(前略) 救急・集中治療における終末期医療
重篤な脳外傷、脳卒中については神経集中治療といった治療法を駆使することになる。患者は集中治療室で人工呼吸器による管理下におかれる。このなかで不幸な転機をとる場合とは、頭蓋内圧の制御や脳血流の維持に困難をきわめた後に治療の断念に至るものである。
患者の家族からみれば、一貫して集中治療が粛々と続けられるなかで、主治医からの説明を聞き、最後を看取ることについて納得しなければならない。この難しい局面について日本救急医学会の提言では、患者の治療目的が終了すれば、家族らと主治医または主治医チーム(以下、主治医ら)とがいわば看取りの医療へと移る道程を述べている。
これは患者の“人としての尊厳”を第一義におく考えに立脚している。ここでは脳死が人の死であるか否かについての判断を求めているわけではない。救急医療の現場で働く多くの医師が脳死に至れば死亡と判断して、すぐに人工呼吸器を外しているわけでもない。いずれにせよ、救急搬送から治療を経て終末期に至るまで、家族らが十分に納得し、心の安寧を得る状況があってはじめて移植医療へとつながると考える。
臓器提供という選択肢(オプション)提示
一般的に主治医は患者の健康上の問題などについて説明し、患者はそれによって自らの治療方針を決定することとなる。このように患者の選択こそ倫理的にもっとも正しいとする考え方を脳死状態にあてはめると、患者が脳死に陥ったことについて主治医は患者に説明し、その医学的状況に鑑みた“今後の選択肢”を示し、患者が決定することとなる。
したがって、患者に事前の意思表示(ドナーカードなど)があればそれを尊重する。脳死に陥った患者には説明してもわからないので、家族に“患者の代り”に説明する。これが患者本人を中心とした考え方とその方法論である。これは患者によかれと思って治療を続けてきた主治医らにとって了解しやすい。説明内容が臓器提供の如何であっても、説明の理由が“患者のため”という治療上の価値規範と異ならないからである。(中略)
脳死判定
現在のわが国における脳死判定は臨床診断と脳波所見を軸にするもので、脳血流などの画像診断を認めていない。したがって、たとえば眼球に損傷があれば対光反射がわからないので、脳死判定はできない。このことは大きな課題であるが、脳死判定基準について厚生労働省令として具体的な項目を行政に委ねたことは歴史的な暇疵ともいえて、いずれは医科学の価値規範に戻すべきであろう。ここでは“移植医療につながる場合”にのみ“脳死が人の死”であることにより以下の状況を余儀なくされる。
(中略)提供施設においては脳死判定の作業を実質的に3回(脳死判定をしたら脳死とされうる状態になったことの確認は1回、脳死判定は2回、脳死判定の2回自の終了時刻が死亡時刻)行うことになってしまう。(中略)一連の作業について数日を要する。加えて提供施設に課せられる書類には脳死判定と臓器摘出に関する各承諾書、脳死判定の的確実施の証明書、脳死判定記録書、死亡日時を確認することができる書類(死亡診断書)、検証フオーマットなどがある。そして脳死判定から臓器摘出までの検証に訪れる派遣チーム(厚生労働省による検証フォーマットなどの点検)に対応する。それも提供があってから数か月後の検証がほとんどで、主治医らの記憶が薄れたなかでの質疑応答となる。現場で働く医療者への負担は限りなく大きい。
さて上述した煩雑さを克服すべくつぎのように考える。すなわち、ドナーカードにより患者が脳死判定と臓器摘出とについて承諾している場合には、ドナーカードが確認された時点において患者は“自らについて脳死をもって死亡である”と認めているので、臓器移植につながることを前提に、主治医の診断で脳死であれば、ガイドラインに定める“脳死となりうる状態”を確認する作業(中略)を除いて、2回の脳死判定で足りるように思われる。
また、脳死判定をしたら脳死とされうる状態になったことの確認における作業が、脳死判定の作業と“まったく同じ”
内容(無呼吸テスト、脳波の感度など)であれば、その後“移植用臓器摘出を希望するか尋ねる”で“希望するなら移植医療に繋げる”
への過程が確認されるなら脳死判定の第1回目の作業はすでに終了しているとみなしてもよいかとも思われる。脳死判定の結果(死亡時刻)そのものは、第2回目の作業終了の時点であるから6時間間隔などのルールさえ押さえれば、すくなくとも現状との齢酷はなかろう。現場での過大な負荷について行政など関係者による解決の努力を期待したい。
おわりに
提供施設については(中略)5類型の施設で“提供体制が整備されている”は612施設(2013年6月末現在、厚生労働省)に止まる。諸課題を克服する努力が望まれる。 |