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遷延性脳死・社会的脳死

「人工呼吸に依存した生+誤診の脳死」から「人工内分泌と人工呼吸に依存した生+誤診の脳死」時代へ

 医師が脳死と推定、あるいは脳死判定されてから3徴候死に至るまで期間は、@脳死推定後の治療A脳死をもたらす原因疾患B患者の年齢ほか全身状態 、合併症の有無C脳死判定後の人工呼吸器、栄養補給の継続D感染防止対策、昇圧剤・抗利尿ホルモン投与など全身状態維持につながる医療技術水準とその継続E臓器摘出、などによって患者は異なる経過をたどる。

 このうちA脳死をもたらす原因疾患B患者の年齢ほか全身状態 以外は、患者家族や医療スタッフの生命観社会的経済的条件、医療技術の進歩などによって患者ごとに(異なり)左右され、それは近年になるほど脳死後生存期間に影響力を増し、遷延性脳死・長期脳死・慢性的「脳死」患者数を増減させ、そして社会的脳死患者を増やしている。

 
     
       
       
           
             
               
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8〜14日 15〜246日

脳死患者33人の生存日数
(1983年6月〜1986年6月)

 

脳死後治療における人為的操作の影響

 例えば、市立札幌病院救急医療部による丸藤 哲:救急医療部における脳死統計、市立札幌病院医誌、46(2)、21−26、1986は、人為的に脳死後の患者管理に介入しはじめた時期の論文だ。

 1983年6月〜1986年6月の脳死患者33人(1歳〜82歳)の生存日数として、右記の表を掲載している。表を一見してわかることは、数日のうちに死亡する患者と、長期間生存する患者がいることだが、この点については後で触れる

 脳死後の治療に人為的操作(停止)を加えたのは、1983年はなかったが、1984年は6例中2例、1985年は13例中8例、1986年1月〜6月は9例中5例(全期間では33例中13例)あった。人為的操作の内訳は、人工呼吸器停止が2例、昇圧剤中止が13例(昇圧剤中止直後の心停止8例、数時間後の心停止2例、数日後の心停止3例)。丸藤氏らは「人為的操作が加えられるようになっても、生存日数の有意の短縮は認めれなかった」と分析している。

 延命目的の人為的操作としては、尿崩症を合併した患者に抗利尿ホルモンを投与すると脳死生存日数を長期化できるとの報告(こちらは関連論文)を受けて7例にDDAVPを使用を開始し、うち1例は246日間生存した。

 

 

臓器摘出、集中治療進歩の影響

 遷延性脳死・社会的脳死患者の全体的傾向を知るには、より多数症例の報告を見る必要がある。

 慢性的「脳死」=Chronic “brain death”の造語とともに世界的に知られたShewmon.D.AChronic “brain death” Meta-analysis and conceptual consequences 、Neurology、51、1538−1545、1998(以下は唐澤 秀冶:メタ分析による新たな知見:長期脳死状態の存在、脳死判定ハンドブック、羊土社、62−64、2001より)は、1966年〜1997年の期間とみられる脳死症例約13,000件のうち、1週間以上生存した患者175例(約1.3%)あることを報告した。治療打ち切りや臓器摘出が多く、同時に救急医療体制・蘇生医療が発達した地域における長期脳死生存者の報告といえるだろう。

 このうち4ヵ月以上生存も9例あり、全例18歳以下。2年以上の生存例は3例あり、それぞれ2.7年間(新生児で脳死)、5.1年間(新生児で脳死)、14.5年間(4歳で脳死)、最長例は人工呼吸器を使用しながら自宅で生存していた。Shewmon.の論文は解析対象とした症例の選定や統計処理に欠点を指摘する声もあるが、末期患者(余命数ヶ月と宣告される)よりも長く生きる、多数の「脳死」患者の存在を明らかにした意義は大きい。長期生存し、急性疾患ではなく慢性疾患となった脳死患者は、「脳死になったら数日のうちに心停止する」という脳死定義の根本に反する事実だからだ。

 同論文によるメタ分析可能な56症例の生存率、およびKaplan-Meier曲線から推測される生存率は以下のとおり。

脳死状態となってから1週間以上生存した患者の生存率

1ヶ月 3ヶ月 6ヶ月 1年 2年 5年 10年
メタ分析可能な56人 50% 23.2% 12.5% 7.1% 5.4% 3.6% 1.8%
Kaplan-Meier曲線 59% 41% 32% 19% 13% 13% 8%

 

脳死状態となってから1週間以上生存した患者の年齢別生存率

1ヶ月 6ヶ月 1年 2年 5年 10年
20歳以上(29人) 44.8%
10〜19歳(12人) 75% 25% 8.3%
0〜9歳(15人) 40% 26.7% 20% 20% 13.3% 6.7%

 

脳死状態となってから1週間以上生存した患者の原因別生存率

1ヶ月 6ヶ月 1年 2年 5年 10年
原発性脳病変 93% 63% 42% 21% 21% 21%
全身に障害が及んだ原因 57% 29%

#1985

49
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  31
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
16 16
  15  
   
   
   
   
      10  
             
             
             
                 
                   
                   
                       
                   
                         
                               
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 〜21日 〜28日 29日〜

 

A群:167人

 1980年代の日本ではどうか。厚生省脳死に関する研究班:59年度研究報告書(日本医事新報、3187、104−106および3188、112−114、1985)は、1984年3月1日より8月31日までの6ヶ月間に脳死判定が下された症例を調査対象とし、脳死期間(脳死またはその疑いが濃いと判定した時から心停止までに期間)を、人工呼吸器を停止した142例および人工呼吸器停止の有無が不明の24例を除く552例について報告している。

 7日以上生存は552例のうち85例(15.4%)だった。同報告に年単位の長期生存者はいないが、 Shewmon.の1週間以上生存者率よりも一ケタ多い。これは脳死臓器摘出は公式には行なわれず、治療打ち切りも慎重だったことが影響している可能性がある。

 しかし、1週間以上生存した85人のうち1ヵ月以上生存は4人(4.7%)、Shewmon.の報告よりも一ケタ少ない。こちらは、救急医療体制・蘇生医療が現代および欧米に比べれば遅れていたことの現れであろうか。

 最長生存日数は83日で靜脈洞血栓症の5ヵ月児、続いて32日生存したのは窒息の5歳児。このほか「心停止まで15日以上の症例」として、炎症の3歳児(表在反射陽性)は19日、心停止の9歳児は17日が紹介されている。

 右表は、日本脳波学会脳死判定基準を充分満たすA群167例の脳死期間(A群167例、A群の条件の中で、瞳孔径のみ左右6ミリ未満、4ミリ以上1週間以上のA´群140例、A群・A´群に該当しないもの245例、以上3群の脳死期間に統計的有意差は認めていない)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小児脳死患者は、半数しか脳死定義に適合しない #2000

 日本でもShewmon.の報告と同様に、遷延性脳死患者が存在する。厚生省“小児における脳死判定基準に関する研究班”平成11年度報告書:小児における脳死判定基準、日本医師会雑誌、124(11)、1623−1657、2000は、67施設から回答のあった6歳未満の脳死および脳死が疑われる162症例のうち、人工呼吸器停止が心肺停止以後であることが明記された116症例について、「表8 判定時より心停止に至るまでの期間」をp1633に掲載した。

   
       
           
               
0日 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8〜14日 15〜21日 22〜29日 30〜99日 100日以上

第T群:20人

17
 
15   15
     
     
     
     
  10   10   10
           
           
           
                 
                     
                     
                     
                         
                         
                         
0日 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8〜14日 15〜21日 22〜29日 30〜99日 100日以上

 

第T群〜第W群:116人

 この報告書は全症例を、無呼吸テスト2回以上実施・神経学的検査2回以上実施を第T群、無呼吸テスト1回実施・神経学的検査1回以上実施を第U群、無呼吸テスト実施せず・神経学的検査2回以上実施を第V群、無呼吸テスト実施せず・神経学的検査1回実施を第W群、の4群に分類して検討した。

 左表は第T群のみ20人、右表は第1群〜第W群の合計116人を生存日数別にグラフ化した。

 無呼吸テスト2回以上実施、神経学的検査2回以上実施の第T群では7日以上生存が14人(70%)、30日以上生存が7人(35%)。第1群〜第W群の合計では、7日以上生存が 61人(52.6%)、30日以上生存が25人(21.6%)に達した。小児では脳死と判定されても、「数日で死亡する」との脳死 概念に反する患者が過半数〜半数も存在する事実を示している。

 

遷延性脳死・長期脳死を検討する視点

1、遷延性脳死患者・長期脳死症例の定義

 竹内 一夫氏らは上記厚生省報告書において長期脳死症例を「第1回の脳死判定時から心停止までに30日間以上を要した症例」と定義している。しかしこのように長期症例のみを検討対象とすると、医学的・社会的問題を見失いやすい。脳死の natural history を反映した=昔からの脳死定義を踏まえて、心停止まで1週間以上を要した症例を遷延性脳死患者・長期脳死症例として検討する必要があろう。

 脳死後時間が経過するとともに、人工呼吸器の停止や投薬・輸液内容がレベルダウンされるケースが増える。前記のShewmonの論文では、人工呼吸器を外した症例の時期は79%が4週間以降に外していた。経済的に余裕のある家族も、数週間のうちに治療をあきらめるケースがあるとみられ、時間が経過するほど社会的脳死が増加する。脳死を人の死として、脳死判定を強要する立法がなされると、公的医療保険では治療できなくなるため、30日間以上の脳死症例は激減するであろう。

 社会的脳死が少ない時代で、より脳死の自然な経過が観察できた時代はどうだったか。前出の市立札幌病院救急医療部の脳死統計においても、数日のうちに死亡する脳死患者と、長期間生存する脳死患者に分かれた。他の多くの脳死論文も一次性粗大病変の患者が早期に心臓死に到ること、二次性脳病変および小児患者は長期生存傾向であることを報告をしている。脳死をもたらす原因疾患により観察期間を延長していない脳死判定基準が誤診を誘発する危険性を想像させる。

 一次性粗大病変の脳死患者について報告した塩貝 敏之、竹内 一夫:脳神経外科における脳死の実態−過去11年間121例の検討、脳と神経、36(8)、781−787、1984は、脳死後6日までに121例のうち109例(90%)が死亡したことを報告している。最長でも15日間と短かった。

 上記の小児脳死データ(グラフ)においても、生存日数の分布からは7日前後を底として、多様な病態の混在を示す複数のピークが読み取れる。これは、小児脳死の特殊性とともに、救急医療体制・蘇生医療の進歩、その影に社会的脳死の発生も伺わせる。脳死患者が死亡する自然な経過 natural history そしてShewmon.の先駆的研究を生かす観点からも、心停止まで7日以上を要した症例を遷延性脳死患者・長期脳死症例として検討する必要があろう。

 

2、救急医療体制の充実、蘇生治療の進歩に貢献する検討を

 竹内 一夫:脳死の判定、脳と神経、54(7)、557−563、2002掲載の6.脳死判定から心停止までの時間は、「1984年の厚生省研究班による全国調査では、人工呼吸を最後まで続けた心停止までの平均期間は6歳未満23例は11.6日であった。それから14年後の1998年の厚生省研究班による6歳未満小児例調査では116例の約20%が心停止までの30日以上を経過していることがわかった。そしてこのような遷延性脳死状態ともいえる長期脳死例は、特に最近の症例で有意に多かったので、やはり集中治療の進歩が関係していると考えられた。なおこの長期脳死例のなかには、心停止まで300日以上を要した2例が含まれていた。もちろん、長い脳死期間の間に、脳死と矛盾する徴候は全くみられていないし、画像診断でも剖検でも、脳組織の融解・液化が認められている」と述べた。

 続けて Shewmon の報告と、脳死妊婦11例の出産までの平均期間56日、100日以上2例から「種々の合併症に悩まされることは不可避であるが、成人でも集中治療の進歩により心停止までの期間を遷延させることがある程度可能になっている。経済的・社会的・倫理的な問題は別にして、脳死状態でも積極的に呼吸・循環機能を管理し、栄養管理と感染予防に努力すれば、全身状態が維持される限り心拍動を維持することは可能である。したがって、脳死判定から心停止までの期間は、脳損傷よりも全身状態の維持如何に最も関係が深いと言えよう」と書いた。

 竹内基準が、まったく誤診の危険性がありえないものであるならば、「集中治療の進歩により心停止までの期間を遷延させることが可能になった」で済ますことができるが、現実には判定不可能性とともに小児脳死に限らず、脳死と矛盾する事例が多数報告されている。もともと全脳に不可逆的ダメージを受けていない患者であれば、医療の進歩によって、より長期にわたって死なないのは当然のことである。

 竹内氏は最終的に剖検して「脳組織の融解・液化が認められている」と指摘するが、それは脳死判定の矛盾を否定したことにはならない。ある程度の体温が維持され、しかも低血流のまま長期間経過すると、脳細胞の壊死する部分が増えて当然であり、脳死判定後間もないタイミングで行なわれる臓器摘出や治療打ち切り時点における人格の有無は、長期間経過後の剖検ではわからない。

 誤診ではなくとも、集中治療の進歩とは、患者の搬送時間の短縮やマンパワーなど救急医療体制の充実、脳死にさせないための蘇生治療法の開発・普及の努力により構成される。救急医療体制、蘇生医療が進歩すれば、遷延性脳死患者・長期脳死患者も増加すると見込まれるが、同時に意識回復まで発展する方向性を含んでいる。脳死問題に対する市民の理解を深め、救急医療を発展させ、重症患者を取り巻く社会的経済的な問題を軽減していくうえでも、「遷延性脳死・長期脳死は、集中治療の進歩した現代では当たり前」とせずに、なぜそのような状態になっているのかを検討する必要がある。

 脳低体温療法の普及など、脳死を人の死とは認めてこなかった国ならではの蘇生・延命努力が、世界中の多くの人々に役立っている。脳死判定を強要→臓器提供または治療打ち切りを強要することが、全体の医療水準向上につながってゆくのか、移植医療が医療供給体制に異常な負担を強要していないか、移植はレシピエントに役立っているのかなどのテクノロジーアセスメントの同時進行が求められる。

 

3、蘇生限界・蘇生不可能基準の社会的適用に、限界の自覚を

 過去約30年間の、脳死後心臓死までの期間に関連した、関係者の見解の変遷を見ると興味深い。

1975年

 武下 浩:再び脳死の問題点について、麻酔、24(4)、317−322、1975

 この論文は、脳死判定後に人工呼吸器をやめる選択肢を示した後に「しかし、ここに別の考えがある。すなわち、脳死は慢性状態としてはありえないので、脳死と判定された後、現在の方法では一般に5日以内に心拍停止になるであろう。そのようなことであれば、脳死と判定されてから、しだいに治療を非積極的にして行くという態度でやった方が、いろいろな面でむしろ好都合というわけである。後者は確かに受け入れられ易い一面を持っている。つまり自然にまかせる技術の“すぐれた”医師のとる中間の道である。前者との差はたとえ脳死判定が行なえても脳死をもって死とはしないという考えである」としている。

1984年

 杉本 侃:脳死−生体か、レスピレーターつきの屍体か−、外科治療、50(1)、1−7、1984

 最近、1ヵ月以上にわたる生存例が報告されるようになったが、脳死と診断された症例で心臓死をまぬがれた症例は世界中で1例も報告されていない。この事実は、心臓死をもって死と考えてきた多くの人達に、脳死が死であるという新しい考え方を受け入れ易くしている 。

2002年

 竹内 一夫(杏林大学名誉教授):脳死の判定、脳と神経、54(7)、557−563、2002

 脳死状態でも積極的に呼吸・循環機能を管理し、栄養管理と感染予防に努力すれば、全身状態が維持される限り心拍動を維持することは可能である。したがって、脳死判定から心停止までの期間は、脳損傷よりも全身状態の維持如何に最も関係が深いと言えよう。

2003年

 武下 浩脳死再論−医学と哲学のインターフェイス、日本臨床麻酔学会誌、23(8)、S105−106、2003

 『死』は専門語ではなく、死の定義は本質的に哲学の問題である。その定義に基づく解剖学的診断基準は哲学と医学のハイブリッドであり、解剖学的基準を満たす臨床症状や検査は純粋に医学である。(中略)脳死論議の初期、なぜ脳死状態になると、短期間のうちに心停止にいたることが重視されたのか。当時としては事実であり、脳死を人の死とする説明に使いやすかったからである。しかし、問題は人工呼吸と栄養、感染防止対策程度で数ヶ月以上、小児脳死で300日にもおよぶ“生存”例が報告されていることである。脳死状態になると脳の統合制御機能が失われるので、短期間で心停止に至るとされてきた。この考えに反対の立場をとる者は以前からあったが、遷延性脳死を契機として再び議論されるようになってきた。生命機能の維持における脳の優位性を否定するものは脳死を人の死としない。(中略)演者が今回、このような演題を選んだ理由は、1990年代に哲学者あるいは哲学に造詣が深いとされる医学者の主張によって始まった「脳死を人の死としない」とする考え方が無視できなくなってきたからである。現在は、医療技術の進歩によってダイナミックに変化する医学諸哲学とのインターフェイスを、現実の医療の中で、人間尊重の基本的視点からどのように取り組むかが問われている時代である 。

2006年

 竹内 一夫(杏林大学名誉教授):脳死妊産婦管理の問題点、周産期医学、36(7)、837−841、2006

 最近の高度集中治療の進歩によって、以前より長く脳死状態を維持することも時には可能になった。もともと種々の合併症に悩まされる脳死判定から心停止までの期間の長短は、すでに廃絶した脳の機能の問題ではなく、全身的要因に左右されることになる。したがって成人に比べて基礎疾患の少ない小児では、脳死の期間が有意に長いことが知られている。・・・・・・脳死状態でも循環、呼吸、内分泌機能が良好な状態に保たれていれば、心停止は何とか避けることができる。そして多くの臓器はそれぞれ独自のペースメーカーを持っているので、栄養と酸素が補給されている限り機能し続けることができる。

 

 武下氏の「しかし、問題は人工呼吸と栄養、感染防止対策程度で数ヶ月以上、・・・・にも及ぶ“生存”が報告されていることである」という言葉に、「脳死は人の死」説の崩壊を感じるのは私だけであろうか。また、レトリックで「脳死は人の死」と納得させようとする姿勢は、不誠実といわざるをえない。

 死は厳粛であり、死亡宣告は、個人により異なる哲学や、変化し続ける医学・蘇生限界・(脳死判定基準などの)蘇生不可能判断基準に委ねられるものではない。変わり続ける蘇生限界を、そのまま脳死定義・脳死判定基準として、さらに「人の死の定義」に無自覚に流用する姿勢から間違いは始まった。「短期間のうちに心停止に至ることが・・・脳死を人の死とする説明に使いやすかった」と言ってはばからない傲慢な姿勢を改め、医学の社会的適用に節度を持つべきであろう。誤解を生みやすい脳死用語の廃止とともに。

 数年の間に変わりうる脳死判定基準を死の判定基準に使うと、極めて不安定な社会になる。医学・医師に託されるのは、その時代毎の蘇生限界、蘇生不可能基準の検討と患者への適用ではないか。その自覚にもとづいて恣意的な死亡宣告は控えないと、医師不信は拡大する。

 

 

4、「脳死」から復活した“ラザロ患者”

 脳死判定後(または臨床的脳死診断後)に、脳波や痛み刺激への反応や自発呼吸の復活、脳血流の再開、ホルモンの分泌、身長が伸びる、など日本国内だけでも非常に目立つ 多数の小児患者がいる。参照:http://www6.plala.or.jp/brainx/recovery3_15.htm#lazarus

 抗利尿ホルモン投与など人工的にでも、心臓の拍動が維持され続ければ、脳の病態が改善されてゆく(典型例は兵庫医科大学:300日以上脳死状態が持続した幼児の1例)。特に小児の場合は、脳の解剖学的な可塑性と生理学的な耐久性から、長期間、心臓の拍動が維持されれば、脳不全が次第に治ってゆく患者がおられるのではないか、と考えられる。もちろん、この“ラザロ患者”を意識が回復するまで治療できるとは思えないが、取り組まれるべきことだ。

 これらの脳死判定後に脳死を否定する報告は、心停止が来ないから起こりうる。従って、脳死判定後に数日以内に心停止がこない場合は、間接的だが、その脳死判定を否定する事態を示唆しているのではないか。

 

5、成人の法的脳死判定例にも遷延性脳死患者

 以下の木澤論文には、法的脳死判定に従う脳死判定を行い、昇圧剤の増減は行なわず看取る方針として、患者は2週間後に永眠したことが報告されている。積極的な管理を行なったならば、長期脳死になる可能性が高かった症例と見込まれる。また、患者家族が、人工呼吸器を取り外す結果について考慮がなく、人工呼吸器の取り外しを口に出しているケースがあることも注目される。

*木澤 晃代(筑波メディカルセンター病院救命救急センター):筑波メディカルセンター病院ER/救命ICUにおけるデスカンファレンスの実践、看護技術、56(10)、60−63、2010

患者:60歳代女性、外傷性クモ膜下出血、びまん性脳損傷(交通外傷)
経過:人工呼吸器管理、意識レベルJCS U−10、バイタルサインは安定しており、体動も見られたが、次第に自発呼吸が弱くなり、CTにて脳梗塞を認め臨床的脳死状態となった。
 予想に反して脳死状態となったことに家族は「何でこんなことになったんだ」と怒りを表出した。その後「こんな姿になるなら、人工呼吸器をはずして楽にしてやりたい、人工呼吸器をはずしてほしい」と家族より申し出があった。主治医は、患者の状態の変化に戸惑う家族の要望にできる限り沿いたいという意向であったが、臓器提供を目的としない積極的医療の中断に対し、どのように説明すればいいのか困惑していた。担当看護師も家族の怒りが強いため対応に戸惑っており、本当に人工呼吸器をはずすことになったらどうしたらいいのか戸惑っていた。
 病棟内のカンファレンスでも意見がまとまらなかったため、院内の倫理委員会に検討を依頼した。倫理委員会の結論は、「患者の推定意思と家族の総意を確認したうえで法的脳死判定に従い判定を行った結果、 脳死状態であれば診療科の判断を支持する」というものであったが、本当に人工呼吸器をはずすことが家族の真意であるか疑問であった。家族との面談では、患者の推定意思、家族の総意を確認したが、あまりまとまらなかった。その理由は、予想に反して患者が臨床的脳死状態になったこと、元気になって帰れると信じていたのに叶わなかったこと、医療者に対する不信感が怒りに似た感情であったことが、冷静に意志決定をすることの障害になっていると思われた。また、脳死状態の患者の人工呼吸器をはずすということは、いずれ心停止となることを意味するため、人工呼吸器をはずすことを選択した場合、「本当にこの決断でよかったのか」と,、必ず後悔することがあることを家族に説明した。
 翌日、患者は法的脳死状態と判定されたが、家族より「やはり人工呼吸器をはずすことは殺すことになると思うので、人工呼吸器ははずさずに最低限の治療で自然な形で看取りたい」という申し出があった。さらに家族は、以前同じような経過で別の家族を看取ったとき、体がむくんで黄色くなっていく姿を見ていられなかったと話された。このときから、外観の変化を最小限にととめられるよう輸液量の調整を行い、昇圧薬の増減も行わないこととなった。患者は家族に見守られ2週間後に永眠された。家族は、退院する際に「あのとき人工呼吸器をはずさなくてよかった」と話されていた。

デスカンファレンスでの検討結果
 (前略)家族の怒りは患者を失うことに対する急性の悲嘆反応であったが、直接かかわったスタッフにとっては認識することが困難であり倫理的ジレンマがあった。しかし、 家族の代理意思決定が「真の想い」であるかをスタッフとともに多角的に検討したことによって問題点が抽出でき、適切な対応ができたと思われる.
 また、患者に直接かかわった医療スタッフだけで検討した場合には思考が狭小化しがちであるため、直接かかわることのない多職種から構成された倫理委員会の見解を得たことで、より客観的な判断を導く結果になったと考えられた。そして、家族に対し、もし仮に人工呼吸器をはずした場合、明らかに最悪の結果を招くことになると説明したことは、家族が冷静に考えるきっかけになったと推察され、代理意思決定に大きな影響を与えたと思われた。さらに、家族に同様の喪失体験があったことから、死を迎えることが避けられなかった場合、生前のままの姿をととめておくことが最後の望みであったと理解できた。家族が人工呼吸器をはずすことを選択しなかったことに、医療スタッフが安堵したのも事実である。(後略)

 


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