だぶる厄MAN 椎間板ヘルニアと深部静脈血栓症の闘病記+α
治療記録

1. 発症
2. プロローグ
3. MRI検査
4. 診断結果
5. 改造計画
6. 予定は未定
7. 検査入院
8. 検査結果
9. 自己血貯血
10. 麻酔科対診
11. 入院!
12. 第2日目
13. 第3日目
14. 第4日目
15. 手術
16. 第1週目
17. 第2週目
18. 第3週目
19. 第4週目
20. 第5週目
21. 退院
22. 退院時診断書
23. 2002.3.20.現在
24. 2002.7.10.現在
25. 2002.10.現在
26. 2002.11.6.診察
27. 2003.2.現在
28. 2003.6.現在
29. 2003.8.現在
30. 2003.11.5.診察
2002.11.6.診察

人生を左右する手術から1年が経とうとしております。
手術に当たっては、会社経営サイドの了解、そして所属長や直属の上司からバックアップを得られたことが最も有り難かったとは、以前に「アドバイス/私が手術を受けた理由」で書きました。
他聞に漏れず、私の勤務先も業績芳しくなく、入院・手術を切り出す際には、解雇か依願退職を迫られるのではないかと気を揉んだものでした。ですから、正直、有り難かったのは言うまでもありません。

但し、今年度の給与は大幅にカットされておりましたが......(苦笑)。

11/6(水) 診察の間隔が開くと、京都駅から乗車するバスの系統を間違えそうになる。

今日も朝一番で、レントゲン撮影〜整形外科診察の予定である。
が、トップバッターのレントゲンが混雑している模様で、約40分も待つことになってしまった。
これは、まずい......
何故なら、ここでの遅れは、診察への遅れに直結することになるからである。

案の定、それから約2時間近く待って、漸く診察室に通されることになったのであった(涙)。

他の病院のことは知らないが、この某病院では、レントゲン写真がシャープな映像で撮られていないと撮影のやり直しになるのである。
従って、「はーい。息を吐いてくださーい。はいっ、そのまま動かないで下さいねー。」と声をかけられた後に、窒息死しそうになって息を吸ってしまったり、固定された姿勢が苦しく(身体が曲がり難いので)ちょびっとでも動いてしまうと、「あー、すいませんねー。撮り直しです(きっぱり)。」の憂き目に合うのである。
撮り直した分の検査代?は余計に請求はされてはいないようであるが......(苦笑)。

さて、診察であるが、前屈気味と背を反った状態の2枚のフィルムを重ねるようにして、固定した患部の様子をチェックしていただく。

「くっつきましたね。もう大丈夫です。」

フィルムを覗き込む医師の頭に目をやりながら、「先生、白髪が増えたなぁ......。」とか、「ちょっと痩せたんじゃない?」などと診察には全く関係ないことを言ったか言わぬか(笑)。
整形外科は今秋の医療改定でまた診療報酬が下げられ、儲からない分野になってきたとか。
欠員があっても医師を増やさず、残った人数で、外来と病棟、そして手術に当たらなければならないので、以前よりもハードな勤務体制であることには間違いないであろう。

せんせーも大変なんすね......ほろり(貰泣)。

いずれにせよ、これで私の診察は終了である。
入院中は散々であったが、とにかくこうして結果が出たのであるから、ほっと一安心というところ。また、手術を勧められるのは整形外科の特性であるかもしれないが、あの痛みと不安から救って下さったことには間違いないのである。

こんなに間隔が開いても、私のことは覚えてくださっていたようで、共にこの最終診察結果を喜んだ。
ひとつひとつの言葉に精一杯の感謝を込め、最後の挨拶を済ませる。

次回は、1年後。
これからは、私が拒否しない限りは、年に1度のレントゲン検査を受け、患部等のチェックを受けることとなる。

有難う、せんせー。ほんとに......。

総括 腰に鉄板が入ったような感覚は徐々に薄らいできている。
これは、私の身体が、固定した金属に慣れ始めてきているということだそうである。

今後、最も注意すべきことは、固定した上下や胸椎、頚椎の椎間板が同様に痛むことである。
その為には、日頃からの筋力増強に努める心がけが大切なのであるが、咽喉元過ぎれば......となることだけは避けなければならない。医師が言うには、プールでの歩行や水泳などが身体に負担が少なく済んで良好だそうである。

とにもかくにも無理だけは禁物。
重い物は持たない。職場でも、周囲の気遣いにより、こうした作業は免じて貰っている。.....と言うか、実際、重い物は持てなくなっているのである。正確に言えば、持ち上げることができない、と。

服を着て颯爽と歩けば、周囲からは何ら問題のない身体に見えてしまうが、実はヨレヨレなのである(苦笑)。

自らが、こうした経験をすると、これまで見落としていたことが鮮やかに見えてくることもあるものである。それは、明らかな障害を持った方だけではなく、日常のちょっとした動作に映し出される不具合......。
実際に、自分がこのようになってしまってからでは遅いのかも知れないが、他を労わる優しさのようなものが、心の中に、より強く芽生えたということであろうか。

今後も、経過観察は続行し、更新は続けるつもりでいる。

次は、昨年、相当苦しんだ真冬における変化を追ってみたいと考えている。



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