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「脳死概念の崩壊」に替わる、「社会の規律として強要される与死(よし)」の登場

はじめに

1、「心停止後の臓器・組織提供」と称して1960年代から行われてきた「脳死」臓器摘出
 
2、脳死判定基準への批判が強まり、脳死概念が崩壊するなか、始まっている与死(よし)

3、脳血流検査は、「脳死」判定を延命し、安楽死・尊厳死を拡大、強要する
 

はじめに


 マスメディアの報道により形成された、普通の市民の臓器移植や脳死についての現状認識と、実際に行われていることには大きな隔たりがある。「脳死」判定および臓器移植について批判的な意見を持つ人々の間でさえ、現状認識がなされていない事項が多い。世代間のギャップも生じつつある。

 さらに現実は、「脳死は人の死か」という医学的・哲学的レベルの話ではなく、日本移植学会雑誌に「一定の判定基準を満たした者に、社会の規律として死を与える与死(よし)」の思想が発表されたごとく(移植40巻2号p129〜p142)、群馬大学医学部救急部が「大脳死」症例を発表したごとく(日本臨床救急医学会雑誌 第9巻第2号p220)、過去の「脳死」論議に囚われていては理解も追いつかない、優生思想の強まる社会に突入しつつある。科学的・哲学的な偽装を剥ぎ取られてきた「脳死」が、安楽死・尊厳死の衣を被りなおして生き延びようとしている。

 過去の臓器摘出・移植や脳死判定に関する情報を見直し、間違った現状認識を正し、知識を共有し、現在進行している事態から近未来に起こりうることを見通さないと、今後の対応 を誤るであろう。現状認識を共有したいと考え、以下の小文を提示します。

 

1、「心停止後の臓器・組織提供」と称して1960年代から行われてきた「脳死」臓器摘出

 日本では1960年代から「心臓の拍動が停止した死後の臓器・組織提供」が行われ、死体腎提供者は累計二千数百名(うち小児は百数十名)にのぼる。このほか膵臓、肝臓、組織のドナーもいる。死後の臓器提供と称するものの「心臓が徐々に止まり安らかに死を迎えた後に臓器提供」という手順では、臓器や組織に血液が凝固し、機能が低下して移植に使えない。このため心臓が動いている段階で「臓器冷却と脱血目的の管を挿入」「血液凝固を防止する薬剤のヘパリンを投与」など、ドナーの救命目的ではなく移植患者・レシピエント目的の、違法性が阻却されない行為がなされてきた。ドナーの生存中から、救命に反するが臓器の鮮度維持に役立つ全身管理を、ドナー家族に隠して行った施設もある(移植13巻5号p235〜p239および日本外科学会雑誌79巻11号p1417〜p1425)。

 3徴候死ではない状態での臓器摘出として「人工呼吸器をつけたまま摘出」あるいは「人工呼吸器を外し心臓が完全に停止しないうちに摘出」「心停止しても心臓マッサージ、人工心肺」「麻酔をかけて臓器摘出」などが行なわれてきた。自然死後の緊急手術としての臓器摘出ではなく、予定手術の臓器摘出も行なわれてきた(移植19巻6号p470)。心臓拍動中の 動脈閉塞、脱血、人工心肺で全身を冷却して心停止させて臓器を摘出したケースもある(移植4巻3号p218〜p219)。

 日本移植学会元理事長の太田和夫氏は1997年9月29日の座談会“臓器移植法の成立と今後の臓器移植の問題” (今日の移植10巻6号p805〜p820)において「法律というのは、基本的には後追いでできるもので、まず最初に事実をつくる必要がある、と法律家にいわれました。私たちが脳死で腎臓移植を始めたのはそのためです。しかし心臓移植や肝臓移植をやって事実をつくると大変なことになるので、現在行なわれている腎臓移植でもって事実を積み上げていったらいいかと思い、実質的には百数十例ぐらいやりました」と述べ、心停止後の死後の臓器・組織提供と称して、「脳死」臓器摘出を行なってきたことを認めた。上記の行為は、私は現代では法的脳死判定手続き下でなければ傷害致死と考えるが、現実には家族の承諾だけで毎年数十例の提供がなされている。

 このような臓器獲得が起訴もなされてこなかったことは、検察庁に「臓器・組織移植は、医療に役立つ」との思い込みがあるのも要因と思われる。しかし日本移植学会が腎臓移植患者の生存率等を公表する時の出典:腎移植臨床登録集計報告 (「移植」42巻6号p545〜557)は、移植実施17,444症例に対して消息が判明しているのは8,925例、消息判明率は50%とお粗末な統計だ。移植を受けた患者のQOL調査も、 1990年代初めに約3000例規模(調査用紙回収率は生着例が43.1%、拒絶例が22.3%、腎と透析35巻4号p559〜p564、1993年)で 実施された以降は、数百例規模でしか行われていない。一方でQOL低下例のあることも報告されている(神戸大学医学部紀要 第63巻第3・4号 p39〜44)。腎臓移植は、腎不全患者の利益に適うものか医学的根拠は存在せず、医療とはいえない。「患者のためではなく、移植医が移植手術により業績をあげる」、これが40年以上にわたる「脳死」臓器移植で追求されてきた事だろう。

 

2、脳死判定基準への批判が強まり、脳死概念が崩壊するなか、始まっている与死(よし)

 移植関係者は「心停止後の提供」と称して「脳死」臓器摘出を行なう既成事実作りをしてきたが、もう一つの既成事実づくりも始まっている。それは「一定の判定基準を満たした者に、社会の規律として死を与える与死(よし)」だ。(与死の概念は日本移植学会雑誌「移植」40巻2号p129〜p142に掲載)

 例えば法的脳死判定1例目の高知赤十字病院、3例目の古川市立病院、4例目の千里救命救急センターは日弁連から、そして9例目の福岡徳州会病院が福岡県弁護士会から人権侵害の勧告を受けた。これらの勧告は各臓器提供施設の非協力から「ドナー候補者に対する治療が尽くされたか」という人権救済申立書の指摘は判断せず、脳死判定手順の間違いなどを指摘した勧告 だ。

 しかし臓器摘出施設の当事者が書いた論文によると、法的脳死判定7例目の杏林大病院は、低血圧で脳死判定対象外とすべきなのに臨床的脳死判定をし、法的脳死判定の確定=死亡宣告をする以前から、移植用臓器を獲得する目的で、ドナーの救命に逆行する内容の投薬・輸液などを開始した(ICUとCCU25巻3号p155〜p160)。法的脳死判定10例目の市立函館病院(函館医学誌25巻1号p5〜p15)、11例目の昭和大学横浜市北部病院救急センターは中枢神経抑制剤の影響を受けた患者は脳死判定してはいけないのに判定した(Neurosurgical Emergency7巻1号p41〜p44)。31例目の神戸市立中央市民病院(第31例目の脳死下での臓器提供事例に係る検証結果に関する報告書)、33例目の聖隷三方原病院(第33例目の脳死下での臓器提供事例に係る検証結果に関する報告書)も同様に、中枢神経抑制剤の影響下とみられるのに脳死判定を 強行した。17例目の新潟市民病院は、前庭反射、咽頭反射がある、臨床的脳死診断の9時間前から「脳死に近い状態である」と妻に説明し、臓器摘出目的で昇圧剤を投与した(新潟市民病院医誌23巻1号p67〜p72)。

 なぜ、法的脳死判定手続きを無視し、脳死判定対象外とすべき患者を脳死判定し、判定手順を違え、死亡宣告以前からレシピエント目的のドナー管理が行われたりしているのか。それは、できるだけ多くの臓器ドナーを確保したいとの意図があるから だろう。「日本は銃撃や事故による若い脳不全患者が少なく、高齢の脳血管障害患者が多いので移植に適した臓器が得にくい」「臓器提供を承諾する家族が減少している」「麻酔など中枢神経抑制剤の影響が残っているかどうかは、患者の脳組織を採取して血液内の薬物濃度と比較するしかないが、生存中に脳組織は採取できない。中枢神経抑制剤を投与された患者を脳死判定対象から外すと、脳死判定対象患者は激減する」などの事情で あろう。

 脳死判定の虚構も、知られるようになってきた。頭皮上に電極をおいて脳波を測定して何も測定できなくとも、頭蓋内あるいは鼻腔に電極をおくと脳波が測定される場合がある。反射、無呼吸テスト、深昏睡の検査は、反応するに足る刺激を加えているのか不明だし、刺激に対する反応が起こっているのに気付いていない可能性がある(脳死・脳蘇生16巻1号、p22〜31)。

 脳死概念も崩壊している。脳死判定基準を満たした患者のなかに、数週間〜年単位で長期生存する方が無視できないほど 存在する。脳死判定基準への批判が強まり、脳死概念が崩壊するなか、あくまで「臓器移植を続けたい、脳不全患者の治療を打ち切りたい」者にとっては、「脳死は科学的に言って人の死」とは言えなくな った。「一定の基準を満たした患者は、社会の規律として死を与える」ことを合法化するしかなくなってきた。

 このあたりから、臓器移植法の改悪案と安楽死・尊厳死法案に通底してくる。「脳死判定は非科学的、脳死概念は崩壊した」と指摘されても、安楽死・尊厳死として各人が選択した死に方にすれば脳死判定は残るのです。

 

3、脳血流検査は、「脳死」判定を延命し、安楽死・尊厳死を拡大、強要する

 脳死判定に脳血流検査を追加する案は、脳死判定を厳格化する流れのなかで言及されてきました。字義どおりの脳血流停止、頭蓋内に血流がゼロ、まったく存在しないことを測定できる技術が、現時点において存在しているのであれば、脳死判定に脳血流検査を追加する案は検討する必要があるかもしれません。ところが、現実の脳血流測定は感度が低い。「脳血流停止」「脳内代謝停止」とされながら、脳波、聴性脳幹反応、自発呼吸、長期生存例のあることが報告されています(以下の 8資料12例)。
 

  1. 荒木 尚(国立成育医療研究センター病院脳神経外科)と横田 裕行(日本医科大学高度救命救急センター)は、日本臨床救急医学会雑誌13巻2号p154(2010年)で「8歳女児、無呼吸テストを除いた脳死判定を1回施行、深昏睡、全脳幹反射消失、平坦脳波、ABR消失の所見を得た。時期を異にして脳血流3D-CTAおよび脳血流シンチを施行、脳血流停止所見を認めた。事後無呼吸テストを2回行った結果2回とも自発呼吸を認め、臨床的判定により脳死は否定された」。
     
       
  2. 杉野 繁一(日鋼記念病院)は日本集中治療医学会雑誌11巻supple、p163(2004年)で「臨床的脳死と考えられた75歳女性は、脳血流SPECT、FDG−PETでは脳血流、糖代謝は認められなかった、ABRでは1波〜5波のいずれも消失。しかし20mm/μvの高感度脳波測定で10Hz、15μv程度の振幅があった」。
      
       
  3. 星田 徹(奈良県立医科大学)は臨床脳波44巻5号p295〜p302(2002年)で「びまん性脳損傷と外傷性くも膜下出血の58歳男性は、受傷5日目の脳血流SPECT検査で頭蓋内血流はほとんど認められないにもかかわらず、受傷後8日目の脳波で6Hz、8μvの律動性活動が認められECIと判定できなかった」。
      
       
  4. 星田 徹(奈良県立医科大学脳神経外科)は小児の脳神経26巻4号p303(2001年)で「32週に1,576gで出生した男児。2ヵ月半後のSPECT検査で大脳血流なく、さらに3ヵ月後のSPECT検査でも同様の所見であった。臨床的に脳死と判定したが、脳波検査では発症後1.5か月、2か月後にも10μV前後の脳波活動を認めた。1歳8か月時の脳波検査でも同様に脳活動を捉えることができた」。
      
       
  5. 今西 正巳(奈良県立医科大学救急科)は日本脳死・脳蘇生学会誌13巻p16〜p17(2000年)で「脳挫傷の56歳男性、第6病日のSPECTでは脳血流は認められず、第9病日に瞳孔散大、脳幹反射消失。第10病日は平坦脳波といえず、5倍感度でも平坦脳波、脳死診断は困難であった。窒息による心肺停止の60歳女性は第17病日に瞳孔散大、脳幹反射消失、SPECTでは脳血流は認められなかった。第19病日の脳波は3μVの電位変化がみられ、平坦脳波、脳死診断は困難であった」。
      
       
  6. シンシナティ小児病院の植田氏は、Critical Care Network Mailing List(CCN-ML)の「話題0010 脳死判定について」
    http://www.kpu-m.ac.jp/k/ccn/topics/topics/w0010.html(1998年2月4日)において、阪大麻酔科・谷上氏の問い「脳死判定の対象患者の多くはイソゾールや筋弛緩薬他の呼吸抑制(イソゾールはもちろん脳波・意識も抑制)を伴う薬剤を投与されていることが少なくありません。小生はこういった薬剤の投与を受けた患者の脳死を判定することは、不可能だと思うのですがいかがでしょうか?」に対して「この場合も、先に述べましたテクネシウムの脳血流スキャンが代替のテストとして使われています。しかし、サイオペンタール投与後、自発呼吸なし、脳血流スキャンで血流途絶、脳死と家族に話した患者が24時間後自発呼吸を回復したというケースがあり、それ以来このテストは代用にならないなと個人的には感じています」と応えた。
      
       
  7. 森田 浩一(川崎医科大学核医学)は日本医学放射線学会雑誌53巻臨時増刊号S380(1993年)で「脳血流停止がSPECT上で示された5例中2例に自発呼吸が認められた」。
      
       
  8. 朝日新聞1990年10月26日付朝刊3面記事=米国ノースカロライナ州のカート・コールマン・クラークさん(22歳)が自動車事故で頭部を強打、同州ヒッコリーのフライ地域医療センターで、血管に放射性物質を注射され脳血流途絶を確認、1990年9月26日午前10時21分、脳死による死亡宣告が行なわれた。臓器摘出のために搬送されたバブティスト病院で、まぶたの動き、疼痛反応、自発呼吸が確認され臓器摘出手術は中止された(この記事の詳細はこちら)。
      
       
  9. 中村 弘、渡辺 義朗、佐藤 章、小林 繁樹、景山 雄介、平井 伸治(千葉県救急医療センター脳外科)、古口 徳雄(同神経内科)は、救急医学12巻臨時増刊号S128〜S129(1988年)で「頸動脈撮影は48例(51回)、全例で脳波を、20例でABRを施行後3〜4時間以内に、また臨床的に脳死を疑った時点から14〜56時間後に施行された。48例中3例(6.3%)はnonfillingであったが、2例で脳波上Hockaday4aを、1例でABR上1波を認めた」。

 以上のように脳血流停止「所見」がありながら、臨床的脳死診断や脳死判定をくつがえす患者が報告されている。つまり脳血流停止「所見」をもって脳死と判定するなら、そのなかに自発呼吸や脳波が 復活しうる、脳死ではない患者も入ってしまう。法的脳死判定11例目で採用されたように、脳血流検査は感度の悪さが知られていないため、他の検査で不確かな場合に脳死判定を補強する目的で使われがちです。低感度の測定技術を採用することにより、「脳死は人の死」どころではなく、実質的に、より過激で優生思想的な大脳皮質死、高次脳機能死を採用してしまうことになりかね ない。

参考1=那須 道高(京都第一赤十字病院・急性期脳卒中センター救急部):脳主幹動脈の再開通なしにrt-PA静注直後より著明に改善した脳梗塞の1例、脳卒中、31(1)、29−33、2009
 83歳女性は全失語、右完全片麻痺のために救急搬送された。発症より130分の時点でrt-PA静注療法を開始し、170分の時点より意識レベルと右片麻痺が急速に改善した。しかし、直後の頭部MRAでは左中大脳動脈水平部の閉塞が残存しており、同閉塞部位は入院後も早期には再開通せず、最終的に第17病日のMRAにて再開通していた。rt-PA静注による側副血行路の再開通など、脳主幹動脈の再開通とは別に機序が神経徴候の改善に寄与したと考えられた。

参考2=三輪 和雄編著、第7章 対談 脳死をどうとらえるか、脳死 死の概念は変わるか、東京書籍、p207〜p237、1987
 中島 みち:脳血管撮影の必要性を強く説かれる方がありますが、あれも臨床現場で見ていると、ずいぶんあてにならない場合が多いですね。
 血管撮影で血管像が写らなくても脳が生きていることはしばしばですが、血管が描出されたからといって、それが必ずしも脳細胞の生を証明するともいい難い場合がある。
 私が各地のICUに潜り込んでいたときに知り仰天しましたのは、脳細胞への造影剤注入の針を刺す角度や、患者の首の傾け方次第では死者の脳血管にさえ、血流の如きものが映し出されたりするんですね。
 日本のトップクラスの救急現場でも、しょっちゅう「おい、これなんだ!」とか「おかしいぞ」って、医師たちが首をひねっていますね。
 こうしたテクニカルな失敗は、臨床には、つきものですし、基礎医学の面でも脳の中のことは、まだわからないことが多いようですね。
 「これで、脳死はバッチリ」映るという人のいる画像診断にしても、その機序は全くわからなかったりして、ね。
 ですから、「厚生省基準にこれこれの判定法を加えて厳格なものにすれば、脳死を人間の死としてよい」という考え方は、あまり意味がないと思います。

参考3=神野 哲夫(藤田保健衛生大学名誉教授):臓器移植に関する議論 脳外科医の視点、移植、44(特別号)、S49−S51、2009
 SPECT検査は比較的正確に脳血流の状態を表すし、定量も可能である、しかし検査自体に約1時間を要する。
 CTでのperfusion測定データは正確である。しかし通常はこの検査は4cm巾スライスであり、4cmで全脳血流をゼロと診断するのはいささか乱暴である。脳全体を検査するには3スライスは必要である。検査所要時間はこれも1時間以上かかる。
 脳死では内頸動脈系の血液がゼロになっていると考えられるが、外頸動脈系はゼロではない。そして、この外頸動脈系から内頸動脈系すなわち脳内に血液が入り込む経路は本来、人間には存在する。さすれば、脳血流ゼロを証明することは極めて難しく、またゼロが証明されないとしてもそれは医学的意味を持っていない。
 現在、脳血管撮影で脳血流を測定することはまずない。ただ脳内への血流の有無は判定できる。ただし量を表す数字は出ない。しかも、外頚動脈系を通じて何やかやと脳内に血流が入り込むのを否定できない。
 以上の3検査とも、医学的に脳血流ゼロを証明する難しさと、加えてこれらの検査を行なう人的、労力的な困難さはきわめて大きい。提供者側医師(脳外科医、救急医)への負担はきわめて、きわめて大きい。
 脳代謝測定法はPETによる検査が普通である。これもまた周知のことであるが本機器がきわめて高額であり、全国すべての脳死患者への適応は不可能である。つまり実用的な話ではない。

 私自身が経験したことですが、 2005年2月26日のイベント「市民が考える脳死・臓器移植」では、心臓電気生理学の渡部良夫氏が無呼吸テストの「脳死作成法」的な性格を説明されました(http://www.i.dendai.ac.jp/~wakamats/braindeath_doc/Report_A/11c.html)。

 それに対して、千葉県救急医療センターの小林繁樹氏は「脳血流停止を確認してから、無呼吸テストを開始しているから、そのような心配はない」旨を発言、それに私が反論しようとしたら、主催者から時間切れで終了を宣告されて言えなかったことがあります。

 それは千葉県救急医療センターの小林繁樹氏らが、自ら上記の救急医学12巻臨時増刊号で報告しているとおり、脳波を測定できるほど脳が生きているのに、nonfillingだった3例を経験していることです。「脳血流停止」と称される状態であっても脳波が測定されうる患者のいることを自ら経験していながら、一般人向けには脳血流 検査の「有用性」をあくまで主張する。イベント「市民が考える脳死・臓器移植」では、専門家として誠実な情報提供が求められる場面において、参加者全員を騙したのです。

 脳血流検査が感度の悪い検査であることについて、広く知られないうちは、千葉県救急医療センターの医師らのように、騙し続ける医師が絶えない。

 

以上

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