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2011年10月18日 兵庫医科大学:29歳女性、2回の臨床的脳死診断後に自発呼吸が再開
北里大学:薬物影響下で脳死判定の対象外患者を法的脳死判定、臓器摘出
聖マリアンナ医科大:臓器提供非成立の3割、意思不明・臓器提供が判らない
信州大学:小児で脳死になりうる症例に窒息や縊頚が多い
災害医療センター:処置を希望しない家族、手術により独歩退院した症例
金沢大学:病院前蘇生中止基準案に合致387例のうち3例が生存退院
埼玉医科大学:DNR指示のうち54%で、同時に延命治療の差し控え指示
第39回日本救急医学会総会・学術集会
2011年10月18日B 有賀氏 脳死が人の死であると確立していない
脳死患者は、死んだも同然だが死んでいない
家族の臓器提供承諾の正当化は議論の余地あり
2011年10月13日 木内教授:移植は透明性を求められる、死後提供臓器は公共財産
中尾教授:脳死臓器移植は脳死患者の崇高な犠牲の上に成り立つ
小山氏:アルコール性肝不全で脳死移植3例、うち1例が再び飲酒
2011年10月 8日 臓器移植法以前から「脳死」臓器摘出の新潟大学の高橋教授
移植医療においてもっとも優先されることはドナーの人権
生命倫理にかかわる事項は医師のみで決めるべきではない
2011年10月 7日 万波 誠医師が語った臓器売買事件の真相
徳州会はヤクザとものすごい関係があるんじゃないか?
病院の倫理委員会が通したんやから手術するのは当然
怪しいと思うた、養子縁組してすぐに移植ができるなんて
2011年10月 6日 第47回日本移植学会総会
中西:臓器提供で延命治療を中断、ドナー家族の46%がストレス
朝居:親族優先提供、家族の心理的負担・心情の複雑性が著しい
北里大学病院:薬剤がチェックミスで投与、脳死判定をやり直し
沖縄県立中部病院:昨年からドナー候補6例、全例で提供拒否
浜松医科大:脳腫瘍患者、脳死にならず呼吸停止後心停止下腎提供
   

20111018

兵庫医科大学:29歳女性、2回の臨床的脳死診断後に自発呼吸が再開
北里大学:薬物影響下で脳死判定の対象外患者を法的脳死判定、臓器摘出
聖マリアンナ医科大:臓器提供非成立の3割、意思不明・臓器提供が判らない
信州大学:小児で脳死になりうる症例に窒息や縊頚が多い
災害医療センター:処置を希望しない家族、手術により独歩退院した症例
金沢大学:病院前蘇生中止基準案に合致387例のうち3例が生存退院
埼玉医科大学:DNR指示のうち54%で、同時に延命治療の差し控え指示
第39回日本救急医学会総会・学術集会

 2011年10月18日から20日まで、第39回日本救急医学会総会・学術集会が京王プラザホテル、工学院大学、東京医科大学病院を会場に開催される。以下は日本救急医学会雑誌22巻8号より注目される発表の要旨(タイトルに続くp・・・は掲載 ページ)。

 

*橋本 篤徳、小谷 穣治、山田 太平、久保山 一敏、井上 朋子、満保 直美、岩野 仁香、由利 幸久、中島 有香(兵庫医科大学救急災害医学講座):臨床的脳死診断後に自発呼吸が再開し、Perfusion CTで脳幹血流が確認された1例、p541

 29歳女性。意識障害により当センターへ搬人、前交通動脈の動脈瘤破裂によるクモ膜下出血および血腫脳室内穿派と診断。緊急でコイル塞栓術と脳室ドレナージ術を施行したが、第4病日に自発呼吸が消失。両側の瞳孔も散瞳した。第5病日に深昏睡、瞳孔の散大・固定、脳幹反射の消失、平坦脳波より臨床的脳死状態と診断した。ところが第12病日に、一日に数回ではあるが自発呼吸を認めるようになった。第16病日、Perfusion CTにて脳幹の一部に血流が残存している事が確認された。第17病日に再度、神経学的診断と脳波検査を施行したところ、深昏睡、瞳孔散大・固定、脳幹反射の消失、平坦脳波には変化なかった。しかし同日より、脊髄反射とも取れる痙痛刺激に対する四肢の動きが活発に見られるようになった。以降、汎下垂体機能不全に対する補充療法は要したものの全身状態は安定。第37病日に継続加療のため、転院となった。
 2回の臨床的脳死診断で脳幹反応の消失・平坦脳波・ABR全波消失を認めたにも関わらず、脳幹への血流が部分的に残存している事が画像で確認された症例を経験した。臓器移植法の改訂により、ドナーカードを持たない患者であっても家族の同意があれば臓器移植のドナーとなることが可能となっている。本症例の場合も第1回目の臨床的脳死診断の直後に家族が臓器移植の意思を提示すれば、法的脳死判定を施行し無呼吸テストをクリアしてドナーとなっていた可能性がある。脳機能の廃絶を確認するためには、単純CTのみではなくPerfusion CTもしくはMRIによる画像診断が必要である可能性が示唆された。

 

*片岡 祐一(北里大学医学部救命救急医学):当院で経験した脳死下臓器提供の過程で生じた問題点、p541

 当院で初めて経験した脳死下臓器提供は、交通事故で入院8日目に臨床的に脳死状態となった。同時に肺炎も併発した。入院11日目に臨床的脳死判定を行なったが、感染症の問題が残存していたために改善後に法的脳死判定を行なうことになった。入院20日目、法的脳死判定時に脳神経に影響する薬の内服投与が判明。中止して治療域以下の血中濃度を確認後臨床的脳死判定をやり直し、入院23日目に第2回法的脳死判定施行。最初の臨床的脳死判定から臓器摘出完了まで306時間であった。時間がかかった要因に倫理委員会の問題もあった。

当Web注:脳死判定に影響する薬物は、脳組織内濃度と血中濃度が乖離すること、従って血中濃度を測定しても無効なことが指摘されている。さらに岡 希太郎氏(東京薬科大学)は「仮に血中濃度を測定できても、血中濃度に応じた中枢抑制の程度が不明なのであまり意味が無い」としている。北里大学病院救命救急センターは、1990年1月にも交通事故の低血圧患者への脳死判定、臓器摘出を強行した。

 

小野 元(聖マリアンナ医科大学移植医療支援室):心停止下臓器提供からみえる今後の救急医療終末期医療と臓器提供、p541

 我々は2007年から救急現場の臓器提供時の支援を院内で構築してきた。決して提供数を増加させる意図ではなく、あくまで終末期における家族とのコミュニケーションの結果と捉えてきた。昨今、法改正後の脳死下臓器提供症例は家族の希望によることが多い。そこで、家族のどのような希望や意思が臓器提供と関連しているのかを検討した。
 家族の承諾のみで可能な心停止下臓器提供における非成立理由では「本人と話していない」「臓器提供がわからない」が約30%を占め、終末期医療での非成立理由は約10%程度であった。

 

*関口 幸男(信州大学医学部付属病院高度救命救急センター):小児平坦脳波10例の解析、p519

 臓器移植法改正に伴い修正12週齢以上の小児から臓器提供が可能となった。脳死判定の前提となる平坦脳波確認例について解析を行なった。
 信州大学医学部付属病院高度救命救急センターで2004〜2010年度における15歳以下の受診者数は3166名、このうち死亡は28例(外傷5、縊頚4、窒息4、溺水3、心疾患4、神経疾患5、不詳1)。平坦脳波確認症例は10例(縊頚4、窒息3、心疾患1、神経疾患〔脳炎〕)2)であり、縊頚・窒息の8例は心肺停止蘇生後であった。小児では基礎疾患が少なく、窒息や縊頚では蘇生の可能性が高く、脳死に陥る率が高いと考えられる。小児でも脳死になりうる症例として、窒息や縊頚が多いことに留意する必要があると考えられた。

 

*吉岡 早戸(国立病院機構災害医療センター救命救急センター):当センターにおける超高齢者救急の現状、p397

 2010年1年間に当センターに3次対応(ホットライン)で搬送された90歳以上は66例あり、CPA14例(21.3%)であった。最高齢は100歳であった。外傷5例(7.6%)で、内因性で多かったのは心不全11例(16.7%)、肺炎8例(12.1%)、脳血管疾患7例(10.6%)の順であった。処置については手術例3例、気管挿管施行例5例(手術時除く)。一方で、来院後のインフォームドコンセントにて処置を希望しなかった例は20例だった。転帰は死亡29例(43.9% CPA14症例含む)、転院16例(24.2%)であった。
 ADLに関わらず90歳以上の症例は集中治療に該当する者は少数であり、処置を希望しない例も多かった。一方で、手術により独歩退院した症例もあり、しっかりとしたインフォームドコンセント(処置内容含めた)が必要と考えられる。救命救急センターとしては、年齢で適応を判断せずに受け入れ(入り口制限なし)、初期治療・判断する必要がある。

 

*後藤 由和(金沢大学付属病院救急部)、後藤 正明(公立能登総合病院救命救急センター):病院前蘇生中止基準の後ろ向き観察研究、p459

 北米の研究グループは、病院前救護体制によりBLS(一次救命処置)基準とALS(二次救命処置)基準の病院前蘇生中止基準を提唱した。BLS基準は「心拍再開がない」「AED未使用」「救命士によって心停止が目撃されていない」の3項目、ALS基準はBLS基準に「目撃のない心停止」「バイスタンダーによる心肺蘇生がない」を加えた5項目を満たす場合に蘇生中止とするものである。
 過去5年間に2病院に救急搬送された内因性院外心停止例連続732例のうち、成人心原性心停止520名のうち、BLS基準に合致した傷病者は387例(74.4%)であり、そのうち3例が生存退院していた。ALS基準に合致した傷病者は120例(23.1例)であり生存退院例は無かった。
 病院前蘇生中止基準を自験例520例に適応した場合、ALS基準はBLS基準より死亡予測における特異度・的中率が優れていた。わが国において、この基準を病院前の段階で用いることはできないが、来院後に医師が蘇生努力の中止判断の一助となる可能性がある。

 

*佐藤 章(埼玉医科大学国際医療センター救命救急センター):当救命センター入院後死亡患者における延命への対応の現状、p459

 2011年1〜4月に救命センターで死亡した83例のうち、救急室で死亡した51例を除く32例(ICU死亡例)の平均年齢は76.9±13.1歳、男女比は2.6。ICU死亡32例のうち、6症例でDNR指示が得られなかった。DNR指示を事前に得られた26例のうち14症例(53.8%)では、同時に何らかの延命治療の差し控え指示も得られていたが、蘇生処置中や血圧低下などの最終局面で家族がDNRに応じた症例も5例存在した。DNR指示が得られなかった6例では、家族不在2例、治療の一部差し控えのみが1例、家族の精神状態が不安定で相談が困難であったものが1例であり、最後まで蘇生術を遂行することを望まれた例も2例存在した。

 

*東京医科大学における献体を用いた外傷手術トレーニングは死体・臨死患者の各種利用に掲載

 


20111018B

有賀氏 脳死が人の死であると確立していない
脳死患者は、死んだも同然だが死んでいない
家族の臓器提供承諾の正当化は議論の余地あり

 日本臨床救急医学会移植医療における救急医療のあり方に関する検討委員会の編集により、pへるす出版から2011年10月18日付で「臓器提供時の家族対応のあり方」が発行された(A4判・124ページ)が発行された。p3〜p5で、元日本救急医学会代表理事の有賀 徹氏が「臓器移植法のポイント」を解説した。下記枠内は「改正臓器移植法の意義と課題」の部分。

1)脳死は人の死か
 旧臓器移植法の第六条2項には,「前項に規定する「脳死した者の身体」とは,その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう」とある。これは改正臓器移植法の第六条2項において,『前項に規定する「脳死した者の身体」とは,脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう』となり,「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」が削除されている。ここに臓器の移植に関する法律の中の文言ではあっても,普遍的に脳死は人の死であることをうたったものであると読むことができるという主張がある。 
 加えて,脳死であれば,本人の心拍動がまだあるにもかかわらず,家族が心臓の摘出などを決めることができる,ということは,筋論から考えて,脳死が人の死であることを前提にした考え方でないと理屈が立たないという主張もある。
 しかし 脳死をもってその患者本人が死んでいると患者の家族がすべからく理解しているとはとても言えない。つまり,言わば「死んだも同然」のように思っていたとしても,「死んでいる」との認識には至っていないであろう。現場にいるわれわれ医療者も同じように思われる。その意味で,脳死とは死を看取るプロセスにあって,救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)において言及されていることと符号する。「脳死は限りなく人の死に近い」が現状を反映する表現であろう。
 改正臓器移植法は「脳死は人の死である」を背景たる思想としつつも,この法律においては臓器移植の場面においてのみそのようである,という理解であろう。

2)小児からの臓器摘出について
 
上記にあるように,脳死がそのまま人の死ではなく,臓器提供のある場合においてのみ脳死判定をもって死亡とする。そこで,虐待を加えた可能性のある親には臓器提供についての判断が許されるはずがないので,そのような児童からの臓器摘出はあり得ないという理屈は上述した。
 しかし 虐待とは無縁の,いわば良好な親子関係におぃて,否それであればなおさらのこと,親が臓器摘出を考える場面が看取りの重要なプロセスに含まれることは十分に認識せねばならない。虐待への対応にせよ,看取りのプロセスにせよ,これらは実のところ,移植医療に特化したテーマではない。日常の医療にこれらについて,もし不足があれば,それは補わねばならないということである。そのための布陣を現場でしくことができるような資源の投入とプロセスの構築とが求められる。
 これらの構築などが一定の水準に至ったとしても,より一般的な議論としては,脳死が人の死であると確立していない以上,親権者である親が最終的に決定すべきであるとして,やはり親の責任としてどのようにそれが正当化されるかについて,法的に議論の余地があるかもしれない。

当Web注

  1. 日本救急医学会は、2006年の「脳死判定と判定後の対応ついて−見解の提言」http://www.jaam.jp/html/info/2006_1998/info-20060222_01.htmにおいて「日本救急医学会は 1) 脳死は人の死であり、それは社会的、倫理的問題とは無関係に医学的な事象である(平成9年7月2日「臓器の移植に関する法律成立に関する日本救急医学会理事会見解および提言」)、 ・・・中略・・・として脳死と脳死患者からの臓器提供についての見解を公表したが、その立場は一貫し現在も不変である」としていた。
     
  2. 米国でも脳不全患者を『死んだも同然(as good as dead)』、『十分死んでいる(dead enough)』と認識する問題点を、会田 薫子氏が2005年に看護教育46巻1号で指摘した。
     
  3. 歴史的に脳死判定の精度は低下し続けている。

 


20111013

木内教授:移植は透明性を求められる、死後提供臓器は公共財産
中尾教授:脳死臓器移植は脳死患者の崇高な犠牲の上に成り立つ
小山氏:アルコール性肝不全で脳死移植3例、うち1例が再び飲酒

 平成23年度アルコール・薬物依存関連学会合同学術総会が10月13日から15日まで愛知県産業労働センターを会場に開催され、13日はシンポジウム「アルコール性肝障害における肝臓移植」が開催された。以下は、日本アルコール・薬物医学会雑誌46巻4号より、注目される発表の部分(タイトルに続くp・・・は掲載 ページ)。

 

*木内 哲也(名古屋大学医学部附属病院移植外科):アルコール性肝不全に対する肝移植治療・適応をめぐる議論の現状と課題、p62

 わが国でも、臓器移植が『日常の医療』となりつつある。移植医療は命の長さと質を劇的に改善する一方で、臓器の『提供者』を必要とすることから、常に社会に対する透明性を求められてきた。さらに、提供される臓器の数が充分でないため、移植の適応決定には、平等性の原理に加え、治療効果が優先されるという有用性の原理が適用されてきた。
 末期の肝疾患に対して行われる肝移植治療は、死に直面した患者さんの多くに人生を調歌する機会を創り出している。欧米ではアルコール性肝硬変の頻度が高く、肝移植に至るのはその一部とはいえ、成人移植例の10−20%を占めている。既に日本でも、肝移植を受けた成人肝硬変の12%がアルコール由来であり(2009年;成人肝移植全体の3%)、その適応をめぐる議論は急務である。
 何が問題なのか?アルコール性肝不全は、合併症の危険はあるものの、移植後の生存率やQOLが他の肝不全と差がないとされる。問題は肝移植後に再び『健康』となった後の再飲酒である。欧米のデータでは10−50%が移植後に再飲酒しているとされ、日本でも公式データはないが相当数あると思われる。習慣性/依存性の大量飲酒ばかりではないが、身体予後に影響して死に至る危険もある。
 移植後は少量の飲酒でも肝障害を生じ易く、飲酒習慣に伴う診療アドヒアランス低下も懸念される。少なくとも、死後に臓器を役立てたいという国民感情には受け容れられない可能性が高く、日本で主流を占める生体肝移植では、身を切って家族を助けたドナーが患者の再飲酒によって深く傷つき、家族が破綻する例もある。他方、移植という死線を克服した貴重な経験が、社会復帰を後押しする例もある。
 現在は、移植後再飲酒例の解析から、飲酒歴、断酒期間(肝不全のため自主的とは限らない)、家族・社会環境とサポート、併存精神・人格障害、などを元に各施設が適応評価を行っているが、正確な予測は難しい。肝不全状態では時間をかけたアルコール・リハビリは困難である場合が多く、多職種による継続的迫跡が必要である。(後略)

 2012年1月12日付のメディカルトリビューン17面記事によると、木内教授はシンポジウムで「アルコール性肝硬変の場合には、ドナーやその遺族、ドナー・プールである国民の感情も考慮に入れる必要がある。重要なのは十分な情報公開、すなわちドナーや国民の“結果を知る権利”の確保である。さらに公共財産である死後提供臓器と家族への提供を申し出る生体ドナーの臓器を同一基準で論じるべきか、感情に引きずられている生体ドナーの意思をどのように受け止めるかなどへの回答を、今後模索していく必要がある」と発言した。

 

*中尾 春壽(愛知医科大学消化器内科):消化器内科の観点から見たアルコール性肝硬変の肝移植、p65

 非代償性肝硬変において、肝移植は最も予後の改善が期待できる治療法であると同時に最も患者以外の代償を伴う治療法でもある。肝移植には生体肝移植と脳死肝移植があるが、ともにドナーとなる患者親族または脳死患者からの臓器提供という崇高な犠牲の上に成り立つ医療行為である。それゆえ、肝移植後には肝硬変の再発予防が極めて重要となる。
 (中略)アルコール性肝硬変の背景にはアルコール依存症があるため、依存症からの離脱を術前に完全に証明することは困難な上、術後に再びアルコール依存に陥る可能性も高い。生体肝移植ではドナーの親族が身近にいるため断酒を継続する場合も多いが、脳死肝移植の場合は移植後に身体症状が改善すると飲酒を再開する症例があり問題となっている。肝移植前から精神科医による依存症の治療も導入されるが、治療に時間がかかり再発率も高い依存症の治療導入の時期として最適とは思いがたい。(後略)

 

*小山 真弓(名古屋大学医学部附属病院精神科):アルコール性肝不全における心理社会的肝移植適応 脳死移植施設からの試案(2)、p142

 2003年以降、アルコール性肝不全で肝移植適応につき当院に照会があり肝移植を希望した25例を対象とした。当院の基準の概略を以下に示す。
A基準(必須):断酒期間は6ヵ月で、将来にわたる断酒を宣言できる。
B基準:アルコール関連障害以外の精神疾患を併存していない。診療アドヒアランス確保の可能性が高い。家族の理解や援助、移植の同意が得られる。就労している、またはその用意がある。再飲酒のリスクが著しく低い(High-Risk Alcoholism Relapse Scaleスコアが2点以下)。
C基準:適応判断が困難な場合は、1ヵ月後に再度判定。

[結果]A基準を満たしたものが10例、人院により断酒となったが断酒の意思不明確が3例、断酒意思なしが12例であった。A基準を満たし、心理社会的に妥当と判断された10例のうち、高齢や肝癌の進行を含めたリスクあり等の理由で移植適応なしとされた3例を除く7例が脳死登録を行った。そのうち現在までに肝移植が施行されたのは3例で、1例に再飲酒が認められたが、3例とも精神科による経過観察を継続または予定しており、今後の再飲酒の防止に取り組んでいる。

 

当Web注

  1. 2009年11月に大阪大学の福嶌氏は「心臓移植は他人の命をいただくわけである」、2011年9月に岐阜大学の西垣氏は「ドナー家族とは,レシピエントに生きるためのセカンド・チャンスを贈り,自分の生の代わりに,生命の贈り物をされた方たちの家族である」と発表した。
  2. 腎臓移植は医学的根拠なく強行されている。脳不全患者の犠牲死を公然と宣伝し、臓器を社会的資源や公共財産とみなす移植推進の立場からも、「不適正な利用、臓器を利用する資格なし」と判断されるべきであろう。

 


20111008

臓器移植法以前から「脳死」臓器摘出の新潟大学の高橋教授
移植医療においてもっとも優先されることはドナーの人権
生命倫理にかかわる事項は医師のみで決めるべきではない

 医歯薬出版発行の「医学のあゆみ」2011年10月8日号は、高橋 公太(新潟大学大学院医歯学総合研究科腎泌尿器病態学分野)による「わが国における生体腎移植の現況と今後の方向」をp176〜p183に掲載した。維持透析療法を経ないで腎臓移植を受ける先行的腎移植(preemptive kidney transplantation:PEKT)を推奨する内容。

 “腎移植の現況 1.腎移植の件数”では、「わが国では国家的に donor action program(臓器提供推進プログラム)を強力に推進しなければいけない。事実、わが国の献腎提供数の2/3は、donor action(臓器提供推進活動)を実施している都道府県から提供されているのが現状である。改正臓器移植法が2010年7月17日より施行され、この1年間に約60例の脳死下臓器提供がなされ移植件数は伸びたが、提供数が増加していない。その理由は、いままで心停止下に臓器提供されたドナーが脳死下に提供するようになったにすぎない。さらに小児に至っては、現在のところ脳死下では1例しか臓器が提供がなされていない。今後、飛躍的な死体臓器提供が期待できないので、donor actionを積極的にすすめるべきである」(p177)

 “臓器売買と生体腎移植の問題”では、「2006年と2011年の2回にわたって同一移植施設で生体腎移植における臓器売買が発覚し、そのドナーおよびレシピエントの関係者が逮捕されたことは遺憾である。移植医療においてもっとも優先されることは移植患者の利益ではなく、ドナーの人権であり、ドナーが不利益を被ることがないようにするべきである。この前提が守られてこそ健全な移植医療が成り立つのである。さらに、このような生命倫理にかかわる事項は医師のみで決めるべきではない。また、医師は国民から与えられた裁量権の意義を考え、法よりも高い倫理観を持つことが大切である」(p182)と書い た。

 

 2012年4月に医学図書出版から発行された泌尿器外科25巻(特別号)p640〜p647に、高橋による「腎移植の今昔」が掲載されている。p643にも「移植医療においてもっとも優先されることは移植患者の利益ではなく、ドナーの人権であり、ドナーが不利益を被ることがないようにするべきである。この前提が守られてこそ健全な移植医療で成り立つのである。さらにこのような生命倫理にかかわる事項は医師のみで決めるべきではない。また、医師は国民から与えられた裁量権の意義を考え、法よりも高い倫理観を持つことが大切である」と書いている。

 

以下は当Web注

  1. 高橋 公太は1981年、日本腎臓学会誌23巻4号に「腎保存の研究 第3編 簡易死体内腎保存法 基礎的研究とその臨床応用」を発表し、6人の患者の心停止後に心臓マッサージを行なって腎臓を摘出したことを報告している。詳細および原資料へのリンクは1981年4月30日付記事に掲載。
     
  2. 高橋 公太は1984年9月、東大PRC企画委員会が主催した第1回脳死を考えるシンポジウムで、「死体腎移植というのは?亡くなった人というのはどういうことか、心停止後24時間たっていますか」という質問に即答せず、追及された挙げ句に「心臓が止まってはいますが、24時間ということはありません」と答えた(東大PRC企画委員会:腎臓移植の現状、脳死(増補改訂版)、技術と人間、10−15、1986)。
     ところが1983年4月4日、国立循環器病センターで開催された第10回臓器保存研究会において高橋は「死体腎donor4例中3例が脳死であり、・・・・・・」と報告している(高橋 公太:温阻血と腎、肝および膵の病理学的所見、移植、18(5)、473、1983)。また高橋 公太:脳死と死体腎移植、東京女子医科大学雑誌、54(2)、164−172、1984は、1983年10月現在で東京女子医科大学腎臓病総合医療センターが関係した死体腎(日本人)ドナーは28例、このうち脳死摘出が3例あったことを明記している。
     
  3. 高橋 公太は1985年10月1日、信楽園病院で脳死判定された新潟県庁職員の中村 嘉明氏(44歳)からの臓器摘出を執刀し2個の腎臓を摘出、ドナーは心臓が拍動し人工呼吸器を付けたまま家族の元に帰された(中島 みち「新々・見えない死 脳死と臓器移植」p159〜p180、文芸春秋1987年6月号「あなたは脳死に直面できるか」)。詳細は「心停止後」と偽った「脳死」臓器摘出(成人例)に掲載。
     
  4. このほか高橋 公太は、小児「死体」腎ドナー生存中の臓器摘出目的のカテーテル挿入心停止ドナーに対するドナー管理など、多数の論文・抄録の執筆者である。
     
  5. 2007年にも日本移植学会の大島 伸一副理事長(当時)が「移植医療で最優先されなければならないのは移植患者の利益ではなく提供者の人権であり、提供者が不利益を被ることのないようにすることである。・・・わが国の移植医療はこのような歴史の上に築かれたものであり、その教訓は、社会との対話、社会の監視なしに医療は成立しないということである」と書いた。大島は、1981年に新生児の生体解剖・臓器摘出を行なった。詳細は2007年3月10日付記事に掲載。
     
  6. 日本臓器移植ネットワークのドナー候補者家族に対する説明文書「ご家族の皆様方にご確認いただきたいこと」http://www.jotnw.or.jp/studying/pdf/setsumei.pdf は 下記枠内のとおり、ヘパリンの投与 が血液凝固を阻止する目的であることは説明しているが、ドナーに不利益となることは一切記載していない。 ドナー候補者家族の人権も守られていない。
    6.心臓が停止した死後の腎臓提供について
    (1)術前処置(カテーテルの挿入とヘパリンの注入)について
    @ カテーテルの挿入
    心臓が停止した死後、腎臓に血液が流れない状態が続くと腎臓の機能は急激に悪化し、ご提供いただいても、移植ができなくなる場合があります。
    そこで、脳死状態と診断された後、心臓が停止する前に大腿動脈および静脈(足のつけねの動脈と静脈)にカテーテルを留置しておき、心臓が停止した死後すぐに、このカテーテルから薬液を注入し、腎臓を内部から冷やすことにより、その機能を保護することが可能となります。
    ご家族の承諾がいただければ、この処置をさせていただきます。なお、この処置は、心臓が停止する時期が近いと思われる時点で、主治医、摘出を行う医師、コーディネーター間で判断し、ご家族にお伝えした後に行います。処置に要する時間は通常1時間半程度です。
    Aヘパリンの注入
    心臓が停止し、血液の流れが止まってしまうと腎臓の中で血液が固まってしまい、移植ができなくなる場合があります。そのため、脳死状態と診断された後、心臓が停止する直前にヘパリンという薬剤を注入して血液が回まることを防ぎます。

     

  7. 腎臓移植は医学的根拠がなく敢行されており、腎臓移植医が直接対応している慢性腎不全患者そして移植待機患者の人権さえも守られていない。

 


20111007

万波 誠医師が語った臓器売買事件の真相
徳州会はヤクザとものすごい関係があるんじゃないか?
病院の倫理委員会が通したんやから手術するのは当然
怪しいと思うた、養子縁組してすぐに移植ができるなんて

 2011年10月7日、ジャーナリストの青木 理氏は、宇和島徳州会病院の万波 誠医師にインタビューした。以下の枠内は、青木 理著「トラオ 徳田虎雄 不屈の病院王」(小学館から2012年12月5日発行初版)p250〜p264掲載の「臓器売買事件の真相」「つきまとう宗教臭」より主要部分。

−−今回の臓器売買事件についてうかがいたいんですが。
 「(事件の背景は)単純じゃないんじゃ。わしはウソが嫌いなの。ウソはええんじゃけど、着飾ったウソが嫌いなのよ。表面だけのええことば書くんじゃったら、ウソを書くことになる」
−−というと
 「(徳洲会は)ヤクザとものすごい関係があるんじゃないか?どこかで(ヤクザと)手を打っとるんじゃと思うんやけど」
−−そうなんですか?でも、前回の病気腎移植の時も、今回の事件でも、徳洲会や徳田さんは万波先生を守ったんでしょう?
 「それはそうじゃろう。徳田病院の従業員ですから、社長は部下を保護するのは当然ですよ。ただ私はな、はっきり言うて、一回も頼んだことない」
−−一回も頼んだことないって、どういう意味ですか?
 
「守ってくれとか、擁護してくれ言うたこと、一回もない。臓器売買には直接関係していないことの情報を得たから守っただけなのよ。病気腎移植に関してもじゃな、決して人を 騙して、カネを取ったりしてやっとったわけじゃなかったのよ。そやから徳田さんとしてもじゃな、なんぼ世間が騒いでも、切るわけにいかなんだと思うよ」
−−病気腎移植についてもうかがいたいのですが、やっぱり目の前で苦しむ患者を救いたい、助けたいっていう想いから行ったわけですか。
 「わしは、人を助けるなんて考えたこともない。ただ、自分の仕事を、できる範囲の仕事をやるだけよ。移植ができるんだったら、透析より移植の方がええんですから、可能性があるんだったら広げようという。日本はアメリカやヨーロッパに比べて、移植でもはるかに遅れとるんですから」
−−人工透析は、患者さんの負担が大変だそうですね。
 「人にもよるけど、週3回ぐらい、(1回あたり)4時間か5時間は機械に縛られて、そういうハンディキャップを背負っていく。普通はなかなか就職もできん。結婚もなかなかできんわ。ヨーロッパやアメリカなんかでは、若い人はもう、せいぜい4年以内に移植ができるようなシステムにできとるんですけどな。日本は15年か16年待たんとできん。15年、16年いうたら、もう死ぬ人が多いですからな」
−−死んでしまうんですか。
 「そう。透析を長くしとったら動脈硬化が早く起こるしな。心臓とか目とか皮膚とか、いろんな症状が出てくる。平均寿命もものすごく短いですよ。透析をはじめてから死ぬまでの」
−−なぜ日本は腎臓移植の医療体制が遅れているんだと思いますか。
 
「透析することで金儲けできるシステムをつくった国が悪いんじゃないですか。透析療法が力ネになるんですわ(苦笑)。ものすごい儲かるの。それが日本ですわ」
−−そういう患者さんたちの苦しい現状があるから、一方で臓器売買のような犯罪が起きてしまうんでしょうか。
 「わしゃ、悪いことじゃないと思うよ」
−−え!?
 「カネで臓器を買って、どこが悪いの?いや、小学生の子が(臓器売買を)やるんやったら、わしはいけんと思うよ。小学生はまだ判断ができんから。でも、20歳を過ぎた人がやな、人のものを盗るんじゃなく、自分が力ネを出して買うんですよ。そして売る人もおってじゃな、2000万円で臓器を買いたいいうんやったら、買うのは勝手でしょう。道徳的に、倫理に違反する?自分の人格を持った一人の大人がな、自分の腎臓を売る、そして腎臓を買う。どこが悪いんや。力ネがあるんじゃったら買えばいいし、力ネがないんじゃったら売ればいいじゃない。日本では一応(臓器移植法で)禁止されとるけど、おかしいと思わん?そういう大人の自主性というものを、なんでそこまで規定してあげんといかんわけ?」

 いい大人同士が合意の上でやる取り引きならば、臓器を売買したっていったい何が悪いのか −−。そう言い放つ万波の話を聞きながら、この男は、自らが執刀した移植に金銭が介在していたことを知っていたのではなかったか、と私は思った。事実、その点について私が、「万波さんも、うすうす気づいていたんじゃないですか」と問うと、万波はまたもあけすけにこう語った。

 「いやあ、怪しいと思うたよ。それはそうや。怪しいよ。(2011年6月に警視庁が摘発した臓器移植事件のように)養子縁組してすぐに移植ができる人なんて、おらなんだもん。そんな馬鹿なことは絶対ない。だけどわしは、患者を手術して、(病状を)いいようにしたらええだけじゃからな。(病院の)倫理委員会が通したん やから、手術するのは当然よ。たとえ臓器売買であろうが、殺人者であろうが、わしはやるんですわ」

 やはり−−。そう思ったが、しかし私は、そんなことはもうどうでもいいような気分にもなっていた。あまりに奔放であけすけな万波の話に引き寄せられていたこともあるし、万波の言っている理屈にも 一理ある、と思いはじめていたからだ。続けて万波へのインタビューである。

−−倫理や道徳、それに法律なるものがあり、一方で目の前には苦しんでいる患者さんがいる。医者の立場としては、それを救いたいし、救えないというもどかしさはあるでしょう。
 「ただな、移植医療というのは、(生体移植の場合とまったく正常な人から臓器を一つ取るわけなんや。ここに犯罪が発生したり、倫理的な問題が出来る恐れがある。そこをどういうふうにチェックするか」
−−難しいですよね。
 「難しい。しかしな、やっぱり基本的には、20歳を過ぎた成人なら、自主的な判断をできるはずじゃろ。もし(やり方が)間違うておったら、普通の刑事事件として(捜査を)やられたらいいんじゃ。そうじゃなかったら、自主的な判断だとわしは思うよ。 相手を殺すわけじゃないし、強制的に連れてきて気絶させて腎臓を取るわけじゃないんだから」
−−しかし、たとえば貧しい国の農村地帯などから臓器を買い付けてくるなんていうケースも起きうるでしょう。
 「それも同じや。人間が、一つの個人が、社会における個人がじゃな、自分の判断でやることでしょう。嫌ならやらなんだらいいんじゃから。『私は力ネが欲しいからぜひやりたい』って言うて、それを第三者がいけんと言える?たとえば自分の子どもが死にそうになってて、『どうしても医療費がいるから自分の腎臓を一つ売りたい』って、貧しい国の子の父親が言っていたらどうする?」
−−それも判断が難しいですね。
 「すべては自分で決めることやろ。今の世の中で大切なのは、自分の頭で考えて行動することや。なのに大人が子どもに罰を与えるような法律つくってな。17歳の娘は午後7時に家に帰ってこいいうんと同じや。馬鹿になりきってるで。それでがんじがらめに縛ってな。そこまで社会が規制するのは間違いじゃ」
−−なるほど・・・・・・
 「たとえばな、あなたが結婚して、一力月後に腎臓が悪いことが分かって、奥さんが『私の腎臓をあげる』と言うたって、ダメなんでっせ」
−−移植できないんですか。
 「3年間はダメ。でも、3年経ったら死ぬかもしれんぜ。逆に、3年以内に移植すれば助かるかもしれんよ。それにな、第三者間の(臓器)移植は法律がいま禁止しとる。こんな法律もまったくばかばかしい。兄弟間だってな、金銭のやりとりをやっとるがな」
−−というと
 
「本当の兄弟だって、(腎臓の提供を受ければ謝礼として)自動車あげるとか、土地あげるとか、なんぼでも聞いたことありますよ。(実の兄弟間で臓器提供を受けて)知らん顔して、『ありがとう』だけで済ませる?」
−−そりゃ、やっぱりお礼くらいはしたくなるし、実際にお礼を渡すかもしれませんね。
 「お礼するし、なんでもあげる。土地だって全部あげるわ。まったく日本っていうのは、胸くそ悪いで。表面だけ、形だけ整っとったらいい。でも、本当の倫理はデタラメや」

 私はすっかり、万波が吐き散らす毒気にあてられていた。いや、正確に記せば、万波の主張は相当に共感できる部分が多いものであり、私はその理屈に「ある人物」の影を重ねていたのだ。

(中略)

 宇和島徳洲会病院の祖末な応接ソファーに座って異端の医師・万波と向き合い、その奔放にすぎる話に耳を傾けながら私は、徳之島徳洲会病院の院長だった小野隆司のことを思い出していた。万波と小野。まったく対照的な2人の医師は、徳洲会と徳田虎雄という男が持つ複雑怪奇な二面性を端的に象徴しているように思えてならなかったからだ。
 徳田の原点は、故郷・徳之島という離島にある。普通なら何でもないような病で弟が命を落としてしまったことに憤り、離島や僻地で医療過疎状態に苦しむ人々を救いたいのだと訴え、徳田はひたすらに猪突猛進を続 けてきた。それができぬのなら徳洲会など潰れても構わない−−今もそういって、全身不随となりながらもグループ内に発破をかけている。
 少なくとも現在のこの徳田の情熱に、おそらく一片のウソもない。そこに私は、徳田の徹底的な「善人性」を見る。そして、海外の難民キャンプなどを放浪して僻地医療の重要性を痛感してきたという温厚で真面目な医師・小野は、徳田の期待を担って離島・僻地医療の立て直しと拡充に向けた“持命”を担わされている。
 一方で徳田は、建前的な偽善から遠く離れ、傍目にはあまりに常識外れな「きわもの」として生きてきた。自らが正しいと信じた目的のためには、手段の是非 などお構いなしに突き進む。目の前の信号が赤でも、止まることなど考えない。社会的には「悪」とされていることでも、世間から指弾されるようなことでも、自らが信じる目的のためなら平気の平左ですべてを押し通す。
 その一面を、万波という異端の医師はどこか表象している。目の前に苦しんでいる患者がいて、その苦しみを軽減させられる手段があるのなら、できうる限りのことをやってみようではないか。それが「ルール違反」などと指弾されても、さほど気にもかけない。むしろ偽善的で薄っぺらなルールに縛られ、「お上」にあれこれ指図されるなんて馬鹿げている−− そう言い放つ万波は、徳田と徳洲会の「きわもの」性の一端を体現しているように思う。

当Web注:日本腎臓学会の「エビデンスに基づくCKDガイドライン2009」 http://www.jsn.or.jp/ckd/ckd2009_764.phpは、腎臓移植http://www.jsn.or.jp/ckd/pdf/CKD19.pdfは、「腎代替療法としての腎移植の位置づけ」 について“本邦におけるエビデンスはなく,逆に本邦の透析患者の生命予後が欧米に比較して優れていることから,移植による生命予後改善は欧米ほど顕著ではない可能性もある”としている。
 腎臓移植の当日〜翌日に死亡した患者もいる。その他、臓器移植の医学的根拠の不明確さについては臓器移植を推進する医学的根拠は少ないを参照。

 


20111006

第47回日本移植学会総会
中西:臓器提供で延命治療を中断、ドナー家族の46%がストレス
朝居:親族優先提供、家族の心理的負担・心情の複雑性が著しい
北里大学病院:薬剤がチェックミスで投与、脳死判定をやり直し
沖縄県立中部病院:昨年からドナー候補6例、全例で提供拒否
浜松医科大:脳腫瘍患者、脳死にならず呼吸停止後心停止下腎提供

 2011年10月4日から6日まで、宮城県仙台市の仙台国際センターで第47回日本移植学会総会が開催された。以下は「移植」46巻総会臨時号より、注目される発表の部分(タイトルに続くp・・・は掲載 ページ)。

 

*中西 健二(三重大学医学部付属病院):ドナー家族がストレスに感じる臓器提供に関連した事象、p146

 献腎ドナー家族347家族に対して質問紙調査を行い、165家族224名から有効回答を得た。ドナー家族にとってストレスになり得る臓器提供関連事象19項目について、「あてはまらない・経験しなかった」「あてはまるが、ストレスには感じない」「あてはまり、ややストレスに感じる」「あてはまり、ストレスに感じる」の4件法で回答を求めた。
 臓器提供関連ストレス事象19項目について、少なくとも「あてはまる」と回答した割合は平均21%であり、経験頻度の高い項目は「移植Coから経過報告を受ける度、故人を思い出す70%」「最期のお別れの場が慌ただしい雰囲気になった:56%」「医療スタッフから臓器提供の話を切り出され、驚いた:38%」 であった。
 経験頻度の高い上位10項目のうち、経験者の中で「ややストレス・ストレスに感じる」との回答割合が多かったのは、「周囲の人から臓器提供したことに関して配慮に欠けた言葉を掛けられた:46%(19/39名)」「臓器提供のため延命治療を中断した:46%(28/61名)」「臓器提供の決断を巡り、家族や親族間で言い争いや不和が生じた:38%(20/52名)」であった。

 

朝居 朋子(日本臓器移植ネットワーク中日本支部):親族優先提供による腎移植 ドナーコーディネーターの立場から、p183

 本邦初の親族優先提供による心停止後腎移植のコーディネーションを経験したので報告する。ドナーは40歳代女性、脳血管障害、心停止後に両側の腎臓を提供し、1腎は先天性腎疾患の20歳代の長女に移植、もう1腎は通常のあっせんにより移植された。本人の意思表示、親族関係の確認、承諾書の作成等については、臓器移植法ガイドライン第2「親族への優先提供の意思表示等に関する事項」に従い、移植コーディネーターが行った。
 本症例の経験から、通常の死後の臓器提供と異なり、1つの家族の中にドナーとレシピエントという対極の立場が混在するため、家族の心理的負担や心情の複雑性が著しいこと、レシピエントは移植前準備のために肉親(ドナー)の臨終や葬儀に立ち会えないことなど特殊な事情があることがわかった。その上、法理念においては、臓器提供の意思が親族優先提供の意思に優先するが、臓器不全患者を抱える家族においては、親族優先提供はごく自然な感情であることの理解が家族への共感には必要であるなど、親族優先提供においてのドナーコーディネーターの役割に通常のドナー家族への関わりとは異なる関与が求められることがわかった。本事例において惹起された法解釈上の問題点(提供臓器の選択等)については、今後の議論が必要である。

*三浦 清世美(社会保険中京病院):親族優先提供による腎移植 レシピエントコーディネーターの立場から、p184

 法改正後、本邦初の親族優先提供による腎移植を経験したので報告する。レシピエントは20歳代女性。先天性腎疾患のため、生体腎移植を施行するが透析再導入となり、献腎移植待機者となった。女性の母親(40歳代)が脳血管障害で入院後、家族は「親族優先」と記された意思表示カードを提示し、心停止後の優先提供を希望した。キーパーソンである父親が母親の最期を看取るために提供病院へ戻る中、レシピエントはひとり移植病院で手術が始まるのを待っていた。
 このように親族優先提供では、親族の範囲が配偶者と子及び父母に限られているため、レシピエントは最愛の肉親を失った悲しみの中、移植手術を受けることになる。また、父親は母親の意思を尊重しレシピエントのために臓器提供を決心しており、意思決定プロセスにおける心の葛藤は計り知れない。通常の献腎移植とは異なる特殊な状況での移植は、悲嘆のプロセスが複雑化する可能性が高く、レシピエントとその家族の身体的・精神的負担は大きいと言える。本事例において、ドナーコーディネーターとの連携、レシピエントと父親の心情に配慮した関わりと継続的なグリーフケアの重要性が示唆された。

当Web注:「死体」腎移植における親族優先提供は、1960年代から行なわれてきたことが東京大学医学部泌尿器科学教室のアンケートでわかる。日本臓器移植ネットワーク発足後も行なわれてきた。こうした過去の行為が、移植関係者内部においても隠蔽すべきこと、疚しいことと認識されてきたために、コーディネート上の問題意識も継承されることがなかったのではないか?

 

*平 幸恵(北里大学病院看護部):脳死下臓器提供を経験し院内体制の再検討、p200

 18歳以上の男性、交通事故による多発外傷後8病日目に脳死の状態となる。オプション提示を行うが家族は拒否。だが11病日目に父より提示の申し出があり、脳死下臓器提供の方針となる。摘出に至るまで一時的に血液培養で陽性、また影響薬剤が事前のチェックミスにより投与されていた事が発覚した。再度、脳死とされうる脳死判定からやり直し病棟、特に主治医への負担が増大した。また、対策本部、倫理委員会への患者情報が不足したため倫理委員会承認までの時間が予定日数より約5日超過した。

当Web注:中枢神経抑制剤の投与が発覚し、脳死判定をやり直したと見込まれるが、複数の法医学者が脳組織に高濃度の薬物が残留し、血中濃度と乖離する現象を報告している。脳死判定の対象から除外すべき患者に対して、脳死判定を強行した可能性が高い。

 

宮里 均(沖縄県立中部病院):一般病院における臓器提供への取り組み、p201

 沖縄県立中部病院は人口11万のうるま市を中心とした医療圏をもつ一般救急病院である。昨年7月の臓器移植法案改訂をきっかけとして臓器提供への取り組みを始めた。休眠状態にあった臓器移植委員会の再開、脳死判定委員会の再開、また各委員会の規約、マニュアルの改訂をおこなった。ついで実際にドナー候補のスクリーニングを行っている。各病棟師長、ICU師長、ICU専従医とともに連日人院患者のうちに“脳死とされうる患者”がいるかどうか、また死亡退院した患者のうち実際にはスクリーニングにかからなかった患者をレトロスペクティブに評価している。ドナー候補のスクリーニングはGCS3点、70歳以下で、全身状態悪化の原因がはっきりしており、悪性腫瘍がないものとしている。実際の評価は昨年9月から開始し2011年6月の時点で6例のドナー候補と考えられる症例が発生し、その患者家族に臓器提供について院内コーディネーターとして説明した。最終的に全例で提供拒否となったが、臓器提供が一般にもかなり認知されてきていることが判明した。また70歳未満で死亡した例のレビューではその70%以上が癌死でドナー候補となりうる症例を見逃したという例は非常に少なかった。

 

*水口 智明、大田原 佳久(浜松医科大学院内移植コーディネーター):脳死下提供を希望した脳腫瘍患者ドナーの思いと家族の思いについて、p313

【症例1】30代女性は法律改正前に脳死下で5臓器を提供された。本症例は病状早期から両親が本人の意思を叶えたいという意向が明確で、状態が悪化したときには臓器提供のために人工呼吸器を装着することを希望された。
【症例2】30代女性で法律改正後に心停止下で腎臓提供をされた。本症例の家族は、急変した場合には人工呼吸器の装着を希望せず、結果的には脳死とはならず、呼吸停止後心停止下で腎臓提供を行った。
【考案・結語】脳腫瘍が原疾患の患者は、ある程度自分の病状を予想し、臓器提供を考えることができ、また家族もドナーの死への覚悟や、臓器提供についてある程度考える時間がある。この中で実際に死を迎えた時の家族の思いは本人の希望を叶えたいという思いと、苦しい時間をできるだけ短くしてやりたいという思いが交錯するようである。家族によって提供への思いが異なり、コーディネーターはドナーの意思表示があることから家族が提供に同意すると決めつけず、残された家族の思いを十分反映するような対応が大切であることが示唆された。

 


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