市立札幌病院 腎移植で尿管を腹膜につないだ
移植医が疲労で集中力低下 診断まで1ヵ月超
市立札幌病院で「脳死」腎移植を受けた30歳女性は、尿管を膀胱ではなく誤って腹膜につながれて、再開腹手術が行なわれていた。
症例は慢性腎不全の30歳女性で透析歴12年。移植術後無尿だったが、ドップラーエコーほかで移植腎血流は良好だったため、急性尿細管壊死と診断された。その後、腎生検で急性拒絶反応を認め、抗拒絶療法を行ったが、術後33日目に体重増加・腹部膨満が著明となり腹水穿刺により、腹水が尿であることが判明した。
再開腹手術を行い、移植尿管が膀胱頭側の腹膜へ吻合されていたことが判明し、固有尿管尿管吻合を行い、尿菅ダブルJステントを留置した。抗拒絶療法後に発症した帯状疱疹の加療終了後61病日に退院した。
執刀医らは「本症例では、長時間の医療施設での待機ののちの、深夜の摘出に引き続き、一般診療を行い、その後に休息なく移植手術を行なった。術者の過度の疲労による集中力低下があったことは否めない」としている。
出典=中村 美智子、原田 浩、平野 哲夫(札幌市立札幌病院腎臓移植外科)、宇野 仁揮、松本 隆児、大澤 崇宏、高田 徳容、関 利盛、富 樫正樹(札幌市立札幌病院泌尿器科):誤って尿管を腹膜に吻合した献腎移植の1例、腎移植・血管外科、21(2)、199−203、2010
当Web注:上記論文に記載はないが、2008年8月25日に同病院に入院中の50歳代の男性が法的脳死判定され、27日に臓器摘出、移植が行なわれたケースと見込まれる。
高齢を理由とした死の受容に年齢差:弘前大学
医療限界以外の縮小医療の要因:東京警察病院
小児の臨床的長期脳死2例:島根県立中央病院
昏睡患者が聴覚刺激を記憶:東京歯科大学市川総合病院
第37回日本集中治療医学会学術集会
第37回日本集中治療医学会学術集会が、2010年3月4日から6日まで広島市内で開催される。以下は同集会のプログラム・抄録集から注目される発表の要旨(タイトルに続くp・・・は掲載
ページ)。
*加藤 博之(弘前大学大学院医学研究科総合診療医学):救急集中治療における高齢者終末期医療の方針決定因子の検討 中堅看護師へのアンケート調査を通じて、p271
【方法と目的】救急集中医療の現場で回復不能な高齢患者の治療方針を考える際に、「家族は患者の年齢を重視するか」について、我々は今までに家族へのアンケート調査を行い、「家族自身の年齢が高齢である場合には年齢を重視しない」という興味深い結果を得た。さらに若年者(学生)を対象に、架空の「回復不能な高齢救急患者」を提示することにより同様の調査を行い、「若年者は年齢を重視する」という対照的な結果を得た。今回、中年層である中堅看護師を対象に同様の調査を行なった。
【対象と方法】看護師43名(平均年齢43.6歳)に、「交通事故で回復不能な外傷を負った90歳の祖父」という架空の事例を提示し、「治療方針の決定上、年齢を重視すべきか」など7項目をアンケートした。
【結果】62%が「年齢を重視すべき」と回答したが、「重視すべきでない」とした人の年齢は「重視すべき」とした人より有意に高く、過去の患者家族を対象とした調査と同様の結果が得られた。
【考察】若年者は「高齢と死」を受容しやすいのと対照的に、中年以降では年齢とともに高齢を理由とした死を受容しにくくなる傾向の生じることが示唆された。
*切田 学(東京警察病院救急科):大都市市中病院における医療限界と医療縮小の現状そして課題 救急科入院内因性疾患死亡例からみて、p271
高齢化社会、多様な価値観社会のために、医療限界以外の要因より縮小医療(積極的治療の手控えも含む準終末期医療)とせざるえないことがある。
【目的】医療限界以外の医療の縮小要因を明らかにする。
【方法】2008年4月〜2009年8月に救急科入院内因性疾患死亡28例(65〜96歳、平均77歳)を対象とし、縮小医療となった症例の背景要因を検討した。縮小医療は、スタッフ、家族らと複数回話し合い、同意を得て行なった。
【結果】末期癌、心停止蘇生後、複数重症疾患例のほとんどは明らかな医療限界による医療縮小であった。一方、縮小医療となったのは、担癌例(10例)では癌治療中の重症呼吸不全2例、肺動脈血栓塞栓症・動脈閉鎖左下肢壊死、家族の介護疲れ(介護殺人示唆)・高度認知症の下血、心停止蘇生後の各1例、非担癌例では肝硬変・重症肺高血圧症・身寄りなし肝不全、心停止蘇生後、長期車椅子生活の敗血症、延命を望まない96歳心不全の各1例であった。
【まとめ】現疾患が医療限界かどうかを迷った時、高齢、介護疲れと介護不安、身寄りなし、非延命意思などが医療縮小の付加要因になったと思われた。救急集中治療領域終末期医療ではこれらの要因も注視すべきである。
*黒須 奈津子(島根県立中央病院救命救急科):小児の臨床的脳死 長期生存した2症例、p335
小児臨床的脳死症例2例は、自発呼吸および脳幹反射消失、平坦脳波、聴性脳幹反応消失にて臨床的脳死と診断された。内分泌状態に応じステロイド、バソプレシン、甲状腺ホルモンの補充を行なった。
7ヵ月男児、某年10月、心肺停止で当院搬送、発見時はうつぶせであった。集中治療を行い安定化したが入院144日目に肺炎を合併し194日目に死亡した。
2歳6ヵ月女児、某年2月、母親が患児を連れて来院したが、初診時心肺停止状態であった。躯幹部紫斑多数、頭蓋内出血あり、病歴および同胞虐待歴から虐待が強く疑われた。集中治療で概ね安定して経過した。経過中、頭蓋骨が融解し排膿と変性脳組織の排出を認めた。入院843日目より敗血症となり865日目に死亡した。
*代々城 千代子(東京歯科大学市川総合病院集中治療室):急性多発性硬化症(マールブルク型)により昏睡状態となった患者に対し聴覚刺激を試みて、p409
急性多発性硬化症(マールブルク型)により、昏睡状態に陥った患者に対して聴覚刺激を試みた。約2週間の昏睡状態であったが、回復後、患者は聴覚刺激の内容を記憶していた。
42歳女性、左上肢の脱力感と流涎を主訴に入院、翌日に突然の意識レベル低下をきたし、急性脳腫脹に対して緊急外減圧術施行後ICU入室となる。昏睡状態で脳圧は高値を維持し、痙攣の発症があった。聴覚刺激は術後5日目に開始し、家族からのメッセージを用いた。ステロイド療法に加え、術後7病日より免疫吸着療法が施行された。全身状態の回復とともに意識レベルも回復し、術後29病日に人工呼吸器離脱、術後34病日にICU退室となった。その後、頭蓋形成術施行、気管切開孔閉鎖となり経口摂取可能となる。左半身不全麻痺の状態で認知機能に問題なくリハビリ病院へ転院となった。
退院後に患者本人から聴覚刺激の内容を「聞いた記憶がないのに全て覚えていた」という発言があった。
現代思想3月号(青土社)は「医療現場への問い 医療・福祉の転換点」を特集した。「脳死」臓器移植関連では、小松 美彦氏による「爛熟する生権力社会 『臓器移植法』改定の歴史的意味」が掲載されている(p180〜p
197)。
小松氏は、臓器移植法改訂の歴史的意味を、ひとつながりである人間集団(著者は人間種と表現)に裂け目を入れ、「生きるに値する者」と「生きるに値しない者」に二分する「生権力/生政治」への批判的視点から捉えた。
はじめに、「これまで先端医療の推進は『優生思想につながる』と指摘されることはあったが、もはやその現状は『事実上の優生政策の真っ只中にある』と言っても過言ではあるまい。とりわけ、2009年7月13日に日本の国会で可決成立した「改定臓器移植法」は優生法そのものであり、それを基盤に据えた脳死・臓器移植は、ナチスや七三一部隊の蛮行に比肩するものに思われてならないのである。かくて本稿では、臓器移植法改定の意味を、とくに『生権力/生政治』の視点から捉えなおしてみたい」とした。
全文は4節に分けてある。第3節の「臓器移植法改定への思想 コント・スポンヴィルの所説を通じて」において、現代社会を支えている秩序として、最上位のものから道徳(倫理)、法/民主主義、科学技術/経済をあげ、下位のものを上位のものに還元することを「純粋主義」、逆に上位のものを下位のものに従属させることを「野蛮」、さらに「純粋主義」と「野蛮」が合わさったものを「十字軍症候群」と呼ぶコント・スポンヴィルの所説を紹介した。小松氏は、この道具立てによって臓器移植法改定を捉えた。
「臓器移植を推進する患者団体の幹部の人々は、1997年の臓器移植法成立のその日から2009年の改定法成立の日まで、繰り返しこう述べてきた。『私たちは生きている人から臓器をいただきたくないのです。亡くなった方からいただきたいのです。ですから脳死を人の死と決めてください』。この違和感をもたざるをえない要求もまた、『純粋主義』と捉えられるだろう。なぜなら、実のところ生きていることを弁えている脳死者を、自身の道徳(倫理)意識によって死者と法規定することを訴えているからである。逆にいうなら、『脳死=死』を法規定することで自身の道徳(倫理)意識を抹消することは、『野蛮』ではあるまいか」
「以上、日本の国会は臓器移植法の改定において「野蛮」と「純粋主義」の双方向のことを決行した。つまりは、2009年、日本社会と国会は『十字軍症候群に見舞われたのである。それが臓器移植法改定のひとまずの思想的意味である」と第3節を締めくくった。
最後の第4節「生権力の現在」では、松本 外志張の「与死」を取り上げて、生権力の跳梁を描き出した。これまで保護されていた知的障害児他も、死なせる側に追いやられられそうな臓器移植施行マニュアルを巡る動き(IQの線引きによる本人意思の認定議論など)を指摘した。
小松氏は「(p195)従来、先端医療やバイオテクノロジーは、優生思想につながるといわれてきた。しかし、たとえ「優生」という言葉は掲げられなくとも、ひとつながりの人間種の中に縦横無尽に裂け目が入れられつつある現在は、実質的に優生政策の真っ只中にあると見て大過ないのではあるまいか。さらにいうなら、ナチスと同種の時代に入ったようにすら思われる」「(p196)優生思想を歴史的に検討してきた研究者が、現代の先端医療とバイオテクノロジーにまつわる優生政策や生権力へと批判の射程を及ぼすことは稀であった」と書いた。危機感は大きい。