心臓移植を受けた精神科医 ロバート・ペンサック氏
私は人食い人種になった、人間社会からはみ出した
「ドナーの死は運命」と合理化 移植後に罪悪感増強
1997年11月1日付で時事通信社より「この心臓と生きる」が発行された。1950年生まれ、遺伝性の閉塞性肥大型心筋症で42歳の時に心臓移植を受けた精神科医(開業医・コロラド州在住)のロバート・
ジョン・ペンサック氏のドキュメント。石井清子訳349ページ。以下の枠内は、移植待機から移植後までの心理(自身の精神分析)をつづった部分。
(移植待機8ヵ月目)p20〜
心臓の移植を受ける患者のリストに載ってから、今日で八カ月目になる。テレビのチャンネルを回しては、交通事故、強盗殺人事件、自殺、とにかく頭を怪我しても心臓は無傷で、しかも脳死状態となった人の不幸なニュースを
、私はあさっている。この常軌を逸した行為は、私にとっては通常のことだった。それどころか、心臓移植希望者リストに名を連ねた人たちの間では、ごく当たり前の話題だった。彼らは怖れも恥ずかしさも感じないで、私とこの種の話をする。
私の場合、母から遺伝した病気が明白に私の心臓を冒して徐々に病弱な身体になり、あげくの果てに一種の人食い人種になってしまったのだ。歳月の歩みとともに、私は人間の社会からはみ出していった。生きるためにはそうしなければならなかった。人間の本質から逸れ、途方もない経験をする羽目になった。
(心臓移植の前)p245〜
そして夜になると、親しい人たちの顔がぼうっと現れるおかしな夢を見るようになった。大事故が起こり(中略)
ここで私は、身震いして目が覚めた。冷や汗をかき、寒くて目が冴えてしまった。手を下にのばすと、悪夢を見ている間に毛布を足許まではねのけていた。
一人の若者が死んでゆこうとしている・・・・・・。私は自分自身のことを考えてみた。一人の若者が死んでゆく。私はその死を当てにして、ここにいるのだ。その死の発生に生命を賭けている。何の病気もない健康な若者、その若者に対して、私は何の罪悪感も抱かないふりをしている。その死を運命的なものとして、正当化しようというのが私の最初の考え方だった。予知できない死は、心臓を必要としているロバート・ペンサックとは何の関わりもない。私が心臓を必要とするか否かにかかわらず、その若者の死は起こるのだ。その死は神の計りしれない意思によりあらかじめ決まっている。
私はここで考えるのをやめ、暗闇に向かって目を閉じた。(中略)霧の向こうからシルエットが近づいてくるように、一つのことが脳の奥底から浮かび上がり、わかり始めた。つまり私には罪悪感があったのだ。このように考えてきたこと自体、罪悪感を持っている証拠だし、それが夢となって現れたのだ。
そんなことは分かり切っている、という人もいるだろう。もちろん、これは罪である。他人が不幸に見舞われた結果、私が得をするのだから。その死がなければ、私の生命は終わってしまう。私はその死を望み、心待ちにしている。しかし、このような考えは、心の奥に隠れ、煙突のない食料貯蔵庫の中の
火のように、ただ、くすぶり続ける。−−それでも煙は洩れてこうした夢となって現れる。このように罪の意識は明確であると同時にあいまいなのだ。
とは言っても、最終的にはこのような考え方には欠陥がある。私はその死を待ち望んでいるわけではなく、その死が避けられたら、と願っている。私が待っているのは新しい心臓、新しい生命であり、それ以外の何ものでもない。
こうして、道徳上のジレンマと苦しみ、必要以上に理屈をこねながら、その世は更けていった。
(心臓移植から3ヵ月後)p326
事故車に近よろうよすると涙が頬を伝わった。滅茶苦茶に壊れた車、その周りの木にテープを張り巡らしている警官が「そばに寄るな」と私を制止した。「それはおかしい、これは単なる事故で犯罪じゃない」と私が警官に説明すると、彼は急に疑い深くなった。まるで生物学者がシャーレを覗くように、じっと私を見る。それから騒々しい音、懐中電灯の輪、声も聞こえる・・・・・・と、ゆっくりとさりげなく眠りから覚めた。悔恨の情がこみあげてきた。私は重い瞼を上げた。
p327
今こそこの新しい心臓は、その契約を実現して、私の一部分になったのだ。ただ提供者の気の毒な死に罪悪感を覚える・・・・・・。病状が重くて、ドナーが見つかる前に死ぬかもしれないと思っていた頃は、罪悪感を感じることもなかった。当時の私は、感情的な悩みも何もなく、地方新聞で事故や自殺の記事を読みあさっていたのだから−
−。しかし、今私の身体は快方に向かっている。
(夢から目覚めた後、妻が「ドナーの心臓が欲しくて殺した」かどで殺人罪で裁かれる夢を見たことを話し、ロバート・ペンサック氏は「交通事故を僕が仕掛けたように疑われた」夢を見たことを話
した) |
当Web注:米国と比べて日本では、脳死ドナーの年齢層が高いにも関わらず、一人のドナーあたりの臓器摘出数が多い。メディカルコンサルタントが、法的脳死が確定する以前からドナー管理を行なっている「成果」とみられる。ドナー管理には、脳蘇生に反する投薬・輸液などの管理があり、ドナーの死は運命的なものではなく、人為的に捏造された脳死、不適切な死亡宣告になっている。
透析で11年間生存の女児、移植後83日目に死亡
ドナーは「脳死に近い」1歳4ヵ月男児 新潟大
透析療法で11年間生存していた女児が1997年8月1日、「脳死に近い」男児をドナーとして腎臓移植を受けた。しかし、移植後83日目に死亡した。
ドナーとされた1歳4ヵ月男児は1997年7月27日、風呂で溺れ、意識が回復せず脳死に近い状態と判断された。8月1日「心停止」後、新潟大学医学部附属病院に左腎(50g)が搬送され、8月2日移植が行われた。
一方のレシピエントとなった11歳女児は、1986年1月、生後2ヵ月目に左副腎原発の神経芽腫と診断され、腫瘍摘出と左腎摘出の手術を受けた。術後、血栓症を併発し生後3ヵ月目に急性腎不全に陥った。透析を行ったが腎機能は回復せず、生後1年目に慢性腎不全に移行。腹膜透析に導入したが、腹膜癒着そして繰返す腹膜炎のため十分な透析効率は得られず、1歳7ヵ月目から右鎖骨静脈にカテーテルを留置して短針血液透析を続けていた。
そして今回、腎臓移植を受けた後、退院後の生活を考慮して、第83病日、留置していたカテーテルを埋め込み型の中心静脈ルートとするため手術が行われた。その手術中に低酸素血症を起こしてICUに入室。血管造影により肺梗塞と診断された。血栓溶解療法と開胸手術が行われたが、右心系ならびに肺動脈の広範な血栓形成が確認され、播種性血管内血液凝固が発症、止血を試みたものの創部からの出血が止まらず、徐々に血圧が低下し死亡した。
術前のCTでも、下大静脈に血栓形成があり、下大静脈上部にまで到達していることを確認していた。低酸素血症を起した後の血管造影では、上大静脈に血栓形成があり、周囲の側副血行路が発達していたことが確認された。関係者は「腹膜透析療法が行えない理由から、やむをえずカテーテル透析を持続した症例であったが、透析療法の過程で強力な血栓形成の予防が必要だったかもしれない」としている。
出典 西 愼一(新潟大学医学部附属病院・血液浄化療法部)ほか:長期カテーテル留置による肺動脈血栓症で死亡した小児献腎移植の1例、今日の移植、11(6)、800−801、1998
太田氏 臓器移植法以前に脳死臓器摘出は百数十例
松田氏 強心剤を入れないで早くドナー管理始めてくれ
有賀氏 早期ドナー管理は難しい、現行法にホッとした
川崎氏 緊急度より成功確率が高い症例に移植したい
高橋氏 最初は腎臓もそうだったのです
座談会“臓器移植法の成立と今後の臓器移植の問題”
1997年9月29日、東京ステーションホテルで座談会“臓器移植法の成立と今後の臓器移植の問題”が開催され、太田 和夫氏(太田医学研究所)は「1982年に脳死で臓器提供をしてくれるという施設があり、これを受けて脳死者からの腎臓移植を行ないました。実質的には百数十例ぐらいやりました」と述べ、「心停止後の臓器提供」と称して脳死臓器摘出を多数行なったきたことを自ら発言した。
松田 暉氏(大阪大学医学部第一外科学教室)は「強心剤をどんどん入れる状況では困る。ドナー管理を気にしている」という発言に、有賀 徹氏(昭和大学医学部救急医学教室)は「脳死でも移植にならない、移植を希望しない患者さんの脳死は法的には死ではありません。メリハリのいい管理をしたほうがよいという意見があったとしても、そういう意味でのメリハリはなかなか難しいというのが私どもの本音です。患者さんが臓器移植とは無関係に数多くいますから、その辺で今回の法案があのような形になったというのは、情の世界ではホッとしていることは否めない」と述べた。
このほかの出席者は高橋 公太氏(新潟大学医学部泌尿器科学教室)、、川崎 誠治氏(信州大学医学部第一外科教室)の4氏。以下は「今日の移植」10巻6号p805−p820より主な発言。
太田:1982年に脳死で臓器提供をしてくれるという施設があり、これを受けて脳死者からの腎臓移植を行ないました。最初に、一番早くからこの問題で動いてこられた高橋先生、これまでの脳死と腎臓移植について、どんなトラブルを起こし、またどんな苦労があったかを少しお話ください。
高橋:今回「臓器の移植に関する法律」が施行されますことはそれなりに意義があると思います。第1番目は、脳死移植を必要とする心、肝不全患者に移植の道を開いたこと、第2番目は、いままで8件、臓器提供に関わった医療関係者が殺人罪で告発されていますが、この法律の施行によって法律に沿って臓器の提供、摘出すれば殺人罪を免れるわけです。このような点では大変意義あることです。また腎臓移植に関していえば、いままで心臓死後に腎臓の提供を受けていたわけですが、この場合5%程度に移植後腎臓の機能がみられない、所謂プライマリー・ノン・ファンクションがあったわけですが、脳死下であればこのパーセントがさらに低下します。
太田:川崎先生は、生体部分肝移植から移植に入ってこられたと思いますが、今度の法案についてのご感想はいかがですか。
川崎:みなさんがおっしゃるように、ドナーが出にくい法案であることは間違いないのですが、この状況でやらざるをえないと考えますと、その運用が大切な問題になると思います。運用をうまくやっていくためには、初期の症例が非常に大事だと思います。もちろんうまくいうことが一番大事なのですが、あとはできるだけわかりやすい形で、エクスポーズしたらまずいということがないような形で移植が行われることが重要だと思います。
松田:われわれとしては、とにかく最初の数例をスムーズにスタートさせなければいけない。そういうことで、3施設がいま選定されたわけです。
太田:心臓について欧米に比べてどうしてもドナーの状況が悪いのではと思うのですが、その点はいかがですか。
松田:日本の場合はある程度時間が経っていると思うのです。臨床的に脳死になってから実際に移植への臓器提供が動き出すまで、かなり時間が経つと思います。その間種々の感染とか臓器不全がおきやすい。いままで何人か照会があったときもそうでしたが、かなりの量の強心剤が入っています。心臓の機能からいいますと、強心剤があまり多いということは移植後の機能が悪くなり危険です。あまりドーパミンのような強心剤をどんどん入れるような状況では困るのです。そういう意味ではドナー管理はわれわれが気にしているところです。
有賀:脳死でも移植にならない、移植を希望しない患者さんの脳死は法的には死ではありません。そうではないもの、つまり臓器移植を希望する、ないしは承諾している本人ならびに家族がいればそうではない、つまり法的に脳死が人の死ということになります。ですから、いま松田先生が言われたように、メリハリのいい管理をしたほうがよいという意見があったとしても、そういう意味でのメリハリはなかなか難しいというのが私どもの本音です。
松田:そうだと思います。
有賀:患者さんが臓器移植とは無関係に数多くいますから、その辺で今回の法案があのような形になったというのは、情の世界ではホッとしていることは否めない。
高橋:松田先生にお聞きしたいことがあります。心臓のレシピエントの方々に、あなたは心臓移植しか延命の治療がないという、インフォームドコンセントはなされているのでしょうか。
松田:それは非常に問題でして、施設を限ったことからくることなんです。とにかく数例をみんなが納得のいくところでやりなさいということで・・・
川崎:本当に正直なところ、はじめの何例かは劇症肝炎以外の疾患であったら、という思いはあります。劇症肝炎に対する肝移植は技術的なもの以外で生死がきまってしまうような部分がありますので、ただ公平性ということで入ってきてしまう可能性はあります。全国的にみても劇症肝炎に対する生体肝移植の成績というのはまちまちで、平均的にみると全体の成績をやや下回っています。
松田:心臓でも補助人工心臓をつけなければいけないような症例ばかりになってきます。そういう方が最優先になると、これは技術的なことで問題なわけです。手術の時間もかかり、出血も多くなります。これはやはりリスクが高いです。
太田:感染症の可能性も高いですしね。
松田:そういう意味で最初の1例からそういうアシストデバイスのついた症例を適応とするということには否定的になります。一方、デバイスをつけた人は、それで安定しているので緊急的ではありません。そういう意味ではいま川崎先生がおっしゃったように、本当はその時一番望ましい人が医学的よりも他の事情で順番が下がることもあるかもしれません。これはネットワークのほうで決めていくので、われわれは動くことはできません。現実的にはわれわれも非常に苦しい判断をしなければなりません。
この間ネットワーク関係で集まったときに、ドナー管理の問題が出ました。救急病院側に麻酔管理をどうしてもらえるとか、手術場をちゃんと使わせてもらえるのか、といったことがわれわれも関心があります。麻酔はお願いできるのかということも現実に話題になっています。こちらからどなたか経験のある麻酔科の方をつれていってもいいのかも考えておかないといけません。
高橋:先ほどからレシピエントの適応で、川崎先生もやはり最初はよい症例を選んで行ないたい、要するに緊急度よりも、移植した場合にある程度成功する確率が高い症例を選びたいとおっしゃっていました。腎臓もそうだったのです。ところが最近はむしろ、たとえば小児のような緊急度を要する場合は適合性を超えなければいけないということがあるわけです。
法律は後からできる
太田:法律というのは、基本的には後追いでできるもので、まず最初に事実をつくる必要がある、と法律家にいわれました。私たちが脳死で腎臓移植を始めたのはそのためです。しかし心臓移植や肝臓移植をやって事実をつくると大変なことになるので、現在行なわれている腎臓移植でもって事実を積み上げていったらいいかと思い、実質的には百数十例ぐらいやりました。
当Web注:太田氏らは「移植」第25巻第4号において、1988年末までの5年間に全国で152例が「人工呼吸器をつけたまま摘出、または人工呼吸器を外して直ちに摘出する脳死腎臓摘出だった」と報告しているため、1997年時点で「実質的には百数十例ぐらい」とは東京女子医大が関係した「脳死」臓器摘出症例数のことと推定される。
「どのような行為が脳死臓器摘出なのか」という移植関係者の認識は「A:心臓拍動中および人工呼吸器装着中または停止直後臓器摘出は脳死臓器摘出」から「B.左記に加えて臓器冷却用カテーテル挿入も脳死臓器摘出」と変遷している。「C:臓器摘出目的のドナー管理、術前処置(投薬など)も法的脳死が確定した患者にのみ行うことが許容される」という法的規制は1997年の臓器移植法以後になる。太田氏はB認識(カテーテル挿入まで)による、過小な「脳死」臓器摘出数を述べたとみられる。
太田氏らは脳死腎臓摘出移植を多数行なうことによって、レシピエントの生存率向上やQOL改善、さらに医療費削減の実績を示したかったとみられるが、腎臓移植レシピエントの34%は生死が不明、さらに全国的なQOL調査もなされておらず医学的な成果も検証不可能な状態にある。
臓器提供を拒否したら、輸液・呼吸器管理を替えられ悲惨な外観
本人意思を第一にしている事、これが医療の原点 N3が座談会
N3:ナイス・ナース・ネットワーク(小林
光恵代表)は6月5日、看護師の会合を開き、「移植」「脳死」に関する医療現場の実態報告や意見交換を行った。以下は月刊ナーシング17巻10号p81〜p83より。
司会(NHK静岡放送局・隈本):「臓器移植法案」の参議院審議によって「脳死が人の死であるということ」が法として定められるわけですが、決定に対してもった印象はどうでしょうか。
K:臨床で発生する問題として、判断を下す臨床医の絶対数や監視モニタの整備などの物質的なものと、倫理的な問題が頭に浮かびました。とくに、倫理的側面での問題は難しい。医療者と患者・家族との間にある「死」のとらえ方のズレがいままで以上に広がってしまう不安があります。脳神経外科では、クモ膜下出血の場合には急な死に至ることがままあることから、患者さんは完全な脳死状態であっても、家族の「死」の受け入れが難しい。心臓死より早い時期に家族は死を突きつけられるわけですから、いままで以上に医療者と患者・家族のかかわりが、直接「死」の受入れに影響するのではないでしょうか。過渡期には現場の人間が厳しい状況におかれるのでしょうね。
I:私の働くCCUでは、循環器疾患の場合も突然の発症で死亡するケースが多いのですか、やはり家族が、死を信じられないとか受け入れられないという事態が起きるんです。「心電図モニタは確かに動いているじゃないか」とか、「まだこんなに温かいじゃないか」といった具合です。私たち看護婦も、温めてあげたい」という気持ちがあるので、温枕をしたり毛布を掛けたりするんです。最後まで「その人らしく」と考えてケアしています。「脳死説明」は、医療者と家族のコミュニケーションがとれた段階で行うべきでしょうね。
Y:死の規定を法律で一律に決めてしまうのはどうかと思います。著名な医者が出した案を、医療をあまり知らない人たちがもっともらしく承諾してしまう。薬害エイズのときもそうでしたが、自分の得を考えて発言した医師の言葉に、「医者が言っているからそれでいい」と一般の人が納得する、そういう印象がどうしてもつきまとうんですよ。
S:脳内出血で入院していた患者さんの呼吸が突然停止し、救命病棟へ運ばれて脳死状態になったんです。そのときに家族が腎移植を拒否したら、とたんに輸液は栄養性の低いものに切り替わってしまった。呼吸管理も十分とはいえないので、電解質のバランスが崩れて身体中むくんで悲惨な外観になっていましたね。一方、腎移植が決定した方は、きめ細かに管理されるのできれいな死に顔になる。複雑な心境です。
A:私が派遣で働くのはだいたい小さい病院ですから、脳死の患者さんを見たことがありません。そういう現場では脳死の患者さんがいても、今後も適切な判定はできないだろうと思います。ですから、臓器間題としての脳死を扱うのは、ある程度の規模をもつ病院にかぎられるのではないでしょうか。極端な話、臓器を取られたくなければ小さい病院へ行けばいい・・・・・・・ということにもなりかねませんよね(笑)。
O:私も脳外科にいましたけれど、移植とは全く関係のない病棟だったので、積極的なことはしませんでしたね。ほとんどの症例は、判定をせずに呼吸器を着けてできるかぎり延命していました。ですから脳死基準が立法化されても、医師たちはいままでと同じようにしていくんだろうと思います。ただ、現場で脳死判定が義務づけられたときに、「呼吸器ははずしてほしくない」と要望する家族の思いはどうなるんでしょうね。延命を求める家族は多かったですからね。
司会:臓器移植に対する周囲の反応をどのようにみますか。
M:「脳死と臓器移植を一緒に考えてはいけないのではないか」というコメントが多く、私もほぼ同じ意見です。ただ、その意見を出しているのが、移植賛成派のドクターに多いような気がしています。「やっちゃいけない」という見せかけの意見を出しながらも本心は「移植やりたい」だったりして・・・・・・・。そして、脳死の基準は大騒ぎしてかなり明確に提示されていたのに比べて、臓器移植対象者の基準に関しては全く耳に入ってこない。これは不安です。結局、和田移植のときのように「本当に必要なのか」と考えさせられるケースであっても、成功例を稼ぐためにはとりあえず実行してしまう・・・・・・・、そんな現象がたぶん起きるでしょうね。
O:こうやって日本中で騒いでいる割には、それにかかわる施設や医情者はごく一部なので、差し迫った実感としてこの問題に真剣な人は少ない・・・・・・・そんな気がします。
K:診療を受ける一般の人のなかには「決定は医療者任せ」にしておきながら、決まった後に、「態度が悪い」「倫理観はどうなっているんだ」と騒ぎそうな予感がしますね。これだけ報道されてはいても「あ、そう」と無関心、患者にいちばん近い臨床の看護婦たちは、そのような意識のまだ薄い人たちに対し、自分の身近な問題として真剣に考えてもらうような働きかけができる立場にあるのではないでしょうか。
司会:注目すべき点、それは、今回の臓器移植法案では、本人の意思を第一にしていることだ。家族の意思だけでは認められないような規定、実はこれが当然あるべき姿で、医療の原点。患者・家族の意向を医療に反映させるためには、看護婦がこれまで以上に自覚と自信をもち、業務責任を明確化する必要がある。
瀕死患者も積極的に治療すれば数百例に1例は救命できる
100%死亡予測は困難を知りつつ「科学的な尊厳死」を模索
関西医科大学救命救急センター 千代助教授
月刊誌「治療」は、千代 孝夫氏(関西医科大学救命救急センター・助教授)による6回連載「尊厳死を考える-科学的な尊厳死を求めて」を4月号からスタートした。
各連載のサブテーマ
- 79巻4号 Page1105-1109 なぜ救急医が尊厳死を考えるようになったか
- 79巻5号 Page1297-1303 科学的な尊厳死の施行のために 重症度評価法の利用
- 79巻6号 Page1521-1526 DNR指示
- 79巻7号 Page1727-1733 cannot reverse dataとしてのパニック値
- 79巻8号 Page1937-1943 脳死・臓器移植と尊厳死
- 79巻9号 Page2094-2099 在宅医療と尊厳死
千代氏は、「筆者は、救急医であることもあって、もともと医師の進むべき方向は『限りない治療への挑戦』であると思っている。このため、回復の可能性を残している患者に対して、治療を中止して行なう“死の見守り”とか、欧米での自殺幇助を行う医師には強い嫌悪感を持ち、宗教家や哲学者、市民グループで討論されているような感情的、情緒的ともいえる尊厳死は、医師の考える尊厳死とは別種のものであるべきと思っている。このように、どちらかといえば尊厳死には真っ向から否定的な考えを持つ私が、救急医療のなかで長期間にわたり人の死を見つめた結果、考えが時間とともに極端から極端へと変遷して、最終的に『科学的な尊厳死のみを認め、その正しい施行法を模索しよう』と結論するに至った。この筆者の思考の変遷と科学的な尊厳死の施行のための方策について、今回連載記事として6回にわたり述べたい」という。
「概念の整理と語句の定義」の4.cannot reverse data
では「脳死判定のようにもしも客観的な検査値により患者の死亡がその時点で100%予測できれば、それは医学的に
no-return point
の決定ということになり治療を中止することの妥当性に合意を得られる。
no-return point
の設定に役立つ数値としては、無駄な医療費の支出を抑制するために考案された重症度評価指数としてのAPCHEスコアや外傷指数(ISS)、即刻治療を行わなければ患者の生命が危険になる検査値としてパニック値がある。この数値を敷衍すれば
cannot reverse data
としての設定が可能となるかもしれない。しかし、実際には、その数値の決定には、医師の質、施設、国、治療法の進歩などにより大きな差異があると思われ合意の得られるものの作成は相当な困難を伴なう」という。
「尊厳死についての筆者の思考の変遷」では、「時には奇跡的に(数百例に1例?)普通なら死亡確率80%程度の患者を救命できると“超積極的治療”を中止することに不安が生じ、患者の死亡を100%予測することは困難であるため、そのような選択の危険を避けて、全例に“超積極的医療”を続けた方が安全とも思われた」という経験があるが、“超積極的医療”は家族の負担と疲弊、患者の尊厳、医療側の士気、医療経済性で問題があるとして「救命率の高まる有効な医療と無駄な延命治療とを区別して高密度医療を施行しなければならない」と第1回連載を締めくくった。
以下は当Web注
千代氏は「脳死判定のようにもしも客観的な検査値により患者の死亡がその時点で100%予測できれば」というが、1週間以上さらには年単位で生存する脳死患者がおり、脳死判定さえも患者の死亡を100%予測できない。同施設の医師自身が「いずれ心停止きたす。個人差ありどのくらいの間心臓もつかは不明」と説明、抗生剤・ドパミンを中止し、人工呼吸器のO2濃度を60%から21%へ落とすなどして説明から16日後の死亡事例がある。
脳死判定よりもさらに曖昧さを増す「cannot
reverse data
による科学的な尊厳死」は、現実には科学的な装いを凝らした患者の切捨て拡大、人工呼吸器の設定変更、投薬中止、輸液の制限などによる死亡(自然死の演出)、臓器提供の強要を「脳死」患者以外にも拡大するだろう。
移植用腎臓保存のための準備措置について
上智大学関係者で「心停止後提供でカテーテル挿入は許容」
出血多量死につながる処置を“重大とはいえない程度の侵襲”と
上智大学の町野教授らは、「心停止後」と称する腎臓摘出で生前にカテーテル挿入がなされていることについて「患者が脳死状態になり個体死としての心臓死が近接した状態になった段階では、移植用腎臓摘出のための必要最小限度の措置であり、かつ重大とはいえない程度の侵襲であるカテーテル挿人施術を行うことも、角腎法の許容するところであると解しうる。遺族となりうべき家族の、カテーテル装着施術に関する明示の承諾を得ること。腎臓摘出に関する同意だけでは十分ではない」とする見解をまとめ、平成8年度、厚生科学研究費補助金 臓器技術臨床研究開発事業研究報告書において公表した。以下の枠内は同報告書p238〜p230より。
研究課題:移植用腎臓保存のための準備措置について
分担研究者:町野朔(上智大学教授)
研究協力者:長井圓(神奈川大学教授)、山本輝之(帝京大学助教授)、矢島基美(上智大学助教授)、近藤和哉(上智大学助手)
研究要旨:移植用腎臓保存のために心停止後の死体内冷却灌流措置をとることを予想して、そのための準備として、脳死判定後、心停止前にドナーの大腿動脈から腹部大動脈を経て、カテーテルを腎臓の真下まで挿入するということが行われているが、人の死の概念との関係で、これが現行法上許容されるか、その要件いかんについて考察を加えた。
A.研究目的
未だ脳死が人の死として認められていないわが国においては、死体臓器の摘出は心停止後に行われなければならない。しかしそこでは、臓器に温阻血障害が生じることは不可避である。これを可能な限り抑える目的で「死体内冷却灌流」と呼ばれる腎臓保存の措置を心停止後速やかに行うことになるが、さらにそのためには、脳死判定後心停止前に、大腿部を切開して、灌流液を注入するためのカテーテルを予め装着する施術が行われる。これは現在のところ、腎臓摘出に関してのみ行われている。しかし生体へのこのような侵襲を許容する法は存しないから、これは違法であるという見解もある。本研究の目的は、その合法性いかんと要件を検討するところにある。
B.研究方法
分担研究者自身を含めて5人の法律研究者によって構成された研究会には、厚生省臓器移植対策室の担当者も出席し、実際に移植医療に関係する医師、警察庁、警視庁の関係者もゲストとしてして招いた。そのほか、討議、文献、資料の検討によって孝察を加えた。
C.研究結果
第一に、脳死説を前提とするなら、脳死判定後に行われるカテーテル挿入措置は、死体に対して行われる移植用腎臓摘出のための準備措置であり、角腎法の規定する摘出の要件を充足して行われる以上、摘出行為の一環として合法であると解しうる。そしてその際には、腎臓提供について本人の書面による同意があったとき、あるいはそれがないときでも、遺族の同意があれば、このような措置をとりうることになる。
心臓死説を前提としても、心臓の摘出を含めて、脳死段階での臓器摘出行為は、殺人罪の違法性が阻却され許されるという見解がある。その場合、本人の事前の文書による同意が必要だとされることが多い。これによるなら、カテーテル挿入行為もこの要件の下で許容されることになる。これが第2の見解である。
第3に、心臓死説を前提としつつ、かつ以上のような違法阻却論をとらないでも、患者が脳死状態になり個体死としての心臓死が近接した状態になった段階では、移植用腎臓摘出のための必要最小限度の措置であり、かつ重大とはいえない程度の侵襲であるカテーテル挿人施術を行うことも、角腎法の許容するところであると解しうる。
D. 考察
-
現在の法律実務、医療実務では脳死説はとられていないのであり、第一の見解をとることは困難である。第2の見解は、その前提とする違法阻却論に基本的な問題があり、支持することはできない。最後の第3の見解が妥当であると思われる。
これに対しては、カテーテル装着措置は生体に対する侵襲であり、治療行為ではないのだから、これを許容することはできない、という反対もある。たしかにこの点の問題はあるが、心臓死説を前提としたならば、損傷の少ない、生着率の高い腎臓を得るために必要不可欠な手段であり、かつ、侵襲の程度もさほど高くないこのような措置を、死の到来と腎臓の摘出が間近に迫った時点で行うことは、腎臓摘出行為の準備的措置として角腎法が許容するところと見ることもできる。
- カテーテル装着の要件とすべき点は以下の通りである。
1
)遺族(脳死説を前提とした場合)、あるいは遺族となりうべき家族(心臓死説を前提とした場合)の、カテーテル装着施術に関する明示の承諾を得ること。法的にはともかく、倫理的には、腎臓摘出に関する同意だけでは十分ではない。これに対して、現行の角腎法を前提にするなら、いずれの点についても、事前の本人の明示の承諾は必要でない。
2
)カテーテル装着後に心停止があったときには、それが無益であるときは別として、そうでない以上、心活動回復のための措置をとるべきであり、それを省略して、直ちに保存液を濯流して腎臓摘出をするなどしてはならない。心臓死説をとるなら、これは医師の救命義務の範囲であるが、脳死説を前提としたときにも、家族の意思を尊重して、心停止まで腎臓の摘出を待つことにした以上は、不作為によって心停止を早めることは、刑事責任は問われないとしても、倫理的に許されない。
3 )
心停止以前に、灌流措置を開始してはならない。それが心停止を早めないとしても、生体への必要最小限度を超える侵襲は許容しえないからである。
4 )
以上の一連の措置をとるに当たっては、(脳)死体に対する「礼意」(角腎法5条)を保つべきであり、いやしくも死体は「臓器の容器」であるかのような行動をとってはならない。そのためにも医師は家族へのインフォームド・コンセントを十分に行うべきである。
5 )
カテーテル装着、灌流措置が以上の手続に従って実行されたことを事後に確認することができるように、そのことを医療文書に記録として留めるべきであろう。
E .結論
以上のように、角腎法の規定する腎臓摘出のための手続の一環として、問題とされている措置をとることが許容されることがありうる。
以上は現行法を前提とした上での解釈論であるが、現在国会に提出されている「臓器移植に関する法律案」が実定法となったときにも、当面の間は以上と同じことが妥当するものと思われえる。すなわち、同法案は、脳死を人の死としつつ、死体からの移植用臓器の摘出に関しては、本人の書面による承諾がなければ、これを許さないものとしている。この原則によるなら、カテーテルの装着についても本人の承諾がなければならないことになろう。しかし、同法の附則は、心臓死体からの腎臓の摘出については当分の間、遺族の書面による承諾で許されるとしているから、装着の措置についてもその承諾で足りることになる。 |
以下は当Web注
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町野教授らは、カテーテル挿入を「重大とはいえない程度の侵襲であるカテーテル挿人施術」「侵襲の程度もさほど高くないこのような措置」として許容するが、これは現実について認識がないまま結論をまとめた、あるいは一般人を「カテーテル挿入は侵襲が軽い」と騙して臓器獲得に貢献することを選択したものとみられる。
カテーテル挿入およびカテーテルを利用した臓器冷却にかかわる下記a〜dの事実を知れば、「重大とはいえない程度の侵襲である」とは到底、言えない。
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体内にある腎臓を冷却灌流するためのカテーテルは、鼠径部を約5センチ切開し、筋膜を開いて大腿動脈、大腿静脈を切開することで挿入が可能になる。血を見ることが明らかな処置である。
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大腿動脈には冷却液注入用カテーテルを挿入して、大腿静脈には脱血用カテーテルを挿入して、それぞれ末梢部を糸で縛る。カテーテルが血管内にあることに加えて、動脈・静脈が糸で縛られていることで血流が阻害される。
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近年用いられるダブルバルーンカテーテルによる死体内冷却灌流措置は、動脈を閉塞してショック死させることで臓器ドナーの死亡を決定する重大な行為である。
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千葉大学第2外科は、1960年代から死亡宣告したドナーに麻酔器をかけて心臓マッサージをしながら手術室に運んでいる。心停止があったとしても、その直後に皮膚を切開してカテーテル挿入等を行うならば、生体と同じく激痛にのた打ち回る反応が予測される。まして心臓マッサージを行うならば、自己心拍がなくとも生体とみなすべきで、麻酔も
臓器ドナーが生体であり効くからかけられているのであろう。3徴候死はしていないといわざるをえない。そのような生体の静脈に挿入したカテーテルから脱血することで臓器ドナーの死亡を決定的にする行為が、腎臓摘出における死体内冷却灌流である
(静脈から脱血しないと、動脈から冷却灌流液を注入できない)。
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上記の研究報告書は、関西医大事件裁判(臓器提供の生前意志がなく、脳死でもない看護師にカテーテル挿入して臓器摘出した事件)が進行中にまとめられた。裁判経過は医療を考える会のhttp://pikaia.v-net.ne.jp/indexkansaisaiban1.html、事件および判決概要はhttp://pikaia.v-net.ne.jp/indexkansaisaiban0.htmlを参照。
竹村泰子参議院議員の質問に対する橋本首相(当時)の答弁書http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/140/touh/t140008.htmにも「一の1の(6)について
・・・カテーテルの挿入自体は検査等を目的として一般の患者に対しても行われているように患者の身体への侵襲性が極めて軽微であり」という表現で反映しているとみられる。
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研究協力者のうち、山本教授(帝京大学)も上智大学法学部卒・法学部助手の経歴がある。上智大学法学部関係者に偏った構成で研究が行われた。
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