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たかはし これきよ

高橋是清

たかはし これきよ

1854.9.19(安政1)〜 1936.2.26(昭和11)

明治・大正・昭和期の政治家、財政家

埋葬場所: 8区 1種 2側 16番

 幕府御用絵師川村庄右衛門の不義の子として生まれ、仙台藩士高橋是忠の養子となる。1867(慶応3)藩留学生として渡米、意味も分からずサインをし奴隷となる。 翌年脱出し帰国。本場事込みの語学力が認められ16歳で開成学校(東大)の教師。しかし、酒と芸者遊びに溺れ教師クビ、たいこもちになる。その後87(M20)初代特許局長に就任。 89一攫千金を狙いペルーの銀山開発にのりだしたが失敗し失意の底に沈んだ。92才覚を認められ日本銀行へ。日露戦争中13億円の外債募集成功。05貴院議員。07男爵。 11日銀総裁を経て、7度の大蔵大臣・農商務大臣・内閣総理大臣などを歴任。2・26事件で暗殺された。その後、高橋是清邸宅「仁翁閣」は多磨霊園休憩所として活躍。75使用停止。


高橋是清邸
 建築年は1902(M35)で、港区赤坂7丁目に建つ。高橋是清がこの邸宅二階書斎で暗殺(2・26事件)後、1938(S13)に東京市へ寄贈された。 主屋部分は3年後、多磨霊園に移築され有料休憩所仁翁閣として1975(S50)まで活躍した。 1993(H5)江戸東京たてもの園(小金井公園内)に復元され、現在に至る。たてもの園内の是清邸も休憩所兼茶屋として使用されている。

<コンサイス日本人名事典など>


高橋是清邸 高橋是清邸

*是清邸宅をアップするために、江戸東京たてもの園に連絡したところ、HPの引用等の承諾は得られたが、写真の引用のみが不許可となり、自ら取材をしに訪れ写真を撮ってきた。


9区1種1側

*高橋是清墓所はここの他に9区1種1側にもある。 こちらは、高橋家先祖代々や子爵を継いだ高橋是賢、ベルリン五輪サッカー日本代表の高橋豊二も眠り、墓誌にそれら名前を見ることができる。是清の名も刻む。

*妻の愛子は黒木為(木貞)とヒヤク(8-1-2-15)の次女。


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