神奈川県下の病院 60歳男性の脳死患者を搬送
東京医科大学八王子医療センターで腎摘出・移植
1989年9月21日、神奈川県下の病院で脳死とされた60歳男性が、東京都八王子市にある東京医科大学八王子医療センターに搬送され、同センターは9月23日、腎臓を摘出した。
東京医科大学八王子医療センター長の小崎 正巳氏が「治療学」14巻4号p536〜539(1985年)に発表した「脳死患者から摘出された腎移植症例について」によると、60歳男性(H.K氏)は1989年9月19日、脳出血で倒れ神奈川県下の病院に収容されたが、頭部CT検査では右基底核部の出血で脳幹部を圧迫し、まもなく脳死となった。脳外科医より家族に脳死であることが告げられ、翌日、家族より主治医に「心臓を提供したい」と申し出があった。
20日夜、同病院の医師より関東信越地区の地方腎移植センターである東京医科大学八王子医療センターに電話が入り、「腎臓の提供はどうか」と聞いたところ、「血清クレアチニン値が高いので移植に用いることができるかどうかは判断しかねる」とのことであった。しかし家族が、「お役に立つのであればベストの状態で提供したい」との意向なので、主治医が呼吸管理をしながら救急車で東京医科大学八王子医療センターまで搬送し、患者は21日午後4時、同施設のICUに収容された。再度、脳外科医の診察を受け、脳波は全く平坦であり脳死であることが再確認された。血清クレアチニン値は3.8mg/dlと高かったため移植には適さないかと考えたが、ベストの状態で提供したいとの家族の申し出もあったので補液と利尿剤を投与したところ、23日朝には血清クレアチニン値は1.3mg/dlまで低下したので、その時点で腎の提供を受け、46歳と29歳の男性に移植した。
当Web注:東京医大八王子医療センターは、1990年にも他院の脳出血患者を搬入、腎臓を摘出してドナーの兄に移植したことを「移植」25巻6号p672〜p673に報告した。
阪大 62歳女性の人工呼吸停止、13分後心停止、腎摘出
意識不明+対光反射消失+自発呼吸消失=脳死が現実
大阪府医師会 第2回「脳死について考えるシンポジウム」
1984年7月26日、大阪府医師会の主催で第2回「脳死について考えるシンポジウム」が開催された。以下は大阪府医師会報204号より。
大阪大学医学部の園田 孝夫教授は、シンポジストとして「腎臓移植の実際(大阪府医師会報p46〜p52)」を話した。1978年から1984年夏までに阪神地区(大阪府と兵庫県)で23例(45腎)の死体腎提供者があり、他府県からの移入腎が33、米国からの移入腎が11あり、死体腎移植は計67例だった。園田教授は「阪神地区では、ビーティングハートドナーからとった腎臓は1つもありません。つまり、心停止を待ってからとられた腎臓ばかりであるということを一応ここにはっきりお断り申し上げておきます」と述べた。
移植してから尿が出るまでの期間は、移植直後から7例(10.4%)、1週間未満11例(16.4%)、1〜2週間21例(31.3%)、2週間超17例(25.4%)、移植しても尿が出ない11例(16.4%)あった。移植後の腎機能発現に時間を要したり、腎臓が機能しない原因として、手術時の酸素欠乏による急性尿細管壊死、なかでも腎臓摘出時に腎臓を冷やすまでにかかる温阻血時間を取り上げた。「生体腎移植の温阻血時間は20〜5分程度。死体腎移植で私達がやっているような心停止後では温阻血時間は5〜40分要する。一番多い場合で48分。私達が行っている死体腎移植というのは、ふつうの腎臓の手術という点からみますと、非常に欠陥だらけの手術法であることがわかります。これは受腎者の治療法としては、患者を冒涜しているのではないかと、深い反省にたっています。それにひきかえて、脳死状態で腎摘出が可能であれば、どういうことになるかといいますと、温阻血時間が非常に短くてすみます」という。
そして死体提供者の実例を紹介した。62歳女子は、クモ膜下出血で腎移植の9日前に入院。3日前に脳死判定、18時18分にベンチレーターを止めて、13分後に心停止。温阻血時間は14分。他の1例は交通事故の脳挫傷で脳死の診断をされていた。
このほか杉本 侃氏(大阪大学特殊救急)が脳死の実際について、国立循環器病センター研究所の阿久津 哲造氏が心臓移植について、大阪弁護士会人権擁護委員会副委員長の西岡 芳樹氏が法解釈の問題について、ほかのシンポジストが意見を述べた。大阪府医師会報204号p68、p69には、シンポジウム参加者10名の声が掲載されている。以下は2名の意見。
- 28歳・女・医師
「最近、脳死に関する問題が高まってきて、一般の開業医師の中にもその言葉は広まってきている。しかし、正しい概念を持っている人が少ないように思われる。ちょっとした規模の開業医レベル(救急病院でさえ)では、意識がなく、瞳孔の対光反射消失、自発呼吸の消失をもって即
『脳死』と判断し、家族にも説明し、濃厚治療は打ち切っているのが現状である。」
「ひどい所になると『脳死』と説明しても家族が“治療”継続を望んでいるから、と言ってあたかも色々な薬剤を使用しているかのようにみせかけているところもある。(
『脳死』だけに限らないが)そういう病院の医師たちは、対光反射消失、自発呼吸消失となった患者のほとんどが助からないことを経験的に知っているが、やはり、「どっちみち、やがて死ぬ」ということと、脳死のように、「今すでに死んでいる」ということは別物であり、そこのところをはっきりさせないと、死の判定基準はどんどん「生」に近いところにエスカレートしていくと思う。」
- 八尾市・56歳・男・医師
「非常に、大胆な意見であるが、医療サイドから脳死の状態になった患者さんにベンチレーター装置の使用を中止することによって臓器移植を容易にしうるのではないかと考える。」
当Web注
- 大阪大学の園田氏らは1966年10月10日、大阪大学第1外科に入院中の脳腫瘍患者(32歳男性・AB型)に対して、人工呼吸および心マッサージが行いながら腎臓を摘出した。死亡宣告直後の死者に対する人工呼吸・心マッサージは、死者に対する冒涜ではないか。生理的にも、生体解剖と同じではないか。
- 園田教授は「ビーティングハートドナーからとった腎臓は1つもありません。つまり、心停止を待ってからとられた腎臓ばかりであるということを一応ここにはっきりお断り申し上げておきます」と述べたが、クモ膜下出血62歳女性からの臓器摘出では温阻血時間は14分間である。この短時間で腎臓を冷やすには、生前にカテーテルを挿入しておいて死亡宣告から14分の時点で脱血しながら冷却液を注入したとみられる。ビーティングハート時からの臓器摘出目的の手術(カテーテル挿入)を開始したのではないか。摘出臓器に血栓が生じないように、抗血栓剤ヘパリンも投与して心臓マッサージも行ったとみられる。
「人工呼吸の停止」「カテーテル挿入」「心臓マッサージ」「脳出血患者に禁忌である抗血栓剤の投与」、この4項目のいずれの実施においても、“脳死は人の死”の考えなしに実行できるのであろうか。日本移植学会でさえ、1980年代前半から人工呼吸の停止後臓器摘出は脳死臓器摘出として、1980年代後半からはカテーテル挿入についても脳死臓器摘出として実態調査をした。「心停止を待ってからとられた腎臓ばかり」とは、シンポジウム来場者を冒涜した発言ではないか。
- 当Webは、問題発言も記録に残し、批判するために掲載します。
延髄だけでなく脊髄にも呼吸中枢がある
札幌医科大・青木氏ら 動物実験で確認
札幌医科大学(第2生理)の青木 藩氏らは、延髄だけではなく脊髄の上部にも呼吸中枢があることを発見、脊髄性自発呼吸が出現するメカニズムを、呼吸と循環32巻5号p441−447に「脊髄動物の自発呼吸」のタイトルで発表した。
実験ではネコ18頭の脊髄を、自発呼吸がある状態で切断を開始すると、自発呼吸は次第に抑えられたので人工呼吸器で補助呼吸を行なった。脊髄を完全に切断すると、呼吸は全く認められなくなった。しかし筋電図上には、外肋膜筋と横隔膜にわずかに持続的な活動が残っていた。
切断部には薄く切ったスポンゼルをはさんでおき、人工呼吸器に接続して維持したところ、1〜2時間後に18頭のうち13頭(72%)に自発呼吸が再現した。数十分〜1時間程度、人工呼吸器から離脱できたネコもいた。
この自発呼吸時に、横隔膜運動神経ニューロンの活動が、呼吸運動の吸息相に同期して生じているのが確認され、筋弛緩薬で不動化しても活動リズムは存続した。脊髄を切断するレベルを変えた実験と微小電極による探索結果から、上部頚髄(C1〜C2)の髄節内に吸息性ニューロンの活動が記録された。脊髄だけを取り出した状態でも、なお活動のリズムは存続した。
青木氏らは、脊髄切断後に自発呼吸が発現するメカニズムとして、「上部頚髄(C1〜C2)内の呼吸性ニューロンの律動的活動が発現し、その出力が主に横隔膜ニューロン、一部は外肋間筋運動を駆動して生ずるとみなされた」としている。
脳幹部と脊髄が遮断される時に呼吸が抑制されてゆき、その後に脊髄だけで活動を再開することは、神経学者による「高次の中枢が障害されれば、それより下位の中枢が働く。皮質下中枢、脳幹、さらに脊髄にも中枢がある」という指摘と符号している。
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