「ひと」の死を「脳の機能が停止したとき」とする意見
80年代6割→98年以降4割 北海道大学の学生
7月29、30日の2日間、第38回日本医学教育学会総会および大会が奈良県新公会堂において開催。北海道大学医学部の中村 仁志夫氏らは過去約20年間に、脳死を「ひと」の死とすることについて学生の意識が揺らいでいることを報告した。
中村氏らは1980年代から新入生にアンケート調査を行ってきた。最初の7年間は検査科学の40名、その後は看護学の学生を加えて80〜100名、2000年以降は放射線技術科学や理学・作業療法学専攻の学生も合わせて毎年160名以上の学生に同じ形式のアンケートをとり続けた。
昨年報告した「脳死では自発呼吸はなく、心臓は動いている」という定義の認知度は、1980年代に比べると1990年以降はやや上昇していた。しかし、いわゆる「脳死法案」が国会を通過した1997年10月の前後でその認知度に大差は生じなかった。
一方、人格または「こころ」が存在する臓器は?という問いに対して、「脳」という答えの割合は1980年代は84%、1990〜1997年は75%、1998年以降は78%と大差なかったのに、「ひと」の死を「脳の機能が停止したとき」とする意見は、1980年代は約60%であったが、1990〜1997年は約48%、1998年以降は約40%と低下していた。
【結論】「ひと」のこころは脳にあると考える人の割合があまり変化していないのに、「ひと」の死は脳の機能が停止したときとする意見が近年になって減少するという予想外の傾向がみられた。これは「ひと」のこころは脳にあると理屈では思っていても、はたして心臓が動いている状態で死の判定を下すことがよいのかどうかと悩む微妙な感情のゆらぎを反映しているように思われた。
出典 中村 仁志夫(北海道大学医学部保健学科検査技術科学専攻)ほか:脳死と臓器移植に関する学生の認識(2)脳死は「ひと」の死か?について、医学教育、37(Suppl)、45、2006
北米で「脳死」宣告の日本人 3名が帰国後に意識回復
60代男性は自発呼吸あったが「脳死」 意識・記憶戻る
26日付の毎日新聞(東京夕刊)は、2002年から2005年の間に、米国やカナダ滞在中の日本人で、家族らが現地の医師から「脳死」と説明されたにもかかわらず、帰国後に意識を回復した人が3人いたことを報道した。東京都内で開かれた日本渡航医学会で、損害保険会社の担当者が報告した。
報告によると、旅行や仕事で米国、カナダに滞在中の旅行保険契約者9人が脳血管障害で入院。主治医は家族や損保の現地スタッフに「脳死」と説明した。うち3人の家族は「治療中止は納得できない」などと訴え、チャーター機で帰国。日本で治療を受け、意識が回復した。搬送費用の約2000万円は保険で支払われた。残り6人は、チャーター機手配に必要な額の保険に加入していなかったことなどから帰国を断念。現地で死亡したという。
意識が戻った60代男性の場合は、カナダで脳梗塞となり人工呼吸器をつけなくても呼吸できる自発呼吸はあったが、医師は家族に「脳死」と説明したという。しかし、男性は帰国後1カ月で意識が戻り、記憶も回復した。
回復した3例は病院の診断書に「脳死」との記述はなかった。病院側は損保に「保険会社で死の解釈が違う。治療費を保険で確実に出してもらうため、(病院としては)脳死かどうかは書かない」などと返答したという。
当Web注:1991年にハワイで、家族が臓器提供要請を拒否、治療を要求したことにより生還できた日本人のいることが総合ケア・2002年8月号に報告されている。
自発呼吸があるのに脳死判定された後に意識を回復した症例も、クリニカル エンジニアリング1996年5月号に報告されている。
「脳死状態でも、心停止を避けることができる!」
「臓器は独自のペースメーカーで機能し続ける!」
脳死判定基準を作った竹内氏が現状を認識
「周産期医学」36巻7号は“周産期のクリティカルケア”を特集。竹内 一夫氏(杏林大学名誉教授)はp837〜p841の“脳死妊産婦管理の問題点”において、同氏の調査では2001年までに我が国の1例を含めて14例の脳死出産例があることを報告。
そして「最近の高度集中治療の進歩によって、以前より長く脳死状態を維持することも時には可能になった。もともと種々の合併症に悩まされる脳死判定から心停止までの期間の長短は、すでに廃絶した脳の機能の問題ではなく、全身的要因に左右されることになる。したがって成人に比べて基礎疾患の少ない小児では、脳死の期間が有意に長いことが知られている。・・・・・・脳死状態でも循環、呼吸、内分泌機能が良好な状態に保たれていれば、心停止は何とか避けることができる。そして多くの臓器はそれぞれ独自のペースメーカーを持っているので、栄養と酸素が補給されている限り機能し続けることができる」と書いた。
当Web注1:竹内氏は「脳死状態でも循環、呼吸、内分泌機能が良好な状態に保たれていれば」としているが、内分泌機能は主に間脳の視床下部によって調節されている。「脳死状態でも内分泌機能が良好な状態に保たれて」いるのならば、それは脳死判定そのものが、脳の機能の不可逆的停止を判定できていないことを伺わせる。事実、生田 房弘氏は「週刊医学のあゆみ」172巻10号p641〜p646において「視床下部諸核は、脳死後24時間以内に剖検された6例はみな、おそらく生存していたとみなされた」と報告している。脳死判定そのものが間脳は対象としていないため、判定時に抗利尿ホルモンが正常域の症例もある(脳死判定後にホルモン分泌が回復したとみられる症例、抗利尿ホルモンの投与中止後も生存した症例もある。抗利尿ホルモンなどを人工的に補うことでも重症の脳不全患者は生存が可能)。
当Web注2:脳死判定に積極的な医学者の「脳死と心拍停止と死に関する見解」は、過去30年間以上にわたり以下のように曖昧さを増し続け、生物学的死とは乖離する一方だ。
1975年、武下 浩氏(山口大学医学部麻酔学教室)は「麻酔」24巻4号p317〜p322において、脳死判定後に人工呼吸器をやめる選択肢を示した後に「しかし、ここに別の考えがある。すなわち、脳死は慢性状態としてはありえないので、脳死と判定された後、現在の方法では一般に5日以内に心拍停止になるであろう。そのようなことであれば、脳死と判定されてから、しだいに治療を非積極的にして行くという態度でやった方が、いろいろな面でむしろ好都合というわけである。後者は確かに受け入れられ易い一面を持っている。つまり自然にまかせる技術の“すぐれた”医師のとる中間の道である。前者との差はたとえ脳死判定が行なえても脳死をもって死とはしないという考えである」と書いた。
1984年、杉本 侃氏(大阪大学医学部附属病院特殊救急部)は「外科治療」50巻1号p1〜p7において「最近、1ヵ月以上にわたる生存例が報告されるようになったが、脳死と診断された症例で心臓死をまぬがれた症例は世界中で1例も報告されていない。この事実は、心臓死をもって死と考えてきた多くの人達に、脳死が死であるという新しい考え方を受け入れ易くしている」と書いた。
2002年、竹内 一夫(杏林大学名誉教授)は「脳と神経」54巻7号p557〜p563において「脳死状態でも積極的に呼吸・循環機能を管理し、栄養管理と感染予防に努力すれば、全身状態が維持される限り心拍動を維持することは可能である。したがって、脳死判定から心停止までの期間は、脳損傷よりも全身状態の維持如何に最も関係が深いと言えよう」と書いた。
2003年、武下 浩氏(宇部フロンティア大学学長、山口大学名誉教授)は「日本臨床麻酔学会誌」23巻8号S105〜S106において「脳死論議の初期、なぜ脳死状態になると、短期間のうちに心停止にいたることが重視されたのか。当時としては事実であり、脳死を人の死とする説明に使いやすかったからである。しかし、問題は人工呼吸と栄養、感染防止対策程度で数ヶ月以上、小児脳死で300日にもおよぶ“生存”例が報告されていることである。脳死状態になると脳の統合制御機能が失われるので、短期間で心停止に至るとされてきた。この考えに反対の立場をとる者は以前からあったが、遷延性脳死を契機として再び議論されるようになってきた。生命機能の維持における脳の優位性を否定するものは脳死を人の死としない」と書いた。
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