[戻る] [上へ] [進む]
臓器障害は軽度、意識回復困難者の治療中止 飯塚病院
「終末期治療において、臓器提供は患者の権利」の妄説
2008年2月14日から16日まで、京王プラザホテルを会場に第35回日本集中治療医学会学術集会が開催された。東京女子医科大学の山崎 健二氏(心臓血管外科)は、「次世代型補助人工心臓による重症心不全治療」について講演し、「本邦では極端に少ない移植数のため、補助人工心臓による平均補助期間は既に2年を超えており、半年以内に移植可能な欧米と比べ極めて特異的な状況にある。本邦における補助人工心臓治療は、『実質的に移植適格者に対する最終治療手段とほほ同等』とみなせる」と述べた(詳細は別ページに掲載)。
また飯塚病院救急部の山田 哲久氏、脳神経外科の名取 良弘氏は「救急集中治療領域での終末期患者の権利 臓器提供病院としての役割」を発表し、「終末期治療において患者の権利として臓器提供という選択肢があることを知らせることが重要である」と発表した。以下の枠内は日本集中治療医学会雑誌15巻(Supple)p246に掲載されている山田氏らの抄録。
救急集中治療領域での終末期患者の権利 臓器提供病院としての役割
当院は病床数1000床を超える総合病院であり、救命救急センターを併設しており、治療困難な致死的な状態の患者も多く搬送されてくる。当院は脳死下での臓器提供病院へ指定されている。救急集中治療領域および臓器提供病院の医師として、患者治療継続と臓器提供をお願いすることは決して等しいことではない。しかし、患者あるいは患者家族に対して臓器提供という選択肢があることを知らせることは患者治療継続の妨げにはならない。福岡県では「福岡県からのお知らせ」を作成している。患者あるいは患者家族の意思や権利を尊重するために臓器提供の考えを確認するものである。
当院では治療困難で致死的な状態の患者家族に対して2005年7月から「福岡県からのお知らせ」を手渡している。その中で4例の臓器提供の申し出があり、心臓死後に1例日は腎・皮膚・角膜、2例日は腎、3例日は腎の臓器提供を行った。4例目は手術で人工硬膜を使用していたことでドナーとしての適合を満たさなかった。終末期治療において患者の権利として臓器提供という選択肢があることを知らせることが重要であると考えた。 |
当Web注:飯塚病院の山田氏らは「患者あるいは患者家族に対して臓器提供という選択肢があることを知らせることは患者治療継続の妨げにはならない」としているが、2006年の第34回日本救急医学会総会・学術集会において2例目の臓器提供者は「心肺蘇生にて自己心拍は再開したもののCT上、低酸素脳症の所見を認め、意識の回復は困難であることを救急初療医より説明された。・・・比較的若年で臓器障害の程度が軽く、低酸素脳症の所見があったため、初療医が臓器移植の話をしたところ、家族が快く移植に応じてくれた」と発表している。臓器障害の程度が軽いのであれば「致死的状態の患者」ではなかった可能性がある。「低酸素脳症で意識の回復は困難」という救急初療医の判断により、臓器提供の選択肢を提示してしまったのではないか。
「終末期治療において患者の権利として臓器提供という選択肢がある」と称するが、治療困難で致死的な状態の患者の臓器を移植に用いると、移植された患者にも高率に機能不全が発生する。「移植に使える臓器の持ち主ならば救命できないはずはない」と家族が判断し治療を求めた結果、生還した実例(マウイ記念病院に入院した24歳女性例)もある。“臓器提供可能な終末期患者”という設定そのものが、虚構をはらむ。
生存に必須の臓器を提供することは患者の死亡を前提とするため、安楽死の6要件「死期の切迫、耐え難い肉体的苦痛の存在、苦痛の除去・緩和が目的であること、患者が意思表示していること、医師が行うこと、倫理的妥当な方法で行われること」に照らした検討も必要だろう。
まず、1例目ドナーは代謝性障害で脳死判定はできない患者だった。2例目ドナーは臓器障害が軽度であり、死期が切迫していたのか疑わしい。人工呼吸管理ができていたのであれば、耐え難い肉体的苦痛も存在しなかったであろう。初期の2臓器ドナーは、患者の意思表示がない(後半の2ドナーは不明)。心臓死後の臓器提供と称するものの、千葉大学では1960年代から死亡宣告後の心臓マッサージ、人工呼吸の継続、カテーテル挿入、麻酔投与後の臓器摘出を行っている。臓器摘出そのものが、臓器ドナーにさらなる苦痛を与える行為である。死体からの臓器摘出においても麻酔投与が必要であることや、心臓マッサージ、カテーテル挿入、ヘパリン投与などの実態を知らせないまま、患者家族を騙して臓器提供の承諾を得ているとみられ倫理的妥当な行為ではない。また法的脳死判定手続きをするべきであるのに、「心停止後の提供」あるいは「心臓死後の提供」と称して法的手続きを行っていない。結局、安楽死の要件を満たしていない。
「終末期治療において患者の権利として臓器提供という選択肢があることを知らせることが重要」という主張は、現実には「医師の恣意的な治療放棄・臓器ドナー捏造」を、患者家族の自己決定にみせかけて拡大しよう、形式的に合法化しようという目論見を隠蔽しているのではないか。
緩和ケア病棟患者の臓器提供意思表示カードを発見
呼吸・循環の変化に移植チーム介入 彦根市立病院
2008年2月9日、10日に名古屋国際会議場において第22回日本がん看護学会学術集会が開催され、彦根市立病院の秋宗 美紀氏らは緩和ケア病棟に入院していた患者の臓器提供を中止した経過を報告した。
日本がん看護学会誌に掲載された抄録によるとX年4月、公立病院緩和ケア病棟に入院していた30代男性脳腫瘍患者の状態悪化のなか、母親が移植ドナーカードを見つけた。「意思に沿わないと後悔することになると思う」という母親の思いを尊重し、病棟・移植チームは動き始めた。移植調整において、臓器機能保持のための薬剤の説明、患者の呼吸・循環状態の変化により移植チームの介入があると、「この穏やかな病棟でばたばたして、ご迷惑をおかけして申し訳なく思います」と母親の思いに変化があった。この後、患者の状態が悪化したために、話し合いのもと6月移植中止が決定され、11日後に患者は亡くなった。
秋宗氏らは「母親にとって、移植をめぐる紆余曲折は息子の死を受容するプロセスでもあった。家族の様々な背景、思いにそった看護が必要であることが示唆された」と考察している。
出典=秋宗 美紀(彦根市立病院)、江藤 美和子(滋賀県立大学人間看護学部):終末期における家族ケアの一考察 臓器移植を希望した患者の母親の思いに焦点をあてて、日本がん看護学会誌、22(Suppl)、156、2008
当Web注:「臓器機能保持のための薬剤の説明、患者の呼吸・循環状態の変化により移植チームの介入」とは、法的脳死判定後にしか許容されないドナー管理と推定される。
このページの上へ