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2010年2月25日 メタバイオエシックスの構築へ 生命倫理を問いなおす NTT出版
バイオポリティクスに「箍をはめる」ことはできる
考えてこなかったこと=文明論、歴史、メタ科学、経済批判、生権力
「倫理」の原点に立ち返り、「倫理」の担い手たる矜持を取り戻そう
2010年2月19日 脳死臓器提供意思表示カードを偽造
神奈川で 発行年代の違いから発覚
2010年2月18日 臓器提供を後悔しているドナー遺族の存在を隠蔽
日本
臓器移植ネットワークと厚労省臓器移植対策室
第5回臓器提供に係る意思表示等作業班で
   

20100225

メタバイオエシックスの構築へ 生命倫理を問いなおす NTT出版
バイオポリティクスに「箍をはめる」ことはできる
考えてこなかったこと=文明論、歴史、メタ科学、経済批判、生権力
「倫理」の原点に立ち返り、「倫理」の担い手たる矜持を取り戻そう

 既存の「生命倫理・バイオエシックス」の超克を目指して、9名の執筆者による「メタバイオエシックスの構築へ 生命倫理を問いなおす」が出版された。編著者は小松 美彦氏(東京海洋大学教授)と香川 知晶氏( 山梨大学教授)。発行元はNTT出版、A5判、本文263ページ、定価3,360円。概要および目次、執筆者はhttp://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002038

 序章において小松氏は“米国のバイオエシックスも日本の生命倫理も、新規技術導入のための条件整備や交通整理にとどまりがちである。はたしてそれらは、学問としての側面に照らして、「生命」をめぐる「倫理」の名にふさわしい「学」足りえたことがどれほどあったのか(p5)”、“考えられなかったこと「ノン・パンセ」こそが人々の思考を体系化し、人々はその体系の中で猛進する。農業革命、都市革命、哲学革命、産業革命、これらの革命は、そのつど人間をさまざまな意味で豊かにし、幸福にしてきたとみなされがちである。だが、革命は段階を経るに連れて、不幸をも胚胎し、成熟させ、世に浸潤させてきたのではないだろうか。そして現在進行中の「人体革命」は、私たちの生老病死に多大な恩恵を施すかもしれないが、それと裏腹に負の色彩を決定的なまでに強めるかもしれない。従来のバイオエシックスには、たとえば以上のような文明論的な視点が希薄であろう(p6〜p8の要旨)”、“等閑視できないのは、バイオエシックスが医学や科学技術の言説を無批判に受け容れたところから議論を始めていることである。つまり、バイオエシックスは、あたかも侵犯不能の聖域を自ら設定した上で、倫理的検討≠笆@整備に邁進しているのである(p11)”、“バイオエシックスが少なからぬ長期脳死者の存在を確認し、かかる論理との整合性を検討しなかったことだけではない。(中略)あるいは、死を有機的統合性の消失と定義しながら、脳死判定基準にはその消失を判定する項目が皆無なことすら批判しなかったことである。バイオエシックスに「メタ科学の視点」が欠落している所以であろう(p12〜p13)”など、各執筆者は独自にバイオエシックスを相対化し、生命倫理研究者としての自身の存在そのものを解体した。

 田中 智彦氏(東京医科大学淳教授)は、終章“生命倫理に問う 忘れてはならないことのために”で、「脳死・臓器移植問題」を切り口として生命倫理の根幹に関わる問いを提起した。バイオテクノロジーが「人体」そのものを「天然資源」として利用することを可能にした。「天然資源」=「人体」に対する採掘権を手に入れる契機になるのが臓器移植法の制定であることを、1999年当時の日本移植学会の野本理事長の証言から明らかにした(p237)。

 “もはや医学的にも「脳死」を「人の死」とはみなせなくなったことから次のような提案がなされるのも、「生政治」の観点からすれば理にかなったことであると考えられるだろう”として、日本移植学会雑誌に掲載された松村 外志張による「特定条件における与死許容の原則」を紹介し、“「命をベースにして社会構造が変わり、新しい産業ができる(野本、1999、174)ことに「富国(強兵)・殖産興業」の活路を見出そうとしている社会−−それがいま私たちの生きている社会である。なるほどすべては善意に満ち、民主的な立法過程に基づいているようにみえる。しかし「盾の反面」は、それが「生政治=バイオポリティクス」にほかならないことを示している。それなのになぜそのことが、「生命倫理=バイオエシックス」ではほとんど「語られず、議論もされない」できたのか。あらためてその理由が問われなければならない(p239〜p240)”とした。

 “倫理を法で置き換えてゆくそうした発想はまた、バイオエシックスをその成立当初から導いてきたものであった(p243)”、“なるほど一方では、私たちは「技術主義の野蛮(専門家の圧制)」と「リバータリアニズムの野蛮(市場の圧制)にさらされている。しかし他方では、自らも進んで「民主主義的野蛮」に手を染めているのであって、それゆえ「もっとも貴重な資本は人間である」という思想が民主主義のもとでも貫徹されるとすれば、それは私たち自身がその思想に同意署名をしているからなのである(p244)”、“「生命倫理=バイオエシックス」は、倫理それ自体を抹消しながら、私たちをしてそれをあたかも倫理的なことであるかのように思わせ、「生政治=バイオポリティクス」の前にいわば自ら進んで「武装解除」をさせる、そうした文化的・社会的な「装置」としての役割を果たしている。またそれゆえに、前節で見た「盾の半面」は「語られもせず、議論もされない」できたのである(p245)”と分析した。

 実はこの議論はあった。1976年に分子生物学者の渡辺 格が、優者が劣者を淘汰あるいは使役する<恥じ多き生存>、それに対してマイナスを背負った人々と共に生きていこうとする<尊厳なる人類の終焉>の二つの道を示した(p246)。この厳しい問い、<尊厳なる人類の終焉>の採用が、既存の政治経済体制を根底から革(あらた)めなければならなくなることから、田中氏は“「生命倫理=バイオエシックス」が展開されてゆく際、「医療倫理」の問題群しかカバーしないようにしたことには、ある種の合理性があったといえるだろう。(中略)既存の政治経済体制の都合に、すなわち「生政治=バイオポリティクス」の都合に、いわばすすんで「身の丈を合わせた」ということだからである(p249〜p250)”と指摘する。

 田中氏は終章を、以下の3行で締めくくった。

 “もしかすると私たちは、これからも「生政治=バイオポリティクス」のもとで生きてゆかなければならないかもしれない。だが少なくともそれに「箍をはめる」ことはできる。そのために何が「生命倫理=バイオエシックス」にできるかは、まずそれが自らの「ノン・パンセ」を捉え直し、そうして「倫理」の原点に立ち返ることによって、「倫理」の担い手たる矜持を取り戻せるかにかかっているだろう”

 


20100219

脳死臓器提供意思表示カードを偽造
神奈川で 発行年代の違いから発覚

 2010年2月19日に第4回臓器移植に係る普及啓発に関する作業班が開催された。議事録
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/02/txt/s0219-17.txtによると、神奈川県で「脳死」臓器提供意思表示カードの偽装されたケースがあり、年代の違いで偽造が発覚したケースのあったことを小野班員が発言した(以下の枠内)。

○小野班員 追加しますと、私は大久保班員の意見に賛成です。さらに、医療がどんどん進んでいく中で、臓器提供でいろいろな場面で提供できるものが変わってくるだろうというのは私も理解できます。そのときのカードの記載内容が変わっていっても悪くない。加えて大事なことを私はずっと思っているのですけれども、それよりも表面の絵柄はいつの年代に書いたものかということがきちんと分かるように、何かの印もしくは色が必要です。
 そうしないと、臓器提供の現場で脳死になった患者がいた場合、家族が突然カードを書いたりするということがあり得ます。本人が書いたものではなくて。だから、本人がいつの時代に、どのカードに書いたかが必要なために、この表面に天使のデザインがありますが、何年発行ということはしたほうがいいような気がします。
○大久保班員 数字を入れるだけでもいいわけですね。
○小野班員 数字だけ入れてもいいです。
○大久保班員 だから、10の前半だったら10-Aとか、10の後半だったら10-Bとか。
○小野班員 神奈川県で症例があったと思います。脳死になって、家族が「カードが見つかりました」と言って持ってきました。そしたら、全然年代が別のもので話が食い違っていました。それは偽装だったわけです。表には出ていないと思います。
○石川班員 7月以降、本人が意思表示しない場合でも、家族が決められるというケースになった場合はどうなるのですか、カードは必要ないですよね。
○小野班員 そうですね、そのときにはもしかしたら必要ないかもしれません。本人の意思カードが存在する上では、やはりそれが必要かと思います。
○石川班員 本人の意思を偽造するのはけしからんと。
○小野班員 そういう話です。
○大久保班員 親族の提供のときにも偽造の話がいちばん大事でした。だから安易に作って、後で○をパッと書いたらできるというようなことだけはやめてくれ、というのが法律家の話でした。だから、偽造の問題というのはずっと付いて回ることだと思うのです。
○篠崎班長 そうですね。
○大久保班員 臓器提供したいということでカードが出てきて、それを偽造して持ってきても、今度はそれがなければ別に、本人の意思はありませんでしたが提供しますということはできる。提供したくないというので、提供してあげないのに○をしたものを持ってくる可能性が今度はありますよね。

当Web注

  1. 第29回厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会において、白倉委員は親族優先提供についての親族による意思の偽造を許容し、偽造が容易な表記法を提案した。
     
  2. 58例目の法的脳死判定・57例目の臓器提供は、生前の臓器提供意思表示の有効性が懸念される統合失調症患者であり、臓器提供意思表示が自分で書いたかも検証されるべきケースであること、さらに脳死判定対象外とされるべき薬物影響下の患者だったと見込まれることが同センター医師の論文で発覚している。
     
  3. 第36回日本臨床腎移植学会において、岡山県臓器バンク移植コーディネーターの安田和広氏は、ドナーカードがない患者家族が「今からでもカードを書こうか」と言い出した事例を発表した。

     


20100218

臓器提供を後悔しているドナー遺族の存在を隠蔽
日本
臓器移植ネットワークと厚労省臓器移植対策室
第5回臓器提供に係る意思表示等作業班で

 2010年2月18日に「第5回臓器提供に係る意思表示・小児からの臓器提供等に関する作業班」が開催された。議事録
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/02/txt/s0218-20.txtによると、日本臓器移植ネットワークの芦刈コーディネーターと、厚生労働省臓器移植対策室の辺見室長は、正確な情報を提供していない。

  臓器提供前後に、ドナー候補者家族・遺族の意思が変化した事例について、以下枠内の応答がある。

○手嶋班員 実際問題として、コーディネーションなさった後、その場ではよかったけど、後で不満が出るというふうな御経験はこれまでされたことはありますか。その点をちょっと確認をしたいのですが。
○芦刈参考人 その不満とおっしゃるのは、例えばどういったことでしょうか。
○手嶋班員 例えば水野先生がおっしゃったように、その場では言えなかったけれども、本当はこうしたかったのだというふうなことが後になって伝わってくるというふうなことは実際には起こっているのでしょうか。
○芦刈参考人 その家族の中でのそういった、後から「いや、実際は自分は提供したくなかった」というようなことは聞こえてきたことはありません。実際に、我々に言って来ないだけということも勿論可能性としてはありますけれども、少なくとも聞いている範囲ではございません。
○新美班長 柳田先生のところで、フォローアップ、心情調査をやっていたのですが、そういう例の報告はありませんでしたか。提供者の御家族のその後どういう状況かというのを。
○辺見室長 すみません。ちょっと手元の資料と知識が不足しておりまして。確認をしたいと思います。
○新美班長 それがもしも公表できるようなものがありましたら、お願いします。
○辺見室長 はい。

 上記のように芦刈コーディネーターと辺見室長は、臓器提供を後悔しているドナーファミリーの存在や、脳死判定の承諾・臓器提供後の遺族の心情変化について、自らの知識を否定した。

 しかし、兵庫県臓器移植コーディネーターの藤原亮子氏(兵庫医科大学病院)は、2008年の第44回日本移植学会総会や2009年の第36回日本集中治療医学会学術集会やICUとCCU33巻11号において、臓器提供から1年経過後に、遺族が「本人の本意が分からないので、提供して良かったのか時々悩む」ケースと、『臓器提供しなければ、まだ脳死でも生きてたかも知れないと考えてしまう』と発言したケースを報告している。
 福井大学医学部附属病院の高山裕喜枝氏らは、臓器ドナーの母親にインタビューして、臓器移植コーディネーター、臓器提供施設との摩擦のあることを日本救急看護学会雑誌9巻3号「脳死・脳蘇生」第19巻第2号に報告した。

 第44回日本移植学会総会の抄録では、藤原コーディネーターの抄録と同じページ(「移植」43巻総会臨時号p167)に日本臓器移植ネットワークの浅居朋子、小中節子氏の抄録も掲載され、芦刈コーディネーターらも「わが国の移植コーディネーター体制と教育について」を発表している(p190)。

 「脳死・脳蘇生」19巻2号では、福井大学の高山氏らの論文(p123〜p130)の前に、芦刈氏らの「心停止後腎臓提供における移植コーディネーターと看護師の役割 家族援助のあり方についての考察」がp116〜p122に掲載されている。この芦刈氏らの論文は、文献の1番目に、「死の臨床」27巻1号掲載の「心停止後腎臓提供のドナー家族の思いの分析 移植コーディネーターによる家族フォローのための基礎的研究」を掲げた。これは91家族のうち14家族が「臓器提供して良かったのか迷っている」と報告している。

 厚生労働省の脳死下での臓器提供事例に係る検証会議・ドナー家族の心情把握等作業班によると、25家族に面接調査の依頼状を出したところ、面接に応じたのは9家族。面接に応じなかった16家族のうち、会いたくない理由を書いた10家族のなかに「思い出したくない」「話したくない」という人もいたという(文芸春秋2009年7月16日号p134)。

 これらの情報に、芦刈臓器移植コーディネーターも辺見臓器移植対策室長も、接触するのが容易な立場におり、また把握しているべき立場にいる。臓器提供に係る意思表示・小児からの臓器提供等に関する作業班に、正しく情報を提供すべき立場にいた。

 


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