第17例目「脳死」下での臓器提供 日本臓器移植ネットワークの発表資料
平成13年8月16日
社団法人 日本臓器移植ネットワーク
ドナーの方は関東甲信越地方の医療機関に入院中の40歳代の男性の方。
ドナーの方の原疾患は脳血管障害である。
ドナーは、臓器提供意思表示カードに脳死下での臓器提供の意思を表示。提供臓器として心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸に○が合った。(「その他」の項目は、記載されていない)
ご本人の署名、ご家族の署名がある。記載時期は、平成10年5月。
日本臓器移植ネットワーク関東甲信越ブロックに提供施設より連絡があったのは、8月15日 21時47分である。
日本臓器移植ネットワークのコーディネーターが説明を行った上で、8月16日 01時45分にご家族から脳死判定承諾書及び臓器摘出承諾書を受領。
ご家族からは、心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸の提供についてご承諾を得た。
8月16日 03時10分、第一回法的脳死判定を開始。
8月16日 05時48分、第一回法的脳死判定を終了。その結果、判定基準を全て満たしていると判定された。
8月16日 12時10分より、第二回法的脳死判定を開始。
8月16日 14時14分に第二回法的脳死判定を終了し、法的に脳死と判定された。
前庭反射、咽頭反射あり、臨床的脳死診断の9時間前から
脳死と説明し、臓器摘出目的の昇圧剤投与 新潟市民病院
2001年8月17日に新潟市民病院において脳死臓器摘出(第17例目法的脳死判定)された40代男性は、前庭反射と咽頭反射がありながら、臨床的脳死診断の約9時間前、法的脳死判定確定の約26時間前から、臓器摘出目的の昇圧剤投与がなされた。
新潟市民病院医誌23巻1号p67〜p72(2002年)掲載の「臓器提供及び移植委員会:脳死下の臓器提供(前編)」、によると、40代男性は脳出血、脳梗塞、高血圧症で2000年8月11日入院。8月15日10時30分呼吸停止、12時頃 主治医より妻に「脳死に近い状態である」と説明。妻よりドナーカード所有を告げられた。
新潟市民病院・臓器提供及び移植委員会委員長の今井 昭雄氏は、新潟県医師会報630号p10〜p14(2002年)掲載の「脳死下の臓器提供、その後」において、「新潟市民病院では、臓器提供が一段落した直後から院内での検証を開始し、経時的に事実関係を確認したうえで、院内の体制を整え、既成のマニュアルの見直しを行なってきた。その中で最も大きな問題としたのは、1つは、後で、『自分たちから言い出すまで、病院側からは臓器提供の意思について何も聞かれなかった』とご家族に言われたことであった。急変後、主治医は自分の患者さんをなんとか助けることができないのか悩みぬいていただけに、脳死に近い状態であることを説明した際、ご家族から『ドナーカードを持っているが、臓器提供ができないでしょうか』と言われて、戸惑いが隠せなかった(p10)」「臓器移植に対する患者さん本人とご家族の理解が大変深かったため、病院側もその意思を支援し、脳死下の臓器提供を支援することができた。しかし、死を前提とした医療に携わったことについて主治医は『これまで患者を助ける医療をしてきた。複雑な思いだ。』と語っている(p14)」と書いた。
新潟市民病院医誌23巻1号によると、院内(移植)コーディネーターと救命救急センター医へ相談後、「意志表示カードがなくても心臓停止下での腎臓、角膜の提供は可能であること、そのためには昇圧剤による血圧維持が必要であることを家族に説明し、家族にその希望があることが確認され、昇圧剤の使用を開始」。12時30分、院内コーディネーターから新潟県移植コーディネーターへドナー情報の連絡が行なわれた。
8月15日20時から救命救急センターで行なわれた(内部の)打ち合わせ会議では「前庭反射、咽頭反射以外では脳死状態」と現状報告。21時に前庭反射、咽頭反射の無反応を確認した。臨床的脳死診断は8月15日21時40分、法的脳死判定の確定は8月16日14時14分。
当Web注
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ドナー管理の内容によっては脳蘇生に反する処置となり、致死的結果を生じうる。新潟市民病院の40代男性は、早期のドナー管理により断末魔の苦しみを与えられた結果、8月15日21時に前庭反射、咽頭反射の無反応が確認された可能性がある。また、脳死判断により救命から臓器提供に方針転換するには、法的脳死が確定していないと違法とみなされる。
法的脳死が確定する前に、たとえ家族からドナー管理開始の要求があっても拒否すべきだ。新潟市民病院は、臓器提供に関わる各種行為の是非について、理解の程度が問われる。
- 新潟市民病院は「脳死」小児からの臓器摘出もすでに実施した可能性がある。
- 第7例目、第10例目の法的「脳死」下臓器摘出においても、臨床的脳死診断段階で臓器保存処置が開始された。
移植ネット会長が移植学会理事長を、右翼を使い制裁(月刊 現代 9月号)
「ボクがいなくなれば、政治家や官僚の介入を許すだけだ」(中央公論 9月号)
8月上旬に発売された月刊誌「現代」9月号は「移植医療に『君臨する』小紫芳夫会長の正体 日本臓器移植ネットワークと日本馬主連合会のただならぬ接点」と題する、フリージャーナリストこれひさ かつこ氏の記事を掲載した。中央公論9月号も「深層ルポ 臓器移植ネットワークは第二のKSDか 小紫芳夫・崖っぷちに立つ希代の篤志家」のタイトルで、ジャーナリスト伊藤 博敏氏による記事を掲載した。
「現代」9月号の記事の小見出しは「大学教授に制裁を下した」「移植医など必要ない」「中山太郎元外相と激論」「頓挫した日本版UNOS計画」「現場を仕切る甥の存在」「馬主連合会も『私物化』」「『トンネル寄付』のカラクリ」「厚生労働省は徹底的な検証を」。このなかで「小紫メモ」と呼ばれている日本臓器移植ネットワークの“極秘文書”の一部を紹介した。「小紫メモ」には、1973年から1999年の同ネットワークの活動内容、資金提供団体、小紫氏とおぼしき人物による「寸評」が添えられているという。
「小紫メモ」は、1995年に米国UNOS等が移植に使わなかった不適当な腎臓を輸入、患者に移植して日本移植学会理事長を退任することになった東京女子医科大学の太田 和夫氏を推測させる記事として「某大学教授によるUS腎問題起こる。当該大学教授に制裁を下した」と記しているという。US腎問題が報道された後、東京女子医大前には3週間にわたり連日、右翼街宣車が太田教授を名指しで批判し続けていた。これひさ氏は「小紫メモ」の内容を太田教授に質問したところ、「含み笑いを浮かべただけだった」という。
このほか記事では、1997年の日本臓器移植ネットワーク発足を前に、中山 太郎外相(当時)と激論したことを紹介。中山氏は小紫氏から「私はネットワークの私物化≠ニ言われるのは本意ではない。私≠フものを公≠ノしたのは、あなたたち政治家じゃないか」と言われたという。小紫氏の日本臓器移植ネットワークに対する意識を、自らの言葉で(伝聞記事だが)語らせている。
これひさ氏は、この「小紫メモ」を小紫氏の周辺から入手した。1985年に東京女子医科大学で死亡した小紫氏の三女(太田教授が主治医だったと伝えられる)の病歴が詳しく書かれているメモとのことで、そのとおりならば信憑性は高い。
中央公論9月号記事の小見出しは「東京地検特捜部の関心」「腎臓病で2人の娘を失う」「『和田移植の衝撃』」「ワンマン会長への反発」「馬主協会の内紛とバッシング」「ワンマン会長を戴く不幸」「小紫芳夫インタビュー」。
伊藤氏は「確かに、小紫に2人の娘の死という動機と資力があったからこそ『移植ネット』は基盤を築くことができた。その組織が小紫色に染まるのは仕方がなかったにせよ、敵を作ることをモノともしない小紫の強さが、『移植ネット』攻撃につながり、捜査当局の関心を呼び込んでしまったのは、善意≠フ臓器を「命のリレー」で渡すという清廉なイメージを保たねばならない組織にとっては、不幸なことだったのである」とまとめている。
以下は、小紫芳夫インタビューの要旨。
伊藤=今のお気持ちは。
小紫=非常に不愉快です。人助けをしているのに『馬主連合会』と『移植ネット』を無理に結びつけて、ボクが悪いことをしているかのような情報を流す人がいる。
伊藤=今年になって始まった小紫批判の原因は。
小紫=東京馬主協会における保手濱君との争いが原因でしょう。
伊藤=捜査当局が関心を寄せている。
小紫=一家総出で切手貼りから封筒入れをして腎臓移植の啓発普及活動からはじめた「移植ネット」を、そんな団体(KSD)と結びつけて欲しくない。
伊藤=移植ネットのあり方に問題はありませんか。
小紫=今の移植医療のあり方に不満はありますが、運営そのものに間違いはないと思っています。『小紫商店』と悪口を言われるが、ボクがいなくなれば政治家や官僚の介入を許すだけじゃないですか。
伊藤=妥協を許さない頑固な人柄が、敵を作ると指摘する人がいます。
小紫=これはもう直しようがないね。
伊藤=政官界工作をしたことはありませんか。
小紫=官僚、政治家に知り合いは多い。支援したこともあります。でもこちらから『移植ネット』のことで働きかけをしたことはありません。
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