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かんろじ かたふさ

甘露寺方房

かんろじ かたふさ

1900.2.25(明治33)〜 1994.6.17(平成6)

昭和期の名家、実業家

埋葬場所: 14区 1種 1側

 東京出身。甘露寺家は藤原北家の支流・勧修寺流の流れを汲む公家で、明治維新以降は伯爵に列せられた。父は侍従・寒川神社宮司などを務めた伯爵の甘露寺義長。母は子爵家の勘解由小路立子。兄の甘露寺受長は東宮侍従・掌典長・明治神宮宮司などを務めた。姉の義子は伯爵の奥保夫に嫁いだ。従兄弟に作家の武者小路実篤がいる。
 三菱財閥の3代目総帥・男爵の岩崎久弥の二女の岩崎澄子(1903.1.20-1937.9.12 同墓)と、'25.6.1(T14)に結婚するが、'37(S12)病のため34歳(墓石は35歳と刻む)の若さで没す。敬虔なクリスチャンで2000人近くの混血孤児を育てた澄子の姉の沢田美喜の影響もあり、澄子は死に際して洗礼を受けたという。方房もクリスチャンとなり洗礼名はヨゼフ。
 1937(S12)分家し華族から降下した。'38(S13)姉の沢田美喜が編著、方房が出版人となり『澄子』を刊行している。三菱銀行の重鎮の菊池幹太郎の三女の菊池正(1913.1.7-1992.10.6 同墓)を後妻として迎え入れた。正も敬虔なクリスチャンであり洗礼名はマリア・セシリア。
 方房は三菱信託など三菱系の社員として長らく勤務。後に東洋カーボン監査役を務めた。享年94歳。

<閨閥 - 新特権階級の系譜など>


*墓石は和型、正面は十字を刻み「甘露寺家之墓」。裏面は「岩崎久彌 第二女 母保科氏 明治三十六年一月二十日 生于東京 大正十四年六月一日 来歸 甘露寺方房 昭和十二年九月十二日病歿 齢三十五 葬 多磨兆域」と刻む。左面は墓誌となっており、方房や後妻の正などの刻みがある。

*甘露寺家の代々の菩提寺は東京都港区北青山にある善光寺。母の勘解由小路(かでのこうじ)家の菩提寺も善光寺である。


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