*総合討論、p87-p92
島崎:先生のお話ですと、ABRをまずやり、次に造影CTをやる。それで、従来型の各脳死判定の7項目を含めた脳幹反射を行う、ということがいちばんいいのではないかという話でしたよね。これは1回でいいということでしょうか。
木下:脳死に見合う画像診断がとれていて、血流検査のいわゆる脳循環停止というようにみることができれば、その後の確認検査は1回でいいのではないかと個人的には思っています。今まで法的脳死判定の時に2回やっている意味は、不可逆性を担保するためであって、2回繰り返しても2回目の結果と1回目の結果はほぼ一緒ということが出ていますので、あまり大きな意味はないように思っております。
島崎:言うことはよくわかるのですが、例えば造影CTでノンフィリングだということがはっきりしたということは、それは不可逆性であるという証拠にはならないのではないですか。
木下:血流検査だけですべてそれを断じていいのかと言われると、それほどの信頼度はあるのかどうかは私にはわかりませんので、やはり神経学的所見も重要だし、脳波もとったほうがいいだろうし、無呼吸試験もやったほうがいいだろうと思います。つまり、血流検査をすれば他の項目はすべて省略できるという意見ではありません。
島崎:いや、血流検査が1回で、不可逆性だと言えますか?また元に戻る可能性はないのですか?
木下:それは保証できないと思いますが、神経学的所見を2回調べたから将来それが元に戻らないですか、という議論と同じで、どちらが信頼性が高いんですかというだけの話です。私は、画像よりは血流検査のほうがよりscientificだと思っているということです。
島崎:もともと臓器移植法で脳死の判定基準を定めたのは、従来脳死の判定がされていた症例をできるだけ多く集めて、何百例の中で定めしかもその基準で脳死判定に外れるものはなかった、というので決まったと思います。ですから、先生が仰るように、造影CTでそれで1回でいいんだということは、やはり何百例も集めてそれで可逆性はなかったということをきっちり言えれば、それはそれでいいのかな
という気がします。
堤:座長が言ってはいけないんですけど、血流がなくなれば組織は死ぬというのはみんな納得することですよね。1回でいいと思いますよ。
もう一つ、今までの脳死判定のガイドラインなどでは、例えば鼓膜の損傷があれば、あるぃは眼球の損傷とか、脊髄損傷もそうですよね、それらがあったら脳死判定はできないんですよね。そういう事例も脳死判定の対象から外れますので、1986年の厚労省の基準だけで今後も判定していくのはいかがなものかというのは、根本的にあります。
それから薬物の血中濃度の問題です。脳波の問題とかも。皮肉をこめて木下先生が言われていましたが、脳死の判定項目の中で、後に客観的な証拠として残るものは脳波しかないのです。「対光反射なし」「呼吸なし」など皆、「なし」「なし」、で。本当に“ない”のかと言われると・・・・・・なんの証拠もない。無呼吸テストにしても、昔、基礎の生理学の先生が言っていたのが印象的なのですが、「無呼吸テストって何をやるのと思っていたら、人工呼吸を外して、見ているだけなんです」と。呆れていました。この20何年、医学は進歩したのですから、それらの進歩を取り入れて、やはり変えるべきは変えていくことが必要だなと思います。
それで、私のほうから木下先生への質問ですが、法的脳死判定というのは法律で決めたわけですが、法律の改正の方向で先生は動かれるのか、それとも学会レベルのガイドラインの作成という方向で進まれるのがいいのかという、先生のお勧めはどちらなのでしょうか。
木下:法律の施行細則にまで書き込まれてあることなので、おそらく施行細則を変える手続きはどうなのかわからないのですが、非常に敵は手強いと思っています。なので、学会レベルとして表現を変えてでもいまの時代に合った診断方法をアピールしていくほうがいいのではないかなと。要するに、竹内基準を真っ向から否定して勝負を挑んでも勝ち目はないような気がします。
堤:急に振ってはいけないんでしょうけれども、その厚生労働科学研究をされている、かつ、この学会の代表理事代行の横田先生、何か方向性に関してコメント・意見等ございますか。急に振ってすみませんが。おかしいのはおかしいと皆わかっておりますので、法改正で突き進むのか、医者側のガイドラインで当面対応していこうかということについて。
横田:そもそも102例の検証報告書が出るということを、私は存じ上げていませんでした。昨年の本学会と日本救急医学会の委員会で、検証会議に関していろいろ議論しました。臓器対策室の間室長に来ていただきました。その時に議論した検証会議は、今までの蓄積をはっきりさせるために、提供施設にそれまでの法的脳死判定に関するデータの提供をしてくださいというようなリクエストをした覚えがあり
ます。
そのような中でその時期に私の厚労特研があり、そこに一例一例の個票を出してくれとお願いしました。様々な文書のやりとりをしました。それをもとに、実はいま、その報告書を作っているところです。
この102例というのは提供側の財産だと思っていますので、それを良い方向に持っていくために使用するべきです。これからさまざまな補助検査の意義に関しても言えるかもしれませんし、薬剤の影響は具体的なデータが出せるかどうかというところまでは明言できません。いずれにしてもこの102例の蓄積というのは、やはり提供側で共有して良い方向に持っていくべきだと思い、また、厚労特研の班長としての立場です。
木下:私の持論で言わせていただくと、事後検証というシステムをやっている限りは駄目だと思います。なぜなら、半年後、一年後にそんなこと言われても・・・、ということになって、提供側も非常に傷つきますし、提供された家族も傷つきます。だから、一方的にあそこがいけない、ここがいけないと、後で言われても、そんな後出しジャンケンみたいなことはしないでくれ、と言われますので。
やはり実際の判定の現場に責任ある第三者が立ち会って、間違いなくされていますね、というのを一件一件、いわゆるオンタイムというんですか、現場で確認する人がついてあげればいちばんいいのではないかということと、事後検証会の委員長を変えないとなかなか変わらないのではないかと思います。
堤:ここはまだ議論があるところだと思いますが、それを続けますと時間がなくなりますので、また合同かどこかできちんとそのへんの議論をしていただければと思っています。
ただ、敢えてつまらないことを言いますと、第1回目の判定の時点で、血圧が40と低い事例がありましたね。それからカリウムも正常範囲から外れた値の事例があった。つまり、“最善の治療”がなされていない状態で脳死判定に突き進んだという事例があったという話がありましたので・・・。
木下:一点の曇りもないとは言えないと思います。
堤:そういうことが問題になるのでしょうが、島崎先生としては、提供施設も苦労しているということを知っておりますのでそこを何とか防いでいるということなのでしょうね。
それで、申し訳ございませんが、時間がありませんので、第3席の荒木先生の小児に関する諸問題に移ります。このテーマに関しましては、なかなか厳しい意見、いろいろ議論があるところと思いますが、荒木先生に対してシンポジストのほうから質問ありましたらどうぞ。
島崎:私なりのsuggestion
というわけではありませんが、一つは先ほど言ったように脳死に関わるような、重症の小児の救急患者を診られるシステムを小児としてどう構築するかを、つくっていただきたいということと、脳死に関わるところで言うと、そういう神経学的所見を含めて五類型か四類型に入っている病院はきっちりと小児科医も勉強してほしい。今のところ小児科医が関わらなくて良いのは小児の脳死判定に小児科医を必要としているわけではないので、それで良いというのであれば、それはそれなりにスッとはいくと思うのですけれども。
(中略)
荒木:これは提案ですが、小児の脳死症例報告できちんとした脳死判定基準に沿っていないものが過去に250例ぐらいあるようです。救急医学会の終末期症例のレジストリーがあったと思いますが、その中に小児の脳死例を登録し情報を共有しながら、脳死の病態を整理していく。実際には脳死でないにもかかわらず、甲状腺ホルモンや副腎皮質ホルモンが投与され始め、長期生存している症例がどの程度あるのか、病態を整理するためにもそういうレジストリー制度というか、皆で勉強する機会を設けていただくという、そういうことはできないものでしょうか。
脳死・脳蘇生学会が中心となり、小児科、救急医や脳死の専門Eもきちんと入って病態を考えるというようなことが何かできればと思っています。
木下:先ほど申し上げたように、機会あるごとに判定してみるというか、評価してみるのがいちばんだと思っています。私のところでも2、3歳の子どもで小児科の先生からそういう確認をしてほしいと言われたので、実際の脳死判定委員を招集してやってみました。そうしたら、瞳孔が3.5mmで、前庭反射の時にどうもちょっと目がチクチクと動くような、というようなこと詳しくわからないんですね。だからもう駄目だろうということでうっちゃって、何も積極的な診断もせずに、あるいは画像も撮らずに、血流も調べずに、ただ延命を親に言われるままにするのではなくて、自分たちでもっともっと追求していかないと、自分たちがわからないことはいつまでたってもわからない。その心掛けというのを、これからみんなでしっかり持っていかないといけないのではないかと思います。
(中略)
堤:確かに、一施設で何かをやるという時代ではなく、SOS-KANTO
の例もありますが、やっぱり荒木先生が言われましたようにレジストリーなどを含め、多くの研究者が、多くの事例などを共有して進めていくというような体制を作っていかないといけないように感じております。
では最後に締めを、島崎先生にお願いいたします。
島崎:臓器移植法の改正で、小児科の先生方脳死判定なんかやることはないと、臓器提供のための脳死判断だろう、ということを仰っていたというお話を聞きました。しかし
基本的にはやはり臓器提供と関係なく脳死は脳死と診断すべきだと思っています。臓器提供はあくまでも終末期医学の選択肢の一つです。やはり選択肢をきっちりと主治医あるいはチームが家族に提供できる、病態をきっちりと家族
に情報として与えられる、という意味で重要です。
そういう意味でfutlity、医療自身のfutlity、それから先ほど「情のfutility」って仰ってましたね、それもひっくるめて、きっちりと医師が患者あるいはメディア等を含めて、情報を提供して医療のあるべき姿を教育していくべきかなというように思います。そういう意味で、座長、よろしくご協力ください。
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