荒木:厳密な脳死診断で移植医療の「負の歴史」に正対
水口:全脳機能の不可逆性を100%保証するのは困難
安西:医療継続希望、脳死疑い児の入所依頼を断った
高山:臨床的脳死児の自宅外出を多職種で支援した
第117回日本小児科学会学術集会
2014年4月13日、第117回日本小児科学会学術集会が開催された。以下は日本小児科学会雑誌118巻2号掲載より、注目される抄録の主要部分(タイトルに続くp・・・は掲載ページ)。冒頭の2件(荒木・水口)はシンポジウム「小児脳死下臓器移植を考える」。
*荒木 尚、横田 裕行、布施 明(日本医科大学付属病院高度救命救急センター)、小児の脳死と臓器提供、p175
元来本邦には、臓器提供を前提とする「法的脳死判定」とそれ以外の場合実施される「一般的脳死判定」の二つの脳死判定が存在する。小児脳死判定を厳密に行うためのgovernance
や検証の積み重ねにより、法的脳死診断については社会的コンセンサスが得られつつある。また法的脳死判定150例の後方視的検証から、厳密な脳死診断の実施に向かう救急現場の実情が理解できる。
一方、一般的脳死判定では、判定基準や判定内容も一律でなく、誤解の対象となることも多い。近年、小児脳死の疫学について報告が散見され、多様な診断の状況が理解できる。脳死診断後、自発呼吸・自動運動出現例の報告もあり、厳格な脳死診断を勧告した結論が多い。小児の一般的脳死が、法的判定基準に準拠し実施されることにより、家族に対する正確な病状説明、「全脳機能の不可逆的消失」の再検証、医療の透明性の確保・Best
Comfortを最優先した終末期対応等が可能となると考える。小児の脳死下臓器提供が可能となった現在、正しい脳死診断と家族が十分納得して結論を出すための環境整備は、我が国の移植医療の「負の歴史」に正対することであり、単に臓器提供数の増加を目的とするものではなく、「小児脳死」の透明性を確立する第一歩である。
当Web注:脳死判定が厳密に行われても、「脳波・痛み刺激への反応、自発呼吸など脳機能のある症例の存在」、そして「心停止までの期間の延長」という脳死判定の精度低下が指摘されている。荒木ら自身が、脳血流停止と診断したにもかかわらず自発呼吸のあった8歳女児例を日本臨床救急医学会雑誌13巻2号に報告した。
*水口 雅(東京大学大学院発達医科学):小児脳死下移植医療の現状 ドナー側から見た問題点、p176
臓器移植法改正の後、児童(18歳未満)をドナ一とする脳死判定・臓器移植が開始されたが、問題は山積みである。
(1)法では脳死は臓器移植に係るケースに限定されたものの、「脳死は(一律に)人の死」という観念ないし誤解は世間に流布し重症心身障害児・者や終末期患者を脅かしている。
(2)虐待を受けて死亡した児童はドナーから除外される。虐待と死亡は法的には前後関係とされたが、はるか昔の軽微な虐待でも駄目なのか?
(3)虐待除外のため医療機関が児童相談所や警察に連絡を取っても、回答の得られない事態がありうる。
(4)本人が生前に脳死判定・臓器提供を拒否する意思表示をしていれば、除外される。しかし3か月の乳児に脳死を理解し意思表示する能力があるはずもない。
(5)知的障害児・者は意思表示が有効でないため除外されることとなった。しかし乳児の知的障害をどう診断するのか?軽度知的障害の年長児・成人には、臓器提供する権利はないのか?
(6)脳死は「全脳機能の不可逆的な喪失」である。しかし不可逆性を100%保証するのは医学的に困難。
(7)脳死判定にあたって、臓器提供施設にきわめて大きな人的・経済的負担が生じる。補助・補償はあるが不十分。
(8)看取りの医療体制が未整備、家族・医療者に心の傷を残す可能性あり。
(9)不十分な情報開示には都合の悪い真実を隠蔽する危険性、野放図な報道にはドナーや家族のプライバシーを侵害する危険性がある。
当Web注:「メディカル朝日」43巻8号(2014年8月1日付発行)p34〜p42に、第117回日本小児科学会学術集会 シンポジウム「小児脳死下臓器移植を考える」で指摘された問題点と課題が掲載されている。以下の枠内は、p38〜p39掲載の水口氏の指摘。特に最後に「脳死判定が医学的に100%確実とは断言できない・・・新しい法的脳死判定基準を満たしたが臓器提供には至らなかった症例において、その後の長期経過を調査する研究が必要だが、・・・発表にも多犬な困難が予想される」と指摘したことが注目される。
(前略)
(改正臓器移植法の施行から現在まで)脳死判定、臓器提供の過程で大きな混乱は生じなかったものの、小児の脳死ドナーをめぐる問題は山積みの現状である。
子どもの人権の問題
●小児の自己決定権は無視されたに等しい
法改正により、脳死判定への意思表示はopt-in方式(「してよい」という本人の意思表示がなければ判定不可)からopt-out方式(「嫌だ」という本人の意思表示がなければ可)に変更された。
しかしそもそも、修正齢12週の乳児が死や脳死や臓器移植を理解して、同意ないし拒否できるであろうか?無論できないので、「本人の意思表示」はあり得ない。
乳児を対象に含める一方で、知的障害者は法的脳死判定の対象から除外されている。その理由は「知的障害者は有効な意思表示ができないから」だが、乳児に対する論理と完全に矛盾する。また脳死や臓器移植を理解できる軽度知的障害児(者)が「ドナーとなる権利」も奪っている。
ちなみに医学的診断の問題として、乳児に知的障害があるかないか、ある程度の予測はできても正確な判定はできない。ここにも無理がある。
●重症脳障害・重症心身障害児(者)の医療・福祉への悪影響
改正臓器移植法の原案の精神は「脳死は人の死(あらゆる場面で)」だった。国会審議の過程で改正法成立の時点ではそうではなくなった(臓器提供の文脈に限定された)にもかかわらず、マスコミや社会の一部は「脳死は人の死」になったものと誤解した。
「脳死は人の死」が社会通念となることは、見かけ上、脳死と区別しにくい重症脳障害・重症心身障害児(者)が人として生き続ける意義、医療・福祉を受ける権利を根底から脅かしかねない。これらの患者をケアする家族や医療・福祉関係者から強い懸念の声が上がっている。
「臨床的脳死」という用語が旧法にあったが、法改正で姿を消した。新しい法では「脳死とされうる状態」である。しかし「臨床的脳死」の概念は既に広く浸透してしまっており、「死」という字により家族に強い誘導(治療の放棄ないし縮小、臓器提供に向けた)とプレッシャーを与えている。この語は使用禁止とし「脳停止」(brain
arrest)ないし「脳機能停止」などとすべきである。
●情報の開示と検証:プライバシー保護と透明性確保の相克
10歳以上15歳未満の法的脳死判定例に関して、ある週刊誌が「脳死に至った原因は自殺である。その経緯が隠蔽されている」という告発記事を掲載した。しかし結局、自殺説の真偽に関わる情報は公表されず、脳死判定が適切だったか否かがオープンな場で議論
されることはなかった。プライバシー保護と透明性確保はしばしば両立困難である。
臓器提供施設の問題
●小児救急体制が脆弱
日本の小児救急は危機に瀕しており、一部の地域では既に崩壊と言っても過言ではない。法的脳死判定の前提条件は「現在行いうるすべての適切な治療をもってしても回復の可能牲が全くないと判断される」ことだが、小児救急の現状からすれば、この前提がしばしば成立しない。
●臓器提供施設が限られる
臓器提供施設として、従来の4類型(大学附属病院、日本救急医学会の指導医指定施設、日本脳神経外科学会の専門医訓練施設、救命救急センター)に「日本小児総合医療施設協議会会員施設」が新たに加えられた。しかし小児の臓器提供施設として実際に手を上げた施設の数は僅少だった。
その理由として、第一に脳死判定体制や院内虐待対応システムが未整備である。第二に脳死判定に取られる人的資源が大き過ぎ、他の患者の診療に支障をきたしかねない。6歳未満では判定間隔が24時間以上となったので、人的負担はさらに重くなった。第三に経
済的負担(高感度脳波検査のためのICU改修費用、ドナー1例にかかる500万円以上のコスト)も重くのしかかる。
●看取りの医療体制が未整備
小児救急における看取りの医療は多くの施設で未整備である。ほとんどが現揚とりわけ看護師に皺寄せされており、フォローアップ体制はない。人的経済的インセンティプもない。
このような現状では、脳死判定・臓器提供をいったん承諾した家族が結局は心的外傷を受容でぎず、後悔したり、家庭崩壊に至ったりするのではないか。
脳死に至る過程は医療者にも心の傷を残しうる。これについても、誰もケアしていない。
脳死判定基準の問題
●児童虐待への対応が不適切
多くの臓器提供施設、とりわけ救急病院においては従来、院内虐待対応システムがなく、慌てて立ち上げた状況である。
被虐待児の除外に向けた情報収集の過程で、児童相談所、警察、学校の協力がどれだけ得られるか、現状では極めて心許ない。個人情報保護法がハードルとなっており、医療機関が児童相談所に照会しても、一部の県では回答を得られない。警察はさらに難しい。
法律の文面上は、虐待と脳死の因果関係にかかわらず、虐待の可能性が少しでもあれば除外とされでいるが、「虐待」の基準が暖昧である。ずっと以前の、ごく軽度の虐待でも慎重に判定すれば「除外」となるため、提供を申し出た家族と医療機関の間にトラブルが生じるかもしれない。虐待除外の真の目的は「脳死判定からの除外」ではなく、「虐待に対する正しい診断と対応」であるのだが、この文脈ではなかなか理解されにくい。
●脳死判定が医学的に100%確実とは断言できない
脳死の医学的定義は「全脳の機能の不可逆的喪失」である。しかし不可逆性の確実な証明は困難で、とくに小児においてそうである。学会や論文で報告された症例の中に、少数ではあるが法的脳死判定基準にほぼ合致する基準で脳死と診断された数週〜数力月後に、脳波活動や呼吸運動がわずかに戻ってきた例が報告されている。新しい法的脳死判定基準を満たしたが臓器提供には至らなかった症例において、その後の長期経過を調査する研究が必要だが、該当する症例は僅少で、仮説の設定や結果の解釈、発表にも多犬な困難が予想される。 |
*安西 有紀、大矢 達男(済生会横浜市東部病院重症心身障害者施設):超重症児の療養環境を考える、p239
2例の脳死が疑われる超重症児の入所依頼を受けた。はじめの施設内検討では、病状変化のリスクが高く受け入れは困難と考えた。
A家族は「病院からの退院希望」「今後の侵襲的医療介入の否定」の意思を、B家族は「高度かつ迅速な医療行為の継続」の意思を示した。これらの意向を考慮し、A氏の受け入れを可とし、B氏は入院の継続が可能なことを確認した上で受け入れ困難と最終決定した。
現在の施設と急性期病院の間の中間型施設が今後必要かもしれない。また、両親が施設入所は心臓死を早めさせ、その選択をした自身を責めることなく過ごせるよう、重症児の急性期医療介入の安定期には、早期より児の生活設定や将来の医療介入についての多機関・多職種での話し合いのシステムが今後必要ではないかと考えた。
*高山 達ほか(横浜市立市民病院小児科):最善の利益とは何かを多職種で客観的に評価し、自宅外出を支援した蘇生後脳症の1例、p439
5歳女児、意識障害で当院へ救急搬送され、小脳出血による脳幹ヘルニアのため、中枢性無呼吸から心肺停止状態に至った。蘇生に反応しICUに入院した。瞳孔は散大し、自発呼吸は回復せず、「臨床的脳死状態」だった。父母ともに救命のための治療を希望された。発症後15日目にICU
から、一般病棟へ転棟した。肺炎に伴い、敗血症性ショックに至ったが、抗菌薬治療により乗り切り、発症後3か月が経過し、気管切開と経管栄養で管理可能な状態となった。
体位交換の度に血圧の低下が認められ、循環動態は不安定だった。救命の希望がある一方、自宅への一時外出の希望があり、外出の許可が可能かの判断に難渋した。
院内の複数の診療科・多職種から構成される重篤症例検討委員会で客観的に協議した結果、病院として自宅外出を支援することになった。
医師2名、看護師1名、臨床工学士1名が同行し、自宅外出を支援した。安全に帰院でき、父母の高め満足度を得た。
移植医療が定着化した時代だからこそ脳死判定を希望されなかった患者とその家族に対する医療的ケアも重要である。多様な延命治療と終未期医療のあり方に対して、患者やその家族の個別性や希望を理解し急性期公立病院が、どのように客観的に対応していくかの困難さを経験した。