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飯塚病院 名取氏 患者のもっとも希望していることは救命である
市立札幌病院 鹿野氏 交通事故被害者を救命不能と判断
ドナー管理、20代女性を生前検視、心停止11分で臓器ドナーに
へるす出版発行の「救急医学」31巻12号は特集“特異な経過をたどった症例・事例から学ぶ”を掲載した。以下は脳死判定や臓器摘出にかかわる2論文の要旨(タイトルに続くp・・・は掲載貢)。
*名取 良弘((株)麻生 飯塚病院脳神経外科部長)脳死判定 一過性に脳死判定項目を満たしたくも膜下出血症例、p1658〜p1659
67歳主婦は午後7時半頃に突然嘔吐、意識を失い救急搬送、健康保険証内の臓器提供意思表示欄にて、脳死後の臓器提供の意思があることを確認した。自発呼吸停止、頭部CTにて、びまん性のくも膜下出血を認めた。脳幹反射(対光反射、角膜反射、睫毛反射、毛様脊髄反射、眼球頭反射、咽頭反射、咳反射)はいずれも消失していた。脳圧効果薬の急速点滴静注を行い、脳幹反射を再検したが、消失したままであった。来院後、2時間後から自発呼吸の再開を認め、同日開頭クリッピングを行った。術後経過順調にて、発症後25日目に自宅へ独歩退院した。
本症例のように、後頭窩の動脈瘤破裂によるくも膜下出血症例では、脳幹反射の消失を経験することは多い。しかしながら、何らかの脳圧降下薬による反応が早期にみられることが多く、2時間の持続はどちらかというとまれと思われる。臓器提供に関した脳死判定は、「原疾患に対して行い得るすべての適切な治療を行った場合であっても回復の可能性がないと認められる者(患者)」を満たした後に行うことが必要である。したがって、本症例のように急性期で判断することは望ましくないことで、本症例で実施したように治療の継続は必要である。臓器を提供する意思(権利)の尊重は重要で、臓器提供の意思が確認されると、患者がそれをもっとも望んでいるかのように誤解する傾向があるかもしれない。しかしながら、患者のもっとも希望していることは救命であることを再認識したい。
当Web注:名取氏ら飯塚病院関係者は、第34回日本
救急医学会学術集会で「心臓死後」の臓器提供2例を報告した。脳外科医として臓器提供に関与した経験者。
*鹿野 恒(市立札幌病院救命救急センター):臓器・組織提供 救急医療急性期における臓器提供、p1660〜p1661
20歳代の女性が19時頃、左折してきたRV車に巻き込まれ救命救急センターに搬入、瞳孔不同、ショック状態であり急性硬膜下血腫、急性脳腫脹、外傷性肝破裂、腹腔内出血を認めた。20時20分より開腹手術および穿頭手術、21時20分、右肝動脈塞栓術を行ったが、再び瞳孔不同が出現したため、22時30分に開頭血腫除去術を開始。しかし、脳腫脹強く
根治的手術困難と判断、凝固障害進行にともない出血のコントロールが困難であり、早急に閉創しICUに0時に帰室した。0時30分、家族に「救命不能」である旨を伝えたところ、1時頃両親より「臓器提供の申し出があった。
臓器提供の申し出が深夜であったため対応可能かどうか、さらにバイタル維持ができるかどうかが問題であったが、バイタルを維持しつつ、ただちに日本臓器移植ネットワークに連絡した。2時25分
、移植コーディネーター来院。5時に移植コーディネーターと家族が面談、5時32分に臓器提供承諾書を作成。6時50分、所轄警察に連絡し、警察官が来院。8時、検視時間短縮のため身体検査(通常、検視には30分〜1時間程度要する)。9時40分に遠方の姉が到着
。低血圧状態が続き、無尿となった。腹部はコンパートメント症候群の状態であり腎血流がさらに悪化、移植にに腹部エコー検査を依頼し14時10分検査、場合によっては腎臓提供が不可能となることを家族に説明した。家族全員に見守られながら15時16分に永眠、2分間のお別れの時間をとり、15時18分検視(5分で終了)、15時27分手術室入室、腎臓摘出が行われ、17時20分手術室より帰室、18時15分救急スタッフ、移植コーディネーター、移植医とともにお見送りをした。
当Web注:「救命不能」の判断で心停止後腎臓提供を行った上記ケースでは、以下の問題がある。
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移植可能な状態の臓器が獲得できるように、また臓器摘出・搬送の手配が完了するまで、臓器ドナーの血液循環・呼吸・体温などが管理(バイタル維持・ドナー管理)された。
・「救命不能」の判断に異論が生じないケースでは、その行為(ドナー管理)が死苦の延長になる可能性がある。
・「救命不能」の判断に異論が生じ得るケースでは、ドナー管理(輸液や抗利尿ホルモンの投与など)が蘇生に反し、脳不全を重症化させ、20代女性が救命される可能性を完全に破壊した疑いが生じる。
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市立札幌病院救命救急センターの佐藤 真澄氏も、「移植のための臓器管理や本人の意思がはっきりしていないことに関し、戸惑いやジレンマを感じている看護師もいた」と日本救急看護学会雑誌7巻1号で報告している。
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20代女性の救命目的ではなく、臓器摘出目的の処置・ドナー管理は、第3者目的のため違法行為になる。法的脳死判定後にしか許されない行為だが、上記ケースでは開腹術および穿頭術にあたり全身麻酔をかけたとみられ脳死判定をしてはいけない患者になっていた。
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15時16分の心停止後2分間のお別れの時間をとり、11分後の15時27分に手術室に入室して臓器を摘出した。市立札幌病院救命救急センターの鹿野 恒氏自身、2005年の日本蘇生学会第24回大会で「心蘇生しなくとも脳は生きている」と報告したが、この20代女性は15時16分から15時27分までの11分間に、脳も死んだのか。生体解剖される恐怖、激痛、絶望も感じることのない状態になったのか。手術室への搬送中にも心臓マッサージの行われることが、心停止後と称する臓器摘出では一般的であり、麻酔器をつけたまま手術室に搬送されたケースもある。この20代女性には、検視後どのような処置がなされたのか?
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「検視時間短縮のための身体検査」が8時から行われ、永眠後(15時18分から)の検視は5分間で終了した。検視の主要部分は8時から実施されたとみられる。
・検視は、体表の観察のために裸体にして行われると想像されるが、死亡していない生者(この場合は20代女性)に行ってよい行為か。
・人工呼吸器ほか各種カテーテルが取り付けられた状態で、十分な検視が可能か。
木下氏:脳死判定は主観的、残存薬物問題で判定に自信喪失
杉田氏:脳血流測定のSPECT画像は、作り方でどうにでもなる
脳死の診断などに関する研究を進めるためのワークショップ
2007年11月2日、日本脳死・脳蘇生学会 将来計画検討委員会の主催で「脳死の診断などに関する研究を進めるためのワークショップ」が東京ガーデンパレスで開催された。以下は、脳死・脳蘇生20巻2号より、注目される発言(各タイトル末のp・・・は掲載ページ)。
*木下 順弘(熊本大学大学院医学薬学研究部侵襲制御医学):脳死に関わる研究の歴史 ワークショップの意義、p74〜p84
5)脳死判定における各種検査
(前略)脳波ですが,竹内基準では脳波を非常に重視していますが,脳波を厳密に検討することで,脳死の正確な診断ができるでしょうか。その当時は4導出で30分以上連続の測定ですが,結局竹内基準の中でなんらかの客観的な評価があるとすれば,この平坦脳波だけで,それ以外は主観的な判断に委ねられていると言って差し支えないと思います。
(中略)それから残存薬物の問題ですが,急性薬物中毒は,判定の対象から除外すると,ごく簡単に竹内基準はなっていますが,日常臨床では,鎮静剤や抗痙攣薬,時には筋弛緩薬のような薬物を脳死判定以前に使っていることは多々あると思います。そして,それらの薬物に影響が一切ないのかと問われた時に,私は自信を失いました。特に守屋らの報告ですが,血液中の濃度と,薬物の脳内濃度は一緒なのかという問題を突きつけられた時,非常に頭を悩ませました。つまり,脳血流がそもそも非常に少ない段階では,薬物は血中から脳のほうへ移行していかないかもしれませんが,脳循環がいい時に,高濃度の薬物が脳の中にたくさん溜まって,その後脳循環が停止したら,その薬物はずっと脳の中に残存し続けているのではないかと言われた時に,そうでないと自信をもって誰が言えるでしょうか。ましてその活性代謝産物まで調べないといけないと言われた時に,この問題は頭を悩まし,できれば避けてとおりたいというぐらいの気持ちです。
ちょっと話題は違いますが,小児の脳死判定の間題です。脳死判定は2000年に小児の脳死判定基準が出まして,その直前にはこのように心停止まで,長期維持された症例がいくつか報告されていますが,驚きは,いちばん最後の報告で,脳死と考えられる状態が5年間以上継続し,後に在宅人工呼吸療法に移行したという症例が小児科学会誌に掲載されております。そんなことが本当にいったいあり得るのかということですが,これはインターネットニュースで流れたことが記録されております。その後追跡してみますと,小児の脳死の実態と診断に関する全国アンケート調査,これは小児科医に対するアンケート調査ですが,小児脳死の実態と診断について,全国医師アンケート調査の結果,日本小児科学会誌163例中脳幹反射と脳波を実施した症例は18%,無呼吸試験まで実施した症例は8%,もっと真面目にやれよと思わず言いたくなります。こんな判定で子どもたちを脳死と言い切っていいのか。それで5年間在宅で管理しているということを論文にしていいのか,非常に憤りを感じるような結果です。
質疑応答
(中略)
有賀:小児に関しては,先生が引用された論文がどのようか自ら読んでいるわけではないのでわかりませんけれども,昭和大小児科のドクターがそれと同様の症例についての論文を私に示した。それで,「ちゃんと検査しないで脳死って書いてあるけど,いったい・・・」と言いました。その後はそれきりになったというエビソードがありました。小児科からの発表はあぶないんですね。小児科の先生方は主治医としてお父さん,お母さんと波長が結構合ってしまいますので。そういう意味では小児の先生がそういふうに言っちゃうと,本当にそうじゃないかということになる。主治医と患者の普通の関係以上にお父さん,お母さんとの関係で,そうなっちゃう。やはりなんとも困るわけです。
木下:これはたぶん昭和大の小児科の先生のペ一バーです。
有賀:私も読んで質問を返したんですけれども。そういう意味では,マスコミの方がいて申しわけないけれども,マスコミ受けするような論文が出回る時にはおかしいというニュアンスに気をかけて頂きたい。
(中略)
木下:もうーつ付け加えさせていただきますと,竹内先生たちが最初にあの診断基準を作られたのは,先生がまさに言われた,もう治療ができない,ポイント・オブ・ノー・リターンを診断するのであって,その後心臓を取り出してよいかどうかを診断するための基準ではないと自分たちも最初はおっしゃっているわけです。それがいつの間にか厚生労働省に担がれて,反論もなく,心臓を取り出してよいという判定基準に変えられている。にもかかわらず,ご自分たちで反論をされずにそのまま流されてしまったということが事実としてあると思うんですね。ですから,彼らも不本意なのではないかと,私自身は個人的に思っております。そうだとすると,どうしてこの判定基準は不十分だから,もうちょっとちゃんとやり直せとか,あるいは前向き症例をもっと積み重ねてから実現に移せとか,そういうことを言ってくださればよかったんではないかと思っています。
当Web注
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小児脳死判定について、木下氏、有賀氏は脳死判定基準どおりの検査が行われていない症例の多いことを指摘している。
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医学研究においては、一定の判定基準を満たさない症例も含めて同一の病態であるかのように扱うべきではない。
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厳密に脳死判定基準を満たさない症例も脳死とみなし、家族にもそのように説明することは多数行われてきた。
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有賀氏も関与した昭和大学における法的脳死判定11例目は、中枢神経抑制剤に影響された脳死判定をしてはいけない患者だった。「心停止後の死後の臓器提供」と称する行為においても、生前からのカテーテル挿入・ヘパリン投与・ドナー管理などを、法的脳死判定手続きを行わずに「一般的脳死判定」で行っている。一般的脳死判定は、施設により異なり、法的脳死判定基準どおりには行われないことがある。その判定には、多くの脳外科医、救急医が従事している。有賀氏らに、小児科医を非難する資格
はあるのか。
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例え脳死判定基準どおりに判定したとしても、脳死判定基準は木下氏のいうとおり主観的判断に委ねられており、果たして科学的であるのか疑問が多い。この日、桂田氏も「無呼吸というのは非常に主観的な判断しかできませんが・・・」と述べた(p92)。主観的判断とは、脳幹反射や無呼吸テストは刺激を加えて反応をみる検査だが、その刺激の強弱、反応の有無の認識が主観的であることと思われる。
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木下氏は、客観的な脳死判定法として全脳虚血を診断できる画像診断の導入を主張した。
*杉田 正夫(山梨医科大学医学部脳神経外科):脳死診断における脳血流測定の意義、p85〜p95
3)文献考察
各検査法において脳血流の消失は、PETでは代謝もみられますが、臨床的脳死基準によく合致していました。われわれが140件ほどの文献をあたって、合致していない部分を見つけ出すほうが難しかったです。
当Web注:脳血流停止、脳代謝無しの検査結果にもかかわらず、脳波や自発呼吸などのあった症例は文献上10例報告されている。
質疑応答
(中略)
有賀:日本の脳死という概念の前提になっているのは,脳幹死ではなくて,全脳の機能の停止であると。英国はたしか脳幹死をもって脳死としており,脳幹死でもいい。しかし,必ずしも脳幹機能の停止と脳死とは少なくとも日本ではイコールとは考えていない。
杉田:そうですね,わかります。
奥寺:ちょっといいですか。脳血流というと,今,画像の話になりましたよね。思うんですけれども,画像になってしまうと,画像としての機能はどうだというところに乖離が出ますよね。そこのディスカッションは,たぶん今のわれわれがセンシティブになっていると思うんですよね。ですから,例えば演算方法を変えたらどうこうという話がありましたよね。当然のことなんで,極端に言えばCTはウインド幅を変えたら絵はどうにでもなりますよね。ですから,そういう危ういところと,ある意味,絶対性のところの感覚的な問題があるのかなと,たぶん有賀先生はそういうことをおっしゃりたいのかと思うんですが。
(中略)
佐藤:埼王医大の佐藤です。桂田先生,有賀先生の質問とちょっとダブるんですけれども,要するにSPECTの場合,僕らも脳死判定を多数やらなければいけない状況で診療してきましたので,立花隆の反論が出た時に,なるべく社会的批判にも耐えられる脳死判定をしようということで,数多くの脳血管撮影とかSPECTをやってみた。けれども,結局SPECTというものはある闘値より下がってしまうと,それはゼロとして出てしまうんではないかという疑いが捨てきれない検査だと思うんですね。本当にゼロじゃないものが,ある闘値より低くなったら,それは検査データとして捉えられない可能性をもった性質の検査で,結局,画像的に動脈の血が入っていかないことをはっきりと見られる血管撮影のほうがクリニカルにはずっと優れているし,ご家族に対する説得力が非常にある。そういう面で,黒いSPECTを見せて,これは血流がないんですよと言っても何のことだかさっばりわかりませんけれども,血管がここ行ってここで止まってますよという画像は非常に説得力がある。こういう経験をしていまして,現場でたくさん脳死判定をしているドクターにとっては,今さらSPECTを持ち出すのはすごく違和感というか,僕なんかひっかかるんですよね。なぜ今の時点でSPECTをもって脳血流を測るということを言い出しているのかという気がものすごくしたんですけれども。それだったらもっとクリニカルには,ポータブルDSAでべッドサイドでアンギオグラフィーをやったほうが,よりはっきりするんじゃないかという気がしますけど,どうでしょうか:そのへん,桂田先生がおっしゃっている,有賀先生もおっしゃった,なぜそこにSPECTを持ち出しているのかというところじゃないかと思うんですけれども。
杉田:それに対するお答えを明確にできる状況ではないんです。けれども,明確に言えないと申しますのは,一つはSPECTというものが,今,奥寺先生がまさに真髄を突かれたように,画像の作り方でどうにでもなるという部分もあります。それと,あとは実際にSPECTで低血流を見ることが今までよく知られていないという部分もあります。ですから,それをいかに科学的に調べることができるかはまだ答えが出ていないので,それに対するなぜ今SPECTなのかというのは,研究班の中でアンケート調査だとか,今までにわれわれ脳血流検査として実際の臨床で用いているSPECTを使えばどうかというところから始まったものであります。それは今,有賀先生からも考え方としてどうしてそこに行き着いたのかというところは,ここ数年間のわれわれの研究班の中で議論されてきたことでありまして,それ以上私が説明できる状況ではございません。申しわけありません。
*園生 雅弘(帝京大学医学部神経内科):脳幹機能不全における脳幹反射と電気生理学的検査の意義、p96〜p111
当Web注:園生氏は「体性感覚誘発電位は薬物に影響されにくい」と虚偽の説明をした。通常の手術における麻酔濃度で体性感覚誘発電位には影響の小さいことが、そのまま脳不全患者でも同じと思いこんでいる。
*鈴木 一郎(日本赤十字社医療センター脳神経外科):脳死判定における脳波検査の問題点、p112〜p125
質疑応答
(中略)
佐藤:埼玉医科大学の佐藤です。脳死経過の教科書に僕も書いたことがあるんですけれど,アメリカなどの最近の例では,要するに臓器移植で手術室に行く途中に麻酔科医が呼吸していると指摘したというような報告が出ているんですね。それを脳外科医は,どうせ死ぬからいいというような話で,麻酔科医は必死に止めたという例と,そのまま移植提供に供したというような,ちょっと僕らからみると,恐ろしいそういうレポートも出ている。結局,脳死判定の基準が脳波もいらないという米国流の考えでいくと,臓器提供のために脳死判定があるという考え方に徹すれば,そういうところに行き着いてしまう可能性もあると思うんですね。ですから,日本の場合で考えてみると,要するに法的脳死判定症例というのはごくわずかで,それに倍するというか,数十倍に及ぶ一般的な脳死の,患者さんがいらして,それにどうやって対応していくかを考えた時には,特に脳波を省いていく必要性があるとは全然,思わないんですね。特に,ご家族に脳死であることを納得していただく,あるいはその先の延命治療をどうするかを相談していく段階というのは,一つーつ検査をきちっと積み重ねて,脳波も見ていただく,ほかの検査ABRも見ていただくというような,そういうステップの中で信頼関係ができて行われている現状がきっとあると思うんですね。私はそういう意味で,脳波を止めるということを全然有意義とは思えないんですけれども,そのへんどうでしょう,先生。
鈴木:私も脳波検査を止めていいか,いけないかという価値判断を必ずしもしているわけではありません。しかし,法的脳死判定の検証などをしていると,そのことによって医療の現場が非常に混乱している現状があるのも事実です。一方エビデンスとして,脳波活動の有無にかかわらず脳幹死と判定されたら,必ず死を迎えるという報告もあるわけです。そういうことを考えると,脳死判定に脳波は本当に必要なのかという科学的な疑問も出てくるわけです。そうは言っても脳波が活動しているのに,脳死と判定してその人のレスピレータを外して心臓を取り出すということには問題があると考えるのも自然だと思います。
一方,先ほど申し上げたように,グローバルスタンダードというものがあって,世界がどんどん脳波を取り人れなくなった時にも,日本が脳波を採用し続けるということが,果たしていいのかどうかという議論も当然出てくると思います。私が今日申し上げたのは,私は法的脳死判定の検証委員をしておりますが,脳波は絶対必要だと思って検証しているわけでは必ずしもなくて,揺れ動く心で脳波をみていることをご理解いただきたいということです。
それから先ほどアメリカの麻酔科の話も出ましたけれども,これは1980年にBBC放送で放送された有名な話です。イギリスのクライテリアに則って脳死と判定されたアメリカ人の中に生き返った人がいるという話で,イギリス国内で大問題になりました。これは最終的に,イギリスのクライテリアに厳密には則っていなかった,除外診断や前提条件がいい加減だったということで決着しています。こういう話は昔からありますが,そういう情報が出てきても,一つ一つ正確に検証する必要があると思っています。
(中略)
園生:私としては,やっばり脳波をとるというのは何かすごく自然な気がするんですね。やっばり脳幹が死んでたら表出がわからないので,大脳が生きているかどうかわからないわけです。だからやはり,脳波をとって大脳も死んでますというのも見たい。いちばんこわいのは,意識があるのに臓器をとられることですよね。それはやっぱり誰が考えてもこわいわけで,意識がないかをちゃんと脳波を見ておくのは,本当にどこまで技術を使うかという問題は別にしても,脳波をとる慣行自体は悪くない。それをどこまで要求するかという問題は別にしても,とらなくていい,とっていいというと,やっばり万にーつはミスが出るかもしれないとは思うんです。
鈴木:脳波を検証している私の立場から,脳波は不要であるということを申し上げているわけではありません
。そうではなくて,死というものを瞬間的なものとして捉えるのかプロセスとして捉えるのか,脳死判定のグローバルスタンダードはなんなのか,脳死判定の医療の現場で混乱が起きていないかどうかなどを含めて,総合的に判断していかなくてはならないと思っているのです。
当Web注:鈴木氏は、臓器ドナーが生き返ったケース(パノラマ事件?)について「除外診断や前提条件がいい加減だったということで決着しています」というが、では日本の法的脳死判定では、除外診断・前提条件は適正に実施されているのか。中枢神経抑制剤に影響された脳死判定をしてはいけない患者も脳死判定しているではないか。
「脳幹死と判定されたら、かならず心停止にいたる」という主張も、時代遅れではないか?竹内 一夫も周産期医学36巻7号において「最近の高度集中治療の進歩によって、以前より長く脳死状態を維持することも時には可能になった。・・・・・・脳死状態でも循環、呼吸、内分泌機能が良好な状態に保たれていれば、心停止は何とか避けることができると書いている。
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