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2007年3月31日 バルビツレート投与終了48時間後の脳死判定は不適切
肝損傷患者で意識に影響与える濃度 防衛医科大で測定
2007年3月24日 WHO 世界の腎臓移植のうち1割は臓器売買?
イラン、サウジアラビアが臓器売買を限定許容
イスラエルは臓器買い患者に医療保険不適用
途上国への臓器移植ツアーを斡旋する闇ブローカー
2007年3月10日 赤ん坊を生体解剖、臓器摘出した大島副理事長
病腎移植を医学的、倫理的に批判 政策提言
2007年3月 2日 40代女性 脳死で165日間生存 第4病日に臓器承諾
横浜総合病院 臓器提供承諾でドナー管理を主張
岐阜大学医学部 レスピレーターをオフして腎臓摘出
金沢医科大学と長崎大学 温阻血時間0分で腎摘出
透析で14年6ヵ月生存、移植後4日で死亡 54歳男性
透析で9年3ヵ月生存、渡航移植後9ヵ月で死亡 53歳男性
第40回日本臨床腎移植学会
2007年3月 1日 ICU末期でも情動反応あり、臨死体験の可能性 愛知医科大学
平坦脳波から回復、家族が透析拒否し死亡 神戸市立中央病院
人工呼吸器の再装着を躊躇、肺が破綻 名古屋第一赤十字病院
第34回日本集中治療医学会学術集会
   

20070331

バルビツレート投与終了48時間後の脳死判定は不適切
肝損傷患者で意識に影響与える濃度 防衛医科大で測定

 防衛医科大学校附属病院救急部の柳川 洋一氏らは、防衛医科大学校雑誌32巻1号p55〜p59に「バルビツレート昏睡療法中止48時間後の尿薬物定性試験結果」を発表した。以下は概要。

 臓器移植のための脳死判定が必要となった場合には、薬物による影響を否定しなければならない。これを正確に行うためには、薬物投与を中止し、しかるべき時期に血中濃度を測定して、薬物の降下が残存しているか否かを判定するのが適切な対応ではなかろうか。しかし、上記の血中薬物濃度測定は簡単でないため、一般的には意識水準に影響を及ぼす薬物を中止後48時間経れば、その薬物の影響はないものと推定し、脳死判定が行われているのが現状である(厚生労働省からの私信)。

 金コロイド粒子免疫法尿中薬物定性試験(Triage ; Biosite Diagnostics, USA)は、急性薬物中毒の有無を15分程度で判定する簡便な方法である。そこで、この尿薬物定性試験を用いて、脳死判定時の血中薬物の消失を証明できないかを調査した。チオペンタールナトリウムにより深昏睡を来す血中濃度は80マイクログラム/ml、意識に影響を与えるには20マイクログラム/mlが必要であるとされる。 チオペンタールナトリウムの尿中への排泄は使用量の1%未満。尿中薬物定性試験の検出感度は200〜300ナノグラム/ml。

 バルビツレート昏睡療法を施行されていた9例(男8例、女1例、平均28歳)に、投与中止48時間後に尿中薬物定性試験を行うとともに、血中薬物濃度測定を行った。バルビツレート総投与量と血中バルビツレート濃度との間に正の相関性が認められた。48時間後の血中濃度は、0.103〜31.69マイクログラム/mlの範囲を示した。うち肝損傷の1例は意識水準に影響を与える濃度であった。尿中薬物定性試験は全てバルビツレート陽性であった。

 結語:チオペンタールナトリウムを用いたバルビツレート昏睡療法中止48時間後の尿中薬物定性試験は、検出感度が高すぎるため、脳死判定時のバルビツレートの影響を判定する検査としては不適当であった。また、バルビツレート投与終了時から48時間後の脳死判定は不適切な可能性がある。

 

当Web注

  1. 厚生労働省が「一般的には意識水準に影響を及ぼす薬物を中止後48時間経れば、その薬物の影響はないものと推定し、脳死判定が行われているのが現状である」と述べたのであれば、脳死判定の対象外にすべき患者についても脳死判定される現状を容認することであり、臓器移植法の形骸化を促進する行為である。
  2. 脳不全患者では血中薬物濃度と脳組織内薬物濃度が乖離していることは1990年代から報告されている。薬物使用が不明の場合以外に、尿中薬物定性試験を行う意義は少ない。血中薬物濃度を測定しても、脳組織内薬物濃度が分からないため測定の意味がなく、中枢神経抑制薬が投与された患者は全て脳死判定対象外とするしかない。

 


20070324

WHO 世界の腎臓移植のうち1割は臓器売買?
イラン、サウジアラビアが臓器売買を限定許容
イスラエルは臓器買い患者に医療保険不適用
途上国への臓器移植ツアーを斡旋する闇ブローカー

 フォーブス日本版5月号は、p106〜p111にRichard c.Morais氏による「Desperate Arrangements 途上国への臓器移植ツアーを斡旋する闇ブローカー」を掲載した。以下は要旨。

  • 取材した営利臓器移植仲介サービスを行っている米国の業者ジェームズ・コーハン(66歳)は、移植を受けた患者の生存率、満足度などの情報を公開できなかった。彼は「あなたの紹介で、移植手術を受けて良かったと喜んでいる患者が一人でもいるなら紹介してほしい」とのフォーブス誌の取材申し込みに答えることができない。
     

  • コーハンはイタリアで臓器違法売買容疑で数ヵ月間身柄を拘束された。98年、イタリアの警察当局の要請を受けて自宅を家宅捜索したFBIは、ジェームズ・コーハンに対する詐欺容疑を立件できなかった。いくら捜査しても、被害者を一人も発見できなかったからだ。
     

  • WHOは「04年の世界6万1千件の腎臓移植のうち、10%の患者が外国の病院で手術を受けた」と推測している。
     

  • 05年に台湾人で臓器移植を受けた787人のうち、450人が中国で手術を受けた。
     

  • いまやパキスタンが、世界全域から患者が集まる生体腎移植のメッカ。
     

  • インターネットで臓器移植サービスを仲介しているコーディネーターは、費用の60〜400%を手数料として上乗せしている。
     

  • 現在、イランは法律で商業ベースの臓器取引を認めている唯一の国。ただし、臓器がイラン国民の医療に使用される場合に限られ、外国人への使用は認められていない。
     

  • 06年10月には、サウジアラビアでも、臓器のドナーと移植を受ける患者の間に利害関係がなく、支払い金額が160万円以内であれば臓器の取引を認める法律が制定された。
     

  • 米国でUNOSの順番待ちリストに載っても、腎移植手術を受けるには平均3.2年も待たなければならない。西ヨーロッパ諸国も腎移植の待機期間は3年。2010年には10年間になると予想されている。公認の臓器バンクでは、供給が需要に追いつかない。末期症状に陥って絶望し、順番を待っていられない患者は、たとえ数ヵ月生き延びるだけでも法律を犯そうとする。
     

  • 03年、南アフリカの警察は、聖オーガスティン病院に強制捜査を行い、違法臓器取引のグローバル組織を摘発し、数十人を逮捕した。スラム街に住むブラジルやモルドバからの移民が、イスラエルを本拠とするブローカー組織に腎臓を売っていた。ブローカー組織は、ドナーと患者を血縁者と偽って病院に送り込み、手術を受けさせていた。
     

  • 生体から摘出した腎臓は現在、フィリピンでは18万円、モルドバでは32万円、トルコでは90万円、ペルーでは120万円、アメリカでは360万円で取引されている。このような大きな価格差を利用したさや取引が、国際ブローカーの間で行われている。
     

  • 最近、イスラエルは国営医療保険の適用を厳しく制限した。海外で移植手術を受けた場合、ドナーと患者が金銭目的の取引でないことを宣誓し、病院がこれを認定しない限り保険金は支払わない方針を採択した。
     

  • カリフォルニア大学バークレー校に設置されている違法臓器移植の調査機関「臓器ウォッチ」の所長ナンシー・スケイパー・ヒューズは、次のように説明する「中国の医療機関は、外国人患者の移植ツアーによって大きな利益を上げている。また、同国で多数の囚人の死刑が執行されていることは事実だ。だが生きている囚人から臓器を取り出しているという話は信じられない」
     しかし、病院で行われる外国人患者の手術の予定に併せて囚人の死刑が執行されているのは事実のようだ。

     

当Web注:臓器ウォッチのヒュース所長は「生きている囚人から臓器を取り出しているという話は信じられない」としているが、絞首刑や銃殺刑を行った後に検視を行い、さらに形具を取り外し刑場外に運搬して臓器摘出を行う手順を踏む場合、臓器は 血圧の急激な変動でダメージを受け、数十分もの虚血時間にさらされると血液は凝固して移植に使えない状態になると見込まれる。死刑囚からの臓器移植後の成績が極めて不良で移植患者の死亡例が続出しているのならばともかく、反対に臓器移植ツアーが組まれるほどの移植成績であれば、臓器摘出そのものが死刑として行わている可能性がある。
 海外における移植手術も、例えば手術設備が整えられていない地域の住民が、真摯に臓器提供を同意した家族を伴って先進国に行き移植手術を受けたケースも含まれるだろう。しかし、その一方で日本国内で行われた外国人間の生体腎臓移植のなかには、ドナー・レシピエントが臓器摘出・移植手術について、ほとんど理解がないまま行われたケースも報告されている。

 


20070310

赤ん坊を生体解剖、臓器摘出した大島副理事長
病腎移植を医学的、倫理的に批判 政策提言

 日本医事新報4324号はp110〜p114に、日本移植学会副理事長・国立長寿医療センター総長の大島 伸一氏による「時論 病腎移植の何が問題なのか 『二つの医療』と医師集団の責任」を掲載した。

当Web注:大島は、1981年12月11日、名古屋大学医学部附属病院で出生した無頭蓋症児(むとうがいしょうじ)から生存中に臓器を摘出、レシピエントは77日後に腎臓が摘出されるという実験的医療を行った。その後もカテーテル挿入、ヘパリン投与などの「心停止後の摘出」と偽った脳死前提の臓器摘出を推進、近年は「死体」臓器獲得を推進するドナーアクションプログラムを中心となって推進している。

 宇和島徳州会病院で発覚した臓器売買・病腎移植事件について“はじめに”では、「この問題は単に移植医療に留まらず、現在の日本の医療が抱えている構造的とも言える矛盾を象徴的に表している。しかし現状では、この矛盾に対してわが国は適切な解決策を持つことができず、いわば迷走状態にある。本稿では、これまでに明らかになっている事実を挙げ、それがどのような意味を持つのか、なぜこのようなことが起こったのかについて私見を述べる」としている。

 “2 事件の背景”では、以下の枠内を記載している。

(1)移植医療の特殊性

 第一に、移植という医療の持つ特殊性かある。移植医療の長大の特徴は、他人の臓器を必要とする、臓器提供者という第三者を巻き込まなければならない医療ということである。
 一般の医療では、患者の人権や、患者が不利益を被ることがないよう配慮することが最優先される。しかし、移植医療で最優先されなければならないのは移植患者の利益ではなく提供者の人権であり、提供者が不利益を被ることのないようにすることである。
 健康な人が提供者となる場合、臓器を提供したいという本人の自発的意思が大前提となる。そもそも、健康な人にメスを入れるという行為は医療ではない。納得できる医学的理由と本人の同意なくそれを行えば、傷害罪に問われる。臓器を金銭価値に換えることを法律で禁止しているわが国でそれが許されるのは、自分の身体を傷つけても臓器を提供したいという、自己犠牲の精神以外にはない。
 脳死からの提供の場合も、臓器を提供したいという本人の書面による生前意志が大前提で、さらに家族の同意が求められる。法的脳死判定のあり方・手順についてはガイドラインやマニュアルに詳しく記されている。また、心臓死での提供が許されている腎臓の提供の場合も、本人の意思を代弁するという形で家族の了解を得ることが条件となっている。このような移植医療のあり方がわからなければ、臓器売貫、病腎移植の意味を理解することはできない。
 移植医療のもう一つの特徴は、移植と同時に免疫抑制を全身療法として行わなければならないことである。移植で最も難しいのは、手術そのものより免疫抑制にあると言ってよい。
 第三者の臓器と同様、癌細胞も非自己である。低免疫状態という生体環境下では癌が発生しやすく、癌細胞が増殖しやすいこと、また、ある種の免疫抑制剤は癌細胞の増殖を促進させる働きを持つことが確認されており、移植医療では、癌は感染症と同じように忌避されている。
 病腎移植を行った医師(主治医)は、「癌細胞は非自己として拒絶されるので、移植しても問題ない」と主張しているようだが、医学的には根拠がない。

当Web注:大島は「臓器提供者の人権を最優先で守るべき」としているが、生体腎移植ドナーの臓器提供後の調査を移植学会として行っていない(生体肝移植では行われた)。脳死判定前からのドナー管理も横行している。腎臓移植が透析療法よりも優れているのかを示す医学的根拠も不明なまま、腎臓移植を推進している。

 

(2)日本の移植医療の特殊性(当Webでは省略)

 

(3)医師の医療観

 第三に、今回の事件を考える上で最も大きな背景要因と思われるのは、事件の当事者である医師(主治医)の医療に対する考え方が、今の日本の標準的な医療観と相当に異なっていることである。
 現在の医療における医師・患者関係は、1対1の個人的な関係で完結するものではない。医師は医師である前に日本国民であり、社会人である。そして臨床医であって、さらに先端的な医療に挑戦していれば研究者でもあり、それぞれの立場によって要求されるものがある。行おうとしている医療行為の内容によっては、それが社会にどのような影響を及ぼすのか、時には人類、自然との関係についても考えなければならない。
 事件の当事者である医師は、患者との間に互いに信頼関係が構築されていれば十分であり、インフォームドコンセントを含め、それ以上の手続きを重視していない。しかも、「目の前の患者の言うことが信じられなければ医療はできない」という考え方のようであり、医療に関する社会の常識や学会のルールについても無関心である。
 地域によっては、医師と患者の間に濃密な人間関係が構築されているところがあると想像するのは難しいことではない。医療の基本が、このような医師と患者との信頼関係にあるということにも異論はない。しかし、それ以上は何も必要ない、ということになると話は全く異なってくる。
 現在、常識とされている医療倫理が確立された背景には、医師集団という、見方によっては特殊な価値観を持つ集団に医療のすべてを任せておいては危険ではないかという危惧があったはずである。たとえ医師が患者のことを中心に考え、私心を捨てて行ったことであっても、時にその思いの強さが判断を誤らせ、個人や社会の不利益につながることがあるという、多くの具体的な事実・事件がある。
 その教訓がそれまでの倫理のあり方を問い、医療を社会に開かれたものにしなければならないという大きな流れとなって今に至っている。
 このように、現在、常識とされている医療倫理とは、医師集団が社会との対話の中で合意点を見つけながら形成してきたものであり、したがって医療倫理とは同時に、医師集団の社会への誓約という意味を持つのである。
 


 “5 病腎移植の医学的、倫理的基準”では以下の枠内を記載している。

(1)現時点での医学的基準

 病気の腎臓を移植用の臓器として使うことについてどのように判断すればいいのか、現時点での医学的な基準を述べる。
 病腎と言ってもさまざまなケースがあるが、結論を一言で言えば、病腎は移植の対象にはならない。しかし、例外が二つある。
 第一に、もともと自発的意思で腎臓を提供したいと希望した人に病気が見つかった場合である。患者の親・兄弟が自分の意思で腎臓を提供したいと希望し来院するようなケースで、移植そのものが目的である。
 その適応を判断するために行う全身検査で、稀に腎結石、腎動脈瘤等の良性の腎臓疾患が見つかることがある。そうした場合、疾患部位の外科的治療が可能で、治療後その腎臓が十分機能を維持できるのであれば、腎嫡出と同時に病変部位を治療して移植することができる。ただし、病気が腎癌の場合や癌患者である場合には、いくら提供を希望されても提供者にはなれない。
 第二は、病気を治療に来た人を検査してみたら腎臓病が見つかり、手術が必要になったが、治療を放棄して腎摘出を申し出たという場合で、今回問題となっているのはこのようなケースである。
 腎臓の外科的疾患に対する泌尿器科診療の原則は、腎臓の機能が十分残っていれば腎臓を残すことである。腎摘出しなければならないのは、腎癌のような悪性疾患や、腎機能が廃絶し、かつ腎臓を残すことが身体に悪影響を与えると考えられる場合だけである。
 したがって、治療目的で来院した本人にはどのように治療するか話すべきであって、腎摘出のような話はしない。それにもかかわらず腎摘出が選択されるとすれば、何か特別な医学的理由か、さもなければ患者が治療を放棄して摘出を希望する相応の事情がなければならない。いずれにしても極めて珍しいケースである。ちなみに、私は32年間に数千例以上の腎臓手術の経験があるが、腎臓を残すことが可能な症例で、患者から摘出を申し出られたことは一度もない。
 今回の事件では尿管癌や腎癌の腎臓を摘出・移植しているが、これらの癌を含め悪性腫瘍の取り扱いは良性疾患とは全く異なる。悪性腫瘍についてはどのような癌であっても、癌の臓器そのものを移植することは絶対禁忌であるだけでなく、癌患者からの臓器の移植も特殊なケースを除き禁忌となっている。死体からの提供では国のガイドラインに禁忌と明記されている。

 

(2)倫理的基準

 (中略)わが国の移植医療と倫理の問題を考えるとき忘れてはならないのは、1968年に札幌で行われた心臓移植である。当初、執刀医は英雄視されたが、その後、脳死でない人から心摘出したのではないか、移植された患者は移植の必要のない心臓病ではなかったかという内部告発があり、社会問題化した。しかし、それに対して当事者、大学病院、学会を含めた医学界が適切に対応しなかったため、社会は納得せず、移植医療、そして医療への不信につながってしまった。そして臓器移植法制定までの約30年間、日本における脳死からの移植は空白状態に置かれた。
 私は、事態をここまで複雑にしたのは、疑惑とされた内容の深刻さもそうだが、それより当時の医学界の対応のまずさに問題があったからだと考えている。この事例では、医師と社会との信頼関係のあり方が国民的議論にまでなった。そして、国民が納得した上で、1997年、臓器移植法制定という形で結着がつけられたものと理解している。
 移植医療再開の機運となった法の制定に当たって、移植学会は「ベスト・オープン・フェア」という基本方針、すなわち「その時代における最高の医療を、臓器の提供から移植に至るまでの全過程と手続きを国民や社会に公開して行う。そして、提供された臓器は、それを必要としている患者に公平に配分されるよう、社会のルールに従って行う」ことを、国民・社会に誓約したのである。
 わが国の移植医療はこのような歴史の上に築かれたものであり、その教訓は、社会との対話、社会の監視なしに医療は成立しないということである。

 

 (3)医学的、倫理的に適切だったか

 こうした視点から、今回行われた病腎移植について考えたい。
 第一に、結果的に臓器提供者となった患者の利益が最優先に守られていたかどうかである。78例行われた生体腎移植で、病腎の提供は11例(14.1%)に上り、例外というには多過ぎ、患者に腎提供を前提とした誘導的な説明が行われなかったか疑問が残る。実際にはインフォームドコンセントを含め記録がないか不備であるため、患者が治療を放棄して腎摘出・提供に同意した過程は不明である。
 第二に、現時点での最善あるいは水準以上の医療が提供されていたかどうかである。癌症例を除き、治療して残すことが可能な腎臓が摘出されたとすれば、医学的な第一選択肢から外れ、最善の治療法は選択されていないことになる。
 ただしこれは、何らかの医学的事情や患者の個人的事情等を総合的に勘案した上で、患者にとってより有益だったか、という判断とは別である。
 病腎移植について主治医らは、「捨てられた」腎臓を利用したと、その正当性を主張しているが、問題は、誰が腎臓を「捨てる」ことを決めたかである。医師の判断は、その時の医学的水準(医学界が認める根拠のある標準的基準)によるものでなければならず、各医師が独自に決めた基準で判断すべきではない。「捨てられる」腎臓というのは、他の人にも使用することできない腎臓に限られている。
 主治医は、小さな癌のある腎臓について、癌を取り除いた腎臓を残した経験が何例もあり、1例も再発・転移しなかった、だから移植した―ということを根拠にしている。しかし、再発も転移もしないような癌なら、なぜ本人に残さなかったのか。腎臓が捨てられる前に、この疑問にきちんと答えなければならない。
 こうなると、腎臓を「捨てた」人間あるいは「捨てさせた」人間と、捨てられた腎臓を「拾って」移植した人間が同一ではないか、初めに移植ありきではなかったか、という疑問が浮かんでくる。
 第三に、仮に患者が腎臓を「捨てる」ことを選択したとしても、その最善の配分が公平に行われたかについては、提供臓器の移植対象者として、どのような理由と経韓で特定の患者を選び移植したかが不明である。
 死体臓器の場合には、日本臓器移植ネットワークがルールに従い厳密に患者の選択を行っているが、今回の事件では、生体臓器の配分に関する社会的な基準・ルールがないことから、関係者の間で決定されている。主治医は「何も考えていない。頭に浮かんだ、苦しんでいる患者に決めた」と述べている。
 第三者から提供された臓器は法的ルールの有無に関わらず公共のものである。この原則の下、わが国における臓器配分のルールは作られている。脳死臨調で、脳死の問題に次いで大きく取り上げられたのが、提供臓器の公平・公正な配分であったことを忘れてはならない。

 

(4)実験的・研究的医療について

 さらに今回の事件では、医学的に禁忌とされている腎癌や尿管癌、そして、腎摘出が治療法として認知されていないネフローゼの患者の両腎を摘出し、2人の患者に移植している。こうした行為はいわゆる実験的・研究的医療の範疇に入るものである。
 今、医療の現場で当たり前に行われているどんな医療行為も、それまでの治療の限界や常識を乗り越えて得られたものである。そして、どんな医療行為であっても、それを最初に受けた人がいるのも事実である。しかし、これらの進歩発展の歴史の裏には、医師や研究者の熱意が暴走につながったり、戦争等の特殊な時代的背景が人間の理性的判断を誤らせ、人を救済するという大義の下、人体実験としか言いようのない暴挙につながってしまった例がある。
 人に行われたことのない医療にはどのような危険があるかわからない。したがって、そのような医療を人に行おうとする医師には必ず守らなければならない手続き・手順があり、これは今の医学界の常識となっている。違反する医師は研究者としてはもちろん、医師としても生きていくことができないほど厳しいものである。
 今回の事件では、研究計画書もなければ倫理委員会の審査も、インフォームドコンセントさえなく、主治医が独自に考えた仮説をいきなり人に行っており、所定の手続きを踏んでいる形跡が認められない。事件の概要が明らかになるにつれ、そもそも主治医らに実験的・研究的医療の範疇に属すという理解や認識があったのか、という疑問を抱かざるを得ない。また、その理解や認識があったとしても、どのような場合にどのような手続きが必要か理解していたとも思えない。行為の正当性の根拠は、関与したすべての人の同意を得ているということにあるようだが、仮に同意が得られていたとしても、医学界では、それだけで妥当と認めることはない。
 以上述べてきたように、今回の病腎移植は、現時点での医学・医療の標準的基準、倫理的基準からは相当に外れているのである。
 

 

 “6 病腎移植の何が問題なのか”では、以下の枠内を記載している。

(1)手続きのあり方

 病気を治療する目的で来た患者が、当初の目的を放彙して腎摘出を希望し、結果として移植のための提供に変わった理由と過程を、どう説明できるかが最大の問題である。それらを立証すろ記録等は残っていないらしいので、実態は闇の中になる可能性があるが、記録の有無に関係なく、こうした手続きのあり方が許容されるのか。許容されないとすればどうすればいいのか、という問題が残る。

(2)医学的適応(当Webでは省略)

(3)適応外の移植

 癌とネフローゼが移植禁忌とされているのには医学的理由がある。それを覆すためには、人での臨床研究による反証が必須だが、今回の事件ではそれに必要な手続きや過程が完全に欠落している。主治医は病腎移植を受けた患者は非常に満足していると、結果の良い症例をメディアの前に出し正当性を強調しているが、重症例・死亡例は1例もなかったのだろうか。
 言うまでもなく、結果が良ければ行われたことが正当化されるなどということはあり得ないし、あってはならない。しかし法を逸脱していない限り、医学界の常識からいかに外れた医療行為が行われようとも、その是非を問うことのできる社会的な方法・手段がないとすると、学会倫理指針のような約束事がどれほどの意味を持つのか、答えは得られないまま残る。
 


 “7 もう一つの問題―「二つの医療」”では、大島は「今回の事件を一言で言えば、現在の医療の標準的あり方から外れた医療が適正な手続きなしに行われた、ということに尽きる。しかし、我々学会側の説明が下手なのか、説明を理解できないのか、説明など関係ないのか、国民・社会は今回行われた医療を必ずしも「外れた医療」とは受け止めていないらしい。あるいは、外れていたところでそれほど責めるべき問題ではないと考えているようで、それも主治医に直接世話になった患者のみならず、相当な有識者にもこのような医療のあり方に対する共感があるらしい。これは一体どういうことなのか」と困惑していることを吐露。
 「しかし、事実が明らかになるにつれ、問題の本質は医学的妥当性にあるのではなく、別の点にあるように思えてきた。そして病腎移植間顔は、これも現在あり方が問われている生殖補助医療(代理懐胎)に構造が非常に似ていることに気づかされた。類似点として、@どちらも第三者を巻き込む医療である、A医療を行った医師が学会に属していないか除名されたことがある、B学会の基準や規定で認めていない医療と知りながら従わない、C苦しんでいる患者を救うのが医師の使命であり、その他のことは二義的と考えている、D診療を希望する患者が多数おり、社会にもそれに対する共感がある―といった点が挙げられる。さらに、二つの医療には共通点がある。わが国で法的・倫理的に認められていない医療を、合法あるいは非合法に認めている国に行って受ける患者が少なくないという点である。これらの構図から見えてくるのは、日本では二つの医療のあり方が容認されているらしいということである」と分析した。
 そして「医療の専門職能集団である学会としては、科学的根拠を基に医療の質と安全を確保するという基本姿勢や倫理的態度を崩すことはできず、そうした事態に直面すると当惑してしまう。すなわち、明らかに矛盾している二つの医療のあり方を社会が認め、求めているように思えるからである。今回の事件で浮かび上がったのは、日本には医療行為に関する倫理的基準はあるが、それが破られても、その是非について判断する仕組みがないということである。と言うより、そもそもその倫理的基準も、学会という任意団体が社会に対する責任を果たそうとして、勝手に決めたものに過ぎないようである。考えてみれば社会の側にも、医学界の常識から外れた一連の行為について是非を判断する基準や仕組み、裁量権はない。多少乱暴な言い方を許していただけるなら、日本では法に抵触しない限り、どのような医療をやってもいい、ということのようである」と書いている。


 “8 それではどうすればよいのか”では、「(1)生体移植医療のあり方 (中略)臓器提供を決めるとき、自己決定の原則が重要であることに異論はないにしても、今後もそれが唯一の原則であるというようなあり方でいいのか。健康な人にメスを入れるという医療の根幹に触れるあり方を含め、慢性的な臓器不足が生体臓器の提供にどのような影響を及ぼすかなど、生体移植が適正に行われるためにどうすればいいのか、社会全体で考える時期に来ているのではないかと思う。(2)臓器不足の問題 (中略)解決の第一歩は何よりもまず、国内の臓器提供を増やす方策を真剣に考え、実行に移すことである。 (3)医師集団の社会的責任と倫理規定による制御 今回の事件で明らかになったもう一つの問題は、医療を巡る倫理問題、すなわち、医師集団が規範として守るべき倫理規定の成立要件と社会的合意のあり方、そして、新しい医療技術を誰がどのように制御していくのか、そうした問題を一元的に検討する仕組みが、わが国には存在しないことである。(中略)例えば、極めて基本的な内容に限定した『生命倫理法』のような法律を作る。あるいは、医師全員が強制的に加入する団体を作り、その規定に従わなければ医療を行えないような仕組みをつくる。また、倫理問題が発生したとき、一定の裁量権を持つ専門家を含む第三者委員会が裁定する仕組みを構築する方法も考えられる」
 「いずれにしても、今の日本には学会が制御できる医療と、学会では制御不能な医療という二つの医療が存在する。幸か不幸か、現状では学会が制御できる部分が圧倒的に多いが、今の状況のまま放置すれば、この力関係が逆転する可能性もある。今後もこの状態を続けていくのが国民にとって良い選択なのか、あるいは一元的に制御できるような仕組みを構築すべきなのか、その仕組みは誰がどのようにつくればいいのか―。これも相当に複雑な問題である」


 “おわりに”では、以下の枠内を記載している。

 病腎移植問題について考えながら、どうにもすっきりした気持ちになれないでいる。今回の事件では、国民の多くが事件に関与した医師に共感を示しており、宇和島では患者会が結成され、医師らを支援する署名活動、厚労省への嘆願まで行われた。
 なぜこのようなことが起きているのだろうか。古来、わが国で悪の象徴と言えば、権威・権力を嵩にきて、庶民や農民などの弱い者いじめをするお代官様である。医療の世界における権威・権力とは大学、学会等の教授、理事長、総長などであり、かく言う私がその立場にある
 そうした人間が、患者のために私利私欲を捨て地域で頑張っている医師を糾弾している―。今回の事件は、国民にはそんな構図に映るのだろうかとも考えるが、それだけではないようだ。「権威・権力の座についたあなたたちに、事件を起こした医師を責める資格が本当にあるのか」と問われているように思えるのである。
 日本の医療をリードする立場にあると自認するなら、リーダーとしての責務をきちんと果たしてきているのか、何かことが起きれば、国民・患者のため、臓器提供者のためと大義を振りかざすが、「臓器だけでなく人をみることを忘れてはいない」と言い切って恥じることがないか、と問われているように感じるのである。
 今回起こったことの是非について、現時点での私の判断はこれまで述べた通りであり、自分の考えを変えるつもりは全くない。しかし正直なところ、主張を押し通したところで、そのことにどれほどの意味があるのか。どれほどの人が納得してくれるのかと考えると、落ち着かなくなるのである。
 医療への信頼とは、もとより権威への信頼などであるはずはない。技術に対する信頼だけでも十分ではなく、技術を駆使する人間への信頼が前提になければならない。この当たり前のことが医療を提供する側にも受ける欄にも了解されていなければ、どんな理屈を並べても信頼関係など築きようがない。医療に信頼関係がなければ、その先に見えるのは悲劇である。今の日本に、この医療の土台とも言うべき基本的な医師・患者関係は築けているのだろうかと考えると、ため息が出てくるのである。
 最後に、いささか感傷的な論調になり過ぎたようである。わが国の移植医療が健全に進むように、そして医療を提供する側と受ける側との間に良い関係が構築されるように願う気持ち、そして改めるべきところがあれば改めていくという気持ちに嘘偽りはないことをご理解いただき、お許し願いたい。

(日本移植学会副理事長・国立長寿医療センター総長)

当Web注:太文字は当Webで付したものです。

 


20070302

40代女性 脳死で165日間生存 第4病日に臓器承諾
横浜総合病院 臓器提供承諾でドナー管理を主張
岐阜大学医学部 レスピレーターをオフして腎臓摘出
金沢医科大学と長崎大学 温阻血時間0分で腎摘出
透析で14年6ヵ月生存、移植後4日で死亡 54歳男性
透析で9年3ヵ月生存、渡航移植後9ヵ月で死亡 53歳男性
第40回日本臨床腎移植学会

 2007年2月28日から3月2日まで、ホテル百万石を会場に第40回日本臨床腎移植学会が開催された。以下は移植42巻2号より注目される発表の要旨(各タイトル末のp・・・は掲載ページ)。

 

*土方 仁美(財団法人あきた移植医療協会):長期経過を経て献腎に至った症例、p160

 40代女性、転落により受傷、第2病日脳死状態となった。父親から献腎、献眼登録カードの提示があり第4病日承諾書を受領。 父親以外の家族は身体的理由等でなかなか来院できなかったが、一定期間ごとに主治医から終末期にある患者の今後の選択肢が提示され、家族内で希望を確認しあう中で、臓器提供に関する話し合いが行われた。「臓器提供は本人の意思だから」という家族の思いから、167病日心停止後に腎臓と眼球が提供された。

 

*平元 周(横浜総合病院脳神経外科):死体腎移植での摘出直前のドナー管理への移植医の積極的関与の必要性について、p158

 当院では移植法施行後の9年間で25例の献腎承諾が得られており、一般市民の臓器提供意思は確実に増加している印象である。その中で開腹後に回盲部腫瘍の穿孔などで提供を断念した症例を2例経験した。命のリレーという観点からご家族の承諾をいただいている立場に医師にとって、開腹後の提供断念は断腸の思いである。ネットワーク情報でもドナー管理の問題で提供の承諾が得られても提供できなかった症例が少なからず存在するとのことであった。少ない献腎を生かすためにも承諾後に移植医が提供病院を訪問し、画像診断やドナー管理に関して主治医と意見交換することで互いの理解・信頼が高まり、提供に関与する脳外科医・救急医の増加に繋がると思われ、摘出直前のドナー管理への移植医の積極的関与の必要性の私見を提言したい。

当Web注ドナー管理は、ドナー本人の救命に反し、また第三者のレシピエント目的の処置であるため、法的脳死判定後に行わないと傷害致死罪に問われるべき行為になる。

 

*久保田 恵章(岐阜大学医学部泌尿器科):卵巣癌の存在が疑われ、移植適応の判断に苦慮した献腎移植の1例、p189〜p190

 40歳女性、2006年11月8日夜、献腎移植候補として当科入院。11月9日15時、CTにて左卵巣腫瘍を疑われる。16時産婦人科受診、MRI検査施行。卵巣癌Stage 1aを疑われる。この時点で、患者および家族(兄は産婦人科医)に移植の適否に関する説明を行うも十分な理解が得られず、レスピレーターオフが20:30に予定されており、それまでに結論を出す必要に迫られた。18:30造影MRIを施行し、複数の放射線科医で検討を行い、19:50最終的に機能性嚢胞内出血との診断に至り、移植可能と判断した。翌10日5時より献腎移植術を施行。左卵巣も摘出し、肉眼的所見で術前診断との一致を確認した。

 

*佐藤 一賢(金沢医科大学腎機能治療学):献腎における0時間、1時間腎生検の有用性 Primary non-function(PNF)2例での検討 、p163

 症例1は46歳男性、ドナーは脳梗塞で死亡した70歳男性、温阻血時間23分、冷阻血時間1,642分。血流再開80分後に腎血流低下がみられたため再開創となり、ウロキナーゼとヘパリンの投与を行ったが回復せず、Day0に移植腎摘出となった。症例2は47歳女性、交通外傷で死亡した19歳女性から腎提供を受けた。温阻血時間0分(90分間の心臓マッサージ施行)、冷阻血時間1,560分。移植直後よりLDH値の上昇と血小板低下を認め、Day1に腎血流低下が認められたため移植腎動脈再吻合術を施行した。しかしその後も血流は回復せずDay6に移植腎摘出に至った。

 

錦戸 雅春(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科腎泌尿器病態学):同一ドナーからの両腎とも機能が発現しなかった献腎移植の2例、p199

 ドナーは38歳男性、死因は脊髄損傷によるCPA蘇生後脳症で、入院時Cr0.8mg/dl、臓器提供承諾前に心停止をきたし(家族不在)、承諾書作成後ヘパリン投与と灌流後摘出。WIT0分(実質的な温阻血は61分)、灌流状態・色調は良好。

 右腎レシピエントは43歳男性、透析歴11年5か月、TIT19時間40分で血流再開後の色調不良であり徐々に改善したが膀胱尿管吻合時移植腎の黒色変化とうっ血様変化を認めたが血管吻合部屈曲、血栓はなく、抗凝固療法併用し閉創。その後血流をほとんど認めず移植6病日目に摘出。1時間生検では、著名な糸球体係蹄のうっ血像が認められた。摘出腎は広範な皮質壊死であった。

 左腎レシピエントは54歳男性、透析歴14年6ヵ月、CABG術後・完全房室ブロックにてペースメーカー植込、DMの既往あり。TIT27時間38分で移植後4病日に胸部不快感・圧迫感を訴え心停止状態となり同日死亡。Necropsyでは、血栓形成を示す皮質壊死を認めた。

当Web注:金沢医大の19歳女性ドナー、長崎大の38歳男性ドナーの腎臓は、ともに温阻血時間0分で摘出された。それぞれ90分間、61分間の心臓マッサージを行っているとみられることから、(人工心肺で冷却したのではなく)心臓マッサージの施行中にダブルバルーンカテーテルを拡張し、腎静脈側から脱血しつつ腎動脈側から冷却灌流液を注入した か、あるいは心停止を60秒間未満しか観察しなかったと考えられる。生前カテーテル挿入も、法的脳死判定がなされていないと傷害罪に問われるべき行為になる。長崎大のドナーは脊髄損傷患者だったため、脳死判定 の実施は不適切だった可能性がある。

用語解説

温阻血時間(おんそけつじかん) Warm ischemic Time : WIT=体温に近い温度で、血液による栄養や酸素などの補給がない時間。
冷阻血時間(れいそけつじかん) Cold ischemic Time : CIT=冷却灌流されるか冷たい保存液に浸され、栄養などの補給がない時間。
全阻血時間(ぜんそけつじかん) Total ischemic Time : TIT=温阻血時間と冷阻血時間を合計した時間。
 各臓器への、血流が停止してから「温阻血時間」が始まり、その後、冷却灌流されるか体外に摘出され保存液に浸されると「冷阻血時間」になる。心臓の拍動停止または臓器への血流遮断に始まり、その臓器の冷却灌流開始までが温阻血時間。

 

大前 憲史(名古屋記念病院泌尿器科):渡航腎移植後に劇症肝炎を来した1例、p176

 53歳男性、1996年4月慢性腎不全のため透析導入となり2005年7月20日中国で腎移植術を受けた。同年9月1日当科紹介初診後経過観察中の2006年3月11日より発熱、浮遊感を訴え同月12日入院。16日より肝機能障害が出現。肝移植も考慮して4月3日転院、同月12日死亡した。HBV genotypeは日本に少ないBaであった。

 


20070301

ICU末期でも情動反応あり、臨死体験の可能性 愛知医科大学
平坦脳波から回復、家族が透析拒否し死亡 神戸市立中央病院
人工呼吸器の再装着を躊躇、肺が破綻 名古屋第一赤十字病院
第34回日本集中治療医学会学術集会

 2007年3月1日より3日まで兵庫県神戸市の神戸国際展示場、神戸国際会議場、ポートピアホテルを会場に、第34回日本集中治療医学会学術集会が開催される。以下は日本集中治療医学会第14巻Supplementより注目される発表の要旨(各タイトル末のp・・・は掲載ページ)。

 

*後藤 幸生(愛知医科大学医学部麻酔科学):ICU末期無意識状態での情動バイタルを心拍動リズム解析法で読む、p242

【目的】これまでに遷延性意識障害者の認知応答反応としての心拍リズム解析から音楽療法時の情動やバイタルの強弱を評価してきた。今回、ICUで意識の無い状態で末期を迎えた患者の情動やバイタルがどの様なものかを測定することを目的とした。

【方法】メモリー心拍計で1/1000秒単位で数時間にわたって採取した心拍動リズムを、その周波数べきスペクトルの傾きを解析、算出された新しい指標;バランス指数と交感、副交感神経機能とを組み合わせて分析を試みた。

【成績】正常なレム睡眠期の交感機能上昇時に見る夢の心拍動リズムを解析すると情動バイタル指数と自律反射指数との関係、バイタリティ指数などの数値から痛みや苦しみを有する時は、それなりの数値を示す様々なパターンがある。同様のことがICU管理中の意識のない患者の心拍動リズムの解析データ、中でも重症化するとこれらバランス指数が低迷するが終末期を迎え燃え尽き寸前になると一時的に活性化する。この現象が上記夢の分析結果に数値上似通っており、いわゆる臨死体験として得られる情動反応であることを窺わせた。

【結論】ICU末期状態下でも情動反応が大なり小なり存在する。

 

*東別府 直紀(神戸市立中央病院麻酔科):心停止後、脳波上平坦であったが、その後意識が回復した症例、p294

 80歳男性は3度熱傷40%、心不全のため受傷1ヵ月後に全身麻酔下にてデブリードメント、植皮術を行った。術後覚醒、抜管してICUに入室1分後に心室細動を生じた。心停止24分後に洞調律、失調様の自発呼吸は回復したが、除皮質肢位、瞳孔散大、対光反射もなく、心停止6時間後、平坦脳波を呈した。脳浮腫にグリセオール投与開始、呼吸循環管理を行った。9時間後に声掛けに開眼するようになり、21時間後には自発運動、対光反射が出現、除皮質硬直も消失。心停止5日後の脳波では徐波が見られるも基礎波は保たれていた。四肢は従命に応じて動かせた。

 8日後肺炎を併発し腎不全が進み、透析への家族の了承が得られず、14日後に永眠された。心肺蘇生後、早期に平坦脳波を呈しても回復することがあり、予後判定の際には留意するべきである。

 

*岩田 博子(名古屋第一赤十字病院救命救急センター):家族の意思決定を尊重した看取りの看護を振り返って、p337

 59歳男性は慢性呼吸不全などで在宅酸素療法中、意識レベル低下で救急搬送。ERでPEAとなるが心肺蘇生後入室。入室3日目、脳波はほぼフラット。患者は入院前、母親に「延命行為や気管切開を望まない」と遺言していた。入室10日目、ウィーニング(人工呼吸器からの離脱)可能と判断し抜管するが、数分後に呼吸状態が悪化。その際、母親は、再度人工呼吸器に装着されることが患者の遺言に反し、苦痛を与えるだけという苦悩があった。がしかし、緊急性から同意し、再挿管に至った。すでに肺実質は破綻し、意識の回復は見込めなかった。家族は自責や安楽死の希望の言葉を表出。

 入室18日目、医療者と家族が協議し、人工呼吸器からの離脱を決定。家族が付き添える個室に移動し永眠まで看取った。

 


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