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2012年5月26日 第32回九州腎臓移植研究会
吉開:存命不能の説明をぎりぎりまで渋るならば、臓器提供にはつながらない
福岡大学病院:通院患者が中国で死刑囚腎移植を強行、透析医療費は自費
琉球大学病院:糖尿病、脳梗塞で脳死「心停止」ドナー、透析から離脱できず
2012年5月25日 フジテレビが放映した脳死臓器ドナー候補者の社会復帰例
「閉じこめ症候群」との指摘をカット 「臓器移植」も出さず
2012年5月17日 島崎:法的脳死判定事例は医学的に妥当な対応がなされていた
木下:最善の治療がなされず脳死判定に突き進んだ事例があった
堤:厚労省基準だけで今後も判定していくのはいかがなものか
荒木:小児脳死の病態を整理するレジストリー制度が必要
第25回日本脳死・脳蘇生学会総会・学術集会シンポジウム
   

20120526

第32回九州腎臓移植研究会
吉開:存命不能の説明をぎりぎりまで渋るならば、臓器提供にはつながらない
福岡大学病院:通院患者が中国で死刑囚腎移植を強行、透析医療費は自費
琉球大学病院:糖尿病、脳梗塞で脳死「心停止」ドナー、透析から離脱できず

 2012年5月26日、第32回九州腎臓移植研究会が佐賀大学医学部看護学科棟で開催された。以下は「移植」47巻4−5号より、注目される発表の要旨(タイトルに続くp・・・は掲載 ページ)。

 

*吉開 俊一(国家公務員共済組合連合会新小倉病院脳神経外科):医学生講義に知るカード確認とオプション提示の啓発の間題点、p335〜p336

 臓器提供数増加のためには,提供側医師によるカード確認とオプション提示が必須であるも、その啓発はなかなか進まない。筆者は医学生に臓器提供側事情を教えているが、彼らの意見や質問の中に、その原因を知ることがあった。その代表的な意見は、

  1. 患者が生きている間に死ぬ話をしてもよいのか、
  2. 治療を諦めた時にオプション提示をするのか、
  3. 自分は患者や家族にとって「良い人」でありたく、オプション提示はしづらい、
    であった。

 1.に対しては,家族がその死を受け入れるために、危篤状態での死の説明が必要と解説した。しかし、救命医が上記の意図で存命不能の説明をぎりぎりまで渋るならば、移植医療には到底つながらない。
 2.に対しては、治療の手段を尽くしても生存不可能であると判断することもプロの使命であると説明したが、その判断を「諦める」と解釈すれば同様に移植医療にはつながらない。
 3.に対しては、患者や家族が臓器提供を希望する場合にはオプション提示をするほうが「良い人」となり、良いか悪いかを主観的に一方的に決めつけられないと解説したが、この善悪の考え方もまた移植医療とは乖離してしまう。
 上記の主観的な疑問を現場の脳外科医・救命医が持ち続けているならば移植医療の発展は望み難い。医学生は未熟な素人ではあるも,医師としてのプロ意識を育みつつある一面も併せ持つ。彼らの意見を拝聴することが、今後の啓発手段の改良につながる。

当Web注:「死んだとされる人から、生きている臓器を取り出す」行為が「死体」臓器提供だ。移植に用いることが可能な臓器は、一定水準以上に機能している臓器である必要がある。機能している臓器は、瀕死 状態の患者から軽症患者に離れるほど得られる。
 吉開は、出血性疾患患者を臓器ドナーとして、血が固まらない副作用がある抗血栓剤ヘパリンを患者の生存中に投与し(ヘパリンの副作用はドナー候補者家族に説明しない文書が用いられている)、 心停止による臨終宣言後に心臓マッサージを行なっていることも脳神経外科ジャーナル16巻9号に発表している。
 主観的な疑問ではなく、 医療関係者が患者家族を騙して臓器提供の承諾を得ること、医師が患者の生命を短縮すること、心停止後に心臓マッサージを行なうことで患者を蘇生させて生体解剖に近いものになる恐れがあること、または脳死臓器摘出で生体解剖を行なうこと、移植待機患者のために第三者の生命を左右すること、など数々の非倫理的行為を敢えて実行しなければ移植可能な「死体」臓器を得られないことが移植医療の制約要因ではない か。

 

*中村 信之(福岡大学病院泌尿器科腎臓膠原病内科):中国への渡航腎移植患者の飛び込み来院の経験、p338

 症例は44歳男性、IgA腎症で当院腎臓内科に通院中のところ徐々に腎機能が進行して末期腎不全となった。その際に中国での渡航移植について質問されたため問題点を何度か説明した。飛込み来院17日前に「中国で30代の死刑囚の腎臓で移植を行い、帰国後に来院したい」との電話連絡があったが、倫理指針に反する移植患者の診察はできないことを告げた。
 来院1日前に透析療法が必要な状態で帰国。来院当日夜、ホテルで痙攣様の症状で倒れているのを兄がみつけ救急車で当院を受診し、当直医により緊急透析が行われた。遺書も書かれていた。
 翌朝われわれ移植担当医へ連絡があり、移植学会理事長、厚労省移植対策室に連絡し、その指導に基づきいったん開始された医療は継続、医療費は自費(健康保険もしくは厚生医療の適応の可否に関しては九州厚生局へ問い合わせ中)、また臓器売買の可能性があるので警察へ連絡した。患者によると東京のブローカーを使ったとのことであった。移植病院からの紹介状はきわめて不十分なもので、移植腎も高度の動脈硬化と間質線維化、約30%の糸球体の硬化があり、30代とは思われない腎臓でSCr高値な状態である。

 

*波止 亮(琉球大学大学院医学研究科泌尿器科講座):献腎移植後4ヵ月後目にdelayed graft function を示した1例、p338〜p339

 ドナーは62歳男性。2011年6月9日、脳梗塞による脳死と診断され心停止下で腎摘出術を施行。基礎疾患に糖尿病があり、搬送時のHbA1c 7.2g/dl、尿蛋白(2+)、血清Cr1.2mg/dlであったが、入院中の経過で尿蛋白は陰性化した。左腎はサンゴ状結石のため萎縮しており、右腎のみの摘出となった。
 レシピエントは62歳男性。慢性糸球体腎炎による慢性腎不全のため透析歴25年。2011年6月9日に献腎移植術を施行し温阻血時間15分、総阻血時間21時間26分。移植後の尿量は100−200ml/dayを推移し、透析から離脱できず47日目で退院。移植腎病理検査より細動脈硬化による糸球体への血流低下も移植腎機能発現の障害の一因であると示唆され、移植後4ヵ月目に冠拡張薬とCa拮抗薬を開始したところ、尿量1,000−1500ml/dayまで増加し、血液透析も週3回から1回減らすことができた。血清Cr3.0−4.0で維持している。移植腎機能が十分に発現しなかった原因として、ドナーの基礎疾患の糖尿病による細動脈硬化、糸球体硬化が考えられ、糖尿病を有するドナーからの献腎提供について検討を要する。

 


20120525

フジテレビが放映した脳死臓器ドナー候補者の社会復帰例
「閉じこめ症候群」との指摘をカット 「臓器移植」も出さず

 千葉西総合病院神経内科の古川哲雄医師は、脳死・臓器ドナー候補者とされた後に社会復帰したザック・ダンラップ事件について、フジテレビのインタビューにコメントしたところ、編集されて「きわめて不満足な」状態で放送されたことを、科学評論社から2012年5月25日付で発行された「神経内科」76巻5号P530に書いた。以下の枠内は部分。

脳死臓器提供者に なぜ全身麻酔をかけるのか?
〔Why general anesthesia is used for the brain-dead organ donors?〕

 脳死と診断された患者には意識が残っている場合があり、閉じこめ症候群(locked-in syndrome)である可能性については10年以上前から何度も発表してきた。しかし、はっきりとした根拠を示すことが難しかったが、2008年3月24日米国NBCで放映された21歳男性Zack Dunlapの例は、脳死患者がこのような状態であることをはっきりと証明したといえる。マスコミは脳死患者が生き返ったことのみを重視していたが、脳死患者が回復することはありうることで不思議ではない。心臓死でも回復例があり、そのため火葬、埋葬には1日待つのである。
 問題は、脳死と診断されたとき、彼はべッドサイドで医師たちが話していることを、死亡時間の宣告まですべてわかっていたが、自分では話すことはもちろん手足を動かすこともできず、自分の意志を示すことがまったく不可能であったと回復後のインタビュ一ではっきりと答えていることである。これは典型的な閉じこめ症候群である。
 この放映は2011年2月10日、フジテレビのアンビリバボ一でも取り上げられた。筆者はコメントを求められ、インタビュ一では自分の考えをはっきりと話した。しかし、実際に放映されたのはあたりさわりのないように編集された内容で、筆者にとってはきわめて不満足なものであった。この放送では「臓器移植」という言葉はドナ一の遺族を傷つけないようにあえて出さなかったとのことである。技術的にはどのようにでも編集できるマスコミの怖さにあらためて驚かされた。
 ドナーはすべて臓器を取られて死亡するため訴える手段をもたない。しかし、たまたまこのような例があったことで,これは決定的に重要な症例である。

 最近は脳死患者から臓器を摘出するときには全身麻酔をかけるようになっている。死体になぜ全身麻酔をかけるのか?

神経内科54巻6号掲載の古川論文と内容は同じため中略)

 誰も口では言わないが、脳死者に意識が残っている場合があることを十分に感じていて麻酔をかけているのではないか?
 現在は家族の意志だけでも脳死者から臓器摘出ができるようになったが、コーディネーターたちはこのようなことを十分に話しているのであろうか?われわれ人類は取り返しのつかない罪を犯していることをあらためて指摘しておきたい。

当Web注:日本臓器移植ネットワークが、ドナー候補者の家族に示している文書http://www.jotnw.or.jp/studying/pdf/setsumei.pdfに、「臓器摘出時の麻酔管理」や「法的脳死臓器摘出時に脳死ではないことが判ったケース」についての記述はない。国内の法的脳死ドナーファミリーの実例では、「人類学で世界をみる(ミネルヴァ書房・2008年)」のp50〜p52に麻酔投与を後から知って「かわいそうなことをしたなぁ、むごいことをしたなぁ」と後悔する遺族の実例が掲載されている。
 ドナー候補者家族に示される文書とドナーファミリーの経験談から、臓器摘出時の麻酔管理や誤診の可能性についての説明は、ドナー候補者家族が正確に実態を理解 できるほどにはなされていないと判断される。

 


20120517

島崎:法的脳死判定事例は医学的に妥当な対応がなされていた
木下:最善の治療がなされず脳死判定に突き進んだ事例があった
堤:厚労省基準だけで今後も判定していくのはいかがなものか
荒木:小児脳死の病態を整理するレジストリー制度が必要
第25回日本脳死・脳蘇生学会総会・学術集会シンポジウム

 第25回日本脳死・脳蘇生学会総会・学術集会が2012年5月17日、宮崎市のシェラトングランデ・オーシャンリゾートを会場にして開催された。抄録集はhttp://25thbdbr.kenkyuukai.jp/information/information_detail.asp?id=8047 からダウンロード可能(2,2メガバイト、2012年11月25日現在)。

 シンポジウム「脳死判定基準の新たなるエビデンスの構築に向けて」では、脳死下での臓器提供事例に係る検証会議の医学的検証作業グループメンバーでもある島崎 修次氏(国士舘大学大学院救急システム研究科)が「これまでの102例の法的脳死判定事例よりみた脳死判定エビデンスの集積」を発表した。
 抄録集p43によると、島崎氏は「体温の測定部位,無呼吸テストの際のPaO2,血圧等に注意必要があった症例が散見されたが,法的脳死判定は全ての検証事例についていずれも妥当に行われていた」と報告。
 考察として「第一は,脳死というものが,年齢や性別にかかわらず,誰にでも起きる可能性がある病態であるを再度認識した。第二に,関係者の努力によりすべての事例について医学的に妥当な対応がなされていたことが改めて確認された。第三に終末期における臓器提供を含む選択肢の提示というテーマを通じて,特に家族が避けられない死をいかに受け止められるかを医療現場はたいへん苦慮していた。そして,その対応を通して臓器提供の有無に関わらず終末期医療のあり方,看取りのあり方の議論を高める結果となった。第四に家族の意思決定を支援するネットワークや都道府県のコーディネーターの献身的な活動とその効果が明らかになった。第五に,ドナーとその家族の尊い意思により,臓器移植を受け,命が繋がれ,社会復帰を果たし,幸せにしている人が確実に増えているという事実が改めて確認された」
 「今回102例の事後検証を通じて,今まで1例毎の検証では明らかすることが困難であった提供施設での救命治療・法的脳死判定の現状や臓器移植コーディネーターの家族への対応及びその家族の心情が明確にされた。このことは理解されにくかった脳死下での臓器提供について理解を深める材料となり得る。本報告を多くの人に周知し脳死下での臓器提供の実際を知ってほしいと願うものである。今後も臓器提供が法令・ガイドラインに従い,妥当・適正に行われることを望むとともに,このまとめが臓器提供を広く一般社会への理解を深める一端となることを望む」と発表した。

 もうひとりのシンポジストの木下 順弘氏(熊本大学侵襲制御)は「医学エビデンスに基づく不可逆的な昏睡の診断」を発表した。
 抄録集p44によると、木下氏は「現行の基準は,深昏睡,全脳幹反射消失,平坦脳波,無呼吸と6時間以上の観察である。これらの各項目はいずれも重要であるが,あくまで判定実施時点の当該機能停止を観察しているに過ぎず,その後の不可逆性を十分には証明できていない。また,どのような症例が判定基準を満たさなかったのか,それらの症例の最終転帰も明らかではない」
 「法的脳死判定報告例の中には判定項目を満たさなかった症例は一例もなかったが,仮にそのような症例があったとしても,“脳死とされうる状態”の段階で除外されているのかもしれない。よって,非脳死を含む陽性/陰性の対照例が明らかでないため,現行の法的脳死判定が必要十分かまた妥当かどうかの結論は不明である」
 「現行基準のような必要条件の積み重ね法を脱却し,近年の医学の進歩を取り入れ,脳機能の不可逆性を証明する脳死判定法が提案される必要がある。日本脳死・脳蘇生学会が実施したワークショップで提案された,脳死後の頭部画像診断,脳血流検査,電気生理学検査などの検討を積み重ね,脳死診断の客観性と確からしさを高めることが全脳機能の不可逆的喪失を証明する方向となると考える」と発表した。

 シンポジウムの開催後の報告は、「脳死・脳蘇生」25巻2号p65〜p92(2013年)に掲載されている。 以下の枠内は、「脳死・脳蘇生」25巻2号掲載の注目される部分。

*木下 順弘(熊本大学侵襲制御):医学エビデンスに基づく不可逆的な昏睡の診断、p77-p81

 (前略)102例の医学的事例の検証結果をお手伝 いする機会がございまして、ひょっとしたらその中にいろいろなエビデンスがあるのではないかということで、ここは宝の山かもしれないと思って宝探しを始めさせていただきました。

 (中略)その中から何がわかったかということなのですが、先ほど、ちょっと島崎先生が言われた、脳死とされる状態では血圧の低いのがあったけれど第1回目の判定では大丈夫でしたよと言われたのですが、私の知る限りではそうでもなくて、結構血圧が基準の90mmHgを下回っている 、特に判定開始の時点で低い、判定を終了してもまだ低いという症例が4、5例あって、50台で始められて終了時の血圧が記録がないという、ちょっと一点の曇りもないと言うのには心苦しいような事例もありました。

 (中略)あとは除外例をきちんとみているのかということに関してですが、小児は6歳未満の検証例はありませんでした。最も若い方は10歳になります。堤先生も問題にされた急性薬物中毒と代謝内分泌障害ですが、薬物中毒というのはありません。ただ、治療上必要な医学的な目的があって使われた麻酔薬、鎮静薬、鎮痛薬、筋弛緩薬の影響があるかないかということは一応チェックされていて、法的脳死判定は最終投与から半減期の5倍程度の時間をとった事例があったりとか、筋弛緩に関してはいわゆる電気刺激で確認をされており、ここのところは事後検証のほうからみてもかなりちゃんと判定されていると思いました。
 もう一つ気になりましたのは、これまでまったく闇に埋もれていたデータなのですが、判定された時の血清のナトリウム値です。正常を大幅に超えている事例がたくさんあります。この範囲で変動したという記述があり、脳死判定の時点でナトリウムがいくつだったかはわからないのですが、 150とか160で切ってもそれを上回っている事例が相当あります。ただ、記載のないのも34例あって、それらはたぶん正常値だったと推測しています。
 カリウムに関してはあまり大きく逸脱はしていませんが、むしろ低カリの症例が結構みられます。高カリはほとんどありません。データのない事例が44例で、これはおそらく正常だったと思います。

 では、事後検証から得られたエビデンスは何かあるのかというと、前提条件のうち判定開始時の収縮期血圧が基準に入っていないというのがある。それからナトリウム値の異常が結構ある。それから透析患者が 2人おり、BUNとクレアチンが結構高い症例があります。そういう事例の意識レベルの影響は本当にないのかと言われると、ちょっとわかりません。特にナトリウムのほうは気になります。脳幹反射の結果は記載のとおり、ああそうですかというこ とです。無呼吸であったかどうかも、その記載を信じるしかありません。ただし、PaCO2はきちんと基準を満たしています。脳波は客観的に評価されていると思います。
 こういうようなことで、基準からはずれた事例は皆無ですと言われても、ちょっとほんとなの?とどうしても思いたくなります。
 それともう一点は、これはあくまでも判定した時点での評価なので、その後に例えば脳波が出るようになった事例があるのかとか、消えていた脳幹反射が復帰しないのかという、不可逆性について非常に疑問をもって、これはどうやって証明するのかというところで途方に暮れてしまうということになります。

 (中略)ここからは私の持論というか自分の提案で、誰の賛同も得てはおりませんが、まずやはり全脳不全を臨床的に診断するためには、脳死に至るに納得できる深刻な脳の病変が、特に画像診断で証明されていることが必要だと思います。それから、脳死判定項目にあるような神経学的な機能検査は、一応観察した限りは出ないということ。そして、そういう呼吸を含めての停止が不可逆的であるというところが非常に難しいわけで、これは解剖でしかわからないと言っていると臨床的に使いものになりません。やはりここでは、不可逆性を証明せざるを得ない事例に関しては、脳血流停止を確認するのが最も確実なのではないかと提案させていただきます(図10)。

  1. 脳死に至るに納得できる脳の病変があること
  2. 観察可能な脳の機能がすべて停止していること
  3. 脳の機能の停止が一時的なものでないこと(不可逆性)

 1.重症脳病変の画像診断
      2.ていねいな脳機能検査
             3.脳血流停止の確認

図10「全脳不全」の診断(案)

 説明可能な重篤な病変があって、最初の診断で深昏睡、さらに例えば脳ヘルニアを疑われるような瞳孔散大、反射の消失、呼吸停止があり、もう一回撮ってみたらさらに病状が進行しているようなCTであれば、全脳機能不全の状態かどうかを診断できるのではないかと思います。
 ここで、どういう方法で脳血流検査をすればいいのかということを皆さんとディスカッションしたいと思いますが、最近のぺ一パーではやはり造影CTによるCT angiography、あるいはCT perfusion が非常に有力になっています。欧米のぺ一パーではそれがメインになってきています。それ以外に、核医学的な手法を用いた方法も可能かと思いますが、病院の利便性から考えると使いづらいわけです。MRAはちょっと経験がないのでここには挙げさせていただいておりません。ドップラー血流検査は非常に主観的なので、あまりあてにできないだろうと思います。
 私自身が経験した最近の症例ですが、造影CTで血流を証明したいのでということで単純造影をしました。画像をみると何か造影されているようにみえたのですが、結果を再構築するとメインフローはまったくありませんでした。つまり、アンギオをしなくても有意な脳血流はこの時点ではないということはCT像の再構築でほぼわかる時代になっています。これはどこの病院でもおそらく大抵できるくらいの検査の精度になってきていると思いますので、やはり不可逆性を証明するには血流検査、しかもCT angiographyだと思っています。
 あとはABRに関しても、何えば最初は波が出ていた事例が、経時的に波がどんどんなくなってきて、最終的に全波消失というプロセスは辿ることができるので、こういう事例であればそれなりに有用だと思いますが、残念ながら機能検査ですから、もう戻らないのかという話になると、それは何とも言えないということになります。

 (中略)まとめです。不可逆的な脳かどうか、つまり私が挙げる全脳不全を診断するためには、やはり深刻な脳病変があって、神経学的所見とか誘発電位をきちんとみて、すべて消失している場合に造影CTなりをして脳血流を評価していることが、不可逆的な裏付けとしては最も信頼に足るのではないかと思います。ただ、最終的に神経学的所見のチェックの中で、造影CTをする前に無呼吸検査をするというのはやはりかなりの勇気がいることなので、これよりあとにいわゆる脳死判定項目をすると思うのです。無呼吸検査を含めて。その場合に、この血流検査から何時間以内にその判定項目を満たしたらいいのかというようなことを、これから考えていかなければいけ
ないと思います。
 以上がいわゆる脳死とされうる状態の診断だとすると、私自身は間に造影CT をして血流の途絶を証明できる症例に関しては、合計2回の判定で判断しても問題ないのではないか。いわゆる法的脳死判定のように3回やって2回目と3回目の間隔で不可逆性を証明するよりはいいのではないかと思います。
 そういうことで結論ですが、不可逆性を証明するためには、造影CTによって脳循環停止を確認し、脳循環停止確認後はあまり間を空けずにすべての項目をもう一回見直して、その時には無呼吸も確認したほうが良いのではないか。このようなことで疑わしい事例、例えばこれらは満たしたけれども手足がばたばた動くとか、あるいは瞳孔が4mmよりも小さいとか、そのような事例があった場合は特に最終的には解剖をしてその人の脳の状態を確認し、ああやっぱりそうだったのか、というようにみるのが良いのではないかと思います。

(中略)
  堤:先生は、先ほどの島崎先生の厚生労働省の検証会議の報告書の作成に絡んでおられるのですか?
木下:僕は検証委員です。
  堤:この報告書の作成には・・・・・・
木下:・・・・・・には絡んでいません。私はどちらかというと現場の病院に出向いてインタビューを行い、報告書を書くほうの立場です。
  堤:なるほど。いや、先生の今日の発表について私は非常に同意する点がおおかったものですから、その部分をせっかくだから報告書に反映したほうが良かったと思いながら伺っておりましたので・・・・・・。
木下:それは別のライターが書いたので。
  堤:先生としても、これで問題なかったというと不満なんじゃないですか?
木下:不満です。
  堤:わかります。そのひと言が聞ければ(笑)。またあとでディスカッションをお願いします。 

 

当Web注

  1. 2011年の日本脳死・脳蘇生学会総会・学術集会では、鹿野氏が「世の中では聞いているとよくあるんです、脳死だろうということでオプション提示をしてしまって、コーディネーターまで来て承諾書まで作っているのに、あとから自発呼吸が出てきて植物状態になって転院していったと」と発言しており、木下氏の「法的脳死判定報告例の中には判定項目を満たさなかった症例は一例もなかったが,仮にそのような症例があったとしても,“脳死とされうる状態”の段階で除外されているのかもしれない。よって,非脳死を含む陽性/陰性の対照例が明らかでないため,現行の法的脳死判定が必要十分かまた妥当かどうかの結論は不明である」との主張を裏付ける。
     

  2. 木下氏は脳死判定除外例について「事後検証のほうからみてもかなりちゃんと判定されていると思いました」としたが、2007年の日本脳死・脳蘇生学会ワークショップでは「脳死判定は主観的、残存薬物問題で脳死判定に自信を失いました」と公言している。今回は根拠なく、事後検証結果を擁護する発言をしたことになる。
     

  3. 「ヒトの脳組織が壊死する血流量が判明している」「脳深部の血流量を測定できる」という2つの技術的条件が揃って、はじめて脳死判定における脳血流検査の有用性が証明できる。しかし、脳組織が壊死する血流量はヒト以外の動物のデータしかない。脳深部で測定した血流量の値を示せる検査も少ない。医学的根拠なく、目新しい検査法に飛びつき、あてずっぽうの検査を繰り返しているため、脳死判定時に脳血流停止所見が認められても、脳が機能しているケースは多数報告されている。

 

*総合討論、p87-p92

島崎:先生のお話ですと、ABRをまずやり、次に造影CTをやる。それで、従来型の各脳死判定の7項目を含めた脳幹反射を行う、ということがいちばんいいのではないかという話でしたよね。これは1回でいいということでしょうか。

木下:脳死に見合う画像診断がとれていて、血流検査のいわゆる脳循環停止というようにみることができれば、その後の確認検査は1回でいいのではないかと個人的には思っています。今まで法的脳死判定の時に2回やっている意味は、不可逆性を担保するためであって、2回繰り返しても2回目の結果と1回目の結果はほぼ一緒ということが出ていますので、あまり大きな意味はないように思っております。

島崎:言うことはよくわかるのですが、例えば造影CTでノンフィリングだということがはっきりしたということは、それは不可逆性であるという証拠にはならないのではないですか。

木下:血流検査だけですべてそれを断じていいのかと言われると、それほどの信頼度はあるのかどうかは私にはわかりませんので、やはり神経学的所見も重要だし、脳波もとったほうがいいだろうし、無呼吸試験もやったほうがいいだろうと思います。つまり、血流検査をすれば他の項目はすべて省略できるという意見ではありません。

島崎:いや、血流検査が1回で、不可逆性だと言えますか?また元に戻る可能性はないのですか?

木下:それは保証できないと思いますが、神経学的所見を2回調べたから将来それが元に戻らないですか、という議論と同じで、どちらが信頼性が高いんですかというだけの話です。私は、画像よりは血流検査のほうがよりscientificだと思っているということです。

島崎:もともと臓器移植法で脳死の判定基準を定めたのは、従来脳死の判定がされていた症例をできるだけ多く集めて、何百例の中で定めしかもその基準で脳死判定に外れるものはなかった、というので決まったと思います。ですから、先生が仰るように、造影CTでそれで1回でいいんだということは、やはり何百例も集めてそれで可逆性はなかったということをきっちり言えれば、それはそれでいいのかな
という気がします。

堤:座長が言ってはいけないんですけど、血流がなくなれば組織は死ぬというのはみんな納得することですよね。1回でいいと思いますよ。
 もう一つ、今までの脳死判定のガイドラインなどでは、例えば鼓膜の損傷があれば、あるぃは眼球の損傷とか、脊髄損傷もそうですよね、それらがあったら脳死判定はできないんですよね。そういう事例も脳死判定の対象から外れますので、1986年の厚労省の基準だけで今後も判定していくのはいかがなものかというのは、根本的にあります。
 それから薬物の血中濃度の問題です。脳波の問題とかも。皮肉をこめて木下先生が言われていましたが、脳死の判定項目の中で、後に客観的な証拠として残るものは脳波しかないのです。「対光反射なし」「呼吸なし」など皆、「なし」「なし」、で。本当に“ない”のかと言われると・・・・・・なんの証拠もない。無呼吸テストにしても、昔、基礎の生理学の先生が言っていたのが印象的なのですが、「無呼吸テストって何をやるのと思っていたら、人工呼吸を外して、見ているだけなんです」と。呆れていました。この20何年、医学は進歩したのですから、それらの進歩を取り入れて、やはり変えるべきは変えていくことが必要だなと思います。
 それで、私のほうから木下先生への質問ですが、法的脳死判定というのは法律で決めたわけですが、法律の改正の方向で先生は動かれるのか、それとも学会レベルのガイドラインの作成という方向で進まれるのがいいのかという、先生のお勧めはどちらなのでしょうか。

木下:法律の施行細則にまで書き込まれてあることなので、おそらく施行細則を変える手続きはどうなのかわからないのですが、非常に敵は手強いと思っています。なので、学会レベルとして表現を変えてでもいまの時代に合った診断方法をアピールしていくほうがいいのではないかなと。要するに、竹内基準を真っ向から否定して勝負を挑んでも勝ち目はないような気がします。

堤:急に振ってはいけないんでしょうけれども、その厚生労働科学研究をされている、かつ、この学会の代表理事代行の横田先生、何か方向性に関してコメント・意見等ございますか。急に振ってすみませんが。おかしいのはおかしいと皆わかっておりますので、法改正で突き進むのか、医者側のガイドラインで当面対応していこうかということについて。

横田:そもそも102例の検証報告書が出るということを、私は存じ上げていませんでした。昨年の本学会と日本救急医学会の委員会で、検証会議に関していろいろ議論しました。臓器対策室の間室長に来ていただきました。その時に議論した検証会議は、今までの蓄積をはっきりさせるために、提供施設にそれまでの法的脳死判定に関するデータの提供をしてくださいというようなリクエストをした覚えがあり
ます。
 そのような中でその時期に私の厚労特研があり、そこに一例一例の個票を出してくれとお願いしました。様々な文書のやりとりをしました。それをもとに、実はいま、その報告書を作っているところです。
 この102例というのは提供側の財産だと思っていますので、それを良い方向に持っていくために使用するべきです。これからさまざまな補助検査の意義に関しても言えるかもしれませんし、薬剤の影響は具体的なデータが出せるかどうかというところまでは明言できません。いずれにしてもこの102例の蓄積というのは、やはり提供側で共有して良い方向に持っていくべきだと思い、また、厚労特研の班長としての立場です。

木下:私の持論で言わせていただくと、事後検証というシステムをやっている限りは駄目だと思います。なぜなら、半年後、一年後にそんなこと言われても・・・、ということになって、提供側も非常に傷つきますし、提供された家族も傷つきます。だから、一方的にあそこがいけない、ここがいけないと、後で言われても、そんな後出しジャンケンみたいなことはしないでくれ、と言われますので。
 やはり実際の判定の現場に責任ある第三者が立ち会って、間違いなくされていますね、というのを一件一件、いわゆるオンタイムというんですか、現場で確認する人がついてあげればいちばんいいのではないかということと、事後検証会の委員長を変えないとなかなか変わらないのではないかと思います。

堤:ここはまだ議論があるところだと思いますが、それを続けますと時間がなくなりますので、また合同かどこかできちんとそのへんの議論をしていただければと思っています。
 ただ、敢えてつまらないことを言いますと、第1回目の判定の時点で、血圧が40と低い事例がありましたね。それからカリウムも正常範囲から外れた値の事例があった。つまり、“最善の治療”がなされていない状態で脳死判定に突き進んだという事例があったという話がありましたので・・・。

木下:一点の曇りもないとは言えないと思います。

堤:そういうことが問題になるのでしょうが、島崎先生としては、提供施設も苦労しているということを知っておりますのでそこを何とか防いでいるということなのでしょうね。
 それで、申し訳ございませんが、時間がありませんので、第3席の荒木先生の小児に関する諸問題に移ります。このテーマに関しましては、なかなか厳しい意見、いろいろ議論があるところと思いますが、荒木先生に対してシンポジストのほうから質問ありましたらどうぞ。

島崎:私なりのsuggestion というわけではありませんが、一つは先ほど言ったように脳死に関わるような、重症の小児の救急患者を診られるシステムを小児としてどう構築するかを、つくっていただきたいということと、脳死に関わるところで言うと、そういう神経学的所見を含めて五類型か四類型に入っている病院はきっちりと小児科医も勉強してほしい。今のところ小児科医が関わらなくて良いのは小児の脳死判定に小児科医を必要としているわけではないので、それで良いというのであれば、それはそれなりにスッとはいくと思うのですけれども。

(中略)

荒木:これは提案ですが、小児の脳死症例報告できちんとした脳死判定基準に沿っていないものが過去に250例ぐらいあるようです。救急医学会の終末期症例のレジストリーがあったと思いますが、その中に小児の脳死例を登録し情報を共有しながら、脳死の病態を整理していく。実際には脳死でないにもかかわらず、甲状腺ホルモンや副腎皮質ホルモンが投与され始め、長期生存している症例がどの程度あるのか、病態を整理するためにもそういうレジストリー制度というか、皆で勉強する機会を設けていただくという、そういうことはできないものでしょうか。
 脳死・脳蘇生学会が中心となり、小児科、救急医や脳死の専門Eもきちんと入って病態を考えるというようなことが何かできればと思っています。

木下:先ほど申し上げたように、機会あるごとに判定してみるというか、評価してみるのがいちばんだと思っています。私のところでも2、3歳の子どもで小児科の先生からそういう確認をしてほしいと言われたので、実際の脳死判定委員を招集してやってみました。そうしたら、瞳孔が3.5mmで、前庭反射の時にどうもちょっと目がチクチクと動くような、というようなこと詳しくわからないんですね。だからもう駄目だろうということでうっちゃって、何も積極的な診断もせずに、あるいは画像も撮らずに、血流も調べずに、ただ延命を親に言われるままにするのではなくて、自分たちでもっともっと追求していかないと、自分たちがわからないことはいつまでたってもわからない。その心掛けというのを、これからみんなでしっかり持っていかないといけないのではないかと思います。

(中略)


堤:確かに、一施設で何かをやるという時代ではなく、SOS-KANTO の例もありますが、やっぱり荒木先生が言われましたようにレジストリーなどを含め、多くの研究者が、多くの事例などを共有して進めていくというような体制を作っていかないといけないように感じております。
 では最後に締めを、島崎先生にお願いいたします。

島崎:臓器移植法の改正で、小児科の先生方脳死判定なんかやることはないと、臓器提供のための脳死判断だろう、ということを仰っていたというお話を聞きました。しかし 基本的にはやはり臓器提供と関係なく脳死は脳死と診断すべきだと思っています。臓器提供はあくまでも終末期医学の選択肢の一つです。やはり選択肢をきっちりと主治医あるいはチームが家族に提供できる、病態をきっちりと家族
に情報として与えられる、という意味で重要です。
 そういう意味でfutlity、医療自身のfutlity、それから先ほど「情のfutility」って仰ってましたね、それもひっくるめて、きっちりと医師が患者あるいはメディア等を含めて、情報を提供して医療のあるべき姿を教育していくべきかなというように思います。そういう意味で、座長、よろしくご協力ください。

 

 


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