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2005年3月21日 法的「脳死」移植レシピエントの死亡は累計17人
心臓移植では2例目 死亡例が昨年の3倍に急増
2005年3月20日 インド人女性 2人の息子に角膜提供のため自殺
医師は移植の必要性に疑問、家族が自殺強要?
2005年3月10日 「脳死」肺移植移植手術終了の8時間半後に死亡
京大病院 血管異常分からず18時間半の手術
2005年3月 7日 法的「脳死」移植レシピエントの死亡は累計15人
心臓移植では初めて
2005年3月 1日 「劇症肝炎は肝移植で救命する疾患」の考えは見直す傾向
2001年以降 厚労省・難治性の肝疾患に関する研究班

20050321

法的「脳死」移植レシピエントの死亡は累計17人
心臓移植では2例目 死亡例が昨年の3倍に急増

 大阪大において昨年11月20日、法的脳死判定32例目ドナーからの心臓移植手術を受けた40代男性が、肺炎のため21日午前9時57分に死亡した。 

 男性は通常二つある心室が一つしかない単心室で、さらに心臓が右側にあった。こうした先天性心疾患の患者への心臓移植は国内初だった。術後1週間たって拒絶反応が出現、血漿交換などを行って持ち直していたが、肺炎を起こして死亡した。

 法的脳死判定手続下の移植でレシピエントの死亡が判明したのは1 7例目(腎臓移植レシピエントの死亡は別扱いで、死亡日も報道されていないため正確に17例目であるか否かは不明)。国内での心臓移植手術後のレシピエント死亡は2例目。

 今年は3月16日までに法的脳死ドナーが5例発生し、昨年1年間の法的脳死ドナー数と同じになったが、死亡年月日が判明しているレシピエント死亡例も昨年の3倍と急増している。

 

  法的「脳死」移植レシピエントの死亡年月日、レシピエントの年齢(主に移植時)←提供者(年月)、臓器(移植施設名)は以下のとおり。 

  1. 2000年11月20日 47歳女性←bP0ドナー(20001105)  肝臓(京都大)
  2. 2001年 5月25日 10代女性←bP4ドナー(20010319)  肝臓(京都大)
  3. 2001年 9月11日  7歳女児←bP2ドナー(20010121)  小腸(京都大)
  4. 2001年12月11日 20代女性←bP8ドナー(20011103)  肝臓(北大)
  5. 2002年 2月 3日 43歳男性←bP1ドナー(20010108)  右肺(東北大)
  6. 2002年 3月20日 46歳女性←bP6ドナー(20010726)  右肺(大阪大)
  7. 2002年 6月10日 38歳女性←a@5ドナー(20000329)  右肺(東北大)
  8. 2002年 9月10日 20代男性←bQ1ドナー(20020830)  肝臓(京都大)
  9. 2002年12月 5日 20代女性←bQ2ドナー(20021110)  両肺(岡山大)
  10. 2004年 6月 7日 50代男性←bR0ドナー(20040520)  両肺(東北大)
  11. 2005年 3月 7日 50代男性←bP2ドナー(20010121)  心臓(国立循環器病センター)
  12. 2005年 3月10日 50代男性←bR6ドナー(20050310)  両肺(京都大)
  13. 2005年 3月21日 40代男性←bR2ドナー(20041120) 心臓(大阪大)
  14. 死亡年月日不明   50代男性←a@5ドナー(20000329)  腎臓(千葉大)
  15. 死亡年月日不明   30代男性←bP4ドナー(20010319)  腎臓(大阪医科大)
  16. 死亡年月日不明   50代男性←bP6ドナー(20010726)  腎臓(奈良県立医科大)
  17. 死亡年月日不明   50代男性←a@2ドナー(19990512)  腎臓(東京大学医科学研究所附属病院

 


20050320

インド人女性 2人の息子に角膜提供のため自殺
医師は移植の必要性に疑問、家族が自殺強要?

 21日付のINDIAN EXPRESSが伝えたところによると、20日(金)にKodungaiyurの37歳女性のタミシュセルビさん(Tamizhselvi)が自殺した。生まれながらに目が見えなかった2人の息子クマランさん(Kumaran・17歳)およびクマーさん(Kumar・15歳)に、タミシュセルビルさんの角膜を移植して、視力を回復させることを望んでのことという。


 しかし医師によると「手術の成功率は非常に低い。クマーさんの病状は角膜移植で良くなるものではなく、また、クマランさんのほうも問題が角膜にあると決まったわけではない。私たちは弟さんのほうには角膜移植は必要ないと、早い段階でご家族に知らせていた」という。自殺したタミシュセルビさんの家族は、彼女の角膜が息子以外の人に移植されるのは許さないと主張している。

 日本でも「心停止後」と称するレシピエントを指定した{死体}腎移植を、日本臓器移植ネットワークが内規まで設けてすでに実施している。
 

 


20050310

「脳死」肺移植移植手術終了の8時間半後に死亡
京大病院 血管異常分からず18時間半の手術


  10日19時42分、京都大医学部付属病院(京都市左京区)で法的脳死36例目ドナーからの肺移植手術を受けた長野県の50代男性患者が、呼吸循環不全で亡くなった。

 肺移植を受けたレシピエントは、肺動脈が細くなり、心臓と肺の機能が低下する原発性肺高血圧症。手術前の検査で分からなかった血管の形状異常があり、手術が長時間に及んだ。肺移植手術は9日午後4時33分から始まり、終了は18時間半後の10日午前11時6分。術後心臓の機能が悪く、心臓付近から出血した。

 法的脳死臓器移植におけるレシピエント死亡は、これまで最も早かったのは手術から半月以上のケース(2000年11月20日)で、手術後24時間以内の死亡は初めて。しかし過去の腎臓移植では、血管異常を調べるための血管造影剤投与によって死亡した術前検査時死亡もあったという。外科手術は死亡の危険性がつきまとうことに加えて、腎臓移植はガン治療に比べ生死不明のレシピエントが極めて多いため、実情に詳しい臓器移植施設の医療スタッフほど移植を拒否する者が多い。

 法的脳死判定手続下の移植でレシピエントの死亡が判明したのは1 6例目(腎臓移植レシピエントの死亡は別扱いで、死亡日も報道されていないため正確に16例目であるか否かは不明)。

  法的「脳死」移植レシピエントの死亡年月日、レシピエントの年齢(主に移植時)←提供者(年月)、臓器(移植施設名)は以下のとおり。 

  1. 2000年11月20日 47歳女性←bP0ドナー(20001105)  肝臓(京都大)
  2. 2001年 5月25日 10代女性←bP4ドナー(20010319)  肝臓(京都大)
  3. 2001年 9月11日  7歳女児←bP2ドナー(20010121)  小腸(京都大)
  4. 2001年12月11日 20代女性←bP8ドナー(20011103)  肝臓(北大)
  5. 2002年 2月 3日 43歳男性←bP1ドナー(20010108)  右肺(東北大)
  6. 2002年 3月20日 46歳女性←bP6ドナー(20010726)  右肺(大阪大)
  7. 2002年 6月10日 38歳女性←a@5ドナー(20000329)  右肺(東北大)
  8. 2002年 9月10日 20代男性←bQ1ドナー(20020830)  肝臓(京都大)
  9. 2002年12月 5日 20代女性←bQ2ドナー(20021110)  両肺(岡山大)
  10. 2004年 6月 7日 50代男性←bR0ドナー(20040520)  両肺(東北大)
  11. 2005年 3月 7日 50代男性←bP2ドナー(20010121)  心臓(国立循環器病センター)
  12. 2005年 3月10日 50代男性←bR6ドナー(20050310)  両肺(京都大)
  13. 死亡年月日不明   50代男性←a@5ドナー(20000329)  腎臓(千葉大)
  14. 死亡年月日不明   30代男性←bP4ドナー(20010319)  腎臓(大阪医科大)
  15. 死亡年月日不明   50代男性←bP6ドナー(20010726)  腎臓(奈良県立医科大)
  16. 死亡年月日不明   50代男性←a@2ドナー(19990512)  腎臓(東京大学医科学研究所附属病院

 


20050307

法的「脳死」移植レシピエントの死亡は累計15人
心臓移植では初めて

  2001年1月21日に法的脳死判定12例目の女性ドナー(川崎市立川崎病院)から提供された心臓の移植手術を、国立循環器病センター(大阪府吹田市)で受けた拡張型心筋症の50歳代男性患者が、7日午前11時53分、死亡した。臓器移植法に基づく心臓移植レシピエントの死亡は初めて。手術後に胸部の出血で集中治療室に入り、その後一時退院したが、肺炎になり再び集中治療を受けるなどしていたという。

 臓器移植法に基づく心臓移植はこれまで25例、このうち国立循環器病センターは最多の13例を行った。今回死亡したレシピエントへの心臓移植は国内8例目、同センターでは4例目だった。

 心臓移植待機患者への登録は、比較的高齢の虚血性心筋症患者や先天性心疾患の幼児・小児患者は少なく、若い青年・壮年期の心筋症患者が中心になっている。このため、これまで「5年生存率が100%」など治療成績が良いように見えることが移植医療のアピールに利用されていた。

 

多くの感染症を引き起こす免疫不全状態になった移植患者

 中谷 武嗣(国立循環器病センター臓器移植部):CPC 当センター第5例目 心臓移植症例の剖検報告、循環器病研究の進歩、通巻46号、72−88、2006によると、亡くなった患者は59歳の会社員。1998年に心不全発症、1999年5月に左室形成術と僧帽弁形成術が行われたが、低心拍状態が続き左房内に血栓を認め、翌日LVAS装着と血栓除去術。貧血が進行し骨髄異形成の可能性があったが心臓移植の禁忌にはならないと判断され、2000年6月18日に日本臓器移植ネットワークに登録。
 LVAS補助618日目に心臓移植を受けた。ドナーのサイトメガロウィルス抗体は陽性だった。移植半年後に全身麻酔下で仙骨部褥瘡部再建術、2000年12月に胃潰瘍を認め1ヵ月後に胃切除。サイトメガロウィルスによる胃炎、胃潰瘍と診断された。治療を要する拒絶反応はなく、2003年1月に移植後2年で退院。
 2003年6月に肺炎で入院、8月にMRSAと緑膿菌による肺炎、10月に敗血症性ショック、2004年1月に脳出血を起こし、その直後にサイトメガロウィルスの肺炎、7月から白血球が減少、10月にMRSA肺炎による敗血症性ショックでICU管理、11月に緑膿菌の肺炎、2005年1月に下部消化管出血からの下血、3月に敗血症性ショックになり人工呼吸器管理やカテコラミンの多量投与でも改善なく救命できなかった。剖検の結果、回盲部付近に腸の穿孔があり、敗血症性ショックの原因は腹膜炎としている。

 同センター輸血管理室の宮田 茂樹氏は「術前から骨髄異形成があったとは考えにくいので、やはり移植後にどこかの時点で何らかの原因で再生不能性貧血になったのではないかと思います」。同センター循環動態機能部の駒村 和雄氏は「なんらかの骨髄機能の低下が術前に疑われる症例であったと思います。拒絶反応を有効に抑制することができたという点では術後の化学療法は正解だったのですが、感染症に対して骨髄を考慮したもっとベターな方法がなかったのかもしれませんが、あったのかもしれないというところが1つ大きな反省点として残ると思います。(中略)拒絶と感染のバランスがうまく取れるような、そんなコンサルテーションの体制――血液内科はもちろんですが、よりたくさんの経験を持たれた感染症医を含めたコンサルテーション体制をとることができれば、今回の症例は有意義な教訓になると考えます」と述べている。


 

 法的脳死判定手続下の移植でレシピエントの死亡が判明したのは15例目(腎臓移植レシピエントの死亡は別扱いで、死亡日も報道されていないため正確に15例目であるか否かは不明)。

  法的「脳死」移植レシピエントの死亡年月日、レシピエントの年齢(主に移植時)←提供者(年月)、臓器(移植施設名)は以下のとおり。 

  1. 2000年11月20日 47歳女性←bP0ドナー(20001105)  肝臓(京都大)
  2. 2001年 5月25日 10代女性←bP4ドナー(20010319)  肝臓(京都大)
  3. 2001年 9月11日  7歳女児←bP2ドナー(20010121)  小腸(京都大)
  4. 2001年12月11日 20代女性←bP8ドナー(20011103)  肝臓(北大)
  5. 2002年 2月 3日 43歳男性←bP1ドナー(20010108)  右肺(東北大)
  6. 2002年 3月20日 46歳女性←bP6ドナー(20010726)  右肺(大阪大)
  7. 2002年 6月10日 38歳女性←a@5ドナー(20000329)  右肺(東北大)
  8. 2002年 9月10日 20代男性←bQ1ドナー(20020830)  肝臓(京都大)
  9. 2002年12月 5日 20代女性←bQ2ドナー(20021110)  両肺(岡山大)
  10. 2004年 6月 7日 50代男性←bR0ドナー(20040520)  両肺(東北大)
  11. 2005年 3月 7日 50代男性←bP2ドナー(20010121)  心臓(国立循環器病センター)
  12. 死亡年月日不明   50代男性←a@5ドナー(20000329)  腎臓(千葉大)
  13. 死亡年月日不明   30代男性←bP4ドナー(20010319)  腎臓(大阪医科大)
  14. 死亡年月日不明   50代男性←bP6ドナー(20010726)  腎臓(奈良県立医科大)
  15. 死亡年月日不明   50代男性←a@2ドナー(19990512)  腎臓(東京大学医科学研究所附属病院

 


20050301

「劇症肝炎は肝移植で救命する疾患」の考えは見直す傾向
2001年以降 厚労省・難治性の肝疾患に関する研究班

 総合臨床3月号(54巻3号)は“肝臓の臨床最前線”を特集。厚生労働省「難治性の肝疾患に関する研究班」の事務局を担当する埼玉医科大学 消化器・肝臓内科学教室の持田 智教授、藤原 研司教授はp583〜p591に「急性肝不全 劇症肝炎治療の最前線」を報告した。

    急性型(n=272) 亜急性型(n=280) 遅発性(n=52)
救命率(%) 内科的治療 54.0(128/237) 23.4( 48/205) 12.2( 5/41)
肝移植例 74.3( 26/ 35) 80.0( 60/ 75) 72.7( 8/11)
全体 56.6(154/272) 38.6(108/280) 25.0(13/52)

 1998年〜2002年に発症し、同研究班の全国集計に登録された劇症肝炎は552例(急性型272例、亜急性型280例)、遅発性肝不全52例。救命率は急性型56.6%、亜急性型38.6%、遅発性肝不全25.0%。

 1998年以降に登場した治療法は生体部分肝移植とラミブジン。B型キャリア例に限定すると、ラミブジン投与例は1998年に38.9%に過ぎなかったが、2001年には100%に達した。生体部分肝移植は1998年は6例、2002年は亜急性型の33%を占めるに至った。
 
 抗ウィルス療法および生体部分肝移植の普及を反映して、内科的治療の早期開始が一般化したが2001年には一段落した。肝移植実施例で昏睡出現から手術までの期間は、1998年〜2000年は32%が4日以内だったが、2001年にはこの比率が76%となり、2002年には再び47%まで低下した。
 
 持田氏らは「以上のような動向から『劇症肝炎は肝移植で救命する疾患』との考えが内科医の間に一般化して、1999年以降は肝移植の早期実施を前提に内科的治療が実施されるようになったものの、2001年以降になって肝移植が普及すると、これを見直す傾向が生じている可能性が窺われる」としている。

 


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