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2011年9月20日 心臓ドナーは、自分の生の代わりに、生命の贈り物をした!
ドナー家族は喪失の先をみることができた勇気ある家族?
日本循環器学会心臓移植委員会幹事の西垣氏
2011年9月 7日 現行の脳死判定基準で脳死の診断を行ない、臓器を摘出する行為が、
“とんでもない過ち”であることが証明される日が来ないとはかぎらない
埼玉医科大学の堤氏、大分県立病院の吉岡氏
   

20110920

心臓ドナーは、自分の生の代わりに、生命の贈り物をした!
ドナー家族は喪失の先をみることができた勇気ある家族?
日本循環器学会心臓移植委員会幹事の西垣氏

 2011年9月20日付で発行された「日本臨床」増刊号 冠動脈疾患 上 p651〜p660に西垣 和彦氏(岐阜大学医学部付属病院第2内科、日本循環器学会心臓移植委員会幹事)による「心臓移植の現状と展望」が掲載された。以下の枠内は「7.今後の展望」のなかの一部分。

b.ドナー家族への心のケア体制の確立

 ドナー家族とは,臓器移植を行ったドナーをもつ家族で,レシピエントに生きるためのセカンド・チャンスを贈り,自分の生の代わりに,生命の贈り物(ギフトオブライフ)をされた方たちの家族である。ドナーとなる多くの者は,事故や犯罪に遭遇したり,また何らかの器質的疾患であっても,いわゆる突然死であったりした場合が多いため,ドナー家族はある意味で‘共通の悲劇’を背負い,‘悪夢の経験’を経ている.しかも,家族にとってその悲しみは,決して‘一過性'に終わるものではなく,絶えず‘喪失感’を味わうものである。誰もドナー家族になりたくてなったわけではなく,喪失の先をみることができた勇気ある家族であるといえる.
 移植医療の根源には,絶えずドナーとドナー家族がいて成立するものであるという認識をすべての国民が共有し,決してドナーとドナー家族の英断を忘れるべきではない.このような観点から,国家単位あるいは都道府県単位のプロジェクトとして,大学の心理学を専攻した者やメディカル・ソーシャル・ワ一カーなどを中心に,ドナー家族に対する心のケアを専門に行うコンサルタントを早急に養成し各ドナー判定実施施設(臓器提供施設)に適正配置することが必要である.更に,欧米で既に行われているような,ドナー家族に対するセレモニーの開催や,レシピエントとの交流会なども行い,生命の贈り物(ギフトオブライフ),生命の大切さを考える場を提供されるよう望むものである。

  西垣氏は、呼吸と循環59巻6号p605〜610掲載の「改正臓器移植法をめぐって」においても、ドナー家族の説明について上記と同じ表現をした。

 

当Web注:「ドナー家族とは,(中略)自分の生の代わりに,生命の贈り物(ギフトオブライフ)をされた方たちの家族である」という認識は、脳死判定基準を満たしても死体ではないこと、臓器提供によってはじめて死が訪れることを前提とする。脳死判定基準を満たした全ての患者が心停止に至るとは限らないこと、そして心臓移植ドナーは脳死患者のなかでも心臓機能が良好な患者から選択されること、臓器摘出中に脳死ではないことが判ったケースもあることなどの事実とも符合する。福嶌 教偉氏(大阪大学医学部附属病院移植医療部)も同種の発言をしている。
 西垣氏は「喪失の先をみることができた勇気ある家族である」というが、脳死判定前から脳蘇生に反するドナー管理が開始されているが家族はその事実を知らない中枢神経抑制剤投与後の脳死判定の強行臓器摘出時の麻酔投与の事実を後から知って「むごいことをした、かわいそうなことをした」と嘆く家族などの事実から、こちらは否定される。

 


20110907

現行の脳死判定基準で脳死の診断を行ない、臓器を摘出する行為が、
“とんでもない過ち”であることが証明される日が来ないとはかぎらない
埼玉医科大学の堤氏、大分県立病院の吉岡氏

 大分県立病院は2011年9月7日(水)18時より19時まで、総合医学会第1回例会を同病院3階講堂で「今、臓器移植を考える」をテーマに開催した。出席者は123名(医師33名、看護師57名、医療技術職25名、事務職4名、院外4名)。「脳死下臓器提供に関するQ&A」を吉岡 進氏(脳神経外科部長)、「改正臓器移植法 大分県の取り組み」を小野 美代子氏(大分県臓器移植コーディネーター)、「当院における脳死下臓器移植提供の経験」を秋月 登氏(大分市医師会立アルメイダ病院)が発表した。

 2013年5月に発行された大分県立病院医学雑誌40巻p71〜p79には、吉岡 進氏が発表した「脳死下臓器提供に関するQ&A」のスライドが掲載されている。「脳死の位置づけ」に続く30枚目のスライドは以下(点線の上まで)。

脳死下の臓器摘出=不可逆的な全脳機能の停止の証明が必須
 

 
現行の脳死判定基準で脳死の診断を行ない臓器を摘出する行為
が、将来『とんでもない過ち』であることが証明される日が
来ないとはかぎらない
   
・長期脳死例の報告
(特に小児の場合)
・ラザロ徴候の報告

→|←
血流停止により細胞
が死滅することは覆
されない事実
   
臓器摘出を前提とした脳死診断においては、
脳血流停止を客観的に示して証拠として残す
事が必要である。

埼玉医科大学 高度救命救急センター 堤 晴彦ら

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当Web注:埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センターの堤 晴彦、熊井戸 邦佳、山口 充、澤野 誠、杉山 聡の5名は、日本臨床68巻12号p2202〜p2209掲載の“ガイドライン('臓器の移植に関する法律'の運用に関する指針)の意味”において、「現行の脳死判定基準で脳死の診断を行ない、臓器を摘出する行為が、将来“とんでもない過ち”であることが証明される日が来ないとはかぎらない。これが、現在の科学的知見から導き出される“仮説”ではないだろうか。(中略)脳死の定義が、不可逆的な全脳機能の停止であるとするなら、脳血流の停止が、十分条件になる。これが科学的結論ではないか」としている(p2207)。

 実際には、脳血流停止所見がありながら、脳波、自発呼吸、痛み刺激への反応があり、不可逆的な全脳機能の停止が証明できなかった報告は多数ある。脳組織が、どの程度の低血流=脳組織100グラム当たり毎分何シーシー以下の低血流状態が何分間継続したら脳組織は壊死するのか?その低血流状態を頭蓋骨内で測定可能な技術を用いているのか?このような基本的な情報も欠落したまま「脳血流停止が客観的証拠」とすることは、無知な医師が検査で素人を騙す行為に他ならない。

 


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