
 5週目、指示により開口できる。
 7週目、ケア時以外の反応は、PEG刺入部を触る。右上肢の動きが活発になる。離握手が可能になる。
 8週目、ケア時以外の反応は、日中しっかり覚醒している。
10週目、ケア時以外の反応は、簡単な会話ができる。「暑いね」

*この資料は、発症から65日目から歯肉マッサージを開始した脳疾患慢性期患者が、食事の自力摂取が可能になったことも報告している。

 


#kizawa

21-25

木沢記念病院
リハビリテーションセンター
中部療護センター

岐阜県美濃加茂市

 

生活予後診断に基づく看護プログラム3例に実施、手指サイン確立1例、表情変化1例

*宇佐見 希子(厚生会木沢記念病院)ほか:遷延性意識障害看護に生活予後診断を導入した看護プログラムの症例研究、日本脳神経看護研究学会会誌、35(1)、48、2012

 紙屋らが2010年に提唱した、生活予後診断に基づく看護プログラムを4週間1クールとし、4週間のパスを用いて看護を展開した。
 症例は男性2人、女性1人、全員20歳代で、受傷から看護介入までの期間は、最短で1年、最長で7年9カ月であった。全員に筋緊張と関節可動域が改善し、座位姿勢の確立と経口摂取の改善を認めた、反応は、右手指でサイン確立が1人、開眼反応の増加と笑顔の表情変化が1人確認された。家族の変化としては「可能性が見えた」、「事故前の顔に戻った」、また他の専門職からは身体の拘縮が改善しエクササイズがやりやすくなった、との発言があった。

 

リハビリ、看護で2年間変化なく、身体解放と生活行動再学習の看護技術で3食普通食

*遠山 香織(木沢記念病院・中部療護センター):「一日の生活」の確立に着目した遷延性意識障害患者の看護、日本脳神経看護研究学会会誌、33(1)、59、2010

 40歳男性は多発性脳挫傷による遷延性意識障害、入院後2年間の計画に沿って1日6単位週5日間の理学療法、作業療法、言語療法、音楽療法と車椅子乗車、背面解放座位、ゼリー摂取訓練などの看護介入を行なった。6カ月間で江南スコア65点から57点に改善したが、以後大きな変化はなく2年間が経過した。問いかけに小声での発語はあったが会話は成り立たない。はっきりした表情で力強く凝視する事もあったが、昼夜の区別が曖昧で昼間うとうとする事が多かった。四肢の緊張が強く座位姿勢が保てなかった。栄養はPEGからの経管栄養、経口摂取はベッド上での嚥下訓練でゼリーを数口摂取するのみであったが、誤嚥はなくスプーンを噛む力は強く咀嚼につながるのではないかと思われた。
 従来の1日の日課に、紙屋らが提唱する身体解放の看護技術と生活行動再学習の看護技術を組み込んだ。1日のプログラムの基本は、朝起きる、座位で過ごす、夜は寝るという生活を軸にした。
 日常生活の動作を他動的に行った結果、2週目で水を吸い込みうがいができた。髭剃りや歯磨きも自分の手で持ってできるようになった。背部への微振動を行ない下肢の筋緊張を緩和することで、4週間後、座位姿勢が楽にとれるようになり表情変化を認めた。座位姿勢での経口摂取にゼリーの摂取量が1/2個に増加した。介入終了10日後、隣に座っている患者が、かっぱえびせんを食べている様子をじっと見ていたため、1本口に入れたところ、噛み砕いて飲み込んだ。これを機に経口摂取が進んだ。1カ月休んだ後、家族指導を含めた6週間のプログラムを実施、退院時には3食普通食が摂取できるまでになった。
 今回行った看護を、看護プログラム実施前後で比較すると、実施前は、意識回復のためのリハビリ、看護は取り入れていたものの単発的で「生活」の視点が抜けていた。本看護の身体解放技術によって座位が確立し、その時間を延長した。そして生活を再獲得する目的で、他動的に行うことで過去に記憶を取り戻すきっかけとなり回復につながったと推測される。

 

認知音楽療法は、意識や認知に関わる脳機能を連合的に刺激する。脳機能画像により証明

*奥村 由香:交通事故の頭部外傷による脳機能障害に対する認知音楽療法、日本音楽療法学会誌、8(1)、13−24、2008

 頭部外傷による脳機能障害の重症患者のうち、意思疎通が困難なvegetative state(VS)1例、かろうじて意思疎通が図れるminimally conscious state(MCS)2例に対し、認知機能の改善を目的に音楽を用いる認知音楽療法を施行し、その効果について音楽療法評価表と脳機能画像により検討した。
 その結果、メロディ模倣など意図的運動が改善されたVS症例の認知音楽療法時のSPECTでは、右側の聴覚野に脳血流の増加がみられた。また、さらに高次の認知機能が改善したMCS症例の認知音楽療法時のSPECTでは、前頭前野に脳血流の増加がみられた。
 以上のことから、認知音楽療法は、頭部外傷により言語機能に損傷を受けた重度の脳機能障害に対し、音楽により意識や認知に関わる脳機能を連合的に刺激する方法であったことが脳機能画像により明らかとなり、脳機能のリハビリテーションとして有用であった可能性が示唆された。

 

音楽療法で遷延性意識障害患者の志向的意識を回復

*奥村 由香:交通事故の頭部外傷後遺症の遷延性意識障害に対する気づきを促す音楽療法、発達臨床研究、25、31−38、2008

 多発性脳挫傷、びまん性軸索損傷の受傷時18歳男性は、疼痛刺激に対して四肢・体幹の異常伸展はみられるが、合目的動作はない。聴性脳幹反応は左右+、視覚誘発電位は左右−、音や音楽などの聴覚刺激に対し開眼反応はあるものの、視覚刺激に対し追視や瞬目反応はない。幼少時にピアノ教室に通った経験と、高校時代にギターの経験がある。外界への気づきを促す音楽療法を週2回、40分実施した。楽器操作に対する働きかけには全く反応せず、弛緩した状態が6ヵ月間続いた。
 12ヶ月後、音楽の差に対する気づきから、触覚・位置覚などの感覚の統合的な処理により楽器の音出し行為が出現し、メロディー模倣を行うなど外界とのやりとりが回復された。音楽療法時のSPECT検査においても、右側の上側頭回と前頭前野で脳血流量の増加を認めたことから、外界への気づきを促す音楽療法は、遷延性意識障害の志向的な意識の回復に寄与した可能性が客観的に示唆された。日常生活では、歯磨きやスプーンを口に運ぶことがコンスタントにできるようになった。意思疎通が困難な状態であったため、植物状態の基準からは脱しなかった。

 

嚥下訓練を行っていた患者は3人に1人、人間らしく生きるために少しでも口から食べさせて上げたいと思うのが、介護者であり、医療者ではないか

*兼松 由香里:経管栄養と遷延性意識障害患者の嚥下訓練、静脈経腸栄養、20(増刊)、307、2005
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspen/20/Supplement/s295/_pdf/-char/ja/

 2002年9月〜2004年6月に、当センターの経管栄養実施者26名の平均年齢は31.3歳、入院までの期間は平均9.5ヵ月。受傷後より当院入院までに嚥下訓練を行っていた患者は9名(34.6%)であり、うち2名は母親による飴やガムなどを使った訓練であった。入院時の嚥下機能は平均9点であり、2004年6月時点の平均は8点であった。入院後、最高で3点の変化がみられた。
 意識障害患者の多くは必要な栄養を経口摂取できず、嚥下訓練を必要とするが、介護者や医療者の負担が大きく充分な嚥下訓練ができていないのが現状ではないかと考える。長期の介護が必要となり経管栄養は在宅での介護のしやすさなどから胃瘻がよく用いられ、管理もしやすく安全に栄養摂取でき生命を維持することができる。しかし、一方では嚥下機能を有している患者に対しても、安易に経管栄養が用いられている。嚥下訓練をあきらめや不要だとして経口摂取の可能性に目を向けていないのではないか。意識障害患者は自ら訴えることが困難であるが、より人間らしく生きる為に少しでも口から食べさせて上げたいと思うのが、介護者であり、医療者ではないか。胃瘻を増設しても、嚥下機能が残存すれば、廃用する前に積極的に摂食・嚥下障害に取り組み必要があると考える。

 このほかの同施設の論文

*宇佐見 希子(厚生会木沢記念病院・中部療護センター):頭部外傷による遷延性意識障害患者に対する背面開放座位の効果、日本脳神経看護研究学会会誌、32(2)、125‐133、2010
*宇佐見 希子(厚生会木沢記念病院中部療護センター):背面開放座位保持具を使用した座位姿勢が遷延性意識障害患者へ及ぼす影響 臥床安静時と背面開放座位時の自律神経活動の比較、日本脳神経看護研究学会会誌、31(2)、117‐123、2009
*宇佐見 希子(木沢記念病院中部療護センター):背面開放座位保持器具を使用した座位姿勢が遷延性意識障害患者へ及ぼす影響 臥床安静時と背面開放座位時の自律神経活動の比較、日本脳神経看護研究学会会誌、30(1)、37−42、2007

 


26-27

熊本託麻台病院

脊髄電気刺激療法で1カ月後に意識レベル改善、3年後に歌を唄うことができた

*平田 好文(熊本託麻台病院脳神経外科):遷延性意識障害に対する脊髄刺激療法、Brain、1(4)、344‐350、2011

 48歳男性、クモ膜下出血でコイル塞栓術、脳室ドレナージ、気管切開、胃瘻、VPシャント、5ヵ月間リハビリが行われたが効果なく、発症8カ月目に当院に脊髄刺激療法目的で入院となった。入院時、意識レベルは、問いかけに対して頷き、わずかに右手を挙げて答えることはできるが、その他の反応はなく、四肢の痙縮が著明で、とくに左上下肢はまったく動かすことはできなかった。座位は不能で、リハの可動域訓練に際しては苦痛の表情がみられていた。MRIでは、両側の小脳、左後頭葉を中心に脳血管攣縮による多発性脳梗塞が認められていた。

 脊髄刺激術後1カ月目には意識レベルが改善しゼリーを摂食可能となり、術後2カ月では2人の介助で歩行が可能となり、経口にて十分量食べることができ、気管カニューレは抜去した。
 退院後、介護保険を利用して長期リハビリをB・C病院にて3年間受けたところ、会話が改善し、歌を唄うことができるようになった。長谷川式認知スケールも入院時8/30点から16/30点へ改善して、手つなぎ歩行が可能となって、食事は普通食、現在もリハビリを続けている。

 

正中神経刺激療法により従命反応出現、脊髄刺激療法の追加でADLも改善

*平田 好文:正中神経刺激療法、Clinical Neuroscience、26(6)、668−669、2008

 2002年10月3日自転車走行中、自動車に追突され頭部打撲、急性硬膜下血腫。2003年1月7日リハビリテーション目的で入院、遷延性意識障害の状態で、反応スケール3、状態スケール5であった。

 入院4日目(発症3ヵ月8日目)正中神経刺激療法開始。正中神経刺激療法20日目、開閉眼による意志の表示可能。正中神経刺激療法29日目、指示に対して首を振ることができる、左手を動かせる。正中神経刺激療法32日目、正中神経刺激療法終了。経口摂取は不能であった。
 さらに両上肢の痙性麻痺に対する機能改善の目的で、2003年2月24日Temporary SCS(脊髄刺激療法)開始。Temporary SCS8日目、経口摂取可能となる。Temporary SCS14日目、スプーンでアイスクリームを口へ持っていけるようになりTemporary SCSを終了した。

 


28-32

人間総合科学大学・湘南病院

背面開放足底接地座位、足浴、口腔ケアで15名中5名が改善、血漿ノルアドレナリン、血漿ドーパミンが増加

*佐藤 光栄(人間総合科学大学大学院人間総合科学研究科心身健康科学専攻博士後期課程)、山口 和朗(湘南病院)ほか:遷延性意識障害者への看護介入に対する生体反応に関する研究、神奈川歯学、47(1)、15−23、2012

 意識のある寝たきり高齢者を対照群として、遷延性意識障害者に背面開放足底接地座位、および足浴、口腔ケアの看護介入を日常の看護に追加して行うことで、脳の活性化や覚醒水準を高め、意識レベルの向上を図ることができるかを観察し、また、ストレス状況を示す生理学的変化を捉え、第三者による評価等を合わせて調査することで、遷延性意識障害者の意思を示す反応が得られるか検討した。

対象と方法
 対象は、承諾が得られた遷延性意識障害者37歳から91歳までの男性4名、女性11名の合計15名、平均年齢76.87 土13.17歳。比較の対照として、意識のある寝たきり高齢者は70歳から96歳までの男性2名、女性4名の合計6名、平均年齢83.8±10.79歳。
 生理学的データは看護介入開始前、1週間後、2週間後、3週間後に行った。採取時間は15時〜16時半、すべての看護介入の時間から検体採取までに3時間以上の間隔を空けた。疼痛をともなう採血は最後に行った。
 遷延性意識障害者に対する他者評価は、表情、意思疎通、発語、問題行動、身体可動域、意識レベルの6項目について、それぞれの変化の有無を半構成質問紙として記述により調査した。微細な変化を捉えるため点数化はしていない。評価者は、第3者の評価として施設の看護師で日常看護を行っているが、研究の看護介入には参加していない病棟管理者の看護師に依頼し、研究期間中の介入前後で評価した。

結果
 看護介入前の広南スコアは、最重症者13名、重症者1名、中等度1名。3週間の介入結果としての変化は、最重症者6名、重症者5名、中等度症例3名、脱却例1名となり意識レベルの改善傾向を示した。介入前の平均値と標準偏差は66.50±5.00、介入後は58.20±11.80で有意差がみとめられた。
 ストレスホルモンである血漿コルチゾールは濃度の変化は、意識のある寝たきり高齢者も遷延性意識障害者も、基準値の中での変化であった。看護介入による有意な変化は観察されなかったが、身体的な負荷により変動することが分かった。唾液は、検査に必要な量が得られにくく、現時点の検査方法では不適切な検査であることがわかった。
 血漿ノルアドレナリン濃度は、介入前の平均は0.34±0.29ng/mlで、介入後3週目には0.43±0.35ng/mlと増加した。意識のある寝たきり高齢者も、増加率に違いはあるが増加していた。身体的活動域が大きくなった時期に合わせて増加していることから身体的負荷による反応として裏付けられる。脳の活性化が図れ、覚醒効果をもたらしたことが意識レベルを表す広南スコアの減少からも裏付けられる。
 血漿ドーパミン値は、4症例について介入後0.02〜0.1ng/mlではあるが、わずかに増加していた。今回の看護介入が、少なくとも15名中4名は心地よいと感じていたと考える。
 他者評価は、介入3週目の変化として変化なし5名(症例7、10、11、13、15)、追視あり3名(症例2、12、14)。症例1は、身体可動域が柔らかくなった。症例3は、焦点が合い、追視がみられ、身体可動域が柔らかくなった。症例4は、焦点が合う、返答に頷き、身体可動域が柔らかくなった。症例5は、追視がみられ、意味ある発語がみられた。症例6は、追視がみられ、単語にて発語はみられた。症例8は、発語、追視がみられ、頷きによる返答が増えた。症例9は、発語、追視、時によって意味ある発語あり。文章として会話した症例はなかった。
 以上、遷延性意識障害者と寝たきり状態にある高齢者を対象として看護介入の効果を観察した。生体反応に対して、意識のある寝たきり高齢者の主観的評価では、看護介入により幸福感は改善傾向を示し、他者による第3者評価では、遷延性意識障害者も意識のある寝たきり高齢者もわずかに改善していく傾向が認められた。このように生体反応に呼応するような結果として捉えられたことは、微細な内分泌系の変化や自律神経系の反応、意識レベルの変化として、何らかの意思を示す反応が残存していることが観察できた。これら生体反応により、遷延性意識障害者の意思として評価できる可能性が示唆された。

 

意識レベルが改善方向に向かうと、顔の表情は厳しい方へ変化することが多い

*佐藤 光栄(人間総合科学大学大学院人間総合科学研究科心身健康科学専攻博士後期課程)、山口 和朗(湘南病院)ほか:遷延性意識障害者に対する看護サービスの評価指標の開発に関する研究、東方医学、27(3)、39−49、2011

 この論文は、37歳から91歳までの遷延性意識障害者11名に対する看護介入について、顔写真による表情変化を評価したことも報告している。看護介入前を加え4枚の顔写真を用い、他施設に勤務している看護師経験3年以上の看護師20名に評価を依頼した。写真の撮影時期を知らせず、各自が最も良い表情と思われる写真から順位付けを行い得点とし、最頻値をそれぞれの写真の得点とした。
 看護介入前の表情得点が高い傾向がうかがわれ、「意識レベルが改善方向に向かうと、多くの対象者が顔の表情は厳しい方へ変化する可能性があり、意識レベルの段階に影響することが推察された」「遷延性意識障害者のストレス評価として顔写真の評価により判定できる可能性があり、目の焦点、眼力、ならびに口の開閉など表情の評価の視点を共有して行う必要がある」としている。

 


33

十善会病院

頭部CT画像の所見と症候が不一致、体性感覚の入力増大で合視、眼や舌で意思表示、発語

*兵働 眸(十善会病院リハビリテーション科):受傷後4カ月の重症頭部外傷者に対する体性感覚を用いた理学療法の効果について、長崎理学療法、11、24−28、2011

 72歳男性は外出先で嘔吐し意識消失しているところを救急搬送された。入院時、既に急性硬膜下血腫による切迫脳ヘルニアを呈した状態であり、緊急で開頭血腫除去術が施行された。
 受傷翌日から拘縮予防と意識改善を主目的に急性期理学療法をベッド上にて開始したが、経過中に肺炎と心不全を合併した。受傷後4カ月では、意識状態がGCS(E2〜3、V1、M2)まで改善したが、開眼時間は1回平均が十数秒程度で、追視などの自発的な眼球運動は全く見られなかった。四肢は常に除脳硬直様の肢位となり、全身的に伸展パターンが顕著で、車椅子坐位が困難な状態となっていた。
 頭部CT画像から予測される症候は、左運動麻痺と視覚の障害、意識障害などが考えられる。しかし、本症例が呈する重度な意識障害や除脳硬直様肢位の出現は考え難く、症候はより重度であることが分かった。本症例の症候が遷延している要因として、左右の大脳半球のアンバランスによる正常な脳の機能低下が考えられた。

 そこで、受傷4カ月以降の理学療法の焦点を“体性感覚の質や入力の量”にあてた。脳を賦活するために、ティルトテーブルでの起立練習(50度/3分/1セットから)を追加し、施行中には同時に聴覚・嗅覚など特殊感覚の入力も行った。また、言語聴覚士や看護師、ご家族にも理学療法の時間以外でも声かけや口腔からの刺激の入力を依頼した。
 試行開始2週間後より覚醒状態が改善して、声かけや体動刺激にて容易に開眼するようになった。1カ月後には意識状態がGCS(E3〜4、V2〜3、M4)へと改善し、この頃より合視が可能となり、眼での合図や舌の突出にて意思表示をすることも可能になってきた。さらには、「はい」などの発語が稀に聞かれるようになった。
 ティルトテーブルでの起立時間は、最終的には70度、7分間の3セットまで時間が延長できるようになった。除脳硬直様肢位や拘縮には著名な改善は見られなかったが、試行前は筋緊張が常に亢進していたため3人の介助を必要としていた起居・移乗動作が、試行約1カ月後には2人介助にて安全で容易に行えるようになった。加えて、車椅子座位の耐性は5分から30分以上へと延長した。

 


34-44

大阪大学医学部付属病院
救命救急センター

摂食嚥下障害は、薬物・廃用性変化・口腔器官構造の変化が主因

*舘村 卓(大阪大学大学院歯学研究科高次脳口腔機能学講座):遷延性意識障害例への経口摂取支援と口腔ケア、日本口腔ケア学会雑誌、5(1)、47、2011

 遷延性意識障害の人々の摂食嚥下障害の多くが、当初の致命的状態の原因となった頭部外傷や低酸素脳症等が主因でないことを経験してきた。「意識障害に陥った場合には一生口から食べて話すことはできません」という急性期の主治医の根拠の乏しいコメントのために、急性期から摂食嚥下機能は適切に評価されず、上記した処置に加え、原始反射と痙攣発作のために用いた抗痙攣剤や筋弛緩剤の使用と非経口的摂取が長期におよんだことによる口腔咽頭機能の廃用性変化、長期に仰臥位で経過したことによる口腔器官構造の変化等に伴う問題が原因になっていることが多い。このような経口摂取を制限する問題は二次的に生じたものであり、早期から口腔咽頭機能にケアの視点で関わることで重症化と複雑化を防止することが可能であると思われる。
 しかしながら、外傷性頭部障害や低酸素脳症の救命現場では口腔咽頭機能に歯科医療職が介入することはほとんどないのが現状であり、口腔の視点に立った対応の概念はいまだ一般化されていない。
 脳内出血・硬膜下出血後6年8カ月間、非経口摂取が継続されていた遷延性意識障害例での摂食嚥下障害にケアの視点で取り組み、経口摂取まで良好に支援できた。

 

5年8ヵ月後に意識を回復した重症頭部外傷患者ほか

*塩崎 忠彦:重症頭部外傷後の植物状態患者はいつ目を覚ますのか?、脳死・脳蘇生、22(3)、135−142、2010

 当施設では、受傷後1ヵ月後に植物状態を呈していた重症頭部外傷患者に関しての長期予後追跡調査をprospectiveに施行しており、2009年12月現在、35症例で7年以上の予後追跡調査を現在も継続している(男/女=27/8、受傷時の平均年齢45±19歳)。この追跡調査により、以下の事実が明らかとなった。

  1. 重症頭部外傷受傷1ケ月後に植物状態を呈していても、57%(35例中20例)が1年以内に意識を回復した。

  2. 1例の患者が受傷から2年後に、1例が5年8ヵ月後に意識を回復した。

  3. 2例が社会復帰を果たした。

  4. 受傷後3年以上が経過してから6人の患者が突然意味のある単語を話すことができるようになった。

  5. 受傷から3年間全く便意を訴えなかった1例の患者が、3年4ヵ月後に突然便意を訴えて、その後完璧に排泄をコントロールできるようになった。

  6. 受傷から5ヵ月後に意識が回復した後、意味のある単語を話すまで改善していた患者が、転医後に再度植物状態に陥り、そのまま3年半同じ状態が続いたが、リハビリによって食事を自力摂取できるレベルまで改善した。

 来院時の意識レベルが悪い(GCS<5)と意識回復度合いが有意に悪かった。受傷時年齢、頭蓋内圧の高低、脳損傷形態(CT画像上)との間に明らかな関係は認められなかった。 つまり、頭蓋内圧が低いからといって必ずしも意識が回復するわけではなく、逆に頭蓋内圧が高くても、急性期での脳圧亢進による脳死を回避できさえすれば、意識が回復する可能性があるのではないかとわれわれは考えている。
 この長期追跡調査をしていて我々が最も驚いたのが、発語に関する年単位の緩除な回復である。7年以上追跡できていて、かつ意識の回復した16例のうち、7症例は受傷後1年半の時点で意味のある発語が全く不可能で、家族も発語に関しては全く諦めていた。ところが、受傷後3年以上が経過してから6人の患者が突然意味のある単語を話すことができるようになったのである(残りの1例は残念なことに受傷から10年経過した現在もまだ意味のある発語はできていない)。例えば、受傷時20歳の男性は、受傷3年8ヵ月後頃から「アーアー」や「ウーウー」という声のトーンが急に大きくなってきたと周囲が思っていると、その2ヵ月後(受傷3年10ヵ月後)に突然「お母さん」「婦長さん」「ありがとう」等の言葉を発するようになった。これは、我々の全く予想できなかったことで、非常に衝撃的な事実である。
 年単位の緩除な回復は発語に関するものだけではなく、認知能力に関しても確認できている。意識の回復した18例で、受傷から5年以内は、摂食>排泄>整容の順に本能に近いものから、ゆっくりゆっくりと年単位で回復していく。
 我々は現在、「急性期治療が終了した時点で植物状態を呈していても、諦めずに治療を継続すれば中枢神経機能が回復する可能性が十分にある」と考えている。遷延性意識障害患者の治療でのkeywordは「諦めない!」である。

注:この塩崎論文は、2009年に脳死・脳蘇生22巻1号P22で要旨が発表されている。

 

参考:現在の医療レベルでの自然回復過程、重症頭部外傷患者の67%が平均4.1ヶ月で意識回復

*塩崎 忠彦:長期植物状態からの回復時期の解明、厚生科学研究費補助金 脳科学研究事業 平成13年度総括研究報告書、20−25、2002

 大阪大学医学部付属病院救命救急センターで急性期治療を受け、受傷後1ヶ月の時点で植物状態を呈していた重症頭部外傷患者24例、@受傷から3ヶ月以内に植物状態から脱却して急激な意識レベル改善を認める10例、A受傷4〜12ヶ月後にかけて緩徐に意識レベルが改善して植物状態から脱却6例、B植物状態がずっと遷延する8例の3通りに分かれる。16例の意識回復までに要した期間は平均4.1±3.0ヶ月。現時点で社会復帰できている症例は皆無。死亡症例は6例(25%)、それぞれ12、14、16、31、36、37ヶ月目に感染症で死亡した。

 

受傷から8.5年後:重症頭部外傷患者の6割が意識回復、急性期治療終了後も治療継続を

*塩崎 忠彦:重症頭部外傷受傷後に植物状態を呈している患者は、いつ目を覚ますのか?、日本救急医学会雑誌、16(8)、448、2005

 当施設で治療を受け、重症頭部外傷受傷から1ケ月後に植物状態を呈していた35例(平均年齢45±19、男/女=27/8)は、2005年3月現在、 全例で2年以上(最長8年5ケ月)の追跡調査がなされている。意識回復の過程は、

  • 受傷から3ケ月以内に急激な意識レベル改善を認める症例(12例)

  • 受傷5〜12ケ月後にかけて緩徐に意識レベルが改善する症例(8例)

  • 植物状態が遷延する症例(15例)

の3通りに分かれ、35例中21例(60%)が意識を回復した。意識回複までに要した期間は平均5.0±5.2ケ月であった。経過中9例(26%)が感染症で死亡したが、受傷から 1年以内の死亡は2例(6%)のみであった。意識が回復した21例のうち、MD以上のレベルにまで回復したしたのは3例(14%)だが、うち2例が社会復帰した。受傷時年齢、急性期頭蓋内圧の高低、及びCT上の脳損傷形態と意識回復度合いとの問には明らかな関係を認めなかった。
【結論】重症頭部外傷の急性期治療が終了した時点で植物状態を呈していても、諦めずに治療を継続すれば中枢神経機能が回復する可能性が十分にあることと、年単位で綬徐に回復する中枢神経機能が存在することが明らかになった。

 

重症頭部外傷35例、受傷から10年後

*塩崎 忠彦(大阪大学医学部附属病院高度救命救急センター):頭部外傷後に1ヵ月以上植物状態が遷延している患者は、10年後どうなっているか?、日本救急医学会雑誌、23(10)、542、2012

 当院に搬送され、重症頭部外傷受傷から1ヵ月後に植物状態を呈していた35例(平均年齢45±19、男/女=27/8)を前方視的に追跡調査した(最低10年)。
 10年後のDisability Rating Scale score(30点満点)は、障害なし(0点)1例、障害軽度(1点)なし、部分的な障害(2、3点)なし、目立つ障害(4〜6点)4例、やや重い障害(7〜11点)1例、かなり重い障害(12〜16点)5例、極めて重い障害(17〜21点)3例、植物状態(22〜24点)2例l、重度植物状態(25〜29点)なし、死亡(30点)17例、途中離脱2例であった。2例が社会復帰を果たしたが、1例は残念なことに受傷5年4ヵ月後に脳梗塞で死亡した。
 急性期治療が終了した時点で植物状態を呈していても、諦めずに治療を継続すれば中枢神経機能が回復する可能性が十分にあると我々は考えている。

 


45-48

長野県厚生農業協同組合連合会

佐久総合病院

長野県佐久市

 

鹿教湯三才山(かけゆ みさやま)リハビリテーションセンター三才山病院
 

長野県上田市

 

 

予防的投与の抗てんかん薬中止で意識改善、4年後に買い物、選挙投票も可能になった

*2010年12月8日(水)内閣府主催「障害者週間」連続セミナー http://www.pref.nagano.jp/syakai/kousei/jyakunenn/sankousiryou3.5.12.pdf 
*太田 正(佐久総合病院リハビリテーション科):印象に残ったリハビリテーション事例 疑わしきは続行する 植物症からのリハビリテーション、総合リハビリテーション、39(3)、292−294、2011
*太田 正(佐久総合病院リハビリテーション科):遷延性植物状態から長期に渡って回復を見せている重症脳挫傷の1例、The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine、47(12)、880、2010

 35歳男性、約5年前、屋根から5メートル下の地面に転落し、木の切り株に頭を打ち付けた。右前頭部が大きく陥没し、脳の一部が外に脱出していたが、ドクターヘリで搬送され一命をとりとめた。その後の合併症(肺膿瘍による敗血症性ショック)も乗り越えて、なんとか全身状態は安定したものの、遷延性植物状態にとどまった。受傷後3か月後でリハ専門病院へ転院。
 転院時(受傷後92日)JCS3〜20、気管切開、四肢の自発運動わずかにあり(植物症の定義に合致)。カルテの記載「重症頭部外傷の比較的若年者、未だに意識障害の遷延あり、機能予後不良と考えられる(中略)抗てんかん薬の副作用もあり得るが、その関与はわずかであろう」
 重症者に限っても遅発性てんかんの合併は30%程度であり、自験例も含めて薬物中止による脳機能回復の報告をみてきた私(太田)は、家族の了承のもと、処方されていたバルブロ酸を漸減中止した(過量投与ではなく、血中濃度は治療域で、アンモニアも正常であった)。すると1〜2週のうちに意識状態は改善し、介助での歩行器歩行訓練も可能となった。
 結果的には、前頭葉性の無動無言に抗てんかん薬の副作用が重なって遷延性植物状態を呈していたと考えている。
 その後の回復は緩徐であったが、受傷後1年で直接嚥下訓練開始、1年半で発語出現、1年8カ月で経管栄養離脱、屋内歩行自立、2年4カ月で食事自立、尿失禁消失した。3年半にわたった入院で、身体機能はさらに回復して歩行・階段昇降が自立したものの、自発性低下を中心とした高次脳機能障害が中等度に残存した状態で自宅へ退院した。
 地元の障害者施設での生活介護を利用しながらリハビリテーション科外来に通院することにしたが、意外なことに回復はさらに続いた。自ら身支度をして近所に一人で買い物に行くようになった彼は、外来で私の顔をみて、はっきりとした声で買い物の様子(パン・ジュースなどを買い、お釣りの計算もできる)や最近のニュース(衆議院選挙に期日前投票をしてきた)を報告してきた。ここまでに、受傷から4年7カ月が経過していた。

 

愛犬と再会時の動作・表情で意識のあることを発見、アプローチする相手により反応が異なる

*太田 正(佐久総合病院リハビリテーション科):植物症からのリハビリテーション 人間らしく生きる権利の回復、文化連情報、389、28−34、2010 http://www17.plala.or.jp/jakunen-s/bunka8.pdf

 宮下 千春さんは、帝王切開で出産した翌日に肺塞栓症を起こし、心肺停止状態から何とか蘇生したものの、脳に重大な損傷をきたしてしまった。急性期病院から病院を転々とすることを余儀なくされ、三才山にきたのは発病して5年後で、実に七番目の病院であった。
 初めて見た千春さんは、目は開けているものの、意味のある発語はなく、こちらからの呼びかけにオウム返しのように言葉が返ってくるだけであった。口を開けることも難しく、食事は胃瘻、尿便はもちろん失禁である。体は反り返りやすく、車椅子に座ることもできなかった。1972年に提唱された日本脳神経外科学会による植物状態の定義に当てはまっていた。その後2年近く入院して在宅療養の準備をし、今日に至るまでの自宅生活が始まった。

 事故で脳に大きな損傷を受けた中年女性は、受傷2カ月以上経過後の転棟時に、目は開いているが、その視線は下の方に向いているだけで、動くものを追うことは全くなかった。右半身はほとんど動かず、左半身をただ目的もなく動かすのみであった。気管切開がされ、膀胱にはカテーテルが挿入されていた。無論、声を出そうとする様子もない。
 ご家族から「愛犬の声を録音して聴かせてあげたい」という希望があり、それならいっそのことと、愛犬を直接連れてきてもらうことになった。受傷から3カ月半後、一般の犬が簡単には入れない病院の片隅で、目立たない形で愛犬との再会が実現した。
 すると、驚くべきことが起こった。ふだん目的無く動いているように見えた左手が、愛犬の方へ伸び、その首を抱こうという動作をしたのだ。口元が心持ちゆるんだように見えた。偶然とは思えなかった。植物症からのリハビリテーションは、こうして始まった。
 彼女は受傷後半年を過ぎた。未だにわずかずつだが確実な回復を見せ、冗談には笑い、指相撲では反則までできる。辛うじて書いた名前には落款が押され、色紙としてベッドサイドを飾っている。また、アプローチする相手によって、その反応はかなり違う。今でも最大限の反応を引き出すのは愛犬であり、ほとんど相手にされないのは私である。
 宮下千春さんも、「これは、馴染みの人か、毎度お馴染みの手順か、いつもの馴染み環境か、……等を基準に、反応の仕方を決めている」とのことだから、こんな反応の違いは当然だ。一人一人を見事に区別して対応しているのだ。
 もはや、彼女を植物状態と呼ぶ人は少ないだろう。前述の脳神経外科学会の定義からも外れつつある。ここまでの回復でさえ誰も予想できなかったが、それが必ずしも例外とは言えないことは、長野県の調査が示した。
 しかし、回復期病棟入院が3カ月を過ぎて、入院基本料が1日1770点→785点へと急落した彼女は、次の行き先を捜さざるを得ない。私たちの視界から外れたあとは、どこへ行くのか。「植物症からのリハビリテーション」は、まだその緒についたに過ぎないのに。

 植物症患者。たとえ意識が無いように見えても、そこには家族が支え、また家族を支えているいのちがある。
 失われていたのは、私たちの意識の方であり、回復の芽を見つけ出そうという私たちの姿勢が、今問われている。
 回復の芽は、馴染みの♀ツ境の中でこそ、最大限に生かされる。長期間(3年程度)の専門的リハビリテーションを地元で受けられる体制作りが急務と考える。

 

姿勢と食形態の調節が経管栄養離脱に重要

*小林 洸介(三才山病院):遷延性意識障害を呈した若年性脳損傷患者の摂食嚥下機能の経過、日本摂食・嚥下リハビリテーション学会雑誌、13(3)、392、2009

 18歳男性は交通事故により受傷し、遷延性意識障害(広南スコア68点)1ヵ月後当院へ入院。追視・注視なし。6ヵ月後、声掛けに左上肢を挙上、7ヵ月後「グー」「パー」など手の模倣が可能。ゼリーによる直接的訓練開始。8ヵ月後表情変化あり。
 重度口腔期障害、嚥下訓練開始当初に送り込み不良であったが、姿勢を15〜20度にすることで口腔外流出を抑えられ、食物の送り込みを有利にした。粘調度の高いミキサー食に、だし汁を入れ液状にすることが食物の送り込みに有効であった。1年後慣れた介助者であれば30分で摂食可能になり、経管栄養を離脱。15ヵ月後全粥が摂取可能。現在、副食は特別に調理された軟菜食を60度姿勢で摂食し、著しい口腔外流出は減少(広南スコア46点)。

 


49-50

東京女子医科大学病院

 

膝に孫を乗せたら顔がほころび孫を抱く動作、首をわずかに振り意思を表出するようになった

*山内 典子(看護部):意識障害のある患者とのかかわりの事例、臨床看護、37(11)、1400−1405、2011

発症直後〜30日
 ピアノ講師の60歳代女性は交通事故による頭部外傷、開頭血腫除去術と外減圧が施行。バイタルサイン安定したが意思疎通は図れなかった。術後3日目からベッド上で理学療法が開始、良肢位保持や他動運動を行い、口腔ケア時に顔面および口腔内マッサージを実施した。

発症後30日〜60日
 外減圧部に人工骨を戻す手術を施行したが、その後も意思疎通は図れなかった。昼夜が逆転し、睡眠覚醒リズムは崩れていた。50日目より、レモン水に浸したアイス綿棒により口腔内を刺激すると、顔をしかめるようになった。日中に車いす移乗や理学療法により体を起こし、屋上で日光を浴びるようにした。よく聞いていたCDを流し、家族によりアロマオイルを使った手足のマッサージが行われた。

発症後60〜120日
 その後も意思疎通が図れない状態が続いたが、先述のケアは継続、90日を過ぎた頃より睡眠覚醒リズムが整っていった。ある時、家族が患者の膝に孫を乗せたところ顔がほころび、右手で孫を抱く動作がみられた。同時期に首をわずかに振り、意思を表出するようになった。その後、「歯ブラシを見ると自ら口を開ける」「家族が帰宅する際に涙を流す」、など今までにない変化がみられた。
 これを機に歯ブラシを握らせると、自ら磨き、水分を含ませるとうがいもできた。嚥下機能に問題がないことを確認した後、胃管を抜き経口摂取をはじめたところ、アイスクリームを食べることができた。家族が持参したピアノのキーボードに右手を添えると引き出した。

発症後120〜150日
 食形態の変更と同時に表情に力が入り、流涎が完全になくなった。家族の名前や簡単な言葉を発するようになった。菓子を手で食べられるようになり、その数日後には自ら排泄したことを訴えるようになった。
 これをきっかけに、食後にトイレに誘導するケアを統一して行ったところ、次第にトイレで排泄できるようになり、さらに尿意を周囲に訴えるまでになった。

 看護師よりも患者の生活や特性を知る家族の方が、患者の意思・サインをうまくとらえることが多い。家族に対して患者との交流を積極的に促し、サインに対する情報の提供を受けることも重要である。ケアをする側が、患者の発したサインを意味あるものとして受け取ることである。
 患者と看護師には、おそらく、時間感覚の違いがある。看護師はせかせかとした気持ちのまま患者のベッドサイドに行くことが多い。看護師は患者のサインをとらえようとするとき、いったん足を止め、深呼吸をして時間の流れをリセットする。患者が覚醒しているタイミングを見計らい、そのなかで患者のペースを大事にできる時間を意図的につくることにより、患者のサインがとらえやすくなる。
 患者の生活援助をとおして、ばらばらに見えた身体の動きから目的や意味を見抜き、それに見合ったケアを行うことにより患者の主体性を促すことが大切である。ここでも家族から得られる情報は重要である。かつて、ストレスを感じると、額に自分の手を当てる癖を持つ患者がいた。その患者は、胃管を抜いてしまうためミトンによる拘束帯をしていたが、家族の要望によりそれを外したところ、素手を額につけて安堵した表情になり落ち着いたことがあった。癖は患者なりの安心を得るための行動でもあり、それ自体に意味があるといえる。
 看護師主体のケアも大切であるが、患者ができることに着目してセルフケアできることを増やすことが望ましい。

 

脳死判定された30歳女性患者が意識を回復

*横山 正義(東京女子医科大学第1外科):“医工学治療と倫理問題 「植物状態」VS.「品位ある死」”、クリニカル エンジニアリング、7(5)、421−426、1996

 九州の某大学病院に心臓弁膜症で入院中のAさん。人工弁手術後15日目の朝、脳血栓症で全身痙攣、30分後に瞳孔が散大し、呼吸が停止、人工呼吸器を装着した。脳波平定、脳神経専門医の診察は「脳の局所的障害ではなく、脳全体が広範に障害されている。無呼吸、瞳孔散大、対光反射消失などは延髄(生命の中枢)の障害を意味する。痛覚も消失している。したがって、今後の見通しは悪く、回復はほとんど望めない」。
 約3週間、集中治療室で患者を治療し、人工呼吸器を使用しているものの状態がそれなりに安定してきたので、患者を一般病室に戻した。患者はうめき声のほか、声を出さない。ときどきベッド上で全身性痙攣発作を起こす。 
 脳梗塞以来1ヵ月を経過し、人工呼吸器だけは取り外せた。しかし意識はなく、瞳孔は散大、脳波の結果も不変であり、再度の脳死の判定が下された
 
 意識消失以来4ヵ月経過、「患者が何かしゃべるようだ」という。ミカンを患者の口の中に入れたら「すっぱい」というような発言をしたという。横山氏は「死ぬ予定になっていた患者が話し出したという。幽霊かもしれない」と書いている。脳神経の専門家の診察結果は「不思議にも回復の過程に入っている。脳波も以前のように平定ではなく、スパイクが認められる。これまでの診断は間違っていた。訂正する」ということであった。
 心臓手術後7ヵ月経過、Aさんは自分でトイレに行ける。目は少ししか見えないが、何とか手探りで歩けるようになった。耳は聞こえ、周囲の質問には幼稚な言葉で返答するが、言葉になっていない。

 横山氏は「急にAさんが声をあげ始めたときは、病院スタッフ全員で大喜びした。『脳神経専門医の診断はあてにならない』と言った人もいた。しかしその後のAさんの状態をみると、やはり専門医の診断は正しかったと考えざるをえない。Aさんが無意識状態から回復したという点では、なるほど誤診であったが、脳の障害との関連でみれば、診断は正しかった。Aさんの知能は幼稚園児以下である。『奇跡の回復』という言葉はあるが、現在の脳神経専門家からみれば、診断は当たらずとも遠いからずである。『奇跡』の介在する余地はほとんどない」・・・・・・「生きているだけが人間ではない。意識があっても生きようとする努力がなければ、生きている意味がない」と書いた。この論文の文末では、「(疾病の)回復可能性のないときは自然死を選択する。これが生と死の調和であり、現代医療の中に仕事をしている我々の義務である」としている。

注:当サイトでは、倫理に反するとみられる行為や発言についても、その行為・発言がなされた記録を残すために当事者の表現をそのまま掲載しています。

 

 


51

大垣市民病院

脊髄後索電気刺激療法、び漫性軸索損傷の28歳男性に効果

*雄山 博文(脳神経外科):脊髄後索電気刺激療法による遷延性意識障害の治療 10例の経験、Neurological Surgery、39(5)、465−472、2011

 遷延性意識障害患者10例に脊髄後索電気刺激療法を行った。電気刺激装置埋め込みは受傷後平均66.2日、受傷後90日以上の電気刺激装置埋め込みは2例。受傷から95日後に埋め込んだ、び漫性軸索損傷の28歳男性は日本意識障害学会の定めた状態および反応scaleで改善を認めた。受傷から101日後に埋め込んだ縊死企図の低酸素脳症の14歳女性では無効であった。

 


52

北海道立子ども総合医療・療育センター

5歳女児が精神症状で発症、急性脳炎と診断したが傍腫瘍性脳炎、卵巣奇形腫瘍摘出で後遺症残さず回復

*皆川 公夫(小児科):意識障害に関する知識 遷延性意識障害とその治療・管理、小児内科、43(3)、482−485、2011

 発症時5歳女児、X年9月7日に微熱と頭痛を認めた。14日には幻視、幻聴を訴え、興奮して暴れ、暴言を吐くなど精神症状や異常行動がみられ、前医に人院したが、意識障害が進行し会話不能となり、けいれんも認めるようになったため、9月26日に当科に転院となった。当科人院時意識レベルはJCS300、けいれん重積状態にあった。このときの脳波では全般性徐波がみられたが、頭部MRIでは明らかな異常所見を認めなかった。当初は難治性頻回部分発作重積型急性脳炎の診断にて、人工呼吸器装着下にチアミラール持続静注にてけいれんの管理を行った。その後けいれんは抑制されたが、意識障害は長期に持続し、排痰困難なため、気管切開を施行した。経過途申にARDSとなり、ステロイドパルス療法とガンマグロブリン静注を行いARDSは改善したが、意識障害は持続しTRH投与も行った。
 X+1年3月初旬に腹部膨満に気づき、検査の結果、左卵巣奇形腫の診断で3 月11日、左卵巣・卵管を切除した。その後、意識レベルの改善がみられはじめ、6月から発語が出てきて気管カニューレを抜去できた。さらに、9月下旬から急激に発語が増え、会話が可能となった。食事摂取や排尿・排便、自力歩行も可能となったが、盲の状態にあった。X+1年11月27日に退院となったが、その後視力は徐々に正常化し日常生活は自立できるようになり、後遺症は残さず回復した。
 本例の急性期のMRIは前述のように昏睡状態、けいれん重積状態にあるにもかかわらず明らかな異常を認めなかったが、発症6 か月後のMRIでは全体的に軽度の脳萎縮がみられ、最近(発症後7年)のMRIでは正常に復していた。後に抗グルタミン酸受容体抗体が測定できるようになったため、測定を依頼した結果、急性期の血液で抗グルタミン酸受容体抗体が陽性であった (髄液は陰性)。似上の臨床経過と検査結果から本例は傍腫瘍性辺縁系脳炎、すなわち抗NMDA受容体脳炎であったと考えられた。

 


53

名古屋掖済会病院

低酸素脳症から4カ月後に会話・経口摂取可能となった

*落合 淳(神経内科):出血性ショックに伴う低酸素脳症後4ヵ月の昏睡後発語可能となった1例 脳波経過と病理学的検討、臨床神経生理学、38(5)、339、2010

 発症時54歳男性、出血性ショックとなり意識障害を来した。昏睡、全身のミオクローヌスを認めた。抗痙攣剤などの治療にてけいれんは消失したが、4カ月昏睡状態であった。その後、反応改善し、会話可能、経口摂取可能まで回復した。しかし、短期記銘力、見当識障害を認めた。脳波は初期は徐波主体であったが、会話が可能となった段階では少量の徐波を認めるもアルファー波が主体となった。肺炎のため死亡し剖検、大脳皮質の神経細胞は比較的保たれていた。海馬CA1の神経細胞は脱落していた。

 


54

重症心身障害児施設 子鹿学園

広島県三次市

頭部外傷受傷3年以上経過にもかかわらず経口摂取可能に、楽しい話に微笑む

*安井 良一(歯科口腔外科):経口摂取が可能になった遷延性意識障害を有する頭部外傷後遺症の一症例、障害者歯科、31(3)、633、2010

 25歳男性、2001年12月に交通事故、救急病院にて開頭手術を受け、1カ月後に著明な意識障害のまま居住地の病院に転院し胃瘻増設、全身状態が落ち着ぃた後、リハビリ目的で他県の病院へ転院する。2005年4月に退院し自宅にて療養開始、訪問看護ステーションから訪問依頼を受けた。
 初診時現症:ベッド上での寝たきり生活で安静時、開口状態で下顎の後退を認める。口腔は欠損歯はないが両側犬歯間で開咬、下顎前歯は後方へ傾斜し、舌も後方へ沈下し気道狭窄傾向がある。流涎はなし下咽頭に喘鳴はなく、誤嚥性肺炎の既往も最後の転院以後はなし。意識障害のため指示下での機能評価は困難、15度ギャッジアップの姿勢で水飲みテストは1mlでむせなく嚥下。クラッシュプリンでのフードテストでは奥舌への送り込み不可、奥舌部に入れて舌根に流れ込むと嚥下反射が起きてむせなく嚥下。
経過:頸部、顔面のマッサージ、口腔内感覚刺激、舌/ロ唇/頬筋刺激、下顎の開閉口運動、口峡部のアイスマッサージ+空嚥下の間接訓練を週1回の訪問で開始する。ぺースト食やゼリーでの直接訓練をも少量で併用。
 4力月後、口唇を刺激すると閉口して指で開けられないほどロ唇の筋力が向上する。アイスマッサージ後の空嚥下は20回連続して何とかできるようになる。5力月後にはアイスマッサージ後の空嚥下は20回連続でしっかりできるようになり、もったりしたぺースト状食品の嚥下も可能になる。この頃になると時にアイコンタクトによる意思表示ができたり、母親の話しかけにより少し笑顔の表情が見られるようにもなる。8力月後には口唇閉鎖力、嚥下力も向上し、口唇閉鎖による捕食が見られ送り込みも良好となり、全粥茶碗軽く1杯、ぺースト食が2品程度食べられるようになる。1年後にはタ食時のみ全粥、もったりしたぺ一スト食で1食分の量が全部経口から摂取可能になる。その後、嚥下力はさらに向上し1年8力月後には昼食、タ食の2食を全粥、つぶし食で経口摂取するようになる。その後も安定した経口摂取が維持され、昨年10月からは月1回の訪問で経過を見ている。
 現在も遷延性意識障害は続いているが、楽しい話を聞かせるとわずかに微笑む様子が見られ、「イエス」の返事の閉眼も見られる。食事時の声かけによる開口反応と捕食時の口唇閉鎖の動きもあり若干の改善も見られている。朝食のみは胃瘻からの注人であるが、問題なく経口摂取が維持できている。
 訪問時のリハビリは間接訓練が主体になったが、指導した間接訓練、直接訓練、口腔ケアは毎日母親が無埋のない程度に熱心に行い、また本人の若さもあり嚥下力の回復から口腔の送り込み機能回復が見られた。母親は看護師で医学的知識や看護技術もあり連携がよく取れて対応できたことがよい効果を引き出せた大きな要因であると思われる。

 


55-67

筑波大学
 

筑波記念病院

パーキンソン症候群の徴候+頭部MRIで中脳黒質近傍に高信号病変の3例、レボドーパにより劇的に回復

*松田 和郎(滋賀医科大学医学部解剖学講座・生体機能形態学部門):意識とは何か 意識障害治療と神経解剖学研究の現場から、人体科学、19(1)、21−35、2010

 遷延性意識障害で、パーキンソン症候群の徴候があり、頭部MRIにおいてドパミン細胞の密集する中脳黒質の近傍に高信号病変を認めた3例は、レボドーパの投与によって劇的に回復した。

 交通事故で受傷の51歳男性は、シートベルトを着用していなかったため、衝突の勢いでフロントガラスを破って車両から投げ出されて頭から落下し頚椎骨折。外来にて呼吸停止。頭部CTにて外傷性クモ膜下出血を認め、保存的治療を行った。受傷後219日目において、気管切開、経管栄養、全失禁状態、自発的な開眼と非特異的な追視を認めるも意思疎通不可能で、遷延性植物状態と診断された。打つべき手が見出せないまま受傷から7カ月間が経過した。
 担当医は、偶然のきっかけから、医学雑誌(Brain & Development20巻p124〜p126)に記載されていた7歳女児の回復の記録を目にした。報告では、この少女は交通事故後2年問近く最小意識状態(MCS) の状態にあったが、リハビリテーションに取り組んでいた医師によってパーキンソン病様の症状を伴っていることに気づかれ、加えて頭部MRI写真にてパーキンソン病の責任病巣とされる中脳黒質や線条体と呼ばれる神経核の近傍に損傷を受けていることが見出された。この患者にパーキシソン病の治療薬であるL-dopaを投与したところ、驚くべき回復をみせたという。先の患者を改めて診察したところ、四肢の固縮・無動を認めた。また、頭部MRIでは報告と酷似した場所に高信号病変を認めた。
  ご家族に十分な説明を行い、同意を得てこの患者にL-dopaの投与を開始した。開始から4日目、病棟で診療録を記載していた筆者のところに担当の看護師が駆けて来て、「先生、患者さんがしゃべっていますよ」と知らせてくれた。ベッドサイドに行って「おはよう」と声をかけると、男性はこちらをしっかりと見て、「おはよう」の形に口を動かした(気管にチューブが入っているので声は出せない)。投与開始から10日目に固縮が軽減し迅速に指示動作に従い、58日目に気管チューブを抜去したところ名前と住所が番地まで正確に言えた。79日目より軽介助にて全粥食の摂取が可能になった。開始6カ月後にリハビリテーション継続のため転院となった。

 他の2例は以下の文献に報告あり。
*Wakoto Matsuda(Department of Neurosurgery, Tsukuba Medical Centre Hospital):Awakenings from persistent vegetative state: report of three cases with parkinsonism and brain stem lesions on MRI、Journal of Neurology Neurosurgery & Psychiatry、74(11)、1571−1573、2003
http://jnnp.bmj.com/content/74/11/1571.full.pdf+html

 14歳男児は交通事故から3カ月後に、追視なし、指示動作に従えなかったが時々、覚醒しているようだった。レボドーパ治療開始から9日後で、患者の不随意運動は減少、声のした方向に目をむけるようになった。20日後に指示動作に従い、3カ月後に平行バーによって自力歩行可能、小学生並みの知能。1年後にレボドーパ治療は終了し、高校に一人で徒歩通学可能になった。

 27歳男性は交通事故から6カ月後に脳深部療法は無効、受傷から1年後に症状固定。レボドーパ治療開始から8日後に追視、25日後にリハビリテーションセンターに転院、瞬きで家族と看護婦に反応しはじめた。その後 瞬きで、さらに右手で簡単な電子シグナルを操作し 、「はい」または「いいえ」を表現できるようなった。10カ月後に、ワードプロセッサを使用開始した。1年後に抜管され、彼は「スシを食べ、ビールを飲みたい」と言った。

 

看護プログラムでペンを持って線を書くなど、自発的な行動

*日高 紀久江(筑波大学):遷延性意識障害患者の回復に向けた継続的な看護プログラムの評価、日本看護研究学会雑誌、33(3)、324、2010

 脳出血後の50歳代男性、発症後1年経過、意識レベルはJCS2-20、開眼・追視がときどき見られる、右片麻痺があり、自動運動はみられず、全身の筋緊張と四肢の関節拘縮が強く座位は困難、気管切開および胃瘻が造設されていた。
 2009年3月から、紙屋らの提唱する看護プログラムを計5クール実施した。3クール実施終了時には、関節可動域の拡大が図れ、車椅子での座位保持と昼食のみ経口摂取が可能になった。しかし、経口摂取が始まり.体重も増加したことから摂取カロリーを減量した結果、肺炎を発症し、看護プログラムは一時中止。
 肺炎治療後に身体負荷の少ないリハビリから開始、計5クール終了時に頭部コントロールが可能になり約10分間座位保持できるようになった。また、ペンを持って線を書く、鈴に手を伸ばすなど、自発的な行動が認められ、さらに麻痺側である右手指の運動がみられるようになった。

 

新看護プログラム、意識障害16年間・除皮質硬直患者にも有効

*紙屋 克子:遷延性意識障害患者の看護プログラムの開発(第1報) 温浴と微振動等による拘縮の解除、日本医療マネジメント学会雑誌、8(1)、231、2007

 従来の看護方法に反射の誘発と背部微振動を加えた新しい看護プログラムを開発し、5名の対象者に実践した。看護プログラムの実施手順 1)湯温38〜40度の温水中で肩から手指関節ならびに股・膝・足関節の可動域拡大エクササイズを10分間実施。2)水分補給と15分間の休憩。3)腹臥位で両手掌を用い10分間、背部ならびに股関節を中心に微振動を与える。4)上肢・下肢の伸展・屈曲反射を誘発するプログラムを15〜20分間実施。5)15分間の休息。6)座位バランス獲得のプログラムを15〜20分間実施。7)話かけて表情の変化およびコミニュケーションの有無について確認する。
 結果:5名の患者それぞれに身体機能の改善とコミュニケーションレベルの向上、ならびに家族の介護負担を軽減する効果を確認した。

*阿部 真由美:遷延性意識障害に対する看護プログラムの開発と実践(第2報) 嚥下機能向上への取組み、日本医療マネジメント学会雑誌、8(1)、231、2007

 28歳女性、11歳時の交通事故により遷延性意識障害となった。約3年の入院生活を経て、13年間全介助で自宅療養。患者は話しかけても無表情で焦点が合わず、また除皮質硬直があり、全身の関節拘縮と側弯が顕著であった。2003年に温浴刺激と中心とした看護プログラムを開始。1回目および2回目の入院時には各関節拘縮の改善を看護の目標にしたが、今回3回目の入院時には食事の改善を目標とした。新看護プログラムを取り入れ、さらにこれまでできなかった外食の計画を試みた。ケアの介入期間は12日間であった。
 結果:入院時には、口唇および舌、表情筋は左側優位であり、また舌を前歯より前に出すことができなかった。しかし、ケアの介入後には舌を口唇周囲まで突出することができるようになり、さらに表情筋に左右差はほとんど認められなくなった。退院後には、患者の好きなコーヒーはトロミを付けることなく、またカレーライスは常食の形態で摂取することができるようになった。

紙屋 克子:遷延性意識障害者におけるQOLの向上と生活の再構築 新看護プログラムの実践と評価、EB NURSING、9(1)、60−67、2009

 この資料は、上記の受傷時11歳女性のほかに、受傷時16歳・現在37歳男性の21年間におよぶ手足の強い拘縮が、4週間の短期集中入院により、肘関節可動域が最大35度に拡大し手指の拘縮も軽減したこと。飲水ボトルを手で把持しての飲水、自助具スプーンを持った食事が可能となり、食形態も軟菜食からサイコロ食へと向上したことを報告している。

 

拘縮の解除で表現可能に、言葉以外の表現手段を与えるべき

*紙屋 克子:【QOLを重視した意識障害患者へのケア エビデンス構築につなげる実践】 Editorial、EB NURSING、3(2)、117−120、2003

  1. 27歳男性、急性硬膜外血腫・脳挫傷の診断で血腫除去術を施行後、大学病院で除皮質硬直のまま植物状態との評価を受けて1年半が経過していた。3週間かけて、厳しい手指および四肢の拘縮を解除すると、彼はジャンケンに応じ、看護を開始して38日目にはトーキングエイドを操作して意思疎通が可能になった。
     
  2. 65歳女性、脳幹梗塞と小脳出血で意識の回復は困難と診断され、約半年が経過していた。座位をとらせて姿勢の安定を図り、ボールペンを与えて氏名を書くように促したところ、自身の名を漢字で、さらには指示に従いカタカナで書くこともできた。
     
  3. 60歳男性、脳血管障害で意識障害の診断を受け、9ヶ月を経過していた。座位をとらせて姿勢の安定を図り、ボールペンを与えて氏名を書くように促したところ、自身の名を漢字で、さらには指示に従いカタカナで書くこともできた。

 

熱量増加で、表情の変化もみられるようになった

*日高 紀久江:【QOLを重視した意識障害患者へのケア エビデンス構築につなげる実践】 在宅遷延性意識障害者の身体状況と介護状況、EB NURSING、3(2)、130−135、2003

 17歳時の交通事故による頭部外傷の20歳男性は、在宅療養3年5ヵ月。身長173cm、体重33kg。1日の総摂取カロリー1,000kcal。母親が医師に総摂取カロリーの増量を要望したが「体重が重くなると介護が大変になりますよ」といわれた。
 1日の総カロリーを1,875Kcalに増量した結果、肺炎で入院することはなくなり、顔色もよく、表情の変化もみられるようになった。母親は「体重が少し重くなったとしても、肺炎などになって発熱したり、夜間の吸引回数が増えるよりはずっと楽です」

 

参考*日高 紀久江:遷延性意識障害患者の栄養状態と簡易栄養評価指標の検討、日本老年医学会雑誌、43(3)、361−367、2006

 茨城県ならびに東京都内の4病院で経管栄養を受けている意識障害患者46名を対象に、身体計測値、血液検査値、安静時代謝量から栄養状態を評価し、栄養状態を反映すると思われる諸症状との関連について統計学的に検討した。

  • 平均年齢76.3±14.3歳、意識障害に至った原因は脳梗塞が24名(52.2%)と最も多く、平均入院期間は1.4±0.8年。経管栄養より胃瘻が多かった。
  • 診療録および看護記録に身長の記載がある患者は15名(32.6%)、定期的に体重測定を実施している患者は32名(69.6%)であった。
  • 血清アルブミン(Alb)が3.3±0.5g/dlであり、3.5g/dl以下の症例が76.1%を占め、タンパク・エネルギー栄養不良(PEM)のリスクが高いことが示された。
  • 1日の栄養摂取カロリーは平均1004.4±189.4kcal/日、安静時エネルギー消費量(REE)は平均1190.1±352.9kcal/日であり、意識障害患者の64.3%は安静時エネルギー消費量以下のカロリーしか摂取していなかった。
  • 経管栄養に注入される半消化態栄養剤あるいは濃厚流動食は3大栄養素がバランスよく調合されていることから、意識障害患者の低栄養状態はタンパク質というより、むしろ長期にわたるエネルギー不足の影響が強いのではないかと考えられる。REE測定が行えない場合においては定期的な栄養評価が必要であり、身体・精神機能の状態や合併症の併発などを考慮しながらカロリーの微調整を行う必要がある。
  • 眼瞼結膜が蒼白な患者は血色素量(Hb)、ヘマトクリット(Ht)、血清アルブミン(Alb)の低下と関連していたことから、眼瞼結膜は新たな栄養評価指標の一項目となり得る可能性が示唆された。

 


68-83

静岡県立大学

 

看護プログラムは回復困難例の低酸素脳症にも有効

*紙屋 克子:遷延性意識障害患者における看護プログラムの開発と有効性の検討、日本看護研究学会雑誌、33(3)、324、2010

 遷延性意識障害患者における看護プログラムを、回復困難と言われてきた低酸素脳症の患者8名に実践した。特に身体解放の技術として、従来の温浴に看護エクササイズを導入した温浴刺激看護療法、関節拘縮を改善するための用手微振動、感覚・運動系の刺激を統合するムーブメントを新たに追加した。2001年から2009年までに成人6名(男性4、女性2)、年齢は24歳〜70歳、小児は2名(男児1、女児1)。
 全症例において、関節可動域が拡大し、座位保持や経口摂取が可能になった。表情の変化は6名、意思表出は5名に確認された。小児は2名とも復学した。成人は1名が自宅復帰したが、その他時間毎の誘導でトレイでの排尿が確立し、関節拘縮の軽減に伴いオムツ交換が容易になり、排便においても自然排便に近い状態になる等の変化が認められた。

 

*紙屋 克子:遷延性意識障害患者と廃用性症候群の改善と目的とした看護技術開発と経済評価、インターナショナルナーシングレビュー、33(3)、 82−89、2010

 40歳男性は約1時間の心肺停止から低酸素脳症となり、意識の回復がみられないまま在宅療養に移行した。発症から半年後に、脊髄後索電気刺激術を受けたが、顕著な意識回復がみられないため、発症から2年後に本看護技術による看護介入を開始した。看護介入期間は2008年9月より6週間。身体解放の看護技術と生活行動の再学習の看護技術を、4週間にわたり集中的に行い、2週間の家族指導を行なった。その結果を表5に示した。経口摂取と排泄行動が改善し、実母への介護指導で妻の負担が軽減した。

表5 身体解放の看護技術と生活行動の再学習の看護技術の実践 

  入院前 退院後
食事 経管栄養1,200Kcal(600×朝・夕2回)
日中の栄養・水分補給なし
妻のみ介助
経管栄養+経口摂取1,400Kcal
朝:経管、昼・夕:経口
妻と実母・ヘルパーが介助
排泄 オムツ使用
摘便 1日/3〜4回
シャワーチェアを使用しトイレで排泄
ウォシュレットの刺激で排便 1日/1〜2回
排尿用にのみ小オムツ使用
介護者
実母:週1回、3時間程度の見守り
妻:本年から学級担任
実母:妻の宿泊研修時、1泊2日の介護協力も可能
広南スコア 69点 60点

 本研究に理解と賛同の得られた全国の12施設(2010年2月現在)を実践病院として、病院責任者の承諾を得た後、看護技術研修を行い、さらに遷延性意識障害者あるいは重度障害者への看護介入前に臨床技術指導を実施して実践者の育成を試みた。さらに、各実践病院に赴き、対象者の選定、患者の状態アセスメント、看護計画の立案を行い、対象患者と看護職に対して直接的に技術介入と指導を実施した。2010年現在では約40名の患者に本看護技術を行い成果を上げている。さらに、実践病院における情報の共有と看護技術への理解・知識の向上やモチベーションを高めることを目的に、一般公開で年2回の成果報告会を開催している。

 


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