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2011年1月17日 法的「脳死」臓器移植患者の死亡は累計56名
肝臓移植患者1名、膵腎移植患者1名が死亡
2011年1月 1日 「命が助かっても植物人間になる」と臓器提供意思を問う病院
転院を督促 患者は6ヵ月後に意識回復 野田教授の経験
   

20110117

法的「脳死」臓器移植患者の死亡は累計56名
肝臓移植患者1名、膵腎移植患者1名が死亡

 日本臓器移植ネットワークは、1月17日更新の移植に関するデータページhttp://www.jotnw.or.jp/datafile/offer_brain.htmlで、法的脳死判定手続にもとづき臓器移植を受けた後に死亡した患者数が、累計56名に達したことを表示した。 肝臓移植後の死亡患者が1名、膵腎移植後の死亡患者も1名増加した。肝臓移植後の死亡患者は累計20名、、膵腎移植後の死亡患者は累計3名になった。

 これまでの臓器別の法的「脳死」移植レシピエントの死亡情報は、臓器移植死ページに掲載。

 


20110101

「命が助かっても植物人間になる」と臓器提供意思を問う病院
転院を督促 患者は6ヵ月後に意識回復 野田教授の経験

 エム・イー振興協会発行の「月刊新医療」2011年1月号は、p18〜p22に筑波大学名誉教授・淑徳大学大学院客員教授の野田 茂徳氏による“[医療羅針盤・私の提言] 医療従事者は職業倫理のレベル向上に努め、品格を高めていくことが必要である”を掲載した。「命が助かっても、いわゆる植物人間になる」と臓器提供意思を問われたケースにおける病院側との折衝経過、医療従事者への観察、職業倫理を論じている。以下の枠内は部分。

(前略)
患者へのリスペクト理解が、医療者に今問われている
 昨今の「脳死」による「臓器移植」の現実を見ていて思うのは、「死」の定義を「脳死」を持って「死」とする法律が、生命倫理からのみならず、医学的にも、問違った法律であるということを生命にかかわる学問領城に属する人たちが認識できていないということである。そして、医学教育の「質」そのものを論ずる以前に、すでに思考停止状態になっているといわざるを得ない。
 「死者は出産しない」ということは、誰でも分かることである。「死者は出産する」という医学的定義があるのだろうか。アメリカでも日本でも「脳死の女性」が出産している実例がある。そのことはマスコミの報道でも知らされている。「脳死の女性は生きていた」から出産したのではないのか。妊娠していない女性や男性の「脳死」についても、やはり個体として「生きている」ことには間違いないのである。妊娠していた「脳死」の女性は生きているから、胎児も生きているのではないのか。妊娠している女性だけを「脳死」でも生きている「例外」と定義することには、「厄介」な問題がある。「死」の定義を法律で、都合のよいように定義している現実を見過ごしてよいのだろうか。
 「脳死」の患者とともに生きていくことは、家族や縁故者にとっては大変つらいことであり、切な過ぎることである。そうした重たい現実であるが、「脳死」の人は個体として生きているという事実に変わりはないのである。そこでは、「患者」のリスペクトというものをどのように理解してるのかが問われている。(中略)

私が体験した「医の倫理を無視した」事態と医療者のあるべき姿
 
ところで私は、ちょうど1年前(2010年)、ある病院で、信じられないような言辞を聞き、目にした。(中略)
 その病院に「脳内出血」のため緊急入院した患者の家族から、2日目に連絡があった。
 入院当初、「主治医」から「この数日が山」であり、「たとえ命が助かっても、意識はなく、いわゆる植物人間になる」と言われ、手の施しようがない状態であることを告げられたと、患者の家族は絶望に陥っていた。
 家族の話によると、「主治医」から最初に説明があった日に「臓器(摘出)提供」の意思の有無を聞かれた。まだ「脳死」でもない状態で、そのような質問を医師がすることは、「医の倫理」としてふさわしい質問なのか大いなる疑問を持ち、「臓器(摘出)提供」の意思はないと、患者の家族の一致した意見として表明した、というのである。患者が緊急入院した日から3日後に、患者の家族とともにICUを訪ねた。患者の身体には人工呼吸器や点滴の管がついており、昏睡状態になっていた。主治医に「この数日が山」だといわれ、家族にとって、それは「死の宣告」と受け取ったのである。
 しかし「山」といわれた数日が過ぎても、患者は必死に生きていた。そうすると家族に対し、患者は人工呼吸器や点滴の管がついた状態にもかかわらず、「転院」を求められたという。「このような重篤な状態で転院をしなければならないのだろうか」と、その家族が悲嘆に暮れているのがよく分かった。
 病状は昏睡状態で変わらないようであったが、ICU病棟からHCUに移り、そこでも転院を促され、このままでは病院のたらい回しに遭い本当に死んでしまう、と家族は嘆いていた。
 私か直接見、また患者の家族から聞き取った一連の医師たちの言辞や行為が果たして「医の倫理」にかなった行為なのか、「リスボン宣言」(世界医師会)の「患者の権利」が守られているのかどうか、直接病院の見解を「脳神経外科」の診療部長に確かめようと思っていた日の夕方、幸いなことに旧知の前病院長に病院内で偶然出会った。(中略)

 結論からいえば、後日、「主任」といわれていた看護師と他1人の看護師が同席して、「主治医」と会うことになった。看護師2人と私は「マスク」を取って話したが、「主治医」はマスクを外さないままであった。ちなみに、後日、ナースーステーションにいたその「主治医」が窓越しに見えたが、マスクを外していた姿であった。
 「主治医」に、世界医師会のリスボン宣言「患者の権利」についてただしたら、「こんなところで、医の倫理などを言われても困る。倫理は法律ではないので、自分たちは法律には違反していない」と平然と言い切った。その間、同席していた看護師2人は、そのような主治医の「医の倫理」を無視する発言を聞いていても、一言も発しなかった。まさに横暴な王様と、それに仕える侍女たちの姿を見ているようであった。
 小さな「大名行列」のように、「主治医」とともに回診のセレモニーに付いてくる担当医と研修医たちの言動も「患者の尊厳」を踏みにじり、患者をあらかじめ「死者」のように観察していて、私は不快に感じていた。ある日「主治医」とは別の日に現れた医師たちが、○○さん、目を開けて」と言った時、患者は初めて目を開けた。医師の中の1人が「あ、生きている!」と言った。そうして別の医師が、「はい、それでは、舌を出して」というが、患者は、それはできなかった、そうしたら「はぁ、はぁ、はぁ」と笑い、「やっぱりだめか」と言って、また笑った。
 その一方で、若い看護師たちは、心を込めて、患者に寄り添い看護をしているのがよく分かった。看護師たちは1つひとつの自分の看護行為を、声を出して、意識がないように見える患者に丁寧な言葉で語り掛け、心を込めて説明していた。私はそのようなことを見ていたので、「主治医」の「医の倫理は法律ではないので、自分たちは法律に違反していない」云々の発言の直後に、「先生を含め医師たちは、その立ち振る舞い、品位に対する評価はBからDです。それに比べ、看護師たちの看護はA+です。先生は毎日、重篤な患者に適切な処置をされているのでしょうが、毎日のことで、慣れてしまわれたのでしょう。患者を一個の人間として見ていない、患者を『モノ』としか見ていないように思える。患者に対するリスペクトが欠如しています。先生が将来名医といわれるようになられるためには、患者の権利を尊重し、医の倫理が法律以上のものであることを認識すべきです。医の倫理は医療者としての生き方の規範であり、人の道でしょう。そのことを理解されますよう、あえて忠告しておきます」と言った。
 さらに、「このような状態で患者を、別の病院に転院させることは同意できません。また、脳死の状態でもないのに、臓器摘出・臓器提供の意思の有無を尋ねるのは、この病院として、フライングではなかったのでしょうか」と言った。
 私から直接、「先生を含め医師たちは、その立ち振る舞い、品位に対する評価はBからDです」といわれたことで、急に声が小さくなり「臓器摘出・提供の有無については、私は知らない。(ICUの)看護師が言ったのでしょう。調べておきます」と言ったきり、患者が故郷の病院に転院するまで、ついに責任ある報告はなかった。

 「主治医」と会ったその翌日、医師の前では黙っていた侍女のような看護師たちが、私が主治医に言ったことを、病院当局に報告したためなのか、巡回してくる医師たちも緊張しているようで、こちらが尋ねもしないのに、患者の病状を丁寧な言葉で説明し出した。患者に対する態度も丁寧になった。若い看護師が私に、「〈流れ〉が変わりました」と言った。「看護や医療の初心を思い出させられた思いでした」とも言った。
 看護師たちの看護技術のレベルは高く、患者に対する振る舞いも立派であった。将来、患者が少しでも病状が回復するとことがあれば、看護師の評価「A+」の看護の働きが大きいと思った。
 患者の意識はなかなか回復しなかったが、毎日友人、知人、同僚たちが入れ替わり立ち替わり見舞いに行き、昏睡状態の患者に向かって話し掛け、また看護師には見舞の者が来ない時にも、患者が好きだったモーツァルトやオペラをCDで聞かせてもらえるようにお願いした。それで日中はCDで音楽を聞かせてもらっていた。
 医師である患者の義兄が数回病状を確認するため、遠方からきていた。患者はICUからHCUそして一般病棟に移り、そこでも看護師たちは、丁寧なレベルの高い看護をしてくれていた。患者は時々目覚め、看護師の言葉に応答して、「覚醒されてきていることが認められます」と、看護師たちは言ってくれていた。
 そのような状態になったので、「転院」の準備をしていた医師である患者の義兄がJALに同乗して、患者の故郷の病院に向かった。
 最近、患者の家族からの便りによると、不思議なことに、緊急入院して6ヵ月目になって両目がよく開くようになり、意識が戻ってきたとのことである。現在、患者は「植物人間」状態ではなく、感情の表現も確かにあるようである。(後略)

 


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