法的脳死判定手続をしたなかでは21例目、臓器移植20例目
前回のレシピエント選定疑惑に懲りて
「最終的には摘出チームの評価結果を待って決定」と慎重発表
平成14年8月30日
社団法人 日本臓器移植ネットワーク
[第21例目の脳死下での臓器提供事例について]
・ドナーの方は東北地方の医療機関に入院中の30歳代の女性の方。
・ドナーの方は、臓器提供意思表示カードに脳死下での臓器提供の意思を表示。提供臓器として心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、眼球に○があった(「その他」に○)ご本人の署名、ご家族の署名がある。記載時期は平成14年2月。
・ドナーの方の原疾患はくも膜下出血である。
・日本臓器移植ネットワーク東日本支部に提供施設より連絡があったのは、8月28日11時40分である。
・日本臓器移植ネットワークのコーディネーターが説明を行った上で、8月28日15時20分にご家族から脳死判定承諾書及び臓器摘出承諾書を受領。
・ご家族からは、心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、眼球の提供についてご承諾を得た。
・8月29日 11時09分、第一回脳死判定を開始。
・8月29日 13時36分、第一回法的脳死判定を終了。その結果、判定基準を全て満たしていると判定された。
・8月29日 20時01分より第二回法的脳死判定を開始。
・8月29日 22時15分に第二回法的脳死判定を終了し、法的に脳死と判定された。
写真は21例目の
コーディネート
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[レシピエントの選択及び移植実施施設等について]
心臓移植実施施設及びレシピエントについて
心臓移植の第一候補者は大阪大学医学部付属病院で移植希望の30歳代の女性で、原疾患名は心筋炎後心筋炎である。
肺移植実施施設及びレシピエントについて
肺移植の第一候補者は京都大学医学部付属病院で移植希望の30歳代の女性で、原疾患名は原発性肺高血圧症である。
肝臓移植実施施設及びレシピエントについて
肝臓移植の第―候補者は東北大学医学部附属病院で移植希望の20歳代の男性で、原疾患名は劇症肝炎である。
膵臓・腎臓移植実施施設及びレシビエントについて
膵臓・腎臓移植の第―候補者は東京女子医科大学病院で移植希望の30歳代の男性で、原疾患名は糖尿病性腎症である。
腎臓移植実施施設及びレシビエントについて
腎臓移植の第―候補者は鷹揚郷(おうようきょう)腎研究所弘前病院で移植希望の40歳代の男性で、原疾患名は腎硬化症の疑いである。
☆最終的には各摘出チームの評価の結果を待って決定。
[提供臓器について]
- 小腸移植について
登録患者不在のため、小腸移植を断念。
厚労省 臓器移植ネットワークに「会員手続・会計処理」で改善勧告
厚生労働省健康局長は29日、日本臓器移植ネットワークに対して、会員手続と会計処理に関する下記の改善勧告を行なった。
- 個人正会員の入会規定が実態に即していない、適切な法人運営という視点からも望ましくないので、定款を一部削除すること。
- 個人賛助会員は、賛助会費の納入のみが行なわれており、毎年度の賛助会費納入が明確に義務づけられていない。年度ごとの増減が明瞭な形での名簿の作成がなされていない。
理事会における入会決定及び入会通知等の手続、賛助会費の納入と一般的な寄付の受け入れとの違いを明確にすること。年度ごとの会員数の増減を明らかにできるようにしておくこと。
- 公益法人会計基準に基づく処理がなされるとともに、国庫補助金の交付要綱にもとづく適正な処理を行われたい。
勧告書は、臓器移植法が施行され現在の日本臓器移植ネットワークがスタートした1997年(平成9年)10月頃からの会員手続を取り上げた。
改善勧告書は、日本臓器移植ネットワークに対する厚生労働省勧告ページに掲載。日本臓器移植ネットワークの定款、単年度の決算、事業計画等は、厚労省のhttp://www.mhlw.go.jp/general/seido/hojin/shippei05/index.htmlに複数年度の資料
が掲載されている。
「いのちジャーナルessence」16号(2002年9−10月号)」が掲載
『脳死』の終わり(前編)--この4年間でわかった『脳死』と救急現場の実態
2002年8月30日に発売される、さいろ社発行の「いのちジャーナルessence」16号(2002年9−10月号)」に、
「『脳死』の終わり(前編)--この4年間でわかった『脳死』と救急現場の実態」が掲載される。
8ページにわたって「臓器摘出時に麻酔薬投与、それが示す脳死判定ミス、非科学的な脳死判定、全脳死が間違い無くとも恐怖や激痛を感じる可能性」を指摘。「脳死」判定後に脳の活動が測定され、心停止まで年単位を経過する事例や「脳死」患者の予想生存率を示し、「脳死=人の死」という脳死概念の崩壊を告げている。
このほか、同誌9−10月号の主な記事は「社会的入院』患者の追い立てが始まる」「術後感染死にハマるな!」「クローン人間を求める倫理的不純さについて」など。
なお、次の11−12月号では『脳死の終わり」の後編が掲載される予定。
「いのちジャーナル 9−10月号」はA5判34ページ、本体価格500円。書店で取り寄せるか、直接購入したい人は さいろ社koji@sairosha.comまで。
ハワイ・マウイ記念病院、救命可能な患者から臓器摘出が常識?
生還を祈る母親に、医師は「治療費が最低でも1日約30万円」
臓器提供を拒否して治療継続を要求、生還したTさんの10年間
月刊総合ケア(医歯薬出版)第12巻8号
(2002年8月号)は奈良市・やまぐちクリニックの山口 研一郎院長、作業療法士の西口 嘉和氏、中出 幸子氏、和田 志野氏による『「全臓器提供」より奇跡的に生還した女性』を掲載した。
この女性:Tさんは24歳になったばかりの1991年12月、会社の慰安旅行でハワイに行き、乗用車がカーブを曲がりきれずに1.5mの崖下に転落。同乗者の1人が死亡する大事故で、後部座席に乗っていたTさんも頭部を強打し昏睡状態になり、地元のマウイ記念病院へ搬送された。
来院時、深昏睡、両側瞳孔拡大、除脳姿勢をとっていたTさんには気管内挿管が行われ、人工呼吸器が装着された。頭部CTでは@右前頭葉、頭頂葉、側頭葉にまたがる脳内出血をともなう脳挫傷A両側脳室内出血、が生じていた。
事故翌日、大阪府内の両親が現地に到着。Tさんの生還を祈り続ける母親。それに対し病院側はTさんが遺書(「ドナーカード」のことと思われる)を所持しているか否か確認し、両親を困惑させた。事故後3日目、意識状態が改善する傾向が見られた。必死に見守る両親に対し、医師は治療費が最低でも1日約30万円になることを伝えた。そして、現在、臓器不全で移植を待っている人が数多くおり、「Tさん1人で20名の患者が助かる」とつけ加えた。入院当時のカルテを見ると、外傷とは直接関係ないと思われるさまざまな臓器について、詳細なチェックが行われている。
娘の死を予想だにしなかった両親は、全臓器提供の話を「眠れない位のショックな話」と受け取ったものの、気を取り直し「20名の人の命を助けられるのなら、娘一人の命が助からないはずはない」と確信し、臓器提供を拒否、医師に治療の継続を願い出た。その後の治療は日本の救急医療機関とは比べものにならないほど徹底していた。
翌年1月に挿管チューブが抜け、1月中旬、空路、大阪府内の病院へ。機能回復の治療、訓練を開始。1月末はじめて発声、2月中旬に不安定ながら歩行が可能となった。同時に導尿用バルーンも抜去。7月初旬、自宅へと退院した。1992年12月中旬、「症状固定」の診断書が作られた。
この後の症状、社会生活の推移
社会生活、リハビリ |
- 1995年1月から整骨院事務(週5日)、患者さんのカルテを出す仕事。患者の顔を覚えられず、カルテのある場所がわからないため、仕事はスムーズにいかなかった。毎週(ピアノ、書道、英会話)に通う。
- 2001年4月=ハローワークを訪れ、職業適性を把握するために大阪障害者職業センターを紹介され評価を受ける。
- 2001年5〜6月=OA講習20日間。
- 2001年7月末より、山口クリニックの認知リハビリに毎週参加(一人で電車を乗り継ぎ1時間かけて通院)
- 2001年11月=精神障害3級を取得
- 2002年4月=整骨院の患者減少により無職。
- 2002年8月=デイサービスの職員として就労予定。
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WAIS-R(ウェクスラー成人知能尺度−改訂版) |
- 1992年4月=全IQ75、特に動作性IQの低下が顕著。
- 2001年4月=全IQ91、言語性IQ100、動作性IQ95
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記憶障害 |
- 1992年12月中旬=外出時、道に迷ってしまい、一人で外出できない。短時間(20〜30分間)の記憶の保持が困難、たとえば服薬したことを忘れてしまう。
- 2001年4月=新しい記憶の獲得、蓄積が困難。生活上の過去の出来事(エピソード記憶)を忘れやすいため手帳を活用。はじめての場所への経路を覚えるまでに反復練習が必要。
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学習力、自発性、集中力 |
- 1992年12月中旬=判断力、持久力が低下し、物事に集中できない。自らの意見をもたず、他人の意見にすぐ同調してしまう。
- 2001年4月=注意が喚起されても減弱しやすく、注意し得る量が少ない。複数の刺激に同時に注意を振り向けることができにくい(電話を聞きながら内容をメモにとるなど)。選択性、集中性は良好。情緒安定性は高く、自らの状態について認識しており説明することも可能。職業的側面については、作業の難易度に関係なくミスを発生しやすい。
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歩行障害、体幹機能障害 |
- 1992年12月中旬=協同運動が低下し、身体のバランスがわるいため足がもつれ、歩きかたがぎこちない。
- 通院による運動療法や、自らプールに出かけての水泳によって徐々に改善。
- 1992年12月=左右上肢ともに軽度機能障害の評価を受け、身体障害者6級と認定。
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複視 |
- 1992年12月中旬=左外斜視あり、輻輳反射が低下しているため、物が二重に見え、眼精疲労が生じ仕事が継続できない。
- 1996年3月より2ヶ月間、視能訓練士によるビジョン・セラピー(視力療法)。7月末に左眼の外直筋・内直筋の矯正手術。
- 2002年現在で、眼位良好にて輻輳反射も改善され、生活上の支障はなくなっている。
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嗄声 |
- 1992年12月中旬=右半回神経麻痺のため、右声帯が固定。
- 自然に改善傾向
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山口氏らは、1987年制定の「障害者の雇用の促進等に関する法律」は、高次脳機能障害のような精神障害は、“障害者の雇用義務”“障害者雇用納付金制度”の対象になっておらず、身体障害と知的障害のみ適用されることなど、高次脳機能障害者への公的支援事業の必要性も指摘している。
Tさんは2002年11月25日(月)、テレビ朝日のテレメンタリー2002「私は別人〜見えざる障害、高次脳障害と闘う」で、また11月27日(水)にニュースゆうでも高次脳機能障害者として本名で放送された。
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