大阪大学医学部付属病院 いったん心停止で死亡確認
60分〜80分間も心臓マッサージ、人工呼吸下に臓器摘出
脳死臓器摘出の1類型 「死体」腎摘出の開始期から採用か
1968年11月3日、大阪大学医学部付属病院で、脳腫瘍術後の32歳男性をドナーとして、28歳女性への「死体」腎移植が行なわれた。
「臨床泌尿器科」23巻13号p203〜213(1969年)に掲載された大阪大学医学部泌尿器科学教室の栗田 孝、高羽 津、永野 俊介、高橋 香司、園田 孝夫の4名による「透析と腎移植の関連性」は、p212に“提供者の死亡確認後閉胸マッサージ人工呼吸下にて腎剔除を行なったが死亡前数時間の低血圧状態が続き更に死亡後腎剔までに80分を要した”と記載している。
いったん心停止して死亡宣告をしたものの、心臓マッサージと人工呼吸を80分間にわたって継続し、生体に維持して開腹、臓器を摘出したと見込まれる。人工呼吸と心臓マッサージを行ないながら腎臓を摘出することは、(後年の日本移植学会の判断でも)3徴候死後の臓器摘出ではない。脳死臓器摘出の一類型だ。
腎臓移植を受けた女性は、尿初発は血流再開後9分で認められたが、手術終了時には無尿状態となった。術後に最高260mmHgを超える高血圧になり、透析中は一時的に低下するも再び血圧は上昇し、3日目より意識障害、11日目より心不全の徴候が出現し、12日目に死亡した。
この論文は、さらに1例の同様の「死体」腎移植を報告している。1969年3月13日、“提供者は45歳の男で頭部外傷、(中略)心停止を確認してのち、再び心閉胸マッサージと人工呼吸下に腎剔除を行ない(中略)死亡より腎剔まで60分”と記載している。腎臓移植を受けた20歳男性は、術後より尿量少なく、術後42日目に死亡した。
園田らは「死体」腎移植1例目として1966年10月10日、大阪大学医学部付属病院で死亡宣告した患者に、心臓マッサージと人工呼吸を行ないながら臓器を摘出したことを日本移植学会雑誌に報告している。大阪大学医学部泌尿器科学教室は、この「臨床泌尿器科」23巻13号で、17例の腎移植のうち5例を屍体腎に求めたと記載している。
心停止による死亡宣告、その後の心臓マッサージ、人工呼吸下の臓器摘出は、当初から基本的な手順として採用されているのではないか、と見込まれる。
「駄目だと確実に分かるなら、取ることを問題にしないでおこう」
東京女子医科大学の榊原教授
「モラルをかえる方が手技の問題よりはかえやすい」
東京大学の石川教授
「死の定義に関する時間的ずれを論じ、いい臓器を求める宿命」
東京大学の近藤氏
医学書院が発行する月刊誌「臨床外科」5月号は特集「臓器移植の可能性」をp600〜p649に掲載した。
榊原 仟氏(東京女子医科大学教授)と石川 浩一氏(東京大学教授)による対談「臓器移植の可能性と倫理」(p600〜p608)において、榊原氏はドナー問題について、死ぬ前に器官組織の崩壊を起さないような薬液の注入、異種移植という2つの解決方向を示した後に「第3の方法は、moral を変えるわけですね。今は確実に死んだものでないと、取っちゃならない、こういってますけれども、そんなこといわないで、もう駄目だと確実に分かってるならば、取ることを問題にしないでおこうじゃないか、例えば癌の末期の患者で非常に苦しんでおるのを見た時に、これを毒殺するということは、今の倫理からいうと問題ですが、そういうものは毒殺していいことにしようじゃないか、ということになればよいわけです。心臓が確実に生き返るということはないということを医学的に証明することは容易なことでしょうから、それを取るということになる」と述べた。
この発言に石川氏は「3つの可能性をお話になりましたけれども、今のわれわれの常識からすれば、初めにいわれた薬液注入法の可能性が、後のモラルをかえる方より大きいでしょうか。逆に今度は実施の段からいえば、モラルの方が手技の問題よりはかえやすいということになるわけですね」と応じた。
近藤 芳夫氏(東京大学分院外科教室)は「心移植の可能性」(p617〜p624)において、「有機体としての個体の代表は脳であり、脳の不可逆的機能廃絶は人格の喪失を意味するが故に、この点をもって個体の死と定義することは、その判定をいかにするかという点は別として、より合理的と思われる。そしてこの死の定義に関するきわどい時間的ずれを論じ、臓器の阻血時間を少しでも短くして、いい graft
を求める必要がある点に、現在の臓器移植が耐えねばならぬ宿命がある。危惧されることは、目的に熱中する余り死の判定を早めることが起こりはしないかということである。その防止には移植手術の当事者以外の参加ということが必要であろうし、関連した法律の制定も急がなければならないであろう」と述べた。
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