だぶる厄MAN 椎間板ヘルニアと深部静脈血栓症の闘病記+α
治療記録

1. 発症
2. プロローグ
3. MRI検査
4. 診断結果
5. 改造計画
6. 予定は未定
7. 検査入院
8. 検査結果
9. 自己血貯血
10. 麻酔科対診
11. 入院!
12. 第2日目
13. 第3日目
14. 第4日目
15. 手術
16. 第1週目
17. 第2週目
18. 第3週目
19. 第4週目
20. 第5週目
21. 退院
22. 退院時診断書
23. 2002.3.20.現在
24. 2002.7.10.現在
25. 2002.10.現在
26. 2002.11.6.診察
27. 2003.2.現在
28. 2003.6.現在
29. 2003.8.現在
30. 2003.11.5.診察
2001.12.25(tue)〜31(mon)

左足の1.5倍くらいに膨れ上がった右足脹脛の異常に首を傾げる私と患者仲間。
所詮は医療知識もなく、医師に訴え、その指示を仰ぐしか手立てはないのです。
猫ぢぃ危機一髪の運命の扉が今開かれようとしているのでした。

12/25(tue) 主治医の回診時に症状を訴える。

脹脛の血行障害の疑いあり。要経過観察。
退院は今週末くらいでよかろうというものであった。。

リハビリ担当者にも訝しがられたが、「なんでしょうね?」と不明のままこの日を過ごす。

12/26(wed) ......が、当日の部屋番ナースが右足のことを聞きつけ、
足を高く上げることで少しでも楽になるようにと、即座に専用の枕を持って来てくれた。
右足を載せていると確かに楽である。
更に冷シップを持ってきてくれた。気休めにしかならないかもしれないと言いつつ。
仕事とは言え、この気遣いは本当に嬉しかった。

午後からの部長回診にて、昨日と同じ訴えを行う。

・右足脹脛の強い灼熱感。
・歩くと痛く、腫れ上がってだるい。
・夜も眠れないほどの疼痛を感じる。
・足に触っても、知覚が薄い。

早速、触診。
「ん?......あっ!これは血栓症の疑いが強いな。今日の外科担当医は誰や?!......(以下略)」
傍らについていた研修医にテキパキと指示を出し、
血管専門外科医の診察を手配してくださったのである。
流石、整形外科部長のことはある。
出した指示が素早く処理されていくのを肌で感じ取ることが出来た。

リハビリは即刻停止。
それから、程なく外科外来に行くように指示が出た。しかも、ナースが押す車椅子である。

取りあえず、エコーで膝下の血流を診る。
が、太い静脈の流れがモニターに映し出されない。
精密検査は明日とし、病棟に戻れば早々にヘパリンの点滴が準備されたのである。
それも、48時間にも渡る点滴落下速度自動管理機能付きの装置を携えてであった。

・病棟のトイレ往復以外は歩行禁止、それ以外の移動は車椅子を使用。
・大便は洋式に限定。
・入浴禁止。
・喫煙不可。
・1週間の安静。
・納豆禁止(抗凝固剤の効果を低減させる為)。

以上の指示が出されてしまったのである(涙)。

婦長が心配して、様子を見に来てくれた。ありがたや......。

12/27(thu) 動けない......。

本日よりワーファリン内服開始、そして静脈造影検査。
カテーテル導入は、足の指の付け根、甲、足首と挿されるのだが、
これがものすごく痛いのである。
しかも、足首、太腿の付け根には自転車に使うようなチューブでしっかりと止血されている。
これもかなり痛いのである。

結果、右足下肢に2箇所の血栓(深部静脈血栓)を確認。
生成に約3週間を要しているので、投薬しても完全に溶け切らぬ可能性あり。

この時は、私の置かれた状況がまだよく把握できていないのであった。

12/28(fri) 起床後と就寝前の、脈拍、検温、血圧測定、血中酸素の測定等が始まった。
この日は採血のおまけ付きで、何だか仰々しい雰囲気ではある。

早々に外科外来にて診察とエコー検査を受ける。
車椅子に乗り、点滴スタンドを引きずりながら独力で外来に向かう。
医師の話によると、血栓は静脈血栓症になる可能性が高いが、
新たに静脈のバイパスが形成されている様子が見て取れるというものであった。

昨夜、左胸のあたりがチクチクと弱い痛みを感じると訴えたので、
今日の午後から肺シンチ検査(RI診断)を受ける羽目になってしまった。
私の身体に何が起こっているのであろうか?不安だ。
「猫ぢぃさん......表情が時々凄く怖いよ。イライラするのはわかるけど......。」
とあるナースの声掛けに、ハッ!とする。
ごめんね、気をつけるよ......。

外来を終えた主治医が経過を伝えに来られた。
血栓吹き飛ばし術等があるが効果への期待は薄い、と。
1週間はベッド上での安静が必要である、と。
退院はこの様子を見て1月半ば頃まで延期しましょうとの判断が下る。

そして、ヘパリン48時間連続点滴が再開されてしまった......。合わせて、連続96時間!(号泣)
しかも、私が少しでも動こうとするものならナース達が飛んで来る。
「動いちゃダメでしょっ!」と。
詰所前の病室というものは何かと不便だ(苦笑)。

*婦長年末挨拶。
 要するに、私(婦長)は年末年始休暇をゆっくりいただきます、との暗黙の連絡なのである。
 思わぬ展開に苛立ち落ち込む私には、気休めの言葉をついでに頂戴する(苦笑)。

12/29(sat) 年末年始ということで外泊する患者が続々と、そして閑散とした雰囲気が病棟を包む。

婦長や副婦長が長休に入ったので普段とは違いリラックスした雰囲気が漂うのである。
(注;両者のシフトは婦長は平日の日勤のみ。副婦長は準夜勤に入ることもあり。)

入浴に制限のある私は再び沐浴に逆戻り(涙)。
洗面室でリクライニングができる車椅子に座って、ナースに洗髪してもらう。

12/30(sun) 日曜日の午前は、ナース総出でベッド周りの拭き掃除。

96時間にも渡る点滴が外れたので、夜巡回に来たナースに
「煙草吸ってもいいかな?」と聞いてみた。
すると烈火の如く怒り出したのである。
「ヘパリンが終わっただけで、
 ま〜だいっぱい点滴打たんといかん人がな〜にゆ〜てんのっ!!
 そんなん全部の点滴終わってからゆ〜てくれるっ!?(激怒)」

つまり、血栓の怖さを知らないのか?!
脳梗塞、肺塞栓(ナースは肺梗塞と言ったが)、心筋梗塞の恐れがあるのに
許可できるわけないだろっ!......とのことである。
長休開けの1月4日に診察があるから、それまで大人しく寝ていなさい......と。
余りの剣幕に返す言葉がなかった。

そんな状態なのか。
下手をすると私は死んでしまうということなのか?
不安と苛立ちが増すと共に、自分の身体の中で起こっていることに恐怖を覚えたのであった。

因みに。
消灯後、私が言うことを聞かずに喫煙所に脱走しているのではないかと、
通常にはない午後10時の病室の巡回がありました。私のベッドだけ(涙)。

*母、面会。することもなくそそくさと引き揚げる。

12/31(mon) 何とも侘しい年の瀬である。
今日明日と、ノバスタンとウロキナーゼの点滴の予定にうんざりする。
朝食後、車椅子で中庭に出てみた。ちょっとだけ気分が和らいだようだ。

午前の回診に訪れたナースには、喫煙のことについてチェックを入れられた。
もう、私は完全にマークされているようである。

医師達は、外来が休みでも回診には来てくれるようだ。
副主治医の専門はスポーツ外来。
術後の回復について身体能力にポイントを絞り質問してみた。
曰く、競技スポーツ未満のレベルならほとんどOK。ゴルフでも野球でも可能であるということ。
但し、登山における下山のような運動は避けたほうが良し。
つまり、重心を後ろに持つような姿勢は固定術者には禁忌である。

いずれにせよ、半年間は無理をしないで下さい、ということであった。

夕食には蕎麦がついた。しかし、感動も何も感じない。
紅白歌合戦を見る気にもなれず、早々に目を閉じる。が、眠れる筈もなく。嗚呼......。



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