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2013年5月25日 日本麻酔科学会第60回学術集会で講演 大阪大学医学部付属病院の林医師
麻酔薬を投与することで生じる誤解 国民に理解していただくことは容易ではない
「李下に冠を正さず(無麻酔臓器摘出)が現実的」「アトロピンは脳死では無効」
2013年5月15日 吉開俊一著 “移植医療 臓器提供の真実”
ご家族が植物状態を望まないための死
脳死臓器摘出時に麻酔をかけるとは悪意のデマ
看取りを演出しつつ、心停止から1分で臓器灌流
私自身も脳死を人の死とは絶対に思わない
2013年5月 7日 法的「脳死」臓器移植患者の死亡は累計103名
肺移植患者が3名が死亡
2013年5月 1日 聖路加国際病院 幹細胞移植ドナー候補の兄弟姉妹
14例中7例は中等度以上のトラウマ症状、2例はPTSD
   

20130525

日本麻酔科学会第60回学術集会で講演 大阪大学医学部付属病院の林医師
麻酔薬を投与することで生じる誤解 国民に理解していただくことは容易ではない
「李下に冠を正さず(無麻酔臓器摘出)が現実的」「アトロピンは脳死では無効」

 2013年5月23日から25日まで札幌市で日本麻酔科学会第60回学術集会が開催され、大阪大学医学部付属病院麻酔科の林 行雄氏と本田 洵子氏は「脳死ドナーの管理」について招請講演を行った。以下は「麻酔」62巻増刊号に掲載された講演の注目部分。

出典=林 行雄、本田 洵子(大阪大学医学部付属病院麻酔科):脳死ドナーの管理(臓器摘出にかかわる全身管理)、麻酔、62(増刊)、S44−S51、2013

 

(前略)臓器摘出時の全身管理は、最初に述べたように、その役割をより明確にするため呼吸・循環管理と呼ばれるようになった。一見、全身管理と呼ぼうと、呼吸・循環管理と呼ぼうと、そんなに差異があるとは思えないが、それはあくまで麻酔科医の感覚であり、そのように呼ばれるようになったことには日本独特の理由がある。
 ドナー管理を行ううえで、麻酔科医が犯してはならない3つのご法度がある(表4)。この中に、麻酔科医からみれば思わず首を傾げたくなるようなこともあるかもしれない。ただ、これに至った背景は理解しておくべきであろう。

表4 脳死ドナー管理で麻酔科医が覚えておくべきこと

脳死判定にかかわった麻酔科医は移植臓器摘出時の管理はできない
移植臓器摘出時の管理は麻酔管理といわず、呼吸・循環管理という
移植臓器摘出時の管理では筋弛緩薬使用可能だが、麻酔薬(麻薬、鎮静薬も含めて)を使用してはならない

 

1)法の下での最初の脳死移植からの教訓
 1999年2月28日、大阪大学病院で法の下での最初の心臓移植が行われた。そのときのドナーは高知赤十字病院からであったが、その1症例目が適正に行われたかについては事後に検討された。その中でさまざまな指摘があったが、そのなかである法律を専門とする先生からの指摘が成文化されているので見ていただきたい(表5)。

表5 最初の法の下での脳死移植のおけるある法律家のコメント

 初の判定・移植例であった高知の第1例は脳死判定・移植がこんなにも杜撰に行われるのかという印象を国民に与えてしまった。−(中略)−高知事例の主治医は、麻酔の専門医とされ、患者の治療に全力を傾けるに適当な担当医であったか疑問である。しかもこの主治医は、患者がドナーになるための手配を怠らなかったし、ご丁寧に判定後の臓器摘出の際の麻酔(編注:呼吸および循環等を維持するための管理)を担当していて、移植への熱意を露にしている。どうしてこれが公正といえようか。さらに、この事実は、脳死と判定した死体に麻酔を打つ医科学の矛盾を表しており、脳死が人の死であるという教説が移植医学の強弁であることを示している。痛みを感ずる死体を作り出した脳死論が支持され得ないことを明確にしたのである。
(我が国で行われた臓器提供のための脳死判定に対するコメント・高須俊明、林成之編著.脳蘇生治療と脳死判定の再検討−新世紀を迎えた脳低体温療法、臓器提供・移植−.東京:近代出版;2001.p217-47より引用)

 思わず、"それはないよ"と言いたくなる方も少なからずあるだろうが、現実である。ドナーの主治医であった高知赤十字病院救命救急部センター長の西山謹吾先生のご苦労は察して余りある。しかしながら、移植医療は国民の総意のもとで進めていく医療であり、がん治療のように医学の論理を第1に進めることはできない。移植医療の持つ本邦特有め過去を踏まえ、われわれ医療人は国民の素朴な疑問や意見に十分に耳を傾け、これに誠意を持って応えていく必要がある。表4に示した3つのご法度には、このような背景があることを理解していただければと思う。
 まず、脳死判定に関わった麻酔科医は移植臓器摘出時の管理はできないため、もし臓器提供施設の麻酔科医が1名であれば、できれば麻酔科医が脳死判定に関与しない(つまり臓器摘出時の管理が行える)ように各施設での配慮を望みたい。移植臓器摘出時の管理を呼吸・循環管理ということは、われわれの仕事の内容を具体的に示したもので異論はなかろう。一番気になるとすれば、3番目の移植臓器摘出時の管理では麻酔薬の使用ができないという点であろうか。医学的には脳死とは脳の機能が廃絶していることを示しており、意識はなく痛みを感じることはない。よって、あえて麻酔薬を使う必要性はないのは道理である。さらに、麻酔管理という言葉を使ったり、麻酔薬を投与するのは脳死の基準を満たしてもドナーが本当は死んでいないということではないか、という誤解を招く危惧がある。実際には麻酔薬を使用せずに循環管理はできるはずであるので、そのように行うべきである。ただ、麻酔科医は麻酔薬を用いての循環管理に手馴れているので、その一つの有力な循環管理の手段を矢うことに抵抗を覚える方もおられるであろう。ただ、循環管理のために麻酔薬を投与することで生じる誤解をたとえそれが医学的に正しいとしても、国民の方々に理解していただくことは現状では容易ではない。“李下に冠を正さず”とするのが現実的であろう。

2)臓器摘出時の循環管理
(中略)
(b)不整脈対策
 脳死ドナーには、かなりの高い確率で不整脈が見られる。(中略)薬物による治療で一つ覚えておかねばならないことは、徐脈に対してよく用いられるアトロピンは脳死(つまり神経機能が心臓に影響しない状況)では無効である

(中略)

5) ドナー管理のピットフォール
 最後に、ドナーからの臓器摘出術時の管理とわれわれが通常行う麻酔時の全身管理とは感覚的に異なる点を取り上げ、あえてあまり教科書などには書かれていない管理の問題点を挙げたい。
(中略)
 摘出術が開始されると、皮膚切開とともに血圧は上昇する場合が多々ある。脳死は脊髄死を意味するわけでなく、脊髄はまだ“生きている”ため、脊髄反射で血圧が上昇する。このときに、安易に降圧薬、Caチャネル拮抗薬などの血管拡張薬やβ遮断薬を用いるのは賛成できない。皮膚切開が終わると脊髄へ刺激が低下し、ほどなく血圧は低下する。また、先に述べたように出血に伴う循環血液量の減少がこれに加わるため、この時点で投与した降圧薬の効果が残ると低血圧に悩まされるリスクがある。低血圧は移植予定臓器にダメージを与えかねないため、移植予定臓器機能を最優先とするなら安易な降圧薬の投与を控えるメリットは理解していただけると思う。また、低血圧に対して新たにカテコールアミンを投与するとか、投与量を増加させるようでは望ましい循環管理とはいい難い。血圧の上昇によるデメリットを挙げるなら、おそらく脳内出血発症のリスクではないかと思われるが、すでに脳死であるので、その懸念はいらない。つまり、脳死ドナーでは高血圧によるダメージは軽微であり、血圧を厳密に下げようとすることでかえって低血圧になるリスクのほうを考慮しなければならない。降圧薬の投与が禁忌というわけではないが、どうしても投与が必要な場合も投与量を減量するなど配慮が必要であろう。

■おわりに
 移植医療における麻酔科医の役回りは、通常の臨床業務以上に“黒子”である。脳死との判断が下された後、チームは移植臓器を減らさないための管理を徹底するわけだが、その最後が移植臓器の摘出時の管理にあたる。ここでの管理で移植臓器にダメージを与えては、それまでの努力が水泡に帰す。たとえるならプロ野球でのクローザーのような役回りであり、その責務へ誇りを持っていただきたいし、臓器提供を行える施設で働く麻酔科医にはいつでもその役回りに対応できる準備をお願いしたい。

 

当Web注

  1. 臓器提供施設マニュアルhttp://www.jotnw.or.jp/jotnw/law_manual/pdf/flow_chart01.pdfは、p32で「吸入麻酔薬は使用しない」と表現しており、注射方式で投与する麻酔薬については言及していない。

  2. 法的脳死判定30例目では、脳死では無効と周知され、脳死判定の補助検査にも使われるアトロピンが投与されて心拍数が回復した。脳死ではないのに法的脳死と判定し、さらに臓器摘出中に脳死ではないことを認識したにもかかわらず、生体解剖を中止することなく敢えて強行した可能性がある。

 


20130515

吉開俊一著 “移植医療 臓器提供の真実”
ご家族が植物状態を望まないための死
脳死臓器摘出時に麻酔をかけるとは悪意のデマ
看取りを演出しつつ、心停止から1分で臓器灌流
私自身も脳死を人の死とは絶対に思わない

 2013年5月15日付で文芸社から吉開 俊一著(国家公務員共済組合連合会・新小倉病院 脳神経外科部長)“移植医療 臓器提供の真実 臓器提供では、強いられ急かされバラバラにされるのか”が出版された。以下の各枠内は 、同書より注目される記述。

p224〜p226 ご家族が植物状態を望まないための死

 (前略)私は脳神経外科学会に働きかけるために今まで四編の論文を投稿したが、そのうちの二編が学会誌に掲載され、残る二編は不採用となった。医学論文は、原稿を学会誌編集部へ送稿し、二人の非公開の審査員に審査される。審査員は大学の教授や、大病院の部長であることが多い。審査の結果、掲載が決まることを受理と言う。しかし、審査員が一人でも拒否すれば論文は受理されない。
 まず、私が担当した患者を紹介する。ある男性が、突然意識を失って病院へ運ばれて来た。脳内の大きな出血で、すでに瞳孔は散大していた。手術にて出血塊を取り除いたとしても、最善の結果は植物状態であった。しかし手術をしなければ一〇〇%死が待っている。私は、それをご家族に説明し、開頭手術をするか否かを決断して欲しいと告げた。すると、ご家族は相談の後に、「手術はしないで欲しい。気管切開や胃瘻などの手術も希望しない。意識が戻らないことが避けられない今、安らかに死を迎えることが本人の望みであろうと家族全員で出した結論だ」と告げられた。医師は、ご家族の意向に反するような治療を行なうことはできない。ご家族の決断に従い、本人は無理のない安らかな死を迎えることとなった。そこで私は、臓器提供のオプション提示をした。するとご家族は、「本人はとても優しい人だったので、喜んで提供すると思う」と承諾された。その後、ご本人は心停止を迎え、腎臓を提供された。
 私は、この経験を論文にして、日本の脳神経外科医師らに心停止下臓器提供の実際を報告しようと考えた。作成した論文は「臨床的脳死状態を経ず心停止下腎臓提供に至った被殻出血の一症例」として、学会誌事務局へ送稿した。すると数日後にすぐに「不採用」の結果が戻って来た。審査員のコメントには、「発症日に、臨床的脳死状態に至っていない時点で、すでに腎提供のオプションが提示されている。これらについては、まず腎提供ありきという問題をはらんでいる」とあった。おかしな話である。脳の手術をしない、寝た切りぼんやりの植物症となるくらいなら死を選ぶとしたのはご家族である。そして、腎臓提供を決めたのもご家族である。ご家族が気管切開や胃瘻を希望していれば、私はその通りにしている。私が「まず腎提供ありき」と決めたわけではない。また、心停止下提供には、脳死を経る提供と脳死を経ない提供がある。なぜ臨床的脳死に至っていない時点でのオプション提示が責められるのか、理由が皆目分からない。この理屈ならば、脳の専門ではない一般の医師らは、心停止下臓器提供の患者を担当できないことになる。つまり、この審査員は、臓器提供には何らかの「脳死」の段階を経なければならないと誤解していた。また、この患者からの腎臓提供は、法律関係者を含めた事後検証により、終末期診断の根拠などを含め特に問題無しとの結果を得ている。(後略)

当Web注:吉開が2007年7月に「今日の移植」20巻4号p349〜p354に発表した「救急医療における心停止下腎臓提供症例の開発」http://www6.plala.or.jp/brainx/2007-7.htm#20070710では、脳死を経ない75歳女性ドナーには、心停止後にヘパリンを静脈投与し心マッサージを行い、また自発呼吸消失後、移植医到着までの約20分間をアンビューにて用手呼吸したと報告している。脳死判定基準も満たさない患者ならば、人工呼吸や心臓マッサージによって感覚器や脳の機能が維持され、臓器摘出時まで恐怖や激痛を感じる生体解剖になる恐れがある。

 「命が助かっても植物人間になる」と病院側から臓器提供意思を問われた後に、6ヵ月後に意識回復したケースは「月刊新医療」2011年1月号、「回復は絶望的、植物人間にもなれない」とされた加藤医師が社会復帰したケースは日本臨床外科学会雑誌、第71巻10号に掲載されている。

 

p39 臓器をどのように摘出するか

 (前略)脳死患者は、法的脳死判定時に「痛みに対し全く反応がない深昏睡状態」であることがきちんと確認されている。麻酔科医師が、脳死下の臓器摘出時に痛み止めや意識を奪う麻酔をかけるわけではない。これらは至極当然のことながら、悪意を持ってデマを流されると、一般の方々は悪い方へと誤解を広げる傾向があり、とても残念に思う。

当Web注:「死体」からの臓器摘出時に麻酔をかけていることは、臓器摘出時の麻酔管理例に記載のとおり臓器移植法以前から多数の報告がある。麻酔を使わない臓器摘出も報告されているが、この無麻酔臓器摘出は 、脳死判定の誤診による生体解剖リスクを善意の法的脳死ドナーに負わせるものと懸念される。

 

p64  患者管理(臨終を迎えるまでの医療行為)

 (前略)インターネット上では、ある市民団体が、私の論文について異論を掲載している。脳神経外科学会誌に載った私の論文中に「一日二千ミリリットルの点滴を投与した」とあるのを、「脳死になる前から始められたドナー管理」と題し、「これは、臓器獲得目的のドナ一管理であり、法的脳死判定後に行なわないと、傷害致死罪に問われる可能性がある」と責めている。しかし、私には、この論旨が全く理解できない。まず、法的脳死下の臓器提供ではなく、心停止下の臓器提供である。なぜ、法的脳死判定が必要なのか不明である。更に、食事を摂ることができない患者に投与すべき維持点滴量は、一日二 千ミリリットルが基本である。なぜこれを犯罪行為と称するのかが分からない。また、あらゆる人院治療において、食事、内服、注射など患者の健康維持の全てを、病院側が管理するのは当然である。この一日二 千ミリリットルの点滴が、多過ぎるのか少な過ぎるのか、投与してはいけないのか、あるいは管理を受けることに我慢がならないのか、ネット上のこの種のクレ一ムに、私は驚きを隠せない。

当Web注:当サイト内では、吉開が2007年7月に「今日の移植」20巻4号p349〜p354に発表した「救急医療における心停止下腎臓提供症例の開発」をhttp://www6.plala.or.jp/brainx/2007-7.htm#20070710で論評し、「脳死になる前から始められたドナー管理」ページ内の「心停止下」臓器摘出であるのにドナー管理をした医師、施設でも掲載している。
 吉開は、当時勤務中の小文字病院において、p349「脳死下での臓器提供は可能であるも、心停止下での臓器提供、特に腎臓と膵島の提供を手がけてきた」、p350「2003年〜2007年2月までに13例の献腎ドナーを得た」、「症例7,8は脳死を脳死を経ずに心停止に至ったが、他の11例は脳死を経て、呼吸器を装着しヘパリンにて血液を抗凝固化した」「脳死に至った症例には、原則的に外液組成補液約2,000mL/日を投与した」と記載している。
 そもそもドナー管理とは、血液循環のあることが前提となる。「心停止後」では物理的にできない。法的脳死判定・臓器摘出ではなく、心停止後と称する臓器摘出においては、血液循環がある状態ではドナー候補者とされる患者も死者ではなく、救命治療しか許されない患者である。 医師が、自ら治療対象とする患者の病状改善を目的とするのではなく、第三者(この場合は移植待機患者)のための行為を行なうならば傷害罪に該当する。吉開自身も「脳死に至った症例には、原則的に外液組成補液約2,000mL/日を投与した」と私的とみられる脳死判定が前提の行為であることを記載している。脳蘇生の目的で脳圧上昇を抑える目的で補液量は控えられることが多く、「原則的に外液組成補液約2,000mL/日を投与」は、臓器摘出目的のドナー管理と見込まれる。
 吉開は、表1で13例中7例へのカニュレーション、ヘパリン化は脳死を経ない症例7を含む13例中12例に実施したと記載している。吉開は、臓器摘出目的の行為=つまり目前の救急患者の救命に反する行為を、私的脳死判定基準も満たさない患者にも広げて敢行したことは明白ではないか?

 

p70〜p71 いかに臨終を迎えるか

 患者がいよいよ心停止を迎える。ご家族が患者のべッドの周りに集まり、患者の手足に触れて声をかける。心臓が拍動をやめ、体が蒼白となり冷たくなってくる。ご家族は、本人に死が訪れつつあることを察する。心停止後も、数分間は心電図モニターが心臓の電気的活動を示す。そして遂にモニタ一上の波形が完全に平坦になると、主治医の責務として、ご臨終を告げる瞬間が訪れる。脈が触れず、聴診器で心音や呼吸音が無いことを丁寧に確認して、「お亡くなりになりました」とご家族に告げる。するとご家族は、堰を切ったように泣いたり、ご遺体の手足をさすったりする。身内の死に面した悲嘆である。私は、ここで手術室搬入を絶対に急がない。「はい、亡くなりましたね。さあさあ、臓器をいただきましょう」というような不遜な態度を取るはずがない。この臨終の場面で最も大切なことは、ご家族がその方の死を受け入れることであり、決して臓器摘出ではない。移植医師団が、手術室でしびれを切らしていても構わない。せめて二、三分は、ご家族に故人の死を悲しみ慈しむ時間を持って欲しい。そして、ご家族の悲嘆が少しでも和らいだところで、「手術に向かってもよろしいでしょうか」と尋ねる。ご家族の了承が得られたらご遺体を手術室へ搬送する。
 一度、次のようなことがあった。私が臨終を告げた後、数人のご家族がご遺体にすがって泣き始めた。私はべッドの横にじっと立っていた。すると、ご家族の一人(息子さん)が、涙を流しながらも私の方を向いて、「腎臓を取り出す手術をお急ぎになるのでしょう? 私たちは、お別れを後でいくらでもできます。どうぞ、手術へ連れて行ってください」とおっしゃった。私はとても驚き、恐縮した。そしてお礼の言葉を述べて、ご遺体を手術室へ搬送した。この時私は、ご家族の気持ちの中に、臓器を提供することについての気持ちの成熟があったことを知った。ご家族は、臨終後すぐに臓器を提供することを、気持ちを落ち着けて準備されていた。テレビ番組などでは、手術室への搬送の場面で「死亡後は、ご遺族にお看取りの時間は与えられず、ご遺体はすぐさま手術室へ搬送される」などのナレ一ションがある。あたかもご遺体とご家族を無理やり引き離し、臓器提供を強いて急かしているかのような表現であり、私は行き場のない憤りを覚える。
 

当Web注:吉開が「今日の移植」20巻4号に発表した「救急医療における心停止下腎臓提供症例の開発」では、心停止ドナー13例のうちカニュレーションを7例に行い、温阻血時間は1分が3例、ほかは3分、4分、5分、11分としている。
 温阻血時間(おんそけつじかん)は、ドナーの心停止から摘出臓器への冷却液灌流開始までの時間を示す。病室から手術室への搬送に数分間かかると見込まれることから、心停止から「せめて二、三分は、ご家族に故人の死を悲しみ慈しむ時間を持」 つことを実現しているのであれば、温阻血時間が1分〜5分の心停止ドナーは、死亡宣告直後に病室内で生前に挿入したカテーテルを介した動脈閉塞、冷却灌流液の注入が行なわれている可能性が高い。
 また
「救急医療における心停止下腎臓提供症例の開発」は、カニュレーションを行なわなかった脳塞栓症の75歳女性ドナーには、心停止後にヘパリンを静脈投与し心マッサージを行い、自発呼吸消失後、移植医到着までの約20分間をアンビューにて用手呼吸したとしている。このサイト内では、吉開らが脳神経外科ジャーナル16巻9号p706〜p710に発表した「心停止後腎臓移植ドナー10例の解析と献腎の実際」もhttp://www6.plala.or.jp/brainx/2007-9.htm#20070920において紹介している。この論文は「脳死状態を経ない(マーストリヒト)カテゴリー3症例にもヘパリン投与が望まれる。この場合、臨終宣言後に行う心臓マッサージが、家族には非常に奇異に映る行為である」としている。
 この脳死を経ない、生前カニュレーションを行なえなかった心停止ドナーに対して、移植医の到着まで用手呼吸し、臨終宣言後も奇異に見られる心臓マッサージをしていたのであれば、ご家族に故人の死を悲しみ慈しむ時間を提供できなかったのではないか。

 

p116〜p117 死亡患者における治療のゴール

 更に、死亡患者について、脳神経外科医師と救命部医師が考える治療のゴールは少し異なると思う。私見ではあるが、脳神経外科学は脳の機能を救うことを基本目標とするため、治療の手段を尽くした結果、脳の機能喪失が決定的となれば、それ以後の心肺機能のケアは、患者が死を迎えるまでの維持的あるいは消極的治療に過ぎない。大まかに言うと、脳神経外科医師は、患者の両眼の瞳孔が散大したままで瞬き反射が無くなり、呼吸が微弱になれば、その先の死は避けられないと理解している。しかし救命部の医師は、心肺機能の温存を基本的目標とするため、たとえ脳機能が全て廃絶しても、心臓の最後の一拍までは強力な積極的治療を行なうかもしれない、いずれにしても、医師らが、心停止の僅か数分・数秒前まで救命の望みを持つのであれば、そこに移植医療が入り込む余地はない。

当Web注:心肺蘇生治療断念後の自然蘇生は、別ページに記載のとおり最長7分後にあったことが報告されており、心臓のみの拍動再開は約12時間経過後も報告されている。

 

p128〜p129 脳死は人の死か

 脳と死の組み合わせは無意味

 (前略)死とは「個体全体」に訪れるものであり、部分的なものではない。臓器が完全にダメになる場合の医学用語は、「機能の喪失」である。(中略)脳全体の機能喪失(以下、便宜上「脳死」と称する)は人の死なのか。答えは簡単、「そんなはずは無い」である。では脳死下での臓器移植とは一体何なのか。

「脳死を人の死と思うか」は不毛な議論

 「生きている人」の内臓を摘出して、心臓を止め、体を冷たくしてご家族にお返しすることは、完全な違法行為である。しかし、「死んでいる人、つまり死体」に対し、合目的的な医療行為としてそれを行なうならば、違法行為にはならない。そこで、脳死状態の人を死んでいる(脳死体と称する死体)と法的に規定することで、心臓が拍動しまだ暖かい体を切開し、臓器を摘出することを合法化したわけである。

 (中略)医師の中には「自分は脳死を人の死とは絶対に思わない」と明言する人物もいる。それはそれで全く構わない。実は私自身もそう思う。なぜならば、臓器提供を前提としていない場合だからである。しかし「脳死は、臓器提供を前提とする場合、人の死と法的に規定されている」ことは客観的に理解しなければならない。そして、法の内容を理解して臓器提供に承諾する方々を、否定することはできない。

 

p194〜p197 たとえ虐待を否定しても調べさせてもらう

 (前略)以前は、脳死下臓器提供の反対派による理論武装の旗頭は、「脳死は本当に人の死なのか?であった。しかし、時代の変遷から、「脳死は人の死」は、世間ではなんとなくそういうものだと理解されるようになった。そこで、「臓器提供は虐待行為の一種だ」が、「脳死は人の死か?」に代わる新たな旗頭にすり替えられた観がある。

 

p167 小児からの臓器提供についての疑問

 「脳死移植:一五歳未満初提供 詳細情報公開されず ネットワ一ク、プライバシー配慮」(『毎日・Jp』二〇一一年四月一二日)
 この記事には、「臓器移植法を問い直す市民ネットワ一ク」の事務局長の弁として、「親が子どもの死を早める決断をすることになるので、基本的に子どもからの脳死移植はするべきではない」というような意見を載せている。本書をここまで読まれた皆様にはもうお分かりと思うが、脳死下提供は、「脳死判定を行ない、脳死状態と判明したら、ご家族がそれを人の死と受け取り、臓器を提供することを承諾する」という、ご家族の尊い意思の下になされるものであり、死を早める決断をご家族に強いるわけでもない。死を早めたくなければ、臓器提供を拒否すれば済む。この記事は、臓器提供は強制的であるとの誤解を誘導しかねない。また、「基本的には子どもからの脳死移植はすべきでない」とあるが、なぜ小児に限定するのかが分からない。小児の臓器提供問題を議論する際は、なぜ成人ではなく小児限定の論旨なのかを常に意識する必要がある。いずれにしても、「脳死移植はすべきではない」の議論は、臓器移植法が制定された一九九七年以前に展開すべきものであったと考える。

当Web注:脳死判定基準を満たしたら個体死に至るという生理的実態があるとの前提で、臓器移植法は制定された。脳死判定基準を満たしてから心停止までの時間は歴史的に延長しつづけており、小児では一層、長期生存者は多く、脳死判定基準を満たしたら個体死に至るという生理的実態は薄れており、さらに吉開は無視しているが、小児では脳死判定後に脳波や痛み刺激への反応、自発呼吸などの回復例も報告されている。

 個体死には至らない、吉開も認識しているとおり人の死ではない、死体になっていないのに死体として、臓器提供に参画する行為こそ、「臓器提供では、強いられ急かされバラバラに」することに従事していることの証明ではないか?

 


20130507

法的「脳死」臓器移植患者の死亡は累計103名
肺移植患者が3名が死亡

 日本臓器移植ネットワークは、2013年5月7日に更新した移植に関するデータページhttp://www.jotnw.or.jp/datafile/offer_brain.htmlにおいて、法的 「脳死」臓器提供にもとづき肺の移植を受けた患者の死亡が3名増加し、法的「脳死」臓器移植患者の死亡は、心臓10名、肺35名、肝臓33名、膵腎同時7名、腎臓14名、小腸4名の累計103名に達したことを表示した。

 これまでの臓器別の法的「脳死」移植レシピエントの死亡情報は、臓器移植死ページに掲載。

 


20130501

聖路加国際病院 幹細胞移植ドナー候補の兄弟姉妹
14例中7例は中等度以上のトラウマ症状、2例はPTSD

 2013年5月1日付で発行された日本小児心身医学会雑誌「子どもの心とからだ」22巻1号は、p63〜p68に聖路加国際病院・小児科の東 飛鳥氏らによる「幹細胞移植ドナー候補となったきょうだいに対するトラウマの視点からの心理的評価」を掲載した。

 2005年から2010年、聖路加国際病院に小児がん治療のために入院した患児の兄弟姉妹14名(男7人、女7人、年齢は6〜14歳、中央値10.5歳)を対象に、兄弟姉妹がドナーとなる以前に、どの程度の心理的負担を抱えているかを評価した。これまでの評価方法に加えて、患児が病気になったことが兄弟姉妹にとってのトラウマ体験に相当するととらえ、posttraumatic stress disorder reaction index(PTSD-RI)を用いた評価を試みた。

 14例のうち7例は中等度以上のトラウマ症状を有することが判明し、そのうち2例はPTSDと診断される重度の症状を呈していることが判明した。フラッシュバック、トラウマに結びついた特定の恐怖、学習性無力感、感情的・興奮、否認、視覚化された記憶の繰り返し、体の異常などの症状があった。

 14名のうち9例が幹細胞移植ドナーとなり、骨髄提供後に登校困難や起床困難を訴える対象者もあった。ドナー体験が彼らに与えた影響については追跡調査を行なう。

 


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