生体肝ドナー 手術前の情報開示、理解、術後サポートが不十分
「手術後に、体からチューブがでていてベンツ型に傷がある」
「聞いていなかったからびっくりしました(30代女性)」
2012年12月30日付で発行された金沢大学つるま保健学会誌36巻2号(p49〜p56)に、永田 明氏(金沢大学大学院医学系研究科保健学専攻博士後期課程)と長谷川 雅美(金沢大学医薬保健学域保健学系)氏による「生体肝移植ドナーの手術に関する情報への向き合い方」http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/33124/1/AA11599711-36-2-49.pdfが掲載された。
生体肝移植ドナーとなった人々の、臓器提供手術に関連した情報への向き合い方を明らかにするため、生体肝移植ドナーとなった男性3名、女性7名に面接した。ドナー本人には、「生体肝移植の手術に関連した合併症による通院の継続がない。レシピエントが生存している」という二つの条件も含めた。平均年齢42.9歳、男性3名、女性7名の計10名。レシピエントは、配偶者(夫3名)、親(母親3名、父親3名)、子(娘1名)。
生体肝移植ドナーの手術に関連した情報への向き合い方として、4つの特徴が明らかになった。
- インターネットを中心に情報収集したが、ほしい情報が得られなかった
- 情報はレシピエントのことに注目し、自分のことはあえて見なかった
- 術前の情報と向き合えていなかった分、術後には自分の身体に起こったことがショックだった
- ドナーになるのは自分が決めたことだから引き受けるしかないと、自分のことは打ち明けなかった
「今後も生体肝移植を1つの治療法として行っていくのであれば、安心して移植を受けられる医療環境をつくりださなければならない。生体肝移植ドナーに対してはホームページ等を利用した情報提供システムの構築、ドナーが求める情報を中心とする医師からの手術の説明、説明後の心理的なサポートは必須のものである」と考察している。
情報について、「移植実施施設が公表する情報は、生体肝移植の成功率などレシピエントに関する記述が多く、生体肝移植ドナーに関する情報はなかった」「ドナー体験者のブログや体験記は、ドナー体験者の個別性が前面に出た内容であったために、背景が異なる有益な情報にはなり得なかった」「日本肝移植研究会が行った生体肝移植ドナーの全数調査は、ドナーの合併症発生率が8.4%であり、日本の高度な外科技術の安全性が強調されている。これに対抗する情報がないことも、臓器提供をする人々が事前に知っておいた方がよい情報が得にくくする一因と考えられる」と指摘。
面接した生体肝ドナーの多くが、術後の自分に起こったこと(例えば、手術創の形や大きさ、ドレーンの存在)が術前に想像していたこととあまりに違うことに戸惑いを感じたと述べていた。ドナー3人の語りは以下。
- 手術の後は、(腹の)傷から下がしびれて、自分の体じゃないみたいでしたね(50代女性・レシピエントは夫)。
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手術が終わったあと、体からチューブがでていて、ベンツ型(車のエンブレムの形)に傷があるんですけど、聞いていなかったからびっくりしました(30代女性・レシピエントは母)。
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手術の跡、自分の傷を見たときにはびっくりしました。こんなに大きいとは思わなかったので、「こんなに切ったんだあ」とショックでしたね(30代男性・レシピエントは父)
永田氏らは、“医療現場で同意を得るには、『情報の開示』『理解』『自発性』の3つの要素が不可欠である。術後の身体的変化に対するショックに示されたように、生体肝移植ドナーが十分に『理解』できていないことは明らかである”としている。
当Web注:未婚女性で臓器提供後に「モルヒネを必要とするほどの激しい心の痛みを呈したドナー」はこちら。死体臓器提供においても、抗血液凝固剤ヘパリンの副作用がドナー候補者家族に説明されていない。
「肝臓を提供したくない」と言ったら、医師に無視された
痛みを訴えたら、「手術をしたのだから痛いんです」
生体ドナーの体験に耳を傾けない医療者 永田調査
日本看護研究学会雑誌35巻5号が2012年12月20日付で発行され、p13〜p24に永田 明氏(金沢大学大学院医学系研究科保健学専攻博士後期過程)と長谷川 雅美氏(金沢大学医薬保健学域保健学系)による“日本の一医療機関で生体肝移植ドナーを体験した人々の「口を閉ざす行動」の背景にある文化”を掲載した。著者要旨は、以下の枠内。
日本の一医療機関で生体肝移植ドナーを体験した人々の「口を閉ざす行動]を背景にある文化を明らかにする。
ドナー経験者10名とレシピエント3名に対して、半構成的面接で調査し、Geertzの解釈人類学をもとに分析した。
「家族を助ける崇高な存在としてのドナー像の再生産」のために、〈家族の“美しい物語”のなかでドナー役割をとり続ける苦悩〉をし〈「家族全体を救う存在としてのドナー」になる演出〉をしながら、〈「移植」と「家」で区別される秘密の開示の有無〉の選択をしていた。
また、「移植医療で置き去りにされるドナー」として、〈当事者不在のドナーの安全神話〉〈「自発的意思」という権力装置〉〈肝臓を提供することだけを要求する医師〉、そして〈生体肝移植ドナーに対する世間の無理解〉によってロを閉ざすことを強いられていた。この研究から、医療者はドナーの体験に対して真摯に耳を傾けるケアを行う必要がある、という示唆を得た。 |
データ収集時期は2007年12月から2009年12月、ドナー体験者は男性3名、女性7名、平均年齢42.9歳、移植手術からインタビューを受けるまで平均5.4年が経過していた。面接対象は、「ドナーは生体肝移植手術に関連した合併症による通院の継続がない」、「レシピエントが生存している」という2つの条件を満たす。
〈家族の“美しい物語”のなかでドナー役割をとり続ける苦悩〉は、手術前は合併症や死の可能性などの不安、手術後は身体的不調や苦悩を、秘密にして緘黙していること。
〈「家族全体を救う存在としてのドナー」になる演出〉は、レシピエントが手術中止を、他のハイリスクドナー候補がドナーになると言い出すのを抑止するために、不安を隠したり、手術後に話題にすることを回避していること。
レシピエントの父親が「嫁入り前の娘の体に大きな傷をつけたことを申し訳ないと思っているんです。いつも“大丈夫”っていうだけで、本当はどう思っているのかわからない」と語り、その父親に提供した娘さんが面接で自らの秘密を緘目したことを明らかにした。
〈「移植」と「家」で区別される秘密の開示の有無〉では、息子から提供を受けた父親は「うちの息子は、とくに(ドナーになることに)問題はなかったですよ。手術の前もとくに不安はなかったみたいだし、退院してからも直ぐに仕事に出て行きましたからね」と語った。
この父親に肝臓を提供した息子は「彼女には話したが、両親には一切話していないですね。手術の後の体調も心配をかけるので話していません。(中略)話す内容は、彼女と両親では意図的に分けて話をしていました。(中略)看護師は誰が担当かもわからなかったので、話す対象ではなかった」と語った。
〈当事者不在のドナーの安全神話〉は、医療者がドナーに対して手術後に正常に回復することを強い、ドナーに身体的苦痛があっても理解されないという体験をさせていること。
〈「自発的意思」という権力装置〉は、ドナーの自発的意思に基づく提供が、ドナーに対して以後、起こるすべてが自己責任であると自覚させるほどの権力装置として機能し、ドナーの不安、葛藤、身体的・肉体的苦痛を秘密にさせていること。
〈肝臓を提供することだけを要求する医師〉では、「手術が怖くなって医師に「手術をしたくない」と言ったが、無視された(Aさん)」「手術の後、痛みが辛くて医師に訴えたのですが、『手術をしたのだから痛いんです』と返されて、言いたくなくなった(Cさん)」など。
永田氏らは、生体肝移植ドナーのための法整備や、世間の認知を高めるための広報活動を行う必要があることも指摘している。
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