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「季刊 福祉労働」127号 参考文献 

下記のページ数、見出しをクリックすると、該当箇所にジャンプします。
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はじめに
143ページ
「心停止後」と称する臓器提供の現実
144ページ
145ページ
子どもの法的脳死臓器ドナーは年間に一人
VS子どもの心臓移植適応患者は年間五〇人
凄惨な心停止後の心臓・肺提供
146ページ
147ページ
心臓死の不可避性も見分けられない小児脳死判定基準案
始動する臓器提供安楽死、与死の既成事実化
「ドナー不足」が示す、望ましい選択肢
148ページ

 このページは、現代書館発行の「季刊 福祉労働」・127号(2010年6月25日発行)p142〜p148掲載「優生政策か、基本的倫理の堅持か」に関連する参考文献を掲載しています。

 凡例

1、太文字が本文における表現、=以下が資料名または詳細資料へのリンクです。

2、雑誌、学会誌は、執筆者名:論文タイトル、誌名、巻(号)、掲載ページ、発行年を示す。

3、 既に本文中または表・グラフに参考文献を記載した事項については、このサイト内または他サイトに、より詳細な情報がある場合にURLを示し、リンクして別ページで開くようにしています (リンク先ページの存在は2010年6月21日に確認)。

4、「表示されるはずの情報やページが見当たらない」などの、不具合やお気付きの点がありましたらお知らせください(メールアドレスはホームページの下部に記載)。

5、別ページに「季刊 福祉労働」120号参考文献があります。

 

 

 


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はじめに

欧米では、新生児をドナーとした心停止後の心臓の摘出・移植も再開された。=世界初の小児の心臓移植の報告は、Adrian Kantrowiz(Departments of Surgery, Maimonides Medical Center and State of New York Downstate Medical Center):Transplantation of the heart an infant and an adult,The American Journal of Cardiology,22,782-790,1968
 この資料には、1967年12月4日に他院から搬送されてきた無頭蓋症(無脳症)の新生児が、12月6日早朝に心拍が不規則になったため午前3時45分から氷水に入れて体外から冷却し、抗血栓剤ヘパリンを投与。午前4時25分に体温27度で心拍停止、即座に開胸して心臓を摘出した。心臓は1967年11月18日生まれの白人の新生児に移植されたが、移植当日の午後12時15分に心停止し、蘇生に成功しなかったことが報告されている。
 この後、脳死ドナーの時代に入り、心停止後の心臓摘出・移植は、後ほど紹介する米国のデンバー小児病院における2004年から再開された。 

 

一九九七年に臓器移植法が制定された後、腎臓移植の第一人者である太田和夫氏は、「法律というのは、基本的には後追いでできるもので、まず最初に事実をつくる必要がある、と法律家にいわれました。私たちが脳死で腎臓移植を始めたのはそのためです。しかし心臓移植や肝臓移植をやって事実をつくると大変なことになるので、現在行なわれている腎臓移植でもって事実を積み上げていったらいいかと思い、実質的には百数十例ぐらいやりました」と発言した。臓器移植法の制定前から、脳死臓器摘出を行なってきたと明言したのだ(今日の移植一〇巻六号p八〇五〜p八二〇)。http://www6.plala.or.jp/brainx/1997.htm#19970929

 すでに脳死臓器摘出を行ないながら、東京女子医大の医師が対外的には、心停止後の臓器摘出の範囲で行なっていると受け取られる発言をしたケースはhttp://www6.plala.or.jp/brainx/beating_NHBD.htm#198409

 

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「心停止後」と称する臓器提供の現実

表一は、一九八五年に太田氏らが全国九二施設に調査して日本移植学会雑誌「移植」に発表した、一九八〇年一月から一九八五年三月までの間の「死体」腎提供における腎臓摘出の時期と人工呼吸器の関係だ。http://www6.plala.or.jp/brainx/1990.htm#19900810

 

人工呼吸器を外して直ちに腎臓摘出が二一例(六.七%)だった。腎臓移植を受ける患者 (レシピエント)側と、臓器提供者(ドナー)側に対する処置が、時間経過とともに示された詳細な報告はhttp://www6.plala.or.jp/brainx/beating_NHBD.htm#19840823参照 願います。1984年8月23日に滋賀医科大学病院で行なわれた25歳男性からの腎臓摘出手術では、臓器提供者の心停止は「ヘパリン投与、生体解剖、脱血・冷却灌流、人工呼吸停止」の後であることが報告されてい ます。

 

しかし、これ以外にも人工呼吸器を外す決定をした一二二例(三八.九%)は、脳死判定にもとづく病状説明が行なわれ、終末期医療の選択をしたケースが多いと見込まれる。= 人工呼吸器を外す決断が可能な状態は、脳死判定にもとづく病状説明が行なわれたと見込まれる。
http://www6.plala.or.jp/brainx/beating_NHBD.htm#19840823では、腎臓移植を受ける患者 ・レシピエントが、臓器提供者・ドナーの脳死確認・腎提供同意の翌日に入院して、透析などを受けたことが報告されている。
 複数の腎臓移植待機患者に連絡して、移植手術を受ける同意をとり、来院を求めて移植手術が可能か検査し、移植手術の前に透析をうけるために、計20〜30時間を要する。そして腎臓を摘出後に、移植するまでに長時間を要すると、移植しても腎機能が発揮できない場合がある。このため、臓器提供者の心臓 が、いまだ拍動している段階で、腎臓移植待機患者への連絡を開始する必要がある。
*柏原 英彦(国立佐倉病院):死体腎移植システム 第2報、移植、15(4)、248−249、1980
 この資料は、1977年〜1979年の「ドナー情報は44回で、19死体(43%)より36例の死体腎移植が行なわれたこと。ドナー通報より死亡までの期間は1.9日間 であること、原疾患は脳血管障害および頭部外傷が82%を占めていること」を報告している。

 

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心停止直後は、心臓が自然に蘇生する可能性がある。臓器摘出時にドナーは痛みを感じる可能性もあるため、生体解剖の危険性が消えない。

自然蘇生例

*吉村 史(吉村クリニック):ホルター心電図装着中、5分27秒の心停止を生ずるも自然蘇生した1例、循環科学、15(1)、1140−1144、1995
 この報告は、62歳女性が5分27秒の心停止の後に、自然に蘇生したケースの心電図も掲載している。

*マーガレット・ロック著「脳死と臓器移植の医療人類学」、みすず書房
 この資料はp47〜p49において、外科医のリチャード・セルツァー自身がICU入室の23日目に心停止した。蘇生措置が施されたが、4分半経っても心電図はフラットなまま、脈も血圧もなく死亡宣告され、カルテに死亡時刻が記入された。そして10分後には硬直が認められたが、不意に体が震動して吸気が始まった。心電図に波形が戻り、規則的な呼吸がはじまったことを記載している(巻末の参考文献はSelzer, Richard A.1993.Raising the Dead: A Doctor's Encounter with His Own Mortality . New York:Viking.)。

*死産児では、数時間後の蘇生・退院が報告されている。http://www6.plala.or.jp/brainx/NHBD.htm#死産とされ紙に包まれていた新生児が動き出し蘇生、生存し退院

 

臓器摘出時に痛みを感じる可能性

 たとえ自力で自然に蘇生することがなくとも、臓器摘出目的の処置により、生体解剖と同様になっている可能性を考える必要がある。例えば、臓器摘出目的で心臓マッサージを行なうことは、臓器提供者の脳蘇生効果が予想される。http://www6.plala.or.jp/brainx/NHBD.htm#4.各種血流条件における脳波の回復程度をみると、1時間の完全虚血実験でも、血流を再開させると55%から脳細胞の活動が認められた。

*竹内 一夫(杏林大学医学部脳神経外科):脳死をめぐって、現代医療、20、753−757、1988
 竹内氏は「電気生理学的検査ではしばしば雑音の混入に悩まされることがある。例えば心停止後の被験者から一見脳波活動と思われるような記録を得ることさえある」と書いている (竹内氏は、その脳波記録を掲載した論文も発表している。ただいま資料紛失のため、後日、資料名を掲載する)

 心臓マッサージを行なわない心停止後の臓器・組織摘出例もある。しかし、京都大学は死後6時間で摘出したヒト神経を移植して再生を認めた。移植して再生しうる神経があるのであれば、もとの所有者であるヒトから切断・摘出される時に、切断される侵害刺激を、ある範囲に伝達している可能性がある。

 

 

一九六九年に開催された第一回腎移植臨床検討会(移植四巻一号p一〜p五六)において、東大第二外科の稲生氏は「死体といいましても生体に近い状態でやっております」とliving cadaverからの臓器摘出を報告した。http://www6.plala.or.jp/brainx/1969.htm#19690117

 

同年の第二回腎移植臨床検討会(移植四巻三号p一九三〜p二五二では、弘前大学第一外科は一九六八年七月二三日に一四歳の男児を人工心肺装置で冷却し体温三一度で心停止させ、その後に腎臓の摘出を行なったと報告した。大阪大学泌尿器科は患者五名に、死亡後も人工呼吸と心臓マッサージを行いつつ、腎臓を摘出したことを報告した。千葉大学第二外科も心停止後に心臓マッサージを続け、麻酔器をつけて手術場に運ぶと発表した。心臓死の死亡宣告をしたにもかかわらず麻酔器をつける理由は、心臓マッサージで血液循環を維持した生体だからと考えられる。http://www6.plala.or.jp/brainx/1969.htm#19690717

 

一九九三年八月二〇日、柳田洋二郎氏(二五歳)から腎臓が摘出された。柳田邦男著・犠牲(サクリファイス)に書かれた移植コーディネーターの説明と心停止に至る描写から、柳田洋二郎氏は、生前に体内に挿入されたダブルバルーンカテーテルの拡張によって引き起こされた、急激な動脈閉塞による人為的ショックで死亡させられたと推定される。http://www6.plala.or.jp/brainx/beating_NHBD.htm#19930820

 

小児の「脳死」ドナーからの腎臓摘出も、約二〇〇例実施されたと推計される。http://www6.plala.or.jp/brainx/pediatric_harvest.htm#小児ドナーからの死体腎移植統計

 

小児の被虐待児対策を行なったと報告されているのは、北里大学病院の9ヶ月男児例しかない。=林 初香(北里大学医学部小児科)、河島 雅到、相馬 一亥(北里大学医学部救急医学): 腎・心臓弁のドナーとなった9ヶ月男児例、日本小児救急医学会雑誌、7(2)、339−342、2008http://www6.plala.or.jp/brainx/pediatric_harvest.htm#北里大学病院
 なお、この9ヶ月男児の受傷の瞬間については、第3者の目撃証言はないと見込まれ、2010年7月以降に施行される被虐待児対策では、臓器ドナーとはされない可能性が高いと考えられる。 


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子どもの法的脳死臓器ドナーは年間に一名
VS子どもの心臓移植適応患者は年間五〇名
 

日本臓器移植ネットワークの統計(グラフ一)によると、九五年四月から〇九年末までの小児「心停止後」腎臓提供は三八件だ。http://www.jotnw.or.jp/datafile/offer/pdf/syouni.pdf

 

@〜Bの情報から、子どもの法的脳死ドナーの発生は、年間一例前後と予測できる(成人の法的脳死ドナーについては、年間数十例に増加する可能性がある)。=日本移植者協議会ニュース「臓器移植法改正による変化と今後の課題(2009/12/10)」http://www.jtr.ne.jp/news/091210.htmlは、「平成20年度の心停止後腎臓提供の109件の内、4類型病院で脳死判定後にカニュレーションをされたのが51件あり、これらは脳死提供に移行する可能性が高い。 停止後腎提供の51/109=46.8%が脳死臓器提供になると予測できる。つまり臓器提供が20年度と同程度とすると、平成22年度の脳死臓器提供は13+51=64件程度になると予測できる。即ち、脳死臓器提供は、約5倍になると予想される」としている。
 この文章には「平成20年度の心停止後腎臓提供の109件の内、4類型病院で脳死判定後にカニュレーションをされたのが51件」と、脳死前提の行為を法的脳死判定手続をしないで行なったことも明記されている。

 

一方で、移植医は毎年に新たに約五〇人の子どもが心臓移植を必要とすると見込んでいる(小児科臨床六三巻三号P四一七〜P四二五)。臓器の需給関係から「あくまでも臓器移植を増やしたい」という圧力が強まるならば、生命維持装置によって生存している人を死なせて、「心停止後」に心臓や肺を摘出するか、脳死判定を簡略化するしか方法はない。=2005年4月2日に開催された「心臓移植の課題」座談会において、当時の生前意志表示による法的脳死臓器提供から、大阪大学の白倉 良太氏が「仮に法律改正案が通ったとしても、年間5例のうち3%だったら6年に一度しかないということになります」と発言したことを受けて、国立循環器病センターの越後 茂之氏は「ただ、そのように法律が改正されるのは非常に大きなインパクトがあります。遺族の同意で臓器提供が可能となり、15歳未満の提供も可能となれば、学校教育のなかでの位置付けも重要になっていくわけで、私たちが置く軸足も変わってくる。法律改正は非常に大事なことです。その時期に、提供数の増加は必ずしも楽観視できないなどどいう議論と法律改正の必要性をごっちゃにして考えるべきではなく、いま学会や患者団体が繰り広げている運動の足を引っ張るような印象を与える議論は避けるべきでしょう」などを発言している。
 このように移植医は、臓器移植法が改定されても、小児の法的脳死臓器ドナーの発生は極めて少ないことを認識している。当時から「学校教育のなかでの位置付けも重要になっていく」など、法律の改定を契機としてドナー増加に取り組む意思を鮮明にしていた。
 座談会の詳細はhttp://www6.plala.or.jp/brainx/2005-4.htm#20050402

 

 

凄惨な心停止後の心臓・肺提供

米国のデンバー小児病院は〇四年から〇七年にかけて生後四日前後の新生児三例に、鎮静剤を投与して生命維持装置を停止した。心停止の継続を一例は三分間、続く二例はわずか七五秒間観察しただけで心臓の摘出を開始した。移植された患者は生存中と報告している(The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE、三五九巻七号P七〇九〜P七一四)。=The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE、359巻7号の各ページ(英語)は、http://content.nejm.org/content/vol359/issue7/index.dtlで公開されている。 p709〜p714のPDFファイルはhttp://content.nejm.org/cgi/reprint/359/7/709.pdf

 

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鎮静剤を投与されたことで判るように、脳死で臓器を摘出できない「心停止」ドナーは、心停止に至るまでに断末魔の苦しみを強要されて死に至らしめられるケース、あるいは死なずに生き続けるケースが多いと想定される。=カナダ・トロントの小児病院では、生後2ヵ月のKaylee Wallaceちゃんが心停止心臓ドナーとされて生命維持が停止されたが、死亡しなかったことが2009年4月8日に報道されている。http://www.canada.com/Health/Baby+longer+potential+heart+donor+Doctors/1477619/story.html

 

生命維持を続ければ生存できる可能性が高い患者であるにもかかわらず、死なせて臓器提供者にすることだ。移植待機患者に心臓を移植すれば、良好に心臓の拍動が再開することがわかっていながら、臓器提供者に対しては、心臓を摘出する目的で心停止を待つことが非倫理的だ=日本医学館が2003年に発行した「小児の心臓移植・肺移植」の「PART6 .ドナー不足解消のための実験的検討 2.Non-heart beating donor の心臓移植」(p103〜p106)において、岡山大学大学院医歯学総合研究科心臓血管外科の末廣 晃太郎、佐野 俊二の両氏は、「すべてのNHBDに付きまとう問題であるが、―度自然停止した心臓がつぎに拍動を開始した時に、どの程度の機能を持っているか、やはり予想しがたく再灌流後の心機能評価をすることが望ましい。問題はむしろ倫理的なもので、死亡宣告に先立って移植を前提とした前処置をはじめることが許されるのかどうかという点である。良好な心拍動が再開することがわかっていながら、心臓を摘出する目的で心停止を待つといった状況が、果たして許容されるのかどうかという点は十分議論されるべきであろう。NHBDすなわち移植適応基準ぎりぎりの marginal donor といった発想は間違っており、良好な心機能を維持しているものを選択して利用すれば脳死移植と同様の移植が可能である」と指摘している。
 心停止の心臓・肺ドナー研究において、日本国内では岡山大からの発表が最も多い。自ら倫理的課題を知悉しながら、どのように実践しようとするのかが注目される。

 岡山大学大学院医歯学総合研究科・心臓血管外科の小谷 恭弘氏らは、2005年2月に開催された第23回日本心臓移植研究会http://www6.plala.or.jp/brainx/2005-2.htm#20050226において“死体心移植においてドナーモデルの違いが移植後心機能に及ぼす影響”を発表し、脱血死させたブタから摘出した心臓のほうが、呼吸停止死させた場合よりも心拍出量回復率が良好だったと報告した。この報告どおりに、実際に人を脱血死させて心臓を摘出するならば、明確に殺人と分かる。

 

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心臓死の不可避性も見分けられない小児脳死判定基準案

改定された臓器移植法の実施に向けて、今年四月に小児脳死判定基準案が公表された。=小児脳死判定基準案はhttp://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/04/dl/s0405-4f.pdf

 

従来から子どもは、無呼吸テストを二回行った脳死判定例でも三〇日間以上、心停止に至らない患者が三五%と多い。=厚生省“小児における脳死判定基準に関する研究班”平成11年度報告書:小児における脳死判定基準、日本医師会雑誌、124(11)、1623−1657、2000 http://www6.plala.or.jp/brainx/chronic_brain_death.htm#小児脳死患者は、半数しか脳死定義に適合しない

 

さらには脳死判定後に脳機能が復活した子どもも報告されている。http://www6.plala.or.jp/brainx/trick_determination.htm#A


 

このため、新しい小児脳死判定基準案には、心停止に至らない子どもや脳死判定基準を満たした後に黄泉帰る子どもを見分ける対策が期待されたが、改善策は示されなかった。それどころか脳死判定後に脳機能の復活した子どもの存在を隠蔽した。=小児脳死判定基準案研究班メンバーである東京慈恵会医科大学脳神経外科の日下 康子は、小児科臨床63巻7号p1551〜1553の「小児法的脳死判定基準についての検討」において、「小児の呼吸中枢を刺激するPaCO2(動脈血二酸化炭素分圧)閾値をどう考えるかである。PaCO2が60mmHgでは不十分とする考えがあるが、いずれも症例報告で、1998年以降新たな報告はされていない」と書いている。日下らは、脳死判定基準に規定された高炭酸ガス刺激を上回る、60mmHgを超えてから自発呼吸をした症例http://www6.plala.or.jp/brainx/trick_determination.htm#apneaの存在を知りながら、小児脳死判定基準を見直さなかった。さらに2000年の小児脳死判定基準では、無呼吸テストの閾値について「後頭蓋窩病変では治験の集積が望まれる」としていたが、2010年の小児脳死判定基準案では、この注記は削除した。

#ueta

 同じく研究班メンバーである静岡県立こども病院・小児集中治療センター長の植田 育氏とみられる人物が、脳死と移植掲示板http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?log=において、ハンドルネームもりけん氏の問いに答えて下記の応答をしている。 脳死判定基準に対する反証となる報告を「科学的な意味はゼロ」と6月28日の投稿2938番で書いたり、聴性脳幹反応が復活した小児について「この方は経過中ずっと昏睡・無呼吸・脳幹反射消失のようですから、脳死と言って良いと思います」と7月8日の投稿2972番で書くなと、小児脳死判定基準研究班が、当初から脳死を人の死とできる判定方法を研究・議論したのではなく、改定された臓器移植法の実施を前提とした脳死判定基準作りだったことが明瞭になった。

もりけん 植田
もりけん 6月21日 投稿2914番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?log=&v=2914&e=res&lp=2914&st=0

負託された範囲を超えた小児脳死判定基準案を作成したことについて
 1997年の臓器移植法の制定においても、2009年の改定においても、「脳死判定は誤診の可能性がある」という認識の議論は、ほとんど行なわれていません。逆に脳死は誤診の心配が無いものと前提して議論し、2009年の臓器移植法改定に至った。
 その結果にもとづいて小児脳死判定基準の検討が、現代の日本では最も学識も経験もあり、バランスの取れた判断が期待できると思われる植田さんほかの方々に依頼がいった。
 脳死判定は誤診がないと前提した議論の結果、制定された法律だから、私は小児脳死判定基準に求められることも、長期「脳死」患者は発生しない、脳死から回復する患者も発生しないというレベルの判定基準が求められたと思うのです。
 ところが、植田さんらは自身が誤差を許容しているから、旧来の脳死判定基準と大きな変更がない基準案を作成したのでしょう。国会で議論もされていない「脳死判定には誤診の可能性がある」ことについて、現場段階で勝手に誤診を許容してしまった。テクノクラートの独走です。
 脳死判定の誤診の許容は、患者を生体解剖の危険に晒すことでもある。後輩の医師に「患者を殺してしまったのではないか」という経験をさせることでもある。そんな凄惨な結果を、将来にわたって引き起こすことをされたのではないかと思っています。
植田 6月22日 投稿2919番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2919&e=res&lp=2914&st=0

 この11年間の不作為、そして海外渡航移植自粛の流れ・・・現場では今更の悠長な議論を許されないほど状況は切迫しています。
 あと、残念ながら私は、首相が替わっただけで支持率がはね上がり、消費税と言っただけで今度は支持率がどんと下がるようないまの日本国民には、脳死問題に限らず「社会的合意」など形成する力はないと思います。しかし最低限、個々人が脳死・臓器移植についてこの機会に考え、どうするかあらかじめ考えておいていただきたいと思っています。「その時になってみないとわからない」ではその時になってもわからないだけです。今、考えて欲しいのです。

もりけん> テクノクラートの独走です。

こういうご批判は常にあるでしょう。では全く現場を知らない、医療も知らない素人の方が、形而上の理論だけで判断できるかというと、それも疑問です。要はバランスだと思います。
 
もりけん 6月27日 投稿2931番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2931&e=res&lp=2914&st=0

 小児では脳死判定後に、長期間心停止に至らない患者が多い。無呼吸テストを2回施行した脳死判定後でも蘇えった患者が報告されている。http://www6.plala.or.jp/brainx/trick_determination.htm#A このような実態がありながら、植田さんが参加して作成された小児脳死判定基準案では、心停止の予告もできず、脳死ではない患者も脳死としてしまう判定基準案になった。
植田 6月27日 投稿2932番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?log=&v=2932&e=msg&lp=2932&st=0

 私が会の中で、ひとりで小児の脳死は無い、反対、判定基準案作成拒否!というわけにもいきませんで、反対の方のことも考えて、世界でもっとも厳しい基準を作ろうと考えました。そして臓器提供を望まないときには脳死とされないことが選べるのですから、反対の方の権利も擁護されると思います。

もりけん 6月28日 投稿2933番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2933&e=res&lp=2932&st=0

1、動脈血二酸化炭素分圧が60mmHg超〜119.6mmHgで自発呼吸したケース
植田> 実際、患者さんを診療しているうちでも、肺炎を併発してとか、呼吸の状態の悪化で二酸化炭素の値が60程度には上昇することもあります。
植田> もちろんしっかり観察をしていて、これは見つけ次第是正します。
植田> そうすれば致命的な事態になることはありません。

「自発呼吸が出なければ無呼吸テストを終了してもよい」とされている動脈血二酸化炭素分圧は60mmHgですが、その無呼吸テストを終える60mmHgを超えてから自発呼吸をした患者が報告されています。詳細はhttp://www6.plala.or.jp/brainx/trick_determination.htm#apnea に出典も示して書いていますが、
日本大学付属病院は2例、64.7mmHgと72.2mmHgで自発呼吸を確認した。
帝京大学医学部附属市原病院は66.4mmHg
京都大学付属病院は86mmHg
Children's National Medical Centerは91mmHg
日本医科大学付属病院では肺胞内二酸化炭素分圧が100mmHg超
Cooper Hospitalは112mmHg
公立昭和病院では、小児期より気管支喘息の36歳男性患者に呼吸刺激薬ドキサプラムを併用した無呼吸テストで119.6mmHgで呼吸をした。



2、脳死判定は、低感度・低強度刺激検査の集合体
 頭皮上脳波測定を除く脳死判定の必須検査に共通する解決不能の問題と私は思いますが、刺激を与えて反応をみる検査で分かる範囲は限定されている。日常の診療では有益な検査であることは認めますが、機能廃絶までは確証できないでしょう。
 患者を傷害するほどの強度の刺激を与えれば、患者は反応することがある。深昏睡を確認する疼痛刺激でよくわかりますが、米国のザック・ダンラップ事件http://www6.plala.or.jp/brainx/wrong.htm#D のように、脳死とされて臓器摘出が予定されていたけれども、従兄弟の看護師が変だと思ってザック・ダンラップさんの足をナイフで切って、脳死ではないことを発覚させた。このように患者を傷つける非常の手段を採用すれば、脳死ではない患者が含まれていることがわかる。
 無呼吸テストでも、上記の日大〜公立昭和病院のケースでみたように、脳死判定基準に規定した動脈血二酸化炭素分圧60mmHgをはるかに超えて長時間無呼吸テストを行えば、自発呼吸をする患者がいる。脳死ではない患者が含まれていることが分かる。



3、無呼吸テストが、患者の全身状態を悪化させる検査であることは変わらない
 ところが、そのような長時間の無呼吸テストは、植田さんが「見つけ次第是正します」というほどの危険な状態の60mmHgを、はるかに超えた状態になっている。無呼吸テストを終了できる時の動脈血二酸化炭素分圧は60mmHgだから、静岡県立こども病院では瞬時に血液ガスの分析が可能な機器を使われているのかもしれませんが、多くの脳死判定施設では、血液を採取して、分析器のところまで走って持っていって、分析して、その結果が手元に来るまでには時間がかかり、その間にさらに動脈血二酸化炭素分圧は上昇している。「見つけ次第是正し」なければならない状態から、さらに悪化した状態で是正を始めている。
 死のテストではない無呼吸テストもあるけれども、それは形式的な低感度検査にとどまる。強烈な刺激を与えたら、高感度になるけれども、それは死のテストになるでしょう。



4、普段の診察手技の延長には、脳死判定はないのではないか
植田> 今回もりけん様とのお話の中で、私はこの患者さんに対して「無呼吸テストを行っていない」とは一度も申していないと思います。
植田> 「無呼吸テスト」を行ったとは言っていませんが、臨床的に自発呼吸の喪失を確認しています。

 結局、その臨床的な診断は、どの範囲ならば大丈夫?という話ですね。普段の診察手技においては、これは間違いなく自発呼吸能力がないことは確認できるでしょう。それは信頼しています。しかし、その延長には、自発呼吸能力の廃絶はないのではないか?
 

植田 6月28日投稿2938
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2938&e=res&lp=2932&st=0

 医学的な判断をするとき、私を含め専門家は、まずはこれらの報告や論文の信憑性を評価します。これらはほとんどが学会発表の抄録です。学会発表の抄録とは、その発表の要約にすぎず、それだけではその患者さんの他の部分が脳死の条件に適合していたか等、全くわかりません。その意味で、学会抄録は、抄録集に載っていて、あとに残っていても、信憑性は保障されず、医学的価値はほとんどありません。学会抄録ではなく、最低限でもしっかり論文化され、患者さんの臨床経過がしっかりわからないと、それを根拠に議論をすることはできないのです。その意味で上記のようなものをいくら集積しても、科学的な意味はゼロなのです。
 さらに、マスコミで報道された「○○事件」というようなものだとなおさら信憑性は下がり、それはもはや「伝説」にしか過ぎなくなります。研究班では、この様な反証とされるものをできるだけ検証しましたが、科学的に妥当と思われるものは無く、現行の60を変えるに足る根拠はないと判断しました。

 

 脳死判定は普段の診察手技の延長です。さらに言えば、いくつかの診察手技を複合させています。この、普段の診察の複合体を用いて脳死判定をしています。
 それは先に申し上げたとおり、完全にエラーが無いと言うことはあり得ません。自然科学の約束として、確率論的に言って無視できるほどゼロに近いものはゼロと見なすというか、それがゼロ、というものなのです。
ゼロ=ゼロ、というのはごく限られた高校までの数学の世界だけの話です。

 それをまずいから隠しているのか、常識と思って誰も言わないのか、何なのか、私にはよくわかりません。私はそれは自明の事実だと思っていましたが。

もりけん 6月30日 投稿2943番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2943&e=res&lp=2932&st=0

  私は、小児科医が脳死について論文を書く場合に、参考文献に疑問のある報告が載っていたら、その執筆者・病院に問い合わせて確認すべきだと、この時に思いましたが、植田さんについても同様のことを感じています。
 たしかに抄録では臨床経過は不明だけれども、執筆者が脳死判定の誤りかと思う事柄が発生したのでしょう。死人が蘇えるとは重大なことですから、資料の体裁に囚われずに執筆者・病院に問い合わせて確認すべきと思うのです。そこまでしないで、なぜ専門医かと思う。
薬品の有効性や治療法の有効性を検討する場合の、医学的な判断と同じではいけないと思います。

 また米国のザック・ダンラップ事件の主治医Leo Mercerは、Pub Medで検索しても一個も出てこない医師です。世界的にも、学会発表はしない医師のほうが多いのではありませんか。植田さんも、筆頭執筆者で書いた日本語の医学論文・解説文は、数本しかないでしょう。まして、脳死ではない人を生体解剖しかかったという凄まじいことを、一層、公にしようとすることは期待できない。

 これらのことから、脳死に対する反証については、不明のことがあったら執筆者・関係者または施設に、そしてLeo Mercer医師に具体的な状況を検討すべきと思います。問い合わせをされましたか。
 

植田 7月1日 投稿2949番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2949&e=res&lp=2932&st=0

 反証をしっかりとした医学的根拠と扱える体裁のものとするのは、反証する立場の方の義務と思います。ソースの定かでない事例の主治医を捜して、医学的な論文として発表させるべきなのは私ではなく、それを医学的根拠として利用する利益のある方の仕事だと思います。
 

もりけん 6月30日 投稿2943番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2943&e=res&lp=2932&st=0

 脳死からの復活例で、広島大の「6歳未満の小児11例に対する脳死判定の試み」は日本救急医学会雑誌8巻6号p231〜p236
http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jjaam1990&cdvol=8&noissue=6&startpage=231&lang=ja&from=jnltoc にあるとおり論文です。
 大阪大学の「Return of spontaneous respiration in an infant who fulfilled current criteria to determine brain death」は、Pediatrics96巻3号にあり、これは症例報告ですが検討するには十分な内容があると私は思います。
 公立高畠病院の「テレビゲーム中にてんかん発作を起こし、心拍呼吸停止を来たした1例」は日本小児科学会雑誌99巻9号に発表された論文です。これは無呼吸テストを1回しかしていないけれども、静岡県立こども病院のように無呼吸テストを省略することはなかった。

 無呼吸テストの閾値に関する資料では、日本大学付属病院の2例は、脳蘇生治療と脳死判定の再検討(近代出版)の第2章に載っている論文でしょう。そしてChildren's National Medical Centerの報告はCritical care medicine26巻11号に、そしてCooper Hospitalの報告はCritical care medicine26巻11号に載っている症例報告で、このままでも検討するには十分な内容があると思いました。

 「科学的に妥当と思われるものは無く」とは、具体的にはそれぞれに、どのようなことなのかお示しいただきたい。
 

 

植田 7月1日 投稿2949番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2949&e=res&lp=2932&st=0

 これらの例は、自発呼吸喪失の確認とPCO2を論じた例ではなく、「脳死からの復活例?」の報告です。
これはこれで興味深いので順次読み込ませていただこうとは思いますが、PCO2=60が妥当かどうかの議論とは関係のない事例です。

 もりけん 7月2日 投稿2951番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2951&e=res&lp=2932&st=0

3、小児脳死判定基準の検討委員は、臓器提供への協力に利益を有する人々だったのか?
植田> 反証をしっかりとした医学的根拠と扱える体裁のものとするのは、反証する立場の方の義務と思います。
植田> ソースの定かでない事例の主治医を捜して、医学的な論文として発表させるべきなのは私ではなく、
植田> それを医学的根拠として利用する利益のある方の仕事だと思います。
 
 では、植田さん、今回の小児脳死判定基準を検討した方々は、2000年の小児脳死判定基準と大差の無い基準を実地適用することに利益を有する方々が作成されたということですね。私は、純粋に医学的な事項を検討されるものと思っていました。



 
 

 植田 7月2日 投稿2952番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2952&e=res&lp=2932&st=0

 私は利益はありません。しかし法改正後その改正法に沿った判定基準を検討するという目的の研究班でした。脳死は人の死であるかから再検討する場ではないと最初に言われました。私がもりけん様のような信条の医師であればそれがわかった時に辞任したと思います。
 


 








 





 もりけん 7月2日 投稿2951番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2951&e=res&lp=2932&st=0

4、脳死からの復活、無呼吸テスト時の閾値についての論文、症例報告を検討することなく小児脳死判定基準案を作成したのか?
植田> もりけん>  脳死からの復活例で、
植田> もりけん>  「科学的に妥当と思われるものは無く」とは、具体的にはそれぞれに、どのようなことなのかお示しいただきたい。
植田>
植田> これらの例は、自発呼吸喪失の確認とPCO2を論じた例ではなく、「脳死からの復活例?」の報告です。
植田> これはこれで興味深いので順次読み込ませていただこうとは思いますが、
植田> PCO2=60が妥当かどうかの議論とは関係のない事例です。

 つまり、脳死からの復活について記載した論文や症例報告は、読まずに小児脳死判定基準案を作成したということですね。
 それから、無呼吸テストの閾値=動脈血二酸化炭素分圧60mmHgの妥当性に関係のある資料が、日本大学付属病院は「脳蘇生治療と脳死判定の再検討(近代出版)の第2章に載っている論文です。そしてChildren's National Medical Centerの報告はCritical care medicine26巻11号に、そしてCooper Hospitalの報告はCritical care medicine26巻11号に載っている症例報告です。無呼吸テストの閾値が妥当か否かと直接関係がある。これも読まずに小児脳死判定基準案を作成した!

 

 

 植田 7月2日 投稿2952番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2952&e=res&lp=2932&st=0

もりけん>  つまり、脳死からの復活について記載した論文や症例報告は、読まずに小児脳死判定基準案を作成したということですね。

ですのでこれを議論する場ではないと最初に言われました。
 

 もりけん 7月2日 投稿2951番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2951&e=res&lp=2932&st=0

6、脳死研究は崩壊している。科学的な意味はゼロ、もはや「伝説」に過ぎないのではないか?
 植田さんは、6月28日の投稿2938番で、こう書かれている。
“医学的な判断をするとき、私を含め専門家は、まずはこれらの報告や論文の信憑性を評価します。(中略)学会発表の抄録とは、その発表の要約にすぎず、それだけではその患者さんの他の部分が脳死の条件に適合していたか等、全くわかりません。その意味で、学会抄録は、抄録集に載っていて、あとに残っていても、信憑性は保障されず、医学的価値はほとんどありません。学会抄録ではなく、最低限でもしっかり論文化され、患者さんの臨床経過がしっかりわからないと、それを根拠に議論をすることはできないのです。その意味で上記のようなものをいくら集積しても、科学的な意味はゼロなのです。さらに、マスコミで報道された「○○事件」というようなものだとなおさら信憑性は下がり、それはもはや「伝説」にしか過ぎなくなります。”

 そうでしょうか、小児脳死判定基準の検討委員の方々が、信憑性があるとして採用された論文は、本当に信憑性があるのでしょうか?
 熊本大学の木下 順弘教授は2007年11月に日本脳死・脳蘇生学会のワークショップhttp://www6.plala.or.jp/brainx/2007-11.htm#20071102 でこう語っています。
“急性薬物中毒は,判定の対象から除外すると,ごく簡単に竹内基準はなっていますが,日常臨床では,鎮静剤や抗痙攣薬,時には筋弛緩薬のような薬物を脳死判定以前に使っていることは多々あると思います。そして,それらの薬物に影響が一切ないのかと問われた時に,私は自信を失いました。特に守屋らの報告ですが,血液中の濃度と,薬物の脳内濃度は一緒なのかという問題を突きつけられた時,非常に頭を悩ませました。つまり,脳血流がそもそも非常に少ない段階では,薬物は血中から脳のほうへ移行していかないかもしれませんが,脳循環がいい時に,高濃度の薬物が脳の中にたくさん溜まって,その後脳循環が停止したら,その薬物はずっと脳の中に残存し続けているのではないかと言われた時に,そうでないと自信をもって誰が言えるでしょうか。ましてその活性代謝産物まで調べないといけないと言われた時に,この問題は頭を悩まし,できれば避けてとおりたいというぐらいの気持ちです”出典=脳死・脳蘇生20巻2号p74〜p84、2008年)。

 守屋らの報告とは、高知医科大学法医学の守屋 文夫氏らが、臨床的脳死状態で塩酸エフェドリンを投与された患者が約72時間後に心停止した。解剖して各組織における薬物濃度を測定したところ、心臓血における濃度よりも53倍 (3.35μg)の塩酸エフェドリンが大脳に検出されたことを報告したことです(日本医事新報4042号p37〜p42、2001年)。守屋氏以前にも、他の法医学者から、血中薬物濃度と脳組織内薬物濃度の乖離は報告されています。
 植田さん自身も、チオペンタール作用下で自発呼吸が抑制されていた患者に、脳血流停止所見で脳死判定をしてしまったでしょう。それと同様のことが、もっと多数あった可能性が排除できない。治療中に投与された中枢神経抑制剤が効いたまま脳死判定した、それが論文に発表されて、いまも脳死判定基準に適合した脳死症例とされたままになっているケースがあると見込まれる。
 人工呼吸器を装着した重症脳不全患者のうち、脳死判定に影響する薬物を投与された患者は、過半数でしょう。つまり、植田さんらが信憑性が高いとして採用してきた論文、報告にも、脳死判定対象外とすべきだった患者が、過半数は含まれていると考えられる。もはや判別はできない。
 ということは、これまで信憑性が高いとして採用されてきた論文、症例報告も、植田さんの表現を引用させていただくと「いくら集積しても、科学的な意味はゼロなのです。それはもはや『伝説』にしか過ぎない」のではありませんか?
 
 

 植田 7月2日 投稿2952番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2952&e=res&lp=2932&st=0

 これも、専門家のパーソナルオピニオンですね。こういういろいろな意見を聞いて、その個人がどう判断するかです。
 もりけん様にとっては脳死の肯定に科学的な意味はゼロ、私は脳死の否定に科学的な意味はゼロ、同じ論文を読んでもそう思うわけです。それは根本のその人間の信条の違いだと思います。
 ただそれは持って生まれたものではなくて、いろいろな経験によって変わっていくものであると思いますが。
 

もりけん 7月6日 投稿2968番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2968&e=res&lp=2932&st=0

 脳死からの復活例で、広島大の「6歳未満の小児11例に対する脳死判定の試み」は日本救急医学会雑誌8巻6号p231〜p236
http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jjaam1990&cdvol=8&noissue=6&startpage=231&lang=ja&from=jnltoc は検討されたのでしょうか。

 

植田 7月8日 投稿2972
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2972&e=res&lp=2932&st=0

 拝見しました。
ABRは国際的には脳死判定の必須検査ではありません。この方は経過中ずっと昏睡・無呼吸・脳幹反射消失のようですから、脳死と言って良いと思います。基本は身体所見、それで疑義があるとか身体所見が取れないときに検査をする、それが脳死に限らず医学の王道だと思います。
 昏睡・無呼吸・脳幹反射消失が回復したなら判定の間違いということになりますが、そうではないです。

もりけん 7月9日 投稿2974番
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/nikki02/nikki.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=2974&e=res&lp=2932&st=0

 第X波まで確認できる聴性脳幹反応が得られたのならば、脳幹が機能している、脳死ではない。全国の臓器提供施設でも、そうしているでしょう。
 脳死を否定する脳の機能があっても、昏睡・無呼吸・脳幹反射消失が継続していれば脳死としてしまう。やはり、「子どもを生体解剖の危険にさらし、軽症患者も脳死とする総合的脳死判定を採用している」ではありませんか。書き間違ったのではありませんか。この1回だけならば訂正を許容します。

 



 

加えて脳死判定対象外とすべき中枢神経抑制剤に影響された子どもも、脳死判定対象に含める案を示した。=過去の脳死とされてきた症例の過半数が、脳死判定対象外とすべき中枢神経抑制剤に影響された患者と見込まれること。このため脳死研究が崩壊していることはhttp://www6.plala.or.jp/brainx/trick_determination.htm#Cを参照

 

 

 

始動する臓器提供安楽死、与死の既成事実化

この状況も想定したのか、〇五年に日本移植学会雑誌「移植」四〇巻二号(p一二九〜p一四二)は松村外志張氏による与死(よし)の提案を掲載した。「科学的な根拠に基づき、国会の承認を経て定義された一定の判定基準を満たしている者に対して、遺族あるいは親密な関係者が死を与えることを、本人が生前に遺族に対してそのような判断を委ねている場合には、非倫理的であるとは見なさないとする提案」だ。http://www6.plala.or.jp/brainx/2005-4.htm#20050410

 

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「ドナー不足」が示す、望ましい選択肢

148ページ

しかし臓器移植を成功させる原則を見据えると、移植以外の内科的・外科的治療法をこそ開発普及すべきことが判る。=臓器移植以外の内科的・外科的治療法は心臓移植回避例肝臓移植回避例肺移植回避例、腎臓については臓器移植を推進する医学的根拠は少ないを参照

 

臓器移植を成功させる原則とは、「臓器移植後に長期間にわたり臓器機能を維持するためには、提供される臓器に適合する患者が、多数の移植待機患者の中から選ばれなければならない。このため大部分の移植待機患者には、なかなか臓器移植を受ける機会は巡ってこない」という原則だ。= 「提供される臓器に適合する患者」とは、臓器別に重視する項目が異なるが、特に多数の移植待機患者の中から選ばれる必要があるのは「HLA型のミスマッチ数の少なさ」のことだ。
 レシピエント選択基準は、日本臓器移植ネットワークが臓器別に掲載している。腎臓についてはhttp://www.jotnw.or.jp/studying/20.htmlにおいて、優先順位として「提供施設と移植施設の所在地」「HLA型のミスマッチ数の少なさ」「待機日数」「小児待機患者」をあげている。膵臓のレシピエント選択基準http://www.jotnw.or.jp/studying/21.htmlも「HLA型のミスマッチ数の少なさ」を掲げている。他の臓器では掲げていないが、「HLA型のミスマッチ数の少なさ」を考慮する必要がないのではない。その事情は下記の資料が示している。

*Transplant Communicationは、http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_2/2_3.html#TC_23_04において「心臓、肝臓の移植でHLAの適合を条件としていない理由は、HLAが無視されているわけではなく、他の条件が優先されるためである。すなわち、心臓や肝臓の移植希望者は、移植を受けないと生命が危険になる重症の患者であるから、ドナーが現れれば医学的緊急度を優先してレシピエントを決定する。また同一の移植ネットワークに登録される待機患者そのものが、腎臓の場合のように多くないので、HLA 適合を条件としても、適合度の高い相手が選択できるとは限らない。心臓の場合、世界の何千例という統計をとって調べると、HLAの適合度による成績の差は明らかな結果となっている。肝臓の場合は、臓器の特性によってHLAの重要性はやや低下するが、心臓の場合は、腎臓とほぼ同等の意味を持つと考えられる」としている。

*福嶌 教偉(大阪大学医学部附属病院 移植医療部):心臓移植におけるHLA抗体陽性例に対する治療戦略、今日の移植、20(2)、111−117、2007
 この論文は「心臓移植とHLAの関係に関する論文は少なく、症例数が少ないので有意差が出にくいが、心臓移植後の生存率や拒絶反応の頻度などにHLAミスマッチ、特にDRミスマッチが相関しているという報告は存在する。(中略)免疫抑制剤が改良され、HLAミスマッチの影響は軽減したが、HLAの重要性がなくなったわけではない。しかし、ドナー不足の現状を考えると、HLAを適合させるのは困難といえ、ミスマッチであっても移植をしなければならないのが現状である」と書いている。

 

日本移植学会は昨年三月、仙台市で市民講座を開催、高原副理事長は「移植をできずに死んでいる人、透析患者の年間死亡者数は二万人以上・・・二万人といわないまでも交通事故死者数より多い」と発言した。
http://www.mediobank.com/media_workshop/WMVdata/shimin_20090302_02.wmvの9分18秒からが高原副理事長の発言 。
*透析患者の年間死亡者数および死因は、日本透析医学会の図説・わが国の慢性透析療法の現況http://www.jsdt.or.jp/overview_confirm.htmlでみることができる。「2008年死亡患者の死亡原因分類」ファイルをみると、2008年に慢性透析患者は26,901人が死亡しているが、このうち死因が感染症と悪性腫瘍の計29%の死亡患者は、免疫抑制剤を投与される腎臓移植においては、移植待機とされない患者が高率に含まれる。移植手術に耐えることができそうにないという点では、心不全で死亡した24%の透析患者も、移植待機患者とされない可能性が高い。
 また2008年に透析を導入された患者の平均年齢は67.2歳、全透析患者の平均年齢は65.3歳であり、年齢および全身状態から、移植待機とされる患者は限定される見込みだ。

 

ところが高原氏らは、二〇〇三年に大阪透析研究会会誌に「大阪府で行われた腎移植に関する実態調査」を報告し、「HLAミスマッチ数は献腎移植成績に明らかに影響しており、このHLAミスマッチ数を小さくするためにも献腎移植希望登録者は多いのが理想であり、献腎移植希望者に対する経済的な援助が必要かもしれない」と書いた。=小角 幸人(近畿中央病院泌尿器科)、高原 史郎(大阪大学泌尿器科)ほか:大阪府で行われた腎移植に関する実態調査、大阪透析研究会会誌、21(2)、183−193、2003

 


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