|
□ 発症まで □
元来、ギックリ腰なるものには時折見舞われる程度で、慢性的な腰痛の経験はありませんでした。
それが、2000年の初頭頃より、両足に冷え性を感じるようになり、
夏頃には慢性に近い程の腰痛を感じるようになりました。
ただ、ヘルニアには付き物の坐骨神経痛はありませんでした。
そして迎えた秋。
出張中の身であった私、
両手にビジネスバッグと資料を抱え、肩には3泊4日分の着替え類が詰まったバッグを掛け、
ホームに滑り込んでくる電車に乗り遅れまじと階段を駆け上がっている最中に悲劇が起きました(大袈裟)。
階段を一段飛ばしで快調に駆け上がっている途中で、急に腰の辺りから力が抜け、
その場に崩れ落ちてしまったのです。
幸いにして、暫くそのままの姿勢で様子を見た後、直ぐに立ち上がることができたので
大事には至りませんでしたが、その時、自分の身に何が起こったのかはわかる由もありません。
それからはギックリ腰になる頻度が増大し、姿勢を変えるにも苦労するほどになりました。
デスクワーク等、椅子に座っている状態から立ち上がろうとするだけでギックリ腰のようになってしまうほどで、
「ぅぐっ......!!」とつい声が出てしまい、顔をしかめながら暫く腰を半分曲げたままの姿勢でじっとしていなければ動くことができないようになってしまったのです。
しかも、就寝時には寝返りを打つ度にその激烈な痛みで目が覚めてしまい、熟睡などできるような状態ではなくなってしまったのです。
ついには、起床後、ベッドから起き上がることが出来ないほどの激しい腰痛を感じるようになりました。
□ 通院開始 □
嘱託医である某私立総合病院整形外科の診察を受け、レントゲン撮影を早速行いました。
そこには、L4とL5の間の椎間板が完全に潰れ、それぞれに骨棘が出来ている画像が鮮明に映っておりました。
ショックが激しく、医師の説明も碌に耳に入ってきません。
外科的治療法としては、腰椎の固定術があるということですが、
術後のリスクが大きい、つまり神経を傷つけてしまうと下半身付随になる可能性が高いので、
この方法はお勧めできないというものだったように記憶しております。
結局、保存的療法ということで、
牽引、及び投薬(鎮痛剤、筋弛緩剤、胃薬)と消炎鎮痛の塗布薬を継続させることとなりました。
しかし、薬は全く効かずに胃が荒れるだけ。
また、牽引治療は、受けたその日は調子が多少良くなる程度で、
翌日にはまた症状が逆戻りの繰り返しという状態です。
その期間は約1年近くになりましたが、途中、寒さが厳しくなる頃には、起き上がれない日が続き出勤すら覚束ない身体と成り果ててしまいました。
私の場合は、椎間板ヘルニアに付き物の坐骨神経痛は酷くはなかったのですが(左側の臀部から左足太腿の裏側、そして脹脛の左外側とたまに軽い痺れが出る程度)、頻繁に襲う激痛には終日悩まされたものです。
また、周囲の私に対する冷めた目つきや言動が精神的に辛かったですね。
□ 転機の訪れ □
年が明けて、2001年の夏。
インターネット上で偶然知り合った方のご主人が整形外科医であるところから、
私の苦難が伝え渡り、先の病院では勧められなかった手術についてのアドバイスを受けるようになりました。
そして、関西地方での脊椎系疾患に強い総合病院を教えていただき、
藁にも縋る想いで診察を受けてみようと思うようになりました。
ただ、その方が言うにも、私の症状では手術しか治療の手段はないということです。
これまでの主治医に無理を言って、紹介状を書いていただき、
意を決して、京都にある某総合病院の門を叩いたのが8月も終わり。
そして、この物語の幕が切って落とされたのでした(笑)。
|
Copyright(C) 2000-2002 猫ぢぃ All rights reserved.
|