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2012年11月27日 小松美彦著 生権力の歴史(脳死・尊厳死・人間の尊厳をめぐって)
私たちは、洗練されたナチズムの真っ只中にいるのではないか?
幼いながらもありったけの「生きる意志」を発散して生きる子どもが
累代の政治家・学者の「人間の尊厳」把握を土台ごと覆した!
2012年11月24日 医療の質からみた脳死下臓器提供プロセス シンポジウム開催
日本臓器移植ネットワーク:意思表示や選択肢提示の割合に変化なし
市立札幌病院:脳死診断を誤ったことがない、トラブルが1例もない
飯塚病院:全死亡退院患者5,000例のうち11例が臓器提供承諾
2012年11月15日

第40回日本救急医学会総会・学術集会
順天堂大学付属病院:患者家族 病状説明に85%は理解できた、再質問心苦しい家族も
名古屋市立大学病院:重度脳機能障害に陥った場合、医療側と家族の認識には解離がある
弘前大学:若年者は年齢を理由とした死を比較的受け人れやすい傾向、自分には治療希望
大阪大学医学部附属病院:急性期治療終了時に植物状態 治療継続すれば回復する可能性

2012年11月12日 法的「脳死」臓器移植患者の死亡は累計93名
膵腎同時移植、腎臓移植、各1名が死亡
2012年11月 3日 東北大 山家氏 労働集約的だから移植、人工心臓の成績よい
移植患者や人工心臓患者は、医者・医療従事者を搾取している
2012年11月 2日 弦切氏:救急医療は移植医療に対する中立性を担保すべきだ
山本氏:医療者は失う命と引き継がれる命にストレスを感じる
秋山氏:搬入時から院内コーディネーター介入し臓器提供3倍
第14回日本救急看護学会学術集会
   

20121127

小松美彦著 生権力の歴史(脳死・尊厳死・人間の尊厳をめぐって)
私たちは、洗練されたナチズムの真っ只中にいるのではないか?
幼いながらもありったけの「生きる意志」を発散して生きる子どもが
累代の政治家・学者の「人間の尊厳」把握を土台ごと覆した!

 11月27日、青土社から小松 美彦著「生権力の歴史 脳死・尊厳死・人間の尊厳をめぐって」が発行された。四六判/438ページ、目次はhttp://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791766789_index、以下は注目される記述の抜粋。

 

第一章 尊厳死法制化の歴史構造 その多面的検討
 第一節 安楽死と尊厳死の諸相

“そもそも尊厳死の議論は、患者の実態などがよく知られないままイメージのみに基づいてなされがちなのだが、植物状態の患者に関する議論がその典型に思われるからである”

http://www6.plala.or.jp/brainx/recovery2010.htmによれば、2006年10月の時点で、日本では何らかの治療法によって少なくとも170人の植物状態の患者が回復しているという。これは医学論文に挙がっただけの集計であり、論文に挙がらないものまで含めると、快復例はかなりの数におよぶと考えられる”

“私たちはおそらく、以上のような植物状態の患者をめぐる実態とほとんどしらないまま、あるいは知らされないまま、その尊厳死の是非について考ええきたのではないだろうか。してみると、また「尊厳死法制化を考える議員連盟」による「終末期」なるものも、多角的かつ綿密に考えねばならないだろう”

当Web注:当サイト内の上記URLには、2012年1月22日現在で404例掲載している(なお、他者との活発な意志疎通に至らない症例を含み、医師の診断だけでなく看護師や看護実習生の観察による症例も含む)。

 

 第二節 尊厳死法制化の思想と制度的背景

“1990年代の橋本首相に端を発し、小泉首相から安倍晋三首相に実質的に引き継がれ、さらに今日につながる「痛みをともなう改革」とは、これまで見てきたように、弱者の順に「見捨てる改革」「死なせる改革」にほかならず、尊厳死法制化はその改革の中心に位置づいているといえよう”

“そして、その背景にあるのは国家レベルでの経済的合理性にほかならない。経済的合理性と国民の生命を両天秤にかけ、経済的合理性を取ろうとしているのが近年の日本国家の趨勢なのである”

 

 第三節 白己決定権という罠、尊厳死推進の真意

“尊厳死した者は、それですべてが終わりというわけではない可能性すらある。尊厳死者の多角的利用という事態が控えているのである。多くの者は想像だにしなかったことではないだろうか”

“後に「操作的心臓死後臓器提供(Controlled Donation after Cardiac Death)」と呼ばれることになるこの方式は、植物状態の患者に加えて、一般的な重篤患者の人工呼吸器をもはずして心停止を起こさせ、心停止の直後から五分後ぐらいまでの間に、つまりまだ心臓のイキがよいうちに、臓器摘出に入るというものである。この場合、心停止の判定方法も暖昧で、心電図の確認や動脈圧の測定がなされていない場合が少なくない。しかも、これは移植医療の常識なのだが、臓器を移植に好適な状態に保つために、ドナーとなる患者に心停止前から血液凝固阻害剤や血管拡張剤を投与するという、患者自身の救命とは正反対の処置がなされる。たとえば、脳出血をきたした患者にこれらの薬物を投与すればいかなることになるかは、素人でも容易に想像できよう”

“日本でも尊厳死法案が上程されて可決成立した場合、何年か後にはその改定がなされ、改定臓器移植法のさらなる改定と連動させつつ、やがては尊厳死移植が合法化する可能性があるだろう。あるいは、とくに法規定せぬまま慣例化するのかもしれない。そしてそこでは、臓器移植にとどまらず、体細胞や生殖細胞に至るまで人間のあらゆる部分をさまざまな研究や産業に利用する途が開かれている。まさに人体が資源化され商品化され市場化されてゆく。人間の道具化の極みだろう。人間の道具化と「人間の尊厳」を秤にかけて、道具化が優先される趨勢にほかならない。そもそも「人間の尊厳」とは、あらゆるものと比較考量できぬ絶対的なものではなかったのか”

“そもそも尊厳死という発想自体が、「人間の尊厳」を否定するものではあるまいか。だが、そうではあっても、現実は尊厳死者の多角的なリサイクルへと向っている。そして、そこにこそ、医療・福祉の縮減化とともに、尊厳死推進の真意があるように思われるのである”

当Web注:日本では操作的心臓死後臓器提供ないし尊厳死移植は、少なくとも既に数百例規模で行なわれてきた(証拠資料は別ページ)。2006年の射水市民病院事件で、人工呼吸器停止をともなう心停止ドナーは一時的に激減したのが現状だ。
 野田総理大臣は2012年9月14日、阿部議員の血液凝固阻害剤ヘパリンの投与についての質問に対して、日本臓器移植ネットワークのドナー候補者家族に対する説明文書が不適切なことを認めて改善を約束した(過去数千例の心停止ドナー家族から承諾をえるための説明も不適切だったことも示す)。
 移植用臓器を摘出する目的で、心臓死の死亡宣告前の脳出血患者に、再出血を起こしかねない抗血液凝固剤を投与する、あるいは瀕死患者に低血圧にして心停止を起こしかねない血管拡張剤を投与する等を正当化する法的根拠は、説明文書の表現変更では無理と見込まれ、尊厳死臓器提供の合法化しかないと見込まれる。心停止ドナーから移植可能な心臓を摘出する場合にも、「移植してレシピエントの体内で良好に機能しうる心臓ならば、ドナーの体内で蘇生させたら一層良好に拍動し続けることができたのではないか」という疑問を解消するために、移植関係者は臓器を提供して亡くなることの許容、デッド・ドナールールの放棄を目指すしかなくなると見込まれる。  

 

第五章 生権力の厳かな発動源 「人間の尊厳」概念の歴史的検討

 第四節 戦後世界への浸透 世界入権宣言・フレッチャー・生命倫理

“(ポスト・フランス革命期の医学者グザビエ)ビシャは、心臓、肺、脳といった主要三器官の死をめぐる相互関係を討究し、脳の死は心臓や肺の死、さらには全身の死を必ずしも招かないが、逆に、心臓や肺の死は脳の死はおろか全身の死を必ずもたらすことを示した。生きものが生きるうえで、呼吸や循環といった有機生命(植物生命)の方が、運動や感覚や精神といった動物生命に比して、はるかに重要であることを近代科学的に明らかにしたのである”

“(生命倫理の創始者だといっても過言ではないジョセフ)フレッチャーは、少なくともアリストテレスから、二三〇〇年にもわたって続いてきた以上のような生命把握を、見事なまでに一八〇度転倒させた。人間を含めて生きものが生きていくうえで最上位にあった植物生命(有機的機能)を最下位へ、逆に、最下位にあつた人間に固有な精神(理性)を最上位へと反転させたのである。むろん、フレッチャーは、植物生命だけが存続しているとされる者が生きていることを心得ており、だからこそ、その安楽死を「正当化される殺人」と呼んだ。つまり、フレッチャーは、植物生命のみが持続している者はたとえ生きているとしても「ただ生きているだけ」にすぎないとしたわけだが、そうしうるには、植物生命を人間としては無価値な最下層のものとすることが、論理構成として必要だったのである。そこでは、生命に関する科学議論に、元来は科学とは無縁なはずの人間をめぐる価値評価を導入することによって、生命把握の反転と論理が成立している。そして、その価値評価の基盤をなすのが、「人間の尊厳」にほかならない。

“現代に生きる私たちは、「植物人間」「植物状態」「脳死」という言葉に、しかも、それらが蔑視の意味合いをともなって使用されることに、むしろ慣れている。しかし、慣れすぎることによって、かような植物生命だけとされる者への蔑視を、また、そもそも呼吸などの植物生命が最下位に置かれていることを自明視し、それがたかだかこの数十年の特殊事態であることに気づいていない。この点は批判者の多くも同様で、事実その証拠に、批判者は「植物人間」に加えて「植物状態」という呼称をも差別語として忌避し、「遷延性意識障害」なる元来は少々別の意味をもった言葉を用いがちである。だが、逆説的にも、そのような批判行為自体が、フレッチャーとその時代が創った反転構造に片足を置き、その構造を看過しつつ固定しているのではあるまいか”。

第二ヴァチカン公会議/ヨハネ・パウロ二世は、(中略)奇形児、重度障害者、高齢者などが安楽死させられる傾向にあることを批判したうえで、脳死状態に至る以前の者から臓器摘出がなされている現実についてもこう説いている。すなわち、本書第一章で論じた「尊厳死移植」に対してである。「これとは別のごくひそかな、しかし現実に行われる深刻な安楽死の形態についても、黙っていることはできません。そのような安楽死は、たとえば移植に必要な臓器の有効性を増すために、提供者の死を確定する客観的で適切な基準と対象に対する敬意を欠いて臓器が摘出されるような場合に起こりうる可能性があります」”

しかしながら、原則的な立場を貫いているかに見えるヨハネ・パウロ二世に対して、批判せざるをえない大事がある。そして、それらは、カソリック一般の、ひいては「死の文化」からの出口を模索する私たちすべての、根本に係わると思しきことにほかならない。まず問題となるのは、「死の文化」の一環として、脳死以前の尊厳死移植に心を痛めたヨハネ・パウロ二世が、少なくともこの回勅においては、脳死者を死者とする規定そのものには一切言及していないことである。しかも、在位中の一九八一年に米国大統領委員会が公表した脳死を死(の基準とする論理規定も黙視したことである”

“はたして、問題の根本は、「人間の尊厳」が蔑ろにされてきたことではない。また、その重視が徹底されてこなかったことでもない。それとは正反対に、私たちの意識として、そして制度として「人間の尊厳」がむしろ重視されてきたことなのである。しかし、重視されればされるほど、「死の文化」が猛威を振るったことである。この歴史と現実を見つめ、引き受けないかぎり、「死の文化」からの出口は方向性すら見出せないように思われてならない”

“古代ギリシア以来、(中略)善く生きること(中略)が重視されることはあっても、生きていることそのもの(中略)が否定されることはまずなかっただろう。しかも、(中略)植物生命が最重視されてきたのである。この基本は、ビンディング/ホッへにおいても同様で、障害者を「とてつもない重荷」や「精神的に死せる者」と唾棄しようとも、眼目はあくまでもその者たちを実際に「抹消」することであり、一絡げに死者と規定することではなかった。ナチスもまた同じく、障害者もユダヤ人も生きていることを十分に承知していたからこそ、その"処理"を秘密裏に行った。ビンディング/ホッへもヒトラーも、実際に生きている者を死者と法規定することまでは発想すらしなかったのである”

“ところが、戦後にあっては、(中略)ついに脳死者を死者と法律で規定し、この規定論理が世界を覆った。こうして世界では、ナチスによって安楽死させられた人数以上の脳死者から−−麻酔や筋肉弛緩剤の投与のもとで−−、心臓や肝臓などの臓器が摘出されつづけている。合法的に、公然と、そして美談として。繰り返すが、ヒトラーでさえ、実際に生きている者を死者と法規定することはなかったのである。対して現代では、法が民主的に整備されているがために、殺人が殺人とならないにすぎないのではないか。そして、以上の歴史に貫通しているのが、ほかならぬ「人間の尊厳」である”

“かくして、やはり私たちは、裏返ったナチズムではなく、ナチズムそのものの延長線上にいるのではないだろうか。しかも、常識的な感覚に反して、本家本元以上に洗練されたナチズムの真っ只中にいるのではないか。まさに真っ只中にいるからこそ、それと気づきにくいだけではあるまいか。こうした問いに疑問をもち、ナチス期の障害者やユダヤ人と現代の脳死者などとの間に差異を見出そうとするなら、すでにその時点でかの弁別装置に巻き込まれているだろう。それが生権力なのである”

“では、いったい、「ナチズムを本当に打倒するために」「死の文化」から「いのちの文化」に転換するために、「「もう二度とそんなことがあってはならない!」と繰り返し叫」ばないために、私たちは何をなすべきなのだろうか。その契機は私たちのすぐ傍らにあるのではないか。ハイデガーが深き思索の批判的原点に据えつつもそこへと回帰することはなく、累代の生政治家たちが異口同音のごとく蔑んできた、「ただ生きているだけ」の存在者である。とりわけその極北、長期脳死者である。この「身体」と「植物生命」(ゾーエー)だけで生きる者たちをただ静かに見つめること、これこそが「人間の尊厳」の概念内容を転成させる機縁になるように思われる。ナチズムが、死の文化が、もう二度とそんなことがあってはならないことが、「人間の尊厳」に淵源するなら、この弁別と排除の元凶を変革することが何にもまして必要ではないだろうか”

“そこで正視すべきは、たとえば、生後二〇日目に、「脳波は平坦、〔脳の〕萎縮も始まっている。目は見えない、耳は聞こえない。今後目を覚ますことも、動き出すこともありません」と宣告された、長期脳死の幼児・西村帆花である(ただし、正式には脳死診断されていない)。その母堂の手記「長期脳死の愛娘とのパラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って」には、愛称「ほのさん」と、この「眠り姫」を取りまく人々との日々が綴られている”

“ 顧みれば、ハイデガーは、「ただ生きているだけ」に理性などを付加(足し算)する形而上学の人間把握を峻拒し、人間(現存在)に即して人間を存在論的に把握した。そして、そこからの「欠如的解釈」つまり「引き算」によって、生きものや「ただ生きているだけ」に迫ろうとしたのだった。だが、ハイデガーは、「存在の牧人」としての「人間の尊厳」に辿り着いたものの、「ただ生きているだけ」の存在論的探究に戻ることは終生なかった。対して西村理佐は、人間を一般化してそこからの「引き算」によって何かを規定しようとする発想そのものを事実上否定したのである。この根本批判は、健康の基準が人間一般の常態か個人のそれかという論争に愛娘の実存をかけて立場表明したことになるのみならず、累代の生政治家の「人間の尊厳」把握を土台ごと覆したものにもなっている。すなわち、既存の「人間の尊厳」概念はすべて、「精神(理性・自己意識・生きる意志)」や「全体としての有機体」などが備わっていることによって成立しており、したがって、それらが消失した状態つまり引き算された状態は、「人間の尊厳」自体がないと把握されるのであった。連綿と続いてきたこの引き算の伝統に、彼女は「ただ生きているだけ」すなわち「いる」ことを対置しているのである。そればかりか、そうした事態を、とりもなおさず「いのちの尊厳」(同書一五九)と呼んでいる”

“同様のことは、第三章でも紹介した長期脳死の幼女・中村有里の母堂・中村暁美によって、さらに端的な一言で語られている。有里は脳死診断後一年九ケ月を経た後に四年五ケ月の生涯を閉じるが、まだ彼女が自宅で療養生活を続けている頃、母はテレビインタビューにこう応えているのである。「娘は生きる姿を変えただけなんです」(「この子は生きている 長期脳死児と生きる家族「テレビ愛知、二〇〇八年八月一五日)、と。この一言は、「ただ生きているだけ」、"いること"それ自体に対する極上の礼讃であろう”

“この「人間の尊厳」に関してさらに着目すべきは、中村有里が永眠した直後に人々が発した不思議な声である。(中略)人々が口を揃えたかのように発したこの「ありがとう」とは、はたして何であろうか。幼いながらもありったけの「生きる意志」(ゾーエー)を発散させて、境遇と闘いぬいた彼女の生涯に対する感動、そしてまた、医療者たち自身の存在がその「生きる意志」に支えられて成り立ってきたことに対する感謝の念、これらの自然な発露であろう。1つの生と死を介して、人々の間に浮かび上がったこの共鳴関係こそが、「人間の尊厳」なのである”(p353〜p354)

 


20121124

医療の質からみた脳死下臓器提供プロセス シンポジウム開催
日本臓器移植ネットワーク:意思表示や選択肢提示の割合に変化なし
市立札幌病院:脳死診断を誤ったことがない、トラブルが1例もない
飯塚病院:全死亡退院患者5,000例のうち11例が臓器提供承諾

 2012年11月23日、24日の2日間、大宮ソニックシティ(埼玉県さいたま市)で、第7回医療の質・安全学会学術集会が開催され、シンポジウム14 「医療の質からみた脳死下臓器提供プロセス 臓器提供の意思確認を中心として」は24日に開催された。以下は医療の質・安全学会誌第7巻増補号より、同シンポジウム抄録の注目部分(タイトルに続くp・・・は掲載 ページ)。

*芦刈 淳太郎(日本臓器移植ネットワーク):改正法施行後の日本の臓器提供の現状、p148

 旧法下での脳死下臓器提供は、約11年間で86件であったが、改正法下では、2012年7月末までの約2年間で92件と大幅に増加した。旧法下の86件と改正法下の92件を比較検討した結果、本人の書面による意思表示の割合が、100.0%から12.5%に下がり、医療者側からの選択肢提示の割合が、8.1%から43.5%に増加した。一方で、脳死下臓器提供と心停止下腎臓提供の合計は、旧法下の2009年が105件、改正法下の2011年が112件と横ばいである。さらに、2009年と2011年の比較で、本人の書面による意思表示の割合、医療者側からの選択肢提示の割合ともに、有意差は認められなかった。
 つまり、臓器移植法の改正によって、本人の書面による意思表示の割合や医療者側からの選択肢提示の割合が変化しているわけではなく、旧法下では、家族が脳死下臓器提供の希望がありながらも本人の書面による意思表示がなく、心停止下腎臓提供に至っていた事例が、脳死下臓器提供に移行したと考えられる。
 一方、隣国の韓国では、2011年6月に臓器移植法が改正され、Requred Referral Act(連絡義務法)が加わった。臓器提供の可能性のある患者がいる場合には、病院から臓器あっせん機関に連絡することを義務化した法律である。そのため、脳死下臓器提供は268件 (2010年)から368件 (2011年)と37%増加した。
 患者や家族の権利であるという観点から考えると、臓器を提供する機会があることを告げることが望ましく、我が国の臓器移植法の運用に関する指針 (ガイドライン)でも、「主治医等が、家族等の脳死についての理解の状況等を踏まえ、臓器提供の機会があること、及び承諾に係る手続に際してはコーディネーターによる説明があることを口頭又は書面により告げること」とある。当然のことながら、最終的に提供するかしないか、どちらの結論であってもその意思は尊重されなければならない。

 

*鹿野 恒(市立札幌病院救命救急センター):「臓器提供」における“質”とは、p148

 2005年より臓器提供の取り組みを開始し、この7年間に脳死下臓器提供5件、心停止後腎臓提供30件、1年間に平均5件の臓器提供を行っている。しかし、年間1回以上の臓器提供のある病院は13病院しかなく、年間2回以上の病院はわずか4病院である。そのような現状の中で、果たして臓器提供の“質”を問うことができるのであろうか?今まで行ってきた当院における臓器提供時の流れと“質”について下記に挙げた。

  1. 救急医療。徹底した救急医療が行われている(心停止患者の救命率は極めて高い)。脳死下臓器提供時も救急医療を止めることはない。
  2. 脳死診断。脳死が疑われる患者に対して、必ず臨床的な脳死診断を行う。脳波検査はどこででも行うことができ、時間を要さない。臨床的に「脳死診断」を誤ったことがない。
  3. 終末期医療。脳死診断をふまえ“終末期であること”の「告知」を真摯に行う。終末期医療の“場所”と“空間”をできる限り配慮し、撮影などを提案する。
  4. 終末期医療における「臓器提供の意思確認」。臓器提供の可能性のある患者の家族には必ず意思確認を行う。“話し難い”家族にも必ず同席しもらい意思確認を行う。意思確認の“時”と“場”を十分に配慮する。意思確認による臓器提供の承諾率は6〜7割であるが、説得したり提供を促したことは一度もない。
  5. 臓器提供と患者・家族ケア。臓器提供が成就するよう「臓器管理」を行うが、あくまで“患者”の「管理とケア」を行う。家族・親族・友人のための時間を尊重し移植側に配慮を求める。礼意のない移植CO、移植医には病室から退室願う。家族が臓器提供を撤回する場合、いかなる場面でも即座に対応する。臓器搬送の見送りにも配慮し、“家族のお手紙”や“献花”を添える。帰室後に家族とともに「エンゼルケア」(メイクやシャワ一)を行う。
  6. 情報公開。情報公開をできる限り行う(臓器移植法改正後、初の病院名公表)。家族の承諾のもと、メディア等を通じて「情報提供」を行っている。
  7. 総括。今までトラブルが1例もない、今まで臓器提供があっても日常診療に支障をきたしたことはない。
     

当Web注:市立札幌病院における、法的脳死臓器判定74例目は薬物影響下の患者に脳死判定を強行した可能性がある。脳波測定方法は粗雑心停止ドナーへの死亡宣告前からドナー管理も行ない、同病院の院内移植コーディネーターは「臓器提供することを承諾した後も、本当に良いのか葛藤している言葉があった。他の患者と同様に、看護師はケアを行っているが、脳死は人の死であることが前提の移植医療、移植のための臓器管理や本人の意思がはっきりしていないことに関し、戸惑いやジレンマを感じている看護師もいた」と報告している。同病院で「脳死」腎移植を受けた30歳女性は、尿管を膀胱ではなく誤って腹膜につながれて、再開腹手術が行なわれていたことも2010年に報告されている(同病院内の脳死ドナーからの摘出・移植例の可能性がある)。「今までトラブルが1例もない」とは、ドナーファミリー他の無知に依存した誇大宣伝ではないか。

 

*名取 良弘(飯塚病院脳神経外科):臓器提供の意思確認(オプション提示)の標準化、p149

 死後の臓器提供には、医療関係者による臓器提供の意思確認(OP提示)によるものと、家族の申し出によるものがある。OP提示には決まったものがなく、医師により様々に行われている。救急の現場では患者家族へ誤解を生じさせたくないため、OP提示に抵抗感を持つ医師は数多く存在している。我々の施設では、担当医の役割とOP提示をする役割を分離する目的で、行政作成のパンフレット【福岡県からのお知らせ】を使用してOP提示を行う標準化を行い、全病院的に実施した。

【対象、方法】2006年10月から2012年8月末までの71ヵ月で救命困難でありポテンシャルドナーであると主治医が判断した患者家族に対して、終末期医療の説明終了時に、行政(福岡県)作成のパンフレットを渡した。主治医には、イントラネットでの報告を義務付けたが、返事を家族から求めることを禁じた。

【結果・考察】OP提示105件(1.4件/月)、うち承諾11件(ドナーカード所持O件)であった。期間中、死亡退院した患者の主治医に行ったアンケート調査により、ポテンシャルドナーと考えられた患者の約3割の患者家族にOP 提示が行われていた。患者状態の急変により、約半数の患者においてOP提示が行えていなかった。患者状態や担当医の判断に任せるOP提示のため、率の上昇は簡単ではない。しかし、この期間中の本院の全死亡退院患者数、約5,000例に対する11例の承諾という率を全国の年間死亡者数約110万人に当てはめると、年間約2,400件の承諾となる。現状の約20倍の数字である。OP提示標準化の重要性が強く示唆される結果と考えられた。

 


20121115

第40回日本救急医学会総会・学術集会
順天堂大学付属病院:患者家族 病状説明に85%は理解できた、再質問心苦しい家族も
名古屋市立大学病院:重度脳機能障害に陥った場合、医療側と家族の認識には解離がある
弘前大学:若年者は年齢を理由とした死を比較的受け人れやすい傾向、自分には治療希望
大阪大学医学部附属病院:急性期治療終了時に植物状態 治療継続すれば回復する可能性

 2012年11月13日から15日までの3日間、第40回日本救急医学会総会・学術集会が国立京都国際会館(京都市)で開催された。以下は日本救急医学会雑誌23巻10号より、注目される発表の要旨(タイトルに続くp・・・は掲載 ページ)。

 

*安田 雅一(順天堂大学医学部付属浦安病院救命救急センター):救急領域における終末期医療のコミュニケーションに関する検討、p464

 2008年4月から2011年3月までに当救命救急センターに入院し死亡退院となったCPA患者および脳死状態となった患者の家族58名に対し、郵送による質問紙調査を行ない、20名からの回答を得た(有効回答率34%)。病状説明については17名(85%)が理解できたと回答した。病状説明文書については、「専門用語が多く字も読みづらい。再度質問するのが心苦しい」との意見もあった。Pad PCを用いたコミュニケーションについては、9名(45%)が使用したいと回答した一方で「医師から直接説明してもらう方がわかりやすい」との意見もあった。

 

*服部 友紀(名古屋市立大学病院救命救急センター):当院のCPA蘇生後管理の方針決定・と問題点、p464

 2010年4月から2012年3月までの2年間に搬送されたCPA288例のうち、心拍再開後5日目まで生存した40例を対象として、蘇生後管理として積極的治療を行ったP群(16例)とDNARとしたD群(24例)に分類した。さらにD群をDs群(人工呼吸器設定変更・栄養投与などの生命維持を行った7例)とDwh群(withhold17例)に分類し、各群で経過中に方針を変更した例について検討した。
 P群において;経過中にD群へ変更となった例は10例、D群からP群への変更は0例。Dwh群17例において、Dsへの方針変更を家族へ提言した例は8例あったが、6例で承諾が得られなかった。Ds群7例において、家族がDwhを希望した例は3例であった。方針の変更を考慮した症例は、すべて重度脳機能障害 (CPC4)であった。
 CPC4の状態に陥った場合、医療側と家族の認識には解離があり、現状では症例の状態と社会的背景に配慮しながら個々に対応せざるを得ない。院内における第三者による判断機構のさらなる整備が必要である。

 

*加藤 博之(弘前大学医学部附属病院総合診療部):若年者は救急医痛における高齢者の終末期医療をどう考えるのか、p505

 2006年4月〜2011年4月に弘前大学の非医学生375名(平均年齢19.4歳)を対象とし、「交通事故で回復不能な外傷を負った90歳の曽祖父」という架空の事例を提示、(1)今後の治療方針についての希望、(2)自分が同様の状況に陥った場合に望む方針、(3)「尊厳死」という言葉を知っているか、(4)「高齢者」とは何歳以上をイメージするか、(5) 治療方針の決定には年齢を考慮すべきか、を尋ねた。
 63.6%の者が「患者の治療方針の決定には年齢を考慮すべき」と回答しており、過去の患者家族を対象とした同内容の調査とは対照的であった。今後の治療方針として積極的な治療を望まないとする者が82.4%であったが、自分が同様の状況になった場合にはこの割合は61.9%に下がり、代わって一切の治療を中止して欲しいとする者も18.7%存在していた。
 高齢者とその死を当事者意識を持ってイメージしにくい若年者にとっては、年齢を理由とした死を比較的受け人れやすい傾向が窺えた。

 

*塩崎 忠彦(大阪大学医学部附属病院高度救命救急センター):頭部外傷後に1ヵ月以上植物状態が遷延している患者は、10年後どうなっているか?、p542

 当院に搬送され、重症頭部外傷受傷から1ヵ月後に植物状態を呈していた35例(平均年齢45±19、男/女=27/8)を前方視的に追跡調査した(最低10年)。
 10年後のDisability Rating Scale score(30点満点)は、障害なし(0点)1例、障害軽度(1点)なし、部分的な障害(2、3点)なし、目立つ障害(4〜6点)4例、やや重い障害(7〜11点)1例、かなり重い障害(12〜16点)5例、極めて重い障害(17〜21点)3例、植物状態(22〜24点)2例l、重度植物状態(25〜29点)なし、死亡(30点)17例、途中離脱2例であった。2例が社会復帰を果たしたが、1例は残念なことに受傷5年4ヵ月後に脳梗塞で死亡した。
 急性期治療が終了した時点で植物状態を呈していても、諦めずに治療を継続すれば中枢神経機能が回復する可能性が十分にあると我々は考えている。

 

当Web注:この学術集会で発表された、社会保険中京病院の「当院初の脳死下臓器提供を経験して」は脳死になる前から始められたドナー管理に、名古屋大学医学部付属病院の「HBVによる劇症肝炎を血液濾過透析で救命した1例」は肝臓移植回避例に掲載した。

 


20121112

法的「脳死」臓器移植患者の死亡は累計93名
膵腎同時移植、腎臓移植、各1名が死亡

 日本臓器移植ネットワークは、11月12日に更新した移植に関するデータページhttp://www.jotnw.or.jp/datafile/offer_brain.htmlにおいて、法的 「脳死」臓器提供にもとづき膵腎同時移植、腎臓移植を受けた患者の死亡が、それぞれ1名増加し、法的「脳死」臓器移植患者の死亡は、心臓7名、肺30名、肝臓31名、膵腎同時7名、腎臓14名、小腸4名の累計93名に達したことを表示した。

 これまでの臓器別の法的「脳死」移植レシピエントの死亡情報は、臓器移植死ページに掲載。

 


20121103

東北大 山家氏 労働集約的だから移植、人工心臓の成績よい
移植患者や人工心臓患者は、医者・医療従事者を搾取している

 東北大学加齢医学研究所心臓病電子医学の山家 智之氏、三浦 英和氏、そして東北大学サイバーサイエンスセンターの吉澤 誠氏は、2012年11月3日付の「医学のあゆみ」p485〜p493に“遠心ポンプ式の全置換型人工心臓の自律神経による制御”を発表した。以下の枠内はその一部分。

市販の人工心臓を応用した完全置換型人工心臓の可能性

 ターボポンプを応用した埋込み型の人工心臓が市販され、日本でもサンメディカル社のエバハートが現在、販売可能な唯一の遠心式の補助人工心臓として国内の移植指定施設などで保険収載されている。
 日本は皆保険制度があるので、日本人ならだれでも人工心臓の手術を受けることができることは強調しておいてもよい。保険で支払えるので、高額医療制度のもとで、実質的には世界標準で比較すればほとんど無料に等しい医療費で人工心臓の埋込みを行うことができる。ちなみにアメリカの保険制度ではメディケア、メディケイドとも保険のランキングによる医療行為が規定されているので、実質的にお金持ちでなければ、人工心臓も心臓移植も手術を受けることはできない。日本では国民皆保険の下、全国民が収入にかかわらず、心臓移植でも人工心臓でも受けることができる。

完全置換型人工心臓(total artificial heart:TAH)の必要性

 日本は実は心臓移植でも人工心臓でも、その長期成績は世界一である。これは日本の医師が優秀である面もあるが、それだけではなく、移植指定施設や人工心臓指定施設がほぼ大学病院だけに規定されているので、医師や研修医が実質的に無料奉仕に近い形で労働集約的に移植患者や人工心臓患者に集中している側面は見逃せない。すなわち、大学病院ではただ働きの研修医、後期研修医、大学院生の医者の数が多く、そのほとんどすべてが、実質ただ働きで移植患者や人工心臓患者を診療しているのである。ある意味では患者が医者を搾取しているともいえるシステムになっている。その結果、大勢の医者、医療従事者が集中して患者をみるので、移植、人工心臓とも長期成績が上がる理由の一環となっている。
 臨床成績が良好な日本の移植や補助人工心臓の現状ではあるが、それでも補助人工心臓だけでは救命しきれなぃ重症の両心不全患者はいつも発生している。両心不全の重症患者では左心の補助人工心臓だけでは循環を維持できず、右心から左心房に循環が回ってこないので、救命し切れない結果にもなる。そこで両心補助の人工心臓も試みられているが、公平にみて両心室とも補助人工心臓で循環を維持するのは管理がたいへんである。全置換型のTAHも開発は試みられているが、日本で臨床可能なレベルのシステムはまだない。そこで、システムの安定性が証明されているエバハートを完全置換型人工心臓に応用する可能性の研究が着手されている。

 


20121102

弦切氏:救急医療は移植医療に対する中立性を担保すべきだ
山本氏:医療者は失う命と引き継がれる命にストレスを感じる
秋山氏:搬入時から院内コーディネーター介入し臓器提供3倍
第14回日本救急看護学会学術集会

 第14回日本救急看護学会学術集会が2012年11月2日と3日、東京都江東区のTFTビルで開催された。以下は日本救急看護学会雑誌14巻3号より、注目される発表の要旨(タイトルに続くp・・・は掲載 ページ)。

 

*弦切 純也(東京都八王子医療センター救命救急センター)、櫻井 悦夫(東京都八王子医療センター・日本臓器移植ネットワーク東京都臓器移植コーディネーター)ほか:東京都八王子医療センター救命救急センターでの脳死下臓器提供の経験、p82

 救急医療における臓器提供の議論は、移植医療を支えるという観点から議論がなされることが多いが、救急医療は移植医療に対する中立性を担保すべきであり、「救急医が患者に臓器の提供を薦める」という考えはわれわれにはない。医療における適切な情報提供を受けることは患者家族の権利であり、家族承諾による提供が可能になった現在では、臓器提供に関する情報提供はオプション提示という付加的業務ではなく、怠ってはならない通常業務と考えている。

当Web注:東京都八王子医療センターの移植コーディネーターは1993年8月20日、柳田 洋二郎氏(当時25歳)からの臓器摘出に際し、臓器を獲得する目的から、急性動脈閉塞でショック死させることについて正確な説明をしなかったと見込まれる。現代においても、外傷患者・脳出血患者に原則禁忌の抗血液凝固剤ヘパリンを投与する危険性は説明しない文書を用いており、「救急医療は移植医療に対する中立性を担保」しているとはいえない。

 

*山本 小奈美(済生会八幡総合病院看護科):臓器移植法が改正されて何が変わったか?、p83

 当施設でも、昨年脳死下での臓器提供を経験した。福岡県の移植コーディネーターの協力もあり、脳死判定から臓器提供までの対応に支障はなかったが、その過程においては、幾つかの問題点も浮き彫りになった。1点目は、臓器提供に関わる他職種間の調整に関する問題である。脳死下での臓器提供は、心停止下での臓器提供に比べ、多くの医療者と職種が関わることから、脳死判定と呼吸・循環管理のための人員確保、通常業務との重複等であった。2点目は、看護師が、患者の死亡宣告後の呼吸・循環管理つまり治療からドナー管理へ移行することへの葛藤を抱えながら、臓器提供を決断した家族への対応に苦慮していた点である。3点目は、臓器提供に携わった医療者から、臓器提供に関する知識や経験が少なく、臓器提供という命のリレー(失う命と引き継がれる命)にストレスを感じている者もいた。

当Web注:法的脳死判定による死亡宣告後に、治療を終了しドナー管理を開始することは合法化されているが、それでも「治療からドナー管理へ移行することへの葛藤を抱え」ている理由は、「治療からドナー管理への移行について、患者家族に十分な説明を行なっていない後ろめたさ」と「脳死判定基準を満たしても人の死とは認識していない」ためと想像される。「臓器提供という命のリレー(失う命と引き継がれる命)」と表現することも、死についての混乱の表れと見込まれる。

 

*秋山 政人(新潟県臓器移植推進財団):臓器移植法が改正されて何が変わったか?新潟県におけるDonor Action Programから、p85

 2000年より県内の基幹病院・新潟県行政とともに臓器提供意思を無理なく拾い上げるシステムを構築すべくDonor Action Programを開始した。活動の特徴は、臓器提供者増に焦点を当てることではなく、提供しやすい環境づくりを県内に展開することである。すなわち移植医・県行政と共に、救急施設には“救急における終末期医療”の構築、県民へは“臓器提供意思の表示”を広く呼びかけることであった。院内コーディネーター(以下院内Co)の活動にも県行政施策として取り組んだ。

 特に院内Coの活動視点として、その介入ポイントに着目した。一般的に院内Coの活動は、患者の予後不良診断後からの動きにフォーカスされていた。しかし救急搬入患者家族の多くは突然の発症、すなわち非日常の出来事を受け止めなくてはならず、また医療機関からすれば治療の限界点で移植医療が介在してくるのに違和感を感じるのは当然である。したがって院内システム構築の際には、患者搬入時からの取り組みが必要で、そのプロセスからポテンシャルドナーを見出し、患者・家族への治療とケア、臓器提供へとつながる流れを構築してゆくように活動してきた。すなわち医療の中で臓器提供だけに特化することなく、救急医療現場での一連の医療行為の中で終末期に至った場合、選択肢の一つとして臓器提供が位置づけられ、質の高い家族ケアやスタッフサポート、院内教育などが実施できる人材育成にも力を入れてきた。
 また平成24年度厚生労働科学研究費補助金難治性疾患等克服研究事業(免疫アレルギー疾患等予防・治療研究事業)「移植医療の社会的基盤に関する研究」(篠崎班)において、院内Coを臓器提供に特化した役割でなく、救急現場で患者搬入からの一連の流れの中で、“治療と家族ケア”を救急施設内で有効に機能させるための人材の育成にも研究テーマを設け、さらに研究を進めるにあたっては、日本救急医学会、日本臨床救急医学会、日本救急看護学会の協力を得て、その検証にも相当の力点を置いて今年度の研究活動がある。その名称は 「クオリティーマネージャー」である。
 結果、新潟県における平成23年度の臓器提供数は7例(脳死下1例含む)と過去最高の提供者数であった。人口100万人換算で2.96/pmpと我が国の平均の約3倍となった。

当Web注:日本臓器移植ネットワークの朝居氏らは「今日の移植」11巻6号において、米国東部の事例で、臓器提供オプション提示は外部の臓器移植コーディネーターが行い、その際に「臓器移植コーディネーターとは名乗らずに、“終末期における家族支援の専門家”という立場で家族にアプローチする」「家族に紹介してもらうときに臓器移植コーディネーターという言葉を使ってもらわないようにする」など報告している。

 


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