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遷延性意識障害からの回復例(1970年代)

「遷延性意識障害」の定義は、遷延性意識障害からの回復例(2010年代)を参照

症例数
(通し番号として)

施設名

出典および概要


417-419

札幌麻生脳神経外科病院

すでに4ヵ月前から意識があった、言葉を発しないと人間扱いされない

*紙屋 克子:意識障害の看護、ブレインナーシング、20(夏季増刊)、17−43、2004

  • 18歳女性は脳下垂体腫瘍摘出後の血管れん縮により、意識障害と顔面ならびに四肢の麻痺が出現。 
     感情を込めて本を読み聞かせるうち、6ヵ月後には内容に応じて泣き、笑うようになった。発声の訓練を始めて8ヵ月後、ついに“おかあさん”という言葉を聞くことができた。
     やがて会話で意思を伝えられるようになった彼女から、看護者は驚くべき事実を知らされた。彼女は看護者が意識回復の兆しを確認できた4ヵ月も前からすでに意識があった。彼女の記憶は鮮明であり、看護記録や母親の日記と照会しながら確認すると、きわめて正確なものでした。自分が“植物人間”であると医学生に説明していた医師の名も教えてくれました 。
     彼女の視線が人を追い、時おり口元にほほえみのようなものが浮かんでも、看護者は声を立てて笑い、言葉を発するまで、彼女とのコミュニケーションに確信をもてなかったのです。
     もし、意識がないからと顔面筋や口輪筋の麻痺、四肢の拘縮を放置していたら、たとえ彼女の意識が自然に回復することがあっても、彼女は表現できず、周囲の者も彼女を植物人間として扱ったかもしれません。
     
  • 交通事故による頭部外傷の22歳男性は、意識障害が続き、6ヵ月後わけのわからない泣き声を上げるようになった。そのうち乱暴に看護師の手を引っかいたりする。彼の泣き声や行動には意味があるのではないかと疑う看護者に、主治医は看護者の希望的観測として取り合わなかった。
     看護者は患者の手とその視線が自分の胸ポケットのボールペンに向かっていることに気付いた。ペンを持たせると「俺、どうして入院している。いつから会社にいける・・・・・・」と書いて大声で泣き出した。もちろん、その時から彼の泣き声を意味のないものと決めつける人はいなくなったのであるが、彼が片言の会話で意思を伝えるようになったのはその二ヵ月も後のことであった。
     
     多くの人は意識障害の患者に対して無意識のうちに言葉を求めています。意識障害者に対する考えを改めない限り、かれらは言葉を発しないうちはもとの人間社会の仲間入りをさせてもらえないというのが現状なのです。

 上記の18歳女性とみられるケースが、単行本:山元 加津子編著:僕のうしろに道はできる 植物状態からの回復方法(三五館)のp10〜p12に掲載されています(以下)。
*紙屋 克子(筑波大学名誉教授):意識障害の患者さん、そして家族の皆さんと歩んできた道、8−18、2012

 何人かの患者さんに、看護による変化の手応えを感じ始めた頃のことです。脳外科の助教授から、「医学生に意識障害の患者さん(一般に植物状態といわれる人たち)について、講義を行ないたい」という話がありました。植物状態と考えられる患者さんを医学生に見てもらいながら、診断方法などを講義するわけです。医師はその講義に、意識障害が長期化している高校生の汀子さんに協力してもらいたいと考え、汀子さんのお母さんに「医学生の講義に協力していただきたいのですが、よろしいでしょうか?」と了解を求め、お母さんは承諾されたということでした。
 それから医師は、その日のチームリーダーだった私に、「彼女を明日、医学部の・講堂に連れてきてください」と頼みに来られました。私はご本人にも説明をされたのだろうかと思い、「先生、汀子さんにもお話ししてくれましたか?」と尋ねたところ、ドクターは「いや、お母さんに話して、了解をもらいました」との返事です。「先生、汀子さんにも是非、
話してください」と言いましたところ、「どうして意識がない汀子さんに?お母さんの了解をとったからいいだろう」と言うのです。
 それでもなお「いいえ、先生、患者さんに講義の協力をいただくときには、まず患者さんの承諾をとるのが原則ですから、ぜひ、話してください」と言う私に、ドクターは理解できないという表情で、なかなか了解してくれません。けれど、私は「先生、話してください。それが原則だというだけでなく、先生が汀子さんに直接お願いしてくだされば、お母さんが喜びます。お母さんはきっと『先生が娘を意識障害者としてではなく、人格のある一人の人間として、接してくれている。先生は、意識のある人と同じように、この子にも意思が伝わっていると思って、話しかけてくださっているのだ』と、専門職の姿勢を知ることで、お母さんが喜びます」最後はそんなふうに説得しました。
 根負けしたドクターが「しょうがないなあ」といった様子で、再び汀子さんの病室に向かい、「汀子さん、明日ね、医学部の講義に協力してね」というふうにお願いしたのです。
 看護プログラムを続けて、汀子さんの意識が戻りました。発症からずいぶん経っていて、「こういう人を植物状態と言いますよ」という医学部の講義に協力してから、8ヵ月後のことでした。長期の意識障害から患者さんが回復した時、私たちは今後の看護活動の参考にするため、患者さんには一切の情報を与えずに、どの時点からどのようなことがわかっていたのか、何を感じていたのか、などについて詳細な聞き取りをして、記録させてもらいます。そうすることで、看護者の観察と判断の正確さ、改善点などが見えてくるからです。看護の妥当性を証明するためにも、日々の記録も克明さが要求されます。
 それで、彼女との会話が可能になったとき「汀子さんの主治医は、どなたでしたか?」と質問しました。ところが、返ってきた答えは、私が予測していたK先生ではなかったので、入院時から長く彼女を担当していたKドクターの名前を告げたところ、彼女は「やだ、紙屋さん。K先生は小樽に転勤になって、今、私の担当はM先生でしょう?K先生が転勤されるときに、私のところに来て、「僕、小樽に転勤になるから、今度あなたの主治医はM先生になるからね」って挨拶してくれたもの」と言ったので、私は本当に驚きました。主治医が交代した時期は、まさに、彼女が植物状態と思われていた頃だったからです。
 さらに時間を遡って聞いていくと、「誕生日に、同級生が18本のバラを持って、お見舞いに来てくれたの。そしたら、枕元にいたおばあちゃんが、すごく悲しそうに泣いたわ」という話もしてくれました。そして、最後に、彼女は、なんと臨床講義の話をしたのです。「A先生が、医学部の学生さんに、私の講義をしたいので、協力お願いねって言ったの。そして、次の日の朝、Y看護師さんが、私をストレッチャーに乗せて、寒くて長い廊下をずっと通って行くと、そこに階段教室があって、医学部の学生さん達がいたの。A先生がいろいろとお話をして、「こういう人を植物状態と言います」と講義をされました」と克明に再現したのです。
 私はあまりにも彼女の記憶が正確で、周囲の状況を認識していたことから、他の患者さんはどうなのだろうかと考えて、その後も観察を徹密に行ない、意識回復後の患者さんに聞き取り調査を重ねた結果、かなり多くの患者さんが、医師・看護師が「意識が回復した」と判断する数ヵ月も前から、状況を認知していることがわかりました。
 その経験から、遷延性意識障害の患者さん達の中には、気管切開が行なわれていたり、関節の拘縮などで表現の方法や可能性が奪われているために、「意識がある」ことを表現できず、私たちも気づいてあげられない患者さんたちがいるのではないかと思うようになりました。

 

紙屋 克子:私の看護ノート、医学書院、114−118、1997
*北海道大学医学部付属病院脳神経外科看護管理室:看護科学の実践 3年間の看護活動の報告、看護技術、18(7)、146−155、1972

 頭蓋咽頭管腫に対する摘出術後に意識障害が2年以上継続の9歳男児、6カ月ほどの訓練で鼻導カテーテルを抜去して完全な経口摂取が可能となった。さらに好物の菓子などを手に持たせると自ら口に運んで食べ、「何を食べようか?」と話しかけると、「りんご」「ジュース」と食品を選ぶことも、また「おいしい」などの感想までも言えるようになった。

 


420-425

広島大学

L-Dopa投与21中5例に脳波上の効果。3例が植物状態を脱却、3例が症状改善

*鮄川 哲二(脳神経外科):植物状態患者の脳脊髄液中アミン代謝産物の変動とL-Dopaの投与効果、脳神経外科、6(3)、235−243、1978

 植物状態患者21例にL-Dopa 50−150mgを30分間点滴で静注し、投与開始後1時間30分にわたって脳波を記録し、5例に脳波上の効果がみられた。
 L-Dopaを最長2年6カ月、最短2週間、平均10カ月の間、静注あるいは経口投与を投与された13例中、脳血管障害の35歳男性、頭部外傷の44歳女性と48歳男性は植物状態を脱却した。2例に臨床症状の改善がみられ、4例の臨床症状は不変、4例の臨床症状は悪化した。
 L-Dopaの急性効果なく、長期投与を行わなかった脳血管障害の48歳女性も臨床症状は自然経過で改善した。

当サイト注:この論文はL-Dopa投与効果と自然治癒との鑑別が困難としている。

 


426-431

山口大学

3年間に130例中6名が遷延性植物状態を脱却

*東 健一郎:遷延性植物状態を脱却した症例の検討 とくにL-DOPAの効果について、脳と神経、30(1)、27−35、1978

 われわれは1973年から、中国、四国、九州16県における植物状態患者130名について臨床調査を行い、その後3年間にわたる追跡調査を行なった。3年間に81名(62.3%)が死亡、一方で意思疎通が可能となって植物状態を脱却したと考えられる患者が6名あった。この6例のうちに、L−DOPAの投与が有効であったと思われるものが2例あった。

 L−DOPAの投与が有効と思われた脳アノキシアの23歳男性は、投与開始時期6.5ヵ月、投与期間118日、投与量118g、脱却までの期間が10ヵ月。脱却後は言語了解はほぼ完全、会話可能であり自発的発語も多いが、構音障害のため発語が聞き取りにくい。自力でベッドから下り、車椅子で移動する。
 L−DOPAの投与が有効と思われたクモ膜下出血の38歳女性は、脱却までの期間が2年。脱却後は言語了解は良好、話しかけると応答はするが自発的発語はない。自力で移動不能。

 クモ膜下出血の60歳女性は脱却まで3年、脱却後は言語了解は完全、会話はスムース、自力で歩行可能。
 頭部外傷の42歳女性は脱却まで1年5ヶ月、脱却後は言語了解はほぼ完全、会話可能であるが自発的発語は少ない。自力で移動可能。
 頭部外傷の26歳男性は脱却まで2年、脱却後は言語了解はほぼ完全、話しかけると応答はすが自発的発語はない。左上肢のみ動かすが両下肢の関節拘縮のため臥床のまま。
 脳幹出血の46歳男性は脱却まで1年7ヵ月、脱却後は言語了解は良好、失語症あり問いかけにはうなづきで答える。自力で移動不能。 

 


432-439

岩手医科大学 脳神経外科

盛岡赤十字病院 脳神経外科

自家血内頚動脈内衝撃療法により、9例中8例が症状改善

*金谷 春之、小穴 勝麿:植物状態人間の病態と治療、1974(左記の掲載誌名は不明、以下は単行本の梶田 錦志:サッちゃんの四角い空 植物人間との闘い、渓声社、1978より)

 自家血内頚動脈内衝撃療法を開始するまで3ヵ月以上〜5年の患者9例のうち、1例は歩行可能まで回復、7例は臨床症状の改善から言葉を話すまで改善、症状の改善がなかったのは1例であった。 

 交通事故による硬膜下血腫・脳内血腫の5歳男児は、発症から初回衝撃まで195日間、8回目の衝撃が済み34日目には、声を出して泣き、寝返りをうち、這い這いをして両親を咽ばせた。

 


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