荒木・横田の「小児の脳死判定と臓器提供における諸問題」
自らの経験を示さずに“脳血流検査は依然、問題は多い”
日本脳神経外科コングレスの機関誌「脳神経外科ジャーナル」22巻4号は、p292〜p302に日本医科大学救急医学教室・荒木
尚、横田 裕行の連名による“小児の脳死判定と臓器提供における諸問題”を掲載した。全文はhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jcns/22/4/22_292/_pdfで公開されている。以下は注目される部分。
p293〜p294=旧臓器移植法が「臨床的脳死」としていた患者の状態を、改訂後の臓器移植法で「脳死とされうる状態」に変更したことについて、「自発呼吸が存在している症例でも(中略)臨床的脳死と表現したことから、改正臓器移植法では『臨床的脳死』の言葉の使用を控え(中略)今後、臨床的脳死という表現は使用されない」「以上のように、法的文言上も臨床現場の混乱を収束するための措置が図られたが、脳死判定を実施せずに、治療者側の印象をもって「ほぼ脳死」、「脳死状態」、「限りなく脳死に近い」などと家族説明されてきた側面や、誤った語彙の使用により不正確に定義された「脳死」あるいは「死」が家族に提示され、そのうえ臓器提供の意思確認がなされた結果、医師患者関係に混乱が生じ、ひいては特異的病態の存在(慢性脳死)などについても疑問が生じたことは否定できない」
p297〜p297=アメリカの小児・新生児脳死判定ガイドラインを解説し、「神経学的検査や無呼吸テストの実施に障害となる薬物は中止し、判定の実施前に適切に排泄されていることを確認する」
「Okamotoらは脳死判定全項目を満たした3ヵ月児を報告している。同例では無呼吸テストが2回実施され、各々PaCO2は69.3mmHg、62.1mmHgである。入院5日目に脳死診断がなされたが、38日後1分間あたり不規則な自発呼吸が出現し、71日目に心停止している。このため小児の無呼吸テストでは慎重な判断が必要であるが、可逆的な機能回復とは考えられず、現行の脳死判定基準の不備を示すものではない、と結論されている」
脳血流シンチ診断について、新生児の「血流再開例」、「血流再開と自発呼吸、運動例」を紹介し、「脳血流検査の感度、特異度とも依然、問題は多い」
当Web注
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荒木・横田は「自発呼吸が存在している症例でも臨床的脳死と表現した」としているが、医学文献上では臨床的脳死と診断した時点において自発呼吸が存在していた症例はない。臨床的脳死の診断後に自発呼吸が出現した報告はある。過去に臨床的脳死として発表された症例について、後に「自発呼吸が存在していたが臨床的脳死と表現した」と訂正された文献も確認されていない。
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荒木・横田は「自発呼吸が存在している症例でも臨床的脳死と表現した」としているが、「死体」臓器ドナーの半数を占める心停止ドナーにおいては、いまだに各施設の私的脳死判定、一般的脳死判定により、臓器摘出目的のカテーテル挿入、薬物投与を行なうなど、臓器獲得目的で医師患者関係に混乱・不信を生じる行為が継続している。
- 神経学的検査や無呼吸テストの実施に障害となる薬物の排出は、守屋ら法医学者が指摘する脳組織内薬物濃度と血中薬物濃度の乖離現象から実際には確認されていない。中枢神経抑制剤の影響下の脳死判定が横行している。
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荒木・横田は、脳死判定後の自発呼吸例について「可逆的な機能回復とは考えられず、現行の脳死判定基準の不備を示すものではない、と結論されている」としたが、自発呼吸が復活しうるのならば、意識や感覚も回復している可能性がある。臓器摘出時に生きたまま解剖される恐怖、絶望、激痛、苦痛を与えて死なせている可能性がある。医師が患者を最大限に加害することにつながり、「むごいことをした、かわいそうなことをした」と後悔するドナーファミリーを増やす診断基準について、なぜ「不備を示すものではない」で済ませられるのか?
- 荒木・横田は、自ら脳血流停止所見がありながらも無呼吸テストで自発呼吸をした8歳女児例を経験しているが、日本臨床救急医学会雑誌13巻2号p154で発表した以降は触れていない。
東北大学:肺移植後管理経験なく、脳死下臓器提供が乏しい状況は幸い
千葉大学、京都大学:生命維持停止、心臓死ドナーからの肺摘出を研究
大阪大学:心臓移植40例中6例死亡、10年生存率80.5%
1970年代後半、思い込みで肝切除、患者は肝不全で死亡
第113回日本外科学会定期学術集会
2013年4月11日から13日まで、福岡市内で第113回日本外科学会定期学術集会が開催された。以下は日本外科学会雑誌114巻臨時増刊号(2)より、注目される発表の要旨(タイトルに続くp・・・は掲載ページ)
*近藤 丘(東北大学加齢医学研究所呼吸器外科学分野):肺移植臨床の展開、p72
2000年3月のわが国初の脳死肺移植以来、これまで47例の脳死肺移植と11例の生体肝移植を手がけてきた。肺移植臨床の実践、とくに手術の実施に際しては、長い間のイヌやサル、ラットを用いた数えきれない経験が遺憾なく発揮されたと言えるが、その術後管理については、2年間の米国での十数例の経験でも中心となって行った経験は無く、手探り状態と言ってよい状況であった。当初の脳死下臓器提供が極めて乏しい状況は、一例一例に力を集中できるという意味で、むしろ幸いであったかもしれない。そのためか、スタート当初に実施上大きな問題を生じるケースは東北大学を含めてほかの3施設でも全く無かった。このような期間を経て、これまでに術後の合併症を含めた多くの問題点をほぼまんべんなく経験し、その対処法に習熟するとともに、これを乗り越えてくることができた。今後、臓器移植法の改正により、脳死下臓器提供数のさらなる増加がみられたとしても、これまでの成績を落とさずに症例数を伸ばしていけるものと自負している。
全国の実施症例の登録システムの構築も行った。肺移植の実施施設は当初全国で4施設のみであったため、この様なシステムの導入は容易であった。第1例目からの全ての臓器移植ネットワーク登録例と肺移植実施例の情報が全ての実施施設で共有できる仕組みを維持している。わが国の肺移植手術成績を実施施設がいつ何時でもリアルタイムに把握することができるばかりでなく、登録待機中の自施設の患者について待機リスト上でどのような位置にあるかについてもおおよそを把握できるために、実施施設間での情報共有上大きな意義のあるものとなった。このシステムを基盤として、肺移植実施例の予後調査ファイルも構築し、わが国の肺移植については、全例、登録からその予後までを把握できるシステムを作り上げることができた。
当Web注:法的脳死ドナーの意思表示を必須とした旧臓器移植法について、移植推進者のなかには「臓器移植禁止法」と表現する者もいたが、移植医が経験の少ない臓器では、移植患者にとっても「脳死下臓器提供が極めて乏しい状況は、むしろ幸いであった」ことになる。
法的脳死肺移植は、182移植例のうち死亡37例、生存145例と最も死亡患者数が多い(2013年8月27日現在)。
近藤氏は2001年発行の加齢医学研究所雑誌第52巻第1・2号において、「これまで日本臓器移植ネットワークに登録した肺移植待機登録患者の疾患を見ると、欧米で最も頻度の高い慢性肺気腫症は数字に上がってこない。(中略)欧米と異なる点は、特に移植医療立ち上げ時期というバイアスもあると思うが、本邦では適応をより生命予後を重視する考え方に絞っている結果ではないか、また一般的にはいまだに臓器移植が実験的な医療であるという認識しかない結果ではないか」と書いた。
*田川 哲三(千葉大学呼吸器病態外科)、Marcelo Cypel(トロント大学胸部外科)ほか:カナダにおける心臓死肺移植の現況、p336
トロント大学胸部外科は2006年6月より心臓死肺移植プログラムを開始した。全例マーストリヒトカテゴリー3のコントロールされた心臓死ドナー (DCD)であり、ICUまたは手術室で、ヘパリン化後に生命維持装置を停止される。12O分以内に循環停止した場合、5分間の確認後に手術室に移送され、胸骨正中切開、肺動脈・肺静脈からのかん流、肺摘出が迅速に施行される。
2007年1月より2011年12月までにトロント大学胸部外科において475例の肺移植が行われ、脳死ドナー432例、心臓死ドナー
43例であった。07年と11年を比較すると、脳死ドナー発生数はほぼ横這いだが、心臓死ドナー発生数は約10倍に増加し、2011年に行われた肺移植の16%が心臓死ドナー症例であった。2011年においては、心臓死ドナー発生42例中、実際に移植が行われたのは15例であり、利用率は38%であった。
レシピエントが術前に体外循環装置を使用した22例を除外した脳死ドナー413例と心臓死ドナー 40例の短期・中期成績を比較検討した。ドナー平均P/F
ratio、レシピエント平均年齢、レシピエント術中人工心肺使用率に差を認めなかった。
移植後の成績においては、72時間後のPGD score3点の割合、人工呼吸器使用期間、30日死亡率、1年生存率に差を認めなかった。
日本では法整備および国民からの理解など、実現までには多くの課題が残されているが、近い将来、日本での実現が期待される。
当Web注:マーストリヒトカテゴリー3の患者は脳死判定基準を満たしていないため、生命維持装置を停止された後に高率に自発呼吸をして死亡しなかったり、不必要に苦しんで死亡を強いられる恐れがある。トロント大学における心臓死肺ドナーの半数近くが2時間以内に死亡しなかったことや、死戦期の苦悶を伺わせる血圧変動はMarcelo
CypelがThe Journal of Heart
and Lung Transplantation28巻8号に発表している。
このほか日本外科学会雑誌114巻臨時増刊号(2)では、p268で陳 豊史(京都大学呼吸器外科)が“肺移植におけるトランスレーショナルリサーチ”において、心臓死肺ドナーの動物実験で「beta-2
agonistやsurfactantの吸入は心停止後ドナー肺に対して保護効果を示した」。p335で坂東 徹(京都大学呼吸器外科)が“我が国における肺移植の現状と課題”において「ドナー不足を軽減する方法の一つに心停止後ドナーからの肺移植がある。現時点では、法制度的にその実用は容易ではないが、今後の実施に向けて動物を用いた実験研究を継続し、臨床応用の準備をしている」としている。
*澤 芳樹(大阪大学心臓血管外科):心臓移植の現状と今後の展望、p69
対象は、当院で1999年〜2010年9月までに心臓移植を受けた6歳未満の小児を除く40例。移植後の生存率は3年、5年、10年で92.0%、92.0%、80.5%であった。移植後急性期に移植心不全1例、感染症2例で死亡。遠隔期に腎不全1例、慢性拒絶反応1例、悪性腫瘍1例が移植後7年目、10年目、11年目に死亡した。改正臓器移植法施行前後で比較すると、心臓移植数は施行前の21例/10年に対し、施行後は19例/2年と増加している。
*幕内 雅敏(赤十字社医療センター肝胆膵外科):肝臓−系統的肝切除−創始、p64
1970年代後半にAFP が測定可能となり、B型肝炎やC型肝炎患者から小さな肝細胞癌が発見されるようになった。
これらに対して外科では、肝硬変を合併する小肝細胞癌患者を開腹してみても、肝癌がどこにあるのか分からないと言う新たな問題が生じた。当時は診断医にとって、小肝癌を発見するということは、医者として一つの勲章にも相当することであった。患者を外科に紹介したところ、開腹をしたにも拘わらず切除できずに紹介医に戻され、血管造影をしてみると、以前より大きな肝細胞癌が描出されると言った“事件”が発生したのである。このようなことは、当時の国立がんセンタ一でも経験された。また、「切除できないのは、外科医として恥ずべきことである」と考えた外科医は、最初の切除標本に癌腫が見つからずに「もっと右側だろう」などの思い込みで切除を繰り返す内に、肝切除量や出血量が過大となり、結果、患者は肝不全で死亡することとなった。
小生は1975年頃より、超音波ガイド下のPTC、PTBDをやっていた。肝内の拡張胆管は、当時の超音波装置(マニュアル・コンパウンド・スキャン)でも鮮明に見ることができた。従って径3cm程の潰瘍は容易に検出できたわけである。そこで術中超音波検査が必須の術中検査として認識され、日本中に普及した。
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