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20030207

知っていますか?出生前診断一問一答
優生思想を問うネットワークが出版

 

 優生思想を問うネットワークは、解放出版社から「知っていますか?出生前診断一問一答」を出版した。定価1,000(税別)、A5判 108ページ、ISBN 4-7592-8243-2

 一問一答形式で18問にわたり、生まれる前に胎児の状態を調べる出生前診断にはどのようなものがあり、何が問題なのか、またその背景にある優生思想とは何か、女性と障害者の立場から、わかりやすく説明している。関連年表付き。

 


20030205

臓器移植と生命倫理 太陽出版より長島氏ほか
「心停止」と称する「脳死」に認識無しは残念

 「臓器移植と生命倫理 生命倫理コロッキウムA」ISBN:4884693078 A5判本文342ページ、本体価格3,600円が太陽出版(東京都文京区)から出版された。

 関連分野もカバーし参考になる書籍だが、「心停止後」と称する「脳死」下臓器摘出は検討していない。第4章で昭和大の田村氏が、移植医は心停止と脳死を区別していないことを把握しながら、著者の誰も、この事実に認識さえ無いように察せられることは、生命倫理を考慮すべき対象をごく一部に限定したことになり残念なことだ。

 視床下部の長期生存が認められる以上、3徴候死後であっても臓器摘出時に激痛・恐怖・絶望を与える可能性があり、臓器や組織の摘出要件は改めて検討する必要性がある。救命困難の判断の妥当性や死の定義とは別に、臓器・組織摘出タイミングの妥当性(残虐行為にならないこと)が検討されるべきことに認識が無い。親族指定の臓器移植も「脳死」者の搬送も、日本臓器移植ネットワークが関与して行なわれてきたことについても、認識されるべきだろう。

 以下は注目される記述。

 序章 脳死移植のあとさきでは倉持 武氏(松本歯科大歯学部助教授)が、「本人意思表示の意味と意義が理論的に明示されない限り、『家族という自己』の提供意思を尊重するという仕方での家族の権限強化という形をとって、現行法はいずれ改訂される可能性が高い」と指摘。

 これを受け第1章 臓器移植法における同意要件では、古川原 明子氏(龍谷大学矯正・保護センター博士研究員)が、p31では「医学的な議論がどのような決着を見るかは不明だが、脳死概念が揺らいでいるのは事実であり、脳死否定論の指摘は根本的で説得力もある。そうした状況で脳死状態下での臓器摘出を認めるならば、やはり違法性阻却説によらねばならないであろう」。結論部分のp40でも「脳死を個体死と見ることへのためらいを重要視しなければならない。その上で臓器摘出を容認するのであれば、違法性阻却説を純化した上で、同意要件を厳格に維持することが必要であろう。その結果、脳死移植の件数があまりに限定されることもやむを得ない」とした。

 p39「(本人意思に)家族であっても干渉することは許されるべきではない」とする以上は、本人意思の確実な表明・記録手段が不可欠となるはずだが「一定の形式を有した書面を要求する点は不要である」とは、現実無視の意見と思われる。

 

第2章 日本と韓国の臓器移植法に関する比較法的考察―新しい臓器移植術の発展に伴う医療倫理的・法哲学的アプローチを中心に・・・趙 炳宣(清州大学法学部教授)

第3章 臓器移植法施行後四年を過ぎて―脳死移植実施の経過と新たに浮上した倫理的問題・・・澤田 愛子(富山医科薬科大学医学部教授)

 

第4章 医療システムの観点から見る脳死移植・・・田村 京子(昭和大学教養学部助教授)

 脳死移植医療に関わった医師たちの感想を聞き取り調査した。提供施設の主治医は、通常の医療行為と同様に、やるべきことはやったという充実感を得られたようであった。脳死判定を行った医師たちは、純粋にサイエンティフィックな仕事として脳死判定に専念したようであり、自分たちの仕事はそれ以上に出るものではないという姿勢であった。ドナー管理に携わった麻酔科医たちは「いやな気持ちが残った」と述べている。それにはいくつかの原因が考えられる。

  1. 麻酔科医にとってドナー管理は、通常の麻酔管理と変わるところがなかった点。脳死ドナーに対する麻酔科医の業務は通常の患者に対する業務と同じだった。しかし通常は生きている患者の手術であり、患者本人のための治療であるのに対して、この脳死ドナーについてはドナー本人のための医療ではなく、麻酔科医にはあくまでも移植のためにドナーの臓器をできるだけ良い状態に保つことが求められた。ドナーは第二回脳死判定により法的には死亡していたにもかかわらず、身体としては生きている状態であったことは明白である。
  2. 麻酔科医たちはドナー家族には関与していないのでドナーや家族の心境を知り得ず、主治医とは異なり、ドナーと家族の意思を尊重することの意義を実感し得なかった。
  3. この手術の目的が達成されたのかどうか、つまり提供された臓器を移植されたレシピエントが良くなったのかどうかは麻酔科医たちには知らされない、フィードバックが全くなされない。

  移植施設の医師(腎臓移植を専門とする病院の医師に)まず特徴的なことは、腎臓移植においては、脳死からの移植と心臓死からの移植が区別されていない。ドナーが脳死であるか心臓死であるかの違いよりも、生きている家族ドナーからの移植か、亡くなったドナーからの移植かの違いの方が重要であるようだった。

 提供施設と移植施設のあり方は、お互いに関わりがないということである。提供施設ではレシピエントに関する情報がフィードバックされることはなく、移植施設では提供施設についての関心がない。提供施設側には費用の問題も残されており、大病院のいわば使命としてやらざるを得ないという意識はあっても、積極的に臓器提供を行いたいという気持ちは持ち得ず、むしろ関わりたくないと感じている可能性も否定できない。それぞれがそれぞれの与えられた範囲内でやればいいという意識が生まれてしまう。そしてここのケースでは、日本臓器移植ネットワークにお伺いを立てるという仕方で、社会からの「ゆえなき非難」をかわそうとしている様子が見て取れる。

 まとめでは「脳死問題が個々人の選択に任されたことによって、医療者が持つべき倫理規範としては個々人および家族の自己決定の尊重が挙げられるが、移植医療の倫理が欠如しているため、自己決定の尊重も単なる形式に堕してしまう危険性がある。複数の人にまたがる移植医療の倫理は、医療の公共性に関わる課題としても捉えなければならない」と書いている。

 

第5章 「臓器の移植に関する法律」見直し案・・・倉持 武(前出)

 日本移植者協議会案、町野案、森岡 正博・杉本 健朗案、西森 豊(てるてる)案を検討した後に、まとめでは「法案が『(臓器移植法附則第二条)施行の状況を勘案』したものであるといえるためには、少なくともドナーとなられた人たちへの治療、脳死判定の分析、家族へのインフォームドコンセントのなされ方、提供意思表示のなされ方の検討、そしてレシピエントたちの疾患、移植が必要になった理由、インフォームドコンセントのなされ方、手術の様子、術後の検査状況、合併症・副作用、具体的な生活状況の検討、レシピエントが死亡した場合にはその原因の究明等に基づいたものでなければならない。・・・・・・4法案に分析、検討が欠けているのは、発案者たちの責任ではないといえる。これらのデータは日本移植学会、日本臓器移植ネットワーク、そして厚生労働省がデータベース化しておくべきものである。・・・・・・客観的データさえ示さず、『移植医療はなかなかよさそうだ』という単なるムードを醸成し、それだけで小児脳死移植の実現と提供意思表示カード所持者数の拡大を図ろうとしている」と日本移植学会、日本臓器移植ネットワーク、厚生労働省を批判している。

 

第6章 「脳死見直し」案の検討―子どもの脳死判定基準を中心に・・・黒須 三惠(日本医科大学医学部講師)

 小児における脳死判定基準に関する研究班が調査したなかで、暫定脳死判定基準を満たしている症例がわずか20例であることのほかに、成人の脳死判定基準にも共通する非科学性を指摘している。黒須氏は脳血流検査の追加を求めているが、脳機能の不可逆的停止を証明するに足るほどの低血流状態を測定する技術が存在しているか疑問である。

 

第7章 子どもの脳死をめぐって―現場の小児科からの発言として・・・鞭 熙(むち ひろむ・舞鶴市民病院小児科部長)

 (p210)すべての人間は死後の臓器提供へと自己決定している存在である。よくぞ言ったものである。町野教授、あなたは神だったのか。ホンマかいなというのが、私の即自的なところでの偽らざる感想である。・・・・・・(p223)6歳から15歳の中間あたりで、ちょうど、その頃が子どもが死について認識する時期なのだろう。こういったことは小児科医の間では、ずいぶん以前から興味をもたれてきたことであるにもかかわらず、脳死の議論の中にはついぞ登場してこないのはどういうわけなのだろうか。まず最初に死を認識しないと、脳死なんかとても無理なのである。・・・児童の権利条約・・・意思表示があることを原則として前提条件・・・すくなくともすべての小児が脳死移植のドナーとなり得るというのは考え直す必要があるだろう。

 

第8章 異種移植―医療倫理への新たな挑戦・・・浅見 昇吾(慶應義塾大学文学部講師)

 「動物福祉、アイデンティティ、感染症、拒絶反応」などの問題は指摘しているが、そもそも異種臓器がヒト臓器とは生化学的機能が異なることから、臓器移植に利用できるとしても、移植する臓器(細胞)・期間・目的が制限されたものになるであろうことには触れていない。

 

第9章 ヒト組織利用問題の倫理的検討―「患者のプライバシー」の保護と「同意撤回」権の本源性・・・長島 隆(東洋大学文学部教授)

 ヒト組織の利用は感染症の問題がある故に、医療情報の「連結不可能匿名化」できず、組織提供者(親族)のプライバシーは侵害される危険があり、組織提供者の(提供および利用に対する)同意撤回権が保証されるシステムの問題を提起している。

資料1 「韓国臓器等移植に関する法律」・・・水野 邦彦(北海学園大学経済学部教授)
資料2 「ドイツ胎児細胞および胎児組織利用についての指針」・・・長島 隆(前出)
資料3 「臓器の移植に関する法律」

 

 生命倫理コロッキウム叢書は、現在の生命倫理をめぐる議論において差し迫った問題を系統的に取り上げ、「生命倫理」の現段階を明らかにすることを目的とするもの(第1巻:生殖医学と生命倫理 の後書きより)。次回刊行は情報倫理、発行予定年月日は未定。

 生命倫理コロッキウムは、日本医学哲学・倫理学会 国内学術交流委員会が主催し討論する「専門家会議:colloquium」。2000年から年に一度の研究大会・総会の前日、同一会場で開催される。1テーマに報告者1名。1テーマおよそ2時間。これまでのところ討論出席者はそれぞれ30名程度。これまでに取り上げられたテーマは、2000年:生殖医学、臓器移植、2001年:子どもの権利、情報倫理、2002年:ヒトゲノム解析、臨床倫理、2003年予定:安楽死。

 


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